間奏曲 3 ―ひかりのほうへ―
1
2月14日。19時をまわった頃、今から会えないかとひかりから電話があった。今まで夜に会う時はいつだって前日までに約束をしていたというのにこの日は違った。ひかりがこんな時間に会いたいと急に言って来るのは付き合って初めての事だった。
ただ事ではないと間宮トオルは思った。そして、今すぐ行くと伝えバイクでひかりの自宅へと向かった。
家から出て来たひかりは「ごめんね。こんな時間に呼び出して。」と笑顔を見せて言った。
「どうしたんだよ?」
「後ろ、乗って良い?」
ひかりはヘルメットをブラブラと見せながらそう聞いてくる。そのヘルメットはひかり用にと以前に間宮が渡していた物だった。
「ああ。いいけど。」
「行きたい所、あるんだ。」
ひかりが言った行きたい所とは山頂から市内を一望出来る絶景スポットだった。
「今から山に?寒いぞ。」
「無理なら良い。」
ひかりは寂しそうに言った。その表情を見つめ間宮はひかりがこういうわがままを言ってくるのも珍しいと思った。
「わかった。行こう。」
「ありがと。」
そう言ってひかりは寂しそうに笑った。
30分も掛からないうちに山頂に到着した。
ひかりは両手を広げ大きく息を吸った。その後ろ姿を見つめながら、これからひかりが何を言い出すのかと間宮は不安で一杯だった。
ひかりは一人でさっさと夜景が見える方とは別の場所に移動する。
後ろに両手を回し夜空を見上げる。
そして、ひかりは振り向き人差し指を夜空に向け言った。
「星、キレイだね。」
曇ってはいるが所々に星の光が見える。
「…あ、ああ。けど、雲行きが怪しくなって来ている。もしかしたら雪が降るかも。」
間宮がそう言うのを待っていたかの様に雪が降り始めた。
昨年のクリスマスの雪と今降り始めた雪では何かが違う。
クリスマスの時は本当に綺麗な雪だった。しかし今日の雪は不気味に見えていた。
「ねぇ?知ってた?」
間宮は首を傾げ、なにを?と問い掛けた。
ひかりはゆっくりと話し始める。
「悲しみの分だけ星は綺麗に人の目に映るって事をあなたはそれに気付いてた?」
そう言ってひかりは微笑んだ。
その微笑みには悲しみが垣間見えた。
そして、ひかりの目からは涙が溢れ始めていた。
間宮はじっと黙ってひかりの言葉の意味を探った。
さっきひかりは星が綺麗だと言った。
つまり、ひかりは悲しみの中にいるという事なのだろうか?
「私達、お別れしよう。」
その言葉で時が止まった。何も言えなかった。ひかりは間宮の沈黙を了承したと受け取った。
別れ話を言い出されるんじゃないかと電話があった時から、いや、それ以前から予感をしていた。
もし別れ話を言い出されたら…自分に魅力がないんだと諦めよう。そう間宮は覚悟を決めてしまっていた。
その決断は間違っていたとも気付かずに…
この時、間宮が別れたくないと言えば…いや、そっと微笑んでひかりを抱き寄せていれば全てが変わっていたのかもしれない。
さっきよりも風と雪が2人を襲う。
「行こっか。」
ひかりは感情のない表情でそう言った。
間宮は黙って歩き出した。
バイクのキーをポケットから取り出した時、ひかりが手のひらを出して言った。
「そのキーホルダー。捨てよっか。2人お揃いの持ってるし。変に思い出にしたくないでしょ。」
2人お揃いのキーホルダー。それをバイクのキーにつけていた事を間宮はその言葉で思い出した。
「…あ、ああ。そっか。」
そう言って間宮はそのキーホルダーをひかりに手渡した時、ひかりの薬指にはまだペアリングが嵌められている事に気が付いた。
間宮の視線を受けてひかりが自分の右手を見つめる。
ひかりが指輪を外すのを少しためらっていたようも見えた。
しかし、ひかりはゆっくり指輪を外す。
「指輪、返しておくね。」
指輪が間宮の手に渡される時、ひかりの指先と間宮の指先が少し触れた。
(…もう、ひかりの指先すら触れる事はないのか…)
間宮はひかりから受け取った指輪をズボンのポケットにしまった。
2人はバイクに乗り元来た道を引き返す。
雪はいつの間にか雨に変わっていた。
(…あぁ、プロになれる事…話せなかった…今さら言ったところで喜んでくれるはずも…)
緩やかなカーブだった。スピードも出ていない。しかし、雪のせいなのか雪が雨に変わったせいなのか、それとも考え事をしていたせいなのか……
バイクが傾きタイヤがスリップする。
しまったと思った時にはもう遅かった。
体勢が崩れバイクから投げ出される。
間宮は強烈な痛みを伴い何回転もしながらもひかりの姿を目で追っていた。
バイクが緩やかなカーブのガードレールを突き破り崖に落ちて行く。
そのバイクを追うかの様にひかりが破れたガードレールの方へと向っている。
(止まれっ!止まってくれ!!)
自分の体が回転する中、見るもの全てがスローモーションに映し出された。
(嘘だ…嘘だろっ!!)
間宮の体はガードレールによって受け止められたが立ち上がろうとしても体が言う事を聞かない。
顔だけを上げバイクが落ちて行った方を見つめた後、左右を確認しひかりの姿を探したがどこにもひかりの姿が見当たらない。
今、見たものが全てなんだと間宮は固く冷たいアスファルトに自分の頭を何度も何度も打ち付けた。
「…ひかり……」
「ひかりーーーーーー!!!」
バチッと音がするかという程の勢いで映像が消えた。
間宮は「ひかりっ!」と叫び布団から起き上がった。
汗を拭い間宮は「またか。」と呟いた。
ひかりがバイクから投げ飛ばされ崖に転落して行く映像。
これまで何度も見た夢だった。
あの時、ひかりから電話を受けた時、断っていれば…バイクで山頂に向わなければ…そもそも雪が降っていなければ…帰り道の運転で考え事さえしていなければ…
間宮は何年もの間、ずっと後悔し続けている。
黒崎のようにひかりの死は事故だと言う人もいれば京やひかりの両親の様に間宮がひかりを殺したと言う人もいる。
間宮自身はひかりが死んだのは間違いなく自分のせいでひかりを殺したのは自分だと思っている。
2
昨日から雨が降り止まない。
間宮の怪我はたいした事がなかった。
俺は無事なのにどうしてひかりが…ひかりだけが……
ひかりの通夜。
間宮は参列する事を許されなかった。ひかりの母が間宮の姿を見ると悲しみの表情から怒りの表情へと変え「この人殺しっ!!」と大声で叫び間宮を追い出したからだ。
血相を変えたひかりの母は周りの人達が抑える腕を振りほどき間宮に叫び続けた。
「娘を返してっ!この人殺しっ!お前のせいで娘は…ひかりは死んだんだ!ひかりを返してっ!お前の顔なんて二度と見たくないっ!帰れっ!帰って!!この人殺しっ!」
間宮は何も言い返せなかった。
ひかりの母が言う通りだったから。
雨はまだ降り止まない。
間宮はひかりの葬式にも出られなかった。
葬式の場所までは行った。しかし、相沢がやって来て間宮に帰るように指示をした。間宮が黙ったまま突っ立っていると相沢は間宮の胸ぐらを掴み叫んだ。
「お前のせいでひかりが死んだんだ。そんな奴がひかりの葬式に出られると思うなっ!」
相沢に突き飛ばされた。雨で濡れる体が寒さと恐怖で震えていた。
ひかりの両親が涙を流して間宮を睨んでいた。
その後ろでうっすらと笑顔を浮かべるひかりの遺影が間宮を見つめている。
ああ…俺も君の元へ行きたいよ……
ひかり…君の元へ……
3
緩やかなカーブ。スピードも出ていない。雪のせいなのか雪が雨に変わったせいなのか、それとも考え事をしていたせいなのか……
バイクが傾きタイヤがスリップする。
体勢が崩れバイクから投げ出される。
バイクが緩やかなカーブのガードレールを突き破り崖に落ちて行く。その後を追うようにひかりが……
毎日その夢を見てははっとして起きる。
そして、ベッドの上で項垂れる。
これが夢だったらと、その夢を見るたびに思う。
(緩やかなカーブ。スピードも出ていない?本当にそうだったのか?)
間宮は激しく頭を振る。
(バイクはガードレールを突き破った。ガードレールを突き破る程のスピードを俺は出していたんじゃないのか?
そう…きっとそうなんだ……俺は……俺が……)
「うわーーー!!!うわーーー!!!」
4
その後、間宮はプロとなった。
「ひかり。俺、プロになったよ。だけど、全然嬉しくないよ。」
ひかりが亡くなってから間宮は何度も死にたいと思った。しかし、死ぬ勇気がなかった。
俺はひかりの方へと行きたいのに……
俺には…生きる勇気も死ぬ勇気もない……
その後、相沢との関係は悪化し、それが原因で奥田と吉田との関係も悪化していった。最悪のプロ生活だった。
サザンクロス解散後のある日、間宮の元にひかりの母が現れた。
『この人殺しっ!!』
ひかりの母の顔を見た途端、彼女が怒りの表情で間宮に叫んだその言葉が蘇った。
今、目の前に立つひかりの母は随分と年老いていた。しかし、その眼光は鋭かった。
間宮は身動きひとつ出来ずひかりの母の鋭い眼光から逃れられなかった。
間宮が固まっているとひかりの母は一冊のくすんだ赤色の日記帳を間宮に手渡し言った。
「生前ひかりが書いていた日記帳。途中まで読んだんだけど、どうやらこれはあなたが読む事を想定してひかりは書いていた物だと思ってね。ずっと渡したかったんだけど、どうしても私はあなたに会いたくはなかった。」
「……すみません。」
「こちらこそ。ごめんね。ひかりの日記渡すの遅くなってしまって。」
日記帳を渡すのが遅れた事に関するごめんねという言葉だったが間宮はそのごめんねの言葉に救われた。
間宮はひかりの母に少し待ってもらい、間宮が撮影したひかりの写真を手渡した。
私史上最高の笑顔――ひかりがそう言っていた写真だ。
間宮はその写真を手元に置いておきたかったが、ひかりの母が喜んでくれると思い手渡した。
しかし、間宮が想像したような反応はなかった。
ひかりの母は愛想無く写真を受け取り去って行った。
5
くすんだ赤色の日記帳を見つめ。間宮はこの時初めてひかりが日記を書いていた事を知った。
しかし、間宮はひかりの日記帳をすぐに開く事は出来なかった。
ひかりの指輪と日記帳は部屋の片隅に置かれたまま2年の月日が流れた。
ひかりが亡くなりプロになってからの3年間は最悪の生活だった。しかし、それ以上に最悪な生活だったのはサザンクロス解散後の2年間の方だった。
覇気も無く廃人の様に間宮は暮らし、ただ生きる為だけにバイトをした。人とは全く接しようとはせず生きていても死んでいるような生活。何も考えず何も希望がない。そんな最悪の生活が間宮を待っていた。
プロデューサーになって欲しいという連絡が入ったのはそんな廃人の様に暮らしていた時だった。しかし、間宮はそれを断った。
電話を切り部屋に戻り椅子に座った。散らかった部屋を見渡したその時、何故かひかりの指輪が輝いて見えた。そして、その横にはくすんだ赤色の日記帳がある。
ひかりが日記を読んで欲しいと伝えている。なぜだかそう思った。
そして、気付いた時には間宮はひかりの日記を捲っていた。
ひかりの想い一つ一つが間宮に届いた。
11月1日。
ひかりの最後の日記に目を通す。
しばらく空白のページが続く。
それをペラペラとゆっくり捲っていく。
初めて日記を読んだ時は11月1日の日記からひかりが亡くなった2月14日までひかりは日記を残していなかったとのだと間宮は落胆した。しかし、それは違った。ひかりは最後の日記を残していた。その文章がどれだけ間宮を励ましてくれた事か。
空白のページが数十ページ続いた後、2月13日の日記が現れる。
*
2月13日
明日、私はトオルに別れを告げます。
明日の私はトオルになんて伝えるのか今日の私にはまだわからないけれど……
だけど、私は決してトオル。あなたを嫌いになったわけではないの。
私、今でもあなたが大好きだよ。
だけど、私はあなたに相応しい人間じゃない。
夢も叶えられない私はあなたと釣り合わない。
私…あなたに相応しくないって思ってしまったの。
私が夢を叶えていたらこんな気持ちにならなかったのにね…
トオル。夢を叶えるなんて凄いよ。
実は私、お兄ちゃんの奥さんからプロになれるって聞いちゃったんだ。
だから、お兄ちゃんやトオルが内緒にしてる事もわかっていたの。
夢を叶えられなかった私には言えなかったのかな?
だけど、私、
あなたの活躍、遠くで見守っているからね。
私がそばにいなくたって負けるな!頑張れっ!!
今まで本当に楽しかった。ありがとね。
じゃあね、バイバイ。
*
俺がプロになれた事を知らないままひかりは死んだ――俺はずっとそう思っていた。
「……ひかり…知ってたのか…俺がプロになれるって事を……違うんだよ。違うんだよひかり…俺、あの段階ではまだプロになれるって決まったわけじゃなかったんだよ。だから言えなかっただけなんだよ…ちゃんとプロ契約が結ばれたら伝えるつもりだったんだ……俺、本当はひかりに一緒に喜んで欲しかったよ…喜んでほしかったんだよ……俺が…ひかりに別れを告げられたあの時に…ひかりを強く抱きしめていれば何かが変わっていたのかなぁ…」
全ての日記を読み終えた後、間宮はこのままではいけないと思う事が出来た。
「俺のせいで生きられなかった命があったのに…俺は…なにやってんだ……」
何もしない事が一番のひかりへの罪だった事にようやく間宮は気がついた。
―あなたの活躍、遠くで見守っているからね。
―私がそばにいなくたって負けるな!頑張れっ!!
「ひかり、そこで見守っていててくれ。」
(俺、やってやるよ。)
間宮はひかりの言葉に勇気をもらった。そして、受話器を手に持った。
「プロデューサーの件、やっぱりやらせてもらえないでしょうか?オーディションで選ばれる若者達のプロデューサーをしてほしいとの事でしたが、もし良ければオーディションから携わりたいんです。自分の目と耳でプロデュースする若者を選びたい。」
間宮のプロデューサー生活はたった1年だった。
その1年はサザンクロスでのプロ生活3年間よりもずっと充実した1年だった。
昔の仲間達は言う。
ひかりが死んだ時、助けてやれなくてすまなかったと。側にいてやれなかったと。
しかし、間宮は思う。
誰かが側にいた所であの時の俺は殻に閉じこもり誰の声も届かなかったと。
――俺の心の中に届いたのは、ひかりの声だけだった。
*
「ひかり。俺、もう一度プロデューサーになったよ。教え子達にプロデューサーに戻してもらえたんだ。今度は逃げ出さない。最後までやり遂げる。俺と違うけど恋人を亡くした男を音楽の世界に連れて行ってやりたいんだよ。俺のようにプロ生活を無駄にしてほしくないから……
だから…今、闇の中にいるあいつを必ず光の方へと導いて行く。
だけど、最後にあいつを助けられるのは俺じゃない。
そして、それはきっと仲間でもない。
あいつを助けられる人物がいるのだとしたら……」
――それは、たった一人しかいない。




