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The Voice  作者: 幸-sachi-
The Voice‬ vol.1
4/59

Episode 2 ―一人目と二人目―


2014年4月23日(水)


今日龍司と会ったら、まず昨日ルナに寄れなかった事を誤ってブラーのバイトに受かった事を報告しなければと橘拓也は思っていたのだが朝から龍司の姿は見当たらなかった。

(アイツ今日ズル休みか?)

放課後、龍司の担任である倉本にどうして今日龍司が来ていないのかを聞こうと思って職員室に向かってはみたのだが、倉本の近くにはチラチラと倉本の様子を横目で見ている米沢の姿が目に入った。

倉本と話している姿をまた米沢に見られるのもなんだか嫌な感じもしたし、龍司がちゃんと休む事を学校に連絡しているとは思えなかったという事もあり拓也は龍司がどうして学校に来なかったのかを聞くのをやめた。それに倉本に何か変な勘違いをされても困る。

気を取り直して喫茶ルナに寄ってみたのだが、ルナのドアにはCLOSEの看板がドアに掛かっていた。

「ふぅ〜。水曜はルナ定休日か…。」

拓也はため息をついて家に帰った。



2014年4月24日(木)


今日も学校に龍司の姿はなかった。

放課後、拓也は昨日に引き続きルナに寄ってみるとお店は開いていた。

「いらっしゃい。」

ドアを開けると新治郎の声がした。

今日は6人掛けの丸テーブルは年配の女性達が座っていた。

窓際の4人掛けテーブルは開いていたが拓也は右側の3席あるカウンター席の1つを選んだ。

店内ではいつも通りジャズが流れている。

(これはワルツ・フォー・デビイ)

「今日は一人かい?」

「はい。昨日も今日も龍司学校に来てなくて。

一昨日の7時頃まではここで一緒にいたんですけど…」

「ああ。結衣が担当の日か。」

「今日結衣ちゃんは?」

「今日はここには来ないな。なんだ会いたかったのか?」

「いえ。そういう訳じゃないんですけど…」

「なんだよ!会いたくないのか?それはそれで失礼だな。」

「いえ。そういう訳でもなくて…」

「はははは!冗談だ。何にする?」

「じゃあ、今日はアイスコーヒーで。」

「あいよ。」

新治郎は水とおしぼりを置いた。

拓也はアイスコーヒーは取り置きが冷蔵庫に入っていると思っていたのだが、新治郎は氷を取り出し今から抽出するようだった。その姿を見ながら拓也は新治郎が知るはずもない質問をした。

「龍司何かあったんでしょうか?」

「んっ?あいつ真面目に学校行くタイプだったか?」

「ですよね…」

しばらく新治郎がコーヒーをドリップする姿を拓也は見ていた。

奥の席からは年配の女性達の豪快な笑い声が時々聞こえて来る。

「一昨日。ここに龍司と寄ってから間宮さんがやってるブラーのバイトの面接に行ったんです。」

「間宮の?で、どうだった?」

「面接は受かってその日に働きました。」

「その日にかよ。人使い荒い奴だな。」

「まあ…面接だけだと思ってたから終わったらまたここに寄ろうとは思ってたんですけど寄れなくて…龍司の携帯もまだ聞いてなかったから連絡もできなくて…」

「はい。お待ちどうさん。」

新治郎がアイスコーヒーを目の前に置いてくれた。それをひと口飲んだ。ホットコーヒーはコクのある感じだったがアイスコーヒーは酸味があってこれはこれでとても美味しかった。

「あいつ閉店まで待ってたのかな?」

独り言のように拓也は言った。

「結衣はお前ら二人が店に来たって事しか言ってなかったな。結衣なら明日店の当番だから学校に龍司が来なかったらまた寄ればいい。」

「あっ。はい。そうします。」

「…間宮の坊主。元気だったか?」

新治郎はパイプにマッチで火をつけながら聞いてきた。

「はい。元気でしたよ。多分…」

「フン。ならいい。」

「そう言えばマスターとトオルさんは知り合いなんですよね?」

「そうだな。あいつらは昔ここの常連だったんだよ。毎日来てた連中が少しずつ姿を見せなくなっていくのは寂しいもんさ。」

少ししみじみしてしまったと思ったのだろう。新治郎は少し話題を変えて来た。

「毎日バイト入ってるのか?」

「いえ。まだです。明日から本格的にバイトする事になってます。って言っても金曜から日曜までの3日間ですけど。」

「間宮の坊主に伝えといてくれ。いつでもコーヒー飲みに来いって。」

「はい。ところでマスターはブラーに行った事は?」

「俺?ないね。だが、龍司があの店でライブをやる時は結衣が行ってるから店の雰囲気とかは知ってる。」

「マスターから会いに行こうとは思わないんですか?」

「俺は気を使って行かないだけだ。本当は行きたいと思ってるよ。」

「意味深ですね。」

「まあな。あいつは過去いろいろあった…俺の顔を見れば嫌でも過去を思い出すだろうからな。店に来ないのもそれが理由だろうな。」

「それは…でも…このお店には良い思い出がたくさんあるはずですよね?」

「良い思い出を思い出すと辛くなる事だってあるだろ?良い思い出も辛かった思い出もこの街にはあった。だから、一度出た街にまた帰って来たんだろうな。」

「この街を出たのはサザンクロスのプロデビューが決まったからですよね?」

この質問に新治郎は目を丸くして驚いた。

「なんだ知ってたのか?あいつそんな事も話す様になったのか?」

「いえ。トオルさんからは何も…ただ、俺、中学の時からサザンクロスのファンで。たまたま引っ越して来たこの街がトオルさんが育った街だって知ったんです。」

「そうか。不思議な縁だな。時々そういうものがあるんだよな。

目には見えない力が動いているような不思議な出会いや不思議な出来事。

まるで運命に導かれているようにな。」

「まるで運命に導かれているように…」

「間宮の坊主にはサザンクロスの事を聞くのはやめておいた方がいい。

あいつのプロとしての音楽人生は辛いものだったんだ…だから、今でもバンドの連中とは会っていないはずだ。多分、辛い過去を思い出すからなんだろうな。」

「その辛い過去って一体何なんですか?」

「御馳走様でした。とても美味しかったわ。」

そんな声が奥のテーブル席から聞こえてきた。どうやら年配の女性達が帰るようだ。

新治郎はパイプを置きレジへと向かった。

賑やかだったお客さんが帰って行く。

拓也以外のお客さんは誰もいなくなった。

新治郎はさっきまで年配の女性達が座っていた席の片付を始めた。

完全に話の続きを聞くタイミングを逃した。

片付けをする新治郎のその後ろ姿はもうこれ以上は話せないと拓也に言っているかのようだった。

「また明日来ます。」

そう告げて店を出ようとしたのだが、新治郎は拓也に声を掛けた。

「お前さん名前拓也だったか?」

「え?あ。はいそうです。」

「気を付けて帰りな。拓也。」

「あ。はい。どうも。」


拓也が店を出てお客が誰もいなくなった。静まり返った店内でジャズの音色だけが鳴り響いた。

新治郎はパイプを銜えカウンターの中から窓の外を眺めた。



2014年4月25日(金)


(また龍司は休みか…)

授業が終わり電車の窓から流れる景色をぼんやりと見つめながら拓也は喫茶ルナへと向かった。

「拓也くんいらっしゃーい。一人って事は龍ちゃん今日もお休みって事ね。」

新治郎から話を聞いていたのだろう結衣は拓也が店に入るなりそう言った。

拓也はまず店内に入って最初に流れている曲は何かと聴く事もルナに来る一つの楽しみだった。

(ナット・キング・コールのアンフォゲッタブル)

拓也は昨日と同じ右側のカウンター席に腰を下ろして言った。

「龍司の奴もう3日も休んでる。まあ…あいつがどのくらいのペースで学校来てたのか知らないんだけどね。結衣ちゃんは知ってたりする?」

「さあ?でも毎日行く様な感じじゃなかったんじゃないかな…」

「だよね。心配して損する感じだろうな。」

「そうそう。はいお水。」

結衣は水を差し出した手をピタッと止めて「そう言えば…」と言葉を付け足した。

「あの日…ああ、拓也くんがバイトの面接に行った日ね。あの後、赤木さんから龍ちゃんに電話があったの。それで龍ちゃんすぐに店出ちゃったのよね。拓也くんが来たらもう帰ったって伝えといてくれって言ってさ。なんだかあの時の龍ちゃん…凄く険しい顔してた…」

(龍司はあの後すぐに店を出たのか。)

龍司がずっとルナで待っていたのなら本当に申し訳ない事をしたと拓也は思っていたから、あの後すぐに店を出たのならそれはそれで良かったと思った。

「学校に来ないのって、その赤木さんが理由なのかな?」

「その可能性はあると思うな…明後日はどうなるんだろう…」

「明後日?」

「明後日はブラーでBAD BOYのライブじゃん。知らないの?」

「…あっ。そう言えばトオルさんが4月に一件ライブする日が決まってるって言ってた。そうか。明後日だったのか。でも、龍司あの腕だしライブとか出来るのか?」

「そうなんだよねー。楽しみにしてたのにな〜。あっ。拓也くん今晩バイトでしょ?明後日のBAD BOYのライブがちゃんと入ってるか聞いといてよ。お願いっ!」

結衣は手を合わせてお願いした。

「連絡は今晩遅くなってもいいからさ。これ結衣のIDね。」

「BAD BOYのライブというより明後日のライブに龍司が参加するのかしないのか知れれば良いって事だよね?」

「まぁ…できればそれがわかれば一番いいかな…」

「わかった。オーナーがそれを知ってるとは思えないけど、一応聞いてみるよ。最悪BAD BOYのライブがあるかどうか聞いとく。ところでさ。結衣ちゃんは龍司のIDとか知ってないの?」

「教えてほしいんだけど…聞きにくくて…」

「結衣ちゃんは本当に龍司の事が好きなんだな。」

拓也は軽い気持ちで言ったつもりだったが、結衣は顔を真っ赤にして必死に否定をしてきた。

「な、ななな、何言ってんのよっ!ば、ばば、ばっかじゃないのっ!

そ、そん、そそそ、そんな事あるわけないじゃんっ!ななな、何かの勘違いだよ!

た、たたた、ただのファンだし…応援してるだけだし…

拓也くんバッカじゃないのっ!」

結衣は動揺したままホットコーヒーを作り出した。しばらくその様子を見ていると結衣はアイスコーヒー用のコップにホットコーヒーを注ぎ、そこへ後から氷を入れ始めた。しかも、その氷は手でそのまま握られていた。

(…結衣ちゃん…動揺してる…いや、動揺…しすぎてる…)

コップになみなみと注がれたアイスコーヒーを結衣は拓也の前に置いた。

(おいおいおいおい…マジか?飲めという事か?俺…まだ注文してないけど…)

結衣の奇行は続き次は冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注ぎ出した。なぜかそれを拓也の前まで持って来てアイスコーヒーのコップの横に置いた。

(つまり…カフェ・オレって事ですか?) 

あまりにも動揺を隠せない結衣の様子を見て結衣に龍司の話をする時は言葉に気を付けないといけないなと拓也は思った。



結衣の動揺が落ち着いたのを見計らって拓也は間宮トオルの話を切り出した。

「結衣ちゃん。今日はお客さんもいない事だし、この前の間宮さんの話の続きを聞きたいんだけど。」

「あっ。そうだね。うん。じゃあ、龍ちゃんと少し話はかぶるけどデビューの頃の話をするね。」

「はい。お願いします。」

拓也は龍司が話した間宮の話ではショックを受ける事はなかったが、今度の結衣の話ではファンとしてそれなりの覚悟が必要になるかもしれないと思いイスの上で姿勢を正して話を聞く準備をした。

「まず、龍ちゃんが話した様にサザンクロスのメンバー4人は仲が悪くて解散寸前だったの。でも、プロになる事になって、なんとかバンドは解散せずに続ける事になった。ここまでは龍ちゃんが言った内容と一緒ね。」

拓也が頷くと結衣は話を続けた。

「ここからが話が違うと思うんだけど、トオルさんも相沢さんもプロになった事で調子に乗ってたわけじゃないし、毎晩飲み歩いてはどんちゃん騒ぎしてたわけでもないの。毎晩飲み歩いて荒れた生活を送っていたのは確かだとは思うんだけど、調子に乗ってどんちゃん騒ぎっていうのじゃ決してない。

むしろトオルさんと相沢さん以外のメンバーの吉田(よしだ)さんと奥田(おくだ)さんって言うんだけど、その二人の方がプロになって調子に乗ってどんちゃん騒ぎしてたみたい。

まぁ…4人ともプロになる前にこの街に住んでいた頃から荒れた生活をしてたんだけどね…

その原因を作ったのがトオルさんなの。」

「えっ。」

思わず拓也は声を出してしまったのだが結衣はそれを気にする様子もなく話を続ける。

「バンド仲が悪くなっていく原因を作ったのもバンドとしてやっていけなくしたのも自分自身をダメにしてしまったのも全部トオルさんが原因…」

(そんな…どうして…?)

拓也は今度は声に出さずに心の中で結衣に質問をしていた。その心の声が結衣に届いたのかはわからないがその質問に答える形で結衣は話した。

「この街にいた頃のトオルさんには恋人がいたんだけど、その恋人が亡くなったのよ。」

「えっ。」

また拓也は驚きの声を出していた。

「どうして亡くなったのか気になって新治郎に聞いてみたけど、それは教えてくれなかった。だから、病気で亡くなったのか。事故でなのか。どういう亡くなり方をしたのかは結衣も知らないんだけどね…」

「つまり…トオルさんは恋人を亡くして心の傷が癒えないうちにプロデビューが決まったって事?」

「そうね。トオルさんもそうだけど、相沢さんもそうなるわね。」

「えっ。どういう事?」

「亡くなられた恋人の名前は相沢ひかりさんって言うの。」

「それってまさか…」

「そう。トオルさんの恋人はボーカルの相沢裕紀さんの妹さんだったの。だから、ひかりさんが亡くなってすぐにプロデビューが決まって心の傷が癒えないうちにデビューしたのはトオルさんもそうだけど相沢さんもって事になるわけ。」

「……」

「そのひかりさんが亡くなった事がバンド崩壊の始まりみたいな感じなのよね。」

「えっ?」

「順番に話すね。その前に飲み物何にする?」

結衣は拓也がカフェ・オレを飲み終わったのを確認してそう言った。

「カフェ・オレは結衣からのサービスね。勝手に出しちゃったし。」

「んじゃ、もう一杯カフェ・オレを頼もうかな。」

「あいよ。」



二杯目のカフェ・オレはさっきのように手で氷を握る事もなく、牛乳を別のコップにいれて持って来るわけでもなく結衣はちゃんと作っていた。そのカフェ・オレを拓也はひと口飲んでみた。さっきのカフェ・オレより味がしっかりとしていて美味しかった。一杯目のカフェ・オレは味が薄かったし、自分で牛乳を入れて調整するのは難しかった。それに牛乳を入れるとカフェ・オレというよりは牛乳に少しコーヒーの味がするだけで、ほぼほぼ牛乳を飲んでいる感じだった。お世辞でも美味しいとは言えなかったが拓也が結衣を動揺させてしまったから文句も言わずに飲んでいた。

(さっきのカフェ・オレがサービスでホント良かった。あれで金をとられたらたまったもんじゃないな…)

拓也がちゃんとしたカフェ・オレを飲んで落ち着いた頃に結衣は言った。

「じゃ。順番に話すね。」

自分の分のアイスコーヒーをブラックでひと口飲んでから結衣は話の続きを始めた。

「この街にいた頃。サザンクロスはすっごい人気だったらしくてさ。ライブをする日なんて長蛇の列で人が並んでたらしいの。しかも、夜からの開演なのに夕方には並ぶ人がいるくらいだったって。この街では有名なバンドだったのよ。バンド仲もひかりさんが亡くなる前までは良かったらしくて、4人のバンドメンバーとひかりさんを加えた5人でよくここにもコーヒーを飲みに来たって。ちょうどその丸テーブル。そこが5人がいつも座ってた場所だっていつか新治郎が言ってたな。」

拓也は木製の丸テーブルを見つめて若かりし頃の間宮達5人が楽しそうに話している姿を想像した。

「アマチュアにしては凄い人気のバンドだったもんだから、噂が噂を呼んで大手の音楽事務所のスカウト達もお忍びでライブを見に来てたって。新治郎もよくサザンクロスの話を聞きにこの店に来る連中がいたって言ってた。そんないつプロになってもおかしくないような時にひかりさんが亡くなったの。さっきも言ったけど、どういう亡くなり方をしたのかはわからないけど、ひかりさんが亡くなってからトオルさんと相沢さんには溝が出来たみたい。お通夜に行った新治郎はトオルさんが相沢さんにお通夜にもお葬式にも参加するなって言われていたのを見たって言ってた。

きっと…ひかりさんが亡くなったのも……」

結衣はそこで言葉を止めた。結衣の口からは言いにくいのだろうと思い拓也が代わりに言った。

「ひかりさんが亡くなったのもトオルさんが原因?」

「…だと思う。」

「……そんな……」

「ひかりさんが亡くなってサザンクロスは活動をしなくなった。ルナにもその頃からピタリと来なくなったって。トオルさんはその頃、毎日昼間っからお酒を飲んで、もう廃人みたいな生活だったみたい。

うちに来る常連さんがその頃よく吉田さんと奥田さんが酔っぱらってるトオルさん相手に昼間から喧嘩してる姿を毎日のように見たって言ってた。最初のうちはトオルさんを助けようと二人は思ってたんでしょうね。だけど、そこに相沢さんも加わり出して、いつの間にか4人が4人とも険悪な感じになっていったの。」

「4人が4人とも?」

「そうみたい。それぞれがそれぞれを嫌うようになっていったの。もうそうなるとバンドなんて続けられないよね。もう自然消滅でサザンクロスはこの街だけの伝説のバンドになっていく感じだったみたい。

だけど、そうはならなかった。ひかりさんが亡くなって3ヶ月くらい経った頃サザンクロスがメジャーデビューするっていう噂が街中に流れたの。ほとんどの人がプロデビューなんて噂は嘘だって思ってたみたいね。

だけど噂通りサザンクロスは本当にプロデビューをした。

3ヶ月の間にバンドメンバーの中でどんな話をしてどんな事が起こったのかは本人達しかわからないけど、デビュー曲『声』がオリコン1位になって瞬く間に日本中にサザンクロスの名前が知れ渡った。多分この曲はひかりさんが亡くなってプロになるまでの3ヶ月の間に作った曲だと思う。」

拓也の頭の中で『声』が流れる。

(そうか…歌詞にはないが時よ戻れと歌っている様な気がしたのは間違いなかったのか…この曲は間違いなくひかりさんに送った曲なんだ…)

「デビューした頃サザンクロスの仲の悪さはどんどんひどくなっててテレビの収録ではなんとか仲良くしていたけど、撮影とかが終わるといつも殴り合いの大げんか。

ちょっと話は脱線するけど、このプロデビューしてからの話はサザンクロスが解散して何年か経った頃に相沢さんがルナに寄ってくれた事があったらしくて、その時にプロ生活の頃の話を聞かせてもらったんだって新治郎が言ってた。」

「そうなんだ。」

「デビュー曲が大ヒットしたせいでサザンクロスの4人のメンバーの生活は一変した。

吉田さんと奥田さんは一気に有名人になったせいで調子に乗り出して、それぞれ毎晩飲み歩いてはどんちゃん騒ぎするようになったって。お金の使い方も半端なかったみたいね。二人がどこかの高級クラブで鉢合わせして大喧嘩したっていう話もあって当時のニュースでも取り上げられてたみたいね。相沢さんは派手に遊んだり飲んだりは全くしなかったみたいだけど、この時相沢さんにも問題があったの。相沢さんはプロになる前に一般の人と結婚しちゃってたのよね。事務所からはデビューしてしばらくは結婚はするなってプロ契約の条件として出されたんだって。だけど、既に結婚していた相沢さんは事務所に言い出せなかったみたい。だから、この頃は結婚している事を事務所にも世間にも隠す事で精一杯だったみたいね。しかも、デビュー曲が大ヒットしちゃったから余計に言い出せなかったみたい。トオルさんは相変わらずひかりさんを失った傷を負ったままで、毎晩バーで記憶を失くすまでお酒を飲む日々だったみたい。だから、プロになるまでずっとトオルさんが作詞作曲をしていたのにトオルさんがいつまでもこの状態だからサザンクロスの新曲が作れるわけなかったのよね。トオルさん以外のメンバーはほっといてもトオルさんが勝手に次の新曲を作るだろうって安易な考えだったみたいだし。」

そこで結衣はアイスコーヒーを飲み一息ついた。少し話し疲れてきたのだろう。

「大丈夫?続きはまた今度でもいいけど。」

「ううん。大丈夫。どこまで話したかわからなくなるから今日結衣が知ってる事全部話すね。って、もうここから先の話は龍ちゃんが言ってた通りの内容なんだけどね。」

「ありがとう。」

「デビュー曲もファーストアルバムもプロになる前に作った曲でなんとか乗り越えたサザンクロスだったけど、デビューして1年以上も新曲を作らないバンドに当然事務所は次の曲を作れって急かせたらしいわ。でも、トオルさんはずっと曲も作らずに飲み歩いていた。

新曲を作らないトオルさんに3人は焦り出したけど、気が付いた時はもう遅かったって。

デビューして2年が経った頃、トオルさんの代わりに相沢さんがセカンドシングルを何ヶ月もかけて作ったらしいけど、その曲は全然売れなかった。

ちょうどその頃、相沢さんが結婚していて娘がいる事が事務所にバレたの。

だけど、もう売れないバンドとなっていたサザンクロスの相沢さんに事務所側も何も言わなかったって。あっそう。ってそんな感じだったみたい。デビュー前は散々うるさく結婚するなって言ってたのに。それよりも売れなかったセカンドシングルを散々バカにされたらしいわ。

もう一つうるさく言われていた曲を作れという言葉もその頃には言われなくなっていて、もうそろそろ解雇だなって気付いたって。

だけど、意外にも事務所はもう1年契約を更新してくれた。この1年でセカンドアルバムを出して結果を残せってね。

でも、曲作りの才能がない事に気付いた相沢さんには新しい曲を作る事は出来なかった。また売れない事を考えると恐ろしくて曲作りなんて出来なかったって。

トオルさんはプロになってから本当にダメ人間になっていたし、吉田さんと奥田さんもデビューした当時のまんまで2年が過ぎた頃も自分達は売れてるバンドだと勘違いして相変わらず派手に飲み歩いてたらしいわ。2人とも借金をしてまで高級クラブに通ってたみたい。悲しい事だけど見栄を張っていたかったのね。そんな感じでサザンクロスの曲を作ろうとする人はこの段階で誰もいなかった。プロ生活最後の1年は本当に何もせずに終わってしまった。相沢さんはよくそんなバンドを事務所は3年間も抱えていたものだと悔しそうに笑ってたみたい。」

結衣は話は終わったと言うように黙り込み残りのアイスコーヒーを飲み干した。

拓也は言葉を詰まらせて言った。

「最後の1年…なんとかなったはずなのに…誰か…誰かが間宮さんを救えたら…

せっかく1年も事務所は待ってくれていたっていうのに…

間宮さんなら…なんとか出来たはずなのにっ!」

拓也はまるで自分の事のように悔しかった。結衣はその言葉に「うん。」と答えただけだった。

(あれだけの曲が作れる間宮トオルなら必ずまた良い曲が作れるはずなのに…

どうして間宮トオルは曲作りを辞めてしまったのだろう…

間宮トオルが曲作りをしていればバンドが解散する事はなかったはずだ。

何年もの間、間宮トオルの心に残った相沢ひかりの死…

彼女の死が原因でサザンクロスのメンバー4人の仲が悪くなっていった。

その相沢ひかりの死の原因を作ったのは間宮トオル?

サザンクロスが売れたのもバンドメンバーの仲を悪くしたのもバンド自体をダメにしたのも全ての原因が間宮トオル…そういう事になるのか?)

「新治郎が言ってた。トオルさんね。今でもひかりさんと一緒に買った指輪を大事に身に付けてるみたいだよ。ブラーをオープンする時に挨拶に来た時に見たって。あれはひかりちゃんの指輪だったって。」

「指輪?そこまで気にして見てなかったな。」

「ひかりさんがどういう亡くなり方をしたのかわからないけど、ずーっとトオルさんに想ってもらってるひかりさんて幸せだと思うよ。」

(間宮トオルはどうなのだろうか?それで幸せなのだろうか?)

ふと拓也はそう思った。

「結婚は?」

「トオルさん?一度もしてないみたいよ。きっと、今でもひかりさんを忘れられないんだよ。だから、指輪を身に付けてるんだよ。」

(それが本当なら20年間もずっと亡くなった彼女を想い続けている事になる。きっとそこにはひかりさんの死の原因が大きく関わっているのだろう)

「拓也くん。大変。時間。時間。」

慌てて結衣がそう言うので拓也は斜め左後ろを振り返り入口近くの大きな振り子時計を見た。6時15分。気が付けばもうバイトに向かう時間だった。急いで店を出ようとした時、結衣が言った。

「明後日のBAD BOYのライブじょーほーヨロシクー。」

拓也はすっかりその事を忘れていたのだが親指を立てながら答えた。

「任せとけって。」

拓也は急いでブラーへと向かった。



ブラーに着いた拓也は急いで2階で着替えを済ませて店へ入った。

(時刻は6時28分。ギリギリだ。お客の姿は…まだない)

「おはよう。ギリギリだな。」

「すみません。ちょっとルナでゆっくりしすぎました。」

「ルナか…懐かしいな。」

ここは何も知らない感じで拓也は質問をした。

「すぐそこにある店なのに懐かしいって変な感じですね。」

「20代の頃よく通ったけど、今はもう行かなくなったからな。」

拓也はカウンターの中へ入りまずは外灯のライトを点けた。そして、手を洗いながら言った。

「雰囲気良いですよね。あの店。ゆっくりできるし気に入りました。」

「だな。俺もまた寄ってみるわ。そうだ。店のライブスケジュールが書いてあるノートがそこの電話の横にあるから目を通しといてくれ。」

間宮はそう言って壁際のレジの横に置かれた電話の方を指差していた。

だけど、拓也は間宮の指差す方向ではなく間宮の右手の指だけを見ていた。

(結衣ちゃんが言ってたような指輪は右手の薬指には嵌められていない。いや、こういうのは左手の薬指か?)

拓也は不自然な感じで今度は間宮の左手を見る。

(左の薬指にも指輪は…ない。薬指と決めつけてはダメなのか?)

今度は間宮の両手を右、左と交互に見る。

(どこにも指輪なんてない。仕事中だから指輪を外しているのか?)

「俺はそっちを見ろって指差してんのになんで俺の手ばっか見てんだよ?」

「ああ…ああ、あの…すっ…すみません…なんとなく指が気になって…」

「なんじゃそりゃ。」

「…すみません。」

間宮は指輪はしていないと拓也は結論づけて間宮が指差した電話の方へと歩いた。レジと電話の間にライブスケジュールと書かれた黒いノートが1冊置かれている。

それを手に取り拓也は明後日のBAD BOYのスケジュールを一番に見たい気持ちはあったが、とりあえず今は今日の日付が書かれたページを見る事にした。

今日の日付の所には簡単にライブ時間とバンド名が書かれているだけだったがライブハウスとしては重要な情報なのだろう。今日のバンド名の所には田丸(たまる)1と書かれていた。

「今日のライブのバンドって田丸イチって読むんですか?」

「あー。違う違う。バンド名の横に書いてんのは人数な。だから、今日は田丸って奴が一人でライブするって事な。」

「あー。なるほど。」

拓也はそういう事かと納得しながら続けて質問をした。

「今日のライブの人ってどんな感じのライブですか?」

「今日の田丸って奴はウッドベースを弾きながら歌う。ジャズに近い感じかな〜。

拓也もバンド組む前に一人でライブやってみるか?」

間宮に急に名前で呼ばれた拓也は驚いて目を見開いていた。

「どうした?一人でライブするなんて考えた事なかったか?」

「いや…それもそうなんですけど、それより名前で呼ばれたのがびっくりして…」

「あー。名字の方がいいか?俺はどっちでもいいけど。」

「いえ。名前で大丈夫です。俺もトオルさんて呼んでも大丈夫ですか?」

「ああ。それでいい。」

「でも、一人でライブか…凄いなぁ…」

「拓也ギターは?」

「えっ。持ってないですけど。」

「そうじゃなくて。弾けるのかって意味。」

「あー。弾けないです…」

「練習してみるか?俺、昔ギターやってたんだよな。だから、ギターなら教えられる。」

(知ってる。めちゃくちゃ知ってる。間宮トオルからギターを習えてもらえるなんて本当に光栄な事だ…だけど…)

「何度かギターは触った事あるんですけど…俺じゃ無理かな…歌う方が好きなんで…ギター持つと、もうギターの弾く事の方に全て持っていかれるというか…」

「フン。そんなの練習次第だろう。ギターやりたくなったらいつでも言え。教えてやるよ。」

間宮と会話をしているとドアが開く音が聞こえた。拓也と間宮がドアの方を見ると黒縁メガネをした男がウッドベースを押しながら入って来て間宮の方を向いて言った。

「おはよーございます。今日もよろしくお願いします。」

「おう。よろしくー。」

今日のライブをする田丸だと拓也は理解した。

ウッドベースという事で拓也は勝手に渋めの男性が来るものだと決めつけていたのだが、田丸という男は拓也が想像していたよりかなり若かった。童顔で黒髪は女性のような直毛でサラサラだ。身長は拓也より低い170cm前後なのだろうと思ったが、ウッドベースを運ぶのに腰を曲げているのに気付いて龍司と同じ位の身長があるのだろうと思った。そして、見た目は黒縁メガネを掛けているせいか知的な感じに見える。

(あのメガネ…イタリアの高級ブランドメガネだ…フレームだけで5万はするはず…)

田丸はここでよくライブをしているようで挨拶をしてすぐに店の奥へと進んで行く。そして、店の奥にあるステージに上がった。客もいないのに田丸はステージに設置されている茶色いアップライトピアノに座ってピアノを弾き始めた。

ピアノを弾くというより適当に鍵盤を優しく押している感じだ。

その姿を見ていた拓也に間宮は言った。

「あいつ…いつも店に入るなりピアノを触るんだ。変な奴だろ。」

1分くらいピアノを触った田丸は次にドラムのイスに座ってバスドラムのフットペダルを踏んでドドンドドンと鳴らした。

拓也はその様子を見ながら間宮に聞いた。

「田丸さんてウッドベースだけじゃなくてピアノとドラムも出来るんですか?」

「いやー。あいつはベースだけだな。でも、ああやっていつもピアノとドラムを触ってから楽屋に入るんだ。変だろ。」

間宮の言うように田丸はドラムをドドンと何度か鳴らして楽屋へと入って行った。

「楽屋に行って田丸に飲み物何にするか聞いて来てくれ。これは田丸だけじゃなくて、毎回出演者が楽屋に入ったら聞いてくれ。」

「あ。はい。わかりました。」

拓也は店の奥にあるステージ横の楽屋の前に行きドアをノックする。

「はい。どうぞ。」

ドアを開けながら拓也は今間宮から言われた通り田丸に飲み物を聞いた。

「失礼します。お飲物どうしますか?」

拓也は飲み物を聞いたのだが田丸は拓也に話しかけてきた。

「新しいバイトの方ですか?」

「あっ。はい。橘拓也といいます。よろしくお願いします。田丸さんはここでよくライブされているんですか?」

「ああ。うん。お客さんは集まらないけどね…」

「俺もバンド組みたいとは思ってるんですけど、田丸さんみたいに一人でライブやろうって事は考えた事なかったです…多分…一人だと恐くてビビってステージに立つ事すら出来ないと思います。」

そう拓也が少し笑いながら言うと田丸は少し目を細めて笑顔で言った。

「俺もやりたくて一人でやってるわけじゃないけどね…」

「えっ?それはどういう…」

「ジンジャーエールお願いします。」

「あっ…はい…」

田丸は一人でライブをやっている理由は聞いてほしくはなさそうだったので拓也もそれ以上は聞かない事にした。

間宮にオーダーを伝えると混んでいない限り飲み物は拓也が用意するようにと言われた。

「飲み物。特にアルコール類で作り方がわからないものはその都度教えるから。」

田丸のジンジャーエールを用意しながら拓也は間宮に聞いた。

「田丸って名前。本当の名字ですかね?」

「違うよ。」

「あっ。やっぱり。どうして田丸なんだろう?」

「まあ、これから何度も顔合わせるだろうから仲良くなってから聞いてみな。」

「そうですね。んじゃ、コレ持って行きます。」

拓也がジンジャーエールを楽屋に持って行く途中で2人組の客が入って来た。

「ブラーへようこそ。」

間宮がそう言うのをマネて拓也も飲み物を運びながら同じ事を言った。

「ブラーへようこそ。」

楽屋のドアをノックして入ると田丸はイスに座り両目を閉じながら前屈みになって両手を組んでいた。一瞬何か拝んでいるように見えたのだがそうではないみたいだった。おそらく集中力を高めているのだろうと拓也は思った。

「テーブルに置いておきます。」

拓也がそう言ってジンジャーエールを田丸の目の前に置いた。田丸はありがとうございますと丁寧に返答をした。さっき入ってきた2人組の客はステージの真ん前に座っていた。一度カウンターに戻り2人組のオーダーをとりに行く事を間宮に伝えた時、チリリーンチリリーンと店の電話が鳴った。

「オーダーは俺が聞きに行くから拓也は電話に出てくれ。ライブ出演の依頼ならバンド名を聞いてライブの日にちと時間を聞いてから、さっきのノートを見てスケジュール空いてたらオッケーしてくれていい。」

間宮はそう早口で言ってさっきの2人組にオーダーをとりに行こうとしたが、すぐに戻って来て言った。

「あー。それとバンドの人数も忘れずに。」

「はい。」

と答えてから拓也は受話器を取った。

「はい。ライブハウスブラーです。」

「あっ。ちょーど良かった。俺だよ俺。」

(オレオレ詐欺?)

「…」

拓也が言葉を発さないでいると電話の相手は全くもーと言って名前を名乗った。

「俺だよ。龍司だよ。お前。タクだろ?俺の声ぐらい覚えとけよっ!」

「りゅー…じ…?…お前なんで学校休んでるんだよ?何かあったのか?」

「そんな事どーでもいいーんだよ。えっとな明後日の俺達のライブどうなってるか知りたくてよ。スケジュールどーなってるかわかるか?」

「なんだよ。バンドメンバーにでも聞けよ。それとも骨折したから連絡してもらえなかったのか?」

「まあ…そんなとこだ。だから、教えてくれ。」

「わかった。ちょっと待ってくれ。」

(まあ、ちょうど良い。これで結衣ちゃんに頼まれた明後日のライブに龍司が参加するのかがわかる。)

そんな事を考えながら拓也はスケジュールの書かれたさっきの黒いノートを手に取り明後日のページを開く。そこには時間の横にBAD BOY3と書かれていた。

「えーと。7時からだな。」

「オッケー。ライブスケジュールには入ってるんだな?ありがとよ。」

「なんで自分のバンドのライブスケジュール知らないんだよ。」

「わりぃ。わりぃ。んじゃな。」

「ちょっと待て。明後日来るのか?」

そう聞いた時にはもう龍司は電話を切ってしまっていた。最後の「んじゃな。」と言った龍司の声がやたらと真面目な声だったのが拓也には引っかかった。

オーダーを聞き終わっていた間宮はカクテルを作りながら拓也に聞いた。

「なんの連絡だった?」

「あ。龍司からで明後日のライブどうなってるかって聞いてきたんで時間伝えときました。全く自分のライブの時間普通忘れるかな…」

「時間なら他のメンバーに聞けばいい。それなのにどうして龍司の奴ここに連絡してきたんだ?」

「さあ?俺がいるからですかね?」

「そういう事にしとくか。」

「あっ。でも、まだ龍司にバイト受かったって言ってなかったな…あいつ学校も休んでるんで。」

「フン。嫌な予感しかしねーな。はい。ジントニックとモスコミュール。持ってって。」

「はい。」

二人組に飲み物を運んでいるとまた客が入って来た。どうやらここの常連のようでカウンターに座って間宮に直接飲み物を頼んでいた。

ライブ開始時間5分前には客は10人になっていた。

先週の面接の日はライブもなく客も3、4人くらいしか入っていなかったから楽なバイトだと思っていたが10人でも拓也は必死になっていた。

(もっと人数が増えるとこりゃ大変だな…よくトオルさん一人で回してたな…)

「もう7時だから田丸にそろそろ始めてくれって伝えてくれ。」

間宮がそう言っているとまた客が入って来た。

その客は間宮に任せて拓也は楽屋に向かいドアをノックした。「はい。」と返事があったので楽屋の中へ入ると田丸はさっきと同じ格好で目を閉じ前屈みになって両手を組んでいた。さっき持って来たジンジャーエールはひと口も飲んでいないようで氷だけが少し溶けていた。

「そろそろ時間なんでお願いします。」

拓也がそう言うと田丸はゆっくりと目を開けながら答えた。

「はい。わかりました。」

拓也がカウンターの中に入ると同時に田丸は楽屋から出て来てウッドベースと共にステージの中央に上がった。間宮が店の照明を暗くした。ライブが始まるといつもこうやって間宮は店の明かりを暗くするするようだ。そして、ライブが終わるとまた店の照明を明るくするのだろう。

ここに来ている11人の客達と拓也と間宮が田丸を温かく拍手で迎えた。



田丸のライブが終わった。間宮が店の照明を明るくした。

後から増えた3人を含め、その場にいる14人全ての客が大きな拍手を田丸に注いでいる。

(凄い。カッコいい。凄い。カッコいい。)

拓也は頭の中で何度も同じ言葉を繰り返していた。

そして、拓也は自分が店のスタッフだという事も忘れるくらい興奮して14人の客に負けない位の大きく長い拍手を田丸に向かって送っていた。

(凄いこんな凄い奴がこの街にいるなんて…)

田丸のライブは今の流行曲をジャズの様にアレンジして歌っていた。ウッドベースを弾きながら歌うというのは初めて見た拓也だったが、田丸のその姿はとても格好良かった。

14人の客が少しずつ手を止めて拍手をやめていく中、拓也だけがいつまでも拍手をやめなかった。田丸と間宮も含めた店内にいる全員が拓也の方を見ているのがわかってからやっと拍手をする手を止めた。

「恥ずかしい奴だな。」

横にいる間宮が茶化した。

田丸はありがとうございましたと丁寧に頭を下げるとまた大きな拍手が鳴った。

田丸はステージをウッドベースと共に降り楽屋へと入って行ったが拍手は鳴り止まない。

ライブ後、恒例のアンコールを促す拍手だ。拓也もその拍手に参加した。何秒か後に照れ臭そうに田丸が楽屋から出て来てステージの上にウッドベースと共に上がってから言った。

「では、一曲だけ。」

何の説明も無く田丸は演奏を始めた。この曲はインスト曲で田丸は歌わずベースだけを弾いていた。とても雰囲気のあるクールな良い曲だった。

「ウッドベース格好良いな。」

拓也がぼそっと言った声を横にいた間宮は聞いていたようで腕を組みながらそっと言った。

「だよな。」

(この曲は何の曲だろう)

今日のライブで田丸が演奏した曲は全て拓也が知っている曲だったのだが、この曲だけは知らなかった。

「この曲なんて曲ですか?俺聴いた事ないんですけど。」

「俺もだ。もしかしたらオリジナル曲なんじゃねぇの?」

「ぽいっスね。」

「いい曲だ。」

(間宮トオルに褒められるとは…この曲が本当に田丸自身の曲ならばコイツはなかなかの男だ。)



ライブが終わり時刻は午後9時過ぎとなっていた。数人の客は店に残りアルコールを楽しんでいる。コップを洗いながら拓也は間宮に素朴な質問をした。

「今バイトって俺一人なんですよね?」

間宮はこの質問にカクテルを作りながら答えた。

「そうだな。去年の冬で3人のバイトが辞めたからな。みんな大学4年生だったし。

まだバイト募集してるから人数が増えたらもう少し楽になるんだけどな。

まあ、ココは食べ物はおつまみ程度の物しかないから慣れれば本当楽なんだけど。

拓也も今は必死にやってるみたいだけど、すぐに慣れるから。

そうだ。誰かバイトしたいって奴いたら紹介してくれよ。」

「はい。いたら誘ってみますね。

てか、田丸さんて帰りましたか?まだ楽屋にいますよね?」

「ああ。いるだろ。さすがに黙って帰る奴じゃないよ。」

「ライブが終わったらお客さんに挨拶とかするんじゃないんですか?」

「まあ、人それぞれだな。どうしてだ?」

「いや、挨拶とか丁寧な田丸さんなのにどうしてライブが終わった後はお客さんに話しかけたりしないのかなって。ちょっと変だなと思ったんで。」

「あいつはいつもライブが終わったら楽屋に引っ込んでお客さんが少なくなったくらいに帰って行くな。」

「次のライブの告知とか挨拶しながら伝えていけば人がもっと集まってくれるかもしれないのにな…」

「確かにそうだな。でも、あいつはこれで良いんだろうな。」

「それはどういう事ですか?」

「それもあいつと仲良くなってから直接聞いてみ。

ちなみにあいつ柴校の2年な。」

「2年?2年って俺と同い年じゃないですかっ!」

「ああ。仲良くなれそうだよな〜。ベーシストに誘ってみろよ。仲良くなったらな。」

そう言った間宮は少年のような笑顔で笑った。

「俺、飲み物のおかわりいるかどうか聞いて来ます。」

楽屋に向かい拓也がドアをノックしようとしたところで先に扉が開いて田丸が出て来た。

「あっ。ちょうど良かったです。何か飲み物いりますか?」

「いえ。もう出ようと思っていたので結構です。お気遣いありがとうございました。」

田丸はウッドベースを運びながら間宮と残った数人の客に礼を述べて帰って行ってしまった。

(また次のライブの時にでも話しかけるか…)

楽屋には田丸がライブ前にはひと口も飲まなかったジンジャーエールが入っていたコップが空になって置かれていた。

ここブラーでは出演者にはソフトドリンクならタダで何杯でも飲める事になっている。それを田丸は知っているのだろうか?

(氷が溶けて味薄かっただろうに…)

田丸のコップを片付けようとした時、拓也は床に何か落ちているのに気が付いた。

(キーホルダーだ。田丸の物だろうか?ウッドベースのケースにでも付けていたのだろうか?)

落ちていたキーホルダーはリスの絵が描かれた可愛らしいもので男性の田丸が付けていたとは考えにくいデザインだった。

(まるで小さな女の子が付けるようなキーホルダーだ。)

拓也はそのキーホルダーを拾い裏面を見た。するとそこにはnameと書かれた箇所に油性ペンで名前が書かれていた。

―まるおか かえで―

(誰だ?てか、確実にひらがなで書かれたこの文字は小学生が書いた文字だ。この楽屋に小学生が入るわけがない。となると田丸の持ち物ではなく他の誰かの娘さんの物だったりするのか?)

拓也は楽屋に落とし物があった事を間宮に伝えてキーホルダーを見せた。

「まるおか?誰だ?」

間宮にもピンとこないみたいだった。

「ライブに来る人でまるおかって名字の人に心当たりないんですか?」

「ないな。今日楽屋掃除した時こんな物落ちてなかったけどな。」

「じゃあ、田丸さんの落とし物ですかね?」

その言葉に間宮は「んんっ!」と何か気付いた様子で拓也に早口で言った。

「拓也。すぐにこれ田丸に渡してやってくれ。多分あいつバスで家帰ると思うから、まだバス停にいると思う。」

「えっ?これ田丸さんの?」

「いいからっ。早く早く。」

拓也は間宮に急かされて店を出てすぐ近くの柴咲駅前のロータリーに向かった。そこにバス停があって今、田丸はそこでバスの到着をイスに座って待っていた。

「あの。このキーホルダー田丸さんの物ですか?」

急に後ろから声を掛けられて驚いたのだろう田丸は少し驚いた表情を浮かべて振り向いた。そして、拓也が持つキーホルダーを見て言った。

「ああ。ありがとうございます。落としていたんですね。」

拓也はキーホルダーを渡しながらここで自己紹介ぐらいはしておこうと思った。

「あの。俺、西校の2年なんです。田丸さん柴校の2年なんですよね?」

落としたキーホルダーとは別に田丸はあと2つウサギとトラが描かれた可愛らしいキーホルダーをウッドベースのケースに付けていた。その2つのキーホルダーも子供が付けるような品物であまり田丸のイメージとは合わない感じがした。

田丸はウッドベースのケースにキーホルダーを取り付けながら言った。

「同い年だったんですね。あっ。バスが来たので俺はこれで。またよろしくお願いします。」

田丸はウッドベースを重たそうに持ち上げてバスに乗り込んで行く。その田丸の後ろ姿を見ながら拓也は大きな声で田丸に告げた。

「俺、今日のライブめちゃくちゃ感動しましたっ。めちゃくちゃ格好良かったです。」

バスに乗り込んだ田丸は大きな声で言われたのが恥ずかしかったのだろう目を細めて聞き取りにくいくらい小さな声で言った。

「ありがとうございます。」

バスが発車する前に拓也は急いで田丸に聞いた。

「最後の曲はなんて曲ですか?もしかして田丸さんのオリジナル曲ですか?」

「同い年だからタメ口で良いですよ。」

答えになっていなかった。そして、バスのドアが閉まりバスは走って行った。

田丸とはこれから少しずつ仲良くなっていこうと拓也はバスを見送りながら思った。

ブラーに戻るともう客はカウンターに残っている一人だけとなっていた。その客と間宮は話している。拓也がカウンターの中に入ろうとした時、間宮は一度客との会話をやめて拓也に言った。

「外のライトを消しといてくれ。それが終わったらそのまま着替えて帰ってくれたらいいから。今日は早いけどもう閉めるわ。」

「ああ。はい。お疲れ様でした。」

「おう。お疲れさん。着替えた後は前みたいにこっちに顔出さなくても大丈夫だからそのまま帰れ。」

「あっ。はい。わかりました。」

二階に上がり着替え終えると拓也はスマホを鞄から取り出し画面を見た。結衣からメッセージが入っている。

-明後日のじょーほーヨロシクっす。-

(はいはい。今から送りますよ。)

-明後日BAD BOYのライブは予定通り7時からやるみたい。

ちなみに今日。店に龍司から電話があった。明後日のライブ何時からだって聞いてきた。

龍司も明後日来るみたいだな。あの腕でどうやってドラム叩くのやら…-

メッセージを送信するとすぐに既読の文字が付いた。スマホを片手に拓也は部屋を出て階段を下りると結衣からメッセージが返ってきた。

-やったねっ!ライブ楽しみ。前話した新しいバイトの子今いるから誘ってみた。ライブ行ってみたいって!拓也くん今からくる?-

(今からか…もう疲れたな〜)

拓也が返信しようと思って文字を書いているとまた結衣からメッセージが届いた。

-龍ちゃんホントバカだね。フツー自分のバンドのライブ時間忘れるってある!?-

拓也は自分が一人でスマホを見ながらニヤニヤ笑っているのに気が付いて顔を元に戻した。

-ホント龍司ってバカ。もう今日は疲れたから帰るよ。仕事慣れてきて今日みたいな時間に終われる時があったら寄るようにする。-

拓也が送信するとすぐにりょうかいと書かれた可愛いイラストが返ってきた。

(明後日のライブ楽しみだ。)



2014年4月27日(日)


龍司のバンドBAD BOYのライブ当日。

拓也は家で昼食をとりながら昨日のバイトの事を思い出していた。

昨日のライブはひどかった…大学生の男女2人組のデュオで男がアコースティックギターを弾き女がボーカルだった。

拓也には女の声は常に叫んでいるような感じに聴こえ男のギターもただジャラジャラと弾いているだけに思えた。一昨日の田丸のライブとは違って感動も何もなくて仕事も楽しくないと感じてしまう程だった。それなのにライブを見に来た客は一昨日の田丸のライブよりも多かった。

(きっと今晩のライブは良いはずだ!)

拓也は数時間後に迫ったBAD BOYのライブが楽しみだった。BAD BOYの演奏をまだ聴いた事がないにも関わらずまるで好きなバンドのライブを見に行く様な感覚だった。

バイトの時間まで家でゆっくりした後、少しだけ早めに家を出た。

家から柴咲駅まで歩いた所でズボンの後ろポケットからスマホを取り出し時刻を確認する。

(6時か…バイトまでは30分あるな…だけど、ルナに寄るには少し遅いか…)

悩んだ結果、拓也はもう着替えてバイトの準備をしておこうと決めた。ブラーの二階で着替えを済ませて店に入ろうとした時、扉の奥で何か音が聴こえるのがわかった。

(BAD BOYの誰かが早くに来てリハーサルでもやってるのか?)

ゆっくり扉を開けると徐々にアコースティックギターの音が大きくなっていく。

(これは…この曲は……)

店内に入りゆっくり閉めた扉にもたれ掛かり拓也はそのギターの音を聴いた。

(この曲はサザンクロスの曲…俺が持っているアルバムの1番最初の曲…)

ギターを弾いているのは間宮トオルだった。間宮はステージの真ん中でイスに座りながらアコースティックギターを弾いて歌っていた。

(トオルさんがギターを弾く姿を見るのは初めてだ。しかも、歌ってる)

拓也は扉にもたれかかったまま間宮の姿を見ていた。

(アコースティックギターとボーカルだけの曲だけどバラードではなく叫ぶように歌う曲)

拓也は目を閉じた。そして、拓也は自分でも無意識に小さな声でその曲を歌い出していた。

(タイトルは…Open Your Eyes …)

しばらく拓也が歌っているとギターが歌の途中で止まった。拓也が目を開けて間宮の方を見ると間宮はギターを抱えながら前のめりで拓也を見ていた。そして、間宮はとても険しい顔をしていた。

「拓也…ちょっと来い。」

(しまった…つい歌ってしまった…)

拓也は扉にもたれていた体を起こした。

「どうしてこの曲を知ってる?」

(別に隠す必要もないか…この際だ正直に言ってしまおう…)

拓也は意を決し一歩ずつステージの上に座っている間宮の元に近づく。

「俺…サザンクロスのファンだったんです。中一の時からずっと。

でも、あの間宮トオルがこの街の出身って事は知らなくて…龍司にサザンクロスのファンだって言った時あいつ何か知ってるみたいだったから…それで龍司に会えるかもって思ってこの店に入ったんです。」

「俺がサザンクロスの間宮トオルと知らずに?」

どんどんと間宮との距離が近づく。

「はい。それで名刺を見てびっくりしました。」

「ふ〜ん。」

「あんまりサザンクロスの話はしない方がいいって言われたんでファンだって事は黙ってました。」

「誰に言われた?」

「龍司に。トオルさんはあまりサザンクロスの話はしないし、辛い思い出しかないって言ってたって。」

「フン。」

ステージの前に辿り着いた時、間宮は言った。

「お前ボーカルしたいんだよな?」

拓也はステージにいる間宮を見上げながら力強く言った。

「はい。」

その言葉を聞いた間宮はイスから腰を上げ立ち上がった。そして、少しイスを移動させてまた座った。

「上がって来い。」

「えっ?」

「歌詞覚えてんだろ?」

「あっ。はい。」

「上がって来い。」

「あの…」

「いいから。何度も言わせるな。」

「…はい。」

拓也はステージに上がりマイクの前に立った。

「歌ってみろ。」

「え?でも…」

「ただの練習だ。さあ、マイクの位置を合わせて。」

「え、あ、はい。」

拓也が言われた通りマイクの位置を合わせていると間宮はギターを弾き始めた。

拓也は目を閉じ深呼吸をして歌う覚悟を決めたその時、間宮はカウントを始めた。

「3、2、1…」

パッと目を開け拓也は歌い始めた。

間宮のギター演奏という事で拓也はもの凄く緊張して歌い始めたが歌っているうちに間宮のギターが心地よく感じ始めていた。

(不思議だな。バラード曲ならまだしもこの曲は早いリズムだ。それなのに心地よく感じるなんて。)


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「Open Your Eyes」

笑顔で話すあなたの夢は 手を伸ばせば叶えられそうで

それに比べて俺の夢は 言葉にすればバカ丸出しで

叶えられそうなあなたの夢と 叶えられそうにない俺の夢


不安そうに話した俺に 「夢は大きい方が良いじゃん」て

その言葉で俺は嬉しかったのに あなたの夢を聞いた時

不安だけが募ってしまって 応援すらもできなかった


ただ あなたに置いていかれるようで

ただただ 自分に自信がなくて

ただただただ 素直にあなたの夢を

ただただただただ 応援すれば良かったのに Ah~

Wake Up! Wake Up! Ah~ Wake Up! Wake Up! Ah~

Wake Up! Wake Up! Ah~ Wake Up! Wake Up! Ah~

Wake Up! Wake Up! Wake Up! Wake Up! Ah~Ah~Ah~


叶えられなかったあなたの夢と 叶ってしまった俺の夢

「夢が叶うってもっと嬉しいものだと思っていたよ。」

そんな言葉を放った俺に あなたは怒っているのでしょうね


夢が叶った俺の方が 置いていかれるなんてな

だけどそれは俺のせい 夢を叶えた俺のせい

こんな姿を見てあなたは どんな言葉を言いますか?

夢が叶って良かったねって そんな言葉を言えますか? 


Wake Up! Wake Up! Ah~ Wake Up! Wake Up! Ah~

Wake Up! Wake Up! Ah~ Wake Up! Wake Up! Ah~

Wake Up! Wake Up! Wake Up! Wake Up! Ah~Ah~Ah~

もしも俺が夢を叶えなければ きっとあなたが叶えてた

そしたら俺はこう言ったはず ずっと一緒にいようって

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歌い終わった後、しばらく間宮は何も言わなかった。

その沈黙が恐くて拓也は先に間宮に話しかけた。

「緊張しました…上手く歌えませんでした…」

(緊張した…緊張しすぎて上手く歌えなかった…憧れの間宮トオルにギターを弾いてもらっているからといってもこんなに緊張していたんではダメだ…これでボーカルをしたいって言ってる自分が情けない。きっとトオルさんもそう思ってる…)

拓也が落ち込んでいると間宮は言った。

「驚いたよ。」

「えっ。」

「本当に驚いた。」

「でも、上手く歌えませんでした…」

「これより上手く歌えるってのか?」

「は、はい。…たぶん…」

「フン。大したもんだ。はい採用。」

「えっ?」

「歌がヘタならクビにしてやろうかと思ったが…採用。いや、継続になるのか?ハハッ。」

間宮はどこまで本気で言ったのかはわからなかったが、なんとなくボーカルとして認めてくれたような気がして拓也は嬉しかった。

「ところでこの曲歌ってみて初めて気が付いたんですけど…」

「なんだ?」

「この曲ってもしかして…その……」

「お前どこまで俺の事調べたんだよ?」

「い、いや…その…」

「まあ、いいけどさ。引っ越して来た所に昔好きだったバンドのギタリストがいたらそうなるか…

この曲は…いや、俺が書く詞は実際にあった事や思った事しか書いてない。

っていうか、俺想像力なくってな。想像で歌詞とか書けなかったんだ。」

(という事は今俺が感じたようにこの曲も『声』同様にひかりさんが亡くなってから作った曲だという事で合っているのだろう。)

「てかさ、龍司そんなに俺の事知ってんのか?」

「いえ、龍司はルナのマスターの孫の結衣って子から聞いて、その結衣って子はマスターから聞いてって感じで。」

「ならマスターに直接聞けよっ。」

「それが詳しい事は話してくれなくて…」

「てか、そもそも俺に直接聞けよっ!」

「そ、そんな。無理ですよ。聞けなかったですよ…」

「…そう…だよな…俺、聞かれても話さなかったと思うし。

でも、絶対どっかで話変わって来てるよなそれ。」

「あ…はい。そうみたいなんです…」

「この曲と『声』という曲は亡くなった恋人を想って作った曲だ…」」

それからしばらくの沈黙があった。そして、間宮は言った。

「俺が殺したんだ。」

「えっ?」

「さあ、仕事に取りかかるぞ。詳しくは今度話すわ。」

「えっ。あっ。は。はい。」

(殺した…どういう事だ?)


10


午後6時30分を回った頃今日最初の客が入って来た。

「ブラーへようこそ。」

間宮が言った後、ボーっとしていた拓也に間宮が小さな声で「おい。」と言った。正直拓也は仕事に集中出来なかった。さっきの間宮が放った殺したという言葉が頭から離れなかったからだ。

拓也は考えるのは仕事が終わってからにして今は仕事に集中しようと自分に言い聞かせて随分と遅れてから最初の客に「「ブラーへようこそ。」と言った。すると「キャハハ」と笑い声が聞こえた。

最初に入って来た客は顔を見なくても声で拓也はわかった。結衣である。今日の髪型はいつものツインテールではなく長い髪をポニーテールにしている。

「拓也くん真面目に働いてる〜?今なんか全然集中出来てなかったゾー。」

拓也はため息を放った。

「今日は友達も連れて来たんだよ。もう一人後から来るんだけど、とりあえず3名で。」

結衣の後ろから2人の女の子が扉から入って来た。一人の子は「うわ〜オトナの雰囲気。」だとか「結衣ちゃん。こんな店に入るなんてすっごーい。」だの無邪気にはしゃいでいる。もう一人の子はとても大人しくキョロキョロと店内を黙って見ていた。

結衣達は奥のステージの方へ行きしばらく3人でキャッキャと話した後ステージの右側に位置するテーブル席に座った。その様子を見ていた間宮が拓也に聞いた。

「あの子知ってるな。時々店に来てくれる子だ。拓也の知り合いなのか?」

「あれ?そうですよ。あの子がルナの咲坂結衣ちゃん。知らなかったんですか?」

「ああ。特に話しかけた事もなかったからな。」

「結衣ちゃんが時々来てるのはBAD BOYのライブの時だけだと思います。龍司のファンみたいだし。」

「龍司のねぇ…まっ。ファンになる気持ちはわかるな。」

「ですよね。」

「龍司の演奏を見てなくてもわかるんだな。」

「え…?ま、まあ…なんとなく…」

「しかし、お前らの世代はどうなってんだか。」

「それはどういう?」

「良い素材だらけって事だ。これから先が楽しみで仕方がねぇよ。」

(龍司に田丸。そして、おそらく学年は一つ上だが赤木という人もその中に入っているのだろう。もしかしたら真希という子も入っているのかもしれない。俺も早くその良い素材の仲間に入らなくちゃな。)

「よし。ルナの孫娘に挨拶でもしておくか。」

間宮はそう言って結衣達が座るテーブルに注文をとりに行った。

(意外だったな。トオルさんと結衣ちゃんはちゃんと話した事なかったのか…)

拓也が遠目で間宮と結衣の様子を見ていると結衣はイスから立ち上がり間宮に向かってお辞儀をしている。おそらくお互いの自己紹介をしているのだろう。

しばらくして間宮がカウンターに戻って来ると拓也に3人分の注文を告げた。

「オレンジジュース3つな。」

「はい。」

拓也はオレンジジュースをコップに注ぎながら間宮に聞いた。

「今度ルナに行くって言ってたんですか?」

「ああ。拓也を連れて一緒に行くって言っといた。」

「俺…連れて行かれなくてもルナ行ってますけどね…」

「まあ、いいじゃねーの。マスターも元気だって言ってたし、死ぬ前に一回行っとかないとな。」

「今なんとっ?」

「フフっ。ジョーダンだ。」

「まぁ、トオルさんが行きにくいんなら付いて行きますけど。」

「マジかよ!助かるわ。めちゃくちゃ行きにくいんだよな。あのオッサンうるせーし。よろしく頼むっ!」

「……」

拓也がオレンジジュースを結衣達のテーブルに運ぶと結衣は嬉しそうに言った。

「トオルさん今度店来てくれるって。」

「良かったね。でも、結衣ちゃんとトオルさんがちゃんと話した事なかったって意外だったよ。」

拓也がさっき思った事を結衣に言うと結衣は頭を傾げて言った。

「そう?だってトオルさん店には来ないし。ここに来てもトオルさんに話かけづらいし…

多分結衣が勝手にトオルさんって下の名前で言ってたから意外に思ったんじゃない?」

「多分そうだね。」

「あっ。名前…言うの忘れてた…」

「えっ?結衣ちゃんさっき立ち上がってお辞儀してたのに名前名乗ってなかったのか…。」

(一体どんな自己紹介をしたのやら…)

「でも、まあ名前は俺が言ってたから大丈夫だよ。ところで2人は結衣ちゃんと同級生?」

拓也が2人の顔を交互に見ながら聞くと三つ編みをした子が答えた。

「そうです。同級生です。」

三つ編みをした子は独特な服装をしているが、着こなしが上手いのか男が見てもセンスが良いと思えた。見た目もとても真面目そうな印象を受けた。もう一人のショートカットの子は三つ編みの子とは対照的に服装はとても派手であまりセンスが良いとは言えなかった。そして、よく喋る子のようで元気な子と言えるのだが拓也にはとてもうるさい子だと感じた。そのショートカットの子が言う。

「ねえ。お兄さんボーカルしたいんでしょ?ちょっとそこで歌ってよ。」

その言葉に結衣が注意をした。

「なに言ってんのっ!失礼でしょ!まったく…ゴメンね。拓也くん。ちょっと拓也くんの事話したらこの子歌声聴きたい聴きたいって店に入る前からうるさくて。」

「そんなにうるさくしてなかったでしょー?でも、今お兄さんの顔見てたらどんな歌声なのか興味が出ちゃったよ。だから、ねっ。」

なにが「ねっ。」なのかわからずにいる拓也に結衣が言った。

「ゴメンね。相手しなくていいから。」

「結衣ちゃんだけズルい。こんなイケメンと仲良くしちゃってさ。」

2人がなにやらモメている時、間宮の声が拓也の耳に届いた。

「遅かったな。早く用意しろよ。」

どうやらBAD BOYが到着したようだ。拓也は振り返り入口を見るとそこにはギターだかベースだかを入れたケースを背負った茶髪の男が立っていた。そして、2人目の男がその後ろから中へ入って来る。その男は黒髪で茶髪の男より少しだけ背が低かった。

どちらも目つきが鋭くヤンチャそうな見た目だ。

(どっちが赤木でどっちが西澤だ?)

そう思っていると3人目の男が店内に入って来た。

(誰だ?)

3人目の男は坊主頭で身長は拓也と同じくらいだがとても太っている。見るからにドラマーといった感じがする。

(どういう事だ?)

3人の男達は拓也の横を通って楽屋へと歩いて行く。すれ違い様、茶髪の男の鋭い目と拓也の目が合ったが茶髪の男はそのまま楽屋へと入って行った。

拓也が突っ立っているとテーブル席に座っている結衣が話しかけてきた。

「拓也くん。どういう事?龍ちゃんは?」

「…さあ?俺が聞きたいよ。」

拓也はそのまま楽屋をノックして3人の男から飲み物を何にするかを聞いた。そして、そのついでに龍司の事を聞いてみる事にした。

「あの…ドラムの神崎龍司はどうしたんですか?」

すると茶髪の男は拓也の顔をまた鋭い目つきで見た後すぐに目をそらして言った。

「そんな奴の事より早く飲み物を持って来い。烏龍茶3つだ。」

「赤木。店の人にそんな言い方をするのはよせ。」

2番目に入って来た男が茶髪の男にそう言った。

(茶髪の男が赤木か…で、2番目に入って来たこの黒髪の男が西澤って事か。)

拓也がそう思っていると西澤は拓也に龍司の事を話してくれた。

「あいつならこの前バンドをクビにした。」

(クビ?)

拓也が驚いていると続けて西澤は言った。

「どうして龍司の事を?」

「俺、西高の2年で龍司の友達なんです。」

「そうなのか?じゃあ俺達の後輩か。前からここで働いてたか?

てか、あいつに同級生の連れがいるなんて知らなかったな。」

「4月から転校して来たんでここでバイト始めたのも一昨日からなんです。龍司とは何か馬が合って仲良くなって。それで今日龍司のドラム聴けると思って楽しみにしてたんですけど…クビですか…」

そんな事を話していると赤木がまたキツく拓也に言った。

「何度も言わせんな!早く飲み物持って来いよっ!」

西澤は拓也に気を使って優しく言った。

「すまないな。飲み物持って来てくれるか?」

「あっ。はい。すみません。」

拓也は言葉では謝っていたが心の中ではもの凄く赤木に対してムカついていた。

(なんだこの赤木ってヤロー!なんでこんなに偉そうなんだっ!俺コイツ嫌いだわっ!)

拓也が苛立ちながら楽屋のドアを閉めると、驚いた事にこの数分でそれなりの客が入っていた。

間宮は今テーブル席で短髪で銀色に染めた髪の男と肩まで伸ばした黒髪の長髪男の2人組の接客をしている。

「ビール2つね。」

「おいおい。おたくら高校生だろ?未成年にアルコールは出せないのわかるよな?」

「まあ、そう言わずに。ねっ?」

「ダメだ。」

「マジかよっ!」

「当たり前だろーがっ!お前らオレンジジュースなっ。」

「なんだよっ!固い事言うなよっ!」

「あんまりしつこく言うとお前らただじゃすまなくなるぞ。」

「わーたよ。それでいい。」

間宮が落ち着きながらも次々と接客をしている姿を拓也は見つつ急いでカウンターの中に入りバンドメンバーの飲み物と今、間宮が話ていたオレンジジュースを2つ準備した。

この3日間バイトに入った中で一番客層が若い。おそらく学校の同級生をバンドメンバーが誘ったのだろう。赤木のように態度が悪い連中が多いみたいで今、間宮が接客していた男二人もなかなか悪そうな雰囲気だった。

(オレンジジュースが似合わねぇ〜。それにしてもうちの学校の1コ上はこんなに悪そうな連中が多いのか?)

飲み物を5人分用意したところでまた入口のドアが開く。ドアが開いたと同時ぐらいの勢いでテーブル席に座っていた結衣の声が店内に響いた。

「サクラちゃ〜ん。こっちこっち。」

結衣はいつの間に移動したのか店内の真ん中辺りに立っていて今店に入って来た女性に手招きをしている。間宮は今入って来た結衣の友達を含め注文を聞いて回っている。とりあえず注文を一通り聞いてから準備をするつもりなのだろう。

拓也は銀髪と長髪の男2人にオレンジジュースを持って行き、そのまま楽屋に入り3人分の飲み物をバンドメンバーに渡している途中に赤木がぼそりと言った。

「おっせーよ。」

拓也はその言葉を聞いて怒りがふつふつと沸き上がってきていたが仕事中だと自分に言い聞かせてなんとか必死に抑えた。

(いちいちうっせー奴だ。龍司と合わないのもわかる。)

太った坊主頭の男の肩に手を置いて西澤が拓也に話しかけた。

「こいつも西高の2年なんだけど知ってるか?」

西澤はきっと今の赤木の態度が失礼だったと思い気を使って拓也に話しかけてきたのだろう。

「すみません。ちょっとわからないです。まだ転校して日も浅いんで。」

太った坊主頭の男は立ち上がって自己紹介をした。

「俺、5組の相川念(あいかわねん)。ドラムやってます。よろしくっス。」

そう言って相川は手を出し握手を求めて来た。この相川もヤンチャそうな見た目だが礼儀はちゃんとしているように思えた。拓也は相川と握手をして自分も自己紹介をする事にした。

「橘拓也です。4月から転校して来ました。よろしくです。」

「挨拶終わったらさっさと出てけよ。」

また赤木が拓也にキツく言った。

「この口の悪いのがギターの赤木圭祐。俺がベースの西澤真一。」

「なんでお前らコイツに自己紹介する必要があるんだよ。」

赤木はなぜか拓也の事が気に入らないようでいちいち拓也に対して突っかかって来るのだが西澤はそれを無視して話した。

「また学校でも合うかもしれないからよろしくな。」

「はい。あっ。俺もバンド組みたいなって思ってて。」

「そーなのか?楽器は?」

「ボーカル志望で。また何かあったらよろしくお願いします。では、失礼します。」

拓也は楽屋に掛けられている時計を確認して言葉を付け足した。

「あ。あと5分で時間なんで、そろそろ準備よろしくお願いします。」

楽屋のドアを閉める瞬間また赤木の嫌みな声が聞こえた。

「お前が邪魔すぎて準備も出来なかったけどな。」

(コイツ!腹立つなー!)


11


ライブ開始数分前にはもう客は一杯になっていた。この3日間で一番の客入りとなったのだが、客からの注文や飲み物の準備はほとんど間宮がやっていて拓也はこの日5人分のジュースしか用意して運んでいなかった。午後7時。BAD BOYは軽く自分達の自己紹介と新しいメンバーが入った事を西澤が報告した。その中で元メンバーとなった龍司の話は一切出て来なかった。そして、ライブは始まった。BAD BOYのライブを聴き拓也は思う。

(コイツら本当に練習してんのか?)

おそらくオリジナル曲なのだろうが赤木はギターを弾くので頭が一杯らしくちゃんと歌詞を覚えていないようで、何を言っているのかわからない箇所が何度もあったし、西澤は本当に演奏が合ってるのかと感じる場面が多々あった。相川に関してはもう問題外で最初の曲からずっとワンテンポ遅れているのがわかる。

(コイツら全然ダメだ。この中に龍司がいなくて良かった。)

横にいる間宮も彼らの演奏を聴いて頭を抱えながら言った。

「このバンド…もうダメだな…真希や龍司がいた頃とは全く違うバンドになっちまった…」

「あの赤木って人のギター。トオルさんは認めてたんですよね?前に龍司のバンドをどう思うかって聞いた時ギターの腕は悪くないってそんな事言ってましたよね?」

「ああ。ギターの腕はな。だけど、今この状態を見ると全然駄目だ。バンドとしても龍司がいた頃はまだモメながらもちゃんと演奏は出来ていた。それは今思うと龍司のドラムがちゃんとしていたからなのかもしれないな。真希がいた頃なんて本当に凄いバンドだと心から思ったよ。曲のメロディーもプロ顔負けって感じでな。だけど、今のこいつらはもうあの頃の面影すらない。本当に残念だ。」

間宮は本当に残念そうな顔でもう一度「残念だよ」と声に出した。

BAD BOYは45分演奏をして15分の休憩に入った。

ライブ中はほとんど注文をしてくる客はいないがファーストステージが終わると必ずと言ってもいいくらい店内にいる客は飲み物のおかわりを頼んで来る。

何人かの客はファーストステージが終わると会計を済まして店を出たのだが、ファーストステージに出遅れた客も何人か入って来てこの15分間はスタッフとしては大忙しだった。

あっという間に15分の休憩はすぐに終わりセカンドステージが始まった。

セカンドステージの演奏が始まっても拓也と間宮は飲み物の用意をするので忙しかった。

せっせと飲み物を用意してやっと全ての客に飲み物を運び終えたと思った時また入口のドアが開き客が入って来た。拓也はカウンターの中からその人物の顔を見て思わず大きな声で名前を呼んでしまったのだが、拓也の声はBAD BOYの演奏の音で掻き消されていた。拓也の声が聞こえたのは横にいる間宮だけだった。店に入って来たのは龍司だった。龍司は真っすぐステージだけを睨みつけながらゆっくりと歩いて行く。何か様子が変だとすぐにわかった。龍司は右腕だけではなく左目も怪我をしたらしく眼帯を付けている。

「おい。龍司」

拓也の目の前を通る龍司に声を掛けたのだが、龍司は拓也の方を一切見ない。ずっとステージだけを睨みつけ異様な雰囲気を醸し出していた。

もう一度龍司に声を掛けようとした時、横にいる間宮がタバコに火を付けながら言った。

「嫌な予感しかしねぇな。」

「えっ?」

龍司はステージの真ん前まで歩を進め立ち止まった。

拓也がいるカウンターからは龍司の顔は確認出来ないがきっと赤木を睨み続けているのだろう。

ステージの前に座っていた結衣が龍司に気付き声を掛けているが龍司は微動だにしない。

赤木もいつの間にか龍司だけを睨み続けながら歌っていたのだが、とうとう歌うのを止めた。

赤木は演奏の手を止めてそのままステージの上から龍司を睨んでいた。それに気付いた西澤もベースを弾く手を止めた。相川のドラムだけがしばらく鳴っていたのだが西澤にドラムを止めるように言われてやっと相川は周りの様子に気が付いてドラムを叩くのを止めた。

静寂が訪れたのも束の間、ざわざわと客席がざわつき始めた時、赤木がマイクを通して龍司に言った。

「そこに立たれてると邪魔なんだよ。さっさと座れボケ!」

銀色に髪を染めた男と肩まで髪を伸ばした黒髪の長髪の男の2人組は急いで席を立ち会計を済ませて店をそそくさと出て行った。それに続いて客がどんどんと店を出ようとして会計で並ぶ形になってしまい間宮はレジから動けなくなった。

「拓也。止めて来い。」

間宮にそう言われても拓也はどうやって止めればいいのかがわからずにただカウンターの中で突っ立っていた。間宮はレジをうちながらまた言った。

「あいつら止めるついでにお前龍司をバンドメンバーに誘え。」

「そんな。どうやって…?」

「あのステージにマイクあるだろ?あれ使ってお前歌って来い。」

(はあ?)

その間に赤木はギターを置いてステージの真ん前まで進み上から龍司を見下ろし睨んでいる。

「お前その腕と目で俺に喧嘩売りに来たのか?」

「ああ。礼をしてなかったんで最後にしとこうと思ってよっ!」

荒々しい二人の声が拓也がいるカウンターまで届く。

結衣が龍司の前に立ちはだかり喧嘩を止めようとしている。

もういつ喧嘩が始まってもおかしくない状況だ。その様子を横目で確認しながら間宮はまた拓也に言った。

「さっさとあいつら止めて来い。」

「そんな…歌って止まるわけないじゃないですかっ!」

「んなもんやってみないとわからないだろ。お前バンド組みたいんだろ?今がそのチャンスだと思わないか?お前の声を歌で伝えるんだ。お前本当は龍司とバンド組みたいって思ってきてるんだろ?お前の声があいつに響けばあいつは喧嘩もしねぇし仲間にだってなってくれる。お前は仲間を得るチャンスをただビビって逃すのか?」

「…俺の声を…歌で伝える…」

「そうだ。わかったらさっさと行け。あいつら止めて来い!」

拓也はその間宮の声で走り出していた。

(龍司のドラムはまだ聴いていない。だけど、あいつと出会ってからずっと思っていた事がある。

こういう奴とバンドを組めれば最高だろうなって。あいつのバンドBAD BOYに入れてもらえないだろうかとも思った。だけど、龍司を誘ってみようなんて考えてもいなかった。どうして間宮は龍司とバンドを組みたいと思ってきていた事がわかったのだろう?)

龍司と赤木は尚も口論を続けている。

「エンジェルでモメた後、俺から謝罪してれば今まで通りバンド続けるつもりだったんだよな?」

「ああ。そのつもりだったな。」

「じゃあ、聞くけどよ。なんでお前らもう新しいドラム見つけてんだよ?早すぎんだろ?おかしいだろっ!」

「んっ?そうか?おかしいか?」

「ふざけやがって!俺があの時謝っていようがいまいが結果は一緒だったって事だろ?お前らとっくに新メンバー見つけてんじゃねーか!俺が用済みになってどうやって辞めさせるか考えてたって訳だろっ!答えろ!赤木!」

「よくその悪い頭でわかったもんだな。そーだよ。その通りだ。」

「それなら…それならそうと最初から言えっつーの!新しいドラム見つけたから用済みだってよっ!」

「言ってもお前納得しねぇーだろ。」

「しねーよっ!けどな。それを聞いてりゃその場で決着付けられたんだ。今日わざわざここに来なくて済んだんだ。めんどくせー事させやがって!時間のムダなんだよっ!」

拓也は急いでステージに上がり、まずは赤木が使っていたマイクをマイクスタンドから1本取り、続いて西澤の前に急いで行き2本目のマイクをマイクスタンドから取り出した。

そして、両手に2本のマイクを握りしめステージの真ん中までズカズカと進み仁王立ちになって俯いた。

「お前何してんだ?関係ねぇ奴はステージから今すぐ降りろ!」

赤木は普段の目つきよりも一層目つきが悪くなっている。拓也はその言葉を無視してゆっくりと目をつむった。その様子を見た赤木は拓也の襟元を両手で掴んだ。

「お前何のつもりだ?何目ぇ閉じてんだよ?」

赤木を止めようと西澤が横から近寄って来る。

「おいやめろ。コイツは関係ねぇだろ?」

「だからコイツに言ってんだろっ!どけよ西澤。」

拓也はまるで周りの声が聞こえていないかのようにまだ目を閉じている。その様子を龍司はただ見ていた。そして、拓也はパッと目を開けて掴まれていた両手を振りほどいた。

赤木は今にも拓也に襲いかかりそうな目をしながら言った。

「お前も気にいらねぇな…」

拓也は赤木を一切見ない。拓也に今見えているのは龍司だけだった。

龍司も今は拓也だけを睨みつけている。

「おい。何無視してんだよ?お前一体何のつもりだ?」

赤木の荒々しい声が轟いたが拓也は龍司だけを見てぼそりと言った。

「俺の相手はお前じゃねぇ。」

「はぁ?聞こえねぇよ。こっち向いて喋れバカ。」

今度はマイクを使って赤木を睨みつけ大声で拓也は言った。

「うるせー!黙れって!俺の相手はお前じゃねぇ!」

赤木はその大声に驚いて身体をビクッとさせた。拓也はまた龍司の方を向き右手に握りしめていたマイクを龍司に放り投げて叫んだ。

「俺の相手は今そこに突っ立ってるお前だ!龍司!」

龍司はステージの下で拓也が投げたマイクを受け取った。そして、口元を片方つり上げてニヤリと笑みを浮かべた。

「俺の声を聴いてくれ。俺の心を聴いてくれ。俺の想いを聴いてくれ。さあ行くぞっ!」

この時点で客は結衣達4人しかいなくなっていた。

拓也がステージの真ん中にいて、その横に赤木と西澤が立っていて相川はずっとドラムスローンに座っている。龍司はステージの下から拓也を睨みつけその横に結衣が立っている。結衣の友達3人はまだテーブル席に座ったままだ。そして、少し離れたカウンターには今全員の勘定を終えた間宮が腕組みをしながら立っている。

店内にいる全員の視線が拓也に集まっていた。拓也は息を吸い込みやった事もないまさかのラップを始めた。


12


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昔聴いたバンドに憧れ 夢はバンドを組むこと

強い気持ちで いつか叶えてやるんだと ずっとそう思ってた

小さな夢だと笑うのか? くだらない夢だとバカにするか?

さっさと叶えりゃいいだろと あっさり言われりゃそれで終い

手を伸ばせば今すぐに 叶える事ができそうなのに

そんな小さな夢なのに そんな些細な夢なのに

俺にはそれが無理だった

昔っから引っ越しばかり繰り返し ホントの親友できねーし

夢はいつまで経っても夢のまま 憧れ焦がれて日が過ぎて 

時だけ虚しく進んでく 叶える事が出来ず ただ

悲しく儚く消えていく

けどな一度はバンド組もうとした仲間もいた

だけど予定変更また転校 辿り着いた先がココ


ココに来て決めた事 いつか『声』をこの声で越えて行こう


この出会いは偶然?必然? そんなのどっちでも全然いいけど

不思議だと思わないか?この出会い不思議だとは思わないか?

まるで計算されてたように まるでこうなる事が決まってたように まるで不思議な力で導かれているように

そんな風には感じないか? そんな風に思わないかい?


ココに来て気付いた事 心の声をここまで大事にしてきた事は

決して無駄ではなかったという事


心の声はこう言ってる 夢を叶えよう 夢を叶えようと

お前と出会ったから始まったお前と出会った事が全ての始まり

探し求めた理想の仲間 探し求めたドラムがお前

お前が俺を変えるんだ お前が俺を変えるんだ

お前のたった一言で 俺の夢は叶うんだ

俺はお前とバンドを組んでみたい

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拓也は一気に言葉を出したせいで「はあはあ」と息を切らしていた。

拓也は言葉を出す事で精一杯で気が付かなかったが、いつの間にか相川がドラムでリズムをとっている。ラップをやめて数秒が経っても龍司は何も言わなかった。ただ、じっと拓也の方を見上げている。拓也にはこの数秒が数分。いや、それ以上に時が過ぎている様にも感じた。

拓也はただじっと龍司の返事を待った。


13


(なんなんだよこいつ…)

神崎龍司は驚きのあまり声が出なかった。なぜなら龍司が知っている拓也の歌声と今のラップの声が同一人物の声だとは思えなかったからだ。初めて拓也に会った日に聴いた歌声はまるで女性の声かと勘違いする程綺麗な透き通った声だった。しかし、今聴いた拓也のラップの声は低音の効いた激しく攻撃的な声だった。龍司はステージの上で上下に身体を動かし荒々しく呼吸を整える拓也の姿をただじっと見上げていた。相川のドラムの音だけが店内に鳴り響く。拓也の真っすぐな眼差しから目を背け龍司は下を向いた。そして、マイクを力強く握りしめ大きく息を吸った。

(おもしれぇ。バンドメンバー誘うのにラップって‥‥こんな誘い方なんて聞いた事ねぇわ)

龍司は拓也のラップに乗る事に決めた。


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昔聴いたアーティスト 憧れ焦がれたギタリスト

一人寂しくヴォーカリスト

だけど 探し求めたドラムが俺?


ってちょっと待て待ておかしいだろ

俺の演奏知らねぇくせに 聴いたこともねぇくせに

俺のドラムの腕も知らねぇくせに なんで俺を誘ってんだ?

なに仲間に誘ってんだ


俺がお前を変えるって? そんな力俺にあるわけねぇ

俺がお前を変えるんじゃねぇ お前が俺を変えてみせろ


今すぐ俺は暴れてぇ 今すぐそいつを殴りてぇ

邪魔するならお前も容赦しねぇ


お前この手とこの目じゃ勝てっこねぇって

そう思ってんだろ?なめんなよ

勝てる勝てねぇの問題じゃねぇ

俺はただ暴れてぇ 俺はただ暴れてぇだけ


この気持ちお前変えれんのかよ?

今すぐ暴れ出してぇこの気持ちお前が変えられんのかよ?


ああ?ああ?ああ?


出来るってなら

お前今すぐ俺を抑えてみろよ

お前が俺を変えてみせろよ

さあ お前が俺を変えてみろ

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拓也は龍司のラップを聴き終えるとすぐに言葉を口に出した。

「お前どうして仲も良くない奴らとバンドを続けてた?

仲が悪くなった理由あるんだろう?仲悪くても続けてた理由もあるんだろう?

仲が悪くなった理由は俺にはわからないけど、仲悪くてもバンドを辞めなかった理由は俺にもわかる。お前は俺と一緒で本当の仲間がほしいと思ってたんだろう?別にこのバンドじゃなきゃダメだって言えるバンドじゃないんだろう?」

拓也はラップではなく普通に話し出したので龍司は不意を付かれてたじろいだ。拓也は息を吸い込み今日一番の大きな声で叫んだ。

「だったら俺が本当の仲間になってやるっ!お前っ!本当の仲間が欲しいんだろーがっ!」

拓也が叫び終わると店内は全く音のない世界のように数秒間静まり返った。

そして、また拓也はラップを始めた。相川はドラムを叩くのを今の拓也の叫びで止めてしまっていたので拓也の声だけが響き渡る。


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暴力振るって人を殴って力で捩じ伏せ傷つけて

本当はお前も傷ついて

暴れた後どうせすぐ後悔すんだろ?


お前の暴れたい気持ちなんてどーでもいい

お前の演奏なんてどーでもいい

お前のドラムの腕もヘタでも上手くてもどーでもいい


俺はただ 仲間が欲しい

俺はただ 仲間が欲しい

俺はただ  本当の仲間がほしい

俺はただ 本物の仲間が欲しい

お前もそう思ってたんだろ?

ずっとそう思ってたんだろ?


じゃあ 俺がお前の本当の仲間になってやる

だから お前も俺の本当の仲間になれ

本当の仲間ってのを俺が教えてやる

だから お前も俺に教えてくれ

本当の仲間ってやつを

本物の仲間ってやつを

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「…だから……」

と言って拓也は言葉を止めて目を閉じた。

そして、ゆっくりと目を開け今度はラップではなくとても美しい声で囁くように言った。

「だから…俺の仲間にならないか?俺の仲間になってくれないか?」

その声は龍司が初めて拓也と会った時に聴いたまるで女性の声かと間違える声だった。この声は裏声を使って出しているわけではなく自然に出している声に聞こえる。

おそらくこの店内にいる全員が拓也の声色を変える特殊な能力に驚いたのだろう。龍司は店内にいる全員の顔をゆっくりと見回した。誰も何も言わずに驚いた表情を見せて拓也を見ている。赤木も西澤も相川も結衣もその友達達も。そして、あの間宮トオルでさえも驚きの表情を浮かべていたのには龍司も驚いた。

龍司自身も拓也の歌声は女性のような声だけと思っていたが、この数分で拓也の声は女性の声だけではなく低音の効いた激しく攻撃的な声も出せる事に驚いた。そして、おそらく他の歌声も持っているのだろう。

(驚いた。本当に驚いた。全く…さっきからコイツには驚かされてばかりだ……)

そして、龍司は心を決めた。

「なんだよ夢はバンドを組む事って‥」

(友達がいないのは本当に寂しくて辛い)

「笑わせんな。ふざけんな。」

(仲間がほしい。)

「そんな小さな夢なんかな‥‥‥俺が‥‥」

(俺もこいつと同じ気持ちだ)

「‥‥俺が叶えてやるからよ‥‥」

(俺はただ 本当の仲間が欲しい…)

「だから、さっさと次の夢でも見つけろや…」

「えっ?」

「俺が仲間になってやるって言ったんだっ!ちょうど…俺も本物の仲間が欲しいって思ってたとこだ。お前のバンドに入ってやる。

お前が1人目で俺が2人目のメンバー。それでいいんだろ?」

「え?あ、ああ。それでいい。それがいい!」

客席から結衣とその友達たちの拍手が鳴っていた。龍司は赤木と西澤の方を交互に見て軽い口調で言った。

「って事で邪魔したな。」

龍司は店を出ようとステージに背を向け少し歩いてから立ち止まり振り向かずに赤木達に言った。

「その…悪かったな……今まで…」

龍司はドアを開け店を出た。


14


橘拓也は呆然とステージの真ん中で突っ立っていた。

例えるならまるで好きな女の子に告白して気持ちが伝わったような不思議な感覚だった。

龍司が店を出てから結衣は大はしゃぎでステージの上に上がり放心状態の拓也の手を持ってぴょんぴょん跳ねながら嬉しそうに言った。

「拓也くんやったじゃんっ!龍ちゃんとバンド組む姿早く見たいよぉ〜。

拓也くんの声めちゃめちゃ良かったしっ!絶対龍ちゃんと組めばカッコいいバンドになるよっ。」

「あっ、ああ。ありがとう。」

結衣は友達とカウンターにいる間宮の元まで歩いて行った。

赤木と西澤は不機嫌そうな顔で楽屋に入って行きそれと入れ違いに先に楽屋に入っていた相川が楽屋から出て来て拓也に笑顔で近づき握手を求めた。

「バンド結成おめでとう。俺、お前ら二人が羨ましいよ。んじゃ、また明日学校で。」

「あっ、ああ。ありがとう。」

相川は赤木と西澤を待たず一人で店を出て行った。拓也は尚も放心状態が続いていたがふと「しまった。」と思った。

(赤木さんは高校の先輩だ。その先輩に俺はなんて生意気な事を言ったのだろう。)

その後すぐに赤木と西澤は揃って楽屋から出て来た。拓也は緊張した。赤木は帰り際ずっとステージの真ん中に突っ立っている拓也を見て足を止めた。

(ヤバい…怒ってる…そらそうか…俺は先輩達のライブの邪魔をしてしまった…どうか。どうかステージに上がって来ませんように…)

拓也が祈る様に目をつむっていると、

「お前には龍司を変えれねぇよ。」

と赤木は拓也を鋭い目つきで睨みながらステージの真ん中で突っ立っている拓也に言った。

「え?」

「あいつはすぐに客とモメる。お前がそれを止めれば止める程あいつとの仲は崩れていく。もしかしたら俺達みたいにお前も龍司がモメる度に龍司を止めるより相手を倒した方が早いと思い始めるかもな。ククッ。」

「それが…先輩が客とモメるようになった理由って事ですか?」

「ああ。そうさ。あいつのせいで俺達はそうなった。」

「それは…先輩が龍司をちゃんと止めれなかったからじゃないんですか?」

「今にわかる。お前だって一緒さ。お前にはあいつを止めれねぇよ。あいつをバンドに誘った事を後悔する時が来る。必ずな。これは俺からのアドバイスだ。これからメンバーを増やしてバンドを続けていきたいのなら龍司を切れ。あいつはバンドのお荷物になる。」

そう言い捨てて赤木は西澤と共に店を出て行った。

(違う。俺はあんた達とは違う。)


15


「拓也くーん。いつまでステージの上にいるの?早くこっちこっち。」

結衣の友達はもう帰ったみたいで店内には拓也と結衣と間宮だけになっていた。

結衣はカウンター席に座りカウンターの中にいる間宮と何か話している。拓也が二人に近づき何を話しているのか気になったが、先に間宮が拓也に話しかけてきた。

「さっきのラップ良かったぜ。まさかラップで龍司を止めるとは思わなかったけどな。」

間宮にそう言われると拓也は心から嬉しそうに笑った。

「そうだ。拓也LINE交換しとくか。バイトの確認でいちいち電話するのも面倒だし。お前も授業中に連絡あっても困るだろ。」

「ああ。はい。ちなみに明日は祝日の前日ですけど店は開けないんですか?」

「ああ。月曜日に店を開けた事はないから月曜日が祝日の前日でもバイトはなしな。」

「オッケーです。29日は祝日ですけどバイトは入らなくても大丈夫なんですか?」

「ああ。それも大丈夫だ。」

拓也と間宮がLINEの交換をしていると隣から結衣が写真を見せながら言った。

「ほ〜ら。これ見て。」

そこには桜並木をバックに金髪の男と赤髪の男が会話をしている姿が写っている。

「これは?」

「若かりし頃のトオルさんとベースの吉田さんだって。金髪の方がトオルさんで吉田さんが赤い髪の方だって。まるで拓也くんと龍ちゃんみたいだよね。」

拓也は結衣の隣の席に座りながら言った。

「知らなかった。トオルさん金髪だったんですか?」

「まあな。今の龍司ぐらいの金髪だったな。吉田は拓也よりもっと赤い髪にしてたな。」

「でも、俺が持ってるアルバムには…あっ。そうか…白黒写真しか載ってなかったな…」

「お前…白黒でも俺が黒髪ではないのはわかるだろ?吉田の赤髪は白黒写真ではわからないだろうけど。」

「でも、どうして結衣ちゃんがこの写真を見せてもらう事になったの?」

「拓也くんが赤木さんと話してる間ねトオルさんが言ったの。

さっきの龍司と拓也を見てたら昔の自分を思い出したって。それはどうしてですかって聞いたら昔トオルさんも金髪に染めてたしベースの吉田さんも真っ赤に染めてたって。それで何か証拠はないんですか〜?って聞いたのよ。それでこの写真を見せて頂いたってわけでございます。」

「ここからお前ら二人を見てたら昔の吉田と自分を遠目で見ているみたいな感覚になったよ。

昔の俺達と同じ髪色だったし。まあ、吉田はラップなんて出来なかったけど声質が女の子みたいな感じだったしな。」

「吉田さんも拓也くんみたいな女性の声で歌えたんですか?」

「まさか。それならボーカルになってただろうよ。女性の声には近かったけど本当の女性の声ではなかった。さっきの拓也の女性の声とは比べ物にならないよ。なんていうかな…裏声で女性の声に近づけて歌ってるみたいな感じかな?コーラスで女性の声っぽいものがCDにも入ってるはずだ。」

CDを聴いた事がある拓也にはすぐにピンときた。

「あのコーラス吉田さんなんですね。」

「吉田はボーカルになるつもりはなかったけど歌うのが好きでな。高校時代はすぐそこの河川敷で二人でよく歌ってた。」

「えっ!そーだったんですか?拓也くんと龍ちゃんが会ったのもそこの河川敷よね?

拓也くんが一人で歌ってたから龍ちゃんが声かけたらしいんです。」

「恥ずかしいから一人で歌ってた事は言わなくても良かったんじゃないか?」

「いーじゃん。あんな綺麗な声で歌ってたんなら龍ちゃんが声をかけるのもわかるよ。結衣がその場にいても声かけたと思う。」

「そーか。お前ら二人もそこの河川敷で。不思議なものだな。そもそも俺と吉田が出会ったのもそこの河川敷だったんだ。高校は西高で一緒だったんだけど、学年が違うのもあってお互い知らなかったんだけど、あいつ河川敷で一人で歌ってたんだよ。それで俺が声をかけたんだ。」

「えっ!?」

拓也と結衣は同時に声を出して驚いた。

「すっごいっ!拓也くんと龍ちゃんの出会い方と全く一緒じゃないっ!」

「それでトオルさんは吉田さんとすぐバンドを組んだんですか?」

拓也は興奮気味に体を前のめりにして質問をしていた。

「いや、その時、吉田は違うバンドを組んでたし、俺も違うバンドを組んでた。いろいろあって吉田は俺のバンドに入ったんだ。」

「へぇ〜。高校時代はサザンクロスとは別のバンドだったんですね。知らなかったな。

てか、トオルさんは吉田さんと仲良かったんですね。」

と拓也は言ってから後悔をした。

(しまった…サザンクロスは仲が悪いんだった…)

しかし、間宮は「そうだな。最初の頃は」と前置きをしてから話した。

「吉田とは年齢も近かったし話しやすいキャラだったからな。ボーカルの相沢とドラムの奥田は3つ上だからそれなりに気を使ったよ。」

「サザンクロスってみんな同い年だと思ってました。」

「だろうな。ちなみに吉田は俺の1コ上な。」

「トオルさんが一番年下だったんですね。知らなかったなー。」

「で、この写真は誰が撮られたんですか?」

拓也がなんとなく聞けなかった質問を結衣がしたので拓也はびっくりして驚きの表情で結衣の顔を見た。

(結衣ちゃん。それを聞くのか?)

拓也は恐る恐る間宮の表情を伺うと間宮はとても優しい顔をしていた。

「この写真を撮ったのはひかりだよ。相沢ひかり。君知ってるんだろ?」

「あっ。はい。」

(やっぱりか。なんとなくそうかなと思って聞けなかった。けど、今のトオルさんの表情を見る限りきっとこの頃はトオルさんにとっていい思い出しかない時期だったのかもしれない。)

「ところで結衣ちゃんだったっけ。名前?」

「はい。そうですけど。なにか?」

「いや、ひかりがルナでバイトしてた時もゆいって名前の子が一緒にバイトしてたな〜と思い出してさ。」

「えっ!?」

とまた拓也と結衣は同時に声を出して驚いた。

「ひかりさんってうちでバイトしてたんですか!?」

「知らなかったのか?」

「ぜんぜん知らなかった…新治郎の奴肝心な事は言わないんだからっ!」

「マスターからそれも聞いてるもんだと思ってたよ。色々俺の事聞いてたみたいだし。」

「……。」

その言葉には拓也も結衣も顔を下に向けて黙っていた。結衣は話をそらす為に写真の話題に戻した。

「この写真、写真立てにでも入れて大事に飾ってあげなきゃですね。」

「そうだな。そうしよう。」


     *


菜々子はこの日の日記に貼られた写真を見る。

1枚目は桜がとても綺麗に写った景色。

2枚目は赤髪の男性の後ろ姿。

3枚目は赤髪の男性と金髪の男性が会話をしている姿。

他にも沢山の写真が丁寧に切り取られ日記と共に貼られている。



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今、想う


3月29日


もう10時30分。起きるのが少し遅かった。

外は良いお天気。写真日和。

30分で身支度を済ませて朝食を食べずに外に出る。

カメラを首からぶら下げて自転車にまたがる。

今日の目的は河川敷の桜をカメラに収める事ただ一つ。

自転車で走り出した数分後にはお腹がすく…

やっぱり朝食を食べてから出て来たら良かったと少し後悔。

喫茶「ルナ」に寄ってお店の定番ルナドッグ(ウインナードッグの豪華版みたいな感じ)とホットコーヒーを注文。

座る席はこのお店で唯一外が見えるテーブル席。

マスターがコーヒーを淹れる姿にファインダーを向ける。

パシャリとシャッターを切る。

次に店内をパシャリ。

窓から見える外の景色をパシャリ。

ルナドッグとホットコーヒーが届くとパシャリ。

朝食にしては遅く昼食としてはちょっと早い食事を終える。

カメラを首にぶら下げるともう行くのか?とマスターに引き止められた。

マスターと少しだけ話して出るつもりがついつい話こんでしまった。

お店を出たのは12時30分。

それから近くの河川敷に向かった。

たくさんの桜が咲いていて本当に綺麗だった。

家族連れが多く子供の声がたくさん聞こえてくる。

みんな幸せそうだ。

河川敷の桜を見ながら自転車を押して少し歩く。立ち止まって桜をパシャリ。また少し歩く。また立ち止まって桜をパシャリ。それを何度か繰り返していると綺麗な歌声が近くから聴こえてきた。

歌っている人の姿を探すとすぐに見つけられた。その人は私がいる場所から緩やかな坂を降りた茂みの中にいた。

「綺麗な歌声。」

ついつい声が出ちゃった。

歌っている人の背中にカメラを向ける。

パシャリ。

ファインダー越しに歌を聴いていると、歌っている人の後ろから金髪の男の人が急に出て来た。

金髪の人は寝そべっていたみたいでこちらからは見えなかったみたい。

金髪の人は立ち上がったと思いきやその場に座り込んだ。

歌が終わった。

歌っていた人はびっくりした様子で後ろを振り向いた。

どうやら赤髪の人も後ろに金髪の人が座っているのに気付いていなかったみたい。

その赤髪の人の顔を見て

「ウソ…」

とまた声が出てしまった。

綺麗な歌声だったから女性が歌っていると思っていた私は赤髪の人が男性だった事にビックリした。

しばらくの間、私は二人の様子をずっとファインダー越しに見ていた。

何か話しているみたいだけど話し声までは聞こえてこない。

金髪の人が立ち上がる。

パシャリ。

なぜか私は二人が会話をしている姿を写真に収めてその場を後にした。


今日はとっても美味しいものを食べて、とっても綺麗な景色を見て、とっても良い歌声を聴いた。

そんな一日でした。

そんな幸せな一日でした。



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菜々子は涙を流しながら微笑んだ。

「そう…この日。この時。この場所で出会ったの…」

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