首を吊られて世界の幸福を贖う
外へ出たら後はこっちのものだ。
ニホンは本国ほど人は多くはない、がニホンの中心であるトーキョーに限っては別。ここは本国の首都キルグラードと同じくらいの熱を感じる。たくさんの人がここに住んでるのだ。だから皇居からそこそこに離れられればお兄様たちが追ってくるのは難しいだろう。
「はぁーーはぁーーこれなら、だいじょぶ、かな」
立ち止まり、息を整えながらそう呟く。運動なんてほとんどしないから少し走っただけでもすごく苦しい。隣のミズハを伺うと息ひとつ切らさずただ棒立ち。やっぱりミズハは凄いんだ。
「……何か用でもあるの、こんなとこまで来て」
ミズハがそう訊ねるが私はそれに答えられない。用、なんてものは無いからだ。
「ミズハを……あそこから出してあげたかったから。だから、特に用なんてないよ」
「出す? 僕を……それになんの意味があるの」
「なッ」
なんの意味か、だなんて。
ミズハを外に連れ出すことに意味なんてあるのだろうか。ただ、当然のことをしただけ……違うのだろうか。
「私は……ミズハが辛そうだと思ったからーー」
「そんなこと思ったことない」
胸に突き立てられるは鋭利な言葉のナイフ。ミズハは私の心配を幻想だと断定する。それからゆっくりと「そんなことのために、ここに来たなら」と告げた。
「今すぐ僕をあそこに戻して……僕が生きてることをみんなは望まない」
「そんなことないッ」
その言葉に噛み付くように私は叫んだ。
「なんでミズハはそんな顔するの? 何もかも諦めちゃったような顔をしてるの? なんでミズハだけが傷つく必要があるの? おかしいよ、そんなの!! 私はそんなの許せない!!」
慟哭に何人かが怪訝な表情で私たちを見る、がそんなことも気にせず私は続ける。
「……だから私とどっか遠くに行こ。誰の邪魔も入らないところで……話したいよ」
覚悟は決めた。それはミズハのために過去を捨てる決意。
「……それは、命令?」
虚ろな少年が私にそう問いかける。命令でもなんでもいい、ただ否定したら私のことを聞いてくれない気がして「うん、命令だよ」とだけ肯定した。
「わかった。それが命令なら、僕は従う。でも、一つだけ」
ミズハは器用に自分の腕に手枷を再びはめ込んだ。
「不用心だよ。これぐらいは、しなきゃ」
その枷はミズハを縛る。
それがミズハなりの妥協点だというのなら、私はそれを黙認する。しかし――――
「でも、その手錠は目立っちゃうよ」
私は持っていたハンカチでミズハの手錠を巻き付けた。無地の、端の一角にだけ四つ葉のクローバーがプリントされた……私のお気に入りだ。これで傍から見たら手枷だって分からないかな。
「これでよし。じゃあ行こ……って言っても、どこに行こうかな」
ミズハを外に出すことが私の目的で、それが叶った後のことなんて全然考えてなかった。
これから本当にどうしようか。
「ミズハはどっか行きたいところ……ってミズハ?」
どこか遠くの一点を見つめているミズハに声をかけると「……なんでもない」とだけ返ったきた。何か気になることでもあるんだろうか。
そこで気づく。
「そういえばミズハご飯食べてなかったよね。じゃあどっかに食べに行こっか」
私はミズハを引っ張っていく。少年のひんやりした手を握って私は歩き始めた。
目指す場所はたくさんの露店が並んでいる皇居から少し離れた市場。私自身あんまりそういった所に行った経験はない、けどこういった場所は安くご飯が買える、と昔お兄様が言っていたのでそこに行くことにした。
歩くこと数分。さっき全速力で走ったばかりなので肺がキリキリと痛んだけれど気にせず歩き続けると――見えた。やっぱり活気がある。人の温かみがある場所はやっぱり好きだ。
「人が多いね。迷子になったら大変だよ」
少しおどけてミズハにそう笑いかけるとミズハは顔色を変えないまま不器用ながら私の手を握り返した。
「みみみミズハっ!?」
「これなら……迷子にならない」
それは……そうだけどいきなりは驚く。顔が赤くなってるのが自分でも分かるくらい熱い。何回も深呼吸をして自分を落ち着かせてからこちらもミズハの手をぎゅっと握りしめた。
「な、なにが食べたい?」
「……別に、なんでも」
なんでもいい、と言うのが一番困る……とフィオネが昔嘆いていたのを今になって思い出した。
それから考えて結局最終的に目に付いたサンドイッチ屋さんに決めた。
「決めたっ! ミズハ行くよ」
そこまで行くと店主の若い男の人が「いらっしゃい!」と大きい声で挨拶。
「ええっと……タマゴサンドを二切れください」
「あいよ! ちょっと待ってな」
お金を払って待つ。
店主は私たちの目の前でパンにバターを塗りこみ中身のタマゴを挟み込む。一切れがすごく大きい。払った金額と作ってくれているサンドの大きさとの微妙な乖離に目を白黒させていると店主はあっという間にタマゴサンドを作り終えた。
「はいよお嬢さん、別嬪さんだから1枚サービスだ」
ホントだ、よく見るとサンドが3枚入ってる。
「ほんっとボウズは羨ましいなぁ! こんな美人な子が彼女なんて」
「か、カノジョ!? ち、違います私たちそんなんじゃ――」
「くぅぅぅ初々しいのがまたいいね! 毎度な!」
「……ありがとオッサン」
ミズハがボソッとお礼を言ってから2人で立ち去るとすぐに次の客が入ってくる。賑やかで何より。
「……ありがと」
「気にしないでいいよ。私が無理に連れ出しちゃったんだし。でも、どこで食べよっか」
そう、ここら辺は人で混みあっている。座れる場所は望むべくもないだろう。
「そうだ、この近くに公園があったからそこで食べよ?」
少年は頷く。そのまま市場の中を突っ切っていくとそこに広がるのは私が普段見ない新鮮なものばかりだった。みんなが笑い合える世界、楽しそうにすごしている世界……そういったものは直に見るとやっぱり見てて気持ちがいい。これもお兄様がトーキョーを正しく治めているからなんだろうか。やっばりお兄さまはすごい。
迷宮のような市場をくぐり抜けて建物が途切れがちになるとその先には自然が広がる大きな公園。私たちはそこのベンチの一角を陣取って先程買ったサンドイッチの包みを広げる。
「はいミズハ」
タマゴサンドを一切れ掴んでミズハに差し出す。ミズハの手は枷で縛ってあるため1人じゃ食べにくいと思っての配慮だ。しばらく目の前のタマゴサンドを見ていたミズハはやがてそれにかぶりつく。
「どう? ……って言っても私が作ったわけじゃないけど」
「……おいしい」
久しぶりの食事ならある程度のものは美味しく思えるだろう。少しの間静寂が訪れる。聞こえてくるのは公園で遊ぶ小さな子供たちの笑い声、遠くからの車の走る音、そして鳥の囀りぐらいだ。
「平和だね」
「……そうだね」
私が遠目に子供たちが遊んでるのを眺めているとミズハもそちらに目を向ける。
「……人が傷つけあってるのは……みたくないよ。それって、すごく悲しい」
「…………」
ミズハが押し黙る。私はその沈黙の意味も分からずただ喋る。
「ミズハは……好き?」
目的語を抜いた疑問。問と言うにはあまりにも短すぎる問いにミズハはこっちに目を向ける。やがてゆっくりと口を開く。
「……別に、好きでも嫌いでもない。命令されたらそれを実行するだけ」
「それって――」
辛くないの? そんな哀れみにも似た言葉を紡ぎそうになって口を閉じる。私はミズハのこと、なんにも知らない。だからそんな言葉吐いちゃいけない。
ミズハのことを知りたいなら、まずは自分のことから話すべきだよね。
そう1人で納得してから私は思いを吐露し始めた。
「私ね、一応皇族なんだ」
突然始まる独白にミズハは驚くわけでもなく、ただそっと耳を傾ける。
「お兄さまも皇族。まぁ皇居別邸、なんてところに住んでるから分かる、よね」
なんてだろう。ミズハはずっと黙って話を聞いてくれるからか普段は口に出さないことも出てしまう。
「皇族って色々大変なんだよ? あそこの子供たちみたいに遊ぶことも無い。ほとんど部屋で過ごしてやることは皇族に必要なマナーを習ったり、習い事をしたり……あ、でも勘違いしないでね、辛いわけじゃないの。それはぁ……大変な時だってあったり、もう辞めたいって思ったことも何度もあるけどそれでも私ね、逃げ出さないよ。どうしてだと思う?」
問いかけに意味なんてない。ただずっと喋ってるのが恥ずかしくてミズハに振っただけだ。けどミズハは何も答えない、私は続ける。
「私ね、夢があるの。世界から争いをなくすっていう夢。有り得ないって思った? できっこないって。……うん、実はね私もそう思う。お兄さまにも言われたの『世界から戦争をなくすことは出来ない。人という生き物がいる限り、な』って。だからね、私はこの国に――ジュラキラス皇国に住む人達だけでも笑っていられる世界にしたい。たとえば――あの向こう」
私が指さすのはここトーキョーにおいて交通の要になっているとさえ言われる電車。そしてその線路の向こう側。トーキョー租界、みんながそう呼ぶ場所を。
「あそこにはね、今もいっぱいの人が暮らしてる。もう何年経った? 私たちの国がここに攻めてきてから……もうすぐ10年だよ。10年経つのに……あそこの景色は一向に変わらない、よくならない。おかしいよ、私たちが住む場所は早々に復興が終わって……向こう側は復興が始まる気配すらない。ニッポン人は大事にされないのかな……? それってすごく寂しいし、悲しい」
皇族の私が言うのは憐れみに聞こえてしまうだろうか。世界の誰にでもそう思われてかわまない。でもミズハにだけは私が言いたいこと、理解してほしい。
「残念だけど、ニッポンはジュラキラスの土地になっちゃった……ならニッポン人だって立派な国民だよね。ちがう? だったら私はニッポン人の人にも幸せになってほしい」
否定の言葉はこない。ミズハも、私が言ってること分かってくれたのかな?
「それが私の夢、なんだけど……ミズハはある? やりたいこととか、夢とか」
「……そんなものは必要ないよ」
冷たいけどこか突き放したような物言い。私はその真意が知りたくて更に深く掘り下げる。
「なんでそう思うの?」
「明日がない人間に、夢は毒でしかないから」
言葉がつかみ取れず深く考えてしまった。それはどういう――
「たとえば、死刑寸前の人間」
ミズハが自発的に話す。それが私にとって初めてのことに思えて目を丸くしているとミズハが続ける。
「死ぬ前、夢とかやりたいことがあると"未練"がでる。それは、死ぬ人間には必要ないもの。死ぬ人間は希望を抱いちゃいけない。じゃないとまだ死にたくない、なんて思うから」
それってつまり――
「ミズハは……死んじゃうの?」
私の視線の先、鉄面皮を被った少年が何事もなさそうにどこか別の場所を見ていた。
皇居別邸
昔のニホン人の象徴である天皇が住んでいた場所がそのまま皇居別邸になっている。勿論だが本邸はジュラキラス皇国首都:キルグラード
に存在する。
トーキョー租界
ジュラキラス皇国は別邸から円を広げるように都市開発を行っているので円の外側はまだ戦争をしたあの時のままになっている。貧しいニホン人はそこで暮らしていて、また1種のスラム街になっているため犯罪の温床にもなっている。近年開発が伸び悩んでいるのはここにかなりの人口がいるから。ゲットーのを減らすと人口密度が高くなり綺麗な街の方にも影響が出てしまうのではと危惧しているから。