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The Voice  作者: 幸-sachi-
The Voice‬ vol.1
17/59

Episode 11 ―名もなきバンド―


2014年8月17日(日)6時


太田が作った今日のライブのポスターが店内の至る所に貼られている。それを眺めながら黒のスーツを着た橘拓也は楽屋へと入った。楽屋には先に着いていた真希と春人が座っている。龍司と雪乃の姿はまだない。相川が拓也に飲み物を何にするか尋ねて来ると拓也はウーロン茶を頼んで席に着いた。足や腕が小刻みに震え出している。

(俺…思った以上に緊張してんな…)

拓也は大きくため息をついた。遅れて龍司が騒がしく楽屋に入って来た。

「おっ。やっぱ雪乃は一番最後か。てか、お前らちゃんと各々練習して来たんだろうな?」

「当たり前でしょ。あと、雪乃は今近くまで来てるけどお店の場所がわからなくなって迷子になってるみたい。私ちょっと外に出て雪乃を迎えに行って来るね。」

「迷子って…もう何回もここには来てるだろう…」

春人が眼鏡の位置を直しながら笑った。真希が楽屋を出て行ってから龍司がネクタイを緩めて言った。

「しっかしスーツって苦しいよな。」

「仕方ないだろ。てか、そもそも衣装を揃えようって言い出したのは龍司だろ。」

真希がウィーンから帰って来た最初の練習で龍司が、初ライブは衣装を揃えようぜ。と言い出した。それに拓也達4人は賛同して着る服は黒一色にする事に決めた。そして、男はスーツを着る事になったのだがスーツを持っていなかった拓也と龍司はバイト代を使い急いでスーツを新調した。男3人は黒いスーツに黒いカッターシャツ。おまけにネクタイも黒で揃えた。真希も黒で統一されたワイドパンツデザインのオールインワンを上品に着込んでいた。


     *


姫川真希はブラーを出て雪乃がいるであろうバス停へと向かった。

(しかし…拓也の奴…随分と緊張してたな…)

こういう時、拓也に強く言っていいものかどうか真希にはわからなかった。

「真希ちゃーんっ!」

と雪乃の泣きそうな声が聞こえた。

「あんた…なんで何度もブラーに来てんのにまだ迷子になってんのよ。」

真希は雪乃の姿を見て驚いた。雪乃はピアノコンクールで着ていた真っ赤なドレスを身に纏っていたのだ。

「ゆ、雪乃…あ、あんた…どうして真っ赤な衣装着てんのよっ!黒で統一するってちゃんと言ったよねっ!」

「ごめん真希ちゃん。いつもと時間が違うから道わかんなくなっちゃった。」

(それはそれでどういう事??)

「ま、まあいいわ…時間もないし衣装はそれでいい。さあ、こっち。着いて来て。」

「はぁ〜い。ねぇねぇ。真希ちゃん。」

「なに?」

「お客さんってもう入ってる?」

「まだお店を開けてないけど、何人かお店の前で並んでたわ。」

「へぇ〜。凄い。あのライブポスターを拓也君達が配ってたからかな?」

「かもね。だけど、雪乃もピアノのコンサートがある時ポスターを配ってくれてたんでしょ?」

「え?なんで真希ちゃん知ってんの?」

「何度かコンサートやってたでしょ?その時お客さんに雪乃がライブのポスターを配ってたって、私の父や母が言ってたし、あと、柴咲交響楽団の高瀬さんもLINEで教えてくれた。」

「あはっ。そうだったんだ。」

ブラーの前に着くと真希が店を出た数分前よりもお店の前にはお客さんが並んでいた。真希の顔見知りはまだ一人もいなかった。その人達の全員が今、雪乃の方を見つめている。おそらくこの人達は雪乃のファン達でバンドで演奏する雪乃の姿を見たくてここに来た人達だとわかった。

(そうよね。天才ピアニストがクラシックじゃなくてロックを演奏するんだもん。ファンにとってはたまんないよね。そして…この人達は私達が目的で来たわけじゃない。雪乃目当てで今日ここに来た人達だ。この人達を私達のファンにしなくちゃいけない…いきなり初ライブで私達の実力が試されるんだ。)

「真希。」

とその時真希の背後からひなの声が聞こえた。

「凄いやんか。もうお客さんが並んでるやん。うちらとは大違いや。」

ひなの後ろには赤木と郷田と西野の3人もいた。そして、ひなは、はい。と言って一枚のチラシを真希に手渡した。

「これは?」

「今年の12月にエンジェルって店で…ああ。真希はその店知ってるんやな。とにかくそのエンジェルとかいう店で開催されるオーディションや。優勝したらプロのミュージシャンになれるらしいで。ウチも昨日このチラシ知ったとこやねん。ウチらもこのオーディション参加するからあんたらも参加しいな。あと、チラシの裏にウチのLINEのIDも書いといたから後で連絡ちょうだいな。」

「どうして?ひな達が参加するオーディションにわざわざ私達を参加させようと?私達のバンドはひな達にとって敵にもならないと思ったからこのチラシを私に?」

「ちゃう。ちゃう。逆や。ウチらがプロになるにはまずあんたらと真っ正面から戦って倒さなあかん。そういう相手やと思ったからこそこのチラシを渡す事に決めてん。赤木は強敵をわざわざ参加させる必要はないって止めたんやけどな。ウチはあんたらと戦ってみたいと思ってん。」

「そう…とりあえず、このチラシは拓也達に見せてみる。」

よろしくっ。とひなは言った後、雪乃の方を見て、この子がピアニスト?と真希に聞いた。真希は軽く雪乃をひなに紹介した。雪乃は関西弁を話す人と初めて会ったらしくて、ウチ長谷川雪乃。や。高校3年生。や。とヘタな関西弁で挨拶をしていた。

「ウチも高3や。同いやね。よろしくな雪乃。ほな、ウチらも列に並ぶわ。また人が増えてきたみたいやし。」


     *


栗山ひなは列に並びながら赤木に聞いた。

「なんで拓也らのライブこんなに人が集まってんの?ウチらん時こんな並んでへんかったんちゃう?」

「あいつら路上ライブやってっから、それでじゃねーの。」

郷田が小さな声で言った。

「赤木そうじゃねーみてーだぞ。今、後ろに並んだ子が言ってたんだけどよ。さっきのあの雪乃とかいうピアニスト。かなり有名らしいぜ。」

「あの寝癖チンチクリンピアニストが??そんな有名なんか?人は見かけによらへんなぁ。」



橘拓也は自分でも口数が減ったと気付いた時、真希が雪乃を連れて楽屋に戻って来た。雪乃が入って来た瞬間龍司は叫んだ。

「おいてめぇ〜!なんで真っ赤なドレスなんか着ちゃってんだよっ!黒で統一するって話どこいったんだよっ!」

雪乃はしゃがみ込む様にして龍司を恐れた。

「だ、だって…私バンドメンバーじゃないし…ゲストだし…目立たないようにした方がいいかなって思って…」

「俺ら全員黒一色だぞっ!真っ赤なドレス着て目立たないわけねーだろっ!一番目立つ気満々じゃねーかっ!」

雪乃は愉快そうにエヘヘと声を出して笑った。

「ゲストでも一緒に演奏すりゃーバンドの一員なんだ。揃えて来いよな。おい。真希近くに服屋あったろ?そこに雪乃連れて黒い服なんでもいいから買って来いよ。」

「なに言ってんのよ。服買いに行ってる時間なんてないわよ。今回は衣装を揃えるのは諦めましょう。雪乃。あんた衣装を変えたくないからわざと遅刻したでしょ?」

雪乃はまたエヘヘと笑った。真希は頭を抱えながら言った。

「ここでモメてたら演奏に響くからやめましょう。それに雪乃だけ衣装が違う方がゲスト感があって逆にいいかもね。」

「俺は納得いかねーな。」

「龍司。雪乃はあくまでも今のところは私達のバンドのゲスト。バンドメンバーとは違う。それに雪乃は全国でも有名なピアニストなの。そんな人に私達は力を貸してもらってるの。その事を忘れないで。」

「…チッ。わーったよ。」

拓也は時計を見た。時刻は6時40分。

(あと20分で始まる…)

「店にお客さん入って来たみたいだね。声がするよ。」

春人が真希に言った。

「うん。私らが店に入った後、トオルさんがお客さんを入れてた。雪乃のおかげでオープン前からお店に列が出来てたよ。」

「雪乃のおかげ?」

「うん。雪乃もコンサートの度に太田君のポスターを配ってくれてたの。そうよね?」

「うん。私あのポスター大好き。オシャレだし。手に取ってくれた人達も喜んでた。」

「俺らが路上ライブで配った人達もちゃんと来てくれんだろうな。」

「さあ、そればっかりはわからないな。雪乃と違って俺らは無名だからね。」

「…確かに有名なピアニストに直接ポスターを貰うのと俺らみたいな無名な輩からポスターを貰うのとでは来るか来ないかの判断はかなり変わってくるもんな…てか、真希その手に持ってるチラシはなんだよ?」

「あ。これ?さっき店の前でひな達と会って渡されたの。ひな達も参加するオーディションだって。」

龍司は真希が持っていたチラシを受け取った。

「なになに?第一回柴咲音楽祭?なんだこれ?開催場所…エンジェルじゃねーか。」

春人がそのチラシを覗きながら言った。

「審査員はレコード会社の人達だね。あ。この石原一成ってこの前デビューした新人のボーカリストだ。」

「え?石原一成!」

真希が龍司からチラシを奪い取った。

「なんだよ真希?知り合いか?」

「知り合いじゃないけど、この石原って奴は龍司も会った事あるわよ。」

「俺そんな奴知らねーよ。」

「覚えてない?あの郷田さんと西野さんが組んでたバンドのボーカルよ。」

「え?まさかあのダッセー緑色の頭の?郷田達を裏切って一人でプロになったっていう。」

「そうよ。まさかあの人が審査員の一人とはね。」

「てか、あいつエンジェルで暴れたくせによくエンジェルで審査員なんかできるな。」

「よくあんたがそんな事言えるわね…誰が暴れさせたのよ。」

4人が会話をする中、拓也は一人何も話さなかった。その様子に気付いた雪乃が拓也の横に座って言った。

「拓也君。もしかして緊張してるの?」

「う、ううん。」

「大丈夫?」

「た、ぶぶぶぶん。」

拓也がそう答えると雪乃はケラケラと笑った。拓也は本番前にライブと関係のない話が出来る4人が羨ましかった。

トントン―楽屋のドアがノックされた。

(とうとう来た…)

相川が、そろそろ時間だ。お前ら始めてくれ。と拓也達5人に言った。

「じゃあ、お前ら円陣組むぞ。」

龍司がそう言った。拓也は震える足で立ち上がり5人は輪になった。拓也も真希も春人も龍司を見つめた。掛け声を出すのは龍司の役目だと4人の中では決まっているからだ。雪乃だけはそれを知らなくて4人をキョロキョロと見ていた。そして、雪乃は言った。

「ねえ。ねえ。ところでバンド名ってなんなの?」

「そんなもんねーよっ!てか、今それ聞くところか?俺ら円陣組んでんだぞ!」

「ごめん。つい気になっちゃって。」

「確かに。そろそろバンド名決めないとな。」

「おい。ハル…。」

「あ、ごめん。ごめん。」

「私、ヴォイスってバンド名いいと思うんだけど。カタカナ表記はウに点々と小さいオと書く方のヴォイス。」

「ヴォイス?雪乃どうしてヴォイスなの?」

「おい。真希まで…。」

「このバンドみんな歌えるでしょ?だから、ヴォイス。」

「雪乃。あんたは歌えないでしょ!」

「私はゲストだからいいのよ。」

「あーっ!うっせぇ!うっせぇ!バンド名なんかまた今度でいいっ!お前ら円陣組んだままずっと話してるつもりか!」

「そ、そうね。龍司の言う通りだわ。雪乃。バンド名はまた今度。今はライブに集中しましょう。」

「はーい。」

再度、拓也と真希と春人の3人は龍司を見つめた。雪乃はまた4人をキョロキョロと見て、そして言った。

「ねえ。ねえ。ところでバンドのリーダーって誰なの?」

龍司はかくんっとこけるように円陣で組んでいた肩を外した。

「なんだよ!それも今必要か?」

雪乃は龍司を恐れる様に弱々しく言った。

「必要だよ。誰がバンドをまとめるの?ライブのMCで誰がメインで話すの?」

「リーダーなんて決めてねぇよ。」

「せっかくだし、リーダは今決めてしまわないか?」

春人が言った。真希も春人の意見に賛成した。

「そうね。そうしましょう。」

「やっぱりリーダーはしっかりした人が良いと思うの。」

と雪乃が言うと龍司はまるで自分がリーダーに相応しいと言わんばかりに胸を張って大きな咳払いを一つした。

「俺は単純にバンドを始めたいと言い出したタクが一番リーダーに相応しいと思うけどな。」

自分の名前が出てくると思わなかった拓也は驚いて春人の方を見た。

「そうね。それでいいんじゃない。」

続けて真希もそう言った。拓也は春人と真希の顔を交互に見た。

「え?俺?無理だよ。向いてないよ。」

「そういう人が一番リーダーになると頑張るものよ。」

真希はそう言ったが龍司の意見は違った。

「俺もタクはリーダーに向いてねぇと思うな。」

龍司にそう言われると拓也はそれはそれでショックだったが自分でもリーダーには向いてないと思うから龍司に言われても仕方がない事だった。

「雪乃はどう思う?」

真希が雪乃に意見を求めると雪乃は、う〜ん。と考えてから、「拓也君ではないかな…。」と言った。拓也は龍司に続き雪乃からもリーダーに相応しくないと思われていた事に傷ついた。龍司は背伸びをしながら、しょーがねーなー。と言ったが拓也はそれを気にせず春人に聞いた。

「ハルはさっき単純にバンドを始めたいと言い出した俺がリーダに相応しいって言ったけど、本当の意味でリーダーに相応しいと思う人は誰だと思う?」

春人は拓也から目線を移す。春人は龍司を見た。龍司は嬉しそうな表情を浮かべたが春人の目線は龍司から真希の方へと移動した。真希は驚いた表情を春人に見せている。そして、春人はリーダーに相応しい人の名前を言った。

「ヒメ。」

真希は驚いている。龍司は自分の名前を呼ばれなくてショックを受けている。拓也も拓也でリーダーになりたかったわけではないが龍司と雪乃と春人からリーダーに相応しい人物ではないと思われていた事がショックだった。

(いや、待てよ…さっき俺がリーダーに向いてないと言った時、真希もそういう人が一番リーダーになると頑張れるものよ。と言った。つまり真希も俺はリーダーに向いてないと思ってたんだ…俺はここにいる4人全員からリーダーに向いてないと思われていたんだ…)

「春人君が言うように私も真希ちゃんが一番リーダーに向いてると思うな。しっかりしてるし、人前で話す事も出来る。うんっ!真希ちゃんがいいな。拓也君と龍司君はどう思う?」

「俺も真希がリーダーに一番向いてると思う。」

と拓也は素直な気持ちを言った。続けて龍司も、「しょうがねぇ。じゃあ、俺も真希でいい。」と少し悔しそうに言った。

なかなか楽屋から出て来ない拓也達を心配してもう一度相川が楽屋に来た。

「お前ら何してんだよ。時間だぞ。早くしろよ。」

「わかってる。もう出るからちょっと待って。」

と真希は相川に告げた。相川が楽屋を出たところでまた5人は円陣を組んだ。拓也と真希と春人は龍司を見つめた。雪乃はまた4人をキョロキョロと見ていたが今度は何も話さなかった。龍司は真希に聞いた。

「掛け声は俺でいいんだよな?」

真希はこくりと頷いた。それを見て龍司はいつも通り、楽しもう!と言った。その言葉はいつもより力強かった。春人と真希が、おう!と言う。拓也も大きな声で、おう!と続いた。雪乃も遅れてはーい。と楽しそうに返事をした。真希が靴を脱ぎながら、

「じゃあ、拓也。雪乃。私達は先に行って来るね。」

と告げ靴下を脱ぎ、その靴下を床に乱暴に投げ捨てた。

「龍司。春人。行くよ!」

と真希は叫ぶ様に言った。龍司は腕をストレッチしながら、「おう!長かったぜ。やっとドラムを本気で叩ける。」と嬉しそうに言って春人は眼鏡拭きで眼鏡を拭いてから少し拓也の方を見て微笑んだ後3人は楽屋を出て行った。



ダダダダン―物凄い龍司のドラム音に橘拓也は体をびくりとさせた。

「驚いたねぇ。」

雪乃が楽屋のドアの方を見て言う。龍司のドラムは今まで聴いたどのドラムの音よりも重低音が利いている様に拓也には聴こえた。

最初の一曲目は真希が作曲した3分程度の短いインストゥルメンタル曲BATTLEだ。

龍司がドラムを4回ダ・ダ・ダ・ダンと叩きその後にベースが入る。それを7度繰り返すと音程が変わってギターが入り、しばらく演奏が続くとベースが主役になりドラムとギターの演奏はほとんどなくなる。そして、サビに入るとギターが主役になりドラムもまた鳴り出す。サビが終るとまたドラムが4回ダ・ダ・ダ・ダンと鳴りその後にベースが入り、それを7度繰り返すと音程が変わりギターが入る。そして、またベースが主役になりサビへと入る。これの繰り返しの曲なのだが、素晴らしく格好良い曲だと拓也は思う。

「なんか龍司君今までドラムを叩けなかったうっぷんを晴らしてるみたいだね。しっかしこりゃたまげたねぇ。龍司君腕折れてたし練習では軽く叩く程度だったから気が付かなかったけど、こんなにドラム上手かったんだね〜。ホント驚いたよ。」

拓也も楽屋のドアの方を見て震える声で言った。

「俺も…驚いてる。」

「うん?」

「俺も龍司が本気で叩くドラムを聴くの初めてなんだ…」

「そうだったの?意外ね。」

雪乃は楽屋のドアを少し開けて覗き込む様にステージを見た。拓也も雪乃の後ろからステージを見た。

「凄く一杯お客さん入ってるね。お客さんも龍司君の最初のドラムの音でびっくりしたんだろうな。あ。私の弟子もちゃんと来てるよ。後でみんなに紹介するね。しかし、この曲練習では聴いてたけど、やっぱり本番となると違うねぇ。龍司君が本気出したから違う様に聴こえるのかなぁ?う〜ん。この曲カッコいいなぁ。真希ちゃんにお願いして今度ピアノありバージョンも作ってもらおーっと。」

雪乃は楽しそうだ。いつもより口数が多い気がする。拓也はというと笑顔すら出せず余裕が全くない。

お客さんは立ち見が出る程満席だった。その様子を目の当たりにして拓也は余計緊張してしまった。

このブラーで立ち見が出る程人が入っているのを拓也はバイトをしてから初めて見る。そして、この3分ちょっとの曲が終れば自分があのステージに立っていると考えると体がまた震え出した。雪乃は楽屋のドアを閉めて拓也の目の前に立ち拓也の顔をじっと見つめた。

「ゆ、雪乃…な、なに?」

「緊張してる拓也君に魔法を教えてあげようと思って。」

「魔法?」

雪乃は楽しそうに、うん。魔法。と返事をしてから言った。

「私ね。コンクールやコンサートの前にはいつも必ず緊張しない様に魔法をかけてるの。」

「は、はあ…てか、雪乃も緊張するんだ。」

「するよ。だから魔法をかけるの。」

「その魔法ってどんなの?」

「言葉よ。」

「言葉?」

「うん。魔法の言葉。私には出来る。私には出来る。って言うの。」

「それが…魔法の言葉?」

「そう。拓也君。声に出して言ってみて。」

「思うだけじゃダメなのか?」

「ダメ。ダメ。声にしなきゃ意味ないの。さあ、時間ないよ。早く。」

「俺には出来る。俺には出来る。」

「もっと大きな声で!」

「俺には出来る!俺には出来る!」

声に出して言うと拓也の緊張は少し和らいだ――気がした。それに気合いも入った。――ーような気もする。

「少しは楽になったでしょ?」

「確かに…多少は…」

雪乃は満面の笑みを浮かべた。

「うん。じゃあ、これからも魔法をかける事を忘れないでね。わかった?」

「わかった。」

「さあ、曲が終わるよぉ!行くよぉ!私燃えてきたよぉ〜!」

龍司のダダダダン―という最後のドラムの音で一曲目が終った。」


    *


ダダダダン―という物凄い龍司のドラムでライブが始まった。立ち見席にいた佐倉みなみはその音で体がびくりとした。隣に立っている五十嵐やライブを撮影している太田や目の前に立っている知らない人達も同じ様に体をびくりとさせて驚いていた。だけど横に立つ結衣はその音にびくりともしなかった。龍司のドラムには慣れているのだろう。

1曲目はとてもカッコいいインストゥルメンタルの曲だった。3分少々でその曲は終わり楽屋から雪乃と拓也が現れた。ステージに上がる雪乃に物凄い歓声が店内に響き渡った。

(さっきの1曲目。3人でも凄い演奏だったのにこの後、雪乃と拓也君が入ったらどこまでこのバンドは凄くなるんだろう。ライブが始まってからドキドキが止まらない。楽しくてワクワクする。次はどんな曲なんだろう。)



雪乃の登場に悲鳴の様な声が店内に鳴り響いた。当然ながら雪乃の後にステージに立った橘拓也には声援はほぼない。が、しかし、みなみや結衣が声援を送ってくれて、ひな達LOVELESSのメンバーも拓也の名前を呼んでくれた。拓也はステージ中央に立つと目を閉じた。

(俺達の名前のないバンドの2曲目は、真希が作詞作曲を担当した曲。ボクのココロというタイトルの曲だ)

拓也は閉じていた目をパッと開いた。沢山のお客さんの顔が一気に拓也の目に映し出された。その中にみなみの楽しそうな顔が映った。


■■■■■■■■■■


「ボクのココロ」

黄色に敷かれた自然のカーペットがボクを寒い場所へと誘うかのように

冬の入口がもうすぐそこまで


なぜだろう?キミの「大丈夫」という言葉に

不安になったあの日を思い出した


Yeah

いつまでも止まってられない わかってるけど動き出せない

ボクにはキミが必要だったんだね ランララン♪

キミの心にボクがいなくても ボクの心の中にはキミがいる


薄紅色に染まった川の流れがもうすぐ温かくなる事を告げていた

時が過ぎてもボクの心は変わらない


なぜだろう?キミの「大丈夫」にいう言葉に

救われたあの日を思い出した


Yeah

季節が変わってもボクは何も変わらない あの日から立ち止まり何も進んでいない

これじゃダメだキミ以上を探すんだ ランララン♪

キミの心にボクがいなくても ボクの心の中にはキミがいる


暗闇の中を今は抜け出せなくても いつか光りが届くと信じてる

そしてきっとキミを忘れるくらいの出会いが待っている ランララン♪

キミの心の奥底にボクがいなくなっても ボクの心の奥底にはきっとキミがいる


今はキミの言葉ひとつひとつが思い出せる

今ならキミの言葉ひとつひとつが思い出せるのに


■■■■■■■■■■


     *


ライブが始まり栗山ひなは立ち見席で腕組みをしながらステージを睨む様に見ていた。

「目つきスゴワル女…まさか左利きやったとはな…あん時…あいつ本気出さずにウチらを感動させたんか…」

赤木はひなの驚いた言葉にふふっと笑ってから言葉を付け足した。

「しかも龍司は片腕だった。」

2曲目が始まった。拓也がどんな声で歌い出すのか楽しみだった。曲のイントロはバラード調なのだが拓也が歌い出す前に曲調は楽しい感じになっていく。と、同時に拓也や真希、春人は一斉にその場でジャンプをしだした。ジャンプ出来ない龍司は頭を激しく上下させ、雪乃は立ち上がり体全体で楽しさを表しながらピアノを叩く様に弾いていた。楽しい曲調だけど歌詞はとても切ない。そんな感じの曲だった。そして、拓也の声はこの曲ではいろんな声を使わずに地声だけで歌っていた。この曲ではまだ拓也の本当の凄さがわからない。だけど、この名前のないバンドの凄さは伝わった。赤木がひなの耳元で、あいつらのバンドどう思う?と聞いてきた。ひなは拓也達から目をそらさず答えた。

「正直ウチは驚いてる。拓也と左利きとは知らんかったけど目つきスゴワル女が凄いのはわかってた。それに、あの骨折れ金髪も前会った時からドラムが上手いんやろうなって予想はしてた。けど、ウチの予想以上やわ。あのインテリお気楽メガネと寝癖チンチクリンピアニストまで凄い。よくここまでのメンバーが一つのバンドに集まったもんやわ。」

「俺らも負けてらんないよな。」

「ほんまにな。」


     *


姫川真希が作詞作曲したボクのココロという曲が始まった。バラード調から楽しい曲調に変化したら全員その場でジャンプしようとこの曲が出来た当初から龍司が言っていた。

メンバー全員がジャンプ又は頭を上下に振り出すと客席でも真似をしてジャンプする人がいたり、顔を上下に振ってくれる人がいた。出だしは順調だった。だけど、途中から何かがおかしいと真希は気付き始めた。真希は演奏しながら何がおかしいのかを耳で探った。そして、その原因を突き止めた。

(雪乃だ!雪乃が楽譜を無視して演奏しだしたんだ!)

『なに勝手な演奏をしてんの!』と真希は雪乃を睨みながら心で思ったが伝わるわけもなく、雪乃は演奏に没頭していてこちらを見る事もしなかった。

(しまった…雪乃は楽譜通り演奏するタイプじゃなかったの忘れてたっ!まあ…仕方ないわ…ベースの春人とドラムの龍司がしっかりしてくれてるから拓也もちゃんと歌えてる。このままいくしかない)

そう思った時、春人のベースが乱れ始めた。真希は春人が雪乃につられて演奏がおかしくなってきたのかと思い春人の方を見た。春人は真希の方を見ない。『こっち見ろ!』と真希は心の中で春人に言うがこれも伝わるはずもなかった。春人も何かがおかしいと思った。

(ま、まあ…最悪ドラムさえしっかりしてればいいわ)

と思った時、真希は龍司のドラムの音がどんどん弱々しくなってきている事に気が付いた。

次に真希が龍司の方を見ると龍司はもう顔中汗びっしょりになっていた。『ちょっと!あんたまでどうしたのよ!』真希の心はそう言っていた。そして気が付いた。

(ま、まさかコイツ…腕に痛みが出てきたんじゃ…)

龍司は痛そうな顔をしながらドラムを叩いている。

(間違いない。このバカまだ2曲目なのにもう痛み出てる!1曲目から飛ばし過ぎなのよ!しょうがない…私が出来る限り拓也をフォローするように演奏するしかないわ…)

真希はもう一度春人の方を見た。『春人…あんたは大丈夫のはずでしょう?一体どうしたのよ』と心の中で言った後、何かがおかしいと思った。そして、それに気が付いた。

(春人…眼鏡してないじゃん!どうして?さっきまで眼鏡してたはずなのに…)

真希が春人の足下を見ると春人の高級眼鏡は持ち主に何度も踏まれた後で無惨にもレンズが割れフレームが折れ曲がっていた。どうやら春人はジャンプしたせいで眼鏡を落としてしまっていたらしい。今はほとんど見えていない状況でベースを弾いている。

(春人までなにやってんのよもう!

でも…いいわ…なんでもいい。

今、この時が私は本当に楽しい。楽しかったらなんでもいい。やってやるわ!)



雪乃がアドリブの演奏を続け自分がしっかりしないとと思った矢先、結城春人はジャンプをしすぎて眼鏡を落としてしまった。しかも落とした瞬間自らその眼鏡を踏んでしまった。おそらくレンズは割れ眼鏡フレームは折れてしまっているだろう。高級眼鏡を壊してしまったショックと手元すらぼやけてしまう視力とで春人はかなり焦りながら演奏を続けていた。しばらくして龍司のドラムが勢いをなくしてしまっている事に気が付いた。気になって龍司の方を見たが眼鏡を掛けていない春人には今龍司に何が起こっているのかわからなかった。

なんとか2曲目が終った。練習通りには全くいかず全然違う曲になっていたが、元の曲を知らないお客さんにはわからなかったようで胸を撫で下ろしたのも束の間、続けて3曲目の「覚悟」を演奏する予定になっていた。春人は少し落ち着く時間がほしいと思ったその時、3曲目に入る前に真希が突然話し出した。元々このタイミングでMCを挟む予定はなかったが、真希は少しメンバーに時間を与える為に話し出したのだ。春人は真希が話している間、足下にある無惨に壊れた眼鏡を拾った。「はあ。」と重たいため息をついた時、真希がマイク越しに、あのベースを弾いてる彼は結城春人。と紹介した。

「あんた眼鏡どうしたのよ?ベースちゃんと見えてんの?」

春人はマイクを使うのを忘れて、

「ジャンプしてる時に眼鏡落としてしまった。ほとんど見えない。」

と言った。真希が、マイク使って話しなさいよ。と言うとお客さん達にどっと笑いが起きた。

真希は続けて、「今の曲で彼、ジャンプし過ぎて眼鏡落としたんですって。ほとんど見えてないみたい。あれ確か高級眼鏡よね?」と言った。クスクスと笑い声が客席から聞こえた。そして、春人頑張れー。と言う女性の声がどこかから聞こえた。それに続いて他の場所からも男の低い声で、春人ー!と叫ぶ声がしてまた店内は笑いに包まれた。

(最初の女性の声…あれは…楓…の声?きっとそうだ。間違いない。楓がライブに来てくれてるのか?もし来ているとしたら真希が誘ったって事か。)

笑いが止むのを待って真希は春人にマイク越しに聞いた。

「あんた。替えの眼鏡とかコンタクトは持って来てないの?」

春人は今度はマイクを使って答えた。

「予備は持ってないんだ。」

すると雪乃がマイクを使って大きな声で、あ〜あ。と言った。店内からはまたクスクスと笑い声が聞こえた。続いて真希は龍司の紹介をした後、龍司にも声を掛けた。

「あんた2曲演奏しただけで汗びっしょりよ。大丈夫?」

龍司がマイクを使わずに、問題ねぇ。と言った声が春人に聞こえたが、なぜ龍司のドラムに勢いがなくなったのかはわからなかった。

「彼ね。この前まで腕折ってギプスしてたの。で、練習ではほとんどドラム叩いてなかったからほんと久しぶりにドラム叩いたの。最初は勢いよかったのに途中で失速したのは痛みが出始めたんだと思う。」

と真希が言うのを聞いて春人はなるほどと龍司の状況を把握する事が出来た。店内では、龍司ー!頑張れー!という声が響いた。龍司が大声で、おおー!と返事をすると店内にはまた笑いが起きた。

そんな会話を聞いていると春人は随分と落ち着く事が出来た。おそらく物凄く緊張していたであろう拓也も落ち着く事が出来たと思う。そして、龍司も腕の痛みを少しは和らげる事が出来た。

早速真希がバンドのリーダーらしい行動をとった事に春人は感心した。

(やっぱりこのバンドのリーダーは真希で正解だったな。)


     *


7時45分。ファーストステージが終ってバンドメンバーは楽屋へと戻った。店内はBGMが流れ照明も明るくなった。咲坂結衣はこの名前のないバンドの演奏を初めて聴いた。路上ライブにも行った事がなかったから隣にいるみなみより自分が感動している事に気が付いた。一番驚いたのは拓也の声だった。2曲目から登場した拓也は普通に上手いと感じた。3曲目からはファルセットを使い出し、こんな綺麗な声が出せるのかと思った。4曲目に歌った曲で拓也は女性の声を出した。拓也が女性の声を出せるというのは知っていたのだが、それでも結衣は本気で一瞬真希が歌い出したのかと思って真希の方を見てしまった。周りの人達は結衣以上に拓也の声を知らないわけだから相当驚いていたと思う。

「拓也くんの声。動画で聴くのとはやっぱり違うね。お客さん達もこんなに色々な声を出せる人なんだってホント驚いてると思うよ。」

結衣がみなみにそう言うと、みなみは「そうだよね。驚くよね。」と、嬉しそうに答えた。

「このバンド凄いよ。本当に凄い。」


     *


ファーストステージが終わり神崎龍司は倒れ込む様に楽屋の床に寝転んだ。

「大丈夫?」

真希が心配そうに聞いた。龍司は、問題ねぇ。と答えたが腕の痛みはどんどんと悪化していた。

「腕に効くかわからないけど、痛み止めなら持ってる。飲んどいた方がいい。」

春人が龍司に薬を差し出した。龍司は、さすが医者の息子。と言ってその薬を飲んだ。

「すまねぇな。俺のせいでファーストステージ10曲演奏する予定が6曲になっちまった。あんなに練習したのにホントすまねぇ。」

「しょうがないわ。セカンドステージも極力MC増やして曲は減らしましょう。みんな良いよね?」

真希が言った言葉に拓也達は頷いた。

「で、春人。あんたは大丈夫?」

「ああ…ほとんどボヤけて見えないけどなんとか大丈夫。それよりヒメ。楓が来てるのか?」

「来てるよ。あんたの前方にいるよ。」

「そっか。ライブ誘ってくれたんだ。」

「そうよ。この前、偶然会ってね。あんたが誘ってなかったから代わりに私が誘ったのよ。」

「ありがとう。」

コンコン―と楽屋のドアがノックされて、休憩中すまない。と言いながら間宮が入って来た。

「セカンドステージが終ったら2階の楽屋を使ってくれないか?」

「何か問題でも?」

真希がそう聞くと間宮は頭を掻きながら、

「いや、お客さんが思った以上に入ってるからお前ら2階使った方がいいかなと思ってな。この楽屋使ってたらお客さんお前らが出て来るのずっと待ってる可能性あるし。」

「そう?大丈夫だとは思うけど。」

「まあ、一応だ。今のうちに2階に荷物運んでおいてくれ。」

そう言って間宮は楽屋を出た。腕を痛めている龍司と眼鏡がない春人の分まで拓也が一人で2往復して真希の靴と靴下以外の荷物を2階に運んでくれた。そして、荷物を運び終わった拓也は、「相川もトオルさんも今日は接客で一杯一杯みたいだ。何か飲み物が欲しかったら俺が用意するけど。」と言った。真希は、トオルさんはお客さんがたくさん入ってくれて喜んでるわよ。と拓也に言った後、ウーロン茶を5人分頼んでいた。

15分の休憩の後、セカンドステージが始まった。1時間前のファーストステージの時は龍司と真希と春人の3人がステージに立っても観客からの拍手はまばらだった。ほとんどの人が雪乃目当てで今日ここに来たのだと痛感したが、このセカンドステージはバンド全員に拍手が送られているのだと龍司にはわかった。なぜなら雪乃への声援だけじゃなく真希のMCのおかげで「龍司ー!」という声や「春人頑張れー!」と言う声が聞こえたからだ。

(ハルに貰った痛み止めも効いて来た。これなら1時間くらいは大丈夫だ。やってやるさ。)



1週間前に白石凛は雪乃から今日のライブを見に来てほしいと頼まれた。最初凛はライブという言葉に違和感を感じた。

(コンサートじゃなくってライブ?)

詳しく聞くと雪乃はバンドにゲスト参加しているという。どんなバンドなのかと凛が質問すると雪乃はそのバンドのメンバーの名前と担当楽器を言うだけでどんなバンドなのかいまいち凛にはわからなかったし、聞いた名前も覚える事が出来なかった。

凛がどこでライブをするのかと聞くと柴咲駅の近くにあるブラーという名の店だと答えた。凛はその店に2回程行った事があったので場所の心配はいらなかった。

「で、師匠はその日のライブだけゲスト参加するの?」

「う〜ん。バンド活動楽しいし、もう少し続けるつもりだけど。どうしよっかな〜。」

(全く…師匠は何を考えているのだろう…これからコンクールもコンサートもあるのにバンド活動をするなんて…)


凛は雪乃からピアノを習っていた。最初凛は雪乃の事を先生と呼んでいたが、先生と呼ばれるのが嫌だったようで雪乃は、私の事は師匠と呼んで。と言った。仕方なく凛は雪乃の事を師匠と呼ぶ事にした。雪乃は凛の事を弟子と呼んだり凛ちゃんと呼んだりする。

元々凛はちゃんとしたピアノスクールに通っていたのだが家庭の事情でそれを続けられなくなった。凛がその事を雪乃に告げると、「ピアノを続けたいんなら私の家に来たらいいよ。私がピアノを教えてあげる。もちろんお金はいらない。全くピアノを触らなくなるよりいいでしょ。」と言ってくれた。雪乃は才能あるピアニストでその人からピアノを教えてもらえるのは本当に光栄な事だったのだが、凛は雪乃に申し訳なくて、「私にピアノを教える暇なんてないでしょ。人にピアノを教えてる暇があるなら雪乃さんは練習したいはずです。私が雪乃さんの立場なら人にピアノなんて教えずに夢を追いかける為に時間を使います。」と言ってその申し出を断った。すると雪乃は凛が予想していなかった言葉を言った。

「凛ちゃん?私の夢はピアノの先生になる事なんだよ。」

凛はその言葉にどうしてこんなに才能がある人がピアノの先生が夢なんだろうと驚いた。

「どうして?雪乃さんなら有名なピアニストになれるはず。なのにどうしてピアノの先生になる事が夢なんですか?」

「う〜ん。わかんない。」

(まったく…この人は何を考えてるんだろう…)

結局、凛は雪乃にピアノを教えてもらう事にした。雪乃の夢はピアノの先生になる事なのにどうして先生ではなく師匠と呼ばせるのだろうかと凛は不思議だったが、それは夢が叶う時まで先生と呼ばれたくないと思っているのかもしれない。


ライブが始まった。ギターの女の人と金髪のドラムの人と眼鏡を掛けたベースの人がステージに立った。雪乃の姿はなかった。1曲目はインスト曲だった。素直に凛はカッコいい曲だなと思った。そして、凛は気が付いた。

(あのベースの人…私が前ここでライブを見に来た時演奏してた人だ。それにあのドラムの人も見た事がある。確か結衣が恋いこがれてる人で…初めてこの店に入った時モメててこの店でバイトしてる人とバンドを結成してた。)

1曲目が終るとやっと雪乃が出て来た。凄い声援だった事が凛には嬉しかった。そして、凛はボーカルの赤髪の男の人を見て『やっぱり。』と思った。

(あの人この店でバイトしてた人だ!今年の4月に結衣に誘われて初めてこの店に入った時女性の声を出して歌った姿は今でも覚えてて忘れられない。)

このバンドの曲を数曲聴いて凛は本当に驚いていた。色々な声が出せるボーカルにあのドラムの凄さ。ベースの人も凄く上手い。そして、あのギター。

(あのギターの音色…どこかで聴いた事がある…どこで聴いたんだろう?でも確かに私はこの特徴のあるギターの音色をどこで聴いた覚えがある。)

ファーストステージが終った時、明るくなった店内を凛は見渡した。どこかに結衣が来ているのかもしれないと思ったからだ。そして、凛は結衣の後ろ姿を発見した。ゆっくりと凛は結衣に近づいた。そして、「わっ!」と声を出して結衣を脅かせた。結衣は「うわぁぁ。」と驚いて振り返った。

「あ、あれ?り、凛。どうしてここにいるの?」

「あのピアニスト。私の師匠なの。だから。」

「え?うっそー!そうだったんだ。凛の師匠が雪乃さんだったなんてビックリだよ。」

「あのドラムの人は龍ちゃんって結衣が呼んでる人だよね?」

「そうそう。しっかし世間って狭いねー。凛の師匠と龍ちゃん達が同じバンドでやってるなんて。てか、龍ちゃん腕痛そう。本来ならもっと凄いんだけどね。」

「充分凄いよ。それに師匠は楽譜通りに演奏してないのにそれにちゃんとついてってる。凄いドラムだってすぐわかったよ。」

「雪乃さん楽譜通りじゃないの!?それについていってるってさすが龍ちゃんだねぇ。」

と結衣はまるで自分が褒められている様に照れていた。

「あ。みなみちゃんも一緒だよ。あと、こちらが五十嵐さんでこちらが太田くん。」

結衣は一緒に来ていた3人を凛に紹介した。会った事のない五十嵐と太田は凛に軽く会釈した。凛は、はじめまして。と2人に挨拶をしてからみなみに話しかけた。

「佐倉さん。お久しぶりです。覚えてますか?」

「覚えてるよ。凛ちゃん。」

「そうだ。名字変わって白石になりました。白石凛です。」

「え?」

「うちの親。再婚したんですよ。それで。」

「あ、ああ。」

店内に鳴り響いていたBGMが小さくなっていき照明が落とされた。そして、セカンドステージが始まった。

「あのボーカルの人ホントに凄い。」

凛がそう言うと何故かみなみが嬉しそうに笑って、だよね。と答えた。そして、セカンドステージも中盤を過ぎた頃、凛は結衣に言った。

「あのギターの人は誰?私あの人のギターどこかで聴いた覚えがあるんだけど。」

「姫川真希さん。元BAD BOYのギター兼ボーカルだった人だよ。でも、凛はBAD BOYのライブ見に行った事ないから真希さんの演奏を聴くのは初めてなんじゃないかな?」

「なるほど。私はあの人のギターを生では聴いた事がないんだ。」

その言葉に結衣は不思議そうな顔をして、どういう事?と凛に聞いた。

「私、耳いいの知ってるよね?多分、師匠以上に耳はいいと思ってる。私あの人のギターを聴いた事がある。あの人は……。」

「え?なに?聞こえない。」

「……なんでもないよ。」

(会った事がなければ間違いない。そっか。こんなに近くにいたんだ。)



午後9時。無事にと言ってしまっていいのかわからないがバンドとしのて初ライブが終了した。姫川真希は拓也達に先に2階に向かう様に伝えて一人靴と靴下を履きに1階の楽屋に入った。

靴と靴下を履いて休憩時間に頼んでいたウーロン茶の余りを少し飲んだ。そして、ふぅーっと息を吐いて椅子にもたれ掛かりそっと目を閉じた。

(最初はどうなる事かと心配したけど、雪乃は最後まで楽譜通りに演奏しなかったけど、龍司と春人は本来の力を発揮出来てなかったけど、拓也は拓也でセカンドステージから急に声の出が悪くなったけど、そして多分、このバンドには課題が山積みなのだろうけど、だけど…)

「楽しかったなぁ。」

真希はこのまま目を閉じているとすぐにでも寝てしまうと思い慌てて目を開けて立ち上がった。

楽屋を出るとまだ半数以上のお客さんが店内に残っていた。楓と話し終えた春人がドアを出て2階に向かう姿が見えた。拓也と龍司と雪乃の3人は結衣とみなみと真希の知らない三つ編みをした少女の3人と話をしていたので真希もそこへ向かおうとしたが間宮に、真希ちょっといいか?と声を掛けられてカウンターへ向かう間宮に付いて行った。その間、三つ編みの少女がじっと真希の事を見ている視線を感じていた。

間宮はオレンジジュースを用意してカウンターテーブルに置いた。真希は席に座りながらそれを少し飲み間宮に話しかけた。

「トオルさん。なに?」

「ああ。いや、さっき拓也に今後のバンドの予定どうするのか聞いたら、そういう事はリーダーの真希に聞いてくれって言うんだよ。てか、真希がこの名前のないバンドのリーダーになったのか?」

「ええ。私が一番リーダーぽくないと思うんですけどね。」

「いやいや。俺が見ても5人の中で真希が一番リーダーっぽいと思うけどな〜。」

「そっか。それならそれでいいや。で?」

「で、お前らのバンドここで毎月ライブしないか?」

「え?いいんですか?今日みたいにお客さんで一杯になる事ってそんなにないと思うんですけど。」

「客の数じゃない。俺はお前らのバンドが好きになったんだ。だから毎月一回でいい。出てくれないか?」

「是非お願いします。」

「じゃあ、毎月最初の土曜日にここでライブをする感じでもいいか?」

「はい。是非。」

「もし変更がありそうなら拓也に伝えといてくれればいい。」

「はい。わかりました。でも、土曜日って拓也バイトのはずですけど大丈夫なんですか?」

「ん?ああ。大丈夫だ。もしヤバかったらもう一人バイト雇ってもいいし。とにかく拓也にライブある日は休みだってのも伝えといてくれ。」

「わかったわ。」

「あと、それと。太田君にまたポスターを作ってもらうなら店に貼るから。」

「うん。ありがとう。」

真希は席を立ちさっきまで拓也達がいた場所を見たが、もうそこに拓也達の姿はなかった。結衣やみなみの姿もなかったので2階の楽屋へと向かう事にした。2階の楽屋に入ると雪乃が地べたに倒れ込んでいて「プスプス。プスプス。」と言っていた。龍司は腕を痛そうに摩っていて、春人は壊れて折れ曲がってしまった眼鏡をなんとか元の姿に戻そうとしていた。拓也は椅子に座ってじっと下を見つめたまま微動だにしない。

(なにこの光景?)

真希はとりあえずプスプスと口に出して言っている雪乃に声を掛けた。

「雪乃どうしたの?」

「ああ。真希ちゃんお帰り。私、燃え尽きたよぉ〜。もう、今日は何もできないよぉ〜。」

「さっきのプスプスって燃え尽きた音を声に出して言ってたの?」

「そうだよ。燃え尽きたらプスプス言うでしょ。」

「私はプスプス言ってる人に初めて会ったけど。」

その後も雪乃はプスプスと言って燃え尽きた音を声に出して表現していた。

「全くもう。あんた達大丈夫?龍司?あんた腕が痛むならさっさと病院行きなさい。春人。その眼鏡はもう治んないわよ。その眼鏡は諦めて明日代わりの眼鏡買いに行きなさいよ。で、拓也……あんたが多分一番重症ね。」

真希は拓也の前で仁王立ちになって言った。

「拓也。あんた喉が痛むんでしょ?」

その言葉に4人は一斉に拓也を見た。

「あ、ああ。いば、結衣じゃん達がゴンビニにのど飴を買いに行ってぐれでる。」

拓也の声を聞いた真希は驚いた。

「あんた。私の予想以上に声ガっラガラじゃない!声を変えて歌うといつもそうなるの?」

「わ、わがらない。」

龍司が拓也のかわりに真希に言った。

「タクは練習でも今日みたいにいろんな声を本気で出して歌った事なかったからな。タク自身こんな声になるとは思ってなかったみたいだ。」

「6種類も全然違う声を本気で出して歌ったら半端なく喉に負担はかかるか…。今後、拓也だけで声をコロコロ変える曲とかは1回のライブで1度きりにしましょう。あと、地声で歌う曲も増やしましょう。」

「あ、あど、パード、パードでびんだでうだえるぎょくも。」

「なに?」

「あ、あと、パート、パートでみんなで歌える曲も。」

「なんで雪乃わかるのよ?」

「だって私耳いいもん。」

「そ、そう。」

「だけど、弟子の方が私よりもっと耳いいんだよ。音で人の感情までわかっちゃうんだから。真希ちゃんと春人君にも後で弟子紹介するね。今、結衣ちゃんとみなみちゃんと一緒にコンビニ行ってるんだ。」

(さっきの三つ編みの子?あの子が雪乃の弟子って事か…て、音で感情がわかる??そんなバカな)

「タクの話ではハルが一人でライブ活動してた頃、雪乃の弟子がたまたま見に来てたらしいぜ。タクはもちろんその時雪乃の弟子だとは思ってもなかったみたいだけどな。あ、その時は雪乃の事すら知らない時だったのか。んで、その子、なんと結衣の同級生なんだよ。」

コンコンコン―とドアがノックされて、結衣とみなみと雪乃の弟子が楽屋に入って来た。みなみ達はのど飴だけじゃなくお菓子やジュース、スイーツ等も差し入れとして沢山買って来てくれた。

「五十嵐先輩と太田君は?」

結衣がお菓子をテーブルに広げながら真希の質問に答えた。

「2人とも帰るって。そうだ五十嵐さんが真希さんに今日のライブ凄く良かったよって伝えといてって言ってました。」

結衣が広げ終えたお菓子を真っ先に食べながら雪乃が凛を紹介した。

「こちら私の弟子の一ノ瀬…あ、違った。白石凛ちゃんです。」

黙々と眼鏡を触っていた春人が勢いよく顔を上げた。そして、驚いた顔をして凛の顔を見て言った。

「一ノ瀬…凛?」

おそらく春人にはちゃんと凛の顔は見えていないのだろう。何度も目を擦っている。雪乃は焦りながら違う。違う。間違ったの。と言った。

「白石凛です。いつも師匠がお世話になってます。ちなみに私の母が再婚して名字が一ノ瀬から白石に変わったので師匠は今間違えました。」

淡々と凛はそう言った。

「再婚…白石…まさかね…」

真希は自分では小さな声でそう言ったつもりだったが、「え?どういう事ですか?」と凛が聞き返してきたので真希は、「え、今の声が聞こえたの?」と驚いた。

「言ったでしょ?凛ちゃん師匠の私より耳いいのよ。」

(そっか思ったより大きな声を出したのかと思ったけど、この子本当に耳がいいんだ…しかし…白石って…白石の叔父さんも最近結婚したという噂を聞いた。まさかね…考え過ぎよね…)

母が聞いた噂によると白石の叔父さんは子連れのバツイチの女性と結婚したらしい。母は弟の結婚の本当の目的はもしかしたら結婚した相手より娘の方なのかもしれない。と本気で恐れていた。

(そんな…まさかね…)

「…ねぇ?ねぇってば真希ちゃん。」

「え?なに?」

「なにって聞いてなかったの?夏休みの最初に真希ちゃんウィーンに行ったのに結局お土産もらってないよねっていう話をしてたんだよ。お土産よろしくって言っておけばよかったよぉ。」

「ああ。ごめんごめん。お土産あるんだけど、ずっと持って来るの忘れてて…また今度持って来るね。それより、さっきトオルさんがここで毎月ライブやらないかって。私オッケーしたんだけどみんなは大丈夫?毎月最初の土曜日なんだけど。」

「おでボイドだんだげど…」

「あ、拓也はその時バイト休みにするって。」

「じゃいじょーぶがだ。ぎょうあいがばどぶだりでだいでんどうだっだげど。」

真希には拓也が何を言っているのかさっぱりわからなかった。わからなかったがなんとなく何を言っているのかは予想がついた。

「店の心配してんのよね?もしヤバかったらもう一人バイト雇ってもいいって言ってたし。それに月1回ならなんとかなるんじゃないの?トオルさん自身が拓也にバイト休んでライブするように言ってるわけだし大丈夫でしょ。」

「どれだらオッゲー。」

「俺もオッケー。」

「俺も。」

「私もいいよ。参加出来る時は参加する。」

「じゃあ、毎月最初の土曜日はブラーでライブね。で、毎週日曜は引き続きブラーで練習。今のところバンドの予定はこんな感じね。しばらく拓也の様子を見ながらライブ活動増やしていきましょう。」

「おっげー。」

「俺もオッケー。」

「俺も。」

「私も。」

「あと、今日の練習は休みにするから。」

それから8人は2階の楽屋で遅くまで話していた。凛も男連中からはすぐに呼び捨てで呼ばれていて、真希もみなみも最初は凛の事をちゃん付けで呼んでいたがいつの間にか凛と呼び捨てで呼ぶ様になっていた。そして、気が付けばもう夜の10時30分となっていてあまり遅くなるとバスがなくなってしまうのでバスで帰る真希と春人と雪乃と凛の4人は先にブラーを出た。

いつもなら真希と雪乃は一緒のバス停で降りるのだが、目があまり見えていない春人が心配で真希は春人を家まで送る事に決めた。バスを降りて2人で歩いていると春人が、「一ノ瀬凛…か。」と呟いた。真希は春人の顔を見た。

「いや、楓が前に教えてくれたんだ。雪乃より天才を私は知ってるって。」

「それが?凛?」

「おそらくね。いや、間違いない。俺達より2つ年下の子で名前は一ノ瀬凛。楓はそう言ってた。」

「だから、名前を聞いて春人は驚いてたのね。」

「ああ。あの雪乃が凛が出場するコンクールでは凛に勝つ事が出来ずに全て2位だったらしい。でも、凛が中学生になった頃くらいからコンクールには出なくなったって言ってた。」

「どうして?」

「俺も同じ様に楓に聞いたけど、そこまでは知らないって。でも、楓はあれだけの才能持ってた子だから、今頃どこか海外とか行ってるのかもって言ってたのにな。」

「てか、なんで雪乃よりも天才って言われた子が雪乃の弟子になってピアノ教わってんのよ。」

「さ、さあ?」

「今日同じ場所に一ノ瀬凛がいたって知ったら楓驚くでしょうね。」

「ああ。驚くよ。」

「一ノ瀬…いや、白石凛…か。私もなんか嫌な予感するのよね。」

「どうして?」

「白石っていう名字が。」

「名字?それだけ。」

「そう。それだけ。」

「そういえばさっき雪乃が凛は音を聴けばその人の感情がわかるって言ってただろ?」

「ああ。そんな事言ってたね。ホント雪乃はバカバカしい事を簡単に言うんだから。」

「そうでもないみたいだよ。」

「え?」

「俺が1人でライブしてる頃に凛がお客さんとして来てくれた時があったみたいなんだ。その時、タクが少し凛と話してたみたいでさ。その話した内容を伝えたいけど、あの声で伝えられないからってタクがさっき文章をLINEで送ってくれたんだ。」

真希は春人からスマホを渡され拓也が書いたLINEの文章を読んだ。

–そういえば…あの子。ハルのライブの時、曲を聴いたらその人の感情がわかるみたいな事言ってた。あの時ハルの曲を聴いたあの子は確かハルの悲しい。不安で恐い。そんな想いが伝わりましたって言ってたよ。確かにあの時ハルは親友の貴史君の事を思って歌っていたわけだから本当に曲を聴いただけでその人の感情がわかる子なのかもしれないな-

真希は拓也のLINEを読んでから春人にスマホを返した。

(演奏を聴いて感情がわかる、か…)

「真希はこれを読んでもまだバカバカしいと思っていそうだね。」

「そんな事ない。とても興味深いわ。」

「へぇ、意外な答えだ。」

「今、気付いたんだけど私も会った事があったわ。演奏を聴いて感情がわかる人に。」

「え!?」

「おじいちゃん指揮者がそうだった。だから、凛の能力も信じられるな。」

「そっか。そうだったんだね。ところで話は変わるけど明日の路上ライブどうする?タクあの調子だと明日も歌えなさそうなんだけど。」

「そうね。とりあえず拓也には日曜の練習も含めて1週間は休んでもらいましょう。路上ライブの方は3人で続けよう。」

真希はスマホを取り出し文章を打ち始めたが、すぐに文章を打つのをやめて春人の顔を見上げた。

「ん?どうした?」

「そういえばさ。ライブ終った後、ひな達の姿見なかったんだけど、誰か何か話したのかな?」

「龍司が言ってたよ。あいつらライブ終ったら何も言わずにさっさと帰りやがったって。」

「そう…少しぐらい何か言って帰ってくれたら良かったのに…でも、なんとなくなんだけど…ひな達あの後練習する為にスタジオ行ってそう。」

「龍司も同じ事言ってたよ。」

「そっか。」

「なかなかライバルバンドは手を緩めてくれませんね。リーダー。」

「フフッ。そうみたいね。」



「さっき、凛ちゃん面白い事言ってたね。」

橘拓也はいつもの様にみなみと一緒に帰っていた。

「え?おぼしろいごど?」

みなみは拓也のガラガラの声を聞いて少し笑顔を見せた。

「拓也君の歌声の事。」

拓也は凛が言っていた言葉を思い返していた。


『橘さんて何種類の声が出せるんですか?』

拓也が凛の質問に答えようとした時、雪乃がストップをかけた。

『ここで凛に問題です。今日拓也君は全部で何種類の声を出したでしょうか?』

『う〜ん。まず、地声のチェストボイスでしょう。』

『うん。』

『女性の声。高くて透き通る声と太く低いハスキーな声と2種類あった。女性の声でも全然違ったし凄かった。』

『うん。うん。それから?』

『天使の声。』

『天使の声?』

とこれは龍司が凛に聞いた。

『うん。天使の声。橘さんのファルセットは天使の歌声だったよ。』

『天使の歌声か…。いいね。』

『あと、悪魔の歌声もあった。』

『あくま?』

と雪乃は顔を傾けて聞いた。

『うん。悪魔。低音の効いた激しく攻撃的な声だったから悪魔の声。』

『天使の声と悪魔の声か。その表現の仕方いいね。今度から使わせてもらおう。』

と春人が拓也を見ながら言った。

『それから、すっごく高音の声もあった。』

『うん。うん。さすがだね凛ちゃん。拓也君が出せる声の種類は…』

と雪乃は拓也が6種類の声を出せるのだと言おうとしたが、それを聞く前に凛は、『それと、あとは…』と言葉を続けた。拓也が出せる声は6種類だ。なのに凛はまだ拓也が他にも出した声があると思っているようだ。

雪乃は首を捻りながら凛に聞いた。

『あとは?』

『あと一種類ありましたね。全部で7種類の声。凄いなぁ。7色の声を持つボーカリストか。でも、やっぱりそれだけの種類を出して歌うとなるとこうやって喉を痛めてしまうんですね。』

真希が拓也の顔を見た。拓也は7つ目の歌声はまだないと伝える変わりに首を横に振った。真希は凛の顔をまじまじと見て不思議そうな顔をした。

『凛?あと一種類はどんな歌声だった?』

『あ、そっか。7つ目の声はミックスボイス…いや、ちょっと違うか…うーん。あ、そう!ホーミー!あのモンゴルの伝統的な歌唱法。ライブの後半で橘さんよく使ってましたね。私びっくりしちゃった。』

『凛ちゃん。ホーリーってなぁに?』

と拓也が聞きたかった質問を雪乃がした。

『ホーリーじゃなくってホーミーです。2つの音を同時に発生する歌唱法をホーミーって言うんです。』

『へぇ。私知らなかったな。そのホーリーっての。』

『師匠。ホーミーです。でも、私が知ってるホーミーとは違う感じ。だって男性の声と女性の声を同時に出してたから。』

真希は驚いた顔をして拓也を見た。

『あんたちょっとその歌声聴かせてよ。』

『おいおい。無茶言うなよ。お前は鬼か?タクは普通に話す事もままならねーのに。そのなんたらなんて出せるわけねーだろ。』

「そ、そうね。また拓也の声が元に戻ったら聴かせてもらうわ。でも、凛。あんたよくその歌声気付いたわね。実は私達拓也の歌声は6種類だと思ってたのよ。』

『え?そうだったんですか。私てっきり7つの歌声を使い分けて歌ってるものだと思ってました。』

『やっぱり凛ちゃんは耳がいいなぁ〜。私達も気が付かなかった声を聞き分けるなんて。さすが私の弟子。』

雪乃は嬉しそうに凛の頭をくしゃくしゃとかき混ぜた。凛はそれを嫌そうに手で払いのけていた姿を見てこの2人の師弟関係は師匠と弟子というより子供の様に無邪気な姉としっかり者の妹といった感じに拓也の目には映った。


「凛ちゃんが言ってたホーミーって今日のライブまで真希達にナイショにしてたの?」

拓也は顔を横に大きく振った。そして拓也は言葉を声に出す事をやめてスマホを取り出し文章を書いた。その文章を書き終えるとスマホをみなみに手渡した。みなみはその文章を口に出して読んだ。

「凛はライブの後半でよくホーミーを使ってたって言ってただろ?ライブの後半は俺喉が疲れてきてて無意識のうちに歌ってて男性の声と女性の声が同時に出たんだと思う。」

文章を読み終えたみなみはスマホを拓也に返した。

「そっか〜。偶然か。でも、偶然でもそういう歌い方が出来るんだって知れて良かったね。」

拓也は「うん。」と言う変わりに大きく頷いた。そしてまたスマホで文章を書いた。拓也は立ち止まり今度はみなみにスマホを手渡さず、みなみの目の前に液晶に映る文字が見える様に見せた。その文字をみなみはまた口に出して読む。

「ホント凛のおかげだよ。あの子がいなかったらそういう声が出せるって気が付かなかった。

うんうん。ホントにそうだね。」

それからしばらくみなみは何も話さず2人は無言のまま帰り道を歩いた。何も話していないのに隣を歩くみなみは笑顔で歩いている。その横顔をチラチラと拓也は見ていた。

「拓也君喉の痛みは大丈夫?」

拓也は喉を摩って痛みがある事をジェスチャーで伝えた。それをみなみは理解して、「そっかー。痛むのかぁ。明日路上ライブ出来るの?」と心配そうな表情を浮かべながら言った。拓也は歌えるかわからないと伝える為に首を傾げた。

「そうだよね。明日になってみないと歌えるかわからないよねぇ。」

拓也は首を傾げただけなのに今のでよくみなみはわかったものだなと感心した。

「そうだ。バンドの名前ってまだ決めてないの?」

拓也はスマホにまた文章を書き始めた。それをみなみは横から覗き込んで口に出して読まなくてもいいのに口に出して読んだ。

「俺の頭の中ではもう決まってるけどね。

そうなんだ!知りたい。」

拓也は人差し指を口元に持っていった。

「しーっ?ナイショって事?」

拓也は大きく頷いた。

「ケチっ。」

そう言ってみなみが笑った時、拓也のスマホが鳴った。バンドのグループLINEで真希からのメッセージだった。先を歩くみなみの肩を叩き拓也はLINEを見てとスマホを手渡した。みなみはメッセージをちょっと見てからすぐに目をそらした。

「真希からグループLINE?読んでもいいの?」

拓也は頷いた。みなみはもう拓也のスマホを見ると口に出して文字を読む様になっていた。

「明日から1週間拓也は路上ライブと日曜日の練習は休むように。春人もそうした方がいいって。龍司も雪乃もおっけーよね?」

龍司と雪乃からもすぐに、おっけー。とメッセージが届いた。みなみにスマホを返してもらうと拓也は、わかった。路上ライブ見に行くよ。と返信してからまたみなみにスマホを渡して路上ライブを見に行くよ。と書いた箇所を指差した。

「え?路上ライブ一緒に見に行こうって誘ってくれてるの?」

拓也は恥ずかしそうに頷いた。みなみは笑顔で「嬉しい。」と言った。


     *


(サザンクロスの初ライブは高校2年の夏だった。)

間宮トオルはサザンクロスが初めてライブハウスでライブをした時の事を思い出していた。

(拓也達と同じ年だったんだな。)

間宮達サザンクロスは今はもうない小さなライブハウスで初ライブを行った。その時はまだバンド名を何にするのか迷っていた。候補はいくつかあった。そのいくつかの中にあったのがサザンクロスだった。名前を決めたのは相沢だった。そして、サザンクロスというバンド名を考えたのが、元サザンクロスのピアニスト黒崎沙耶(くろさきさや)だった。バンドにピアニストを加えたいと相沢は間宮と出会った頃からずっと言っていた。それなら、と言って吉田が同級生にピアノをやってる子がいると言って紹介してくれたのが黒崎だった。

サザンクロスがプロデビューをした時、黒崎は既にバンドを抜けていた。その為サザンクロスに5人目のメンバーがいたという事実はほとんど知られていない。


黒崎と西田は本当に仲が良くて恋人同士みたいだと間宮が言うと、西田と黒崎は、その恋人同士なの。と答えた。

この頃ひかりは吉田の事を好きだったが、吉田には黒崎という恋人が既にいた。


「その頃は私、吉田さんの事が好きだったの。」

とひかりが間宮に告白した時の事をまた思い出した。

「2人がルナにやって来る前に私は2人を知っていた。」

河川敷で間宮と吉田が出会った瞬間を映し出した写真をひかりは間宮に手渡した。

「あの時、吉田さんが女性の声を出して歌う姿がなんか神秘的に見えたのよ。だから、最初は私、吉田さんの事が好きだったの。」

ひかりと付き合って間もない時期にそんな事を告白されて間宮は動揺した。その動揺する姿をひかりは見たかったのかもしれない。

「みんなで花火見たの覚えてる?あの日、吉田さんに家まで送ってもらったんだ。で、その時告白したの。だけど、あの時もう吉田さん沙耶さんと付き合ってたの。私フラれちゃった。」

黒崎と吉田が付き合っていた期間は短い。少しタイミングが違っていればひかりは吉田と付き合っていたのかもしれない。そうなるともちろん間宮とひかりは付き合う事が出来なかったのだが…今となればその方が良かったのかもしれないと間宮は思う。

(もし俺と付き合っていなかったら、ひかりは死ぬ事なんてなかった…死ぬ事なんて……)



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今、想う


7月27日


今日は楽しみにしてた花火大会だった。結果から書くとほっんとうに楽しかった!

待ち合わせ場所のルナに遅れるとわかった時はホント焦ったけど…

花火が始まるまでルナで少しだけ話すつもりがみんな時間を忘れて話込んでしまって気が付いた時にはもう花火は打上ってた。

だけど、ルナからでも充分花火は見れた。

ホント綺麗だったなぁ。

みんなでルナの玄関口で花火を見た。いつまでもこの日の花火を覚えていたいと思った。


花火が終った帰りは浴衣を着ていたから本当はバスで帰ろうと思ってた。だけど、私は歩いて帰る事を選んだ。どうしても赤髪の彼とゆっくり2人きりで話したいと思ったから。だから、無理を言って一緒に帰ってもらった。

赤髪の彼は何度も足は大丈夫かと心配してくれた。

優しいなって思った。

私はやっぱり赤髪の彼が好きだ。

どうしようもないくらい好きなんだ。

だけど…付き合う事は出来ないんだよね?



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