表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The Voice  作者: 幸-sachi-
The Voice vol.2
41/59

Episode 7 ―大切な日々―

5月18日。男はこの日の日記を読んでまた驚いた。

(嘘だろ…この日も…俺達は出会ってたのか……

この日は…そう、バイトの時間までルナで時間を潰していて…少しだけ目を閉じようと思ったら眠ってしまって…そうだ。急いで目を覚ましたらテーブルに足をぶつけて凄く大きな音をたててしまったんだ。そして…店内にいる客全員が俺の方を見てクスクスと笑っていた。その中に……君はいたのか?)

「ありがとう…俺を…ずっと前から見ていてくれて。」



2015年8月16日(日)


拓也と龍司が大阪へ向かった頃、姫川真希は凛と春人をルナに呼び出していた。

「で、ヒメ突然俺達を呼び出した理由は?」

結衣にアイスコーヒーを3人分頼んでから春人が聞いてきた。

「ごめんね。春人を呼ぶ必要はなかったんだけど今日は付いて来てもらおうかなって思って。」

「って事は私に関係があるんですか?」

と凛は言ってから、私に関係がある事なの?と言い直していた。

「そうよ凛。これから私達は沢山のコンサートを見に行く事にするから。」

凛は首を捻りながら、コンサート?と言った。

「私達はこれから冬に向けて柴咲交響楽団と柴咲合唱団とのクリスマス・イブコンサートと柴咲音楽祭が控えているの。コンサートには沢山の演奏者がいて音楽祭には沢山のバンドが出演する。その時、凛、あなたは今まで体験した事がないくらいの人達の感情を聞く事になる。今のままではあなたは絶対に耐えきれないと思う。」

「だから、これから沢山のコンサートを見に行くんですか?」

と凛は聞いた後、だからコンサートに行くの?とまたタメ口に言い直した。

「そうよ。今日はその訓練の一日目。どうせ拓也と龍司がいないから暇だろうと思って春人も誘ったんだけど。春人今日暇だったよね?」

「暇だったし俺もコンサート聴きに行くの好きだから全然構わないよ。で、今日はどんなコンサートに行くんだ?」

「とりあえず柴咲交響楽団のコンサートよ。来週はブラーかエンジェルか暁のどこかに適当に行こうかと思ってる。凛、覚悟はいい?」

「は、はい。あっ。うん。どこまで耐えられるか自分でもわからないですけど…あ、わかんないけど。」

「よしっ!じゃあ、お昼はここで食べて行こう。」

真希はそう言ってルナドッグを3つ頼んだ。

「あ、そうだ。明日エンジェルでライブがあるから見に来てって紀子から頼まれてたんだ。」

「キコ?」

と春人が聞き返した。

「和装の飯塚紀子ちゃんね。じゃあ、明日はエンジェルに一緒に行こう。春人はどうする?」

「去年の柴咲音楽祭の準優勝バンドか。それなら是非見ておきたいね。今年も出場するんだよね?」

「はい。あ、うん。紀子はメンバーも一人増やしたから今年こそ絶対優勝するって言ってた。」

「そうか。俺達にとっては最大のライバルになるのかな?」

「じゃ、偵察がてら3人で行こう。」

と真希が言った時、結衣がルナドッグを持って来て、

「結衣も行く〜。」

と言ったので明日は4人で和装のライブを見に行く事になった。食事中、真希は凛の母親朱里の様子を凛に聞いた。朱里は白石との離婚をようやく考え始めたらしくこれから2人で住むアパートを探す予定なのだと凛は言った。

「ヒメのおばあさんの家にはいつまで?」

春人が凛に聞いた。

「アパートが見つかるまではお世話になろうと思ってます。真希さんはそれでも構いませんか?」

真希はその凛の言葉を無視した。春人は「凛、敬語」と凛に告げると凛は、あっ。と言ってからまた言い直した。

「アパートが見つかるまではお世話になろうと思ってるんだ。真希はそれでもいいかな?」

「私は全然いいよ。なんなら3人で住んじゃえばいいじゃん。きっとおばあちゃんも喜ぶし。」

「それは出来ません。」

「……」

「凛、敬語。」

「あっ。それは出来ないよ。」

「ま、凛のお母さんが白石のマンションを出る時に住む所が見つかってなかったら気を使わずにおばあちゃんの家に住んでくれたらいいからね。それに凛のお母さん仕事も探さなきゃ、なんでしょ?住むところも仕事も見つからなかったら見つかるまでおばあちゃんの家に住めばいいし。」

「でも…」

「でも、じゃない。ちゃんと私がそう言ってたってお母さんに伝えといてよ。」

「ありがとう。真希。」



2015年8月17日(月)


18時。結城春人はルナのカウンター席に座り凛と結衣の2人と共にアイスココアを飲んで19時から行われる和装のライブまで時間を潰していた。ライブが行われるエンジェルは家からすぐ近くの春人がわざわざルナに足を運んだ理由は真希に2人の送り迎えを頼まれたからだ。送り迎えを頼んだ真希がここにいない理由は雪乃に会いに行っているからだった。

そして、今日のルナのバイトには久しぶりにみなみが入っている。

「どうサクラちゃん?久しぶりのバイトで疲れてない?」

「ありがとう結衣ちゃん。全然大丈夫だよ。」

「しんどくなったらすぐに新治郎に言うんだよ。」

春人達以外客がおらず暇そうにパイプを銜えて新聞を読んでいる新治郎を見ながらみなみは「うん。わかってるよ。」と答えた。

「ところで3人は何時にここを出る予定?」

「タクシー呼んだら10分で着くだろうから45分には出るよ。」

結衣は店の入口の方を振り向き大きな振り子時計の時刻を確認しながら答えた。みなみも入口近くの壁際に置かれている時計を見て、

「そう、じゃあ何か食べて行く?」

と春人達に聞いた。結衣は凛の顔を見て、

「そっか。夕食の事考えてなかった。エンジェルの食べ物って高いんだよね。ここで食べて行く?」

と聞いた。凛は、そうしよう。と答えたので結衣は、春人君もそれでいいよね?と聞いて来た。春人は、うん。と答え3人ともルナドッグを注文した。注文を聞いたみなみは結衣や新治郎がそう言うように「あいよ。」と答えて3人分のルナドッグを作り始めた。

ルナドッグを食べながら結衣は凛に聞きにくそうに言った。

「最近、お母さんとはどうなの?」

「うん。昔のお母さんに戻って来たよ。LINEで連絡とったりもするようになってきたし。」

凛がそう答えると結衣は嬉しそうな笑顔を見せて、良かったね。と言った。

「今は離婚に向けて話し合いが進んでるところなの。お母さん住むところも仕事も探さなきゃいけないからしばらくはあいつのマンションにいるらしい。」

「大丈夫なの?あいつのマンションにいてて。」

「どうかな?真希さん…じゃない。真希も真希のご両親もお母さんが住むところが見つかるまで真希のおばあさんの家に住めばいいって昨日言ってくれて、それをお母さんに伝えたんだけど、それは出来ないって…でも、白石の奴、ほとんどマンションには帰って来なくなってるから安心してゆっくりと住める場所を探すって言ってる。」

「あのヘンタイどこで寝泊まりしてるんだろうね?」

「さあ?興味ないな。」

「だよね。でも、凛。近いうちにお母さんとまた暮らせるようになってホント良かったね。」

「うん。ありがとう結衣ちゃん。」

「そう言えばさ、昨日のコンサートはどうだったの?」

「さすが柴咲交響楽団って感じだったよ。改めて凄さがわかった。」

と春人が答えると結衣は「もう!春人君!そうじゃなくってー!」と言ってから、

「凛ちゃんの耳は耐えられたの?」

と凛に聞いた。

「しんどくなって途中で出ちゃった。」

「なかなか戻って来なかったから俺と真希も心配になって会場から出たら長椅子に座って俯いている凛がいて驚いたよ。」

と春人が凛の言葉の後に付け足すと凛は頭を下げながら言った。

「ごめんなさい。沢山の人の感情が入って来て…耐えられなくなって…あの場にいてられなかったんです。コンサート代も払ってもらったのに最後までいられなくて申し訳なかったです…これからコンサートやライブに連れて行ってもらえるのは嬉しいんですけど、その分お金も掛かるし申し訳なくて…」

「真希は自分が誘ってるんだから全部お金は出すつもりでいるよ。だからお金の事は気にしなくてもいいよ。」

「でも…どうしてそこまでしてくれるんですか?」

「真希は言ってたよ。凛は私達にとってジョーカーだって。」

凛と結衣は2人揃って首を捻り「ジョーカー?」と言った。

「そう。俺達のバンドを良くするのも悪くするのも凛次第だって意味で真希は言ったんだと思う。」

「そっかぁ〜。凛ちゃんはジョーカーかぁ。なんか格好良いね。でも、感情が伝わる耳が沢山コンサートやライブに行けば慣れる事ってあるのかなぁ?」

「さあ?それは俺達にも凛自身にもわからない事だ。だけど、何もしないよりかはいい。」

「今日も昨日と同じ感じで耐えられなくなったら外に出ると思います。」

「ああ。それでいい。」

「みんなは私に構わず最後までライブ楽しんで下さい。」

「それは出来ないな。和装のライブを楽しむ目的でライブを見に行くわけじゃないからね。ライブを見に行くのは凛がライブを普通に聴けるようになる為の訓練なんだ。それを忘れない様に。」

「だけど、それは申し訳なくて。」

「気を使う必要はないさ。そう簡単にいかない事は俺も真希も覚悟してる。」

「あっぶなぁ〜。結衣は普通にライブを楽しむつもりでいたよ。」

「結衣ちゃんは楽しんでくれていいんだよ。」

「いやいや春人君。3人が途中で帰るなら結衣も帰るからっ!」

そう言って結衣は大きな振り子時計の方を向き、

「6時45分。そろそろ行こっか?」

と言ったので春人達は立ち上がった。

「じゃあ、新治郎。お会計お願いしまぁ〜す。」

春人がここは自分が支払う事を告げて3人分のお会計を終えると結衣と凛は、ご馳走様です。と申し訳なさそうに言った。そして、みなみがさっきまで3人が座っていたカウンター席に移動して片付けを始めた。凛と結衣はみなみに、お疲れ様です。と声を掛けて春人に続き店を出た。その瞬間、店の中からバリバリバリと次々にガラスが割れる音が聞こえて春人達3人は同時に顔を見合わせた。その間に店内からは「大丈夫かっ!!」と大声を出す新治郎の声が聞こえた。結衣は急いで今閉めたばかりのドアを勢いよく開けた。

「どうしたのっ?」

さっきまでカウンター席の片付けをしていたみなみが床に倒れ込んでいて、その横に心配そうな顔つきで床に片足を着く新治郎の姿が見えた。

「おいっ!大丈夫か?みなみちゃんっ!!」

春人は大声を出してみなみが倒れている場所に駆け寄った。さっきまで3人が使っていたカップや皿は全て床に落ち粉々に割れて散乱している。そのガラスの破片を避けながら結衣も凛もみなみの側に駆け寄った。

「新治郎何が起こったの?」

「急にみなみちゃんが倒れたんだ!おいっ!みなみちゃん!聞こえているかっ?」

「救急車を頼むっ!」と春人が言うと凛が「…あ、うんっ!」と答えた。

動かないみなみの様子を見ながら春人が凛の様子を見ると凛は震える手でスマホを鞄から取り出し番号を押そうとしているが上手く押せないらしくてなかなかスマホを耳元に持っていかない。春人は自分で救急車を呼んだ方が早いと判断しポケットからスマホを取り出したその時「待って。」とみなみが言った。春人がみなみを見ていない間にみなみは気を取り戻していた。そして、みなみは春人の手を持ちながらゆっくりと立とうとした。

「無理はしない方がいい。」

春人はそう言ったがみなみは立ち上がろうとする。その体を支えながら春人は、大丈夫か?と聞いた。みなみは、うん。と答えながらゆっくりと立ち上がった。

「マスターごめんなさい。お皿やカップ、全部割っちゃった。」

「いいんだ。そんな事より大丈夫なのか?ほら、椅子に座って。」

新治郎に言われた通りみなみはさっき春人が座っていたカウンターの椅子に座った。いつの間にかカウンターの中に入っていた結衣がお水を入れたコップをみなみの前に置いたが水分制限をしているみなみはその水を口にしなかった。

「みんなありがとう。ちょっと立ちくらみがしただけだから心配しないで。みんなライブに遅れちゃうよ。私の事は構わずに。さあ、エンジェルへ向かって。」

「みなみ…」

みなみは俯き春人に言った。

「春人君…今の事は拓也君には伝えないで。」

「でも…」

「春人君はいつも正しい判断をする人だと私は思ってる。私が倒れた事を拓也君に報告するのは正しいんだと思う。でも…お願い。拓也君には言わないで。結衣ちゃんも凛もマスターも。拓也君だけには言わないでほしい。心配掛けたくないんだ。気を使われたくないんだ。嫌われたくもないし、私といるのが重いと思ってほしくないんだ。」

「だけど…」

みなみは俯いたまま春人が話し出す言葉を掻き消す勢いで「お願いっ!お願いします。」と言った。その勢いに負けて春人は何も言い出せなくなった。

「わかったよ。サクラちゃん。春人くんも凛ちゃんも新治郎も今の事は話さない。拓也くんだけじゃなくって真希さんや龍ちゃんにも話さない。今ここにいる4人だけの秘密。それでいいよね?」

結衣のその言葉にみなみは「…うん。それでお願いします。」と終始顔を上げないままお辞儀をした。

「だけど…病院には行った方が…出来る事なら学校が始まるまでの間だけでも入院してみるとか。」

「夏休みに入る前にね。春人君のお父さんから夏休みの期間だけでも入院しないかって言われたの。でも、それは断ったんだ。私、今の生活を大切にしたいから。」

「それなら今の生活をこれからも送る為にも入院して…」

「うん。同じ事を言われたよ。だけど、私が言っている今の生活っていうのは今この時なの。」

「将来的に普通の生活を続けられる事を信じてないって事なのか?」

「ちがう。逆よ。将来この生活を続けられると願っているからこそ人生で一度しかない高校最後の夏休みを大切にしたいと思ってる。入院したら私の高校最後の夏は何もなくなってしまうから。」

(本当にそれで良いのだろうか?みなみのこの判断は正しいのだろうか?それに本当にタクに伝えないままでいいのだろうか…いつか…今は隠せてもいずれわかる時が来るんじゃないのか?そうなる前にある程度の覚悟をタクに持たせた方が………

いや、違う…いずれわかる時が来ると思ってしまう事はみなみの病気が治ると信じていない事になる。みなみの病気が治ればこの秘密は意味をなくす。タクはみなみの病気が治る事を信じている。俺も……タクと同じ様に病気が治る事を信じないと。)



2015年8月18日(火)


佐倉みなみは朝早くに家を出て電車を乗り継ぎ雪乃に会う為に<海が見える場所>に訪れていた。

昨日ルナで倒れてから新治郎と2人きりになったみなみはバイトを来月一杯で辞める事を告げた。来月一杯といっても2週間に1度入るだけなので実質あと2日だけのバイトとなった。新治郎は残念そうな顔で、別に辞めなくても来れる時に来てくれればいいんだよ。と引き止めてくれたが、ここで甘える事は出来ないと思いその申し出を断った。

(本当にもう、私が普通の生活を送れる時間は少ないのかもしれない。私はこの夏に入院しなかった事を後悔するのだろうか?それとも入院をしなかった事を喜ぶのだろうか?)

「ここまで来るのに時間が掛かるのに、みなみちゃんしんどくはなかった?」

雪乃はみなみが部屋に入ると同時にそう声を掛けて来た。今日みなみがここに訪れる事を雪乃に伝えていなかったというのに雪乃はみなみが部屋に入る時にはわかっていて普通に話し掛けて来た事にみなみは驚いた。

「ちょっとだけしんどかったけど電車の中で休めるから平気だよ。」

「昨日は真希ちゃんが来てくれたんだよ。」

「うん。知ってる。昨日は真希と何を話したの?」

「う〜んとね。バンドのこれからの事でしょ。凛ちゃんの事でしょ。それから真希ちゃんやみなみちゃんや拓也君や龍司君。それに春人君の事も話したよ。」

「そうなんだ。」

「真希ちゃんと話した内容のどれか一つ教えてあげるよ。今日来てくれたお礼にね。さあ、みなみちゃんはどの話が聞きたい?」

「う〜ん。そだねぇ。じゃあ、バンドのこれからの話、かな。」

「へぇ〜。意外だなぁ。みなみちゃんの話か拓也君の話を聞くと思ったよ。」

「どっちも私が絡んでて暗い内容になりそうだしやめとく。」

「…そんな事、ないよ。」

「もう!そんな答え方と表情を見せられたら暗い内容だってすぐにわかっちゃうじゃんっ!」

「あ、ごめん。」

「さあ、真希とバンドの今後についてどんな話をしたのか教えてよ。」

「うん。え〜っとね。バンドのこれからについての話はね。今、春人君が動画サイトでサブチャンネル?を主に動画配信してるでしょ?」

「うん。」

「夏休みが終わったら本格的にライブ映像とか録画して配信していくって言ってた。」

「それは楽しみだね。」

みなみは動画サイトの事は大体の事を拓也から聞いて知っていたが笑顔でそう答えた。

「それからね。拓也君と龍司君が大阪に行っている間に路上ライブでは楽器を使うんだって言ってたよ。」

その話は初耳だったのでみなみは「楽器を使うの?」と確かめると雪乃は大きな声で楽しそうに、うん。と答えた。

「しかも、真希ちゃんはギターじゃないんだよ。バイオリンとサックスを担当するんだよ。」

「え?そうなの?」

雪乃はまた大きな声でさっきよりも楽しそうに、うん。と答えた。

「真希ちゃんね。今年になってライブ活動を再開させても人が以前の様に集まらなくなったってぼやいてたの。だから、私ね、真希ちゃんにバイオリンやサックスを演奏してほしいなって言ったの。そしたら真希ちゃんは、そうね。使える武器は全部使わなきゃねって言ってくれたんだよ。」

「そう、なんだ。私の勝手なイメージだけど真希はライブではギター以外の楽器は扱わないと思ってたから意外だよ。」

「だよね。真希ちゃんバイオリンもサックスも嫌いだもんね。だけど、遠藤(えんどう)さんがなくなってからは毎日バイオリンの練習はしてるって言ってた。遠藤さんにバイオリンを嫌いにならないでって言われたらしいから。」

「そっか。でも、うん。それは強力な武器になるかもね。」

「うん。私もそう思う。」

「3人での路上ライブって今日からだよね?」

「ううん。明日からにするって言ってたよ。今日はまた春人君と凛ちゃんを連れてブラーのライブを見に行くって言ってたから。」

「そっか。じゃあ、明日私路上ライブ見に行って来るよ。動画も撮れたら送るね。」

「動画は動画サイトで見たいからいいよ。」

「そう?」

「うん。それからね。」

「まだあるの?」

「うん。まだあるけどみなみちゃんもしかして聞きたくないのぉ?」

「そんな事ないよぉ。聞きたい。」

「それからね。私Queenの動画で真希ちゃんの正体を明かしたらいいんだよって伝えた。そうすればもっと人が集まる。私がバンドにいた時なんかより比べ物にならないくらいの人が集まるからって伝えたんだ。」

「そしたら真希はなんて答えたの?」

「そしたらね。真希ちゃんはそれは自分でも考えてたって言った。でも、Queenを使うのは最終手段だって言ってた。」

「そっか。真希はいろんな武器を使おうとしてるんだねぇ。」

「うん。本気出すって言ってた。」

「そっか。頼もしいねぇ。雪乃達のリーダーは。」

「うんっ!頼もしい。私も負けてらんないよ。そして、みなみちゃんもね。」

「えっ?私?」

「うん。私は障害に負けない。だからみなみちゃんも病気に負けない。みんな頼もしくなって成長していこうよ。」

「……うん。ありがとう。雪乃。」



2015年8月19日(水)


路上ライブが始まる30分前、姫川真希はルナにいて先に店に着いていた凛と共にアイスコーヒーを飲んでいた。

「暑いわね。大阪はもっと涼しいのかしら?それとも暑いのかしら?それより春人おっそいわねー。」

「そうですね。」

「そうですねぇ?そこは、そうね。でしょ?」

「あ、すみません。あ、ごめん。」

「お昼はちゃんと食べて来た?」

「はい。」

「はいぃ?」

「あっ…。はい、うん。」

「お昼チョコレートだけじゃないでしょうね?」

「…チョコだけです。」

「なんでおばあちゃんと住んでんのにお昼にチョコなのよっ!おばあちゃんはちょっと凛に甘いんじゃないのっ!」

「す、すみません。お昼にチョコ食べてない日が続いたんでたまにはチョコが恋しいなって思って。それをおばあちゃんにも伝えたんです。」

「伝えたんですぅ?」

「お昼にチョコは控えるように言われたんですけどどうしても…でも、これでも随分とチョコ食べる回数減ったんですよ。」

「チョコの事なんてどーでもいいのよっ!それよりあんたは拓也と龍司のバカが帰って来る前に敬語をやめるんだからねっ!」

「あっ、そっちか。はい。わかってます。」

「……」

「…あ、うん。わかってる。」

真希が左手で頭を抑えた時、春人が大きなウッドベースを押してルナに入って来た。その様子を見て、真希は、おつかれ。と冷たく言った。

「ヒメ?何か怒ってるのか?」

「いいえ。怒ってなんかいないわよ。ただ、1時間前に集まって作戦会議しようって言ってたのに春人が30分経っても来なかったからイライラしてるのと凛がいつまで経っても敬語をやめない事にイライラしてただけよ。」

「怒ってるんじゃないか…」

「だから怒ってない!怒るわよっ!」

「ごめん。ちょっとバスが混んでて何本か見送ったんだ。ウッドベースは邪魔になるからね。」

「帰りは私のおばあちゃんの家にそれ置いていきなさい。どうせまた明日も路上ライブはするんだから。」

「ああ。助かる。」

「でも、真希さん…じゃなかった。真希?路上ライブは楽器は使わずみんなの歌の向上を目指す感じでいてもらえたらいいって前に言ってたのにどうして楽器使う気になってたんですか?」

「それは俺も気になってた。しかもヒメはギターじゃなくバイオリンとサックス使うって言うし。」

「ただこのまま歌ってても人が集まってくれないと思ったからよ。それに私、拓也と龍司が帰って来てライブする時はギターだけじゃなくてバイオリンもサックスも使ってやろうと思ってね。」

「ヒメはこれからのライブでは本気出すわけか。」

「しっつれいね。今までだってずっと本気だったわよ!ただ、雪乃にギターだけじゃなくバイオリンやサックスも使ってほしいって頼まれたら断れないでしょ。」

「師匠はそんな事真希さんに頼んだんですね。」

また敬語を使わなかった凛を真希は睨んだ。凛は姿勢を正して、すみません。と謝っていた。

「ま、雪乃が言うように俺もヒメにはギターだけじゃなく他の楽器も使ってほしかったし。これは良い事だよ。」

「ええ。でも春人が遅れたせいで何を歌うかも決められなかったけどね。」

「…ま、まあ…なんとかなるさ。新しい曲も出来てるし…さ、さあ、そろそろ路上ライブに向かおう。」

春人はそう言ってから新治郎の方を向いて、また今度ゆっくり飲みます。と伝えた。新治郎はいつもの様に、あいよ。と答えて手を上げていた。

午後5時50分。路上ライブ10分前だというのに数人の人が真希達の路上ライブを既に待っていてくれた。と言ってもその中にはみなみと相川と結衣と夏休みでこっちに帰って来ている五十嵐がいるので本当に知らない人は2、3人だけだった。そして、少し遅れて太田が走って現れた。

「ごめん。夏休みで昼夜逆転してしまっててさっきまで寝てたんだ。」

太田には今日の楽器を使っての路上ライブを撮影してほしいと頼んでいたので急いで駆け付けてくれた事が嬉しくて真希は「ありがとう。太田君。」と太田に礼を述べた。

凛がメインボーカルとキーボードを担当し春人はウッドベースとコーラス。そして、真希は曲によってバイオリンとサックスを使い分けコーラスが出来る部分はするという事だけ決め午後6時丁度に3人は路上ライブを開始した。


■■■■■


勇気一歩


真(Ah-han Ah-han)

凛 ☆私に勇気があったなら 今頃君と一緒にいたのかも

あの あの あの って言った後、気持ちと違う言葉が出ちゃうの

言うの 言うの 言うの ドキドキした後どうしよかって迷っちゃうの


★勇気があれば 一歩を踏み出せていたら

こんな私は今頃いないのになぁ

それでもいい それでもいい それでもいい それでもいいから

そう言い聞かせてたんだ

それでもいい それでもいい それでもいい それでもいいよ 

そう諦めたの


○私の心の中は 君とこのまま消えちゃって パッ

2人っきりで イェイ

そんな感じ


きっと私、君に特別を求めちゃってるね。ねっ。

真(Ah-han Ah-han)

☆repeat

★repeat

○repeat

こんな私を知った時、君に嫌われちゃうかもね。ねっ。

真(Ah-han Ah-han)

☆repeat

★repeat

○repeat

こんな私を知った時、君はホントに引いちゃうかもね。

はい、私の心はこんな感じ。君に知られちゃマズいよね。

だから私の勇気は出ないまま 私の一歩は踏み出せないままなのね。ねっ。


■■■■■


ライブ終了後、春人が動画撮影をしてくれていた太田に礼を述べ横にいた真希に、

「今日の楽器を使った路上ライブの事はタク達に連絡入れておかないのか?」

と聞いて来たので真希は「連絡はしないで配信しちゃおっか。あの2人びっくりするわよ。」と答えた。

「サプライズかぁ。それ面白そう。なんかびっくりしてる姿想像出来るね。」

凛が自然と敬語をやめていたので真希は嬉しくなって、だね。と笑顔で答えた。


     *


「Queen…どうして今日は3人だけで路上ライブを行っていたんだい?」

路上ライブの片付けをしていた白石凛はその声を聞きはっと頭を上げた。

「どうして?」

凛は今声がした方向を向きキョロキョロとして一人のフードを被った人物の後ろ姿を捉えた。

凛の様子がおかしい事に気が付いて真希が「凛、どうしたの?」と声を掛けて来る。凛はフードを被っている人物の後ろ姿を指差し「あの人」と呟いた。

「あの人がどうかしたの?あの人、路上ライブが始まる前から待っててくれていた人だね。」

「真希の知り合い?」

「さあ?ずっと猫耳の付いたフードを被ってライブ見てたから印象的だなって思ってただけ。」

「顔は?顔は見た?」

「顔は見てない。顔よりも猫耳フードが気になり過ぎて。」

「……そう。」

「凛、どうしたのよ?」

「あの人…真希がQueenだって気付いてた…とても小さな声だったけど…Queen…どうして今日は3人だけで路上ライブを行っていたんだいって独り言が聞こえたの。」

「本当にあの人なの?」

「間違いない!」

「そう。雪乃や凛以外に私がQueenだとギターを聴いてわかった人物がまだいただなんて驚きね。」

「本当に驚いてる?」

「驚いてるわよ。」

「全然驚いている表情じゃないよ。」

「これが驚いてる表情なの。」

「じゃあ追いかけます?」

凛はフードを被る人物が気になって追いかけたい気持ちで一杯だったが真希は随分遠くまで歩いて行ってしまったその人物の後ろ姿を睨みつけるように見つめながら「いや、いい」と言ったので凛も追う事を諦めた。しかし、その時その人物が立ち止まりこちらを振り返った。

「振り返った!もしかしてこの距離で私達の会話が聞こえているのかも…」

凛がそう言うと真希は「そんな…まさか…」と今度は本当に驚きの表情を浮かべながら言った。

猫耳フードを被った人物がまた凛達に背中を見せ歩き出した時、いつの間にか横に立っていた春人が、

「Queenだとわかったあなたは一体誰だ?」

と呟いた後、春人はじっと猫耳フードの人物が見えなくなるまで見つめていた。そして、猫耳フードの人物が見えなくなった後、凛の方を見て「何か答えたか?」と聞いて来たので凛は深く頷いた。

「なんて答えた?」

「KINGだって。」

「…キング?」

「名前みたい。あと、あんたのベースは最高だって。」



2015年8月29日(土)


19日の路上ライブが終った後、佐倉みなみは真希に明日のお昼は水族館に行こうと誘われ、次の日の21日からは3泊4日で真希と凛と3人で鎌倉にある宿を予約して女3人旅をした。旅行中、真希達は路上ライブが出来なかったが凛の耳の特訓も兼ねて旅行先の小さなライブハウスに通った。

24日の旅の帰りに雪乃に会いに行き25日は真希と凛と結衣と五十嵐との5人でピクニックをする事となりお昼ご飯をそれぞれが用意したのだが凛はチョコレートを大量に買って来ただけだったので真希からお叱りを受けていた。26日は前日と同様の5人と春人と相川と太田を加えた8人で近くの川でバーベキューをして27日はその8人で海に行った。昨日と今日は特別な事は何もしていないが真希と凛と共に朝からルナに行って他愛もない会話をした。するとデート中の相川と五十嵐がやって来て、その後、太田が一人ふらりとやって来た。そして、お昼からルナのバイトに入っている結衣が来て路上ライブ前になると春人がやって来た。みなみがルナで会う約束をしたのは真希と凛だけだったが結局バイトをしている結衣を除いた8人は真希達が路上ライブを始めるギリギリの時間までルナから一歩も出ずに話をしていた。

みなみはこの10日間、夏を楽しんでいた。もちろん毎日夜になると連絡をくれる拓也に今日は何をしたという連絡をしていたが、3泊4日の鎌倉旅行中に真希が「写真を撮って送ってあげたらいいじゃん。その方が拓也も安心するよ。」と言ったので写真も拓也に送る様になったのだが、写真撮影中にみなみがしんどくなってしまう時もあり、その時は真希はみなみが体調が良くなるまで待ってくれて何度も元気な笑顔が出るまで写真を撮ってくれた時もあった。そのおかげで写真に映るみなみの表情はどれも元気な笑顔で映っていた。真希は「拓也に心配掛けない元気な顔を見せた方が良いもんね。」とは言ってはくれたが、拓也に対する罪悪感もあったのだろうその表情は少し暗かった。その度にみなみは心の中で真希に謝っていた。この10日間は決して体調が良かったわけではないが、真希達のおかげでみなみは夏を楽しむ事が出来た。


真希は凄いなぁ〜。拓也君と会えない私が寂しがってるんだと思って毎日私を誘ってくれた。それにルナで倒れた事も知らないのに私が拓也君に体調が悪い事を隠している事もわかってくれてる。ホントに真希は凄い。ただ、海に行った時の水着写真を拓也君に見せるのは恥ずかしかったなぁ。真希は勝手に私の水着写真を撮って拓也君に強制的に送らせるんだもん。

だけど、この10日間。拓也君がいなくて寂しかったけど本当に楽しかったなぁ。私は、この夏を楽しめた。入院してたらこんな楽しい経験は出来なかった。きっと私はこの夏に入院しなくて良かったと胸を張って言えるよ。ありがとうね真希。私、本当に楽しかったよ。この夏を満喫する事が出来たよ。大切に、本当に大切に日々を送る事が出来た。そして、これからも大切に毎日を送れる気がするよ。



2015年8月30日(日)


拓也と龍司が大阪から帰って来るこの日、咲坂結衣は龍司に連絡を入れて新横浜に到着する時間を聞き、みなみと共に朝から新横浜駅に向かっていた。

「結衣ちゃん?龍司君にはもう気持ちは伝えてあるの?」

電車の中で唐突にみなみが言った言葉に結衣は動揺を隠せなかった。

「な、なななな、何を急にい、いいいい言ってるんですかっ!」

「その動揺っぷりはまだちゃんとは伝えてないみたいね。好きならちゃんと伝えなきゃ。」

「だ、だだだだだ、大体龍ちゃんは、き、きききき気付いてるでしょ!?」

「大体じゃダメ。ちゃんと伝えなきゃ。」

「そ、そそそそ、そんな勇気私にあるわけないじゃん!」

「これは勇気の問題じゃないよ。本気で好きなら気持ちは伝えられる。伝えられないのは本気で好きじゃないからだよ。」

「……好きだもん。誰よりも龍ちゃんの事は好きだもん。」

「なら、ちゃんと伝えられるよ。気持ち、伝えられる時に伝えなきゃ、ね?」

みなみの言葉は結衣の心の奥深くまで突き刺さった。

「……うん。龍ちゃんにちゃんと伝えるよ。」

その言葉を聞いたみなみは嬉しそうににこりと微笑んだ。


     *


白石凛は昨日の晩に母朱里から大切な話があるからどこかで会えないかな。と連絡が来てバイトが昼までだったのでバイト終わりにルナで待ち合わせをする事にしてもらった。

朱里は凛がバイトが終る13時よりも1時間早くやって来て働いている凛の姿をじっと見つめていた。集中出来ないからじっと見つめるのはやめてほしいと朱里に訴えても朱里は笑顔を見せて凛の姿だけを見つめていた。

じっと目線を向けて来る朱里を見ない様にしてなんとか問題なくバイトを終えると、凛は着替えを済ませ店で唯一窓がある4人席に一人座っている朱里の目の前の席に腰を降ろした。

「で、大切な話って?」

凛には大体話の内容は予想出来ていたが、そう問いかけた。

「白石さんと離婚する事が正式に決まった。お母さんが働く場所も見つけたし住む場所も見つかったよ。」

「うん。どこで働くの?」

「この近くのスーパー。」

「そう。住む場所はどこ?」

「それもこの近くのアパート。また前みたいなおんぼろだけどね。」

「うん。おんぼろでもなんでもいい。それにこの近くだったら高校も近いし。」

「贅沢は出来ないと思う。」

「私がプロのミュージシャンになって贅沢させてあげるよ。」

「……ありがとう。」

「うん。任せといて。」

「そうじゃなくって…色々と辛い思いをさせてしまって本当にごめんなさい。」

「大丈夫だよ。私はお母さんと一緒に暮らせればそれでいい。」

「……ありがとう。」

「もういいって。それより名字の方はどうなるの?また一ノ瀬に戻るの?」

「そうなるわね。多分家庭裁判所にお母さんの名字に戻したいと申し出ても通らないだろうからね。一ノ瀬は嫌?」

「ううん。私、一ノ瀬って名字好きなんだ。だから、一ノ瀬でいい。いや、一ノ瀬がいい。」

凛が笑ってそう答えるとそれに釣られて朱里も笑顔を見せた。その笑顔を見て凛は両腕を上に伸ばし、ふぅ〜。と声を出しながら息を吐いた。

「これでやっと元の生活に戻れる。」

「嬉しい?」

「うん。嬉しいよ。でも真希のおばあさんとの暮らしも楽しかったから少し寂しい気持ちはある。だけど、真希のおばあさんも喜んでくれるよ。」

「この後、挨拶に行こうと思ってるんだけど大丈夫かな?」

「うん。大丈夫だよ。きっと今日こういう話になるだろうって思ってたから真希のおばあさんには家にお母さんを連れて来るかもって言っておいたから。」

「そっか。」

「で、一緒に暮らすのはいつからになるの?」

「9月の中頃なんてどう?」

「うん。わかった。でも、寂しくなるなぁ。」

「そんなに姫川さんの家での生活が楽しかったの?」

「あ、違う違う。その話じゃなくって、そろそろ夏も終わりだなって思って。」

「急に話変わったわね…でも、そうね。もう9月になろうとしてるものね。」

「夏の終わりってなんか寂しいな。」

そう言って凛は窓越しに外を眺めた。

外の景色を見ながら凛はふと今頃拓也と龍司は新横浜に着いてみなみと結衣の2人と合流した頃だろうなと思った。


     *


14時。姫川真希は時計を見つめ拓也と龍司はみなみと結衣の2人と合流して今頃どこか買い物でも行っているのだろうかと思いながらいつもの様に録画用のカメラを顔より下が映る位置に設置し安物のギターを取り出した。

Queenの動画の登録者数は70万人に達した。今年か来年中に100万人を超えるだろうかと思いながらThe Voiceのチャンネル登数を見るとこちらはまだまだで伸び悩んでいた。

(ま、The Voiceの動画は始まったばっかだしサブチャンばっかの更新だしね。まだまだこれからだ。)

「心配する必要はない、か。それよりも心配なのは拓也の声と凛の耳。凛の方はたった2週間では変化がなかったし拓也の方も期待は出来ないだろうな。まあ、拓也の方は歌い方を工夫すればなんとかなる。やっぱり問題なのは凛の方。私達のバンドが上手くいくかどうかは凛に掛かってる。」

真希は一人そう呟いた後Queenとして動画を撮り始めた。


     *


15時。結城春人は雪乃に会いに<海が見える場所>にいて2人で何を話す訳でもなかったが外に出て海を眺めていた。

「風が気持ち良いね〜。」

雪乃は車椅子に座ったまま海を眺めながら言った。

「暑くはない?」

春人は雪乃の横に立ち雪乃を見下ろす形で問いかけた。

「うん。大丈夫だよ。春人君は?」

「大丈夫。」

「良かった。ここから見える夕日。ほんとに綺麗なんだよ。」

「そっか。じゃあ、夕日を見終わるまでここにいようかな。部屋に戻りたくなったらいつでも言ってくれ。俺、一人でも夕日を見てから帰る事にするから。」

「私もここで夕日を見てから戻るよ。」

「日没までまだ時間はあるぞ。」

「うん。大丈夫。」

「そうか。」

「春人君は今日はどうして一人でここに来たの?」

「え?別に用はなかったけど。どうして?」

「みんなここに来る時は何か悩んでるから。」

「そうなのか?俺は今日はライブもないし動画の編集作業もなかったし暇だからきただけだよ。」

「ホントに?何か話したい事あったから来たわけじゃなくって?」

「何?用事がないとここに来たらダメなのか?」

「いやぁ〜。そういうわけじゃないんだけどさ…用もないのに来るなんて春人君変わってるなぁ〜って思って。」

「雪乃に変わってると言われたらおしまいだよ。」

「なに?どういう意味?」

「いや、別に意味なんてないさ。」

「ふ〜ん。でも、ま、用もなくても来てくれたのは嬉しい。」

「そうか。そう言ってもらえると俺も嬉しいよ。」

「そうだ。その後、凛ちゃんがバンドに入って何か変わった?」

「ああ。良い意味で変わったよ。凛が入ってくれたおかげでロック以外のジャンルも幅広く演奏出来るようになったし。」

「それは良かった。最近凛ちゃんを連れて沢山ライブ見に行ってたんでしょ?どうだった?」

「凛の耳はやはり特別だよ。演奏する者の感情が強ければ強い程凛は苦しそうだ。そう簡単に慣れるものじゃないみたいだね。」

「そっかぁ〜。でも、このままじゃマズいよねぇ。せめて柴咲音楽祭までには慣れてもらわないと…」

「そうだね。沢山のバンドが出場するし今のままの凛ではあの会場にいてられないだろうな。」

「もし、凛の耳が今のままで柴咲音楽祭を迎えたらどうするの?」

「時間ギリギリまで凛には会場に近づけさせないようにするしかないかな。」

「そっか。4人だけで挑むってのは?」

「それはないな。俺達はもう一人もバンドメンバーを欠けさせたくないからね。」

「…そっか。私、欠けちゃったもんね。ゴメンね。」

「…そんなつもりで言ったわけじゃ…」

「ううん。そうじゃなくって。そんなつもりで言ってないのはわかってるの。ただ…今さらだけど私、みんなとライブを続けたいなって思っちゃったの。多分、こんな体にならなかったら私はみんなとバンドを続けようとは思わなかったのに…」

「雪乃。柴咲音楽祭、見に来てくれ。」

「…うん。そのつもりだよ。」

「そこで俺達は必ず優勝してプロになる。」

「…うん。」

「その後は雪乃の番だからな。」

「うん?」

「毎日ピアノを弾いてるらしいな。」

「…うん。弾いてるよ。私ここでコンサートを開く為に頑張ってるんだよ。」

「雪乃はここにいるような人物じゃないよ。」

「どういう意味?」

「雪乃は世界中を飛び回るピアニストになれるさ。」

「…春人君。酷いよ…」そう呟いた後、雪乃は俯き声を荒げた。

「この不自由な腕でまともにピアノが弾けない事は知ってるでしょ!」

「大丈夫。雪乃ならピアニストを目指せる。」

「そんなの無理に決まってるでしょ!それが出来たのは去年までの私だよっ!」

尚も声を荒げる雪乃に春人は落ち着いた口調で言った。

「俺は今でも雪乃なら日本を代表するピアニストになれると信じている。」

「…そんなの…絶対無理。」

「その考えはそのうち変わるさ。」

雪乃は顔を上げて、

「…どうやって?」

と春人を見つめた。春人は雪乃に視線を合わせる為にしゃがみ込んでから答えた。

「俺達が柴咲音楽祭で優勝してプロになって雪乃に勇気を与えるからだよ。」

「だから、その後は私の番?」

「そう。必ず雪乃にプロを目指す決心をさせる程の結果を出してみせる。」

「もし優勝できなくてプロになれなかったら私、絶対ピアニスト目指さないからね。」

「ああ、そんな事にはならないさ。」

「すっごい自信だね。」

「ああ、俺達は一人も欠ける事なく全員でプロになるんだ。」

「そこに私も入ってるって事?」

「ああ、雪乃もメンバーの一人だからな。」

「バンド辞めたのにぃ?」

「それでもメンバーには変わりはない。」

「そうだったね。みんながプロになって私もプロになれたらさ。一緒にまたライブ出来るかな?」

「ああ。出来るさ。去年のエンジェルでのライブが雪乃のラストライブにはならないさ。」

「そっか。それが叶えば最高だね。でもその夢は遠そうだねぇ。」

春人は立ち上がり海を見つめながら言った。

「そうでもないさ。」


     *


「そうか、上手くいったか。本当に世話になったな。ああ、今店を閉めてる所だ。ああ、いいんだ。それより拓也だけの予定が龍司まで世話になってすまなかったな。え?楽しかった?そうか、それなら良かったよ。ああ、また連絡する。」

間宮トオルは仕事を終えてそろそろ帰宅しようとした頃に店に掛かってきた相沢からの電話を切り誰もいない店内で「上手くいったか。」と独り呟いた。

(ひかり、お前の兄貴はやっぱり凄い奴だよ。)

「兄貴も才能があったけど、ひかりも才能があったもんな。兄妹揃って才能があった。なのに、それなのに、俺は2人の才能を壊してしまったんだな……」



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



今、想う


8月17日


私も前を見みて変わらなきゃって―この前そう思ったところなのに。

今日、私はバイト先で失神してしまった。

みんなに失神したところを見られてしまった。

みんなは私が気を失うところを見た事がなかったから驚いていた。

また私はみんなに心配を掛けてしまった。

症状が悪化して失神する回数が増えた。

私はいろんなものをこれから手放していかなければいけない。

その覚悟を決める時がやってきてしまったのかもしれない。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ