柳川について
私の職業である船頭。現在はコロナウィルスにより臨時休業中となっている。STAYHOME、時間はしっかりある。来るべき時に備え柳川について簡潔にまとめてみる。
柳川
福岡県の南西、筑後地方にある市。人口約六万五千人。面積77.15㎞。市の木は柳。花は藤と菖蒲。市内を掘割が縦横に巡っており、水の都、水郷と呼ばれる。鰻料理、川下り、立花家「御花」邸が全国的に有名。干拓地ではい草、有明海では海苔の養殖が盛ん。古くから人工的に開拓・干拓されてきた。隣接する有明海に市の南西から川の流れが注ぎ込む。
歴史
約二千数百年前の弥生式土器が出土している。12世紀に平家の落ち武者が逃れて、沖の端に定住したと伝えられる(六騎伝説)。16世紀には蒲池氏が支城を築く、後の柳河城。
1581年、蒲池鎮並が竜造寺隆信に謀殺、進駐される。84年、高橋招運、立花道雪が筑後進出。島津氏と争う。87年、豊臣秀吉が九州を平定。九州仕置により立花宗茂が13万石の大名となり柳河城に入城。1600年、関ケ原の戦いで西軍につき所領を没収される。変わりに石田三成を捕らえた功により、田中吉政が32万石の領主として入城。柳河藩を立藩する。柳河城周辺の掘割整備、城下町の基礎を整えた。田中氏は2代目で無嗣断絶。これにより再び立花宗茂が11万石の大名として返り咲く。以降、明治まで立花氏が藩主となる。
産業
第一次産業は干拓地における米・イグサの栽培。有明海沿岸部で海苔の養殖、漁業。約13%。
第二次産業、IC関連、木工産業。約28%。
大三次産業、観光業、商業施設、事業所。約58%。
特産品、うなぎのせいろ蒸し、有明海苔、貝の酒粕漬。水産品。さげもん。ゆずすこ。等。
有名人
北原白秋(詩人)、長谷健、檀一雄(作家)、木村緑平(俳人)、雲龍久吉、琴奨菊(相撲)、徳永英明、高杢禎彦、北山たけし(歌手)、真弓明信、若菜嘉晴、林威助リン・ウェイツゥ(野球)。ゆかりの人、松岡修造、オノ・ヨーコ(芸術家)。
柳川の偉人
田中吉政、戦国大名。関ケ原の戦いで石田三成捕縛の功績により、筑後32万石の領主となる。筑後川の改修、柳川掘割の整備をすすめる。柳川の町や掘割の基礎を作った方。
立花宗茂、戦国大名。立花藩初代藩主。豊臣秀吉の九州仕置による功績で柳川に封ぜられる。小田原征伐、朝鮮出兵で軍功をたてる。1600年の関ケ原の戦いで西軍豊臣方に属し、所領を没収される。1620年、田中家が無嗣断絶により柳川の旧領を回復する。改易され、もとの所領へ返り咲いた唯一の大名であった。
北原白秋(1885-1942)、詩人、歌人、童謡作家。詩集「邪宗門」「思ひ出」歌集「桐の花」童謡「赤い鳥」「待ちぼうけ」「雨降り」「この道」など。柳川は19歳まで過ごす。
水郷柳河こそは、我が生まれの里である。この水の柳河こそは、我が詩歌の母體である。この水の構図、この地相にして、はじめて我が體は生じ、我が風は成った。「水の構図」より。
名所
三柱神社、祭神初代藩主立花宗茂公、妻誾千代公、岳父道雪公の三神を祀る。秋季大祭「おにぎえ」が有名。
日吉神社、明治以前は山王宮など呼ばれる。個性的な御朱印が有名。年始の初詣には入り口に大きなお多福のお面が現れ、その口をくぐっておまいりする。また神前式(結婚)が行われ、花嫁船が出発することも。
福厳寺、1587年建立。立花家の菩提寺。檀一雄、長谷健の墓もある。
真勝寺、田中吉政公の墓の上に建立されている。本堂自体が吉政公の墓といわれている。
白秋生家、造り酒屋だった生家は明治34年に母屋だけを残し焼失、昭和44年に復元。記念館が併設され、白秋の柳川時代の生活や著書、遺品が展示され、ビデオシアターもある。
松月、かつて妓楼、懐月楼跡、大正に入り料亭「松月」となり開業。現在は松月文人館となり中は文学資料館となっている。五足の靴、北原白秋ゆかりの地。立秋詩碑、五足の靴ゆかりの碑等の石碑がある。川下り乗り場もある。すぐ前には三柱神社へむかう欄干橋があり、そのロケーションは最高。桜の季節に欄干橋から見る満開の桜トンネルは絶景。
御花、五代目藩主立花貞俶公の時に、この地に別荘を設ける。人々はその華やかさから御花畑と呼んだ。庭園松濤園は国の名勝。現在、庭園、西洋広間、旅館、式場、資料館、レストラン、お土産屋等があり、柳川髄一の観光名所となっている。
戸島邸、柳川武家住宅の典型とされる。建物と庭園があり県の文化財に指定されている。庭園の池は掘割から水を引き入れている。庭園は国の名勝。
沖の端商店街、風情のあるお土産物屋が立ち並び。うなぎの名店もある。水天宮では沖の端水天宮祭が行われる。
名物
鰻料理、特にうなぎのせいろ蒸しが有名。名店は「本吉屋」、「若松屋」、「川よし」等。
柳川海苔、越山餅、さげもん、海産物、ゆずすこ、柳川鍋等。
川下り
柳川城に入封した田中吉政公は、この地が低湿地帯であることを活かし、防禦と利水、治水の役割を兼ねた掘割を城内や郊外に縦横に走らせ整備した。また年貢米や物資を積んだ荷舟を「堀舟」と呼び、交通輸送の役割もはたしていた。明治になると、掘割で舟遊びを楽しむ人々があらわれる。昭和29年映画「からたちの花」公開により、観光地として有名になる。30年半ば観光用の川下りがはじまる。昭和40年代に入り、掘割が汚れてしまうが昭和53年の浄化計画により掘割が再生され現在に至る。
川下りは柳川の名所、情景をゆっくり巡りながら楽しむ船旅である。コースはおよそ一時間、二ツ川~外堀~内堀を巡る。また舟会社により約40分の内堀コースもある。四季ごとに楽しめ、イベント、冬にはこたつ舟が楽しめる。
川下り舟はどんこ舟と呼ばれ、魚のどんこに似ていることが由来。長さ約8m、幅1.7m、高さ40㎝の底が平らな舟である。
船頭が操船しガイドしながら進む。いでたちは法被に足袋、ばっちょ笠という姿。5m~5m50㎝くらいの一本の竹の竿を操る。先端は鉄製で先が尖っており、川底に竿を押し込み、抜く、押し込み、抜くを繰り返し推進力をつけて進んでいく。竿の差し込む位置や角度を変えることにより、左右に曲がったり舟体の向きを修正する。同時に白秋先生の童謡や郷土の歌をうたったり、ガイドを行う。
川下り舟会社の一つである柳川観光開発のコースは、三柱神社に行く欄干橋をのぞむ松月より出発。およそ3.5㎞の道のりを一時間かけて目的地名所の御花邸まで、ゆったりとのんびした景色、情景を楽しむ船旅である。柳川橋を抜けて二ツ川、両岸の柳の美しい情景が広がる。古文書館側の岸に白秋歌碑「色にして老木の柳うちしだる我が柳川の水の豊さ」。城堀水門をくぐり、外堀、城下町へ。名所水中歌碑、河童像を望み、国指定の有形文化財並倉を背にして内堀へと進む。菖蒲園、日吉神社、くもで網、まちぼうけ像などを眺めながら12の橋をくぐり御花へと到着する。
道中、船頭により名所の案内や名調子の歌が聴ける。川下りは船頭の個性も魅力、ガイド内容や歌う曲もそれぞれである。
引用・参考文献「Wikipedia」「日本史辞典」「各柳川のパンフレット」など