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The Voice  作者: 幸-sachi-
The Voice‬ vol.1
13/59

間奏曲 5 ―EPISODE Haruto―


結城春人がベースという一見地味に見られがちな楽器を始めたのは兄の影響だった。春人には9歳年の離れた兄がいてバンドを組みベースを担当していた。兄の演奏するベースは春人が頭に描いていた地味な楽器という印象を一変させた。兄がベースを弾くその姿が春人にはクールで格好良く見えた。そして、何よりベースの音が大好きになった。中学1年生の時、春人は兄に教えてもらいながらベースを始めた。兄の正吾はエレキベースだけじゃなくウッドベースも持っていた為、春人はウッドベースの練習もする事が出来た。


春人には神田(かんだ)貴史と丸岡楓(まるおかかえで)という幼稚園の頃からいつも一緒にいる幼なじみがいてベースを始めた事を春人はまず貴史に話した。すると貴史は「じゃあ、俺ドラム始めよっかな〜。前からドラムやってみたいと思ってたんだよ。あっ!いい事思いついたっ!俺と春人と楓の3人でバンド組もうぜ。楓は幼稚園の頃からピアノ習ってたしちょうどいいよな。」と言い出して楓を誘い2010年。中学1年生の時に春人達は幼なじみ3人でバンドを組む事になった。春人がボーカル兼ベース。貴史がドラム。楓がボーカル兼ピアノだった。


ある日、楓が「これ覚えてる?」と言ってトラとリスとウサギのキーホルダーを学校に持って来た。

「もちろん。覚えてるよ。」

「幼稚園の頃一緒に作ったキーホルダーだ。」

幼稚園の時、貴史がトラのキーホルダーを3つ作り楓もリスのキーホルダーを3つ作り春人もウサギのキーホルダーを3つ作った。そのプラスチックで簡単に作れるキーホルダーの裏側には後からマジックペンでnameと書きそれぞれ名前を書いた。かんだたかしと書かれたトラのキーホルダーが3つ。まるおかかえでと書かれたリスのキーホルダーも3つ。ゆうきはるとと書かれたウサギのキーホルダーも3つ。そのキーホルダーをそれぞれに渡し合った。

「そのキーホルダー俺も家に大切にしまってあるよ。」

「俺もある。」

「じゃあさ、楽器のケースにこのキーホルダー付けるのってどう?私は鍵盤ハーモニカのケースに付けるからさ。」

「えーっ!やだよ。そんな子供の作ったキーホルダー。」

そう答えた貴史だったが、春人がベースのケースにそのキーホルダーを付けるよりも早く貴史は普段使っている鞄にキーホルダーを付けていた。


初めて人前で演奏をしたのは翌年の中学2年生の文化祭だった。それまで春人と貴史の2人は慣れない楽器を1年間みっちり兄や兄のバンドメンバーから教わっていた。その成果もありバンドのデビューである文化祭は大変盛り上がった。そして、中学3年生になった頃にはサザンクロスの間宮トオルがオーナーを勤めるブラーでもライブをするようになっていた。

「例え高校が別々になってもバンドを続けていこう。」

「高校生になったらブラー以外のライブハウスでもライブをしよう。」

春人達3人はそう約束をした。だけど、その約束は果たす事は出来なかった。

(あの事故さえなければ…今も3人でバンドを続けていられたのに…あの事故さえ…あの事故さえなければ……)



2012年9月16日(日) 7時30分


「バス早く出発してほしいんだけど。何分待たせるんだよ。」

貴史が春人の一つ前の座席に座りながら言った。春人はまだ眠たくてあくびをしながら答えた。

「まだみんなバスに乗ってないだろ?」

「てか今日バスの移動長くね?」

「確かに。でも、バスの移動も修学旅行の楽しみと思えばいいんじゃないか?」

「ムリムリ。それ無理。てか、昨日の晩言った事ちゃんと覚えてるか?」

「昨日?なんだったっけ?」

「おい。ふざけんなよ。俺、今日…」

「わかってる。わかってる。貴史がプロのミュージシャンになりたいって話だろ?」

「ちげーよっ!いや、それも本気だけど別の話してただろっ!」

「なに?何の話してたの?」

楓が自分の座席に着く前に春人達に声を掛けて来た。

「いや、なんでもねーよ。」

「なによ。私に内緒の話でもあるの?」

楓は春人の横の座席に座った。

「おい。楓の席はそこじゃねーだろ。」

「うっるさいなー。まだ全員乗ってないんだから出発まで時間あるでしょ。で、春人?今貴史と何の話をしてたの?」

春人は楓にそう聞かれて黙り込んでしまった。

昨日の晩、春人と貴史は夜遅くまで語り合っていた。話の内容は音楽の話題が多かったがほとんどがくだらない話ばかりをしていた。みんなが寝静まった頃、貴史は真剣な口調で言った。

―明日。長崎に着いたら自由行動みたいなの晩にあるじゃん。その時に俺、楓に告白しようと思ってる。

その言葉を聞いた春人は驚いた。春人は昔から楓の事は同い年だけどしっかり者のお姉さんという感じだったし楓に対して恋愛感情を持った事は一度もなかった。貴史も同じ様な感じなのだろうと春人は勝手に決めつけていた。だから、昨日貴史が楓に告白すると言い出した時、春人は本当に驚いて「え?楓の事好きだったの?」と貴史に何度も確認した。


「はいはい。私に内緒の話があるのね。」

楓は膨れながら自分の座席に向かった。貴史は楓の後ろ姿を見ながら言う。

「楓…怒っちまったな…」

「今晩には内緒の話じゃなくなるから別にいいだろ?」

「そ、そっか。そーだな。てか、春人ちゃんと覚えてんじゃねーかよっ!」

春人は笑った。この1時間後、悲惨な事故が起きる事も知らずに春人は無邪気に笑った。



2012年9月16日(日) 8時30分


天気の良い朝だった。バスの中は楽しそうな話し声や笑い声で溢れていた。貴史が後ろにいる春人の方を向いて話しかけて来る。

「あぶないからちゃんと席に座った方がいいよ。」

春人が貴史を注意した時、突然体が揺れ始め大勢の悲鳴が聞こえた。体が宙を舞う。今何が起きているのかがわからなかった。自分の力では何も出来ず、スローモーションで貴史が悲痛な顔を浮かべながら転がり回る姿が見えた。春人は懸命に手を伸ばす。が、届かない。春人は暗闇の中に落ちた。


何分の間気を失っていたのか自分でもわからなかった。気が付いた時にはバスは横転した後で窓ガラスは割れガラスの破片がそこら中に散乱していた。座席が天井に天井が地面になっている。そして、すぐ近くに貴史がいる事に春人は気が付いた。ぼんやりと視点が定まらず掛けていた眼鏡もなかったが貴史の顔は血まみれなんだとわかった。急に体が震え始める。春人はすぐに貴史の側に行こうと思ったが上手く足が動かない。春人は懸命に這いながら貴史に近寄った。

「おい。貴史。貴史ってば。」


この日、貴史は楓に告白しようと決意していた。楓に気持ちを伝えられなかった事を貴史はきっと悔しがっている―と、春人は思う。

この事故によって運転手、バスガイド、担任の教師の3名の命が亡くなった。そして、バスに乗っていた生徒は軽傷の者から重症の者までいた。春人の怪我は大した事はなかった。むしろ擦り傷と打撲程度だった。だが、精神的なショックを受けていた。

2年経った今でも血を見ると体が震えるし、同じような事故の光景を漫画やドラマで見るだけでも体が震えた。小説のような文字でもそういう場面が出て来ると体が震え出すし、バス事故の話を聞いただけでも体は震え出した。ひどい時は呼吸困難に陥ってしまう場合もある。そして、そういう時はいつも貴史の血まみれの顔が実際に目にした時の映像よりもクリアで生々しく繊細に浮かび上がってくる。

楓も擦り傷程度で済んだが、楓は楓でこの日以降バスには乗れなくなった。両親が運転する車には何とか乗れる様だがそれでも車という乗り物に乗ると体が震えると言っていた。

そして、貴史はというと事故があったこの日から2年間一度も目を覚ましていない。

貴史は楓に気持ちを伝えられないまま植物状態となり今も結城総合病院のベッドで眠っている。



2013年1月4日(金)


あの事故から春人は学校の帰りは毎日の様に結城総合病院へ通った。楓も春人と同じ様に毎日貴史のお見舞いに通ってはいるが春人は一緒に行こうとは誘わなかったし楓も春人を誘ってこなかった。そんな日々が続き年が明けて2013年を迎えた。いつもお見舞いに行くとそこには貴史の母親の姿があったのだがこの日は貴史の母親の姿はなかった。春人はしばらく貴史の病室で一人貴史に向かって話し掛けていた。

「なあ貴史?どうして俺と楓が一緒にお見舞いに来ないのか気になってるか?

実は俺さ。お前が楓の事を好きだって知ってしまった以上楓と一緒にお見舞いに来る事はできないなって思ってしまったんだ。だから、俺からは誘わないんだ。貴史はそんな事気にするなって言うんだろうけど、俺は気にしてしまうんだ。…だけど、楓も俺と一緒にお見舞いに行こうって誘って来ないんだよ。どうしてだと思う?」

貴史からは何の返答もない。春人はふーっとため息をついた。

「私が春人を誘わないのは貴史と2人でお話がしたかったからよ。」

春人は急に楓の声が聞こえて驚いた。いつの間に楓は病室の中に入っていたのだ。

「いつから話聞いてた?」

楓はその質問に答えなかった。

「3人で会うの…久しぶりだね。」

「あ、ああ…」

「お見舞いに来たらさ。貴史のお母さんとよく会うんだよね。」

「あ、ああ…俺もよく会う。」

「会う度に聞かれるんだ。貴史はこれでも生きてるって言えるの?って。私ね。毎回それを聞かれるのが嫌になってきちゃった。来る度、来る度、毎回同じ事聞いて来るんだよ?」

「楓も聞かれてたんだ…俺も会う度に聞かれるよ。」

「春人はなんて答えるの?」

「貴史は頑張って生きています。この声だって貴史には聞こえていますって答えてる。」

「毎回聞かれる度に同じ事を答えるの?」

「うん。」

「私…毎回違う事言ってる気がする…」

「そう…なんだ…」

「……」

沈黙が続いた。楓は俯き何も話さなくなった。沈黙が続くのが嫌で春人は言った。

「久しぶりに3人揃った訳だしさ。今後のバンド活動について話し合わない?」

「……」

「貴史?これから俺達どうする?」

「……」

「俺…ベース続けたいな。貴史が目を覚ましたらまたスタジオ行ってさ。練習してさ。今年から高校生なわけだし約束通りライブハウスで演奏しよう。あっ。その前にバンド名考えないとな。俺らのバンドまだ名前なかったしね。」

楓は涙を流しながら消えてしまいそうなくらいの小さな声で言った。

「…ばっかじゃないの。」

春人は驚いて「え?」と楓を見て言った。楓は俯いていた顔を上げて大声で叫んだ。

「聞こえてるわけないじゃんっ!貴史はずっと眠ってるんだよ!声が聞こえてるわけないじゃんっ!何が今後のバンド活動についてよっ!ふざけるなっ!」

幼稚園からの付き合いだが楓がこんなに大きな声で怒鳴ったのを春人は初めて聞いた。春人は落ち着いた口調で子供をあやす様に楓に言った。

「…聞こえてるよ。貴史にこの声は届いてるよ。」

「私、今までずっと貴史に声を掛けて来たよ。だけど、全然目を覚まさないよ。

さっき春人言ってたよね?貴史は私の事が好きだって。そんなのおかしいよ。貴史が私の事好きだったなんて全然私気付いてなかったけど、私、眠ってる貴史が聞いてると思って言ったよ。ずっと貴史の事が大好きだったって。そう言ったんだよ…友達としてっていう意味じゃなくてずっと好きだったって告白したんだよ…なのに未だに目を覚まさないのはどうして?

私達両想いだったって事なんでしょ?なのに…それなのに…私に告白されても目が覚めないってどういう事なの?貴史は眠ってる間に私の事を好きじゃなくなったの?違うよね?貴史には何も聞こえてないんだよね?」

「………貴史は……喜んでるよ…」

「ちがうっ!喜んでなんかいない!何も聞こえてない…貴史にはもう何も聞こえていないんだよ…」

楓は崩れ落ちるように泣き続けた。

「……」

「……ヒック………ヒック……」

「……」

「……ヒック………ヒック……」

「……」

「……ヒック………ヒック……ねえ?春人?…ヒック……」

「……なに?」

「……ホントに貴史は私の事が好きだって言ってたの?」

「……うん。」

「………嬉しいな…私も貴史の事…好きだったんだよ…ホントに…ホントに大好きだったんだよ…今でも…大好きなんだよ…こんな事になるんなら…ちゃんと気持ちを伝えておけば良かったよ…貴史は…貴史はもう目を覚まさないかもしれないのに…」

「そんな事ない!貴史が目を覚ます日はきっと来る!楓がそれを信じてやらなくてどうするんだよ!」

「……じゃあ、教えてよ。貴史はいつ目を覚ますの?どうやったら目を覚ましてくれるの?ねえ?教えてよ。春人は頭良いんでしょ?医者の息子でしょ?どうやったら貴史が目を覚ましてくれるのか教えてよっ!」

春人は俯き何も答えられなかった。長い沈黙が続いた。また沈黙が続くのが嫌で春人は言った。

「…俺…ベースを続けるよ。」

「……」

「…俺…ずっと貴史が目を覚ますのを待ってる。だから……貴史が目を覚ましたらまた3人でバンドを…また始めようよ。」

「……無理だよ…」

「無理じゃない。」

「……無理だよ…」

「無理じゃない。貴史の前でそんな事言うなよ…貴史が悲しんでるだろ。」

「……」


その後、春人は病室で楓と会う事なく中学を卒業した。



2013年3月31日(日)


「今日はエンジェルのライブ見に行くのか?」

リビングで朝食のパンをかぶりつきながら兄の正吾が起きて来たばかりの春人に聞いた。春人は寝起きの目を擦り眼鏡を掛けてから「うん。」と答えた。

春人は牛乳を飲もうと思っていたのに何故か冷蔵庫にあったオレンジジュースに手を伸ばしコップに注いでしまった。春人は自分がまだ寝ぼけているのだと自覚した。

「好きだよなー。今年で3回目になるのか?毎年エンジェルのライブ見に行ってるもんな〜。」

毎年この時期になるとライブハウスエンジェルでは年に一度の大きなライブイベントがある。プロからアマチュアまで数多くのバンドが出演するエンジェルのお祭りのようなイベントだ。春人はバンドを始めてから過去2回は貴史と楓と3人で見に行っていた。

(今年は俺一人か…楓は…見に来ないだろうな…)

「もしかして今年ぐらいからお前と同い年の奴らとか出演したりするんじゃないのか?」

兄の言葉に春人は寝ぼけていた頭が冷めた。

『いつか俺達もこのライブに出れる様になろうな。』

そのイベントに行くと貴史はいつもそう言っていたのを思い出したからだ。春人は注いでしまったオレンジジュースを少し口につけて兄に言った。

「高校生バンドは出演出来ても高校入学前の俺の世代であのライブに呼ばれる人なんているかな?」

「そっか。いないか〜。でも、お前の1コ上ぐらいの奴なら何人か出演してるかもよ。」

「そうだね。羨ましいな。」

春人がバンドをやりたくても出来ない事に気付いて正吾は「あ。悪い。」と言って新聞を読み始めた。

春人はオレンジジュースを全部飲み干してから正吾に聞いた。

「兄貴も出演したかったんだろ?」

正吾は新聞から目をそらさずに答えた。

「俺?俺は遊びだったからいいんだよ。まあ、呼ばれれば喜んで参加してただろうけど。俺らのバンドはお前らと違って才能のない奴らの集まりだったからな。お前ら3人がバンドを続けられてたら今年もしかしたら呼ばれてたのかもしれないけどな〜。」

正吾はまたいらない事を言ってしまったと思ったのだろう。新聞で顔を隠しながら上目遣いで春人の方を見て目が合うとすぐに目をそらし腕時計で時刻を確認した。

「てか、もう11時前だぞ。時間大丈夫なのか?お前いつも朝一番に出てったのに今年は遅いんだな。」

春人は正吾のその言葉に驚いた。

「あっ。午前の部終わりかけてる…俺まだ7時頃だと勝手に思ってた。」

そう言って春人は急いで部屋に戻り着替えを済ませ家を出た。

エンジェルは家から徒歩5分とかからない距離の為、春人は11時10分にはエンジェルに辿り着いていた。店内は毎年の事ながら沢山の人でごった返していた。春人はその中をかいくぐりステージが見える所までやってきた時、今演奏していたバンドの演奏が終わり大きな拍手の中ステージを去っていった。それと入れ違いに次のバンドが慌ただしくステージに入って来てすぐに次のバンドの演奏が始まった。女性1人に男性3人の4人組バンドだ。春人はスマホで時間を確認した。

(11時15分か…午前の部は11時45分までで一組の演奏時間は15分だから次のバンドはトリの一つ前のバンドって事か…今年は随分と出遅れてしまったな…でも、まあ、午前の部のトリを飾るバンドは見れるからいいか。)

午前の部は実力のあるバンド程トリに近い。つまりこの付近で活躍するアマチュアバンドの一番凄いバンドがトリを飾る仕組みだ。この午前の部でトリを飾るバンドは必ずプロからお誘いが来るという嘘か本当かわからない噂を聞いた事がある。その噂のせいなのか最近の午前の部の後半に出てくるバンドは実力以上の力を発揮するか実力以下の演奏しか出来ないまま終わってしまうかはっきりと別れてしまうようだ。しかし、今演奏しているバンドはそんな事を気にしていない様に思えた。やんちゃそうな金髪の男が楽しそうにドラムを叩いているのが印象的だった。

(あのドラムの金髪凄いな〜。)

ボーカル兼ギータの女性も歌だけじゃなくギターも上手かった。ギター担当の男もテクニックがあるのがわかった。しかし、ベースの男は何故かステージ横を気にしていて演奏に集中出来ていない感じはしたが、このバンドがトリで演奏していてもおかしくないバンドだと思った。

(でも、あのボーカルの子。歌わずにいたら美少年かと見間違えるな…)

髪型がショートカットというだけではなく服装もボーイッシュな為か春人はボーカルの女性を見てそう思った。このバンドが演奏を始めて10分が経った頃、春人はふいに「んっ?」と小さく声を出した。春人は今歌っている女性を知っているような気がしたからだ。

(あの子…どこかで…)

あのボーカルの子とどこかで会った気がする。それを思い出す前にバンドの演奏は終わり、午前の部ラストのバンドがステージに現れ、またすぐに演奏が始まった。このバンドも素晴らしく良い演奏を始めたが、春人の視線はステージを向いてなかった。さっきのボーイッシュな女性が春人がいる観客席の近くにやって来て店のオーナーらしき人物と話し出したからだ。春人はその女性をじっと見ていると子供の頃の記憶が一瞬にして蘇った。

(あっ!ヒメだっ!子供の頃よく父や兄貴と一緒にヒメの家に行った!そうだ!姫川真希だ!)

春人は真希の事を思い出して声を掛けに行こうとした瞬間、ステージで演奏しているはずのバンドの演奏が止まった。会場がザワザワとし始めた頃、叫び声が聞こえた。

「おい!ヘタクソバンド何やってんだよ。さっさと演奏続けろよっ!」

「おいっ!緑頭!歌えよ!ダッセー髪色しやがって!ヘタはヘタなりに歌えんだろーが!」

ボーカルの男はマイクスタンドを舞台袖の方めがけて放り投げた。観客の悲鳴が響き渡る。今演奏していたバンドと一つ前のバンドメンバーが乱闘を始めた。春人は真希のいる所に行こうとしたが観客達が一斉に店を出ようとして真希との距離は遠ざかっていった。真希はステージの方へ行こうとしているのだと真希の後ろ姿を見てわかった。春人もステージの方へ向かおうとしたが人の流れに押されてどんどん入口の方へと押し流されてしまった。真希の背中が遠のいていく。気が付けば春人は店の外までやって来ていた。もう一度店内に入ろうとしたが店のスタッフによって中に入る事を禁じられた。

「午後からの部は予定通り行います。しばらくの間お待ち下さい。」

拡声器を使いながら店のスタッフが言っていた。

(こんなちゃんとした店で乱闘騒ぎが起こるなんて想像もしてなかったな…どっちも良いバンドだったのにどうして乱闘なんか……)

(もう…帰ろう…)

店の外にたむろする人の会話が聞こえた。

「あの暴れてた奴ら誰だよ!最悪だな。」

「俺知ってる。BAD BOYってバンドだよ。まだ高校生のはずだぜ。あ、あの金髪とボーカルの子はこの春から高校生だったかな…」

(…BAD BOY…名前は聞いた事がある…)

「あの金髪、俺知ってるぜ。名前は神崎龍司。生意気な奴だよ。」

(神崎龍司、か…)

春人が家に帰る途中大きなサイレンを鳴らしながら走る救急車とすれ違った。

(さっきの乱闘で怪我人でも出たのかな?)



2013年9月16日(月) 


高校生になって約半年が過ぎた。春人は柴咲高校に入学し楓は栄真女学院へと入学した。この半年間、楓が貴史に会いに病室に来ているのかどうか春人は知らなかった。貴史の母親に楓が来ているのか尋ねてみようと思った事はあったが結局春人は一度も貴史の母親に楓の事を尋ねていない。高校生になってから春人と楓は一度も顔を合わせていない。幼稚園の頃から当たり前の様に毎日3人一緒にいた春人達はあの事故のせいでバラバラになってしまった。

この日、春人は貴史のいる病室に一人でいた。

(あの事故さえなければ…たった一席座る場所が違っただけなのに…俺は擦り傷程度で済んだのに…貴史はどうして目を覚まさないんだよ…もう……あの事故から1年が過ぎたっていうのに…)

春人は眠っている貴史の顔を覗き込んだ。

「いつまで眠ってるんだよ。そろそろ起きようよ。」

「……」

「…そうだ…俺、一人でライブ活動始めたんだよ。あの間宮トオルさんによかったらお前一人でもライブしないかって誘われてさ。凄いだろ?」

「……」

「また3人でライブやりたいな…。」

「……」

「またライブやりたいよな?」

「……」

ガラガラガラ――病室のドアが開いて一瞬春人は楓が入って来たのかと思ったが病室に入って来たのは貴史の母親だった。

「あら。春人君また来てくれたの?わざわざありがとね。」

「ああ…いえ、はい。」

貴史の母は会う度、顔がやつれ貴史が事故にあって以降、年齢よりもずっと老けてしまった印象を受ける。貴史の母は花瓶の花を差し替えながら覇気のない顔で言った。

「貴史がこんな状態になって今日でちょうど1年ね。」

「…はい。」

「春人君?貴史はこれでも生きてるって言えるの?」

貴史の母はまたいつもの質問を春人にした。春人はいつも通り、

「貴史は頑張って生きています。この声だって貴史には聞こえています。」

と答えた。いつもなら貴史の母は「そうね。そうよね。」と答えていたが、この日の貴史の母はそうは答えなかった。

「貴史ね。よく言ってたの。もし、脳死状態になったら生きているって言えないよねって。」

「……」

「…貴史の財布からね。臓器提供意思表示カードが出て来たの。」

「え?」

「カードには全ての臓器を提供する意志が書かれていたわ。」

「……」

貴史の母は泣きながら言った。

「あと、カードには貴史の字でよろしくって書かれてた。」

「……」

「よろしくって…母親の私に書いたのよね?」

「……」

貴史の母は泣きながら笑った。

「…フフッ。よろしくって言われてもねぇ…。」

しばらくの間沈黙が続いた。春人は小さな声で聞いた。

「…臓器提供…されるんですか?」

貴史の母は何も言わずにさっきよりも声を出して泣き崩れてしまった。その姿を見て春人は貴史の死がすぐ近くにまで迫って来ている事を知った。



2013年12月24日(火)


午後6時30分。春人は塾に行く為、柴咲駅前でバスを降りるといつもより多くの人がいる事に気が付いた。

(ああ。そっか。今日はクリスマス・イヴだからいつもより人が多いのか)

家族連れや若いカップル達ばかりとすれ違う中、春人は見覚えのある姿を見つけた。

(楓?)

楓は一人手鏡を見ながら髪型を気にしていた。

「楓。」

春人が楓を呼ぶと楓は驚いた顔をして春人を見つめた。

「久しぶり。」

春人がそう言うと楓は俯きながら言った。

「久しぶり…元気にしてた?」

「うん。楓は?」

「…元気だよ。」

楓は周りを気にしている様に春人には思えた。

「俺、これから塾なんだ。」

「…そうなんだ…大変だね。」

「そんな事ないよ。」

「私ね。あの事故から1年以上経つけど未だにバスに乗れないんだ…凄く…恐いんだ…カウンセラーには通っているんだけど……春人は大丈夫?」

「…俺は……大丈夫だよ。ここまでバスに乗って来た。だけど……」

「…だけど?」

春人は震え出した手を握りしめて言った。

「…俺も一応カウンセリングは受けてるんだ…血を見たら体が震え出す…同じ様なバス事故の話を聞いただけでも息が出来なくなったりする…」

「大丈夫?って大丈夫なわけないよね……」

「……」

「…春人?夢は?叶えられそう?」

「……わからない…」

「……」

「……」

「……そう。」

「…それより貴史には会いに行ってる?」

楓は顔を横に振って貴史に会いには行っていないと表現した。

「春人は?」

「俺は行ってるよ。そっか…楓は病院行ってないのか…」

「ごめんね。貴史にも謝っといて。」

「今度お見舞いに行った時に楓から謝ってやりなよ。貴史は許してくれるよ。」

楓は腕時計を見て時刻を確認してからまたキョロキョロと周りを気にした。

「貴史は許してくれないよ。」

「バカだな。許してくれるよ。」

「…許してくれないよ…」

楓は泣きそうになりながらそう言った。春人は楓の顔を覗き込みながら聞いた。

「楓どうした?」

「私、もう貴史に会いに行かないと思う。だから…春人から謝っといて。」

「…会いに行かないって…どうして?」

「……私…好きな人が出来たの。もう付き合い始めて半年経つの。今日も今からデート。」

衝撃的な言葉だった。春人は混乱した。楓は今までずっと貴史の事が好きでこれからもずっと貴史を好きであり続けるものだと春人は勝手に思い込んでしまっていた。楓なら貴史が眠りから覚めるその日まで貴史を待ち続けるものだと。

「どんな人と…付き合ってるの?」

「…年上の…20歳の大学生。」

楓はそう答えたが、その目からは春人には関係ないでしょと言っているのが伝わった。

楓はまたキョロキョロと周りを見た。楓は今彼氏と待ち合わせをしている。おそらく春人と一緒にいる姿を彼氏に見られたくないと思っている。だから楓はさっきから落ち着きなく周りを気にしているのだと春人は気付いた。

「…待ち合わせしてるの…もう…行ってくれないかな?」

楓はそう言って涙を流した。

「…勝手かもしれないけどさ…俺、楓は貴史が目覚めるのを待ってくれるものだと思ってたよ。」

春人は楓にそう言ってしまった。楓が傷つくのがわかっていたのにそう言ってしまった。春人が立ち去ろうとした時、楓は小さな声で言った。

「…待てるわけないじゃん…待てるわけがないじゃん…貴史はいつ目覚めるのよ?明日?明後日?それとも1年後?10年後になるかもしれないじゃん…もしかしたらもう二度と目覚めないかもしれないじゃん…」

「……もうちょっと待ってくれても良かったのに…」

楓は声を出して泣き出した。春人は楓の顔を見ないで立ち去った。

(もう…無理なんだ…もう…昔の3人には戻れないんだ…俺…今さらそんな事に気付いてしまった…あんな事故さえなかったら…あんな事故さえ…)

春人は塾に行くのを辞めて家に帰る事にした。勉強なんてする気がしなかったからだ。春人は柴咲駅から自宅まで歩いて帰った。その間、春人はずっと泣いていた。

(何年かかってもいい。貴史は…絶対俺が目覚めさしてやる…俺が医者になって貴史を目覚めさすんだ。)

貴史が来年の6月に臓器提供をする事に決まったと父から聞かされたのは次の日の朝の事だった。



2014年1月1日(水)


正月早々春人は朝から勉強に励んでいた。2階にある自分の部屋を出てリビングに行くとそこには父が新聞を読んでいた。父正は外では優しい院長先生と言われている。確かに医者としては優しいのだろうが、家庭に戻るとその優しさは全くなかった。母聖子(せいこ)にも春人や兄正吾にも正は敬語を使わせた。父の口癖は「1番を目指せ。」と「本物になれ。」だった。子供の頃から春人と正吾は勉強も運動も1番を目指すように言われ続けて来た。テストや運動会で1番になれなかった時、父は息子をクズ呼ばわりして怒鳴り散らす程だった。ベースを始める時も春人は父に了承を得てから始めた。それは兄も同じだ。兄がベースを始めたいと言った時、父は断固反対をした。医者になる者が音楽を始めるとはどういう事か。そんな暇があれば参考書の一つでも読んでおけと言ったそうだ。兄は中学から勉強はトップクラスだった。その為、成績が落ちない限りバンド活動をしてもいいと結局父は承諾したのだったが、それでも父を説得するのに1年はかかった。兄にとってバンドはお遊びだったようだが、父はやるからには本物を使えと言って高級なウッドベースやエレキベースを兄に買い与えた。春人がベースを始めたいと言った時は兄のおかげですんなりと了解を得られた。そして、父は兄のとは別にウッドベースとエレキベースを春人に買い与えた。

父は昔から1番になる為には本物を使えと言って高級な万年筆を小学生だった兄や春人に買い与えた。それは万年筆だけではなく服だって鞄だって高級ブランドを買う事を義務づけた。

そして、目の悪い春人にはイタリアの高級眼鏡をフレームだけ買って来てレンズは自分で買う様にとお金と眼鏡フレームを渡された。父の美的センスは春人よりもある。だから父が勝手に買って来た眼鏡や服をダサいと感じた事は一度もないのだが、やはり小学生の頃から高校生になった今も尚、高級な物を父に買ってもらい、使い続けている事が情けないと思っている。


新聞を読みながら父正は春人の顔をチラッと見た。そしてまた新聞に目を向けて言った。

「勉強の方はどうだ?」

春人は頭を掻きながら「問題ないです。」と答えた。正は掛けていた眼鏡を外し目を深くつむって言った。

「問題ない、か…」

正は続きの言葉を言わなかったが春人にはその後に続くであろう言葉がわかった。

『お前は勉強が出来ても医者にはなれないだろう。』そう言いたかったのだ。春人はあの修学旅行の事故以来、少しの血を見ただけで体が震えるようになっている。ひどい時には呼吸困難を起こす。そんな自分が医者になれるとは思っていない。

(俺は…一体なんの為に勉強をしてるんだろう?)

春人はそう思い始めていた。正は新聞をテーブルの上に置いて言った。

「貴史君には会いに行っているのか?」

「はい。できるだけ顔は出す様にしてます。」

「そうか。辛いだろうが続けてあげてくれ。」

正はネクタイの位置を整えてリビングを出て行こうとした。

「これから仕事ですか?」

「そうだ。」

「お父さんに一つお願いがあります。」

「なんだ?」

「貴史の病室で歌いたいんです。」

「お前がか?」

「はい。ベースを弾きながら歌っている姿を貴史に見てもらいたいんです。」

「…他の患者の迷惑になる。」

「1曲だけ。1曲だけでいいんです。」

「……」

「お願いします。貴史に…俺の歌を聴いてほしいんです。お願いします。」

「…考えておこう。」

そう言って正はリビングを出て行った。

1年以上も目を覚まさない貴史が目を覚ますとすれば、それはきっと音楽を聴いている時だ。そして、その音楽を奏でる人物は俺か楓じゃないといけない。春人はそう思っていた。だから、春人は正に病室で歌いたいと告げたのだった。

(少し前までは何年掛かってでも貴史を目覚めさる為に医者になろうと思った。だけど、そう思った次の日に貴史の臓器提供される日が決まった…もう…貴史に時間は残されていない…俺が医者になるまで待ってはくれない…そもそも、俺は医者にはなれないのかもしれない…それなら…貴史を目覚めさせる事が出来るとするのなら…それはもう音楽しかない…)



2014年4月22日(火) 23時


トントン――部屋がノックされた。春人は勉強していた手を止めた。

「はい。」

「春人まだ起きてる?」

母聖子の声がした。春人は時刻を確認してから部屋のドアを開けた。

「どうしたの?」

聖子は申し訳なさそうに言った。

「こんな時間にごめんね。お父さん。今日帰って来れなくなったんだって。悪いんだけど着替えを渡しに行ってもらえないかな?あ、でも勉強してたのよね…どうしようかな…着替えは明日の朝お母さんが届けようかな…」

「別にいいよ。気分転換に行って来る。」

「本当?ありがとう。」

「そのつもりだったんでしょ。」

「まあ、そうなんだけど。」

結城総合病は家から徒歩で5分もかからない位置にある。往復するぐらい問題はなかった。春人は病院に着くと真っ先に院長室へと向かった。

トントン――と院長室のドアをノックした。しばらく待ったが返事がない。春人は迷った末扉を開けた。院長室にいるはずの正の姿はそこにはなかった。もしかしたら急患が入ったのかと思い春人はナースステーションへと向かった。案の定、急患が入ったらしく正は今診察室に入っているようだ。着替えを看護師に渡そうとしたが、もう診察は終わっているだろうから診察室に向かってほしいと言われた。暗闇の中診察室に向かって歩いていると金髪の男がちょうど診察室から出て来た。腕はギプスをしていて目には眼帯が巻かれている。

(喧嘩でもしたのかな?)

春人はそう思いながら金髪の男とすれ違った時、見覚えのある顔である事に気が付いた。

(…どこかで見た事があるような…)

見覚えのある顔なのは確かだがどこで会ったのかが思い出せない。春人は金髪の男がフラフラしながら病院を出て行く後ろ姿を見送った。金髪の男が見えなくなると後ろから正の声がした。

「春人。着替えを持って来てくれたのか?」

「あ、はい。」

春人は着替えを渡しながら正に聞いた。

「今の人…どこかで会った気がします。」

「ああ。年齢は春人と同じだったな。学校の同級生か?」

「いえ。柴校は金髪は禁止されてるので違うはずです。でも、どこかで会った気が…」

「前にも一度うちの病院に来た様だ。前回が腕を折って今回は目だ。まあ、喧嘩だろうな。」

「彼の名前。聞いてもいいですか?」

「神崎龍司。」

(神崎…龍司…どこかで聞いた名前だ…どこでだっただろう…)

「春人。6月に1曲だけ貴史君の病室で歌を歌ってもよい事となった。日にちはまだ決まっていないがな。」

「本当ですか!ありがとうございます。」

「貴史君のご両親も喜んでおられた。久しぶりに楓ちゃんとも会えるとな。」

「…多分…楓は来てくれないです…俺一人の演奏になるかと…」

「…そうか。それなら仕方がない。」

正は楓の事を深くは聞かなかった。いつも一緒にいた3人がバラバラになってしまった事を父も母も気付いている。そして、おそらく貴史の両親も楓の両親も気付いているのだろうと春人は思った。



2014年4月25日(金)


この日、春人はブラーでのライブだった。春人がライブを行う時は田丸という名前を使っている。名前の由来は自分は一人じゃない。貴史と楓も一緒に演奏をしているんだという思いを込めて、神田貴史と丸岡楓から一文字づつもらった。そして、ライブをする前、春人は必ずピアノとドラムを少し触ってから楽屋へと向かう。これも貴史と楓を思っての行動だった。

(俺達は今でも一緒に演奏してるよ。)

これまで春人は自分で作った曲をあまりライブで歌わなかった。しかし、この日のアンコールで春人は自分で作った曲を披露した。

タイトルはトラとリスとウサギ。貴史のトラと楓のリスと春人のウサギをイメージして書いた曲だった。お客さんの反応も良かった―と春人自身手応えを感じた。

(この曲なら貴史に聴いてもらっても大丈夫だ…)

春人はライブを終えた後、柴咲駅前のロータリーでバスを待っていた。

「あの。このキーホルダー田丸さんの物ですか?」

ブラーでバイトをしている拓也が落としたキーホルダーをわざわざ届けてくれた。

(こんな大切な物を落とすなんて…なにやってんだか…)

春人は大切なキーホルダーを落とした事も気付いていなかった自分を責めた。バイトだろうと沢山のバンドの曲を聴いているであろう拓也がトラとリスとウサギの曲を気にしてくれていた。同い年の拓也に気にしてもらえる曲なのは春人の自信にも繋がった。


10


2014年4月29日(火・祝)


春人は塾に向かう為、柴崎駅前のロータリーを歩いていた。バスを降りて数歩歩いただけなのに3組も路上ライブをする人達がいるがこの街では当たり前の光景で見慣れている。春人は今まで路上ライブで足を止めた事がない。しかし、この日春人は路上ライブの歌声を聴いて初めて足を止めた。

春人が足を止めた先にいたのは2人の男性だった。金髪の男がボイスパーカッションをし赤髪の男が歌っていた。

(ん?)

春人は一度眼鏡を外して目を擦ってからまた眼鏡を掛け直し目を細めて2人を見た。

(あの赤髪は…ブラーでバイトをしてる…橘拓也だ…そっか…結構歌上手かったんだ。バンド組みたがってたけど、もうバンド活動始めたのかな…)

春人は腕時計を見た。午後6時30分。

(もう塾に向かわないと。)


2014年5月7日(水)


時刻は7時30分。カウンセリングに通っていたせいで塾に行く時間が遅くなった。バスを降りてローターリの前を通るとまた拓也と金髪の男が路上ライブをしていた。

(んっ?あの金髪…あの腕と眼帯…この前病院にいた…名前は確か…神崎龍司…。

この前、路上ライブを見た時は気付かなかったな…んっ?そういえば…BAD BOYのドラムも金髪であんな鋭い目をした人だった…まさか…神崎龍司…そうだ…BAD BOYのドラム神崎龍司で間違いない。)

春人は最初、拓也がBAD BOYに加入したのかと思った。しかしそれは違うのだとすぐにわかった。拓也と龍司が歌う後ろ側には縦長の画用紙が二枚置かれていて、一枚はギターを弾く人物のイラストが描いてありもう一枚はベースを弾く人物が描かれている。春人はこのイラストを見て拓也達がバンドメンバーを募集している事を知った。春人は腕時計の時刻を確認する。

(急がなきゃな…あの2人…中間テストはもう来週のはずなのにここで路上ライブなんかしてて大丈夫なのだろうか…)


2014年5月12日(月)


6時30分。拓也と龍司はまた同じ場所で路上ライブを行っていた。ちゃんと歌を聴いている人はいなかったが2人は歌っていた。その前を春人は通り過ぎ塾へと向かった。二人の前を通り過ぎる時、ベーシスト募集のイラストはあるのにギタリスト募集のイラストがない事に春人は気が付いた。ギタリスト募集のイラストがなくなっているにも関わらず拓也と龍司の2人しかいない事が少し不思議だった。


2014年5月16日(金)


西高の制服を着たまま春人は眠たそうに朝食のパンを食べていた。

「おはよう。」

そう言って正吾がリビングにやって来た。それと同時に春人は、

「ごちそうさま。」

と言って今使っていたお皿とコップを手に持った。正吾はテレビのリモコンを手に持ち電源を入れた。テレビ画面からはどこかの高速道路が映し出されていた。

「…臨時ニュースです。今朝未明修学旅行中の高校生を乗せたバスが高速道路の緩やかなカーブを曲がりきれず防音壁に衝突した模様。死傷者が多数いるとの事です。尚、運転手の居眠り運転が事故の原因と思われます。」

春人はそのテレビから流れて来る声を聞いた途端、手に持っていたお皿とコップを落とした。お皿が割れる音がリビングに響いた。聖子が心配して、

「どうしたの?」

と聞いてきたが春人は体を震わせてその場に立ち尽くし何も答えなかった。

「ちょっと!テレビを消して。こういうニュースがあるから、この子がいる時はいつもテレビを消してるの知ってるでしょっ!」

「あ、ああ。ゴメン。つい。」

春人はしばらくの間うまく呼吸が出来なくなって「はあ。はあ。はあ。はあ。」と呼吸困難を起こしていた。もしこの場に正がいたなら「医者の息子がこの程度で呼吸困難を起こすなど情けない。」と言っていただろう。

(子供の頃から医者になるのだと夢みていた。だけど…2年経った今でもこれだ…俺はやっぱり医者にはなれない…)

春人の頭にはまた修学旅行の映像が流れていた。

天気の良い朝だった。バスの中は楽しそうな話し声や笑い声で溢れていた。

突然体が揺れ始めた。そう思った瞬間、体は宙を舞い自分の力では何も出来ず、誰も救えなかった。

今何が起きているのかがわからなかった。

何分の間気を失っていたのか自分でもわからなかったが気が付いた時にはバスは横転した後で窓ガラスは割れガラスの破片がそこら中に散乱していた。座席が天井に天井が地面になっていた。そして、すぐ近くに貴史が血まみれで倒れているのがぼんやりと見えた。

「おい。貴史。貴史ってば。」

修学旅行中の中学生を乗せたバスが高速道路の防音壁に衝突。死者3名、負傷者32名。運転手の居眠りが事故の原因。2年前の情景が頭に浮かび春人はそのまま頭を抱えて塞ぎ込んでしまった。

「ああ。ああ。ああ…。うわぁぁぁぁ〜。」


2014年5月18日(日)


月に1度のブラーでのライブの日。ライブを始める前に拓也がバンドに誘おうとしてくれた。しかし、春人は貴史を置いてバンドに入る気はなかった。なのに――春人の心は揺らいでいた。

ライブが終わった後、拓也の歌声を聴いて春人は体がぞくっとした。こんなボーカリストがいる事に驚いた。龍司からもバンドに入らないかと誘われた。春人は嬉しかった。拓也達と一緒にベースを弾いた時は本当に楽しかった。2人は真希を誘う為に自分達の曲を作ると言っていた。この2人のバンドに真希が入れば面白いバンドになるのだろうなと春人は思った。


2014年5月26日(月)


学校が終わってすぐに春人は結城総合病院に来ていた。病室には今春人と貴史の2人だけだった。

「貴史…もう5月だぞ…早く起きろよ……」

春人は軽く貴史の頬を叩いた。貴史に反応はない。

「俺、今年に入っておばさんと顔会わせてないよ…俺が来る時間を避けて朝とか晩にお見舞いに来てるのかな?」

「……」

「きっとそうなんだろうな…臓器提供をする事に決めて俺に会いにくくなったんだろうな…」

「……」

ガラガラガラ――病室のドアが開く音がした。春人は貴史の母が来たのかと思ったがドアの前に立っていたのは正だった。

「春人来てたのか。一人か?」

「はい。」

正は春人の横にある椅子に座って貴史の顔を見ながら、

「6月30日だ。」

と言った。春人は何の事だかさっぱりわからなかった。続けて正は言った。

「お前がここで歌うのは…その前日、29日の昼にしようか…」

「……」

春人は混乱した。目からは涙が溢れ落ち、体は震えていた。

「……6月30日…それが……それが貴史が亡くなる日って事ですか?」

正は眼鏡のズレを直し無表情で「そうだ。」と言った。春人は貴史に抱きついて大声を出して泣いた。正は春人の肩に手を置いてから黙って病室を出た。


どの位の時間が過ぎたのだろう――病室は真っ暗だった。春人は病室を出て待合室に向かい塾に休むという連絡を入れた。しばらくの間、広い待合室に座っていた。春人は流れる涙も拭かずに一点だけを見つめていた。その時、ふと誰かがすすり泣く声が聞こえてきた。春人は周りを見回した。深緑の制服を着た栄真女学院の生徒が離れた席に顔を隠して座っている。

(いつからあの子はあそこに座っていたんだろう?俺がここに来る前からいたのか?それとも今来たのだろうか?)

春人は自分と同じ様に一人で待合室で泣くその子が気になった。

(誰かが亡くなったのだろうか?それとも…あの子の身近な人の命が尽きようとしているのだろうか?)

ぼーっと春人がその子を見ているとその子は顔を上げて涙を拭いた。

(ヒメ…?間違いない。エンジェルのライブで見た時より髪が長くなってるけど…あれは…ヒメだ…)

一瞬だけ真希と目が合った。春人は真希に声を掛けようか迷ったが結局声を掛けるのはやめる事にした。真希は春人の事を覚えていないだろうし、何より春人自身が今誰かと話したい気分ではなかったからだ。真希はここに自分以外の人がいる事が嫌なようで流れる涙を拭きながら待合室を出て行った。その後ろ姿を春人は涙で滲んだ目で見送っていた。


2014年5月27日(火)


(塾なんて行きたくないな…)

そう思いながらも春人はバスを降りいつもの様にロータリー前を歩いていた。いつも路上ライブをやっている拓也と龍司の姿は今はない。時間がいつもより早いからだ。春人が俯き肩を落としながらとぼとぼと歩いていると、「おい。春人。」と間宮の声が聞こえた。

「今から塾か?」

間宮と話す時、春人はいつも緊張する。

「あ、はい。トオルさんは?今からブラー向かうんですか?」

「ああ。」

間宮はバスのロータリーを見渡してから腕時計で時刻を確認して言った。

「まだ6時前だから拓也と龍司はいないのか。」

「そうですね。」

「あいつらと演奏してみてどうだった?」

「…楽しかったですよ。」

「そうか。またバンドをしてみたいと思ったか?」

春人は俯きながら答えた。

「……はい。でも、俺は貴史を置いて他のバンドに入ろうとは思ってません。」

「そうか。貴史は…相変わらずなのか?」

「……はい。来月の末に臓器提供する事が決まりました。」

「…そう…だったのか…」

「…じゃあ、俺、塾があるんで…」

春人は俯いたまま歩き出した。

「春人。」と間宮が歩き出した春人を呼び止めた。春人は振り向き間宮を見た。

「お前は音楽を続けろよ。貴史がやりたがっていた事をお前が受け継ぐんだ。貴史はお前が前に進む事をきっと望んでる。」

そして、間宮は最後に力強くこう言った。「前に踏み出せ。」と。


春人は講義を受けながら考え事をしていた。もちろん講義の内容は頭に入って来ない。

(貴史がやりたがっていた事…か…)

春人は事故に遭う前日の夜を思い出していた。みんなが寝静まった頃、貴史は真面目な顔をして春人に言った。

「俺、プロのミュージシャンになりたいんだ。最初は遊びだったんだけど、今は違う。本気だ。俺、春人と楓と3人でプロになりたいって思ってる。」

その言葉を聞いて春人は笑ってしまった。春人は真剣に話す貴史の夢をその時笑ってしまった。

春人は自分の夢は医者になる事だからそれは無理だと答えた。そして、医者になるよりプロのミュージシャンになる方がきっと難しいと思うと付け足した。貴史は本当に悲しそうな顔をしたのが印象的だった。

(貴史?俺…医者にはなれないよな…?だったら俺は今何の為に勉強をしてるんだろうな?)


11


2014年5月29日(木)


春人はこの日も塾に行く為バスに乗っていた。だけど、最近塾に行ってもちゃんと勉強しているとはいえない日々が続いていた。

(そうだ。タクと龍司のライブを見に行こう。あの2人が歌う姿を見たら気持ちも少しは晴れるかもしれない。)

春人は柴崎駅前でバスを降りると拓也と龍司の路上ライブはもう始まっていた。春人は少し離れた場所から彼らの路上ライブを見る事にした。今、路上ライブを見ているのは西高の制服を着た2人組と中年の男性の3人だけだった。

(もう少し人が集まってもおかしくないとは思うんだけどな…やっぱり路上ライブって難しいんだろうな…)

そう思いながら拓也の歌声を聴いていると3人の女性が拓也と龍司の前に歩いて行った。

(あの栄女の制服を着た子…あの後ろ姿…ヒメだ。)

路上ライブを聴いてくれる人が6人になった時、龍司がマイクを使って話し始めた。

「え〜と。路上ライブの途中ですが皆さんに聴いてほしい曲があります。この曲はある人が路上ライブを見に来てくれたら歌おうと決めてた曲で俺が作曲して彼が作詞をした曲です。」

「じゃあ…そだな。聴いて下さい。DREAMです。」

(二人で作った曲…出来上がったんだ。)

春人は聴いてみたいと思っていた拓也と龍司の曲を聴く事が出来た。ころころと歌声が変わる拓也の歌声は圧巻だった。曲が終わり拓也と龍司が真希と何か話をしていたが、離れた場所にいる春人には話の内容はわからなかった。真希は何故かポケットに持っていたタクトを夜空に掲げた。

何故真希がタクトを持っているのかはわからないが、春人はその姿を見て様になるなと思った。

その後、周りにいた人達が拓也達に拍手を送っていた。その様子を見て春人は真希がバンドに加入したのだとわかった。

路上ライブに真希が加わり3人で歌い始めた。3人が楽しそうに歌う姿が春人には羨ましかった。春人は少しずつゆっくりと無意識に彼ら3人に近づいて行く。周りにいた人達も彼らの曲を聴こうと集まり始めた。曲が終わった頃には沢山の人だかりが出来ていた。春人は彼らの曲を聴き、楽しそうな姿を見て一歩を踏み出す事に決めた。

「タク。龍司。それとヒメ。俺もバンドに加わりたい。」


12


2014年5月30日(金)


学校帰りに春人は貴史の病室に訪れた。今日も貴史の母の姿はない。春人が椅子に座った時、スマホが鳴った。グループLINEで龍司からだった。

–初グループLINE使ってみます。毎週日曜はブラーで練習出来る事になってっから真希もハルも今週の日曜23時にブラーに来てくれ。初練習をする–

すぐに拓也からオッケーとLINEが入る。おそらく一緒にいるのだろう。遅れて真希がメッセージを送って来た。

–ブラー使わせてもらってるの?トオルさん迷惑じゃない?–

–だいじょーぶだいじょーぶ。練習来れるか?–

–行けるよ–

–ハルは?–

遅れて春人はメッセージを送った。

–大丈夫。行ける。–

最後は拓也がメッセージを送って来た。

–みんな初練習頑張ろう!–

春人はスマホを鞄の中に閉まって貴史の顔を見つめた。

「貴史?言いにくいんだけどさ。俺、新しくバンドに入ったんだ。もちろん。貴史が目を覚ませば貴史とのバンドも続けて行くから安心してくれよな。」

「……」

「バンド名はまだないみたい。あと一人。ピアニストを加えたいって話だからバンド名はそれから決めるんじゃないかな。」

「……」

「違う。違う。ピアニストは楓じゃないよ。貴史知ってるかな?長谷川雪乃って人。」

「……」

「そっか。知らないか。俺の学校の1コ上の先輩なんだけどさ。結構有名なピアニストなんだよ。ポスターとかもよく貼られてる。」

「……」

「……」

「……」

春人は貴史の手をとり、声を押し殺して泣き出した。

「……ごめんな…貴史……」

「……」

「貴史を待つって決めてたのに…」

「……」

「貴史を待てなかった楓を責めたのに…」

「……」

「俺も…俺も貴史を待ってあげられなかった…」

「……」

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