Episode 15 ―雪―
1
2014年12月22日(月)7時
姫川真希は目覚まし時計を止めてスマホに手をやった。起きてすぐスマホを見る事は普段はしない。しかし、この日は何故か自然とスマホを手に持っていた。すぐに春人からグループLINEが来ている事に気が付いた。布団の中で寝ぼけ眼のまま春人の書いた文章を読んで真希は一気に眠気が覚めた。
「嘘でしょ。」
布団から飛び起きた真希は春人に、電話をしてもいい?と返信をした。春人の返信は1分後には返って来たが真希にはその1分間がとても長く感じてそわそわとしていた。春人との電話が終って真希は1階のリビングへと駆け下りた。リビングでは浩一と礼子がテーブルに腰掛けて朝食を食べている。
「どうしたの真希?朝からそんなに慌てた顔して。」
「雪乃が…」
「長谷川雪乃がどうかしたのか?」
浩一はコップを持った手を止めて真希に聞いた。真希の声は震えている。
「昨日のライブの帰り…雪乃が事故にあった…」
「そんな…」
礼子の顔が引きつった。浩一はコップを置いて立ち上がった。
「雪乃は大丈夫なのか?」
「しゅ、手術は上手くいったって…でも……」
*
神崎龍司が目を覚ましたのは7時45分頃だった。朝食をゆっくり食べて学生服に着替えたところでやっとスマホを確認してグループLINEがたくさん届いている事にそこでやっと気が付いた。
最初の春人が送って来たLINEの時刻は6時30分。一番に返信したのは真希で時刻は7時ちょうど。真希と春人のやり取りの後、7時30分に拓也が返信している。その文章を龍司は上から順番に読んでいった。
-昨日の午後11時30分ライブ後の雪乃が事故にあった。スピードを出して走っていたトラックが雪でスリップして歩道を歩いていた雪乃を巻き込んだみたいだ。雪乃は今、結城総合病院にいる。手術は上手くいって命に別状はないらしいが、麻酔が効いていてまだ目を覚ましていない。-
-春人電話してもいい?-
-ああ。-
真希と春人がどんな会話をその時したのかはこのLINEではわからない。
-雪乃が事故?雪乃は大丈夫なんだよな?--
-拓也。今日学校休める?さっき春人と電話で話し合ったんだけど、私と春人は今日学校休もうと思う。拓也も龍司も会って話し出来るかな?-
-俺は構わないよ。結城総合病院に向かえばいいんだよな?-
-いや、ルナにしよう。ヒメもいいよね?-
-そうね。ルナにしましょう。拓也もいいよね?-
-わかった。今から向かう。龍司はまだ寝てるみたいだけど大丈夫だろう。-
拓也が最後にLINEを送ってから15分が経っている。龍司は急いでLINEを返した。
-すまない。スマホ見てなかった。俺もルナに向かう。雪乃意識が戻らないだけで大丈夫なんだよな?命に別状ないって書いてあるもんな?-
LINEに既読3と表示されてしばらくしてから真希が返信をしてきた。
-会ってから話す。-
なんだよ。今言えよ。気になってしょーがねーだろ。LINEじゃ書けねぇ事なのかよ?
と文章に書き込んでから龍司は送信ボタンを押そうとした手を止めた。
(LINEじゃ書けねぇ事だから真希は直接会おうって言ってんだよな…しかし…どうしてルナなんだ?どうして雪乃の見舞いに行こうとは書かなかったんだ?嫌な予感しかしねぇな…)
龍司は一度書いた文章を消してスマホを鞄に放り投げてルナへと向かった。
*
橘拓也は今日学校に行く気は全くなかった。しかし、何故か無意識に学ランを来てルナへと向かっている自分がいた。ルナにはもう真希達が着いているだろうと思いながら入ったのだが、まだ誰も店には着いていなかった。カウンター席には先に座っている客がいた為、拓也は窓のある4人席に座った。
「なんだ学校はサボるのか?」
新治郎が水を持って来ながら拓也に聞いた。拓也は昨日雪乃が事故に遭った事を新治郎に話し、これから真希達とここで待ち合わせしている事を話した。
「交通事故…か。」
新治郎はそう言って少し黙り込んだ。拓也はなかなか戻ろうとしない新治郎の様子を黙って見ていた。数秒の沈黙の後、新治郎は、「俺の娘も昔交通事故に遭ってな…」と言った。「え?」と拓也は驚いた眼差しを新治郎に向けた。
「車同士の衝突事故だった。」
「……」
「その事故で亡くなったよ。旦那と一緒にな。」
「……」
「小さな結衣を残してなにやってんだって思ったけど、相手が居眠り運転で突っ込んで来たらしくてな…被害者側はいくら気を付けて運転してても避けようがねーよな。」
「……」
「結衣に両親がいない事。もしかして聞いてなかったのか?」
「あ、はい。初耳です。」
「そうか。結衣はいつも明るくしているが、あいつは親の愛情ってものを知らない…」
「…そうだったんですね…」
「あ…すまない…つい関係のない事を話してしまった。しかし…雪乃は命に別状はないんだな?」
「はい。そう聞いてます。意識はまだ回復していないみたいですけど。」
新治郎は、避けようがないよなぁ。と言いいながらカウンターの中へと戻っていた。拓也は一人LINEのやり取りを見返していた。
(11時30分といえば真希とみなみと3人で帰っていた頃だ…あの時…確かパトカーと救急車のサイレンが鳴り響いていた…あの時のサイレンが雪乃の事故のものだったんだ…)
「あれ?俺が2番か。」
龍司はそう言って店に入って来たかと思うとすぐに水を真希と春人の分も取りに行って席に着いた。龍司が拓也の向かいの席に座りながら、「しかし、雪乃無事で良かったな。」と言った。拓也が、「ああ。」と答えた時、真希と春人が一緒に店に入って来た。春人は拓也の横に座り真希は龍司の横に座った。2人とも真剣な顔つきだったのが拓也を不安にさせた。
「雪乃…危険な状態なのか?」
「LINEでも言った様に命に別状はない。」
「でもまだ目を覚ましてないんだろう?」
「それは大丈夫よ。麻酔が効いているだけだから…」
拓也は真希が言ったそれはという言葉に違和感を感じた。
「明後日の柴咲交響楽団のクリスマス・イヴコンサートには間に合わねぇってわけか…それは…俺らの責任だよな…どう責任を取ればいいんだろうな…」
龍司がそう言うと真希は何故か項垂れた。注文を頼んでいない4人に新治郎が、何にする?と注文を聞きに来ると龍司は、ホットでいいよな?とみんなに聞いた後、ホットを4人分新治郎に注文をした。
「雪乃の事故は私達のせいよね…私…暁とエンジェルのライブ日が被ったとわかった時、両方のライブを中止にすればよかった…雪乃の事故は私の判断ミスよ…」
「な、なに言ってんだよ。そんな大げさな…雪乃は命に別状はねーんだろ?雪乃は真希のせいで事故に遭ったわけじゃ…」
「私のせいよ。」
「いや、真希だけのせいじゃない。俺達のせいだ。俺達が雪乃を巻き込んだんだ。」
「ハル?真希もどういう事だよ?雪乃は事故に遭ったけど命に別状はないんだろう?大丈夫なんだろう?」
「俺も龍司も雪乃が命に別状がなかったって聞いて安心してる。何か違うのか?」
龍司と拓也が質問をしたところで新治郎が4人分のホットコーヒーを持って来てくれたがすぐにカウンターに戻って行った。拓也達が真剣な話しをしていた為気を使ってくれたのだろう。
カップを両手で持ちながら真希が言った言葉に拓也と龍司は驚き2人とも動揺を隠しきれなかった。
雪乃が目を覚ましたのはこの日の夜の事だ。
2
2014年12月22日(月)22時
長谷川雪乃が目を覚ますとまず高い天井が見えた。
(ここ…どこだろう…?)
横に顔を向けようとしても動かない。必死に目だけを動かして周囲を確認してここが病院なのだと理解した。そして、顔が動かないのは首が固定されているからなのだとわかった。雪乃は目だけを動かして横に母の蘭が椅子に座って眠っているのだとなんとなくわかった。
「お、かあさ…ん…」
自分でもびっくりするぐらい声が上手く出なかった。腕を伸ばそうとしても何故かちゃんと動かない。意識も朦朧としているがもう一度蘭に声を掛けた時、蘭は目を開けた。
「雪乃?雪乃?目を覚ましたの?よかった。よかった。」
蘭は目に涙をためながらそう言った時、ドアが開く音がして父友一の声が聞こえた。
「目を覚ましたのか?」
「ええ。」
「そうか。よかった。先生を呼んで来る。」
「お願いします。」
「おか、あさん…わたし…どうして、びょういんに…いるの?」
「覚えてないの?昨日のライブの帰りにあなた事故に遭ったのよ。」
「…らいぶ?…じこ?」
「雪でスリップして来たトラックとぶつかったのよ。」
「…うぅん。」
「昨日の事覚えてないのね?」
「…うん。えんじぇる…での、らいぶ…おわったの?」
「終ったのよ。その帰りに事故に遭ったの。」
「…うぅん。」
雪乃は昨日の事を思い出せなかった。全く記憶にない。思い出そうとすれば頭が痛くなって頭を抱えようとしたが腕が上手く動かなかった。ドアが開く音がして誰かが友一と一緒に入って来る気配を感じた。眼鏡を掛けた医師が雪乃の顔を覗き込みながら言った。
「雪乃さん。気が付いたんだね?」
「…うん。」
「昨日のライブ素晴らしかったよ。」
雪乃は医師の顔を見ても誰なのかわからなかった。雪乃が黙っていると蘭が医師に言った。
「この子。昨日のライブの記憶や事故の記憶がないみたいなんです。」
「そうですか。じゃあ、私の顔を見てもぴんと来なかったかな?私は春人の父でこの病院の院長の結城正です。」
正は優しそうに笑ったが鋭い目は笑っていないと雪乃は感じた。
「…はると…くんのおとうさん?」
「そうだよ。昨日ファーストステージだけだけど君たちの演奏を聴かせてもらっていたんだよ。そうそう。ライブが始まる前挨拶はしていなかったが会ったの覚えていないかな?」
「…うぅん。」
思い出そうとすると頭が割れる様に痛くなった。さっきと同じ様に腕を伸ばして頭を触ろうとした。今回は腕は動いたが上手く頭の方に腕が動かす事が出来なかった。自分では右腕を動かしているつもりが実際は左腕が動いている。そんな感覚だった。
「ごめん。ごめん。無理に思い出さなくていいんだよ。」
「…せ、んせい?」
「なにかな?」
「からだが、うまく、うごかないの…」
「昨日の事故で首の骨を骨折してね。7時間にも及ぶ手術をしたんだ。疲れているだろう。今日はゆっくり休みなさい。いいね?」
「……はぁい。」
(そっか…疲れているから上手く体が動かないのか…)
正が病室を出ると蘭が声を殺しながら泣き始めた。少しだけ友一の顔が見えた。とても悲しそうな表情を浮かべていた。友一が蘭の肩に手を置いて横の椅子に腰を下ろす姿が雪乃には想像出来た。
(どうしてお母さんは泣いているの?どうしてお父さんは悲しそうな顔をしているの?どうして?)
3
2014年12月23日(火)12時
雪乃が目を覚ましたと春人からグループLINEで連絡が入った。姫川真希は学校が終ったら病院に向かうとメッセージを送った。拓也達3人も学校が終り次第病院へ向かうと返信をしてきた。昨日は路上ライブをやっていない。今日もおそらくやらないだろう。路上ライブを楽しみに待ってくれている人がいるのかもしれない。突然路上ライブをやらなくなって心配してくれる人も中にはいるのかもしれない。だけど、もしかしたらこのままライブ活動はやらなくなるのではないだろうかと真希は思った。そして、こんな時にライブ活動の事を考えた自分が嫌になった。
(今は路上ライブやバンド活動の事なんてどうでもいいだろ。雪乃の事を一番に考えるんだ。)
(雪乃は首の骨を折った事は聞かされたのだろうか?それを知って雪乃は首の骨を折るという事の本当の意味を理解しているのだろうか?)
『頸椎損傷。雪乃はもうピアノを弾くどころか歩く事も出来ないかもしれない。』
昨日の朝、電話越しに言った春人の言葉が蘇った。
『かもしれない?』
頸椎損傷と聞いて真希は雪乃はもう二度とピアノを弾く事も歩く事も出来なくなると思った。だけど、春人はかもしれないと言った。真希は雪乃がこれからどうなってしまうのかをはっきりと言葉にして欲しかった。それを春人に告げると春人は言い直した。
『雪乃は…今後…ピアノは弾けない体になってしまった。車椅子生活になるだろう…』
私のせいだ――真希はそう思った。
(ライブが終った後、雪乃を一人で帰らさずに送って行けばこんな事故に遭う事はなかった…いや、タクシーを呼んで雪乃に乗って帰らせれば…いや、エンジェルのライブを断っていれば…いや…そもそも…雪乃をバンドに誘わなければ…雪乃は事故に遭う事はなかった…私が…雪乃の人生を狂わせ壊してしまったんだ…)
*
午後6時。真希達4人は結城総合病院に集合し無言のまま雪乃がいる病室に向かった。
コンコンとノックをして真希を先頭に病室のドアを開けると雪乃の大きな声が真っ先に聞こえて来た。
「違う違う違う違う!違うっ!!こんなの私の手じゃないっ!返してよ!私の手返してよ!返せ!返せ返せ返せ!上手く動かない私の手を!上手く動かない足を!返せー!!」
「雪乃。落ち着いて。」
「どうして?どうしてどうしてどうして?どうして動かないの?手も足もちゃんと動かない。
動かない動かない動かない!どうして?どうして?どうして?動けよ!私の腕!足!動けぇー!!」
こんなに取り乱した雪乃の姿を今まで見た事がない。真希は俯き、この場から逃げ出したくなった。雪乃は、お願い…返してよ…私の手を…足を…と弱々しく言ったかと思うとまた急に叫び始めた。
「返せ!返せ返せ返せ!私の手を!足を!」
真希は雪乃の近くに寄る事も出来ず、ただ混乱し雪乃の様子を見続ける事しか出来なかった。
「3日前に戻してよ…そうしたら私…ライブになんか行かないから…お願い神様…時間を少しだけ戻して…たった3日だけでいいの…」
雪乃は小さな声でそう言った。真希は涙が止まらなくなった。
「ほら。雪乃。友達がお見舞いに来てくれたわよ。」
真希達の姿に気付いた雪乃の母が言った。しかし、雪乃の母は真希達のそれぞれ違う制服を着ている姿を見て驚いた。
「あなたたち…まさか…」
病室に入って初めて雪乃と目が合った。その瞬間雪乃はさっきよりも大声で叫び出した。
「お前らのせいだっ!お前らのせいでこんな体になったんだっ!この体戻してよ。ねぇ?戻せ!戻せ!戻せ!私の体…返せ!返せ!返せー!!」
雪乃は怒りの目を真希に向けている。
「雪乃。落ち着きなさい。」
雪乃の母が雪乃を止めても雪乃はまるで狂ったように、返せ返せと何度も言っていた。
「あなた達ちょっと病室を出てもらっていい?」
雪乃の母が言う通り真希達は病室を出ようとしたが雪乃の叫ぶ声は止まなかった。
「お前らの顔なんて二度と見たくないっ!さっさと出て行けっ!」
真希はその叫び声を聞いて声を出して泣き始めてしまった。
病室を出ると拓也達が真希に声を掛けてくれる。きっと拓也も龍司も春人も自分と同じくらいショックを受けている。だけど拓也達は真希を心配してくれた。
しばらくして病室のドアが開き雪乃の母が出て来た。
「雪乃の母の長谷川蘭です。ここじゃなんだからちょっといいかな?」
真希達4人が蘭の後に付いて待合室に向かっていると病室に向かおうとしていた雪乃の父友一と出会った。軽く挨拶をして友一を含めた6人は待合室に入った。雪乃の両親と向かい合う形で真希達4人は一列に座った。
「あの子…両手も両足も上手く動かないの…これからリハビリをするけど、リハビリでどこまで良くなるかはわからない…雪乃は…あの子はまだそれを受け入れられてないの…あなた達の事をずっと悪く言ってたわ。」
蘭は涙ながらにそう言った。
「さっき…雪乃が言った通りです…雪乃が事故に遭ったのは私達のせいです…」
「どうして…あの子をバンドなんかに誘ったの?あの子はピアノの先生になるのが夢だったのよ。あの子がバンド活動なんてする意味なんてなかったでしょうに…」
真希達は謝る事しか出来なかった。
「そう…あの子はピアノの先生になるのが夢だった。だけど…私達は雪乃が有名なピアニストになると信じてた…あの子にはそれだけの才能があったの。あなた達も気付いていたんでしょう?」
真希は頷いた。友一は蘭に、落ち着きなさい。と言っているが蘭は言葉を続けた。
「あの子にはピアノしかないの。他の事は何も出来ない子なの。人と上手くコミュニケーションが取れない子なの。音楽しかあの子にはないの…それなのに…それまでも奪われるなんて……あの子の将来……あなた達が奪ったのよ!」
その言葉は真希の心に突き刺さった。真希は俯き顔を上げる事が出来なくなってしまった。
「あなた達が雪乃を殺したのよ…」
「蘭!なんて事を言うんだ!」
「だってそうでしょう?雪乃はもう死んだも同然なのよ…」
「そんな事を言うな。雪乃は死んでいない。生きてくれているんだ。」
「…そうね。生きてる。死ぬよりも残酷な運命をこれから雪乃は生きて行く事になるの…」
「蘭!いい加減にしなさい!この子達は雪乃の数少ない友達なんだ!仲間なんだぞ!そんな大事な人達に向かってお前はなんて事を言うんだっ!雪乃がバンドに入ったと仲間と呼べる人達が初めて出来たと嬉しそうに言っていた雪乃の顔を忘れたのか?嬉しそうにそう言ってたじゃないか!」
それから蘭は何も話さなくなった。話さなくなったというより泣き崩れてしまい話せなくなってしまったというのが正しいのだろう。それから長い沈黙が続いた。
「トラックを運転していた男を私は一生許す事はしないだろう。」
と、友一が静かな声で話し始めた。
「雪が積もっているにも関わらず運転手はスピードを出していた。だけどね。トラックを運転していた男は今年高校を卒業したばかりの子だった。まだ19歳だよ。雪乃と一つしか年齢が変わらないんだ…事故を目撃した人が教えてくれたよ。その子はずっと泣きながら雪乃に謝っていた、と。それを聞いて私も妻もその男を許した訳ではないが、どこに怒りを持っていけばいいのかわからなくなったんだ。だから妻は雪乃が悪口を言う君達に怒りをぶつけてしまったのだと思う。すまなかったね。
雪乃が事故に遭ったのは君たちのせいなんかじゃない。トラックを運転していた男のせいだ。それは私も妻もわかっているんだよ。だけど…誰かに怒りをぶつけないと潰れてしまいそうなんだよ…この怒りをどこに持っていけばいいのかがわからないんだよ…」
友一は苦しそうにそう言って蘭を席から立たせた。
「妻がひどい事を言った。すまなかった。雪乃もひどい事を君たちに言ったのかもしれないが…今の雪乃は本来の雪乃じゃない事だけはわかってあげてほしい。」
友一は深く頭を下げた。真希は雪乃の両親が去って行こうとした時やっと顔を上げる事が出来た。
「また雪乃に会いに来ます。」
一瞬、蘭は立ち止まったかの様に見えたが、振り返る事もなく友一に支えられながらふらふらと去って行った。
4
2014年12月24日(水)18時
昨日病院を出た後、真希は3人に言った。
『明日からは私一人で雪乃に会いに行くよ。』
『どうして真希一人なんだよ?俺達も一緒に行く。』
『ぞろぞろと4人で行っても仕方ないでしょ。それに雪乃は今私達に拒否反応を示してる。4人で行ったら雪乃を刺激させるだけよ。私一人で行った方が雪乃は会ってくれるようになるかもしれない。』
『ヒメ?雪乃が事故に遭ったのはヒメだけのせいじゃない。俺にも責任がある。』
『…私が最初に雪乃をバンドに加えたいって言ったの。バンドにさえ入らなければ雪乃は今頃元気なままだった。』
『違うよ。そんな事を言い出したら俺も雪乃がバンドに加わってくれる事を望んだ。雪乃が事故に遭ったのは真希のせいだけじゃない。』
『タクの言う通りだ。俺も雪乃がピアニストになってほしかった。』
『俺もだよヒメ。』
『違うの…それだけじゃないの…今さらだけどさ、エンジェルと暁のライブの日が被ったってわかった時に両方とも断っていれば良かったって思うの…両方を断っていれば雪乃は…』
『変わんねーよ。一人でエンジェルのライブをさせられてた。そして、帰りは同じく一人で帰ってたよ。』
『俺もヒメと同じ様に考えるんだ…俺、帰り道雪乃と同じ方向だったのにどうして雪乃と一緒に帰らなかったんだろうって…』
『春人…それは雪乃が断ったから…』
『断られても一緒に帰るべきだったんだよ…』
『てかさ、そんな事言い始めたらキリがねーだろ?雪乃をバンドに誘わなければとか、あの日ライブを断っていればとか雪乃一人で帰らせなければとか言い出したらキリがねぇんだよ。そのうち真希もハルもあの時、雪が降っていなければとか言い出すのか?全てはトラックの運転手のせいなんだよ。雪が積もってんのにスピード出してた運転手が悪いんだ。』
『そうだな…龍司の言う通りだよ。だけど、あの日一緒にライブをやっていた俺達には責任がある。責任を果たす為に俺達と雪乃とで話し合わなければいけない。でも…5人で話し合う為には…病院に足を運ばないとな…それをヒメ一人に任せるなんて俺には…俺達にはやっぱり出来ないよ。』
『雪乃と話しが出来る様になるまで私一人で雪乃に会いに行かせてほしい。雪乃の心を開くのは私の…リーダーとしての役目だと思うの。だから、お願い。私に任せてほしい。』
頭を下げて頼み込む真希の姿を見て拓也達3人は真希が一人で雪乃に会いに行く事を納得した。そして、昨日と同じ時刻に真希は病院に訪れた。雪乃の病室の前に着くと髪の長い子が立っていた。最初、真希はその子が凛なのだと気が付かなかった。いつもの様に三つ編みをしていなかったからだ。凛は壁にもたれ掛かりながら言った。
「今、入らない方がいいですよ。」
「入らないわけには行かないの。」
「師匠は真希さん達を恨んでますよ。」
そう言った凛の目は鋭かった。もしかすると雪乃同様凛も真希達を恨んでいるのかもしれないと真希は思った。
(無理もない…師匠と凛が慕っていた雪乃を事故に遭わせたのは私達なのだから…)
「わかってる。私、雪乃にまだ謝ってないの。だから、謝りたいと思ってる。」
じっと真希を睨む凛の前を通り過ぎようとした時、「謝って済む様な問題じゃないですよね?」と凛は言った。真希は凛の前で立ち止まった。
(やっぱり凛も雪乃同様私達を恨んでいる。いや、恨んでいるというより…凛は雪乃の両親と一緒なんだ。怒りをどこにぶつければいいのかがわからなくなっているんだ…)
「だけど、謝らなきゃ。」
そう言って真希はドアをノックをした。そして、病室のドアが開くのを待った。ドアを開けたのは友一だった。友一は黙ったまま真希を病室に入れて自分はそのまま病室を出て行った。病室に入ると雪乃と蘭が言い争っていた。
「早く私を市民ホールに連れてってよ!」
「無理よ。無理なのよ。」
雪乃の語気がどんどんと強くなっていく。
「いいから早く!今日は大事なコンサートなのっ!お母さんも知ってるでしょ!みんなが待ってるの!1年前から今日のコンサートは決まってたのっ!だから、早く連れて行けっ!」
「そんな体で行ってどうするのよ。ピアノなんて弾けないでしょう!」
「弾ける…ピアノの前に座れば弾けるのよっ!」
「もう…弾けないの…弾けないのよ…」
蘭がそう言ってしまってから真希は、おばさんっ。と声を掛けた。雪乃は子供の様に泣き出した。蘭も泣き出し無言で病室を出て行く。病室に2人きりとなった真希は少しずつ、ゆっくりと雪乃に近づいた。
「雪乃…」
「…帰って。」
「…私、雪乃と話しがしたいの。」
「帰れって言ってんだよ!帰れよ!出て行け!こんな姿見られたくない!お前なんかに見られたくない!お前なんか見たくない!お前の顔なんか見たくないんだ!今すぐ出て行け!」
真希は固まり凍り付いた。その表情はまるで心を持たないロボットの様に冷たい目をしてしまっていたのだと気付く。感情の気薄な真希の表情を見た雪乃は真希が冷めた目をした冷酷な女に映ったのかもしれない。雪乃は怒りの表情を浮かべ両手を振り乱しながら真希の体を掴もうとした。しかし、真希の体を上手く掴む事が出来ない。真希は決して雪乃の手を避けたわけではない。雪乃の横にじっと黙ったまま動いていなかった。雪乃は自分の両腕を上手く動かせていないのだ。
「動け!ちゃんと動け!動け動け動け!私の手だろう!動け動け動け動け!」
雪乃は悔しそうに小さな声で、ちくしょう…バカにしやがって…。と震えながら言った。バカになんかしてない。そう伝えたい。伝えたいのだが言葉にならない。真希は一切の表情が抜け落ちたまま雪乃を見つめる事しか出来なかった。
(どうすればいいの?どう…すれば…)
一筋の涙が真希の頬を伝った。
(泣くな!泣いてはダメ。私が泣いたらダメなんだ。わかってるのに…なのに…涙が止まんないよ…)
「……ごめんなさい。」
やっと言葉を声に出す事が出来た。だけど、それ以上の言葉が出て来ない。真希は泣きながらもう一度ごめんなさいと呟いて病室を出た。
*
雪乃の泣き叫び人を罵る言葉ばかりが病室から漏れて来た。
白石凛はとっさに壁にもたれ掛かっていた体を壁から離して病室に駆け込もうとしたがドアの前にいる蘭がどいてくれなかった。蘭は凛をじっと見て顔を横に振り凛に病室に入るなと無言で訴えていた。数分後、真希が病室から出て来た。真希は泣き崩れている。
「…また来ます。」
力なく蘭にそう言った。蘭は真希に対して何も言わなかったが凛は前を通り過ぎようとする真希に向かって言った。
「もう帰るんですか?何しに来たんですか?」
「私は…雪乃と話しが出来るまで来るわ。何度でもね。」
そう言って真希は去って行った。
「おばさん。私も師匠と…雪乃さんと話しがしたいです。どうして真希さんは雪乃さんと会えるのに私は会わせてもらえないんですか?」
「ごめんね凛ちゃん。今の雪乃はあなたにもキツく当たってしまうかもしれないから…また別の日にしてもらえないかな?」
「……」
「本当にごめんね。」
蘭は涙を流してまた病室へと入って行った。昨日も凛は病室の前まで来たが病室の中に入る事は許されなかった。凛はまだ雪乃が事故に遭ってから雪乃とは会っていない。
「…どうして真希さんは病室に入れるんですか?」
凛は俯きながら誰に問う訳でもなく独り言を言った。
*
病院を出た姫川真希は暗くなった道を途方もなく歩いた。目的も行く場所も特にない。意味もなくただ歩いていた。気が付くと真希は工事中の広場の外縁にいた。
(こんな場所あったんだ…)
真希は外灯の薄明かりを頼りに周りを見渡した。金網の中の広場には時計が立っているのを確認してここは今、公園を作る為に工事中になっているのだとわかった。寂しく佇む時計の針は動いている。時刻は午後7時。みんなで見に行くと雪乃に約束した柴咲交響楽団と雪乃のクリスマス・イヴコンサートが始まる時刻だった。しかし、真希達がそのコンサートを見に行く事はない。
(雪乃のコンサート…見たかったなぁ…)
そう思った時、雨がポツリポツリと降って来た。
(雪乃はもう二度とコンサートに出る事はない…ピアノを弾く事もない…)
雨脚はどんどん激しくなる。
(ピアノを弾く雪乃の姿…大好きだったのになぁ……私が…奪ってしまったんだ……全部…全部全部私が奪ってしまった…全部私のせいだ…)
真希は両手で金網を握りしめ大声で泣き叫んだ。
雨が降っている事も体が濡れる事も寒ささえも気にせず真希は泣き叫んだ。
「うわぁぁぁぁーーーーーー!!」
真希の泣き叫ぶ声は激しさを増す雨の音で掻き消された。
*
午後7時。結城春人は雪乃が参加する予定だった柴咲交響楽団と合唱団のクリスマス・イヴコンサートを一人で見に来ていた。
(本来ならみんなでこの場所にいて客席から雪乃が演奏する姿を見ていたはずなのに…)
「本日のクリスマス・イヴコンサートに出演する予定でしたピアニスト長谷川雪乃さんは諸事情により出演をキャンセルとさせて頂く運びとなりました。出演を楽しみにされていたお客様には大変ご迷惑をおかけする事をお詫び申し上げます。」
そんなアナウンスがコンサート前に流れ、会場はザワザワとどよめいていた。雪乃の演奏を楽しみにしていた人達がたくさんいる。残念そうな面持ちを浮かべる人もたくさんいる。この会場にいる全ての人が今日の主役が出演しない事を残念がっている。観客達は雪乃がどうしてコンサートに出演しないのかは知らないのだが、何故か春人は全ての人達に責められている気がした。春人も真希と同じ様に雪乃の事故は自分のせいだと責めている。
(雪乃とは帰り道が一緒だったのに何故あの時俺は一緒に帰らなかったのだろう…あの時、雪乃が一人で帰るのを止めていれば…)
おそらく真希と春人だけではなく、拓也と龍司も同じ様に自分を責めているのだろうと思う。コンサートが始まっても考える事は雪乃の事ばかりだった。
俺は…俺達はこれからどうすればいい?――と春人はコンサートが始まってから終るまでずっとそれを考えていた。
(とにかく…4人で集まって今後の事を話し合わなければ…)
コンサート終了後、春人は柴咲ホールの中にある椅子に座りながらスマホを取り出した。雪乃が事故に遭った後に送ったメッセージに既読が一つ足りない。まだ雪乃がLINEを見ていないのだ。
(雪乃がこのLINEを読む日は訪れるのだろうか?)
春人が文章を作っていると、「ハル?」と春人を呼ぶ拓也の声がして春人は驚いて声がする方を見た。
「ハルもコンサート来てたのか?」
拓也の横にはみなみが一緒にいた。
「タクとみなみも来てたんだね。」
「うん…不謹慎なのかもしれないけどイヴだからさ…」
と拓也は申し訳なさそうにそう言った。
「不謹慎な事なんてないよ。」
「ハルは?ここに座って何してたんだ?」
「いや…今、みんなにLINEを送ろうと思ってたところだったんだ。一度4人で今後の事を話し合った方がいいと思ってね。」
「…そう…だね。明日の夜でよければブラーを使わせてもらえるようにトオルさんに言ってみるけど。」
「そうしてもらおうかな。」
「わかった。」
拓也がトオルに連絡を入れて明日の夜11時以降ならブラーを使わせてもらえる事になり春人はグループLINEでメッセージを送った。
-今後のバンド活動について一度話し合わないか?今、タクと一緒にいて明日の23時以降ならブラーを使わせてもらえるようにトオルさんに連絡を入れてもらった。ヒメと龍司明日来れるか?-
すぐに、わかった。と龍司から返信が届いた。真希からの返信が届いたのは次の日の夕方だった。
5
2014年12月25日(木)
-返信遅くなってごめん。今、雪乃のお見舞いが終ったとこ。今晩会う前に明後日の柴咲音楽祭に参加するかどうかLINEで決めていいかな?私は参加する気にはなれないんだけど。-
橘拓也が真希からのLINEを読んだのはルナにいる時だった。横には龍司と春人がいてルナのバイトに結衣とみなみが入っている。龍司は真希のLINEの文章を見ながら言った。
「柴咲音楽祭か…もう俺そんな事忘れてたわ…参加する気になれねぇよ…」
「…残念だけど…俺も参加する気にはなれないな…」
「タクは?」
「そうだな。俺も…同じだよ。」
-俺達3人も真希と同じだ。柴咲音楽祭はキャンセルしよう。-
龍司がそうLINEを送ると真希からすぐに返信があった。
-わかったわ。私からキャンセルしておく。-
(みんなプロを目指すのを諦めたのだろうか?そもそもみんなはバンドを続けようと思っているのだろうか?)
今すぐ龍司と春人の考えを確かめたい気持ちはあったが拓也は今晩真希を加えて話し合うまでその事は聞かない事に決めた。
*
結局拓也達3人は夜の11時になるまで何をするでもなくずっとルナにいて3人一緒にブラーへと向かった。ブラーの入口に向かう短い階段の壁に雪乃のクリスマス・イヴコンサートのポスターがまだ貼られているのが目に入り拓也は思わず目を背けてしまった。ブラーに入るとカウンターに真希が一人で座っていた。
「トオルさんは気を使ってくれて先に帰ったわ。拓也に戸締まりよろしくって伝えといてくれって言われた。」
「…わかった。」
真希は立ち上がりステージの方に歩きながら言った。
「柴咲音楽祭はキャンセルした。」
龍司は、そうか。と真希の背中に向かって言った。真希はステージに上がり3人を見た。3人がステージに上がって来るのを真希は待っているのだと拓也は思い真希と同じ様にステージに向かって歩いた。ステージに向かう途中、春人が、雪乃の様子は?と真希に尋ねた。真希は3人がステージに上がるのを待ってから答えた。
「相変わらずよ…」
「…そうか。」
しばらくの間4人はステージの上で黙り込んだ。
「今後の事決めるのよね?これから…私達、どうする?」
真希の質問に拓也達3人はすぐには答えられなかった。
「春人?一度話し合った方がいいって言ったのはあなたよ。何か思う事があるんでしょ?」
「…俺は…雪乃が事故に遭ったのはやっぱり俺達の責任なんだと思ってる。」
「…うん。」
「だから…俺は…責任を取る為にもバンドは解散した方がいいんじゃないかなって思ってる。」
春人はすごく言いにくそうにそう言った。真希は少し俯いて、そっか。と答えてから自分の意見を言った。
「私もね。春人と同じ事考えてた。」
拓也は驚いて真希の顔を見た。
「こんな気持ちのままバンドなんて続けられないし…私もバンドは解散した方がいいと思うの。拓也と龍司の意見は?」
拓也は何も答えられなくて龍司を見た。龍司はドラムの方に向かいドラムスローンに座った。そして、その場にあったスティックを手に取りドラムを叩き始めた。
この曲は……しばらく龍司のドラムを聴いてから、この曲はBATTLEだと拓也は気が付いた。3人は龍司がドラムを叩き終わるまで待った。
「俺にはこれしかねぇんだよ…」
ドラムを叩き終えた龍司がそう呟いた。
「ハルは医者になろと思えば今からでも遅くはねぇよ。真希だって一緒さ。今からバイオリンを再開させればなんとかなる。けど…俺にはこれしかねぇんだよ。タクだって一緒だろ?」
拓也は黙って頷いた。
「龍司?俺だって一緒だよ…血を見ただけで震える様な俺には医者は無理だよ。」
「私だって…バイオリンを再開したところでなんとかなるわけがないわ…」
「何あまい事言ってんだっ!他に出来る事があんならそっちをやれよっ!俺は今逃げ出したりは絶対しねー。」
「……」
「…龍司?私達は逃げ出してるって言いたいの?」
「そうだろが!じゃあ、聞くけどよ。真希とハルはこのバンドを辞めてまた違う奴らとバンドを始めるって言うのか?それじゃ何にも責任なんて取れてねーだろ!」
「……誰かとバンドを組む気なんてないよ…」
「……俺も。」
「ならお前らは何をするんだよ?」
「……」
「……」
「他に出来る事あんのに無理だ出来ないじゃねーんだよっ!他の奴らとバンドを組む気もねぇって言うんならお前らはただ今の現状から逃げ出したいだけなんだろがっ!そんな中途半端な覚悟でバンド解散なんて言ってんじゃねーよ!バンドを解散したからって何か変わんのかよ!?責任取れてんのかよ!?違うだろ!それはただ逃げてるだけだろーがっ!」
「じゃあ、どうすれば…私はギターを続けたいよ!出来る事ならこのメンバーで続けたい!けど、みんなといたら雪乃の事故を考えてしまうのよ!」
「真希。世界一のギタリストになる夢はどうした?ハル。貴史の分までプロになる夢はどうした?お前らの夢はどうすんだよ?」
「叶えたいよ…叶えたいけど夢どろこじゃないでしょ!?」
「何がなんでも叶える夢じゃなかったのかよっ!雪乃の事故を考えてしまうだ?それでいいだろうが!真希。お前は責任を取る為にバンドを解散した方がいいって本気で思ってんのか?」
「……思ってるよ。」
「思ってねーだろっ!お前は雪乃の事故の事を忘れたいんだろ?逃げ出したいんだろ?」
真希は目に涙を溜めながら龍司を睨んだ。
「……そうよ…逃げ出したいよ。なかった事に出来るならそうしたいよ…だからバンドを解散したいと思ったのよ。」
「いいか真希。バンドを解散したからって雪乃の事故はなかった事にはならねーよ。もちろん責任を取った事にもならねー。」
「……じゃあ、どうすれば…一体どうすればいいの?……私、何度も何度も考えたよ…けど、わかんないの。答えが…出ないの…一体どうすればいいのか教えてよ…」
「俺らが雪乃に責任を取れるとしたら…それはバンドを続ける事だ。いいか?俺達は決して雪乃から目を逸らす事は許されない。雪乃から逃げ出す事も許されない。だから、雪乃と向き合わなきゃいけないんだ。お前ら2人が出したバンド解散ってのは雪乃から目をそらし逃げ出しているだけだ。」
「……」
「……」
「俺にはコレしかねぇ。だから俺はバンドを続ける。俺の…いや俺達の夢はプロになる事だ。だから中途半端な気持ちならバンドを辞めるべきだ。今ここで下す判断がきっと今後の俺達にとって重要な局面になる。よく考えて答えを出してくれ。」
拓也と真希と春人の3人は黙り込んだ。しばらくして龍司が聞いた。
「タクは?どうしたい?」
「…俺は…うん。俺も。俺もコレしかない。俺には音楽しかないんだ。だから続ける。」
「ハルは?どうする?」
「ごめん…俺も…続けるよ。俺、雪乃と向き合う事を考えてなかった…ただその場から逃げる事しか考えてなかった…貴史の夢。俺が叶える約束したのに…」
「真希は?」
「…私は…ごめん。もう少し考える時間がほしい。数日私にくれないかな?」
「ダメだ。今ここで答えを出すんだ。お前の言葉でこのバンドはプロを目指す事を決めたんだ。お前がプロ意識を持つように俺達に言ったんだ。お前が一番プロになる覚悟があったはずだ。今すぐここでどうするか決めるんだ。」
龍司のその言葉に真希は黙り込んだ。龍司は「雪乃から目をそらすな。」「逃げるな。」「向き合うんだ。」と自分に言い聞かせるかのように真希に呟いた。そして龍司が「覚悟を決めろ。」と言った時、真希は大きく一度頷いてから言った。
「……龍司の言う通り…私…中途半端な考えしかなかった…私の人生ずっと中途半端のままだ…おじいちゃん指揮者が亡くなって少しは変われたと思ってたのに…中途半端な自分が嫌だったのに…私、リーダー失格だね…」
「じゃあ、真希も続ける。で、いいんだな?」
「…うん。」
「よし。じゃあ、決まりだ。真希もハルも自分を責め過ぎなんだよ。それに真希。リーダーの役目はこれからだろ?」
「え?」
「俺らがバンドを続ける為にはまず雪乃に許可をもらわねーと。雪乃に嫌われてる今のままじゃバンドは続けられねーし。だから、リーダー。辛いだろうけど雪乃の事は頼んだ。」
「…わかったわ。もう、逃げる事は考えない。時間…かかっちゃうかもしれないけどね。」
「ああ。任せた。」
5
2014年12月26日(金)
長谷川雪乃は眠りから覚めた。
何故か海を見に行きたいと突然思った。海に行っている夢でも見ていたのかもしれないと思ってベッドから起きようとして体が動かない事に気が付いた。
(そうだった…体…動かなくなったんだ……)
そう思った途端、涙が溢れた。その涙も拭う事が出来ない自分にまた涙した。
毎晩眠る前、雪乃は明日の朝、目が覚めたら体が動くようになっているかもしれないと思う。しかし、次の朝が来る度に現実を突きつけられ絶望に打ち拉がれる。それを毎日繰り返している。
今日も長い1日が始まる――朝起きる度、雪乃はそう思う。
雪乃にはただ天井を見つめる事しか出来ない1日がとても長く恐ろしいものに感じた。
(この現実が夢だったらいいのに……夢だったら…)
何も変わらない殺風景な天井の景色。それを見るだけの長い長い一日。
(これが夢であってほしい……)
*
「あ〜疲れた。ここはなんも変わってへんなぁ〜。」
栗山ひなは柴咲駅に着いてすぐ母の華にそう言った。
「あなた夏休みにも来たでしょ?そんなすぐに変わるわけないのわかってるよね?」
「もう…なんで大阪生活長いのにツッコミ出来ひんねや?」
「何?今ボケてたの?」
「そんなん聞かんでいいねん。わかるやろ。」
「う〜ん。じゃあ、もう一回ボケてみて私全力で突っ込むからさ。」
「いや、そんなんいらんねん。」
「そう?で、ひな。あなたこれからどうするの?」
「明日の練習出来てへんしみんなで練習する事になってんねん。そやし、すぐそこの喫茶店で待ち合わせしてる。」
「そう。じゃあ、私は家帰ってるからね。」
「わかった。気ぃ付けてな。」
ひなは華と別れた後、赤木達との待ち合わせ場所であるルナへと向かった。ルナで赤木達3人と久しぶりに再会した後、少しゆっくりしてから明日の柴咲音楽祭の練習をする為にスタジオへ行こうと赤木に言った時、赤木は暗い顔をして、「長谷川雪乃が事故に遭った。命に別状はなかったが、もうピアノどころか歩く事も出来ないらしい。」と言った。ひなは驚いて、そんなん聞いてへんで。と前のめりになりながら言った。赤木達も直接拓也達から聞いたわけではないらしいが、エンジェルのオーナーから聞いた事なので本当の事だと言った。
「明日の柴咲音楽祭も出演はキャンセルしたらしい。」
「そんな…ちょっと真希に電話してみるわ。」
「やめとけ。あいつらが明日音楽祭に来てくれたら話せばいいさ。」
「そ、そやな…そうするわ……でも…見に来てくれるんやろか?」
「さあな。」
「しっかし…そういう事ならしょうがないねんけど…拓也達が出えへんのは残念やな…どうにかして出演するようにできひんかなぁ…」
「俺達があいつらに何か出来る事なんて何もねーよ。俺達は明日の音楽祭に集中しよう。」
「…そうやな。拓也達の為になるかはわからんけど拓也達のバンドの分までウチらが頑張って優勝してプロなったろ。ほんであいつらに自分達もプロになりたいわって思わせたろか。」
*
天井が暗くなってきたのを確認して長谷川雪乃はやっと日が暮れ始めたと思った。
(だけど、これからは長い暗闇が待っている…長く、恐ろしい夜が…)
暗闇の中にいると不安と恐怖に雪乃は取り込まれていく感覚に陥る。
(夜が来るのが恐ろしい…そして、また朝が来て長い一日を過ごすのも恐ろしい…)
「そろそろ姫川さんが来る時刻ね。」
椅子に座っている蘭がそう言った時、コンコンとドアを叩く音がした。蘭は、ほら。と言って立ち上がった。蘭はドアを開けて真希を病室に入れ自分は病室を出て行った。
真希はさっきまで蘭が座っていた椅子に座って、調子はどう?と聞いた。雪乃は調子がいいわけないだろうがと声に出さずに心の中にとどめたのは真希に悪いと思ったからではなく、ただ単に叫ぶ事に疲れたからだ。雪乃が真希の言葉を無視していると真希はしばらくの間何も話さず椅子に座ったまま黙ってこちらを見ていた。その表情はまるで心を持たないロボットの様に冷たい目をしている。
そんな目で見るな――毎日感情の気薄な真希の表情を見る度に雪乃はそう思いバカにされている気がした。
(違う…バカにされてるわけじゃない…そんな事はわかってる…本当はわかってるんだ…真希ちゃんはいつも病室を出る時、ごめんなさいって謝ってる…本当は何も悪くないのに…私が…悪いのに…どうして私…真希ちゃん達のせいにしたんだろう?真希ちゃん達のせいじゃないのに…わかってるのに…どうしてヒドい事言っちゃったんだろう…)
「そんな目で見るな。」
つい声に出してしまった後、雪乃は後悔した。真希が俯いたのを確認して雪乃は真希から視線を逸らして天井を見つめた。
「私達ね。昨日の晩4人で話し合ったんだ。私も春人もバンドを解散するつもりだった。」
その言葉を聞いて天井を見つめていた視線がつい真希の方を見てしまって真希と目が合った。
「だけどね。龍司が言ったの。俺らが雪乃に責任を取れるとしたら、それはバンドを続ける事だって。俺達は決して雪乃から目を逸らす事は許されない。雪乃から逃げ出す事も許されない。だから、雪乃と向き合わなきゃいけないんだって。」
「……」
「だからさ。バンド辞めようと思ったけど。私…私達このまま続けたいの。」
「……」
「バンド続けても…いいかな?」
雪乃はまた天井を見つめた。
その表情はまるで心を持たないロボットの様に冷たい目をしている―とさっき雪乃が真希に思った事を今真希は思っているのだろうと雪乃は思った。
「知るか…」
声に出してしまってから雪乃はまた後悔した。真希は、ごめん。と言いながら立ち上がり、「明日は昼頃に顔出すね。」と言って病室を出て行った。
(また…泣いてたな…いつもいつも…ここに来ると泣いている…)
「泣きたいのは…私の方なんだよ…」
*
姫川真希が雪乃の病室を出ると凛が立っていた。何も言わずに立ち去ろうとした真希に凛は、師匠ね。と声を掛けて来た。真希は立ち止まり凛を見た。
「事故に遭う前、コンサートやコンクールよりもバンド活動が本当に楽しそうでした。真希さん達とずっとバンド活動をしたがってました。」
「…そう。教えてくれてありがとう。」
そう言って真希が歩き始めると凛は、「明日の柴咲音楽祭はどうするんですか?」と問いかけて来たので真希は歩くのをやめた。そして、振り向く事はせずに、参加しないよ。と答えてまた歩き出した。
*
真希が出て行ったというのに蘭は病室に戻って来なかった。
(どうしたんだろう?おばさんいつもならすぐに戻って来るのに…)
白石凛は心配になって蘭を探しに行った。待合室で蘭は一人泣いていた。凛は声を掛ける事が出来ず雪乃の病室の前に戻った。そして、壁にもたれて思った。
(今なら病室に入って師匠と話す事が出来る)
凛は病室のドアの前に立った。
(おばさんからはまだ師匠と話す事は許されていない。だけど、私は師匠と話しがしたい。)
そう思った時、既に凛は病室のドアを開けていた。凛は恐る恐る雪乃に近づいた。雪乃は天井を見つめたまま微動だにしない。まるで目を開けたまま眠っているようだった。
「し、しょう?」
雪乃の目が凛の顔を捉えた。雪乃は目だけで笑った―ように凛には見えた。
「ずっと会いたかったよ。師匠。私、おばさんに病室に入らないように言われてたの。だけど、今おばさんいないから勝手に入って来ちゃった。」
「悪い子だね凛ちゃんは…」
雪乃は無表情のまま凛を見つめてそう言った。凛は雪乃に抱きついた。
「会いたかったよ。話したかったよ。寂しかったよ。」
凛が泣き止むまで雪乃は黙って待っていた。散々泣いた後、凛は雪乃に尋ねた。
「師匠…リハビリは?頑張ってるの?」
「ううん。頑張ってない…お医者さんは少しでも早くリハビリをするようにってうるさいけど…私…もう何もかも嫌になっちゃったの。」
「ダメだよ。ちゃんとリハビリしないと。このままピアノ弾けなくなっちゃうよ。」
「もう…いいよ。そんなの。どうでもいい。」
「どうでもよくないよ。嫌だよ。私まだ師匠から教わる事いっぱいあるよ。」
「教える事なんてないよ…凛ちゃんは最初から私の上をいってるもん。」
「そんな事ない!まだまだ教わりたい事たくさんあるの。」
「……」
「お願い師匠。私にこれからもピアノを教えてよ。お願いします。」
「…無理だよ。もう無理なんだよ。」
「無理じゃない!無理なんかじゃないよ!」
泣き叫びながら凛が言うと勢いよく病室のドアが開き目を真っ赤に染めた蘭が入って来た。
「凛ちゃん!どうしてここにいるの?まだ入ったらダメっておばさん言ったでしょ!」
「ごめんなさいおばさん。でも、どうしても私、師匠と話しがしたくって。」
「お母さん…ごめんね…」
「雪乃?」
「ごめんなさい…私、今まで散々お母さんにヒドい事言っちゃった。本当にごめんなさい。」
雪乃の言葉を聞いた蘭はまるで時計の針がが止まったかのように身動きひとつしなかった。ただ一筋の涙だけが蘭の目からこぼれ落ちている。
「…雪乃…あなた…」
「ごめんなさい。お母さん。」
「いいの。そんな事いいのよ。謝らなくていいの。」
「凛ちゃんごめん。お母さんと2人で話したいの。」
「あ、はい。じゃあ、私…今日はこれで…」
「凛ちゃんありがとね。あなたのおかげでおばさん雪乃と話し合えるよ。本当にありがとう。」
蘭は凛に何度も頭を下げてそう言った。凛が病室を出ようとドアを開けた時、雪乃が、凛ちゃん。と呼んだので凛はドアを開けた手を止めた。
「凛ちゃん。ありがとね。明日からは勝手に病室入って来てくれていいからね。」
雪乃は優しくそう言った。凛は涙を流して、うん。と答えて雪乃の顔を見ないように振り返る事はせず、「真希さん達明日の柴咲音楽祭の出演はキャンセルしたみたいですよ。」と告げて病室を出た。雪乃の顔を見ないようにしたのは雪乃が凛の前では必死に涙を堪えていたのがわかったからだ。
*
凛が病室を出て蘭と2人きりになった途端、長谷川雪乃は泣き出した。凛が抱きついてきた時から雪乃は泣き出したい気持ちをなんとか我慢していた。雪乃が涙を流さなかったのは弟子の前で泣く姿を見せたくなかったからだ。だけど、凛が病室を出た途端、涙が止まらなくなった。
そして、真希さん達明日の柴咲音楽祭の出演はキャンセルしたみたいですよと言った凛の言葉が余計に雪乃の涙に拍車を掛けた。雪乃はまるで子供が大泣きをする様にわーわーと泣き出した。
6
2014年12月27日(土)
柴咲音楽祭当日――神崎龍司が起床したのは昼の13時を過ぎた頃だった。スマホを見るとグループLINEに何件ものメッセージが残されていた。最初にLINEを送ったのは真希で時刻は23時13分だった。龍司は昨日のその時刻には既に夢の中だった。
(あぁ…俺めちゃくちゃ寝てたな…)
-明日の音楽祭。ひな達Lovelessのメンバーを応援しにみんな行くよね?-
拓也と春人は行くつもりだと返信している。その後、龍司は?と聞かれているが龍司の返信がない為、真希は、午前中は雪乃に会いに行って来るから私が行くのは昼過ぎになると思う。と送っていた。
(昼過ぎってそろそろか?)
龍司は全てのメッセージに目を通し始めた。
日付が変わり今日のメッセージがある。拓也と春人は最初に待ち合わせ時間を相談している。9時30分にエンジェルに現地集合らしい。次に龍司に早く起きろという催促のメッセージがたくさん送られて来ている。10時ちょうどに柴咲音楽祭が始まった事も書かれている。そして、ひな達Lovelessがステージに登場した事や演奏を始めた事も実況する様に書かれている。予選が終わったという拓也のメッセージを最後にLINEメッセージは届いていない。
-すまねぇ。今起きた。ひな達はどうなった?予選くらいちゃんと通過してんだろうな?-
すぐに既読3と表示が付いたが返信がない。その間に龍司は顔を洗い着替えを済ませて外に出た。
そして、久しぶりにエンジンをかけたバイクにまたがりエンジェルへと急いだ。
*
姫川真希が結城総合病院に着いたのは真希が予定していた時刻より随分と遅い13時を過ぎた頃だった。
(昨日は寝るの遅かったからなぁ…)
龍司のメッセージに拓也と春人から返信があったのか気になってスマホをズボンのポケットから取り出したが、2人からの返信はまだない。
(ひな達無事に予選を通過したのだろうか?)
真希はそれが気になりながらもスマホの電源を切って雪乃の病室に向かった。雪乃の病室の前で友一が立っていた。真希の姿を確認すると友一は、見てあげてくれ。と言ってドアをこっそり開けた。
真希は少し開いたドアの隙間から病室を覗き、そして驚いた。友一は小さな声で言った。
「雪乃…昨日急にリハビリ頑張るって言い出してね。今日からリハビリを始めたんだよ。」
雪乃はベッドの上でリハビリを頑張っていた。その必死の形相に真希は感動すら覚えた。そして、心の中で、頑張れ、頑張れと何度も応援していた。
「……それじゃあ、私はこれで失礼します。」
「何を言ってるんだい?リハビリはもうすぐ終るから少し待ってあげてほしい。」
「でも、雪乃はせっかくリハビリをする気になったのに私と話したらリハビリするの嫌になるかもしれません。私…雪乃の邪魔をしたくないんです。」
「そうか。でも、もう少しだけ見てあげてほしい。」
「…はい。」
「昨日ね。雪乃は謝ってくれたんだよ。ヒドい事たくさん言ってしまってごめんなさいって。蘭にも謝ったらしい。」
「そうですか。良かった。」
友一は真希と向かい合い頭を下げて頼んだ。
「もう少しだけ。もう少しだけ雪乃を待ってあげてほしい。あの子は自分を取り戻そうとしている。雪乃が自分を取り戻す為には君たちが必要なんだ。だから、お願いします。もう少しだけ雪乃を待ってあげて下さい。」
*
「あ〜!あの石原って奴ムカつくなぁ〜!」
「あら?拓也くんが龍ちゃんみたいになってるよ。」
「龍司がここにいなくて良かった。龍司がいたら今頃暴れてたよ。」
「だね。」
「あ〜!石原ぁ〜!!」
「みなみ?タクを鎮めてくれよ。」
「なんだよっ!ハルは腹が立たないのか?」
「腹は立つさ。けど、ああいう審査する審査員だと理解するしかないよ。」
「春人くんは大人だねぇ〜。」
「ここのテーブル空いてるよ。ここで食べようよ。」
みなみがそう言って今日のイベント用に設置されたテーブル席に座ってさっき出店で買った食べ物を並べ始めた。
「本選は3時からだよね?それまでに真希さんと龍司君間に合うかな?」
「龍ちゃんはともかく真希さんは大丈夫でしょ?」
「だよね。」
*
13時30分。神崎龍司はエンジェル付近に着いたがイベントが開催されている事もありいつも以上の人混みでバイクを駐車出来る場所がほとんどなかった。なんとかバイクを止めれそうな場所を見つけた龍司はバイクを止めてポケットからスマホを取り出し確認した。さっきと変わらず既読3になっているまま返信がない。龍司は、なんで返信ねーんだよ。と呟いて拓也に電話を掛けた。
「おいタク!なんで返信がねーんだよっ!」
『ああ。ごめん。ごめん。今ハルとみなみと結衣ちゃんとで昼飯食べてるんだ。龍司は昼食べたか?』
「食ってねーよ。てか、お前ら今何処だよ?」
『えーっと…広場の中。テントがいくつか立てられてて…』
電話を切った龍司は今拓也から聞いた場所に人混みを掻き分けながら急いだ。そして、拓也達の姿を見つけて少し距離がある所から声を掛けた。
「タク。ひな達はどうなったんだよ?なんで返信してこねぇんだよ?」
拓也達は今着物を着た中学生ぐらいの女性4人と話しをしていて龍司の声は届いていなかった。龍司は最初、着物を着た4人組は結衣の友達かと思ったが、その服どこで買ったんですか?とか髪型凄く可愛いとか言っていて結衣の友達ではないとわかる話し声が聞こえた。結衣は、私も皆さんと同じ中学3年なんです。と言っていたので龍司は今日のイベントに参加している子達なのだと何となくわかった。龍司が近づくと着物を着た子達はちょうど話しを終えたらしく去って行った。
「お前らこんなに寒いのに外で飯食ってんのか?」
「あ、龍ちゃん。おっそぉ〜い。私達も今日来るまで知らなかったんだけど、この音楽祭って野外イベントだったんだって。会場もエンジェルじゃなくて野外特設会場なんだよ。」
龍司は周りを見渡してここが広い空き地なのだと今更ながら気が付いた。
「こんな広い場所がエンジェルの近くにあったんだな。」
「ね。結衣も知らなかったよ。空き地って言うより広場って感じみたいよ。普段はカップル達がデートするような場所みたい。だから、今度龍ちゃん結衣と一緒に来ようね。」
「で、さっきの子らはイベントの参加者か?」
龍司は結衣の言葉を無視したので結衣は頬を膨らませて今度は結衣が龍司の質問を無視した。龍司の問いには春人が答えた。
「ああ。和装っていう名のグループだよ。結衣ちゃんの服装が気になって話しかけてきたんだって。」
「ただのロリコンファッションにか?」
「ロリータファッション!」
「出演者はバンドだけだと思ってたけど、あんなアイドルグループも出場してもいいイベントだったんだな。」
「いやいや、龍司。彼女達はアイドルグループなんかじゃないよ。演奏を聴いたらわかる。」
「そうなのか?てか、予選はもう終ったんだろ?」
「ああ。」
「じゃあ、俺があの子達の演奏を聴く事はもうねぇだろ。」
「和装は決勝進出バンドよ。しかも予選トップ通過だった。」
とみなみが教えてくれた。
「トップ通過?ひな達何やってんだよ?あんな小娘アイドルに負けたのか?てか、ひな達はちゃんと予選突破したんだろうな?」
「ああ。2位で予選は突破したよ。けど…赤木さん達がいるLovelessは今回優勝するのはかなり難しいかもな…」
どういう事だよ?と拓也に質問をしようと思った時、龍司のスマホが鳴った。
*
13時30分。雪乃のリハビリが終った。姫川真希は結局雪乃のリハビリが終るまで病室のドアの外で友一と共にこっそりと雪乃が頑張る姿を見ていた。病室に雪乃とリハビリに付き添っていた蘭が2人きりになると友一が真希の背中を押して病室に入る様に勧めた。真希がためらっていると蘭が、入って。と言って自分は病室を出て行った。友一も病室には入らず真希と雪乃を二人きりにしてドアを閉めた。
「リハビリ…頑張ってたね。こっそり見てたよ。」
「……」
雪乃に近づく程雪乃の荒い呼吸が聞こえて来る。真希は雪乃の側に立って雪乃の呼吸が整うのを待ったがいつまで経っても雪乃の呼吸は荒い。リハビリで疲れきっているのがわかる。
「ごめんね。リハビリで疲れたよね。」
「……」
「また明日来るね。」
「……」
真希が病室を出ようとした時、雪乃が、教えてよ。と言った。真希は振り向き「え?」と言った。
「…教えてよ。」
「…雪乃?」
真希は雪乃が何を知りたいのか見当もつかなかった。
「柴咲音楽祭。今日。なんでしょ。」
「…雪乃。覚えてたんだ。」
「忘れてたよ。でも…凛ちゃんから聞いた。どんなバンドが優勝したのか知りたい。だから、どんなバンドが優勝したのか。明日。教えてよ。」
「…うん。わかった。」
真希は涙が止まらなかった。病室を出てしばらく待合室で涙が止まるのを待ってから外に出た。雪乃と会う時はいつも真希は泣いていた。しかし、今日のこの涙は今までの涙とは少し違う。真希は顔を叩き気合いを入れて歩き出した。
*
14時10分。
「真希からだ。てか、真希の奴姿が見えねぇと思ってたらまだ着いてなかったのか。」
そう言って神崎龍司は電話に出た。
『ちょっとあんた達今どこにいるのよっ!なんでLINE見ないの!』
「え?LINE?」
龍司がそう言うと拓也と春人はスマホを見て同時に、あっ。と言った。春人が龍司に真希からのメッセージを見せた。
イベント会場に着いたけど今どこ?から真希のメッセージは始まり、その後返信がない事に怒りを感じたのだろう10件程の怒りのメッセージが書かれている。
「…すまねぇ…今LINE確認した…。」
『全く…で、ひな達予選は?ちゃんと本選進出したんでしょうね?』
「ああ。俺もさっきタク達から軽く聞いただけだけどな。」
『そう。本選進出したならいいわ。てか、今3人?』
「いや、みなみと結衣がいる。」
『私、今エンジェル前なんだけど迎えに来て。』
「わかった。ちょっと待ってろ。」
電話を切って龍司は真希を迎えに行く事を拓也達に告げた。拓也と春人は龍司と真希の為に何か食べ物を買っておくと言ったので龍司は焼きそばを頼んでエンジェルへと向かった。人混みを掻き分け龍司がエンジェルに向かっていると、龍司。と声を掛けられ、声を掛けられた方を見るとそこには赤木達Lovelessの4人がいた。
「おお。お前ら。俺さっき着いたとこなんだけど予選突破したらしいな。おめでとう。」
「なんや。骨折れ金髪予選見てくれてへんかったんか?」
「ああ。タク達は見てたんだけどな。2位突破らしいじゃねーか。俺はお前らならダントツで予選突破して優勝するって思ってたんだけどな。まあ、まだ本気出してねーんだろ?」
「予選からウチらは本気や。」
「なんだよ。さっき1位突破したアイドルグループ見たけどそんなに凄いアイドルグループなのかよ?」
「アイドル?あの子らはアイドルちゃうで。」
「見た感じめちゃくちゃアイドルだったぞ。お前らより凄いって事ねーんだろ?」
「さあ?どうかな?まあ、そんな簡単に優勝はさせてもらえないさ。お前はここで何してんだ?」
赤木が龍司に聞いた時、真希が現れて、私を迎えに来てくれたの。と言った。
「なんや。目つきスゴワル女真希も予選見てくれてへんかったんか?」
「ごめんね。雪乃が事故に遭ってさ…さっきまでお見舞いに行ってたんだ…」
「ああ…噂は聞いた…ピアノ弾ける様になるんか?」
「…奇跡が起こらない限り無理かな…」
「…そうか。」
「予選は?」
真希はひな達に聞いていたが龍司が、2位突破したらしい。と答えた。
「そう。さすがね。私達応援してるからね。私達の分まで優勝してプロになってよね。」
「もちろんや。でも、ウチらはあんたらとこの音楽祭で勝負したかったんやけどな…ホンマ残念やわ…」
「ありがとう。ひな。じゃあ、龍司。私達は行こう。」
「え、ああ。ひな達も一緒に来るか?」
「龍司。彼らはこれからが本番よ。邪魔したら悪いわ。」
「あ、そうだな。じゃあな。赤木…頑張れよ。」
「ああ。お前らもな。」
「おう。」
龍司と真希がみなみと結衣がいる場所に着くと2人の昼食を買って来てくれた拓也と春人もちょうど買い出しから帰って来たところだった。
「遅くなってごめんね。ひな達とさっき会った。予選通過出来て本当に良かったね。」
「それなんだけど真希。ひな先輩達結構ヤバいかもしれないんだ。」
「どういう事?」
「まあ、これ食べながら聞いてくれ。」
拓也は焼きそばとたこ焼き、それからコロッケを差し出した。
「石原一成…審査員をしているアイツがLovelessの邪魔をしてる。」
「どういう事?」
「審査員は黒崎さんと石原とあと3人。全員で5人いるんだけど、審査員一人につき10点持ってて最高得点が50点になるんだけど、石原の奴Lovelessに1点を付けやがった。」
「1点!?」
「なんだよそれっ!めちゃくちゃじゃねーかよっ!なんかひな達に恨みでもあんのか……って…そうか…あいつにはちゃんと恨みがあるんだった…俺や赤木があいつらの邪魔したんだもんな…それにあいつ赤木にボコボコにされてたし……」
「赤木さん一人に嫌がらせをする為にそんなヒドい事するかな?郷田さんと西野さんとは同じバンドだったんだから応援してあげるものなんじゃないの?」
「石原は郷田と西野を裏切って一人でプロになった男だぜ。どうせ2人とは喧嘩別れしてんだろ?だったら石原からすれば嫌いな奴が3人もいるバンドに点数を入れる気なんてねーんだろう。」
「なるほどね。それにしても個人的な理由で採点をちゃんとしないなんてプロとして失格ね。」
「だな。最悪だ。で、ひな達は何点獲ったんだよ?」
「ひな先輩達は29点で2位。さっき会った1位の和装は32点でその差3点。」
「え?3点?」
「石原は1点しか入れてないのにそれだけ点数を獲ったの?」
「そう。石原がちゃんと採点をしてればひな先輩達はダントツで1位突破だったんだ。」
「まあ、石原は和装以外は基本2点とか3点しか付けてないよ。そういう意味ではちゃんと採点しているのかもしれないけどタクはその石原の採点が気に入らないみたいで何様だよアイツって石原が採点する度言ってた。」
と春人が言うと拓也は珍しく興奮した様子で言った。
「だってそうだろ?ちょっとプロになったくらいでアイツ大物ぶりやがって!」
「その1位突破した人には石原は何点を付けたの?」
「確か6点だったね。」
「龍司。あんた石原がひな達にひどい点数を入れたとしても我慢しなさいよ。ひな達だって我慢してるんだから。」
「…んな事わかってるよ。」
そう言った龍司の拳は固く握られていた。
「決勝で石原がひな達以外のバンドに10点とか付け出したらひな達は石原以外の審査員から満点近くの点数を獲らないと厳しいわね…」
「ひな達が優勝するのはかなり難しいってさっきタクが言ったのはそういう意味でだったのか…」
「うん。だけど、その採点の仕方とは別にもうひとつ心配な事がある。」
「なんだよ?」
「ひな先輩めちゃくちゃ緊張してた。普段の力の半分も出せてないと思う。」
「そうか…なら安心だな。」
「え?」
「よく考えろよ。本選で普段の力を発揮出来れば審査員4人から満点を獲れるって事だろ?」
「あ、そうか。」
「ったく。ひなの奴本気出したってさっき言ってたクセに緊張してやがったのかよ…」
「ところでヒメ?雪乃は?」
春人の質問にここにいる全員が真希を見た。首を横に振った真希の姿を見て龍司達は俯いた。
「でも、雪乃。リハビリ始めたよ。それに少し私と会話もしてくれた。今日どんなバンドが優勝したのか教えてほしいって言ってくれた。」
真希が嬉しそうに言うのを聞いて龍司は少しだけ光が見えたような気がした。
7
15時ちょうどに本選が始まった。予選を通過したのはLovelessと和装を含めた8バンドで演奏が終る度に審査員が点数を付ける。5人の審査員は1人1点〜10点までの点数を付けて合計50点が最高得点となる。
演奏順はくじで決めたようで和装が7組目でLovelessが最後の8組目となっていた。
橘拓也は自分達が出場するわけでもなく、ただひな達Lovelessの応援をしているだけなのに本選が始まった時からドキドキが止まらなかった。龍司が石原の姿を見て、前は髪の色緑だったのに薄いピンクになってやがる。と言うと真希は、気持ちワル。と本当に気持ち悪そうな顔をして言っていた。
演奏時間5分で一組のバンドの演奏が終わりすぐに採点が出る。どんどんひな達の出番が近づいて来る。5組のバンドの演奏が終わり、6組目の3人組バンドが演奏を始めた。どのバンドもさすがに予選を突破しただけありレベルが高かった。今のところ最高点は3組目に出たバンドの35点だった。本選が始まったというのに相変わらず石原は3点以上の点数は付けなかった。黒崎も石原が点数を出す度呆れたという表情を浮かべている。6組目のバンドの演奏が終わり採点が始まった。審査員達5人が順番に点数を出していく。それを司会者が声に出して発表する。8点。8点。9点。黒崎は8点。そして、最後の石原は3点。石原の隣の席に座る黒崎はまた呆れた表情を浮かべた。合計36点。3人組バンドは1点差で現在トップに立った。残りのバンドは和装とLovelessだけとなった。
(残り2組…既に予選で和装とLovelessが出した得点より上の点数が出ている…頑張れ…ひな先輩。)
*
野外ステージに和装の4人が三味線を持って現れた。持ち時間5分しかないというのに彼女達はすぐに演奏を始めずに順番に自己紹介を始めた。
「南無阿弥こと中村あみです。」
「こし餡こと越野杏です。」
「蛍イカこと堀田瑠衣花です。」
「そしてぇ〜。私はいい子ぉ〜?それとも悪い子ぉ〜?」
会場に来ていた観客が、いい子ぉ〜!と叫んだ。
「そう。私はいい子。和装のリーダー飯塚紀子でぇ〜す。」
神崎龍司は恥ずかし気もなく自己紹介をする和装のメンバーを見ながら横に立っている拓也に言った。
「やっぱアイドルグループじゃねーかよ。」
「予選の時も彼女達はああやって自己紹介から始めたから俺もその時はそう思ったよ。でも違う。アイドルグループに見せかけてるだけだよ。」
和装の4人は自己紹介が終るとさっきまでのアイドル風の笑顔は消え真剣な眼差しとなり三味線を弾き始めた。見ているこちらが恥ずかしくなると思った自己紹介とは打って変わって彼女達の演奏は凄かった。
「…なるほど…見た目と演奏のギャップを狙ってるわけか…なかなか侮れねぇな。」
「だろ?一位突破するのもわかる。けど、本来ならひな先輩達の足下にも及ばないよ。」
「だけど、結衣と同い歳にしてはメチャクチャ三味線上手いよねぇ。」
「…確かに。」
「凄い先生に習ってるお弟子さん達なのかもしれないねぇ。」
和装の演奏が終った。すぐに採点が始まる。司会者が声を出して点数を発表した。
「8点。7点。7点。8点。そして、採点の厳しい石原さんは…」
石原はなかなか得点を出さなかった。
「早く出せよっ!引っ張りやがってタコが!」
と龍司は会場中に聞こえる程の大声を出した。そんな龍司を気にする事もなく拓也は、「しかし、黒崎さんは8点付けたなぁ。」と言ってみなみがそれに、うん。うん。と答えていた。
そして、急に会場がおーっとどよめいた。
「な、なんと!10点!石原さんは10点を付けました!」
司会者の興奮した声が会場に響いた。龍司は、マジかよ…。と声を出した。
「合計得点は…よっ40点!本日最高得点となる40点です!」
ステージでは嬉しそうに和装の4人が飛び跳ねている。もう優勝を確信しているといった感じだ。
「頑張れひな先輩。」
と拓也の呟く声が龍司に聞こえた。
「これ…マジであいつらやべぇな…」
*
和装の4人が嬉しそうにステージを降りてLovelessの4人がステージに現れた。橘拓也は祈る様にひなを見つめた。静かな始まりだった。ひなは覚悟を決めたのか予選の時の様に緊張は一切していない様子だった。ひな達Lovelessのオリジナル曲は徐々に激しさを増していく。
「いけぇー!ひなー!」
龍司が叫ぶ。それに続いて拓也も叫んでいた。会場全体がひな達の曲に合わせて手拍子をしたり飛び跳ねたりしていた。曲が終った時、鳥肌が立った。余韻を楽しむ間もなく司会者が審査員に得点を出すように促した。拓也は両手を握りしめ目を閉じて祈った。司会者の声だけが聞こえてくる。
「10点。10点。10点…」
(次は黒崎さんの採点…黒崎さんは何点を付ける?)
ニヤニヤと薄笑みを浮かべる石原の姿を拓也は想像した。会場がまたどよめいた。石原が点数を出したのだろう。そのどよめき声のせいで黒崎の採点が聞き取れず目をつむったままの拓也には石原が何点を出したのかもわからなかった。チッという真希の舌打ちとあのタコと言った龍司の声が聞こえてきた。
(ダメ…だったのか…?)
「そして…石原さんは…いっ、いっ、1点。」
司会者の声を聞いて拓也は目を開けた。
(1点…あいつマジか……で、合計得点は……?)
審査員達の得点を目で追う。10点。10点。10点。そして、黒崎の得点を見た時司会者の大きな声が響いた。
「合計得点41点で第一回柴咲音楽祭最優秀賞はLovelessです!皆様大きな拍手をお願いします!」
黒崎は10点をひな達に入れていた。ひなはステージの上で泣いていた。1点という低い点数を出した石原は口をぽかんと開けて驚いた表情を浮かべているのが視線の片隅に映った。
「2位和装との差はわずか1点!Lovelessの皆さんおめでとうございます!」
「これでひな達はプロ…なのか…」
春人がそう呟いて拓也は春人の顔を見た。
「あ、ああ。なんか…ふわふわした気持ちで実感ないけど…」
「拓也…あんたがプロになるわけじゃないんだし実感なんて持つわけないでしょ。でも、少し悔しいね。だけど、優勝したのがひな達で本当に良かった。」
真希がしみじみとそう言うと龍司は、じゃあ行こうぜ。と言った。
「おいおいおい。行こうぜってどこに行くんだよ龍司。もう帰るつもりか?ひな先輩達に声掛けないつもりか?」
「ちゃんと見届けた。充分だろう?俺達にはしみじみしてる時間なんてないんだよ。これからどうなるかはわかんねーけど、俺は練習を始める。雪乃がバンドを解散しろって言ったらそこまでだけど、一人でドラムの練習ぐらいしてもいいだろ?」
「…そうだな。俺もどっかで歌おうかな。」
「そうね。練習なら、いいよね。」
「じゃあ、各自練習だな。」
拓也は会場を出る時、ステージを振り向いた。ひなはまだ涙を流して喜んでいた。
「おめでとう。ひな…さん。」
8
2014年12月28日(日)12時
橘拓也は河川敷で歌っていた。横にはみなみがいて一人で歌うより恥ずかしさはない。歌い終わるとみなみが可愛らしいバスケットからサンドイッチを出して、休憩しよ。と言った。
拓也は、ピクニックみたいだね。と告げるとみなみは嬉しそうに、うん。と答えた。拓也がサンドイッチを食べ終わりみなみ特製のホットコーヒーを注いでもらっていると真希からグループLINEでメッセージが送られて来た。
-昨晩ひなからLINEが届いたよ。拓也達に会いたかったのにどうして会いに来てくれなかったんだって-
-なんて返したんだ?-と春人がすぐに返信を返している。
-ひな達の演奏を聴いて練習したくなったのって返した。そしたら、ひな達も私らがライブした後、すぐに練習に行ったのを思い出したって-
-他には何か言ってた?-と今度はすぐに拓也が返信をした。
-先にプロになって待ってる。あんたらも早くプロになれ!-
拓也はそのひなの力強い文章に勇気が湧いた。
-待ってろ。-と龍司がまるでひなに言うように文章を送って来る。拓也は龍司のその文章を読んで少し笑った。
「拓也君?」
「ん?」
「もう今年も終わりだね。」
「だね。みなみは今年はどんな年だった?」
「嬉しい年だったよ。」
「嬉しい?」
「うん。好きな人が出来て付き合う事も出来た。だから、嬉しい年。拓也君は?」
「それなら俺も同じ。嬉しい年。みなみと出会えた。」
「それに真希に龍司君に春人君とも出会えたもんね。」
「…うん。小さな夢も叶った。良い年だった…けど…」
「雪乃?」
「…うん。」
拓也はみなみ特製のホットコーヒーをゆっくりと飲んで空を見上げた。空はどんよりと曇っていて今にも雪が降りそうだなと拓也は思った。
2014年12月28日(日)13時
「柴咲音楽祭ひな達が優勝したんだよ。」
「…そう。」
雪乃がこの日言ったのはその一言だけだった。姫川真希は自分が見た昨日の音楽祭の様子を事細かく雪乃に話しをした。雪乃は何も返事をしなかったが以前の様に暴言を吐いたり病室から出て行けとは言わず、ただじっと真希の顔を見て話しを聞いてくれていた。真希の話しが終わると雪乃の視線は窓へと移った。真希は立ち上がり窓の外を見た。空はどんよりと曇り雪がちらほらと舞っていた。真希は雪乃の顔を見て大好きだと言っていた雪を嫌いになったのかと聞こうとして聞くのをやめたのは雪乃があまりにも寂しそうな顔をして窓を見つめていて以前のように雪が大好きだと言わない気がしたからだ。
9
2014年12月31日(水)23時
今年が終ろうとしている。残酷にも時計の針だけが進んで行く。そう思うと長谷川雪乃の目からは涙が出た。しかし、その涙を上手く自分で拭う事が出来ない。そんな自分が情けなくてまた泣いた。
「もう…どうでもいいわ、マジで。」
そう口に出してから龍司のヤンチャな笑顔を雪乃は思い浮かべた。
(今のセリフ…龍司君っぽかったな…)
春人ならこういう時どういう風に言うのかを雪乃は考えた。きっとクールにこう言うのだろうと声に出して言った。
「もう…どうでもいい。」
(ものまねしたつもりだけど全然似てないな…)
次に雪乃は拓也ならどう言うかを考えてまたものまねをしながら言った。
「もう、どうでもいいよ…」
(ものまね…春人君と同じになっちゃった…)
次に雪乃は真希ならと考えた。
「もう…どうでもいい…バカ…」
(うん。きっと真希ちゃんならバカとか言うよね。)
そう思って雪乃は少し笑った。
(今…私…笑った…なんか…笑ったの…久しぶりだなぁ…)
10
2015年1月28日(水)18時
2015年を迎えもう1ヶ月が経とうとしていた。姫川真希はその間もずっと欠かす事なく雪乃の病室に訪れていた。この日も雪乃に会いに真希は病室に訪れた。蘭と友一も毎日病室に訪れていて毎回真希が行くと気を使って真希と雪乃の2人だけにしてくれて、蘭と友一は病室の外で真希が病室を出るまで待ってくれている。蘭は真希に話し掛けて来る事はしないがその分友一は真希に気を使ってジュース等を手渡してくれる。雪乃は事故に遭ってから1ヶ月以上が経ち少しずつ元の雪乃に戻って来ていて落ち着きも取り戻している。しかし、この一ヶ月はほとんどの会話が真希の一方的な会話で雪乃が話し掛けて来る事はなかった。この日も一方的な会話を終えて真希が帰ろうと立ち上がったその時、雪乃が言った。
「バンド活動は?」
雪乃が声を掛けて来てくれるのはいつぶりだろうと真希は驚いたが、驚いた事が極力雪乃に伝わらないように答えた。
「や、やってないわ。」
「路上ライブも?」
「…うん。」
「私がバンド活動を続けてもいいって伝えてなかったから?」
真希は椅子に腰掛けてから言った。
「…雪乃がこんな体になったのはやっぱり私達のせいなの。だから、バンド活動は雪乃の許可がないと出来ないと思ってる。」
「…私がバンドなんて解散してって言ったら解散するの。」
「……そのつもり。」
「プロ。目指してたのに?」
「…そうね。」
「その程度の夢だったの?」
「…私達は雪乃の人生を狂わせたの。雪乃の言葉は私達のバンドにとってはその程度のレベルなんかじゃない。だから、雪乃がバンドを解散しろと言うなら私達はそれに従う。拓也も龍司も春人もバンドを辞める覚悟をしてる。」
「…そう。練習は?」
「練習?」
「うん。バンドの練習。」
「それもやってない。各自で練習はしてるみたいだけど。」
「…そう。」
と言って雪乃は涙を流し始めた。次第に雪乃は声を出し始め、徐々にその声は大きくなっていった。
「ど、どうしたの?雪乃?」
「ごめぇんなさぁい。ま、ままま真希ちゃん…ヒック…ほ、本当にごめんなさぁい…私のせいで…私のせいでバンド活動出来なくさせてしまって…本当にごめんなさい。」
「雪乃…雪乃のせいじゃないでしょ?私達のせいで雪乃がこんな体になったんだから。」
「私…ずっとイジワルしてた…謝らなきゃって心の中では思ってたのに…思ってたのに…私…全然素直になれなかったの…」
その言葉を聞いた真希は嬉しかった。嬉しくて真希も涙を流し始めた。
「前からずっと謝ろうと思ってたのに…謝らなきゃって思ってたのに…謝る事が出来なかったの…ごめんね。許してほしいんだ。友達のままでいてほしいんだ。でも、その言葉だどうしても出て来なかったんだぁ。ごめん。ごめん。本当にごめんなさい…」
真希はうん。うん。と言葉ではなく頷いた。
「そ、それから…バンド…続けてほしいぃ…私のせいで辞めないでほしいの…」
「…ありがとう。」
「そ、それと…いろいろキツい事言ってごめんなさい。」
「…そんな。いいのよ。」
「そ、それと…私が事故に遭ったのは真希ちゃん達のせいじゃないから…私が悪かったんだから…真希ちゃん達のせいにしてホントに…ホントにホントにごめんなさい。」
真希は声が出ないくらい泣き崩れてしまい顔を横に振る事しか出来なかった。
「真希ちゃん。私。みんなと会いたい。拓也君達連れて来てくれないかな?」
「……いいの?」
「うん。お願い。みんなと会いたいの。みんなと会って謝りたいの。」
そう言って雪乃はまた泣き出した。
11
2015年2月1日(日)13時
「真希。本当に雪乃は俺達に会いたいって言ってくれたんだよな?」
橘拓也の不安そうな言葉に真希はにこりと笑って応えて雪乃の病室のドアを開けた。
「雪乃?」
まず真希が一人で病室に入って行った。それに続いて拓也達が病室に入った。
「皆さん。わざわざすみませんね。それと、ヒドい事を言って本当にすみませんでした。」
蘭は深々と頭を下げて拓也達に謝った。それに続いて友一も頭を下げた。春人が頭を下げたまま頭を上げない蘭と友一に言った。
「おじさん。おばさん。頭を上げて下さい。」
「雪乃。今日は拓也と龍司と春人。それからみなみと結衣ちゃんも連れて来たよ。」
真希が雪乃に告げると蘭と友一は、ゆっくりしていってね。と言って拓也達に気を使ったのだろう病室を出て行った。
「みんな…今まで本当にごめんなさい…」
「雪乃が謝る事ないよ。ね。みんな。」
「そうだよ。謝るなよ雪乃。」
「それと…去年の柴咲音楽祭も…私のせいで出れなくなっちゃった…ごめんね…」
「いいんだよ。そんな事。」
「ごめんなさい…。」
「だから、いいんだってそんな事は。」
「拓也君…そんな事って言うけど…そんな事じゃないよね?音楽祭にみんなが出てたらきっと優勝してたのはLOVELESSじゃくてみんなだよ…優勝したらプロになれたのに…みんなの夢…叶ったのに…」
「出場してても優勝していたとは限らないよ…雪乃がいない俺らのバンドでは…」
「…私がいなくてもみんななら優勝してたよ…私がみんなの夢を奪った…」
「それを言うなら俺達も雪乃の夢を奪った…俺らにはまたチャンスはある。けど…雪乃には…」
「ちょっと春人。」
「…すまない。」
「いいのよ。真希ちゃん。」
「雪乃。実は去年に俺達さ。バンド解散しようかってなってたんだ。雪乃の事故の責任を取る為に。でも、それは逃げてるだけだって思ってさ…」
龍司が話し終わる前に雪乃は、続けてよ。と言った。
「バンド続けて。私、みんなに夢を叶えてほしい。バンド解散するしないの話しは去年から真希ちゃんから聞いてたの。だけど、私なかなか素直になれなくってさ…バンド辞めてほしくないのにその事をちゃんと真希ちゃんに伝えられなかったの。だからバンド。続けてよ。」
「……」
「私さ。リハビリ頑張ってるんだよ。リハビリ頑張ってさ。前みたいにはいかないだろうけど少しでもピアノを弾けるようになってさ。それで私、ピアノの先生にはなれないかもしれないけど、いつかピアノの演奏会を開くんだ。夢…小さくなったと思った?けど、今の私にとってはそれは大きな夢なの。絶対叶えてやるんだから。だから…みんなも絶対夢叶えてよ。そしたら私いろんな人に自慢する。彼らのバンドのピアノを担当してた時期あったんだよってさ。だから、頑張って。私…もう何も助けてあげられないけど…」
「充分…助けてもらったよ。きっとこれからも雪乃の助けが必要になる。」
「…こんな私でもみんなをまだ助けられるかな?」
「うん。」
「そうだ。真希ちゃん。柴咲音楽祭で優勝したひなちゃん達はそれからどうなったの?」
「これからデビューに向けて忙しくしてるみたいだよ。私もそんなに連絡取ってるわけじゃないけど。」
「そっか…ホントにプロになるんだね。みんなが出てたら…」
「雪乃。たらればを言うのはお互いもう辞めよっか。」
「…そう、だね。うん。わかった。あ、そうだ真希ちゃん。そこの引き出しから手紙と携帯獲ってくれないかな?」
真希は雪乃の携帯と手紙を取り出した。
「その手紙開いてくれない?」
真希は手紙を開いて中の文字を読まない様に気を付けて雪乃に見える位置に差し出したのだが雪乃は、真希に手紙の文字を読むように言った。
「雪乃?これは?」
後ろから龍司も手紙を覗き込んだ。
「手紙じゃなくて…歌詞か?」
「そう。歌詞。」
「歌詞?雪乃が作詞したの?」
「私じゃないよ。」
「じゃあ、この歌詞を書いたのは?」
「私の弟子。」
結衣が、凛ちゃん!と声を出して驚いた。
「作曲までは出来てないけど私にって言って読んでくれた。凛ちゃんはすぐにその紙を捨てようとしたけど捨てるぐらいなら頂戴って言ったの。でさ、もし良かったらその歌詞を使って今度4人に歌ってほしいなって思って…ダメかな?」
「もちろん。私、ソッコーで作曲する!」
「ありがとう。真希ちゃん。」
「じゃあさ、ハルの親父さんに頼んでまたライブをさせてもらおうぜ。」
「貴史の時みたいに?」
「それいいわね。」
「迷惑じゃないの?」
「きっと大丈夫さ。父さんは患者さんには優しいからね。頼んでみるよ。」
「嬉しい。じゃあ、路上ライブみたいにアカペラで歌ってほしいな。そしたらこの病室でもライブ出来るよね?」
「父さんに頼めば場所は変えてもらえるよ?」
「ううん。ここがいい。私ここから始めるの。」
「そうか。わかった。」
「じゃあ、その手紙は真希ちゃんに預ける。」
「わかった。携帯は?」
「見せてくれる?」
真希は雪乃が画面を見やすいように携帯を差し出した。
「電源切ってあるから電源付けてくれないかな?」
「うん。」
「電池はあるね。そしたらみんなのグループLINE見せてほしいの。」
「え。うん。いいよ。」
真希は雪乃が見ていないメッセージを雪乃に見せた。雪乃が頷く度、下へとスクロールしていく。雪乃は全てのメッセージを読み終えた後、少し深呼吸をしてから告げた。
「そしたらグループから退出させて。」
「え?」
「私、もうバンド活動出来ないから。」
「でも…」
「お願い。真希ちゃん。みんなもいいよね?だって私、元々ゲストメンバーだったんだし。それに辞める事も決めてたんだし。」
「…わかったわ。」
「おい!真希!それはねーだろ?」
「龍司。落ち着きなさい。私がわかったって言ったのはこのグループとは別にバンドメンバーだけでグループを作る。だからこのグループはみなみも結衣も入れて友達のグループにしようと思ったから。雪乃?バンドのグループじゃなくて友達グループなら退出しないよね?」
「え…でも…」
「バンドのグループじゃなかったらいいんでしょ?みんなもいいよね?みなみも結衣もいいよね?」
「…ありがとう…真希ちゃん。嬉しい。」
真希は自分のスマホからみなみと結衣をグループに参加させた。それと同時にバンドメンバー4人だけで新たなグループもその場で作った。みなみと結衣がグループLINEでメッセージを送ると真希が雪乃の携帯を持って雪乃に画面を見せていた。雪乃は嬉しそうにニヤニヤしながらそのメッセージを見ていた。そして雪乃は真希にコソコソと耳元で話してその言葉を真希が文字にした。ここにいる全員のスマホが鳴った。雪乃からのメッセージが届いた。
-みんなありがとう。-
その文字を読んだ拓也は、こちらこそ。と雪乃に言った。龍司も春人も真希もみなみも結衣も拓也と同じ言葉を次々と言った。雪乃は全員の言葉を聞き終える前に既に泣いていた。窓の外を見ながら真希が恐る恐る雪乃に聞いた。
「雪乃?今でも雪は好き?それとも嫌いになった?」
「雪?今でも好きだよ。」
「よかったわ。」
「真希ちゃん。どうして?」
「雪、降って来たの。外見える?」
「ホントだ。とっても綺麗だね。私、雪大好き。」
「…本当に綺麗。」
*
プルルルプルルル――
「はい。ブラー。」
『……』
「もしもし?どちらさん?」
『…トオルか?』
「……相…沢…?」
『…そうだ。元気そうだな。』
「どうした?急に。」
『いや、娘が…ひなが世話になったな…』
「ああ…いや、俺は何も。」
『あいつの為にバンドメンバーを揃えてくれたそうだな。おかげでプロになれたという連絡がきた。』
「そうか。しかし、ひながお前の娘と知った時は驚いたよ。」
『だろうな。少しひかりの面影があっただろう?』
「…ああ。少しだけな。」
『…トオル?』
「…なんだ?」
『ひなを頼む。』
「……」
『もしお前がよければあいつらのプロデューサーになってやってほしい。』
「…父親も娘と同じ事頼むんだな…」
『ひなも頼んだのか?』
「ああ。以前にな。あと、もう一人同じ事を言う奴がいた。」
『もう一人?』
「…ああ。黒崎だ。」
『…沙耶が?』
「ああ。ひなから聞いてないか?沙耶の事務所にひな達は入ったんだよ。」
『…そう…だったのか…未だにサザンクロスのメンバーとは腐れ縁で繋がっていたとはな。』
「全くだ。」
『で、プロデューサーになる気は?』
「他に気になるバンドがあってな。」
『ひなから少し話しは聞いている。七色の歌声を持つボーカリストがいるんだろう?』
「フン。七色か。確かにそうだな。」
『ひなよりもそっちをとるのか?』
「意地悪な質問だな。」
『だな。』
「まあ、今の俺はプロデュサーになろうという意思はないけどな…」
『そうか。』
「すまないな。」
『トオル?』
「ん?」
『お前、結婚は?』
「まだだ。いい人が見つからなくてな…」
『ひかりの事…まだ引きずっているのか?』
「……」
『何してる。早く結婚しろ。』
「……離婚したお前に言われてもな…」
『だな…』
「ああ。」
『天国のひかりも心配している。早くいい人見つけて幸せになってほしいとな。』
「……」
『トオル?』
「な、んだ?」
『お前まさか泣いているのか?』
「ま、まさか…」
『幸せになれよ。』
「…お、まえもな…」
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今、想う
11月24日
最近体調はすこぶる良好だ。だけど今日は検査の為、結城総合病院に行った。
私が検査中お父さんとお母さんは院長先生と話しをしていた。
院長先生は久しぶりにご両親とお話がしたいから今日一緒に来る様にと以前に言っていた。
久しぶりに話しがしたい――本当にそれだけ?
私が全ての検査を終えた時、お父さんもお母さんも赤い目をしていた。
お母さんの方は瞼が少し腫れていた。
ついさっきまで2人とも涙を流していたのだとわかった。
院長先生から何を言われたのだろう?
気になったけど…聞けなかったよ…私…恐かったから…
だけど…簡単に想像はつくの。私…病気が進行しちゃったんだよね…
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この日は――菜々子は赤色の日記を胸に抱え泣いた。
結城院長先生の鋭い眼光が脳裏に蘇る。
『お父さん。お母さん。娘さんはおそらくあと5年生きられるかどうかだと思います。』
頭が真っ白になって泣き崩れた事を思い出した。
この日は娘の余命を伝えられた日だ。
日記にはまだまだ続きがある。しかし、菜々子は日記の続きを読むのをやめた。
「もう、これ以上私がこの日記を読むのはよくないよね?」
菜々子はここから先の日記はきっと自分達に書いた日記ではないと思った。
「きっとここから先は彼への思いが詰まった日記なのよね?お母さん彼に日記を届けるよ。」
菜々子は娘が書いた鮮明な赤色の日記帳を閉じた。
「日記…読んでもらおうね。」




