Episode 3 -過去 2013夏-
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2013年8月10日(土)
夏休みに入って相沢ひな達高校生バンドの4名は話し合いに話し合いを重ねた結果『柴犬』というバンド名を名付けた。名前の由来はまず、ひなが柴犬を飼っていた事と全員が犬好きだったという事だった。ひな達の当面の目標は去年大失敗した文化祭でリベンジを果たす事だった。ライブ活動は文化祭が無事成功してからやっていきたいと強くひなが望んだからだ。
夏休み期間中は出来るだけバンド練習をする予定で、この日も4人で音楽スタジオを借りて練習をしていた。その休憩時に遥が言った。
「春に体育館前で演奏したじゃないですか。」
遥が一体誰に向けて言った言葉なのかわからず、ひなが遥の方を見ると遥はまっすぐひなの顔を見ていて自分に向けて掛けられた言葉なのだとひなはそこで気が付いた。
「あ、ああ。うん。」
「そん時、下校途中やったうちのクラスの男子が私達の演奏見てたらしいんです。」
遥が何を言おうとしているのかわからなかったひなは、はあ。とだけ答えた。
「そいつ。昔っからバンド組む事が夢らしくてバンド募集してるんなら仲間に入れて欲しいって言ってるんですけど。どうします?」
「どうしますって遥あんた断りぃや。」
と茜が会話に入ってきたが、ひなは、
「いや、ちょっと待って。その子。楽器は?」
と興味津々に聞いた。
「ちょっとひな。もうバンドメンバーは4人でええやろう?」
「まあ、そうなんやけど、もう一人ギターかピアノ出来る人がいたらええなとは思ってたんや。」
「遥?そのクラスメイトは楽器何が出来るんや?」
「ちょっと。斉藤まで…」
「…言いにくいんスけど……」
と言って遥は次の言葉を発しなかった。
「何が言いにくいねん。はよ言ってみ。」
「言いにくいんスけど…ボーカル…」
「はい。却下。」
ひなは冷たく遥にそう言った。遥は、ですよねぇ〜。と笑っていたのだが練習が終って4人が会話をしながらくつろいでいると、「失礼します。」と言って勝手にスタジオに入って来た人物がいた。遥以外の3人はその人物の事を知らなくて急にやって来たその人物の顔を驚いた表情で見ていた。
「あ、紹介しますぅ。さっき話してた同じクラスの橘拓也君でぇす。」
遥に紹介された拓也は黒髪をポリポリと掻きながら自己紹介を始めた。
「今日バンドの見学に来た1年1組橘拓也です。よろしくお願いします。」
「……」
「……え?」
「……どういう事?」
ひな達3人は遥と拓也の方を交互に見ながら戸惑った。
「今さっきウチ却下した子やんな?」
「そうでぇす。でも、却下する前にこの時間にスタジオ来てって言ってしまってたんで。」
(…こういう所がある…そう…はるカンにはこういう所があるんや…)
この4ヶ月程の付き合いだけだが遥にはこういう天真爛漫というか何を考えているのかわからないというかそんな部分が多々ある。遥はいつもひょうひょうとしていてつかみ所がないのだ。
ひなは長い髪をかきあげ頭をモシャモシャと掻いてから早口で拓也に告げた。
「バンド練習はさっき終った。ギターかピアノが出来るんやったらバンドに入れたるけど、ボーカルをどうしてもやりたいんやったら他あたってや。」
「え?あ、あ、はい…でも、あのう…」
「なんや。はっきり言い。」
「堀川さんにバンド練習見に来ても良いよって言われて…今日は見学に来たんですけども…」
ひなは遥を睨んだが遥は悪気もなくニコニコとしている。
(…全く…はるカンはどういう風に伝えたんや…)
「まさかとは思うけどバンドに入れるって聞いてへんやろな!?」
「あ、入れるって伺ってます。俺、相沢先輩の歌声に感動して…同じバンドに入れると思ったら嬉しくて嬉しくて…」
ひなは頭を激しく掻きながら唸った。
「ごめん。ひな先輩。橘君バンド入れるもんやと思ってつい…」
「つい、ちゃうわっ!アホかぁー!」
遥は、ひぃぃーーと悲鳴を上げた。
「バンドメンバーにはなれへんけど俺らの練習だけでも見て行くか?」
と斉藤が言うと拓也は残念そうな表情を浮かべたがバンドに入れない事を納得したらしく何度も黒髪を縦に揺らしながら、是非お願いします。と言った。
「練習はもう終った。」
とひなが冷たく言うと拓也は、
「そんなぁ…体育館前で歌ってた時のひな先輩の歌声感動したから是非1曲だけでも聴かせてほしいです。」
と食い下がってきた。ひなが返事をしようとしても拓也はテンションが上がっているのか、「ひな先輩ってどれくらい音域あるんですか。」だとか、「ホイッスルボイスには驚きました。どうやったらあんな笛の音のような声が出せるんですか。」と質問攻めでひなが話し出せるチャンスがなかった。ひなは拓也の会話を止める為に強引に全然関係ない事を聞いた。
「てか、あんた。さっきから気になってたんやけど、いきなりひな先輩って馴れ馴れしいねん。ほんでなんでずっと標準語やねん?」
「ひな先輩って私が言ってたから影響されたんやと思う。ほんで橘君は転校を繰り返してて子供の頃関東に長く住んでたから標準語が普通らしいねん。」
と拓也のかわりに遥が答えた後、「いろんな所に引っ越してるんやんな?」と拓也本人に尋ねていた。
詳しく聞くと拓也は中学1年の時にあるCDを聴いてバンド活動をする事が夢となったらしいが転校を繰り返す拓也にとってはそんな小さな夢もなかなか叶えられず高校生になってしまったらしい。
「で、あるCDって?」
ひなも気になった質問を茜がした。
「サザンクロスっていう名前のバンドです。俺、中1の時に彼らのCDを聴いて凄く好きになって憧れてファンになったんです。」
興奮気味に語る拓也とは対照的に遥達は顔を捻っている。
「サザンクロス??」
「誰それ?」
「知らんなぁ。」
まさかここでサザンクロスの名前を聞くとは思っていなかったひなは大層驚いた。
拓也は残念そうに「ですよね。知らないですよね。」と俯きながら言ったが、ひなはつい、「サザンクロスか」と口に出してしまった。
「ひな先輩…サザンクロス知ってるんですか?」
「え?あ、ああ。知ってる。」
拓也は目を輝かせながらひなの真ん前まで近寄って来て言った。
「親以外で初めてサザンクロスを知ってる人に会いました!」
(ヤバっ。こいつめっちゃサザンクロスのファンやんか。父親がサザンクロスの相沢裕紀なんて言うたらこいつオトンに会わせてくれ言うて家まで付いてきそうや…)
「な、名前知ってる程度やし詳しくは知らん。」
ひなは父親がプロのミュージシャンをやっていたという事は誰にも伝えていない。プロのミュージシャンで昔はテレビにも出ていた男が今は大阪で小さな楽器店を営んでいるという事実を誰かに言うのが恥ずかしかったからだ。だけど今でもサザンクロスの相沢裕紀がやっている店だと知ってわざわざ関西以外から遠路はるばる楽器店まで足を運んで来る人物が時々いる。音楽をやっていない今の父親を見られるのはひなにとって恥ずかしい事だがサザンクロスを好きだった人達にはそんな事は関係がないらしい。
「そうなんですね。でもサザンクロスの事知ってる人と出会えて嬉しいです。今まで転校した先でサザンクロスの事を知ってる人いなかったんで…」
(そらそうや。サザンクロスは1曲しか売れてへんねん。しかもウチらが産まれる前に解散したんやからこの世代で知ってる奴なんかほとんどいいひんわ。てか、さっさとサザンクロスの話を終らせなあかん…)
「はい。はい。じゃあ、トークはおしまい。一曲聴いたらさっさと帰ってな。」
「え?ひな先輩歌ってくれるんですか!?見学しても良いんですか?」
「一曲だけや。バンドには入れへんで。」
「ありがとうございます。」
この日から拓也はひなに懐いてしまい、ちょくちょく柴犬の練習に顔を出すようになった。




