東雲零斗と椎菜夜宵 邂逅編①
秀恵学園は完全寮制である。
そこには例外も存在しているが、大半の生徒が決まった時間に起床し、同じ朝食を食べているだろう。
そんな学生たちの寮『天翔』は、学園から徒歩およそ5分ほどの場所に位置している。
「……むっ」
「あっ……今不機嫌な顔した?」
「別にしてない。少し、災難が続くな、と思っただけでそれを表情に出したつもりはない……」
「もうすでに、言葉にしちゃってるよ……」
おっと、どうやら口が滑ってしまったようだ。
ただ、相手が彼女だから、ため息をついたのではない事だけはご承知願いたい。
「……そういえば、椎菜は今日泊まる場所はあるのか?」
「あーうん、天翔?っていう学生寮に行くことになってるはず……。ねぇ。それより名前。覚えててくれたんだね……」
そういう彼女の顔はどこか嬉しそうだ。
「……」
「……どうした?」
突然、彼女が俺との距離を近づけ、顔をまじまじと見つめ始めた。
うっ、、顔が近いっ……。
「……そういえば私まだ、あなたの名前知らない」
「ああ……」
なんだ、そんなことか。
だったら、別に近づいてくる必要はなかったんじゃないか?
それともあれか、これが、お約束というやつなのか?
「……俺は東雲零斗だ」
「へぇ、零斗……変わった名前だね」
零斗より、夜宵の方が一風変わっている気がするのは俺が自分の名前に慣れ親しんできたからだろうか。
「……それよりも、寮の場所は把握してるのか?」
「え?ここから近いって聞いたから、調べてないけど……」
「いや、確かに近いけど……」
この子は、どこか抜けている。
「まぁ、なんだ……、とりあえず、歩くか……」
「うん、そうだね」
この場にとどまっていたところで、何か話の種が見つかるわけでもなければ、寮までの道のりが短くなるわけでもない。
だから、俺たち二人はとりあえず寮に向かい歩くことにした。
「なんか寮って聞くと、ワクワクするのは私だけかな?」
「そんな楽しいもんじゃない……」
「そう?」
「そうだ」
この学園の学生寮は、今向かっている男女共同寮『天翔』ただ一つである。
とは言っても、誤解しないでほしいことなのだがこの寮では、話したこともない謎の白髪美少女がルームメイトとして入居したり、入浴中の幼なじみを偶然目にして、その子を女性として意識するようになってしまう……なんていう、そんないかにもラブコメじみた展開は、まず起こらないということだ。
理由としては、部屋は完全オートロック式なこと。
扉を開けるには生徒本人の学生証が必要なこと。
男女間での頻繁な交流をできるだけ抑制するためにと、建物の廊下には監視カメラが設備されていることなどが挙げられる。
まぁその、『思ってたのと違う。』というのは学生生活につきものである。
「そういえば、あの後どうなったんだ……?」
言う必要もないだろうが、あの後とは俺たちが別れてからを指している。
俺は、会話をするのはあまり得意な方ではないが寮までの5分くらいだったらなんとか話を続けられる。
「……あはは、結構怒られたかな」
彼女は笑みを浮かべながらも、少し深刻そうに語る。
「……まぁ、とりあえず、安心して良いんじゃないか。遅刻というものは、繰り返すうちに怒りを通り越して、だんだんと呆れられていくものだ。怒られているうちはまだマシな方だろう……」
「それって、体験談……とかじゃないよね?」
「……どうだろうな」
俺は、自分の前髪をいじりながら明後日の方向を向く。
「……でも、ガイダンスの先生が優しくて助かったよ。若い女の先生で、篠崎?って名前の人だったかな……その先生が、他の教員たちを説得してくれたんだよね」
「…………ここでも篠崎か」
彼女は何のこと?という目で俺のことを見つめる。
「あ……、いや。こっちの話だから気にするな……」
「……?」
彼女はまだ何か言いたそうだったが、特に言及することでもないと分かってもらえたのか、それ以上は何も言わなかった。
「……」
「…………」
「……なぁ」
「……ん?」
寮まではあと3分ほどで着く。
これが、そんな短い時間で解決する話ではないことなど分かっている。
だが、俺は聞かずにはいられなかった。
「……昼間のことについて蒸し返してもいいか?」
彼女がどうして俺に会いたがっていたのか、そしてどうして俺の過去の遺産を知っていたのかを知りたかった。
「うん。……いいよ」
「……」
そう告げる彼女の視線は、どこか遠くを見ているような感じで、その声はそこはかとない脆さを秘めているような気がした。
「……まず、どうして椎菜は何で俺があの日助けてもらったという少年だって、分かったんだ?」
とりあえず俺は、あたりあさりのない質問から始めることにした。
「んー……何だろ……勘かな?なんか分からないけど、この人がそうなんじゃないかなって……」
「……勘て」
全国に男子高校生が何人いると思っているんだ。
しかも、その中で彼女の『会いたい』という思い通り、ピタリとハズレくじを引いてしまうなんて……俺の運が悪いのか?
「……だったら、次の質問をする。俺は28日、君を助けたと言っただろ……?」
「そうだね」
「具体的にはどう君を助けたんだ……?悪いが、記憶が曖昧なんだ……」
「んー……」
彼女は寮の人差し指をこめかみにあてて、考える。
というか、そんな可愛げのある仕草、生まれて初めて見たのだが……。
「何だろ……、その日は私にとってとても辛い日で、そんな私をあなたが慰めてくれた?って感じだと思うよ?」
「所々に疑問符があるのが、気になるのだが……」
「あはは、実を言うとあんまりどんなことを話したかは覚えてないんだよね。あの日は私にとっても色々とあった日だから……」
「……」
慰めた覚えなどないのだが。
俺はクリスマスイブ以降自分で言うのも変な話だがかなり病んでいたはずだ。
そんな俺に人を元気付けることなどはたして、できたのだろうか。
甚だ疑問に思う。
というか、元気づけられたことしか、覚えてない人に切望するほど会いたいと思い続けられるか?
やはり、彼女は変わっている。
「……じゃあ、最後にもうひとつだけいいか?」
「いいよ……」
「……あの日君に何があったって落ち込んでいた?」
俺は昼間にしようとしていた質問を再び投げかける。
「……」
しかし、その質問に、初めて椎菜は少し沈黙をみせる。
そんな彼女の表情は、今までになく思い詰めた様子だった。
「あっ…………いや、少しやけになっていた。別に言いたくないんだったら、無理して言う必要は、全然ない」
俺は、必死で彼女にフォローいれる。
当たり前だ。
何でも答えてくれることをいいように、俺は彼女の心の傷に侵入しようとしていたんだから。
「……悪かった」
俺はこの時、彼女の顔を見れていなかっただろう。
しかし、彼女の方を向くと、彼女の表情は少し穏やかになっていた。
「……ねぇ」
「……?」
「自分の生きる意味について考えたことはある……?」
「……まぁ、それなりには」
俺にはどうして彼女が急にそんな藪から棒なことを言い出したのか分からなかった。
「これはあくまで、他人の受け売り。それをアレンジした私の考え方なんだけど、聞いてもらってもいいかな?」
「……ああ」
彼女は、わざとらしくごほん、っと咳き込むと語り始める。
「私はね、人はその人生において何かに恩恵を与え、また誰かに罪を償うために生きていると思うの。恩恵を与えるっていうのは、自分が与えてもらった分の何かを、他の人にも同じように与えていくことで。罪を償うというっていうのは、人に後ろめたいことをしたときに、それに見合うだけの何かを、分け与えること。そうやって人は、繋いで、前に進んでいく生き物なんだ……。って、なんか柄にもなく、恥ずかしいこと言っちゃったね……」
俺は、その言葉をただ真剣に聞いていた。
それは、いつの間にか、歩くことをやめてしまうほどに。
「それでね……」
「……っ!?」
足を止めた彼女は、俺の両手を挟むようにして彼女の手の平で包み込む。
「私には今。二つ、生きる意味があるの……、恩恵と代償が一つずつ」
「そうか……」
「……うん、恩恵の方は”君に感謝を伝えること”」
「……別に俺は、気にしちゃいない」
「それでも、私がしたいの……だめ?」
きっと、この時の俺の顔は夕日に照らされて赤く染まっていたのだろう。
「へへ、顔が赤くなってるよ?」
「気のせいだ……、それよりもう一つの生きる意味は何なんだ?」
「……それはね、”みんなに優しくすること”」
「……?」
はたしてそれは、生きる意味なのだろうか。
確かに、みんなに優しくすることができたなら、それはすごいことだと思う。けど、
「けど、そんなの誰の代償でもないじゃないか?って顔してる」
「っ……」
どうやら俺の感情というのは、目立ちたがり屋らしい。
「今から言うことは、誰にも言わないでね……」
「……俺がそんな重いものを溜め込める器に見えるのか?」
「少なくとも私は、信じてる……」
「そうかい……」
今度は、何を言い出すのだろうか。
俺は少し興味があったのかもしれない。
ただ、彼女の口から出た言葉は、決して優しいものではなかった。
「…………今から話すことは、嘘のような話かもしれないんだけどね」
「……」
「少し前に、私のせいで、とある女の子が命を落としたの…………」
「……っ」
ーーそう告げる彼女の眼差しは、
そこにはない”何か”を見ているようだった。
東雲零斗と椎名真宵 邂逅編①を読んでいただき、ありがとうございました。
寮……、知り合いの寮生から、いろいろ厳しくてたまったものじゃない、と言われましたがやっぱり少し憧れますね。