Episode 8 ―春―
1
2014年6月1日(日)
春人の話が終わった。春人は泣きながら話をしていた。橘拓也は辛そうに話す春人の顔を見て何度も泣き出しそうになったが、相川があまりにも大きな声を出して泣き始めたので拓也は泣く事を我慢した。龍司も同じような感じだった。真希は目を赤くして時々鼻を啜っていた。
「6月って…もう今月じゃないか…」
龍司がそう言うと相川は泣きながら大声で春人に訴える。
「日にち伸ばせねーのかよ。もう少し時間をかければ目が覚めるかもしれねーだろっ!どうにかなんねーのかよっ!」
春人は俯き悔しそうに言った。
「何度も父に日にちを遅らせるようにお願いしたけど無理だった。ご両親が決めた事だって言って。」
目を真っ赤にしている真希がハンカチで目を抑えながら聞いた。
「貴史君のご両親とはお会いしてないの?」
「何度か家に行ったり電話を掛けたりしたんだけど…出てくれない…多分、おばさんも日にちを伸ばす様に言われるのがわかってるんだろうな…俺とは距離をとってる。」
「…そう。」
「2年間…おばさんもおじさんも大変だったんだとわかってる。だから、俺、おばさんを責める気なんかないのにな…俺とは会いにくいんだろう…」
それからは誰も何も話さなくなった。
龍司は相川が持っていたスティックを一本横取りしてステージに上がった。そして、左手だけでドラムを小さくトントンと適当に叩き始めたかと思うと手を止めて言った。
「ハル。お前は貴史を待ってあげてるよ。お前は貴史が目覚めた時、また一緒にバンドやるんだろ?
俺もお前がまた貴史達とバンドやれる時が来る事を望んでる。貴史が目覚めたらおめでとうって言ってお前を送り出してやるよ。」
春人はさっきよりも泣き始めた。春人が少し落ち着くのを待って拓也は春人に聞いた。
「俺達にも何か出来る事はないかな?」
そう聞いてしまってから拓也は後悔した。春人も貴史の為に今までずっと何か出来る事がないかを考えてきたはずだ。なのに拓也に何か出来る事はないかと聞かれても春人は困ってしまうだけだと思ったからだ。だけど、拓也に続いて真希も言った。
「それ私も考えてた。春人私達に何か出来る事があったら言ってよ。」
春人は下を向いて何も答えなかった。その様子を見て相川が言った。
「俺がもし貴史の立場だったら田丸がどんなバンドに入ったのか気になるけどな。そりゃーずっとバンド組んでた幼なじみが違うバンドに入ったのは悔しいって思うだろうけど…でも、どんなバンドなのかは気になるし、さっきリュージが言った様に貴史もこいつらと一緒にバンドを続ける事を望むかもしれねーだろ?田丸。お前は貴史にちゃんと橘とリュージと姫川を貴史に紹介するべきだと俺は思うぜ。一番やっちゃーいけねーのは貴史にこの3人を紹介しないままでいる事だ。と、俺は思うけどな。」
「…あんた……たまには良い事言うのね…」
真希はそう言った。拓也も龍司も真希が言った通りの事を思っていた。春人は何度か頷いてから最後に深く頷いた。
「タク。龍司。ヒメ。お願いがある。6月29日。貴史の為に一緒に歌を歌ってほしい。」
龍司はその言葉を聞いて片手でドラムを思いきり叩いた。春人は驚いて龍司の方を見た。龍司は目を真っ赤にしながら大声で叫んだ。
「任せろー!」
2
2014年6月2日(月)
昼休み拓也はいつもの様に龍司と相川と太田の3人と一緒に屋上にいて他愛もない話で盛り上がっていた。拓也と龍司のスマホが同時に鳴り響いた。春人からのグループLINEだった。
–昨日は練習出来なくてごめん–
拓也はすぐに問題ないと返信した。龍司も続いて問題ないと同じ言葉を返した。しばらく経ってから真希も問題ないと送って来た。
3人の問題ないという文字を見て春人はありがとうとメッセージを送ってから続けて、念にも悪かったと伝えておいて欲しい。と送信して来たので拓也は相川に、ハルからのメッセージ。と言ってスマホを簡単に見せた。昼休みが終わろうとした頃また拓也と龍司のスマホが鳴った。今度は真希からだった。
–ところで今日の路上ライブだけど、何を歌うの?前みたいに私と橘がツインボーカルで春人がベース、龍司がボイパでいいの?–
このメッセージには龍司が返信した。
–そうだな。それでいいと思う。あと、歌う曲だけどしばらくはカバーでいこう。でも、出来れば俺達のオリジナル曲を歌っていきたいと思ってる。–
–そう。じゃあ、路上ライブが終わった後話し合いましょう。–
その言葉に龍司と春人の2人が続けてオッケーと返信した。拓也もオッケーと送ってから一つ気になる事があった。拓也はそれを文字にして送った。
–ところで真希?龍司とハルは呼び捨てなのにどうして俺は名字なんだ?–
横にいる龍司がLINEを見てククッと笑った。しばらく時間が経って真希から返信が来た。
–細かいわね。龍司と春人とは昔から知ってるからしょーがないでしょ。–
–でも、真希。俺の事忘れてたよね?–
とすかさず春人がメッセージを送った。
–うっるさいなー。龍司もうるさいけど、春人と拓也までもうるさい奴とは思わなかったよ。–
真希は自然と拓也と文字に書いてくれたのが拓也には嬉しかったが横で龍司が「はあ?」と声を出していた。
–はあ?なんでここで俺が出てくんだよ。俺何も言ってねーだろっ!–
–グループにあんたが入ってるだけでうるさいのよ。–
「なんじゃそりゃ!」
龍司は声に出してから今言った言葉をLINEにも書いた。
スマホで会話する拓也と龍司の姿を横目に相川が言った。
「お前ら楽しそうで羨ましいよ。」
それに続いて太田が言った。
「僕ら今晩もライブ見に行くからねー。五十嵐さんも来るみたいだよ〜。」
「な、なにっ!?さ、智美さんが?フトダなんでお前がそんな事知ってんだよ!」
「だってLINE交換しただろ?相川君まだ五十嵐さんにLINEしてないの?」
「す、するつもりだよ…するつもりだったんだよ…でも、まさかフトダが先に連絡をしてるとは…」
相川と太田のその会話を聞いて拓也は龍司の方を見た。
「そうだ。龍司はちゃんと結衣ちゃんにLINEしたのか?」
「ああ。結衣からメッセージ入ってたな。まだ返してねーけど。」
「全く…ちゃんと返信してあげろよ。」
「するよ。てか、タクはどうなんだよ?」
「結衣ちゃん?前に交換してたから。」
「ちげーよっっ。ちゃんとみなみちゃんには連絡したのかよ?」
「はあ?どうして佐倉さんが出てくるんだよ。」
龍司は額に手を当てながらはーと大きなため息をついた。
「お前どーしよーもねーな。いいからちゃんとみなみちゃんにLINE送っとけよ。」
「ん?」
「わかったな?ちゃんと送っとけ。」
「はいはい。わかったよ。」
「はいは一回でいいんだよ。」
「はい。はい。」
*
姫川真希は廊下で一人LINEにオッケーの文字が3つ並ぶのを見て声を出して笑いそうになったのを何とかこらえた。そろそろ昼休みも終わる時間だ。真希が教室に戻ろうとした時、「真希ちゃん。」とみなみの声がした。真希はみなみの姿を見て片手を挙げて挨拶した。
「今日からだね。4人で路上ライブするの。」
「みなみは?今日はバイト?」
「ううん。違うよ。」
「そう。じゃあ、見に来てくれるんだよね?」
「え?いいの?」
「なにそれ?いいに決まってるじゃん。てか、誘わなかったら来てくれなかったの?」
「いや…行こうかどうか迷ってて。」
「迷うなら来てよ。あ、そうだ。話は変わるんだけど、みなみは丸岡楓って子知ってる?同い年の子で栄女にいるはずなんだけど。」
「丸岡楓…?その人ならB組にいたような…」
「ちょっと見に行かない?」
そう言って真希はみなみを連れて廊下を歩いているとまたLINEが届いた。B組の教室の前に来た所でみなみに「ちょっと待って。」と伝えてLINEを見た。拓也からのメッセージだった。適当に返信を返したところで真希はみなみに聞いた。
「そういえば拓也とはLINEした?」
「えっ?いや、しようとは思ってたんだけど…何を書いたら良いのかわからなかったし、まだしてないんだ…あ、でも、真希ちゃんがダメだって言うなら私はLINEしないよ。」
みなみはあからさまに動揺していた。真希は笑いながら言った。
「いや…ダメじゃないよ。ちょっとLINEしたのか気になって聞いただけ。みなみあんた今私が拓也の事好きなのかなとか思ったでしょ。」
「えっ?いや、ま、まあ…橘君の事呼び捨てで呼んでたし…もしかしてって思ったの。」
「ああ…アイツが今LINEで龍司と春人の事は呼び捨てなのにどうして自分の事は名字で呼ぶんだって小さい事言ってたから。」
「あ、そーなんだ…」
「で、どの子?」
「え?」
「丸岡楓。どの子?」
「あ、ああ。多分…あの子。」
みなみは頭を掻いてから楓の方を指差した。真希が「ふ〜ん。」と言った時、昼休みを終えるチャイムが鳴った。
*
夜8時。路上ライブが無事に終わった。今日からは4人体制になった。そのおかげなのか路上ライブを見に来てくれた人達は過去1番多かった。しかも、最初から最後まで歌を聴いてくれる人ばかりだった。龍司と2人でやっていた時は人も集まらず立ち止まって聴いてくれる人が珍しかったのに4人になった途端、人が立ち止まり歌を聴いてくれるようになったのが不思議だった。路上ライブが終わって橘拓也は3人に言った。
「地声でしか歌ってないのにこんなに人が集まってくれるなんて思わなかったよ。」
「ホントだよな。今まで人を集める事が出来なかった俺らって何だったんだろうな…。」
と龍司は肩を落として言った。
「私と春人が入って歌に厚みが増えただけよ。2人でもあのまま続けていたらいずれこの位の人数は集められてたよ。」
「でも、どうしてヒメはタクに今まで通り地声だけで歌う様に言ったんだ?」
春人が真希に質問をした事は拓也も気になっていた事だった。
真希は路上ライブが始まる前、急に拓也に路上ライブでは地声だけで歌う様にと指示をした。拓也はこれからは路上ライブで声を変えながら歌おうと思っていたので少し残念だったが、真希に従って地声だけで歌った。しかし、どうしていろんな声を出して歌うのを真希が禁じたのか理由はわかっていなかった。
「ちゃんとバンドとして自分達の曲を歌う様になった時こそ拓也の声を引き出せると思っただけよ。それまでは拓也。地声で我慢してね。」
真希はそう言った。4人で話しているとライブを見に来てくれていた相川と太田と五十嵐。そして、みなみが4人に近寄って来た。拓也達はライブを見に来てくれたお礼を言ってから、これからルナに行く事を提案した。8人はルナへと向かった。ルナでは結衣が一人暇そうにカウンター席でスマホを見ていたが8人がぞろぞろとやって来て羨ましそうに今日の路上ライブはどうだったのか興味津々に聞いてきた。8人は6人掛けの丸テーブルに椅子を2脚足して座った。
みなみは全員の注文をとってから結衣の手伝いを始めた。結衣は「今日はサクラちゃんはバイトじゃないんだから手伝わなくていいよ。」と言っていたがみなみは結衣を手伝っていた。その様子を見ていた拓也に左隣に座っていた真希が声を掛けた。
「みなみちゃん。いい子だよね。」
「え?あ、ああ。」
「LINEしないの?」
「龍司と同じ事言ってるけど、そもそも龍司だって佐倉さんにLINEしてないんじゃないのか?」
「龍司はいいのよ。てかさ、あんた本当に気付いてないの?」
「なにが?」
「はあ〜。龍司でも気付いたのに…あんたもしかして龍司よりバカなんじゃないの?」
「失礼な。それはない。」
龍司と春人が全員の分の水を持って来てくれて龍司が真希の左隣に座り続いて龍司の左に春人が席に着いた。その隣に相川、五十嵐、太田が席に着いている。
「俺よりバカって言われるのがどうして失礼なんだよ!」
「聞こえてたのかよ。」
真希が水をひと口飲んでから言った。
「あんたもあんただけどね。拓也も龍司もどうしてそんなに鈍感なのよ。」
「なんで俺が鈍感なんだよ。」
「鈍感だしバカよ。まあ、そんな事よりあんた達に確認したい事が何個かあんの。まず、拓也。あんた何種類の声を出せるの?前歌った時は地声と女性の声と高音と低音と裏声とで5種類だったよね?」
「そうだね。5種類…かな。」
「そう。じゃあ、あと2つ違う声を出せる様にして。」
「え?どうして?」
「どうしてもよ。他にも出せる声があるかもしれないでしょ?あと2つくらい違う声が出せれば私達のバンドは大きな武器を持つ事になると思う。」
「そっか。わかった。違う声が出せるかどうかやってみる。」
「よろしく。あと、作詞は私を含めて4人が全員できるよね?」
真希の質問に拓也と春人は頷いたが意外にも龍司が、「俺、作詞は苦手だな。出来ればやりたくねぇ。」と言った。真希はただ確認したいだけのようで「そうだったね。」と一言返しただけだった。
「じゃあ、次に作曲できるのは?私と龍司。それと春人もよね?」
春人は頷いた。
「拓也あんたは?」
「俺は作曲はできないな。」
「そう。作曲は3人ね。じゃあ龍司と春人は何か作曲してる曲があれば今度ブラーで練習する時に持って来るってのでどう?」
「俺は何も作ってないな。ハルは?」
「俺もない。」
「私一曲あるからその楽譜持って来るね。」
拓也と龍司と春人の3人は頷いた。尚も真希は「じゃあ、次。」と言って淡々と確認をしていく。
「歌えるのは全員歌えるって事よね?」
また3人は頷いた。確認をとっていくだけの真希に龍司が不思議そうに問いかけた。
「なあ?真希?さっきからいろいろと確認取ってるけど一体何の意味があるんだ?」
「私達のバンドは誰が作詞出来て誰が出来ないのか。誰が作曲出来て誰が出来ないのか。そういう事を把握しておきたかっただけ。」
「そっか。俺はてっきり話の最後に作詞できるようになれって言われんのかと思ってビクビクしてたよ。」
「まさか。作詞出来ない人に無理矢理させたくないし、作曲出来る人が曲を作ってきたらいい。そういうバンドにしていかない?」
真希は拓也をじっと見つめてそう言った。
「ど、どうして俺を見つめて聞くんだよ…」
「だってこのバンドはあんたが集めたバンドだし。」
「そうなのか?」
拓也が真希に聞き返すと龍司が、
「そうに決ってんだろ?お前が最初バンドを組みたいからって俺を誘ったんだろ?言い出しっぺはお前なの。それにタクはギタリストは真希がいいって言ったし、ベーシストは春人がいいって言ってた。お前の望み通りのメンバーが集まったってわけだし。」
「ま、まあ、そうなんだけど。俺が集めたバンドっていう実感はなかったな…」
真希は目を細くしながら拓也に聞いた。
「あんたはどんなバンドにしていきたいわけ?」
「う〜んと。あんまり考えてなかったけど…そうだな。作詞出来ない人に無理矢理させたくないし、作曲出来る人が曲を作ってきたらいい。そういうバンドにしていきたい。」
「それ真希がさっき言ってたよ。」
春人がボソッと突っ込んだ。真希は拓也を睨んでいて今にも手を出しそうになっていた。拓也は急いでその後の言葉を付け足した。
「それに歌うのもみんな歌えるわけだしボーカルは俺だけじゃなくて曲によってはメインのボーカルを誰かが歌ったりしても面白いかも。」
真希は拓也を睨むのをやめて、
「そうね。ボーカルはあくまでも拓也だけど、そういう曲があってもいいね。」
と言った。拓也は真希の怒りが収まった事に胸を撫で下ろした。
「じゃあ、次。最後に。」
「まだあんのかよ。」
龍司のその一言で真希の怒りは拓也から龍司の方に向かった。
「だから最後って言ってんでしょ?何か文句あんの?」
龍司はしょぼんとして「ありません。」と答えた。
「最後に春人?29日に貴史君に歌う曲は考えてるの?」
「それは決めてる。」
「トラとリスとウサギ。」
とこれは拓也が言った。春人は頷いて拓也の顔を覗き込みながら言った。
「タク?歌ってくれるか?」
「もちろん!てか、俺があの曲歌ってもいいのか?」
「もちろんだよ。俺はタクに歌ってほしい。」
「じゃあ、その曲の楽譜。次の日曜にコピーして持って来て。当日は楽器を使うの?」
真希が春人に聞くと春人は少し考えてから答えた。
「そうだね。路上ライブみたいにやってもいいんだけど。せっかくだから楽器使いたいかな…でも、病室だから俺はウッドベースで真希はフォークギターの方がいいね。龍司はドラムセットを運ぶのは難しいし右腕がそれだから…どうしようか?」
「じゃあ、俺はスネアドラムだけ持って行って片手で叩くわ。」
「そうね。そうしましょう。あ、あと、もう一つだけ質問。」
「さっき最後って言ったくせに。」
龍司がそう言った瞬間パチーンと派手な音がして龍司は頭を抱えた。
「いっってぇ〜。」
「シバくわよ。」
「先シバいてんだろ〜がっ!」
それまで3人で話をしていた相川と五十嵐と太田はびっくりして真希の方を見た。カウンターで一緒にいた結衣とみなみも驚いて真希と龍司の方を見ていた。一瞬店内がシーンとなったが、叩かれた本人が出血したと思ったのか頭を抑えていた手を確認しながら、
「あ、すまねー。いつもの事だから気にしないでくれ。」
と皆に言っていた。
「ホントに最後だから一つ質問していいかな?」
真希は睨みながら龍司に聞いた。
「ど、どぞ…」
真希は龍司から春人の顔を見て言った。
「質問なんだけど春人?楓さんはその日呼ぶの?」
春人は俯いて首を振った。楓を呼ぶ気はないという事だと拓也は思ったのだがそれは違った。
「明日にでも楓に手紙を書いて家のポストに入れておくよ。多分…来てはくれないと思うけど…」
「そう…わかったわ。じゃあ、この話は終わりでいい?」
真希が拓也達に確認をとった。拓也達3人は頷いた。その様子を見て真希は龍司を叩いてから黙って話を聞いていた相川と五十嵐と太田の3人に言った。
「ごめんね。4人でバンドの話しちゃって。もう終わったから。」
「私達に気を使わなくていいのよ。私達が真希達のお邪魔をしてるんだから。まだ話す事があったら4人で話し合ってよ。」
五十嵐がそう言うと相川も太田も、そうそう。と頷きながら言っていた。
「はいはーい。お待たせ〜。遅くなってごめーん。ルナドッグとコーヒーで〜す。ルナドッグは結衣からのサービスで〜す。」
結衣がみなみと一緒に注文していないルナドッグを9人分運んで来てくれた。結衣を含めた9人が6人掛けの丸テーブルを囲んだ。みなみが拓也の隣の右隣の席に座った。龍司と真希のせいで拓也はみなみを意識して緊張してしまっていた。みんなお腹が空いていたらしくあっという間に食べ終わったが相川の前に置かれたルナドッグだけはひと口も食べられていなかった。
「相川さん食べないの?」
五十嵐が不思議そうに相川に聞くと相川は恥ずかしそうにコーヒを啜った。
「そういや、今日の昼もお前何も食ってなかったよな?」
龍司がそう言って拓也もそう言えば昼相川は何も食べてなかった事を思い出した。
「うっせーな。欲しいんならリュージにやるよ。」
「えっ!いいのか。じゃあいただきま〜す。」
龍司は相川のルナドッグをさっと取った。その様子を見た結衣が、
「ルナドッグお嫌いですか?」
と寂しそうに聞く。相川は手を振って少し恥ずかしそうに答えた。
「いやいや。俺…実はダイエット中で…だから、食わないだけで…ルナドッグはマジウマいと思ってるよ。」
龍司は「お前がダイエット!」とケラケラ笑っていた。
「俺は絶対痩せるんだよ!」
相川は悔しそうにそう叫ぶ。その姿を五十嵐は何も言わずにずっと見つめていた。結衣が二杯目のコーヒーを用意してくれた時、
「と、ところで…ひ、姫川さん?ま、前に話してたピアニストの人はバンドに誘ったの?」
と太田は緊張しながら真希に質問した。太田は初めて真希に声を掛けたから緊張しているのだとはたから見ていた拓也は思った。そんな事はお構いなしに真希は太田の質問に気軽に答えた。
「今ね。雪乃はコンクールの練習で一杯一杯みたい。でも、一応LINEで誘ったよ。」
拓也は横にいる真希に興味津々に問いかけた。
「そしたらなんて言ってきた?」
「メンバーに合わせてほしいみたいな事書いてた。」
「それならその人のコンクールが終わったら今度5人で会ってみようぜ。」
龍司はそう言ったが、春人は、
「いや、せっかくなら雪乃さんのコンクールを見に行こう。真希?日にちはいつかわかる?」
と聞いた。龍司はそうだな。それがいいとすぐに春人の意見に賛成した。
「日にちは7月6日の日曜日。時間は昼からだったと思う。みんな大丈夫なら見に行く?」
「俺は大丈夫だ。」
と龍司は答え拓也は、「俺バイトだけど夜じゃなきゃ大丈夫。」と答えた。春人も続いて、大丈夫だと思う。と答えた。
「じゃあ、一応その日に行く感じにしておこう。みんなが行ける事が決まったら雪乃にコンクール見に行く事伝えるよ。」
拓也達はわかったと答えると次は相川が拓也に聞いた。
「お前らフトダが撮影した動画。あれどうすんだ?電車のとお前ら4人が初めて一緒に路上ライブやったのと2つ程まだ眠った状態なんだけど。ネットで公開しねーの?」
「あ、ああ。そうだった。龍司どうする?」
「う〜ん。俺は夢も出来たし別に公開してもらってもいいけど。タクは?」
「動画をネットに配信するのは正直恥ずかしいんだけど、俺も歌うのに自信付いてきたし公開してもいいかな。」
「動画ってなに?」
真希は不審そうに聞いてきた。拓也は動画を見てもらった方が早いと思い太田に今動画を見れるかどうか確認すると太田はビデオカメラを今日も持参していた。
「太田君今日も動画撮ってくれてたの?」
春人が太田に聞くと太田は、うん。ダメだったかな?と不安そうに聞いていたので拓也が「ダメじゃない。ありがとう。」と答えた。
そして、ここからは太田が撮影した動画の上映会が開かれた。真希。春人。結衣。みなみ。五十嵐の5人は動画が見やすい場所に固まって座った。動画の内容を知っている相川と太田、そして、龍司はカウンター席に移った。拓也も同様にカウンター席に移動した。拓也は動画の内容を知っているからカウンター席に移ったわけではなく、一緒に動画を見るのが恥ずかしくてカウンター席に移ったのだった。
ビデオカメラからは龍司の話す声が聞こえる。
『で、つい先日2人で曲を作りました。俺達には仲間になってほしい人がいます。本当はそいつに聴いてほしいんですけど、なかなかそいつ路上ライブを見に来てくれません。』
拓也は真希を見た。真希はとても嬉しそうに動画を見ていた。そして、拓也自身の歌声が流れて来る。
今、動画の中では電車の中で歌っている拓也と龍司の姿が映し出されている。
歌が終わった途端、結衣とみなみが「おー。」と言って拍手をしていた。続いて真希と春人がバンンドに加わった日の映像が流れた。この日のライブを見ていない結衣がビデオカメラに食い付く様に動画を見ていた。時々結衣は「いいじゃん。いいじゃん。」と言っていた。結局バンドメンバー4人で話し合った結果、動画をネットに配信するのは雪乃を誘ってからにしよと決めた。
全員が店を出たのは12時を過ぎていた。店をぞろぞろと出ると今日ほとんど会話をしていなかったみなみが拓也に話しかけてきた。
「あの電車での動画。めちゃくちゃ格好良かったです。」
「え?あ、ありがとう。」
「橘君…私、橘君にLINE送ってもいいかな?」
「え?あ、うん。もちろん。」
「やった。じゃあ、また今度送るね。」
「うん。」
「そうだ。サクラちゃん自転車だから拓也君一緒に帰ってあげてよ。帰る方向一緒のはずだし。」
「ええ。そんな。いいよ。一人で帰れるし。」
「ダメダメ。ちゃんと送ってもらいなよ。」
「じゃあ、俺も一緒に行くよ。途中までタクと帰り道一緒だし。」
春人がそう言うと真希は春人を引っ張りながら言った。
「あんたは私と五十嵐先輩と一緒にバスに乗ってってよ。」
「え?わ、わかった。」
「じゃあ、タクはちゃんとみなみちゃん家まで届けろよ。」
龍司がニヤニヤと楽しそうに拓也にそう言った。
*
みなみと2人になった帰り道。拓也は何を話したらいいのかわからなくなり黙り込みながらみなみの自転車を押していた。
「しんどくないですか?」
「え?」
みなみは自転車を指差しながら言った。
「自転車押すの。」
「あ、ああ。大丈夫。平気。」
「ありがとう。」
会話が終わってしまったと思った瞬間拓也のスマホが鳴った。拓也が片手でポケットからスマホを取り出すと龍司からのLINEだった。みなみは黙って自転車を押すのを変わってくれた。
–無事にみなみちゃんを送り届けるんだぞ。みなみちゃんの家は真希の家の2件隣らしいからお前の家通り過ぎるけどなっ。–
(あの栄女の付近って事か確かバス停の名前は花咲坂だったか…遠いな…てか、真希の奴2件隣なら一緒に歩くの付き合えよな)
拓也はみなみに自転車を押さすのが悪いと思ってすぐに返信を返した。
–じゃあ、真希の家見て帰る。–
–3階建てのバカデカい家だ。びびんなよ–
拓也はスマホをポケットに直し先を歩くみなみの後ろ姿を見た。そして、もう一度ポケットからスマホを取り出した。今度はみなみのスマホが鳴った。拓也は黙って自転車を押すのを変わった。
–よろしく。–
拓也はそれだけをみなみにLINEした。すぐに拓也のスマホが鳴った。みなみからの返信が届いたのだ。拓也はみなみが横に並んで歩くのを待ってから、
「なんて送ってくれたの?」
と聞いた。みなみは笑いながら「ないしょ。」と答えた。拓也は片手で自転車を押し、もう片方の手でポケットからスマホを取り出そうとした時、「帰ってから見たら?」とみなみは楽しそうに言った。
「どうして?」
「気になってくれた方がいいから。」
「どういう事?」
「さあ?」
そんな事を話していると拓也の家の前に辿り着いた。拓也は自宅の前で立ち止まって言った。
「ここ。俺の家。」
「あ。ホントだ。橘って書いてる。へぇ〜。ここなんだ。私バイト行く時、知らず知らずに橘君の家の前通ってたんだね。」
「そうみたいだね。」
「じゃあ、ここまででいいよ。ありがとう。」
「いや、家の前まで送ってくよ。」
「そんな。いいよ。悪いし。」
「はいはい。いいから。」
そう言って拓也はまた歩き出した。
「なんかごめんね。」
「いいって。」
みなみの家と拓也の家の距離は上り坂を上がって15分くらいかかる距離だったが2人で話しながら歩いたせいか拓也にはそんなに時間がかかった感覚はなかった。みなみの家の前に着くと、「本当にありがとね。」とみなみは拓也の家を過ぎてから何度も言っている言葉をまた言った。その度に拓也は「いいって。」と答えていて、この時もまた「いいって。」と答えた。そして、拓也はみなみに自転車を返しながら聞いた。
「そうだ。真希の家ってどれ?なんかデカい家なんだろ?俺見てみたいな。」
みなみは自転車をガレージに置いてから、「こっち。」と言って拓也を先導してくれた。みなみの家も大きくてびっくりしたが、真希の家はそれ以上に大きかった。立派な門構えで門から玄関までは結構な距離があるように思える。3階建てと聞いて拓也は勝手に縦長の家を想像していたが、真希の家は横にも広そうだし部屋数も門の外からの印象だがかなりの部屋があるように思える。
「す、凄いな。本当に大きい家だ…門の外からじゃ全体が見えないけど…」
「真希のお父さんは有名なバイオリニストらしいし、お母さんは有名なジャズのサックスプレイヤーらしいよ。」
拓也は口をぽかーんと開けて真希の家を見ていた。するとその顔がよっぽど変な顔だったのか、みなみはくすくすと拓也の横顔を見て笑い始めた。拓也も何故かみなみの笑い声につられて一緒に笑っていた。
「じゃあ、帰ろっか。」
と言うみなみの声で拓也は帰る事にした。みなみは拓也と別れる際に、「またね。」と言って手を振っていた。拓也はしばらく坂道を下っているとふと後ろが気になって振り向いた。みなみはまだ外にいて拓也が帰る姿をずっと見ていた。もう結構みなみとの距離は離れていたが、みなみは拓也が振り向いたのに気付いてまた手を振った。拓也は手を振り返してまた坂道を下った。
しばらく歩いてから拓也はまだみなみから返信されたメッセージを読んでいない事を思い出した。
ポケットからスマホを取り出し立ち止まってみなみからの返信を読んだ。
拓也はまた後ろを振り返ったがみなみとの距離はもう随分と離れていて振り返ったところでみなみがいるかどうかわからなかった。
「どうして、よろしくって送った返しがこの言葉なんだ?」
拓也はもう一度スマホの液晶を見た。
–嬉しい。–
3
2014年6月8日(日)
この日は春人が田丸として演奏するのは最後のライブの日だった。龍司も真希も春人のソロライブを見にブラーに訪れていた。春人は店に着くと拓也達や間宮に軽く挨拶して、いつも通りピアノに座り鍵盤を鳴らした。そして、次にドラムを軽く叩き楽屋へと向かった。その様子を初めて見る龍司と真希は不思議そうな顔をしていた。拓也は春人がライブをする時はいつも決まってそうしていた事を2人に教えた。きっと、貴史と楓と一緒にライブをしているつもりなんだろうと今の拓也達には理解が出来る。春人はライブが始まる前も終わる時もこれが一人で歌う最後のライブだとは言わなかった。いつも通りライブをしたかったのだろう。春人が田丸として歌う最後の曲はトラとリスとウサギだった。
バイトが終わり拓也と相川は着替えを済ませて店の1階に降りると龍司と真希と春人の3人はカウンター席に座り間宮に出してもらったオレンジジュースを飲みながら2人を待っていた。手前に座っていた真希が立ち上がり楽譜を拓也に手渡しながら説明した。
「こっちが春人の曲。トラとリスとウサギ。で、この作詞されてないのが私が作った曲。拓也にこの曲の作詞を担当してもらいたいと思ってるから。」
「真希。タクは楽譜読めないから演奏してやるのが一番だよ。」
龍司がスマホを見ながら言った。真希はため息をついてわかったと答えた。
「まあ、拓也と念を休憩させてやれ。」
間宮がそう言ってオレンジジュースを拓也と相川に出した。拓也は龍司の横に座り相川は拓也の横に座った。ずっと難しそうな顔をしてスマホを見つめる龍司に拓也は聞いた。
「何見てるんだ?」
「ん?ああ。Queenの動画。」
「あれから何か更新されてるのか?」
「タクと一緒に見た4月21日の叫び以降は5月の31日に更新されてるな。タイトルはさようなら。」
龍司はQueenのさようならを全員が聴けるようにスマホの音量を上げた。とても切なく悲しい音色が龍司のスマホから流れる。拓也は素直に思った事を口にした。
「いい曲だな。」
龍司はスマホから目を離し真希の方を見て言った。
「そういえば真希はQueenて知ってっか?真希のカッティング程鋭くはないけど、結構凄いギタリストだぞ。」
真希が答える前に春人が言った。
「あ。俺知ってる。何度か動画見たよ。今鳴ってる曲は知らないけど。時々学校でもQueenの事話してる人いるよ。でも、ヒメの方が俺は上手いと思うけどな。」
「柴高でもQueenの話してる奴がいるのか。うちの学校も同じ様な感じだよ。栄女でもそうなのか?」
「そうね。うちの学校でも同じような感じよ。私はあんまり見ないけど。」
「ギタリストの真希から見てQueenはどう映ってるんだよ?」
「さあ?」
「さあって…興味ねーのかよ。」
「ところでお前ら路上ライブ結構人が集まる様になったみたいだな。」
間宮がオレンジジュースを飲む拓也に向かって言った。
「え。どうしてトオルさん知ってるんですか?」
「お客さんで前から拓也と龍司が路上ライブをやってる姿を遠目に見てた人がいてさ。その人が最近4人になって結構人が集まる様になってたってびっくりしてたぞ。その人も何度か目の前で聴いてたらしい。拓也の事褒めてたぞ。前は棒立ちで歌ってたのに最近は体で表現しながら歌える様になったって。」
「そうだったんですね。嬉しいな。」
「さあ、お前らは存分に練習していってくれ。俺はそろそろ帰るから。戸締まりだけは頼んだぞ。」
間宮が帰った後、真希は相川に言った。
「しばらくの間、貴史君に歌う曲と私の曲を練習するだけだから帰ってくれてもいいよ。龍司には片手でドラム叩いてもらいたいし。」
「そっか。でも、俺お前らの曲聴きてぇから邪魔じゃなかったらここにいて聴いててもいいか?」
「それはいいけど。」
「じゃあ、俺ここで聴いてるわ。」
「念。邪魔すんなよ。」
「ウッセーぞ!リュージ!」
拓也達はまず春人の曲から練習を始めた。トラとリスとウサギという曲はとても切ないバラード曲で拓也は何度も何度も練習を重ねたが今日一日で自分のものにする事は出来なかった。練習の最後に真希が作曲した曲を拓也は聴かせてもらう事になった。拓也はステージを降り観客席に座って真希と龍司と春人が演奏をする姿を見た。春人の曲とは真逆のとても攻撃的な激しい曲だった。拓也は息の合った3人の演奏に感動していた。そして、その曲が終わると立ち上がって拍手を送っていた。カウンター席にいたはずの相川がいつの間にか拓也の横にいて曲の演奏が終わると拓也と同じ様に拍手を送っていた。真希は睨みながら拓也に言った。
「なに拍手なんかしてんのよ。この曲にあんたが作詞するんだからね。」
拓也はステージ上にいる真希を見上げながら言った。
「この曲。歌詞いらないんじゃないかな?なんか曲だけの方が格好良いというか、しっくりくるというか。」
「俺も演奏してて同じ事思ってた。ヒメ。この曲インストだけでもう充分完成されてるよ。」
「だな。ドラムもギターもベースもちゃんと目立たせてくれてるし。これでいいんじゃね?ライブが始まる1曲目とかで演奏したらめちゃくちゃ格好良いじゃん。」
「3人がそう言うならそれでもいいんだけど…そうだね。じゃあ、この曲のタイトルだけ拓也に考えてもらおうかな。」
すぐに思いついた言葉を拓也は口に出した。
「BATTLE。」
真希は首を傾げて「バトル?」と言ったが龍司と春人は、
「おお〜!確かに戦ってる感じがするよな。」
「それでいいと思う。」
と賛同してくれた。真希はそんなつもりで作曲したわけではなさそうだったが、3人がそう言うならとまた言ってこのインストルメンタル曲はBATTLEと名付けられた。真希は腕時計を確認した。
「2時か…随分遅くなっちゃったわね。今日はここまでにしよっか。路上ライブの練習は各自でやる事にして、貴史君の病室で歌うまでは春人の曲を主に練習していきましょう。」
「わかった。」
「オッケー。」
「みんな。路上ライブの練習したかったはずなのに…ごめんな。」
「謝るなよハル。」
「そうそう。謝るな。」
「私達が手伝いたいって言ったんだし。」
「ありがとう。みんな。念も付き合ってくれてありがとう。」
「俺は暇なだけだし。」
「そうそう。こいつの事は気にすんな。」
「ウッセーぞ!リュージ!」
4
2014年6月23日(月)
貴史の病室で歌う日まで1週間を切った昼休み姫川真希は楓のいるB組の教室の前にいた。このクラスに真希の知り合いは一人もいない。真希は深呼吸をしてから教室に入った。B組の生徒達が真希が教室に入って来た事に気付きジロジロと見て来る視線が伝わって来る。楓も真希をじっと見ている。真希は一直線に楓が座る席に向かった。
「丸岡楓さんよね?私はD組の姫川真希。」
真希に声を掛けられた楓は驚いていた。
「急なんだけどちょっと2人で話さない?」
「え?どうして姫川さんが私と?」
「春人と貴史君の事で。」
真希がそう言うと楓は黙って立ち上がった。2人は教室を出てたところの廊下で話をする事にした。
「私、バンド始めたの。」
「は、はあ。」
「そのメンバーの一人が結城春人なの。」
「え?」
楓は春人は貴史と自分以外とはバンドを組まないと思っていたのだろう。真希が想像していたよりも楓はこの時動揺していた。
「春人…バンド始めたんだ…春人も貴史を待ってあげられなかったんだね…」
「それは…違う。違うよ。春人は貴史君を待ってるよ。」
「……」
「丸岡さん春人からの手紙受け取ったよね?」
真希はグループLINEで春人から先週の月曜日に楓に手紙を書いて家のポストに入れたと聞いていた。昨日の路上ライブで春人と会った時、楓から何か連絡をもらったのかと確認すると春人は楓からは何も連絡がないと答えた。
「手紙は受け取ったし、ちゃんと読んだよ。でも、バンドに入ったのは書かれてなかったな。」
楓は少し俯き寂しそうな表情を浮かべた。
「手紙には来週の29日に貴史の病室で歌を歌うから見にきてくれないかって書かれてた…私は春人が病室で1人で歌うんだと思ってた。」
「最初は春人1人で歌う予定だったんだけどバンドで歌う事になったの。それで私も丸岡さんに見に来てほしいと思って誘いに来たわけなの。」
「そう…それは春人が真希さんに頼んだの?」
「頼まれてないよ。今日私が丸岡さんを誘うって伝えた時も春人はわかったとしか言ってない。」
楓はその後、何か言うのかと思って少し真希は楓の言葉を待っていたが楓は何も言わなかった。
「春人は歌で貴史君を本気で目覚めさせようと思ってる。貴史君が目覚めたらまた一緒にバンドをやるんだって。」
「……」
「また3人で一から始めるんだって、春人そう言ってたよ。」
「……無理だよ…そんなの…無理だよ…昔みたいにはもう戻れない。また一からバンドを始めるなんて無理だよ…貴史は…もう目覚めないよ…」
「手紙には臓器提供する事が決まった事は書かれてた?」
楓は真っ青な顔をして真希の目を見つめてながら顔を横に振った。
「やっぱり書いてないか…貴史君ね。臓器提供される事が決まったの。」
「そんな…いつ?」
「今月の30日。」
「うそ…うそでしょ?変な冗談はやめてよ。」
「冗談じゃないの。」
「もしそれが本当なら春人が教えてくれるはずだもん。手紙にも何も書いてなかったもん。」
「春人は丸岡さんに伝え辛かったんじゃないかな…」
「……」
「春人は貴史君が29日に目覚めると思ってる。だから、丸岡さんには伝えなかった。だけど、私は春人みたいに貴史君が目覚めると思いたいけど、心の底からは思えないでいる。だから、言うね。」
真希は深く目を閉じた。
「もう貴史君に残された時間はない。29日が貴史君と会える最後の日になると思う。」
楓は両手で顔を塞いで泣き出した。
「貴史君との最後の思い出を作る為に。
あなた達幼なじみが仲良かった頃の3人に戻る為に。
そして、なによりあなた自身が後悔しない為に。29日。貴史君に会いに来てあげて。」
そう告げて真希は楓の元を去った。楓は真希の言葉が理解出来ないと言う様に頭をずっと振り続けていた。
この日の放課後、真希と拓也と龍司は春人と一緒に貴史のお見舞いに行った。真希は病室に入る前に春人に今日楓を29日のライブに誘った事を伝えた。春人は「そっか。」と答えたがその表情から春人は楓はきっと来ないだろうと思っている事が伺えた。真希は「丸岡さん来てくれるといいね。」と言った。春人は寂しそうに「うん。」と答えた。
病室では貴史が気持ち良さそうに眠っていた。それが貴史と初めて会った真希の貴史に対する第一印象だった。
春人は貴史に真希達3人を紹介してくれた。その後、貴史を含めた4人は病室で会話をしていた。春人は眠っている貴史も一緒に会話をしている様に誰かが何かを言う度に貴史に確認したり、問いかけたりしていて話の中心には貴史がいるように話した。さっきまで寂しそうな顔をしていた春人とは思えない程春人の顔は笑顔だった。
春人は貴史の前では寂しそうな顔を見せない様に頑張っているのが真希には痛い程伝わった。
「貴史はどうだったっけ?」
「貴史もそう思うよな?」
「龍司も貴史と同じドラムなんだよ。」
「真希のギター聴いたら貴史びっくりするぞ。」
「貴史。タクは5種類の歌声が出せる凄いボーカリストなんだぞ。」
「貴史もみんなの演奏聴きたいだろ?」
「今度聴かせてやるからな。」
路上ライブの時間が近づき拓也は眠っている貴史の顔を覗き込みながら、
「貴史君。俺達路上ライブの時間だからそろそろ行くよ。」
と伝えた。続いて龍司も拓也と入れ替わって貴史の顔を覗き込み、、
「また明日来るわ。」
と言う。真希も2人に続いて、
「また明日ね。」
と貴史に言った。最後に春人も貴史の顔を覗き込み優しくこう言った。
「貴史…また明日な。」
春人が言った「また明日」という言葉の意味と重さと残酷さを知り真希は思わず俯いた。
5
2014年6月29日(日)
貴史の病室で歌う日が来た。病院側の配慮で広い部屋に貴史は移されていた。今この広い病室には拓也と龍司と真希と春人。それから正と貴史の両親と数名の看護師や医師がいた。楓の姿はない。
貴史が眠るベッドが部屋の中央にあってそのすぐ近くに貴史の両親は椅子に座っていた。看護師や医師達は部屋の後ろ側に立っている。結城春人は貴史の顔を覗き、「今から一曲だけ歌うからな。」と貴史に伝えた。貴史の両親が春人に近寄って来る。貴史の両親は前に会った時よりやつれている。
そのやつれた顔を見て春人は貴史の両親のこれまでの苦悩と葛藤を感じ取った。
「お久しぶりです。おじさん。おばさん。」
春人がそう言うと貴史の母は春人に会わない様にしていた後ろめたさがあるのだろう申し訳なさそうに顔を少し伏せてから言った。
「春人君いつもお見舞いありがとうね。」
「いえ。そんな。」
「楓ちゃん。今日は来れないのかしら?」
次は春人が少し顔を伏せる番だった。
「多分…はい。」
横では正が真希に声を掛けている。
「姫川さん。お久しぶりだね。足の具合はどうかな?」
「お久しぶりです。足の傷跡は残ってますけど、痛みが出たりはしてないです。」
「そうか。しかし、驚いたね。」
正はそう言って真希を見つめた。真希は何が?と聞く様に顔を傾げた。
「いや、君が同じバンドメンバーだって春人から昨日聞いてね。まさかうちの息子と姫川の娘さんが一緒にバンドを組むなんて思ってもいなかったよ。」
「そうだったんですね。私も前に父に結城総合病院の次男とバンドを組んでる事を伝えたとこです。」
「そうか。姫川は何か言ってたかな?」
「次男坊も医師になるんじゃないのか?遊びに付き合わせていいのかって聞いてました。」
「遊びなのかな?」
「いいえ。私達はプロを目指します。」
「春人も昨日同じ事を言っていた。私は春人が医師になろうが弁護士になろうがミュージシャンになろうが一向に構わない。が、やるからには本物になれと言っている。君たちも本物になる覚悟があると受け取っていいんだな?」
真希は力強く正の質問に「はい。」と答えた。
横で正と真希が話す会話を黙って聞いていた春人は父はそういう男だと心の中で思っていた。
昨日春人は正に自分は医師には向いていない。医師になる夢は諦めてプロのミュージシャンを目指す事に決めたと伝えた。正は春人が思っていたよりもそっけなく「そうか。わかった。」と答えた。血を見ただけで体が震え出す息子を見てきて医師には向いていないと正は一番わかっていたのだろう。それに、兄の正吾がいる。だから正は春人に無理に医師になれとは言わなかったんだと春人は思った。が、それは間違いだった。春人が正の書斎を出ようとした時、正が「春人。」と春人を呼び止めた。正はまっすぐ春人を見て言った。
「私は別に正吾にもお前にも医師になれと強要した覚えはない。お前達が勝手に医者になると言い出したんだ。医者を目指そうがミュージシャンを目指そうが好きにすればいいさ。だが、何をするにもやるからには本物になれ。」
春人はこくりと頷いた。
「ただ、一つだけ条件がある。3年だ。20歳までに本物になれないようなら家を出て行ってもらう。いいな?」
父が言いそうな言葉だなと思いながら春人は「はい。」と力強く答えた。
「やるからには1番になれ。」
春人はまた力強く「はい。」と答えた。
次に正は龍司に声を掛けた。
「神崎君だね。」
急に声を掛けられた龍司は正の顔を見て最初誰なのかわかっていなかった。
「この前、その目を怪我した時担当した結城です。眼帯はもう取れたんだね。」
「あ。あん時の!てか、結城ってまさか…」
「ここの医院長先生で春人のお父様よ。」
と真希が龍司に説明をした。龍司は「マジかよ!」と言って驚いていた。正は腕時計を確認して、
「そろそろ始めようか。」
と春人に告げた。春人は覚悟を決め深く頷いた。春人達4人は円になって集まる。いつもなら路上ライブを始める前は必ず龍司が「楽しもう。」と言ってライブを始めるのだが龍司は何も言わずに春人を見ていた。拓也も真希も同じ様に春人を見ている。春人は小さな声で3人に、「楽しもう。」と言った。3人は深く頷いてから持ち場に立った。そして、拓也がマイクを手に持ち春人に差し出した。
「挨拶。ハルがした方がいいだろ?」
春人は黙って頷きマイクを手に取った。
「本日は貴史の為にこういう場を設けて頂き本当にありがとうございます。」
春人は深々とお辞儀をした。拓也達も続けてお辞儀をした。貴史の両親も椅子から立ち上がり春人達にお辞儀をした後、後ろを向いて医師や看護師にお辞儀をした。
「貴史。」
(これが最後なのか…)
「今から歌う曲はお前を思って書いた曲なんだ。」
(もう…今日でお別れなのか…)
「タイトルはトラとリスとウサギ。」
(お前に歌を聴いてもらうのも。話をするのも。顔を見るのも。)
「幼稚園の頃貴史と俺と楓の3人で作ったキーホルダーのキャラクターの名前をタイトルにしたんだ。」
(これで…本当に…最後…なのか…)
「じゃあ…聴いて下さい。」
(もっと話したかったな。もっと一緒に笑いたかったな。もっと一緒に歌いたかったな。もっと一緒に…もっと…もっと…もっと…)
■■■■■■■■■■■
「トラとリスとウサギ」
☆いつも笑ってた いつも歌ってた
いつだって僕ら一緒で
また一緒に笑いたいな 歌いたいな
早く起きなよ いつまで眠っているの?
この声は聞こえていますか? この歌は届いていますか?
Ah また一緒に笑ってみたいな
「限られた時、大切にしなきゃ」と君が教えてくれました
☆ repeat
時だけが過ぎていって 僕はあの時のまま
あの時に戻れるなら あの時に戻れるのならって
僕はただそう思うだけ
Ah また一緒に歌ってみたいな
「どんなに辛くたって前に進まなきゃいけないんだね?」
☆ repeat
「楽しい時 笑えば笑う程楽しくなる
辛い時だって笑ってれば少しは楽になる」
君がそう言うから 僕らは辛くても笑ってた
Ah Ah Ah 楽しかったな
「生きることの意味」君が教えてくれたんだよ
☆ repeat
■■■■■■■■■■■
拓也が歌い終わった後、一筋の涙が春人の目からこぼれ落ちた。
6
「今日のブラーでの練習はお休みにするから。拓也はトオルさんに伝えといて。」
真希はそう言って拓也と龍司を連れて病院を後にした。春人はずっと病室にいた。
貴史の両親が夕食を食べに食堂へに向かった。おそらく貴史の両親は本当は食事を食べに行ったわけではない。春人と貴史の2人きりにしてあげようと思ったのだろう。春人は貴史と2人きりになっても何も話さなかった。沈黙だけが流れる。ガラガラガラ―と誰かがドアを開け病室を訪れた。春人は振り向いて誰が入ってきたのかを確かめる事はしなかった。
「春人。」
春人の後ろから楓の声がした。それでも春人は振り向かなかった。貴史の顔だけをじっと見ている。楓は春人が座っている横に立ち春人の肩にそっと手を置いた。春人は俯き泣きながら言った。
「ごめん…俺…貴史を目覚めさせられなかった…」
「…私もごめんね。歌…聴けなかった…」
楓も春人と一緒に泣き始めた。
「貴史…いつまで眠ってんだよ…」
「そうよ…久しぶりに3人揃ったんだから…眠ってなんかいちゃダメだよ。」
「……」
「貴史…起きろよ…起きろってば!」
「……」
「……」
「お前…今日起きなきゃ死んじゃうんだぞ!もう今日しかないんだぞ。」
「……」
「……」
春人は立ち上がり貴史の襟元を持って叫んだ。
「おい!聞いてんのかよ!貴史何か言えよ!頼むよ。頼むから何か言ってくれよ!」
「……」
「……」
「お前もう大好きな楓と会えなくなるんだぞ!俺なんかお前を待たずに別のバンド組んだんだぞ!悔しくないのかよ!」
「春人。落ち着いて。」
「……」
「俺は……悔しいよ…悔しいんだよ。」
「春人。やめて…もうやめてよ。貴史にはこの声が聞こえてるんでしょ?それなら貴史は頑張って目覚めようとしたはずだよ。あの時から今日まで頑張ってたはずだよ…春人の声を聞いてたはずだよ。だけど…頑張ったけど…どうしても目を覚ますまでいけなかったんだよ…」
楓は春人の腕を貴史から離した。春人が椅子に座るのを見届けて楓は言った。
「楽しい時、笑えば笑う程楽しくなる。辛い時、笑ってれば辛さが少しは楽になる。」
春人は楓のその言葉を聞いて貴史を見た。
「貴史がそう言うから私達いつも笑ってたでしょ?楽しい時も辛い時も。だから、いつも通り笑って貴史を見送ってあげよ。ね?」
その後、春人と楓は涙を流しながら無理矢理笑顔を作って思い出話を始めた。
しばらくして貴史の両親が病室に帰ってきた。貴史の両親は春人と楓の話す思い出話を涙を拭いながら、時には頷き時には笑顔を見せ時には話に加わった。
*
2014年6月30日(月)0時30分
気が付くと日付が変わっていた。春人は楓を家まで送る途中にぼそりと言った。
「今日は来てくれてありがとう。」
「なに言ってんのよ。私、間に合わなかったんだよ。」
「でも、来てくれた。来てくれないと思ってたから。」
「……」
「楓が来てくれなかったら俺きっと悲しいまま貴史とお別れしてたと思う。だけど、楓が来てくれたおかげで笑顔でお別れ出来た。本当にありがとう。」
「私…本当はさ。病院に着くの遅れたのはただ迷ってたからなの…ぐずぐずしてたら遅れた…春人にも貴史にもどういう顔をして会えばいいかわかんなくて…でも、2人に会って良かったよ。迷ってるんならもっと早く来たらよかった…そしたら春人の曲聴けたのにな。」
「またライブとかで歌うと思うよ。」
「そっか。じゃあ、ライブ行くね。いつやるの?」
「まだ決ってないんだ。路上ライブはやってるけど、バンド活動はまだ本格的にはやってないんだ。」
「どうして?」
「あと一人ピアニストを誘おうと思ってて。楓も知ってるかな?柴校の長谷川雪乃ってピアニスト。」
楓は驚いた表情を見せた。
「この街でピアノをやってる人なら長谷川先輩の事を知らない人なんていないよ。」
「そっか。やっぱり有名なんだね。」
「私も何度もコンクールで一緒になったしね。私はあの人を最後まで越えられなかったけど。」
「楓が越えられなかった人か…。やっぱり天才ピアニストって言われるだけの事はあるんだね。」
「天才か…確かに天才は天才なのかもしれないけど、長谷川先輩より天才を私は知ってるわ。」
「え?」
「確か名前は一ノ瀬凛。私達より2つ年下の子なんだけど、あの子は本当に天才だったわ。長谷川先輩もあの子が出たコンクールでは全て2位だったの。一ノ瀬凛が出てないコンクールでは全て1位を獲ってた人なのに。」
「上には上がいるんだね…」
「うん。でも一ノ瀬凛は中学生になった頃くらいからコンクールには出てないみたいね。」
「どうして?」
「さあ?そこまでは知らない。でも、あれだけの才能を持ってた子だから、今頃どこか海外とか行ってるのかもね。」
「そっか。」
楓の家の前に着いた。楓は立ち止まりなかなか家に入ろうとしない。春人は「楓?」と声を掛けた。
楓は振り向き春人に聞いた。
「ねぇ?貴史の最後の夢は何だったのかな?」
「ん?」
「貴史って昔っから夢がころころと変わってたじゃない。最初は警察官。理由は確か迷子になって警察の人に助けてもらったから。小学校の時はコックさん。理由は包丁さばきが格好良く見えたから。それから漫画家さん。テレビで漫画を描いてる人の姿を見て格好良く見えたから。ホント単純な夢ばっか語ってたな。あっ。あと、エレベーターってのもあったっけ?意味わかんないよね。」
「事故に遭う前日に俺聞いたよ。」
「へぇ。なんだったんだろう。」
「プロのミュージシャンだった。俺と楓と一緒になりたいって言ってた。」
「へぇ…そっか…そうだったんだ…ホント笑っちゃうよね。」
楓は言葉通り笑った。春人は笑顔を見せた楓に真剣な表情を見せて聞いた。
「楓の夢は?幼稚園の頃と一緒?」
「うん。一緒だよ。保育園の先生になるの。だから、ピアノだって習ってたし。春人は?今まで通りの夢?」
「俺は…変わったよ。もう夢は医者になる事じゃない。」
楓はしまったと思ったのだろう下を向いて言った。
「…だよね…」
「俺、プロのミュージシャンを目指すよ。」
楓はその言葉を聞いて勢いよく顔を上げて春人の顔をまじまじと真剣な眼差しで見つめた。春人は同じ言葉をもう一度言った。
「俺、ミュージシャンになる。」
「うん。春人なら大丈夫だよ。きっとなれる。私、応援する。貴史だって応援してくれる。プロになれなかったら私も貴史も怒るからね。いい?わかった?」
そう言った途端、楓は急に涙を流しながら春人に言った。
「だから…春人はプロになって。貴史の分まで…プロになるんだからね。あなたが貴史の夢を叶えるんだからね。」
「ああ。わかってる。俺、俺達の夢を叶えるよ。」
「お願いね。頼んだよ。」
楓はそう言って自宅のドアノブを握った。
春人は小学生の頃貴史と2人でよく楓を家まで送っていた事を思い出した。楓はいつも自宅のドアを開ける前に立ち止まり振り向いて何か言う。
今も楓は自宅のドアノブを握り立ち止まったままでいる。しかし、今日は春人の方を振り向かない。後ろ姿だが楓が少し俯いたのが春人にはわかった。そして、楓は涙声で囁くように言った。
「…春人…長生きするんだよ。」
「…ああ。楓もな。」
7
2014年6月30日(月)12時30分
昼休み普段なら春人は教室で友達と過ごしているが、今日はそんな気分ではなかった。春人は校庭の芝生に座り晴天を見上げた。
音楽室からはピアノの音色が聴こえて来る。
(昼休みにピアノを弾く人なんているんだな…)
もしかしたらこのピアノを弾いている人は長谷川雪乃なのかもしれないと春人は思った。
心地よい天気と心地よい音色。春人は芝生に寝転び空を眺めた。
「貴史。見ててくれ。俺。頑張るからさ。」
8
2014年7月5日(土)
ステージで演奏をする男女2人組のライブを見ながら相川が橘拓也に言った。
「今日は暇だな。」
「うん。そうだな。」
拓也がそう答えると間宮は、「こんな日もあるさ。」とグラスを拭きながら言った。拓也もグラスを拭きながら間宮に言った。
「お客さんの入りって結構バンドの人気に左右されますよね。」
「だな。お前らのバンドが沢山のファンを連れてここでライブをしまくってくれたら俺は助かるけどな。」
間宮はそう言ってにっと笑った。
「それはピアニストが加わって龍司の腕が治ったらここでライブしてもいいって事ですか?」
「当たり前だ。むしろお前ら絶対この店で初ライブしろよな。他の店で初ライブやったら殺すからな。」
「殺すって…でも、俺も初ライブは絶対ブラーでやりたいなって思ってました。」
「そうか。それならいい。ところで春人の様子はどうだ?」
「ちゃんとお別れ出来たから大丈夫って言ってました。それに自分がダメになったら貴史に合わせる顔がないとも言ってました。」
「そうか。」
間宮が笑顔でそう言った時、店の電話が鳴った。プルルルプルルル―間宮と相川が拓也の顔を見て拓也に電話に出ろと目で訴えた。
「はい。ブラーです。」
「あ。もしもし。拓也か?ちょーど良かったわ。」
知っている声。知っている関西弁のトーンだった。
「ひな先輩?」
「先輩はもういらん。てか、久しぶりやな。元気してた?」
「元気ですよ。」
拓也の短い返答を聞き終わる前にひなは次の質問をした。
「バンドの方はメンバー揃った?」
「まあ、一応。」
「あの子バンド入ったんやろ?ギターの目つきスゴワル女。名前なんやったっけ?」
「目つきスゴワル女って…姫川真希?入ってくれましたよ。」
「そうそう。姫川真希。赤木から姫川真希ともう一人がメンバーに入って路上ライブを一緒にやってたって教えてもろてん。なんか路上ライブもめっちゃ人集まってるらしいやんか。よかったなぁ。」
「赤木先輩も路上ライブ見てくれてたんですね?」
「なんか遠くから見たって言ってたで。近くで見ればいいのになあ。てか、バンドメンバー揃ったみたいやし、あの骨折れ金髪の骨折が治ったらライブ始めるんやろ?」
「いえ。まだピアニストを入れるかもしれないです。」
「へぇ〜。そうなんや。ピアニストかぁ〜。」
不審そうな顔をして間宮が拓也に近寄って来た。拓也は受話器の口元を抑えて、「栗山ひなです。」と小さな声で間宮に電話の主の名前を言った。間宮は「ああ。」と言って電話の対応をそのまま拓也に任せた。
「もしもし、聞いてる?」
「あ。すみません。てか、ひな先輩。これブラーの電話なんですけど…」
「ああ、そやった。肝心な事忘れてたわ。8月の土曜日でライブしたいねんけど空いてる日あるかな?」
「へぇ〜。ブラーで。」
拓也はそう答えながらライブスケジュールと書かれた黒いノートを取り出し8月のページを開いた。
「今のところ8月の土曜日はいつでも空いてますけど。」
「そうなんや。ほな、16日はどう?拓也もライブ聴きに来れる?」
「多分その日はバイトだと思うんでブラーにいますよ。てか、その日、こっちに来られるんですか?」
「夏休みやしな。夏休みの間は結構長くそっちにいる予定してんねん。みんな揃って練習できるし。よし!ほな16日でお願い。時間は7時からやんな?」
「はい。7時からです。大丈夫ですか?時間遅らす事もできますよ。」
「7時で大丈夫。」
「バンドメンバーは4人でいいですか?」
「そう。この前のメンバーな。」
拓也は8月16日のライブスケジュールにひなのバンドの人数を表す4と書いて丸をした。
「じゃあ、16日7時からでバンドメンバーは4人。あと、バンド名とかってもうあります?。」
「ああ。バンド名な。L・O・V・E・L・E・S・Sでラヴレス。」
拓也はひなに言われた通りエル、オー、ブイ、イーと口に出しながらバンド名をノートに書き足した。
「ラブレスですね。」
「そう。ラヴレス。ウにてんてんやしな。」
「ああ。ラヴレスですね。わかりました。」
「よろしくな〜。」
「16日。楽しみにしてます。」
「ウチもや。今から楽しみで仕方ないわ。そや、骨折れ金髪達にもよかったらライブ見に来てって伝えといてな。」
ひなは楽しそうに笑って電話を切った。間宮は今拓也が書き足したライブスケジュールを見ながら、「あいつらうちでライブするのか。楽しみだな。」と言った。拓也は笑顔で「はい。」と答えた。
「そう言えばトオルさん。この前ひな先輩の前の名字気にしてましたよね?」
「んっ?ああ。そう言えばそうだったな。」
間宮はスケジュール表を直しながら拓也に聞いた。
「あいつの前の名字ってなんだったんだ?」
「相沢です。相沢ひな。」
拓也がそう言った瞬間、間宮の表情は引きつった––ように拓也には見えた。そして、間宮は数秒の沈黙の後、相沢と口に出して、「…なるほどな。」と言った。拓也には何がなるほどなのかはさっぱりわからなかったが、それからの間宮は何かを考えているといった感じで拓也達が話す話題には一切入って来なかった。
*
間宮トオルは自宅の机の引き出しから1冊のノートを取り出した。ここにはひかりが撮った写真達が貼られている。ノートをペラペラとめくり手を止めた。そこにはルナで撮った集合写真が貼られている。
写真の中では路上ライブを終えた相沢と奥田と吉田と間宮の姿があり、みんな笑顔を見せている。ルナでバイトをしていたひかりとゆいの姿もある。その他にも間宮の同級生や相沢の彼女の姿も映っている。間宮は写真の中で笑うひかりの笑顔を見た。
(ひかりとちゃんと話をしたのはこの日が最初だった。確か相沢に妹だと紹介されたんだったな。)
『妹のひかり。お前と同い年なんだよ。栄女に通ってる。』
『はじめまして。間宮トオルです。』
『はじめまして。相沢ひかりです。』
間宮はひかりが首からぶら下げているカメラが気になった。間宮の目線にひかりは気が付いた。
『ああ。これ?あとでみんなで写真撮りたいな〜。』
『相沢さん…』
『ひかり。でいいですよ。』
『……』
『ひかり…さんはカメラが趣味なんですか?』
『さんもいらないよ。ひかりでいい。同い年だしさ。私もトオルって呼ぶから。ね?』
『…ひかり…はカメラが趣味なの?』
ひかりは笑顔を見せて『うん。』と言った。その笑顔を見て何度もみたい笑顔だと間宮はこの時思った。
(一目惚れって言うのかな?俺の一方的な恋心だった。
いや、違うな。ひかりの事を好きになった日は別の日。そう花火大会の夜だった。
この時はまだ好きという感情まではいってなかった。気になる存在。そんな感じだった。
この時の俺はまさかひかりと付き合う事になるなんて想像もしてないかった。)
間宮は写真の中で笑うひかりから相沢の横に座る女性の顔に目を移した。
(この時、相沢の彼女だった子が後に相沢と結婚をした。そうだった。この子の名字をすっかり忘れていた。この子の名字は…栗山だった。名前は確か華。栗山華。栗山ひなの母親だ。)
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今、想う
5月29日
今日、私は初めて彼らの路上ライブを見る事が出来た。赤髪の彼と金髪の彼が作った曲も聴けた。本当に凄かった。そして、今日は彼らのバンドが結成された記念すべき日となった。その瞬間を見れた事が私は嬉しかった。
「おめでとう」私は心の中で彼らのバンド結成を祝った。
路上ライブが終わった後、彼らはルナに友達を連れて来てくれた。
みんなで自己紹介をして連絡先を交換して私の写真で集合写真も撮れた。
この写真は私の宝物だ。
彼らはもう一人ピアニストをバンドに入れると言っていた。これから彼らのバンドがどうなっていくのか本当に楽しみだ。
そして、私は今日初めて赤髪の彼の名前も知る事が出来た。名前は……ここに書くのはやめておこうかな…「赤髪の彼」とこれからも書き続けよう。
その赤髪の彼とも少しだけど話す事ができた。嬉しかった。
今日はホントにいい日でした。
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