006 青緑の栄養ドリンク
ここはルシアンの私室だ。非常に質素だし、レオ達が泊まっている部屋と比べれば、その広さも格段と狭い。ローテーブルだって半分くらいの大きさだし、ベッドはどうみてもふかふかとは言えなさそうなくたびれ具合を見せている。
その場所で、ルシアンはまっさきに窓を開け、窓際にあった灰皿を片手に席についた。といっても、椅子ではなく木製の衣装ケースだが。レオは促されるままその正面にある、シンプルなスツールに座っていた。間には先程の小さなローテーブルがある。
ひとつ気づいたといえば、今朝煙草を吸いに来ていた様子のルシアンは、そもそもそこへ行く必要がなかった、ということだ。部屋で喫煙できるなら、あそこまで一服しに行く必要はない。
「リアの、何の話だって?」
「わかってるんだろ、ルシアン。あの子の足は、そんな言い訳じみた病気で動かないわけじゃない」
「はぁ……」
深々と、深々とルシアンは頭を抱えてため息を付いた。すこし間を開けて、顔を上げる。ほんの少しだけ顔を歪ませて、煙草を取り出して一服し始める。
「俺だって知ってた。……会ったときには、ほとんど病弱でベッド生活だった、けど。歩けないわけじゃなかった。俺はここらに居着いただけの孤児だったんだ。身寄りがなけりゃメシは食えない。盗みに入ったのが、たまたまこの家だった。いくらか話をして、リアは俺を父親に紹介した」
「クリー家の当主か」
「ああ、おじさんはリアが18のときに、野獣か魔獣に襲われて死んだ。ただ、変な話だったよ、世間知らずの俺でも思うぐらいにさ」
ふーっと煙が舞う。一呼吸おいたルシアンは話を続けた。
「あの、レオとフィーが寝てた、あの遠路だ。あそこで、死んだらしい」
「……鳥系の野獣魔獣とか夜盗、そのあたりじゃねえのか」
「欠けた大きな爪が落ちてたらしい。猫系の野獣か、魔獣。護衛もいた、今じゃ俺とリアだけで通れるような安全区って指定もはいってる。あとから組まれた討伐隊だってッ、発見どころか痕跡も……」
「まて、落ち着け。じゃあ――リアはいつ、車椅子生活になった?」
「丁度同時期だ。おじさんが亡くなったあと、俺は執事に、他の奴らも軒並み入れ替わりになった。料理長だけだな、変わってねえの」
「あのでかいおっさんか。……推測で質問してくぞ」
「ああ、俺じゃお前には敵わない、答えるさ。気づかれたつって殺すのも、欺くのも、俺はできねえ」
思うことがいくつか、滑るように出てくる。これらがあたってるなら――、報酬金を増やせと言いたい。
「料理長は、お前が来る前からいたんだな?」
「ああ、世話焼きな人だよ」
「リアの足は生まれつきではない。マナ欠乏症のはなしはいらん」
「少なくとも俺は何度か、リアとかくれんぼした」
「――妾騒動は、おじさんの死後だな?」
「……やっぱり、そこにたどり着く、よな」
「最後だ、リアが政治的に関われたとき、それはレーゲンを抑え込める。――リアは、女王の関係者だな?」
「……察しの通り、妾って言われてるひとは平民だが、本来の親とされてたのは、女王の血縁者だ」
ヒントは出揃った。ただ、それをどう動かすべきか、レオはわからない。適切な扉のない鍵はただの荷物圧迫品でしかない。
両ももに肘をついて、レオは頭を抱えた。部外者であるレオでもこりゃなあ、と思うのに、ルシアンは、何年間これを抱えて生きたのか。苦悩はわからないわけでもないが、レオは部外者。
……部外者なんだ。あっちも、こっちも。
「なあ、レオ」
「……ん」
ルシアンの震えた声が、耳に届いた。強気な彼の、酷く弱々し声。
ぱた、ぱたん、しずくが落ちる音がする。わざとらしく雨かーなんて茶化すほど、レオは道化ではない。頭には過るので、またそれでもあるかも知れないが。
「俺は、リアに……死んでほしくない――」
捻り出された声は、一気に涙腺を決壊させたようだった。声を上げて泣きこそしないのは男らしいが、言っていることは非現実的だ。それはレオが依頼された職務をしなければいいだけの話、――ではないのだから。
「……俺が技師の仕事をせずに帰っても、リアは死ぬ」
「んな……」
レオは席を立った。ひどい顔だ、ぐちゃぐちゃに泣き崩れて、ぼたぼたと大粒の涙を流して、――捨て子の顔をしている、そんなルシアン。それを一瞥しただけで、レオは扉ヘ近づいた。
呼び止めるように大きな音をたてて、ルシアンはすぐに立ち上がる。
「そん……そんな、時間はまだある!」
「ねえよ、よくよく考えろ」
ばたん、とドアを開ける。にっこり、いいお出迎えの笑顔がそこに立っている。
――片手に、薪割り用の斧を振り上げて。
「ほらな、お前の監視対象だったんだ。おおかた、これで合点が行ったよ」
「そうですか、お客様。ではお帰りくださいませ」
ぶん、と斧が振り下ろされる。レオとて、つまらないギルドに肩入れしているわけではない。
――ダンジョン攻略は、もっとキチガイ地味たやつしか出てこない。
しゅっとレオはかがみ込む。ドアの縁が邪魔で、そのメイドの脛を押し出すように蹴り、一本だけ持っていた小さな万能ナイフを取り出し――。
「……レオッ!」
後ろの叫び声は無視して、壁に倒れ込むように叩きつけられたメイドの、喉を裂いた。
その惨状に、ルシアンは息を詰める。レオが見定めようとしている間に、放り出されていたメイドの手が斧を握り直して動いた。
知っていた、とばかりにその横一線をレオは後ろに飛び避ける。メイドの裂かれた傷からは、輝く青緑の液体が漏れていた。
「なん、で」
「何いってんだ、お前が恐れてたのはこーいう奴らなだけだ。この世は何でもありなんだぜ」
さすがに、ナイフ一本のときにこんなことになるとは思ってなかったが。
少々困った。展開が早すぎる。こんなんだったらフィーを女子会に行かせるべきではなかった。
そんなことを考えさせてくれるわけもなく、屋敷の損害にも興味はないのか、ぶんぶんと小さな斧を振り回したメイドは迫る。しかたない。――すぐにレオはルシアンの手をひっつかんで、逃げることにした。
「っ、ちょ、どこいくんだよ!」
「フィーとリアが危ない。さっきのメイドは、ただの端末だ」
それには、恐らく、がつく。倒しきれて、ちょっとでも機構がみれればわかるのだが。奥歯を噛み締めつつ、走る。あのメイドが追ってくるのか、それとも修復を優先するかはわからない、なにも、わかるわけがない。
「なら、中庭だ! この時間ならケーキなんて出来上がってる」
「……、お前、魔法は使えるか?」
「時間込みで、中学校程度が限界だよ! それがどし――……っ」
エントランスについたその時には、目の前に、別のメイドがいた。片手には――海賊の持つようなサーベルだ。おそらく調度品のものだろうが、何かを叩き潰す程度にはつかえるよ、とばかりに鈍く光っている。
「……っレオ、後ろも」
「だろうな、くっそみてえなパターンだよ。まだ、中庭には抜けられるな?」
「……ああ、でも」
そのままレオは、ルシアンに回し蹴りを突っ込む。中庭方面の、壁際のソファに向かって彼は飛んでいった。少なくない衝撃に、憤慨の声がそこから聞こえる。
「くそ! 覚えてろ! しぬなよ!」
「そりゃな、俺が死んだらフィーが食いっぱぐれるだろ。――いいな、頼んだぞ」
すぐにルシアンは走って、エントランスを抜けた。メイドの注視はもちろんそちらへ向くが、レオはそれを良しとはしない。
「お前らにとって、俺があっちに行くほうがよっぽど脅威だとおもうがね」
挑発的に笑う。どうやら、その言葉に彼女らは納得したようで――一気に駆け出してくる。
レオとて安々その攻撃を食らうわけには行かない。鬼ごっこだ。せめて武器がないと、今のレオに勝ち目はなかった。
「戦闘担当じゃねえんだけどなぁ――」
そのぼやきは、流れる空気に溶けて消えた。