私の中の本当の願いは
全然話進んでないな…
私がミズハにあるお願いをしてから、私たちは植物園の中をゆっくりと歩いていた。
みんな植物園なんてものに興味がないのか私たち以外に人は誰もいなかった。おかげで気軽に歩けるね。
「もう……日が暮れてきたね」
まるで世界全部が燃えていると錯覚させるほどに紅い幻想的な夕陽を見ながら私は呟いた。
「今日も一日がまた終わるね」
だけど違うのは私の傍にミズハしかいないということ。私が帰ったらミズハは1人になってしまう。それは私が嫌だ。
……それに、私はもう帰れない。
お兄さまの言いつけに背いてミズハを連れ出してしまった。お兄さまが絶対にしてはいけないということを。だから、もう帰れないよ。後悔はない。それでもたとえお兄さまが許したとしても私は自分を許せない。何度も言うけど後悔はないんだよ。
「わぁミズハ見て見て! 空が綺麗だよ」
見上げると太陽の紅と夜の薄い藍が綯い交ぜになったような空。まるで子供が白紙に描いた油絵みたいだ。ごちゃごちゃに混ざっているけど汚く、濁った印象を与えない、滲んだ無邪気とでも表現できる。
空をぼーっと眺めるミズハを横目に見て世界中のみんなじゃなくてもいい、せめて私だけはミズハのことを理解していたいと心の中で思った。
「私ね、こーんな空が好きなんだ」
「……この空は、綺麗?」
「うん、私はそう思うけど……ミズハはどうかな」
「別に……いや、好き、だと思う」
言いかけた"別に"を飲み込んで自分の感想を言ってくれるのは少しだけ嬉しい。それはまるでミズハのことをまた1つ知れたみたいだから。
「ほら、花もさっきまでとは違って見えるよ」
「……ほんとだ」
西陽に照らされて花たちはその影の色を深くして落とす。堕ちていく夕陽と相まってそれは世界の終わり、終末的な光景にーーそれでいて神秘的なものに見えた。
「……」
ミズハはこちらを見て何かを言いたそうにしているが私はそれに気付かないふりをして「さてとっ 」とミズハに笑いかけた。
「次はどこ行こっか」
その言葉は私たちに留まることの出来る場所なんてない、と言いたいみたいで少しだけ自分の言葉に怖くなる。
私はその恐れを振り払うように首を振る。
「僕は……この辺りを知らないから、行きたいところなんて、ない」
「そっか。そうだよね。ミズハはずっとあそこにいたんだもんね。……ミズハはここに来るまでどこで過ごしてたの?」
「どこにも。ただ戦場を渡って、戦いが終わったら次の殺し合いに。終わることは無いと思ってた」
「……そっか。でも、もう戦いはないからそのへんも考えないとね」
幼子のように私の言葉を聞くミズハの頭をゆっくりと撫でる。昔年下の従姉弟にやってあげたのと同じように優しく、髪の毛を梳いてあげるように。
それをミズハはくすぐったそうな顔をして受ける。その顔がなんだかミズハが笑ってるように見えて私もつられて笑ってしまう。
平和で、ゆっくりとしていて、儚いほどに優しい時間だ。ずっと、こんな時間が続けばいいのに。
「そうだ。私、行きたいところ見つかったよ」
「……ついていくよ」
「ミズハは、どんなことがあっても……ま、守って、くれる?」
そのお願いはあまりにも厚顔無恥で意味不明で顔が赤くなりそうだが幸いなことにミズハはただ首を傾げるだけで「貴方がそう言うのなら」とだけ了承が返ってくる。
「あ、ありがと……じ、じゃあ行くから一緒に来て……?」
そうして私たちは植物園を後にした。
植物園を出て歩いて少し|環状線の線路(、、、、、、)に近づいていく。
「ねえ、ここって」
「うん……東京租界」
今尚東京のスラム街に成り果てている街だ。
「……僕は、オススメしない」
「わかってるよ」
なんたってここはニッポン屈指のジュラキラス人嫌いの街だ。ジュラキラス人で、しかも皇族の私が入ったらどうなるか……は想像にかたくない。
それでも
「中には、入らないよ」
「……賢明な判断だ」
ただ私はニッポン人のことがーー
「ーーーーーーーーう」
ミズハの小さな声。やがてミズハはそのことをはっきりと私に伝えた。
「もう、やめにしよう」
「み、ミズハ?」
「見てられないよ。……気付いてる? その矛盾に」
矛盾? それは、それは一体どういうーー
「ニッポン人を救いたいって願いと僕を救いたいって願いは両立しえない」
「ッ」
そして核心を、突かれる。
「帰りたいんでしょ、そのお兄さま(、、、、)のところに。だったら帰った方がいい……それが、ニッポン人全体の利益になるかもしれない」
「そんな、ことは」
おかしい。
「じゃあ」
やめて。
「最大の理由を」
それ以上は言わないで。
「僕は言わなきゃいけない」
気付かないふりをしてたのに。
「貴方は、淋しい。お兄さまや、侍女に会えなくて」
「あ、あぁ」
指摘されてしまう。私の、もっとも弱った部分が。
「"もうあそこには戻らない"。そんな決意を感じるのに貴方はやたらと"戻らない家"の話ばかりをする。それに、気づいてるのかな……そういえば自分の顔は自分で見れないね。貴方は"家"の話をしてる時いつも一瞬だけ辛そうな顔をする。でもそれをすぐに仮面の下に隠してしまう。僕にバレないように」
私は……そんな顔をしてたのだろうか。無意識? 無意識の罪悪感? いやそんなものはありえない。私はミズハを助けたいはずなのだ。それこそ何を捨てでも。そうしなきゃいけない気がするんだ。
「別に、貴方の僕を助けたい気持ちは嘘じゃないんだと 思う」
違う。そんなのはなんの慰めにもなってない。
「こういうのはなんて言うんだっけ……あぁ気持ちは受け取っておくよ、だったっけ。貴方は戻りなよ、お兄さまのところに。僕は……これで十分だ。あとはどうにかなる」
待って。もう会えないの? そんなのやだよ。
「私はミズハと一緒にいたいから、それでーー」
「もう、自分に嘘をつくのはやめにしよう」
「う、嘘……?」
私は嘘なんか、嘘なんてついてないよ。
「貴方は、僕と一緒にいたいからなんか考えてないよ。ただただ自分の自己満足だ……いや、償い、なのかな。それで僕を助けて、ちょっとした冒険をしたいだけだ。全部が全部貴方のため、僕は刺激を味わうための触媒でしかない」
ーーーー。
そんなことはーー
いや
そんな気持ちはあったのかもしれない。
同じように続く日常。別に面白くもなんともないならい事の数々。それに退屈していたのかもしれない。私の中の色褪せた日々の中でミズハは"色"を持っていて、それで私も色を取り戻そうとーー
「別に、僕は死んでもいいって、あそこでずっと過してもいいって思ってたけど。やりたいことが見つかった。だから言いたい、ありがと。僕を出してくれて」
頭がまともに働かない。ミズハは何を言ってるのだろうか。
どこか遠くに行ってしまうの?
1人で?
ミズハの隣に私の居場所はないの?
様々な疑問が頭の中をよぎる。がそれが口をついて出ることは無い。全て私の中で生み出され、私の中で消化不良を起こすのを承知の上で私は嚥下してしまう。クスリなんかじゃ治せないひどい"胃もたれ"だ。
辛くて、苦しい。絶望がお腹の中に溜まって視界が灰色になる。
「待って……待ってよ」
ひどく狼狽えた声。それが自分のものだと気付くのにそれほど時間はかからなかった。
「わたしは、そんなつもりじゃ」
「責めてるんじゃない」
「そうじゃなくて!!」
私の叫びが木霊する。でも私のそんな言葉に意味なんてない。ただ場をつなぎとめたいだけのその場しのぎに過ぎないのだ。
「ごめんね、ミズハ。私の何かがいけなかったんだよね。ごめんね、謝るから。そんなこと言わないで。私が悪かったから」
「……別に、貴方が悪いわけじゃない。ただ僕らは交われない。きっと交わるのはこの瞬間だけ」
冷たく、だけど申し訳なさそうにそう告げるミズハ。違う、私が聞きたいのはそんな弁明じゃない。
「貴方は家に帰ってお兄さまにこう伝えればいい。"ミズハが私を脅して無理矢理出させた"って」
「そんな言葉が聞きたいんじゃない!!」
「ニッポン人を救いたいんでしょ」
「っ」
「だったら僕とはいられない」
そんなことーー
「事実、僕についてきたなら"王族"としての貴方は死ぬことになる。それじゃあただの一般人になった貴方はどうやってニッポン人を救うの。革命でも起こす? それこそ無理な話だよ」
「だ、だったらニッポン人なんてーー」
「それ以上はダメだ」
鋭い制止。私はそれ以上言えない……いや、言ってはいけなかった。
「その言葉は貴方の信条を捨てることになる。それは、いけない」
「なんで!? じゃあどうやったらミズハについていけるの? 私は何を捨ててもいいのに!!」
「捨てられてないんだ。その"何を"が」
泣きじゃくる私にミズハは近付いて私の手を握る。
「貴方は、僕といていい人間じゃない。それに言ったよね"みんなが笑顔になるためならどんなことになっても私は後悔しない"って。ね?」
諭すようにそう話しかけるミズハに私はいやいや、と首を横に振る。それはまるで聞き分けのない子供みたい。
「貴方のその言葉に……僕も決意したんだ。貴方は……元のままでいい。僕と来るとキミは歪むよ。それは……見たくない」
帰り道は分かるかな、と訊ねるミズハに私は頷いてしまう、頷いてしまった。
「そっか。じゃあ僕と貴方はここでお別れ」
「もう……会えないの……?」
「分からない。たとえ会えたとしても、僕らはもう赤の他人だ」
「悲しい……悲しいよ、そんなの……」
その言葉に少し傷ついた顔をするミズハ。吐き出される「ごめん」の言葉。私は謝ってほしいんじゃない。
「僕は……もう行くよ。……また、いつか」
「っ」
そのサヨナラに私は顔を上げる。いつか(、、、)はまた会えるということ。
ーーミズハはまた私と会ってくれるんだよね。
ミズハは自分のやりたいことが見つかった。ならそれでいいじゃない。それがミズハの生きる意味になるなら私は……諦めるしかないよ。ミズハと一緒にいたいなんてわたしのわがままなんだから。
私は自分にそう言い聞かせて、その言葉に私は泣きながらだが微笑んだ。
「……うんっ。またね、ミズハ」
× × ×
トーキョーゲットーを歩きながら1人考える。
これでよかったのだろうか。
「わからない」
ゲットーに入った途端何人かの視線が刺さる。それすらも無視して僕は考える。
でも、あれ以外になんて言えばいいのだろう。
あぁ、どうでもいいな、そんなこと。
すぐにそんな余分な思考は切り捨てられる。
今は目的のために何をすべきかが必要だ。
すれ違いさまに僕にスリを働こうとする誰かの足を引っ掛ける。がそれも些事。またもや思考は僕の目的の方へ。
「何もかもが、足りないな」
必要なものが何一つ手元にない。ピースが欠けすぎて原型が留まっていないパズルみたいだ。
このゲットーでできることは少ない。よくて身を隠すことぐらいだろう。
僕はどうすればいい。僕には何ができる……?
単純な話だ。
「殺すことは、できる」
それが僕の唯一の取り柄だ。
なら、話が早い。
「まずはーー」
その時。遠くから何かが着弾する音。
あぁ
それは聞き慣れた音。
それは開戦を告げる鬨。
僕はその音を知っている。
音のした方向の空を見る。
「……あぁ」
薄汚れた灰みがかかった煙が何本も立ち上っている。
そっちは皇居別邸。先程まで一緒にいた少女が戻った方向だ。
なら、僕のすべきことはーー