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The Voice  作者: 幸-sachi-
The Voice‬ vol.1
10/59

Episode 6 ―流れる曲と車窓と―


2014年5月19日(月)


昼休み橘拓也は太田と相川の3人で屋上にいた。龍司はまだ学校に来ていない。

「なあ太田?エルヴァン知ってるだろ?」

「え?うん。そりゃ知ってるけど。」

「エルヴァンがどうやってバンドを結成したかって知ってるか?」

「エヴァは確か…」

太田は拓也の質問にしばらく上を向きながら考えていた。考えているというより思い出そうといている感じだった。ふと太田は上を向いていた顔を拓也に向けて言った。

「そう。エヴァは確か音楽事務所のオーディションで選ばれた4人でバンドを結成したんだよ。」

(その情報は知ってる。やっぱり太田でもそれ以上は知らないか…)

「他には何か知らないか?」

「う〜ん。それ以外は知らないな…でも、それがどうしたの?」

「そっか。いや…なんでもないんだ。ただ、知り合いからエルヴァンがどうやってバンド結成したか調べてみろって言われてさ。それで気になってたんだ。」

「昨日俺にもそれ聞いて来たもんな。」

と相川が言った。

「ふーん。でも僕らの世代で知っている人がいるとしてもそれは熱狂的ファンしかいないような…」

「そっかー。知らないか。」

「なんだよ。フトダがその熱狂的ファンかもって思ってたのによ。」

「エヴァはちょっと世代が違うからね…まあ、音楽に世代は関係ないんだけど。でも、少し上の世代の人達ならエヴァの事をもっと知ってるんじゃない?それこそバンド結成の話とか普通に知ってるのかもしれないね。」

「なるほど。少し上の世代か…」

(確かそんな人がどこかにいたような…どこだっただろう?確かにこの学校に転校して来てエヴァのファンしき人を見た記憶があるんだけどな…誰だったかな…)

拓也が思い出そうとしている時、屋上の扉が勢いよく開いて龍司が現れた。

「やっぱりお前らここにいたかっ!」

「おっせーよリュージっ!もう昼休みも終わるぞ!」

「うっせーな念。せっかく学校に間に合ったと思って気持ち良く登校して来たのによ。」

「お前の間に合ったって基準が俺にはわからねぇよ…」

「授業が全部終わる前に学校に着いたら間に合ってんだよ。覚えとけっ!」

「はい。はい。」

相川が手を振りながら龍司を軽くあしらうと龍司は拓也の横に座ってコンビニの袋からパンと牛乳を取り出した。それを待って拓也はあえて真剣な顔をして龍司に告げた。

「龍司。お前毎週月曜日こうやって遅刻する気か?これから日曜の晩はトオルさんに練習場所貸してもらうんだから来週からはちゃんと遅刻せずに来いよ。」

龍司は真剣に語る拓也の顔を真剣な眼差しで見ていた。

「…わかったよ。悪かったな。来週からはちゃんと朝起きるわ。」

「ああ。わかってくれたならそれでいい。」

龍司はいつもの様に左腕と口でパンの袋を破いてから言った。

「しかし、タクも念もよく学校間に合ったな。俺もしっかりしなきゃな。」

拓也はこのまま龍司が反省して来週からちゃんと学校に来てくれれば良いと思い本当は自分も学校に登校したのは2時間目からだった事は秘密にしておこうと思ったのだが、太田の一言ですぐにそれはバレた。

「神崎君。気にしなくていいよ。橘君は2時間目の途中から来たし、相川君が来たのは昼休み前だったから。」

「なにっ!タクっ!お前俺に偉そうに言っておいて遅刻してんじゃねーかよっ!なにが来週からはちゃんと遅刻せずに来いよだっ!」

龍司は片腕で拓也の脇をくすぐってきた。拓也はそれを避けながら言った。

「ヤメろよ!そのくらい言っといた方が龍司にはいいと思ったんだよ。」

「俺マジで反省しただろーがっ!」

「ハハハっ。せっかくウマくいったと思ったのに太田言うなよなっ。」

「あっ。ゴメン。」

龍司は拓也をくすぐっていた手を止めて言った。

「でも、まあタクが言うようにトオルさんにブラーでの練習をさせてもらうんだからちゃんとしなきゃな。」

「ああ。お互いな。」

「で、作詞の方は進んでるか?」

「曲作りするの聞いたの昨日だぞ。急かすなよ。まあ、授業中に少し作詞してたけど。」

「へぇ〜拓也君達曲作るんだ。それは楽しみだな〜。完成したら僕にも聴かせてよね。」

そう言ってから太田は不思議そうに龍司の様子を見ながら、

「それより神崎君どうしてそんなに急いでパン食べてんの?昼休みの時間ならまだあるけど。」

と龍司に聞いた。拓也も太田がそう言ってから龍司がいつもより急いでパンを食べている事に気が付いた。

「ホントだ。どうして龍司急いでんだよ?何かあるのか?」

龍司はコンビニで買って来たパンを3つ急いで食べ終わってから、「ごちそうさん。」と言って一気に牛乳を飲み干した。

「俺これから病院行くから。やっと今日眼帯取れる予定なんだわ。」

「そうなのか?それは良かったな。」

「ああ。やっと目が見やすくなるわ。ちなみにもう学校帰って来ねーから路上ライブは現地集合な。」

「てか、龍司お前…昼飯食いに学校寄っただけなのか?」

「んっ?ああ。結果的にそうなったな。ま、そんなわけで俺もう行くわ。あっ。そうそうエヴァの事フトダにもう聞いたのか?」

「ああ。さっき聞いた。でも太田もそんなにエヴァの事は詳しくないんだよな?」

太田は困った様な顔をして答えた。

「うん。でもエヴァの事詳しそうな人が一人いるから今度聞いてみるよ。」

「てかさタク。もうエヴァの事調べんのやめてアイツに直接LINEで聞けば良くねぇ?」

「あ、俺、ひな先輩のID知らないんだよ…」

龍司は、なんだよそれ。と言って立ち上がった。

「んじゃ、エヴァの事はフトダに任せようぜ。じゃあ、俺急ぐから。また後でな。」

「ああ。」

龍司が来た時同様勢いよく去って行った後、それまで大人しかった相川が言った。

「エヴァの結成って2000年だったか?」

「ああ。ネットにはそう書いてた。どうしたんだ念。何かわかったりしたのか?」

「いや、俺らが3歳の時かと思ってよ。」

「なんだよそれ。」

「俺らが3歳の頃トオルさんは……28歳か…その頃トオルさんんは何してたんだろうなって思ってよ。トオルさんが25歳の時サザンクロスは解散してんだろ?で、ブラーのオープンが確か2002年。トオルさんが30歳になった頃だろ?それまでの5年間トオルさんは何してたんだろうなって考えてたんだよ。」

「まあ、確かに。ソロ活動とかしなさそうだしな。」

「空白の5年間か…よし、この件は俺が引き受けよう。」

「何する気だよ?」

「少し探ってみるだけだよ。俺はトオルさんを探る。フトダはエヴァの情報を手に入れる。これでいこう。」

拓也がなんだよそれと言う前に太田は大きな声で、

「わかった!」

と答えた。

「んじゃ…俺は?俺は何をすればいい?」

「橘はとりあえず作詞に集中してろ。」


路上ライブが始まる10分前に眼帯が取れた龍司が現れた。眼帯が取れたと言ってもまだ龍司の左目は青く腫れていて見ていて痛々しかった。

(これなら眼帯付けてた方がまだ見た目は良かったな…)

拓也は正直そう思ったのだが、龍司は眼帯が取れた事が嬉しい様で、

「はぁースッキリするわ。視界が。いや、世界が広がった気がする。」

と言っていた。この日もあまり人は集まらなかった。拓也は龍司の顔を見ながら思った。

(もしかして…路上ライブで人が立ち止まってくれないのは龍司の見た目が原因じゃないだろうか…金髪だし、腕折れてるし、目腫れてるし…どう見ても恐いし…)

拓也は路上ライブが軌道に乗り出すのはもしかしたら龍司の怪我が全部治ってからなのではないかと思い始めていた。そして、この日から拓也は本格的に作詞活動を始めた。授業中やバイト中でも頭の中は常に歌詞を考えては頭を抱えていた。元々作詞をしたりするのは好きだった拓也だが作曲が出来ない為いつも歌詞を考えるだけで終わっていた。しかし、今回は作詞した後には龍司が作曲をしてくれる。一つの作品を作れると思うと拓也は嬉しくて燃えていた。



2014年5月25日(日)


龍司に曲を作る事を言われてから1週間が過ぎた。

(もしかしたら今晩にでも真希が路上ライブに来るかも知れない)

毎日そう思いながら拓也は急いで作詞をしたかいがあって歌詞の方はもうだいたいが出来上がっていた。今は龍司が作曲に頭を抱えている。肝心の真希はというとまだ路上ライブに姿を現していない。

この日のバイトが終わり拓也と相川は着替えを済ませ練習する為、カウンター席に並んで座り龍司が来るのを待っていた。

「おっせーな。もう11時半だぞ。あいつ毎週日曜はブラーでの練習ってもう忘れちまったんじゃねーか?」

相川が退屈そうに拓也に言った。拓也は苦笑いを浮かべて、

「まさか…」

と答えて洗い物をする間宮の背中を見ながら小声で相川に言った。

「それより念。トオルさんの件どうなった?トオルさんから何か聞けたのか?」

「空白の5年間だろ…聞こうとは思ったんだけどよ。なかなかタイミングがなかったっつーか。聞きにくかったっつーか…」

「だろうな…」

「フトダの奴も月曜以来エヴァの事何も言ってねーよな?」

「ああ。太田もまだ聞いてないんだろうな。」

「まあ、空白の5年間の事はそのうち俺が必ずトオルさんから聞き出すから気長に待っててくれよ。」

「ああ。」

「なにお前らさっきからコソコソ話してんだよ?」

洗い物を終えた間宮がそう言った時、勢いよく店の扉が開いて龍司が入って来た。

「おっすー。ちと遅れちまった。すまねーな。」

「おっせーよ。何やってたんだよ。」

「すまねー。作曲してたらこんな時間になっちまった。でも、曲出来上がったから。」

そう言って龍司はコピーしてきた楽譜を鞄から取り出して相川に手渡した。

「今日からこの曲練習したいんだ。すまないが付き合ってくれ。」

相川は手に取った楽譜を真剣な眼差しで見ていた。次に龍司は拓也に「はい。」と楽譜を渡して最後に間宮に楽譜を渡した。間宮は楽譜を見るより先に龍司の目を見て、

「龍司お前眼帯取れたのか?良かったな。」

と笑顔で言った。龍司は、

「そうなんすよ。眼帯付けてっとホント見にくかったっスよ。まあ、まだ腫れてて少し見にくいんスけど、眼帯付けてる時よりかは随分マシっスね。」

と言いながらステージの方へと一人歩いて行ってマイクを手に取った。

「この曲路上ライブに真希が来てくれた時に歌う予定の曲なんスよ。だから、俺もボイパの練習しときたいからしばらくは自主練します。」

そう言って龍司は一人で練習を始めた。その様子を見て相川も、

「俺もこの曲の練習して来るわ。」

と拓也に告げてステージの方へと歩いて行く。間宮はステージの方には向かわずにフォークギターを取り出して拓也の横に座った。そして、楽譜を見ながらギターを弾き始めた。

「この歌詞は拓也が?」

ギターを弾きながら間宮が聞いた。

「はい。想像の世界ですけど。」

「ふ〜ん。」

間宮はそう言ってギターを引き続けた。拓也もそのギターに合わせて練習する為に歌い始めた。

1時間程各々が練習した後、「一度合わせてみよう。」と間宮は拓也達に告げた。拓也も相川もその言葉になぜか異様に緊張をした。そして、間宮はエレキギターを取り出してステージに立った。

「お願いしまーす。」

龍司はそう言って演奏の邪魔にならない様にステージを降りた。拓也はマイクを持ち目を閉じた。そして、大きく深呼吸をしてからゆっくりと目を開けた。目を開けると客席からステージを見上げて立っている龍司の姿が目に入った。龍司は拓也の方を見て肩を上下に動かした。緊張しているから肩の力を抜けと言っているのだ。拓也は龍司に向かって頷いた。

(トオルさんも念もこの曲を練習している間、この曲に対して良いも悪いも何も言わなかった。念はともかくこの曲はトオルさんにどう映ったのだろう。)

「拓也。この曲の評価なんて気にするな。この曲はお前達の曲でこれはお前が書いた歌詞なんだ。自信を持って歌え。」

間宮が拓也の心の中を見透かしたようにそう言った。拓也は間宮の方を向かずに頷いた。

(確かにトオルさんの言う通りだ。俺は他人の評価を気にし過ぎている)

拓也は間宮の方を振り向いて歌う準備が出来た事を合図した。



2014年5月26日(月)


昨日は遅くまで練習をしていた拓也達だったが拓也も龍司も相川もこの日は登校時間にちゃんと学校に来る事が出来た。そして、昼休みにはいつもの様に学校の屋上で拓也と龍司と相川と太田の4人で昼食を取っていた。

「よしっ。もう真希がいつ来ても大丈夫だな。あの曲も練習できたし。準備万端だ。」

龍司が唐突にそう言った。その言葉に拓也は口に運んでいたご飯を止めて固まった。確かに昨日はあの曲をずっと練習していた。だけど、準備万端だとは拓也には思えなかった。正直言えばまだまだ不安だ。それを龍司に伝えたかったが隣に相川がいるので拓也は言うのを止めた。何故なら間宮もそうだが相川は昨日の練習の時、ずっと同じ曲を練習する拓也達に何も文句を言わずに付き合ってくれていた。そんな相川の横でまだ不安だとは言い辛かったのだ。

「確かに昨日の感じなら姫川がいつ来ても大丈夫だな。橘。自信持てよ。」

「ああ。ありがとう。それに昨日も遅くまで付き合ってくれてありがとな。」

「俺は暇だから気にすんな。てかよ。姫川はいつ路上ライブ見に来んだよ?」

「よしっ!」

と言って龍司は立ち上がった。

「今日真希に会いに行くか!栄真女学院侵入作戦パート3だ!んで、そのまま真希を路上ライブに連れて行くってのはどうだ?」

拓也が答える前に相川が立ち上がって言った。

「おお。いいね。俺も連れてってくれよ。俺は姫川の事知ってんのに姫川は俺の事知らねーのは悲しいしよ。だから頼む俺も連れてってくれ。その楽園に。」

「断る。これは俺とタクだけの作戦だ。お前楽園って言ってる時点で下心丸見えなんだよ。それにお前太ってっから動き鈍そうだし。見つかっても知らねーぞ。」

「んー。んじゃ、正門前まででいいから付いて行く。」

「まあ、それならいいけどよ。」

立っている二人を見上げながら拓也は言った。

「もうLINE交換してんだからわざわざ栄女に行かなくてもいいだろ?」

「なんだよタク。直接会って誘うから意味があんだろうがっ!」

「そーだ。そーだ。俺を楽園に連れて行けっ!」

「……わかったよ…」

「よし。行こう!念。お前ちゃんと大人しく正門で待ってられるんだろうな?待たなかったら許さねーからな。」

「ちゃんと待つから俺も楽園に連れてってくれよ。…てかさ、さっきからフトダは何見てんだよ?」

相川が急に太田に話しかけたので太田はビクッと驚いた。太田は昼食をとった後、一人スマホを真剣な眼差しで見ていた。

「え?いや、最近Queen の動画が配信されてなくて過去の映像を見てただけだよ。」

「なんだ最近Queenの野郎動画配信してねーのかよ。」

(野郎なのかどうかはわからないだろう…)

と拓也は心の中で呟いた。

「それよりフトダ。例のエヴァの件何かわかったか?」

「相川君ごめん。まだ聞けてないんだ。そのうちちゃんと聞くから少し待って。」

「まあ…俺もトオルさんに何も聞いてねーからな。」

龍司が相川の言葉を聞いて、「トオルさんて?何の事だ?」と聞いた。相川は面倒臭そうな表情をしながら龍司に間宮の空白の5年間を調べるつもりなんだと説明を始めた。

「サザンクロスを解散してからブラーを始めるまでの5年間か…それはルナのマスターでも知らないだろうな…」

「やっぱ直接聞くしかねーか…聞きにくいな…でも、気になるし聞けるチャンスがあれば聞いてみるわ。」

「まあ、この件はトオルさんに直接聞けるチャンスがあれば誰かが聞くって事でいいんじゃねーか。んで、聞けた奴はちゃんとみんなに報告するって感じで。」

「ああ。そうだな。そうしよう。」

「それよりも今は栄女侵入作戦に集中しようぜ。」

「おいリュージ。そんなんじゃ俺は作戦に集中できねーよ。」

「なんだよ?そんなにトオルさんの空白の5年が気になってんのかよ。」

「ちげーよっ!作戦名だよ。なんで栄女侵入作戦なんだよっ!楽園侵入大作戦の方が作戦名に相応しいだろーがっ。」

「作戦名なんてどーでもいいんだよっ!てか、お前は侵入しねーだろうがっ!」

「侵入しねーよ。だから、作戦名だけは大事にしてぇんだよっ!」

「お前なに言ってんだよ…」

「作戦名は楽園侵入大作戦だ。いいな?」

「……」

「……」

「……」

(ふぅ…全くコイツらは…)


放課後、拓也と龍司それから相川の3人は栄真女学院の正門前に辿り着いた。正門前に着くと相川は目を輝かせて「おお。楽園が目の前にある。」と意味のわからない事をひっきりなしに言っていた。

「タク。このデブは放っといてさっさと真希に会いに行こうぜ。」

「ああ…そうだな。そうしよう。」

相川からこっそり離れて拓也と龍司はいつもの侵入口に向かっていると相川は、「お前らぁ〜楽園侵入大作戦頑張って来いよー!」と大声で叫んだ。栄真女学院からは帰宅する生徒がたくさん正門から出て来ている。その生徒達は相川の事を不審者を見る様な目つきで見ていた。龍司は、

「タク振り向くな。あのデブの相手してたら侵入する前に不審者がいるって通報されそうだ。」

と言った。相川は無視をする拓也達に声が届かなかったと思ったのかまた大声で「お前らぁ〜楽園侵入大作戦頑張って来いよー!」と叫んでいた。相川から逃れて拓也と龍司は無事に校舎の4階まで難なく辿り着いた。目の前には音楽室があり吹奏楽部が練習する音が聴こえて来る。

「あの五十嵐とか言ったか。あいつにだけは合わない様に気を付けよう。」

龍司は音もなく屋上へ向けて走り出そうとした時、プルルルプルルル―と龍司のスマホが廊下に鳴り響いた。

「おい。龍司!早く電話を切れ。」

「ああ。わかってる。ったくこんな時に誰だよ。」

龍司はスマホの着信を切ってチッと舌打ちをした。

「相川だ…なんであいつ電話してくんだよ!」

「何かあったんじゃないのか?」

「まさか…クソっ。掛け直すか…」

屋上に行くにはまだ距離がある。龍司は一番近くの教室をそっと覗き込んだ。

「誰もいない。とりあえず、この教室に入ろう。」

「マジで?一気に屋上まで行ってから掛け直した方がいいんじゃないか?」

「…そうだな。一気に…」

屋上まで行こうと龍司が言いかけた時、プルルルプルルル―とまた龍司のスマホが鳴った。

「おい。龍司。マナーにしろよ。」

「もう。めんどくせぇ。教室はいんぞっ!」

拓也は龍司の後を追って教室に入った。女子校の教室に入ると拓也は学校に侵入した事以上に罪悪感を感じた。

(まるで女子生徒の部屋に無断で侵入している気分だ…)

「なんだよ念。何かあったのか?」

『もしもし?もしもし。こちら相川。作戦に…いや、楽園侵入大作戦に支障はないか?』

「てめぇ…なんで電話してきてんだよ?」

『なにか問題でもあったかと思ってよ。』

「てめぇの電話が問題なんだよ。焦っただろ。邪魔すんじゃねーよっ!。もう二度と電話掛けてくんじゃねーぞっデブ!」

龍司が大声で電話をしている最中拓也はずっと廊下を確認していた。そして、誰かが歩いて来ている事に気が付いた。電話ごしに大声を出して相川とモメている龍司に拓也は、「しーっ。誰か来た。隠れよう。」と言って急いで電話を切らせた。拓也と龍司は廊下側の机の下に隠れた。廊下を歩く女子生徒の声が段々と近づいて来る。女子生徒の人数は2人のようだ。

「確かにさっき男の人の怒鳴り声が聞こえたんだけど。」

「本当に?」

「本当よ。」

「吹奏楽部の演奏でしょ?」

「まさか。演奏と声を間違うわけないわ。」

ガラガラ―と教室を開ける音が聞こえた。

(マズい…入って来た…)

「ねぇ。ここ3年生の教室よ。誰か帰って来たら私達が怒られちゃう。出ましょうよ。」

「そうね。」

ガラガラ―と今度は教室を出て行く音が聞こえた。

「ふぅ〜。あぶねぇ。あぶねぇ。」

龍司がそう言った時だった。

プルルルプルルル―と龍司のスマホがまた鳴った。拓也と龍司は固まった。ガラガラ―と教室が勢いよく開けられる。女子生徒二人と拓也達の目が合った。4人とも体を固まらせて数秒間時間が止まった。プルルルプルルル―としつこく龍司のスマホが鳴り響いている。数秒後、「キャアーー。」と一斉に2人の女子生徒は叫び声を上げて走り出した。

「マズい。逃げるぞ。」

龍司は走りながら電話に出た。

「てめぇ。デブ電話掛けてくんなって言っただろーが!」

『なんだ?事件か?』

「てめぇのせいで侵入がバレた!お前も急いでそこから離れろ!」

『なんだ?リュージお前なんか焦ってんのか?てか、この学校綺麗だよな〜。西高とは全然ちげーし羨ましいわ。』

「うっせーデブっ!」

龍司はそう言って電話を切ってさっきよりもスピードを上げて走り出した。拓也もその後を懸命に追った。龍司は侵入して来た方とは逆の音楽室の方へと一直線に走って行く。さっきの女子生徒が音楽室に入っていく姿が見えた。

(まさか龍司の奴音楽室に向かってんじゃないだろうな?)

拓也は一瞬そう思ったが、そうではなく音楽室の近くにある階段に向かっているのだとわかった。その階段は過去2回栄真女学院に侵入した時に屋上に行く為に上った階段だったが下へ降りる事ももちろん出来る。だが、そこから下に降りるのは沢山の生徒や教師達と出くわす確率も高く危険だと拓也は思った。しかし、龍司に声を出して指示するわけにもいかず、かといって龍司に追いついて止めるには龍司の足はあまりにも速かった。龍司は階段をもの凄いスピードで上って行った。

(え?え?マジかよ?なんで階段上ってんだよ?屋上なんて隠れる場所なんてなかったぞ?逃げるんじゃなかったのかよ!?)

龍司も拓也も勢いよく屋上の扉を開けて屋上に飛び出した。



屋上には口をぽかんと開けて驚いている真希の姿があった。

「真希っ!匿ってくれ。侵入がバレちまった。」

「知らないわよそんなの。あんた達が勝手に侵入してくるから悪いんでしょ。私まで巻き込まないでよ。てか、なんであんた達ココに来てんのよっ!」

「お前のせいだかんな!お前がなかなか路上ライブ見に来てくんねーから悪いんだろっ!」

「だからってなんでまたココに来てんのよっ!前にも言ったけど、ココ女子校だからねっ!わかってる?」

「わかってるよそんな事っ!てか、俺達急いでんだわ。早く匿ってくれ。」

「だから、知らないってばっ!私に用事があるんならLINEすればいいでしょ!バッカじゃないの!橘も龍司に誘われたんならLINEすれば済む事だってどうして言わなかったのよ。」

「いや…言ったけど直接会って誘った方がいいって言われて。俺もその通りだなって思って…それに前に路上ライブ来てくれって誘ってから結構日にち経ったのになかなか来てくれないから…」

真希は頭を抱えてため息をついた。

「あんたもバカだったの忘れてたわ…」

「とにかく俺達を匿ってくれ。」

「無理よ。」

「無理じゃねー。」

「どうやって匿うのよ。ここ隠れる場所なんてないわよ?」

「え…?」

龍司が屋上を見渡す。拓也は前にここに来た時から何もない屋上だって事は気付いていたが龍司はそんな事には気付いていなかったようだ。

「ほっ、ホントだっ!どうすんだよタク?」

「いや、俺に聞かれても…龍司が何もない屋上に走って行って俺も驚いてたんだよ。」

「いや、止めろよっ!」

「止めれねーよ。声出すとマズいだろ!」

屋上の扉が開く音が聞こえ髪の長い生徒がさっき拓也達と出くわした2人の生徒を連れて屋上に入って来た。

「やっぱりあなた達ですか…」

(吹奏楽部部長の五十嵐智美だ…)

「あ、コンチワ。」

「コンチワじゃないでしょ1」

真希はそう言って龍司の頭を叩いた。痛てぇな、と言って龍司は真希を睨んだが真希も龍司を睨み返した。

「てか、あんた達五十嵐先輩の事知ってんの?」

「最初に侵入した時に会ったんだよ。」

「会ったの!?私聞いてないけどっ?」

「言ってねーもん。」

真希はまた龍司の頭を叩いた。

「1度目は見逃しましたけど2度も侵入して来るとは…あなた達一体どういうおつもりですか?ここは女子校で男子禁制です。わかっておられますよね?」

五十嵐は眼鏡を光らしなが拓也と龍司の元へと近づいて来る。

「2度じゃなくて3度目だけどな。」

龍司が小声でそう言うとまた真希は龍司の頭を叩いた。今度はさっきまでの2発より力が籠った音が鳴り響いた。龍司は頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「今、金髪の…神崎さんでしたか?3度目と言いましたか?橘さん?」

(この人…ちゃんと俺達の名前を覚えてる…)

「いえ…その…えっと…」

拓也が回答に困っていると真希が横から助け舟を出してくれた。

「3度目の侵入は絶対しないから見逃してほしいそうです。」

「前の不法侵入で真希とは会って話をしたのよね?なのにどうしてこの人達はここに来たの?」

五十嵐は今度は真希に話しかけた。

「さあ?私もわからなくって驚いてたんです。どうします?警察に通報します?」

(警察っ!?)

さっき助け舟を出してくれた真希が突然そんな事を言い出したので拓也は驚いた。

「おいおい。なんで真希までそっちよりなんだよっ!仲間だろ?」

真希は龍司に4発目を食らわせた。

「いってぇーなっ!この裏切り者っ!」

真希はフンっと言って顔を横に背けた。五十嵐は龍司の目の前に立った。

「私は前回もし今後あなた達の姿をこの校内で見た時はすぐに西高に連絡を入れると忠告しました。あなたももちろん覚えていますね?」

「えっ…?そう…だったかな…」

「五十嵐先輩。こいつらバカだから覚えてないですよ。」

龍司はうっせーなぁと言って真希を睨んだ。真希は目を閉じてまたフンっと顔を横に向けた。

「先輩どうします?警察に通報します?」

「ちょっと真希は黙ってろよ。今、五十嵐様は西校に連絡するかどうかを話していらっしゃるんだろーがっ!なんでお前は警察を呼ぼうとしてんだよっ!」

龍司は真希を睨みながらそう言ったが真希は龍司と顔を合わせようとしない。その様子を見て拓也は真希が龍司の焦っている姿を楽しんでいるようにも思えた。

「そんな態度を私にとっていいと思ってんの?不法侵入で警察呼ぶわよ。」

「真希?あなたこの人とは本当にバンドをやっていたの?あなたバイオリンとサックスの他に楽器をやってるの?」

「この金髪バカとバンドを組んでたのは本当です。」

「真希は俺達のバンドのボーカル兼ギタリストだったんだ。でも、解散しちまったけどな。今はタク…橘拓也と俺がバンドを始めようと思ってて。それで真希をギタリストに誘ってる途中なんです。こいつ路上ライブを見に来るって言ったくせに全然姿を現さねぇから今日こうやって会いに来たんスよ。」

「へぇ。真希はギターも弾けるんだ。それなら尚更吹奏楽部に入ってほしいわ。」

「おいおい。何言ってんだよ。真希は俺達のバンドに入るんだよ。」

「ちょっと龍司。私がいつバンドに入るって言ったのよ。」

「まだ、言ってねぇけど。路上ライブを見てくれればお前は必ず俺達のバンドに入る気になる。」

「まったく。一体どこからその自信は来んのよ。」

真希は頭をポリポリ掻きながら呆れたようにそう言った。

「お前この前楽しそうにギター弾いてたじゃん。どうせバイオリンを弾く時はいつも退屈そうに演奏してんだろ。」

「……」

「そうね。真希はいつもバイオリンを弾いてる時は退屈そう。いえ、退屈そうというよりなんだか悲しそうにも見えるね。」

「ちょっと五十嵐先輩。」

「真希。この人達の路上ライブを見に行く時は必ず私も呼びなさい。」

「え?」

「いい?わかった?」

「はい。それは別にいいんですけど…でも、どうして?」

「なんとなく、かな。この2人楽しそうだし。私も路上ライブ見てみたいだけよ。」

そう言って五十嵐は屋上を出て行こうとした。どうやら学校に連絡をされないで済むと拓也は安心したのだが、出て行こうとする五十嵐を真希が引き止めた。

「ちょっと。ちょっと待って五十嵐先輩。こいつら警察に突き出さないの?」

「お前…それ本気で言ってんのかよ?」

「だって不法侵入じゃん。」

「…お前は鬼か?」

五十嵐は屋上の扉前で立ち止まって拓也と龍司を交互に見た。

「橘さん。神崎さん。私は今日で2度あなたたちを見逃しました。もう3度目はないからね。」

「もう今日で3度目だけどね。」

真希は拓也と龍司にだけ聞こえる様にそう言った。龍司は少し膨れながら真希に言った。

「お前は黙ってろ。」

真希は龍司を睨みながら五十嵐に言った。

「五十嵐先輩。やっぱり警察呼びましょ。実はこいつら今日で侵入さん…」

真希が話し終わる前に龍司は真希の口を塞ぎ「悪かった。許してくれ。」と言った。五十嵐はその様子を見て笑いながら、

「警察に通報するかどうかは真希に任せるわ。じゃあね。私部活あるから。」

と言って屋上を出て行った。

五十嵐の後ろにいた2人の女子生徒のうちの1人が屋上を出て行く五十嵐を追いながら言った。

「五十嵐先輩。本当に西校に連絡しなくていいんですか?」

「いいのよ。もう二度と勝手にここに来りはしないでしょう。」

少し遠くなったがもう1人の女子生徒の声も微かに聞こえた。

「うちの先生達には?」

「ここは私に免じて黙っておいてくれない。」

五十嵐がそう言ったのを最後に五十嵐達3人の声は聞こえなくなった。

「なんだよ。あの真面目そうな先輩いい奴じゃん。」

龍司が開いたままの扉を見ながらそう言った。

「俺ぜったい学校に連絡されると思った。」

「なに安心してんのよ。さっさとココから出て行きなさいよ。また誰か来たら今度は本当に私が警察呼ぶからね。」

「おいおい真希勘弁してくれよ。いつまで冗談言ってんだよ。」

真希は龍司の顔を真剣な眼差しで見つめた。

「お、お前…本気で警察に通報する気じゃねーだろうな?」

「前に言ったよね?今度学校に侵入して来たら警察に通報するって。わかったら早く。ここ出て行って。練習の邪魔なの。」

「わ、わかった。でもその前に今晩路上ライブ見に来てくれよ。」

「わかったわ。」

「そう言わずに。今日じゃなくてもいいか…ん?え?今…わかったって言ったのか?」

「今晩行けばいいんでしょ。じゃあ、さっさと出て行って。」

「お前。今晩来てくれんのか?本当に?」

「しつこいわね。今晩行くって言ってんでしょ。わかったらさっさと出て行ってよ。私バイオリンの練習したいのよ。」

「マジかっ!やったぜタク。」

「ああ。来て良かった。」

喜ぶ2人とは裏腹に真希の表情は段々と険しくなっていく。

「さっさとここを出て行けって言ってんのがわかんないの。」

真希はロングスカートのポケットからスマホを取り出した。

「おい。龍司マズいぞ。通報される。さっさとここを出よう。」

「あ、ああ。そうだな…じゃあ、真希…ちゃん。また後でな。」

拓也は両手を龍司は左手を前に出して真希に落ち着けと言うように何度も上げ下げをしながら屋上をゆっくりと出て行った。



栄真女学院を侵経路から戻り拓也と龍司は正門の方へと歩いて行った。正門の前には龍司が電話でそこから離れろと伝えたはずの相川がまだいた。相川は校舎を不審者のように覗いていてその様子を下校途中の女子生徒達が相川と距離を充分にとりながら不審者を見るように正門を出て行っている。拓也と龍司は急いで相川を正門前から出来るだけ遠ざけた。

「お前ら無事だったか?心配したんだぜ。侵入がバレたのか?」

「ああ。無事だった。」

「お前のせいで侵入がバレたけどなっ!」

龍司は相川から何度も電話が掛かってきた事を思い出して怒りが蘇ってきていた。

「姫川は?姫川とは会えたのか?俺、姫川と会う為にここに来たんだけど…」

「真希とは会えた。今晩路上ライブに来てくれるって約束もできた。」

「そうか。それは良かったな。じゃあ、今晩会えんのかぁ〜。楽しみだな。」

「てか、お前の電話のせいで俺達ヤバかったんだからなっ!お前から電話がなけりゃ順調に侵入出来てたのによっ。」

「わりぃ。わりぃ。正門前でやる事なくて暇だったんだよ。なんかずっと不審者を見る様な目で見られるしよ。電話でもしてなきゃ怪しまれると思って…すまねぇ。」

「すまねぇ。じゃねーよ。電話するなら俺以外に掛けろよっ!俺が侵入中ってお前知ってんだろ!バカかっ!」

「俺だって気を使って最初はフトダに連絡したんだけどよ。あいつ電話とらねーし。そうなるとあとは橘とリュージしかいねーだろ。だから、お前らのどっちかに掛けるしかなかったんだよ。」

「…お前…もしかして3人しか連絡先知らねーのかよ…」

「バカにすんな。トオルさんもいる。」

「…なんか…悪かったな…お前本当に友達少ねぇんだな…てか、友達いねぇんだな…」

「は?4件も連絡先入ってるんだぞ。俺の人生でこれは快挙なんだけどな。」

「マジかコイツ…」

龍司と相川が話している最中、拓也は視線を感じて栄真女学院の正門の方を見た。すると正門前には今男の教師らしき人物が2人立っていてこっちをずっと見ていた。

「無事だったから結果オーライって事で。それよりバス停に急ごう。正門前に教師が2人ずっとこっちを見てる。栄女の生徒が教師に怪しい人物がいるって連絡したのかもしれない。」

3人は急ぎ足でバス停に向かった。バスはすぐにやって来て3人は乗り込んだ。バスの窓から外を見るとさっき正門にいた男子教師2人の姿が見えた。怪しそうな目つきをして拓也達が乗ったバスを見送っている。

(ふぅ〜。危ない。危ない。あの男教師2人は少し距離を置いて追いかけて来ていた…もう少し屋上を出るのが遅かったら念の奴あの2人の教師に話しかけられてただろうな。)


     *


「あの赤髪と金髪。西校の制服着てたよね?本当に連絡しなくていいのかな?」

その声を聞いて帰宅しようと思っていた佐倉みなみは廊下を歩くのをやめて立ち止まった。後ろには隣のクラスの生徒が2人歩いて来ていた。

「五十嵐先輩が言うんだからもういいんじゃない?」

「本当にいいのかな〜。悪そうな身なりだったし私は心配だけど。」

「特に金髪の方ね。心配なら屋上に引き返す?」

(屋上…)

「う〜ん…」

「あの2人真希の友達っぽかったし大丈夫だよ。それに2人とも格好良かったし。」

「カッコいいとか関係ないでしょっ!」

「おおありよ。」

2人の生徒は立ち止まるみなみの横を通り過ぎて行った。みなみは帰宅するのをやめて屋上へと向かった。屋上へ続く階段を上がって行くと少しずつバイオリンの音が大きく聴こえて来る。そのバイオリンの音が大きくなっていく程自分の鼓動が早くなるのを感じた。そして、みなみは屋上に出る扉のノブを握ったまま止まった。

(あの2人がまた学校に来ている。扉を開ければ今そこに…屋上で会ったらちゃんと声を掛けられるだろうか?なんと声を掛けたらいいのだろうか?)

みなみはどう話しかけたら良いのかわからないまま扉のノブを回した。するとそこには真希の後ろ姿だけがあった。

(もう…帰っちゃったのか…少し遅かった…)

みなみは真希とは話した事がない。クラスも違う。だけど、真希の事は知っている。1年生の頃からずっとロングスカートを履いていて目立っていたというのもあるが、みなみの家と真希の家は2件隣なのだ。それなのにみなみは真希との接点が今までなかった。小学校は一緒じゃなかったが中学は真希と同じだった。だけど、真希は中学2年生の時に転校してしまった。みなみは真希に気付かれない様にそっと屋上を出ようとした。その時、真希のバイオリンの音が止みこちらをバッと振り返って凄い形相で言った。

「さっさと出て行けって言ったよね。」

みなみはその迫力に驚いた。

「あ。すみません。」

「え?あれ?ゴメン。勘違い。さっきまで知り合いがいてまだココにいるんだと思っちゃって。」

「あ。いえ。いいんです。こちらこそ演奏の邪魔しちゃってすみません。」

「あなた。確か隣のクラスの…」

「佐倉みなみです。」

「私は…」

「姫川真希さん。」

「ああ。そう…私の事知ってるんだ。」

みなみはどう答えたら良いのかわからずに真希のロングスカートをつい見つめてしまった。真希はみなみの視線を追って自分のスカートを見た。

「そうだよね。目立つよね。」

「あ。いえ。そんな…」

「いいよ。気使わなくて。実は傷跡があってそれを隠す為にロングスカート履いてるの。」

みなみは1年生の時に同じクラスの生徒から真希がロングスカートを履いている理由を聞いて知っていのだが、「そう…なんですね。」と答えた。このままでは気まずい雰囲気になると感じたみなみは思いきって真希と会話をする事に決めた。

「あの、姫川さん。私も地元通いなんです。」

「え?」

「この学校地方から来る人ばっかりだけど、私も姫川さんと一緒で実家から通ってるんです。」

「あ。そうだったの?知らなかった。」

「しかも、家が2件隣なんです。」

「えー。ウソ?そんな。私全然知らなかったよ。」

「ですよね。朝とかも会わないし。」

「だよね。でも凄いすれ違いよね?」

「はい。」

「はい。じゃなくて、うん。でいいよ。同い年なんだし。それに姫川さんじゃなくて真希でいい。」

「あ、はい。あ…うん。」

真希はニコッと笑ってバイオリンを片付け始めた。そして、靴下を履き始めた。その靴下を履き始めた姿を見て初めてみなみはさっきまで真希が裸足だった事に気付いた。

「どうして裸足だったんですか?」

「ん?ああ。良く聞かれるんだけど、子供の頃から楽器演奏する時は靴とか靴下とか履いてると集中できないのよ。こだわりってわけじゃないんだけどね。」

真希が靴を履き終えた時、みなみは意を決して赤髪と金髪の2人の西校の生徒の事について真希に質問をしようとした。しかし、その時、プルルプルル―と真希のスマホが鳴った。真希は険しい眼差しでスマホの画面をしばらくの間凝視した後みなみに言った。

「ごめん。電話。またね。みなみ。あ。それから今度話す時は敬語じゃなくていいからね。」

真希はそう言って一瞬微笑んだが、すぐに険しい眼差しに戻って電話をとった。みなみは真希に『みなみ』と呼び捨てで呼ばれた事が何故だか嬉しかった。だけど―肝心な事が聞けなかった…



橘拓也はスマホで時刻を確認した。時刻を気にする拓也に龍司は言った。

「6時だ。そろそろ始めっか。」

「え?でも、まだ真希が来てない。」

「路上ライブは2時間。その間に来るかも知れねーだろ?」

「ああ。そうだな。」

観客側には今相川と太田の2人がいる。相川は栄真女学院から戻って来てから今までずっとコンビニの前で一緒に時間を潰していた。途中、龍司がマイク等を家に取りに帰って抜けていたが、基本はずっと3人一緒だった。太田はさっき拓也達と合流した所だった。拓也が電話で学校に置いてある太田特製のポスターを持って来てほしいと頼んだのだった。拓也はベーシスト募集のポスターだけ持って来てほしいと電話で伝えていたのだが、太田はベーシスト募集のポスターとギタリスト募集のポスターの二枚を持って来た。おそらくせっかく作った作品を太田は使ってほしくてわざと二枚とも持って来たのだろうと思った。そして、太田は自ら自分が作ったポスター二枚をセッティングしてくれた。


真希が来ないまま路上ライブは終わった。立ち止まってくれる人は何人かいたが、その人達は少し曲を聴いてすぐに帰ってしまい、最初から最後まで歌を聴いてくれたのは相川と太田の二人だけだった。拓也と龍司が路上ライブの片付けをしている間、相川と太田は「コンビニに行って来る。」と言ってその場を離れた。

「真希の奴、今日来るって言ったくせに!なんだよ!」

龍司はさっきまで歌っていた場所に座り込みスマホを操作しながら悔しそうにそう言った。

「何か来れない用事が入ったんじゃないのか?」

「んなわけねーよ。それならLINEにメッセージ入れるだろ?アイツ俺らが面倒臭くて路上ライブ来る気ねーのに来るって嘘ついたんだよ。クソっ。」

「……そんな。嘘ついて断るタイプじゃないのは龍司が一番知ってんだろ?」

「……」

「LINEしてみるか?」

「……俺はしねーよ。あんな嘘つき女俺はもう知らねー。するならタク勝手にしろよ。」

「じゃあ、俺が連絡する。」

(そういえば初めてLINEするな)

拓也は初めて真希にLINEをするという事で緊張しながらメッセージを作成していると龍司はずっと「あの嘘つき女」と何度もブツブツ言っていた。

–真希?拓也だけど。今日はどうした?路上ライブ来てくれると思って楽しみにしてたんだけど…なにかあったのか?–

拓也はメッセージを龍司に見せながら、「これで送ろうと思うけど、どうかな?」と聞いた。龍司は興味なさそうに、

「いいんじゃね。」

と答えたので拓也はそのままメッセージを送信した。「ふぅ〜」とため息をついて拓也が龍司の横に座り込むと相川と太田がコンビニから帰って来た。太田は袋から今買って来たパンと缶コーヒーを取り出し拓也と龍司に渡した。

「フトダからのおごりだ。気にせずに食ってくれ。」

相川がそう言いながらは拓也の横に座った。太田は龍司の横に座る。

「しかし、お前らが作った曲今日初披露すると思って楽しみにしてたのに聴けなくて残念だよ。」

「そっか。もう曲出来たんだね。」

「おう。結構いい曲だと俺は思うぜ。」

「へぇ〜。そうなんだ。僕も是非聴いてみたいな。」

相川と太田が両端で会話を進めた。龍司は下を向いて俯いていたが、突然パッと顔を上げて言った。

「なんか急にむしゃくしゃしてきたなっ!」

龍司は太田から奢ってもらった缶コーヒーを器用に片手で開けながら言った。そして、それを一気に飲み干し、よしっと言って立ち上がった。

「明日俺らの曲披露しようぜ。」

「え?披露するってどこで?」

そう言ってから拓也は嫌な予感がした。

(まさか、龍司の奴、栄女に行って歌うって言い出すんじゃないだろうな?)

「どこでって…そうだな〜。ホントは栄女に行って真希の前で歌いたいけど、しばらく栄女に侵入すんのは難しそうだし…電車の中でいいんじゃね?」

想像した以上の答えが返って来て拓也は混乱した。

「で、電車の中って…冗談だろ…?」

「俺が冗談言ってるように見えるか?」

(全然見えないから確認したんだよっ)

「それは止めとこう…そんな公共の電車の中で歌うなんて迷惑だろ?それに人も一杯乗ってるだろうし。」

「始発なら大丈夫だよ。人は少ない。」

太田が余計な事を言った。

「面白そうだなそれ。動画にでも撮って後で俺にも見せてくれよ。」

相川が楽しそうにそう言った。

「なら僕が動画を撮るよ。」

「おお!頼むはフトダ。」

「おいおい。冗談だろ?」

「俺は本気だ。」

龍司はスマホで始発の時間を調べ始めた。

(マジかよ…)

「タクの最寄り駅が柴咲駅だから俺も柴咲駅に行くわ。」

「始発の電車に乗るのにどうやって柴咲駅に来るんだよ?」

「バイクに決まってんだろ?タク俺がバイク乗ってんの知らなかったっけ?」

「知らないよ。てか、その腕でどうやってバイク乗るんだよ?」

「あ…」

(バカだ…)

「タクシーで行くわ…えーっと時間は5時30分か。なかなかはえーな。で、西宮駅に着くのが6分後か。ちょーどいいな。よしっ!決定!」

「おいおいおい。マジで?」

「何回も言わせんな。俺はマジだ。本気だ。明日は5時15分に柴咲駅のホーム待ち合わせな。そういう事でタクもフトダも明日よろしくっ!」

「うん。わかった。」

太田は目を輝かせながらそう言った。拓也は頭を抱えてふさぎ込んだ。

「諦めて腹くくれ橘。俺はその時間寝てっけど。健闘を祈る。」

相川は親指を上げて笑いながらそう言った。



2014年5月27日(火)


待ち合わせ時間の5時15分を少し過ぎた頃、龍司と太田が柴咲駅のホームに同時に現れた。ホームには拓也達3人と眠たそうなスーツ姿のサラリーマンが数名始発電車を待っている。

(みんな眠たそうにしている。始発電車で歌を歌い出すのは本当迷惑な行為になるんじゃないだろうか…)

拓也は思っている事を龍司に伝えると龍司はタクの歌声なら迷惑にはならないと言って笑った。そして、作戦会議を始めると言って龍司が今日の段取りを説明した。

龍司の作戦とは、まず始発電車に乗って次の駅に着くまでに龍司がこれから歌う事を乗客に告げる。そして、次の駅に着いて発車したと同時に歌を歌い始める。太田はその一部始終を撮影するといった簡単な内容だった。

「次の駅から西宮に着くまでが4分だから西宮に着くと同時に歌い終わるって計算だ。んじゃ、そういう事で。」

龍司が説明を終えると始発電車がホームに到着した。始発電車に乗り込む前に拓也は、はい。と自分のスマホを龍司に渡した。龍司はなんだよ、と言いながらスマホの画面を見た。

「龍司と別れた後、真希から返信が来た。」

そこには昨日送られて来た真希からのメッセージが映し出されていた。

–ホントごめん。信じないかもしれないけど、あんた達が学校に来た時はホントに路上ライブを見に行くつもりだったの。でも、急用が入って行けなくなった。時間が出来たら必ず行くから。龍司にもゴメンって言っといて。じゃあね–

真希の返信メッセージを読み終えた龍司は、「これに返信はしたのか?」と興味があるのに興味がなさそうな素振りを見せて拓也にスマホを返しながら聞いた。

「ああ。待ってるってだけ告げといた。」

「そっか。まあ、仕方がねぇ。もう少しだけあいつを待ってみるか。」

龍司は嬉しそうにそう言った。拓也はこの真希からのメッセージを見せれば今日これから予定している電車内で歌を歌うという行為を止めるのではないかと少し期待をしたのだが期待するだけ無駄だった。

「よしっ!真希には最高の形でこの曲を披露するぞ。その為にも気合いを入れて今から歌うからな!」

(逆効果だった…)

龍司はかえってやる気を出した。拓也は覚悟を決め車内へと入って行く龍司を追った。


     *


太田進は極力拓也と龍司の二人だけがビデオカメラに映る様に撮影しようと考えていた。もしかしたらこの映像はネットで公開するかもしれないからという考えを持っていたからだ。もし2人以外の人を撮影しても顔にモザイクをかけるなりやり方はあるけれど出来るだけそういう作業を後々しないで済む様にと考えていた。

拓也と龍司が車内へと乗り込んで行く後ろ姿をビデオカメラに撮影しながら太田は2人の後を追った。拓也と龍司は優先座席にとりあえず座った。その様子を撮影しながら太田は2人から距離をとって撮影する。始発だから客は少ないだろうと思っていたが、そこそこ乗客は乗っていた。乗客の数はざっとみた限り15名程だ。拓也と龍司の前の席に一人の年配の女性が座り16名となった時、車内にアナウンスが流れ電車は発車した。



「おい…始発なのに結構人乗ってんだけど…」

橘拓也は不安そうに呟いた。拓也は緊張のあまり倒れそうだったが龍司は緊張など一切していない様子だった。そして龍司は「よしっ!始めっか!」と独り言のように言って立ち上がった。龍司は拓也に手を差し伸べた。拓也はその手を取り立ち上がると龍司は口端しを引いて囁いた。

「楽しもう。」

この龍司の自信に満ちた笑い顔を見ると拓也も不思議と自信に満ち溢れた気分になる。

(やってやろう。楽しんでやろう。)

龍司は車両の中にいる全員に聞こえる様に大きな声で話し始めた。

「みなさん。おはようございます。少しだけ俺の話を聞いて下さい。」

とても大きな声だった。一緒の車両にいる人達は何事かと一斉に驚いた表情を浮かべて龍司の方を見た。

「俺は柴咲西高校2年の神崎龍司です。こっちは同じく西高2年の橘拓也です。俺達は最近バンドを始めました。つってもまだ2人だけなんですけど、メンバーを募集しつつ路上ライブをしている最中です。」

ずっと龍司の話を聞く人は少なかった。すぐに目を閉じ眠りに入る人、音楽を聴いて龍司の話を聞こうとしない人、スマホに目を戻す人と人それぞれの反応だった。まともに龍司の声を聞こうとする人は当然ながらいない。

拓也も龍司も冷めた人達の冷たい視線を感じ取っていた。それはこの場にいるのが嫌で逃げ出したくなるような視線だった。公共の乗り物で何騒いでんだよとか朝早く起きて電車乗ってんだから静かにしろよとかいろんな人のいろんな言葉が想像出来た。嫌な空気が車内に流れているのが拓也や龍司そして動画を撮っている太田も感じ取っていた。しかし、龍司は話す事を止めなかった。

「で、つい先日二人で曲を作りました。俺達には仲間になってほしい人がいます。本当はそいつに聴いてほしいんですけど、なかなかそいつ路上ライブを見に来てくれません。で、ホント迷惑なのはわかってるんですけど、その曲を是非この場にいるみなさんに聴いてほしくて今喋ってるわけです。次の駅に到着したら歌い始めたいと思ってるんですけど、いいっスか?」

龍司がそう言って何秒か経ってから一番最後に電車に乗り込んで来た年配の女性が拍手を送ってくれた。それに続いて若い女性二人組も拍手をした。

「ありがとうございます。」

龍司は拍手をくれた女性達に向かってお辞儀をしながら礼を述べた。しかし、「はあ」とサラリーマン風の男が俯いて拓也達に聞こえる様にわざと重いため息をついた。勘弁してくれよ。と言っているのだ。

「次の駅に止まったら西宮駅に着くまでの一駅間だけ歌いたいと思います。どうか一駅だけ俺達の歌を聴いてやって下さい。俺達に一駅だけ付き合ってやって下さい。」

龍司は深々と頭を下げた。それにつられて拓也も深々と頭を下げる。その時、電車は駅に止まった。

重いため息をついたサラリーマン風の男が立ち上がり何も言わずに電車を降りた。降りる時のその男の目は鋭く龍司と拓也を睨んでいた。ほんの少しの休息の時間を奪われたとその男の目は言っていた。数秒の間電車は止まっていたがすぐにドアが閉まり発車した。この駅から乗って来る乗客はいなかった。拓也が目を閉じると龍司が一歩下がりそっと拓也の肩に手を置いて囁いた。

「お前の歌声なら大丈夫。自信持って歌え。」

拓也は目を開けて歌う覚悟を決めた。乗客は15名。拓也は乗客全員の顔を見渡してから歌い始めた。


     *


龍司のボイスパーカッションがリズムをとるのを止めるのと同時に拓也の歌も終わった。あまりにも綺麗に揃って歌が終わったので太田進は曲が終わった事に一瞬気が付かなかった。それは他の乗客も同じだったようで、少し間が空いてから少しずつ拍手が鳴っていった。乗客全員が拍手をした訳ではなかったが、この車両にいるほとんどの人が拓也と龍司に向けて拍手を送っていた。圧倒的だった。この3分ちょっとの間、拓也のころころと変わる歌声に圧倒されて太田はビデオカメラで拓也と龍司を撮影しながら口をぽかーんと開けてその歌声を聴き入っていた。

(何度か路上ライブを見に行ってたけど…まさか…こんなにいろんな声を出せるなんて知らなかった…橘君…凄いな…)

拓也の少し後ろにいた龍司が一歩前に出て拓也と横一列に並んだ。そして、鳴り止まない拍手に対して深々と頭を下げた。それに続いて拓也も深く頭を下げた。その様子を太田はズームして撮影した。

「凄く良かったわ。」

二人の近くに座っていた年配の女性が立ち上がって2人に握手を求めた。太田は拓也と龍司の2人だけを映し出していた映像をズームアウトして年配の女性が映る様にした。拓也も龍司も少し照れながらその女性と握手を交わしていた。そして、龍司は車内にいる全員に聞こえるように話し始めた。今度は少し早口だった。ビデオの映像は龍司1人を映し出した。

「どうもありがとうございました。お騒がせしました。さっき歌った曲はDreamっていうタイトルの曲でした。俺らの先輩であるみなさんには青臭く感じたかもしれません。でも、何歳になっても夢を持って生きる人は格好良いです。みなさんにはそんな大人でいてほしいです。もし、夢を持ってないとか夢を諦めたって人がいるなら小さな夢でもいいから持ってほしいです。また夢を追ってほしいです。中にはいい年して夢を追って格好悪いとか言う奴がいるかもしれません。でも、そんな奴の言う言葉なんて気にする必要なんてないと俺は思うんです。夢を追っている人は、それが何歳だろうとよぼよぼのおじいちゃんおばあちゃんだろうと格好良いです。俺はそう思うんです。夢を持っている大人達が増えて堂々と夢を語り合う事が出来る世の中ならそれに続く子供達も自分に自信を持って夢に向かって行けると俺は思うんスよね。そんな風になればこの国はもっと素敵な国になるだろうなって思うんスよ。だから、ここにいるみんなにはそういう大人であってほしいと俺は心から思います。そして、俺らもこれからいくつになっても夢を追う大人になっていきたいと思っています。どうも今日は朝早くからお騒がせしました。お仕事頑張って下さい。ありがとうございました。」

龍司が話終えて頭を深く下げるとまた拍手が鳴った。またビデオの映像は拓也と龍司が映る様にした。拓也もまた遅れて頭を下げる。ちょうどその時、西宮駅に到着するアナウンスが車両に流れた。電車が駅に着くと「ありがとうございました。」と言って2人が並んで電車を降りる。その何歩か後ろの方から太田がビデオカメラを撮影しながら付いて行く。

(いいな。この2人のこの後ろ姿。カッコいい)

太田は2人の後ろ姿を最後にビデオカメラの撮影を終えた。



間宮は太田が撮影したビデオカメラの映像を真剣に見ていた。その様子を緊張しながら橘拓也が見守っている。拓也は路上ライブを終えて今日ライブが行われていないブラーに客として入っていた。

今、ブラーのカウンター席には拓也と龍司と朝からずっと一緒に付き合ってくれている太田と学校から行動を共にしている相川の4人が並んで座っている。他に客はいない。間宮が映像を見終わって、「フトダ君だっけ?これありがとう。」と言って太田にビデオカメラ返して顔に掛けていた眼鏡をグラスホルダーに掛け直した。そして、タバコに火を着け天井を見つめながらゆっくりと紫煙をくゆらせた。

「青春だね〜。なんか心に響いたよ。これをネットにあげたら公共の場で何してんだって言う奴も沢山いると思う。俺もお前らの事知らずにこの映像だけ見たらそう思うかも知れないな。けど、俺はお前らの事を知ってるし、一生懸命この曲を練習してたのも知ってる。だから、心に響いたし、最近の若者も捨てたもんじゃないと思ったよ。この映像をネットにあげるかどうか迷ってるんだったよな?」

拓也達は太田が撮影した映像を見せて間宮に曲の感想をもらおうと思っていた。そして、この映像をネットで公開するかどうか迷っているという事を相談しにブラーへとやって来た。太田と相川はネットに公開するべきだと言ってくれた。しかし、電車の中で歌うという事事態迷惑な事をしておいて、それをネットに公開してもいいのだろうかという疑問と自分の歌に自信がなかった拓也はすぐにネットで公開しようとは言えなかった。意外にも龍司もネットで公開するのは何故かためらっている様子だった。拓也は龍司なら何も考えずにネットに公開しようと言いそうだと思っていたので、このいつもと様子が違う龍司の態度には少し驚いた。その龍司が間宮からの質問を質問し返す形で言った。

「ネットに公開して大丈夫ですかね?」

間宮はまた天井を見つめながら紫煙をゆっくりとくゆらせてから火を付けたばかりのタバコを灰皿で揉み消して言った。

「龍司の言葉は俺に響いたよ。拓也の歌声だってだ。ネットに公開しても俺は良いと思うけどな。それに後先の事考えてたら夢なんて叶えられねーぞ。念とフトダ君はネットで公開するべきって思ってんだろ?」

相川と太田は同時に「はい。」と答えた。

「拓也と龍司はどうして迷ってんだよ?」

「俺は俺の歌に自信がないってのが一番の理由です。」

「龍司は?」

「俺は……その……」

「なんだよ?」

「……俺…言いにくいんスけど…」

間宮は大きくため息をついてからなかなか話し出そうとしない龍司に向かって強い口調で言った。

「だから、なんなんだよ。はっきり言ってみろよ。らしくねぇな。」

龍司は俯きながら答えた。

「…俺…夢って持ってないスよね…偉そうに夢がどうのって語ってたくせに夢持ってないんスよ…。だから、胸はってこの動画をネットで公開しようとは言えないんすよね…」

(そういえば真希に夢のない奴に自分の夢を教えるわけないとか言われてたな…)

「なら、話は簡単だ。拓也は自分の歌に自信を持てた時、龍司は夢を持てた時。その時にこの動画をネットで公開するでいいんじゃねーか?」

「…そっか。そうですよね。うん。龍司そうしよう。いいよな?」

間宮の言葉を聞いて拓也はその通りだなと思った。龍司は俯いていた顔を上げて、「だな。」と笑顔でそう言った。

拓也は思う。自分の歌に自信を持つ時はそう遠くはないはずだと。そして、龍司が夢を持つ日もきっと遠くはないと。

「動画を公開する時はフトダに頼んだらやってくれんのか?俺そういうの苦手なんだよな。頼めるか?」

「神崎君もちろんだよ。その時は任せてよ。」

「じゃあ、この話は解決だな。」

間宮がもう一本タバコに火を着けてそう言った時、拓也は恐る恐る間宮に聞いた。

「あの…トオルさん。俺達の曲はどうでした?」

「ん?曲?」

「はい。その…トオルさんから見て俺達の曲はどうだったのかなって気になってて。良かったら何かアドバイスが欲しいなって思って。」

「そんなもん気にすんなって。お前らはお前らなりに自信持って歌えばいいんだよ。」

間宮からアドバイスをもらえなかった拓也は「はあ。」と生返事を返した。

(そうじゃなくってトオルさんからのアドバイスが欲しいのにな…)

拓也が残念がっているのが間宮に伝わったのか間宮は―でもそうだな。と言って、

「確かに青臭いけど、それが逆にいいよ。それに練習よりもちゃんと形になってた。自信持てよ。拓也に足りないのは自信だ。いいもん持ってんだから自信持てよ。」

と言ってくれた。その言葉を聞いた拓也はあからさまに笑顔を作って嬉しそうに「はい。」と答えた。龍司は肩肘を付きながら目を細めて隣に座る拓也を見ていた。

(単純だな…コイツ)

龍司はそう思いながらスマホをポケットから取り出して時刻を確認した。午後9時だった。時刻を確認した途端眠気が襲って来た龍司はスマホをポケットにしまいながら「ふあ〜。」と声を出してあくびをしたその時、

「あ、そうだ。」

と言ってポケットにしまったばかりのスマホを取り出した。

「トオルさん。俺ネットでサザンクロスの動画見つけたんスよ。ほら。」

そう言って龍司は自分のスマホを間宮に手渡した。その様子を見て拓也はその動画を途中まで見て最後まで見ていなかった事を思い出した。

(しかし、トオルさんは過去の動画を見てどう思うのだろうか?そもそもその動画を見ようとするのだろうか?)

拓也は恐る恐る間宮を見ていると間宮は龍司から受け取ったスマホをカウンターテーブルに置いた。

(やっぱりサザンクロスの動画を見たいとは思わないのか…)

拓也がそう思っていると間宮はグラスホルダーに掛けていた眼鏡を取り顔に掛けた。そして、もう一度スマホを手に取り懐かしそうな目をして動画を見ていた。間宮が持つ龍司のスマホからは今、司会者の男とサザンクロスのメンバーが話している会話が聞こえて来る。会話の内容はサザンクロスのメンバーが普段から仲が良いという事を話していた。

「嘘ばっかだな。この時、俺らの仲は最悪だった。」

「トオルさん見たくないなら無理に見なくても…」

拓也がそう言い出すと間宮は片手を上げて、大丈夫だ。と拓也を制した。

「不思議だよな。この頃なら見たくもない動画のはずなんだろうけど今となっては懐かしいよ。」

間宮はそう言ってからもう一度、懐かしいよ。と目を細めて繰り返した。


     *


(あいつらが来る度に色々と思い出すな。)

間宮トオルは一人になった店内でスマホを見ていた。普段間宮はスマホを持っていてもメールか電話ぐらいの機能しか使わない。ネットで何か検索をする事など全くなかった。しかし、間宮は今スマホで動画を見ている。さっき龍司に動画を見せてもらわなければ自分で昔の自分の姿を見ようなんて思わなかった。動画のタイトルはサザンクロステレビ初出演映像と書かれている。20年も前の映像が未だにネット上に残っている事に間宮は驚いた。他にもサザンクロスの動画は何本か投稿されていた。動画のコメント欄には沢山の書き込みがあった。そのコメントを間宮自身も読んでいるのか読んでいないのかわからないスピードで下へ下へとスクロールしていく。

このバンドこの動画で初めて知りました。いい曲ですね。

誰だこいつら。

今でも色あせない名曲。

伝説のバンド!

そして、あるコメントを見つけてスクロールする手を止めた。

このバンドのベーシスト。確か吉田聡だよな?あのエヴァのプロデューサーの。

(エルヴァン…か…)

間宮はスマホを見るのをやめて眼鏡を無造作にカウンターテーブルに置いた。そして、壁にもたれ掛かり腕組みをして天井を見つめた。


吉田がバンドに加入してから間宮のバンドのドラムとボーカルはバンドを抜けた。吉田はその頃からプロを目指していた。それが今まで遊び半分でバンドをやっていたメンバーには合わなかったのだろう。間宮は元々組んでいたバンドメンバーと一緒にバンドを続けたかったが、バンドを辞める選択はせずに吉田と共にプロを目指す道を選んだ。2人きりになった間宮と吉田はバンドメンバーが揃うまで路上ライブをする事にした。そう。今の拓也と龍司のように。



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今、想う


5月10日


ここで少し私の話をしよう。

私は子供の頃から心臓が弱かった。

と、言っても自覚症状は全くなかった。

自覚症状が出たのは小学校4年生の時だった。

その日も友達と普段通り休み時間にグラウンドに出て遊んでいた。

その時、突然呼吸が出来なくなってその場で塞ぎ込んでしまった。

すぐに私は救急車で結城総合病院に運ばれた。

学校から連絡を受けて病院にやって来た母はその時初めて私が心臓が悪いという事を知った。

それからの私は体育の授業を受けれなくなった。運動をしたからと言って毎回呼吸困難になるわけでもなく、普段はいつも通り過ごす事も出来ていた。それにお医者さんは息切れしない程度の運動ならした方が良いと仰っていた。だけど、私の病名を知った母は頑に私に運動をさせなかった。

小・中学生の頃の私は、体育の授業が毎回見学なのが嫌で何度も母に体育の授業に出させてほしいいとお願いした。だけど、そうお願いする度母と私は口論をした。

今ならわかるんだ。お母さん。わがまま言ってゴメンね。


高校も出来るだけ家と病院から近い距離にある栄真女学院に行く事を両親から勧められた。

栄女は他府県からやって来るお嬢様が集まる学校だし学費も高い。そして、何より地元の子は栄女ではなく柴咲高校に通う。だから、私は本当は栄女なんかには行きたくなかった。だけど、学費は高いけど両親を安心させたい気持ちもあったから私は渋々栄女に通う事を決めた。


きっと今だって激しい運動をしたとしても呼吸困難になったりはしないと思う。

きっとたまに苦しくなるくらいだろうと思う。

ずっと私は心の中でそう思い続けていた。だけど…もうそうじゃないのかもしれない…今までは薬なんか出されなかったのに高校に進学してからは薬を飲む様になった。

私の病気は少しずつだけど進行しているのかもしれない…

最近、少しずつだけど、胸が苦しくなる時が増えているような気がする。


私の病名。

それは、拘束型心筋症という難病です。


こんな私が人を好きになったりしていいのかな?

私。絶対先に死んじゃうじゃん。

悲しませるだけじゃん。

だけど……片思いだけなら誰にも迷惑かけないからいいよね?



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万年筆で書かれた文字を指で優しくなぞりながら菜々子は声を出した。

しかし、その声は震えていて言葉にはなっていなかった。


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