004 ふわっふわのオムライス
「なにこれ! おいしい、おいし……んぐ、うみゃぃ……」
「喋りながら食うな、バカ娘」
「んきゅ……」
とてもハイテンションでいろいろな料理をその腹の中へ消していくフィーにそう釘を刺すと、しょぼくれたようにあからさまにペースダウンした。しかしその次には、黄色くぷるんとしてほんのりバターの香りがするオムライスへ手をかけて、衝撃を受けたように停止した。
その様子に諦めて、レオも食を進める。
レオとフィーは豪勢に様々な料理が並んでいるが、ユーリアの付近の料理は比べると質素だ。かといって庶民的、という意味とは違いを感じるが。大きく置かれたのは同じくオムライスではあるが、彼女のものは少々小ぶりだ。なお――フィーとレオのものは、レオのもののほうが大きかったが、どうこう言われる前にレオがそれを交換した。
「フィーは、本当に食べるのが好きね」
「うん、おいしいの好き! おっきい声出すと、レオに怒られるから」
そういう意味じゃないんだが。それに十分でかい。
その様子にユーリアが控えめに笑う。傍に控えているルリアンも少々面白そうに目を細めた。真横でとてももったいなさそうに、あるいは観察するような、そんな様子でフィーがオムライスを完食した。
深々とため息をついて、小奇麗に重ねられた紙ふきんでフィーの顔のケチャップやら刻んだパセリやら……張り付いたものを拭き取ってやると、なんだか少女は誇らしげである。
「小さい子がいるときいて、オムライスを出してみましたが、どうですかな」
「え! これオムライスだったの? フィーの知ってるオムライス、こんなふわふわのとろとろじゃない!」
フィーの横へやってきた、ふっくらして鼻のでかい男は料理長だという。がはは、と豪快に笑った料理長は、とても上機嫌だ。
「いやはや、ここまで食べる子供というのもはじめてみましたが、良い食いっぷりだ。何か食べたいものはあるかな、明日の料理にしよう」
「んとね、んとねー! フィーはケーキ食べたい!」
「あら、それなら明日私とお昼の後に作りましょう。女の子同士でお茶会、してみたかったの」
「わかったー! フィーは明日おちゃかいする!」
きゃっきゃと喜ぶフィーは今でも踊りだしそうな調子だ。しかし女の子同士、というからにはレオがその様子を見張ることはできなさそうだ。今晩はよくよく釘を差さねば。
「んっとねー、おさかな!」
「よし、食べごたえ十分なほど作っておこう。夕食をつくるのが楽しみだよ」
うん、と大きく頷いて、料理長は鼻歌交じりに指折り数えながら部屋を出ていく。雰囲気に合わないほどの陽気な人物だった。どう見ても大衆酒場でどんと構える店主といった風貌で。
レオがオムライスを食べきって、スプーンを置いた。いつの間にやらユーリアの食事は終わっているらしい。……その大半を残して。
「ねえねえ、たべていいの? のこり!」
「あー……、リア、いいのか?」
「ええ、どうぞ。……あっ、勢い余ってお皿とかは食べないでね?」
「だいじょぶ!」
……食べる量も、釘を差しておくべきだったか?
貸し与えられた部屋はやけに豪勢な部屋だった。道中に案内役をしていたルリアンが「そこが客室だが、リアが指定してる部屋がある。友人用の部屋だ」といって客室だという部屋の前を通過して、その先だ。
注意代わりに言われたのは、「入れる部屋ははいっていい」とのことなので、この規模の屋敷のことだ、人選のつけられたドアノブでも使っているのだろう。
室内で目につくのは、水の湧く水壺、人の動きで灯る天井の光石、だろうか。あとは絵画などの装飾がメインで、……それらも安物ではないのは見て取れた。
「よく喋った……」
「レオいつもよりよく喋った?」
ベッドへ背面ダイブして深く深呼吸しているレオの腹の上へ、フィーがぽんと乗る。そんなにいっぱい喋ってたっけ、とでも言いたげな目だ。
「お前と喋ってるのと労力が違うんだよなあ……」
「むっ、フィーとしゃべるのつまんないの?」
「そうじゃねえよ、つか服脱がせろ。あとお勉強の時間だ」
「フィーも脱ぐ! さすがに食べ過ぎ……」
「お前は食べ過ぎる可能性ゼロだろ、フィー。……あと着替え禁止」
フィーがころんと横に寝転がったので、レオは起き上がって上着をコートかけにかけた。薄手の長袖のシャツに、細身の黒いジーンズ姿。残りのスカーフも眼帯も、ここに宿泊している間外すのは風呂ぐらいしか可能性はなかった。
ベッドへ戻って、ころんころんする少女に苦しそうな歪な笑みが出てしまう。欲情したとか、そういうものではないのは断言しておく。
それが目に入ったのか、フィーはまた不可思議そうな顔をする。こて、と首を傾げて、その様子は愛らしいで間違いはない。
「フィー、学習不足?」
「いや――……まあ、それで違いはないけどな。ほら、お勉強の時間だ」
無理やり頭を切り替えて、ベッドの端へ乱雑に腰掛けた。良いマットレスの弾力で、フィーが跳ねた。
その様子にきょとんとした顔をしているので、レオはその頭へ手を伸ばす。お気に召していた髪型が崩れるのはかわいそうなので、優しく撫でる。といっても、寝てしまえばそれも崩れてしまうのだけれど。
「んじゃ、いいか――」
「ねえ、レオ。フィー……わたしすきだよ、レオのこの傷だってその瞳だって」
開始しようとした明日の予習を、まんまと邪魔された。ぐい、とスカーフを引き下げられる。声音は無邪気な、あのフィーの声ではない。
首をぐるりとまわる、十字架のような縫い跡の縫い傷。じーと注視するフィーの表情は、それこそレオが先程少女にない、向けてないと言い切ったその感情のものだ。
「――」
やめろ、だったのか。何かが言葉になろうとして出てこなかった。フィーの口から出る次の言葉なんて知っていた。それが出る前に――。
眉根を寄せたあと、顔を隠すように、頭を抱えるように、両手で乱雑に頭を掻いた。
「……『命令』思考停止、手を離せ、横になれ」
静かになったフィーは、その行動を速やかに実行する。レオは、飲み込まれる前に振り切るように言葉を続けた。
「『予備学習』フィーは人間である、レオも人間である、ふたりは兄と妹である」
声が掠れた。これは、よくあることだ。
「『禁止事項』魔装具の生命活動以外の運用、ケープを外すこと、――生きたオーパーツであることを察されるような行為全般。……これらは全て主の命令によって変更が可能」
やっと落ち着いてきたのか、レオは一呼吸置いた。震えていたのか泣いていたのか、それは本人でもめちゃくちゃでわからない。
「以上、『命令』朝まで眠れ」
「了承、主」
その声は、フィーではない。それはそれは、レオがぶん殴って、これの意味を聞きたいその女の声だ。
夜空に紫煙が溶けるように消えていく。
屋敷の二階、その小奇麗な塗装の白い柵と鉢植えのある広いベランダで、室内に背を向け柵に腰掛けて、レオは口の端にタバコを咥えて呆けていた。上着を置いてきたことで服の中にしまっていた、一束だけ腰より長く先端付近を朱色の玉石でとめられた髪が、風になびいて揺れる。
フィーはたまに、ああなる。条件として不確かだが確実なのは、愛情とかそういったものが近くに現れたときだ。それはひどくレオを動揺させるし、何度か自暴自棄にもさせられかけた。対処だって、さっきのは暫定的でしかない。ただ無理やりそれを続けさせるのを辞めさせただけだというのは、レオにもよく分かっていることだった。
じり、と煙草が音を立てる。何本目だろう。見つけて拾ってきた灰皿には、4本は転がっている。
目の前のなにもないはずの空中を、赤みがかったオレンジの長過ぎるポニーテールが悪戯に揺れて――……。
「おい、朝早いな」
「……寝てねえんだよ」
そんな何かが見えていた気がした。後ろから革靴の音がする。ルシアンだった。どうやら彼も喫煙者らしく、煙草を咥えながら灰皿を挟んでその横へ立った。柵に腕をかけながら、煙を吹く。
「そのスカーフと眼帯は外さないんだな、レオ」
「まあ、怪しげな仕事してるんでね」
「依頼側としてどうこう言える立場じゃないからな……、なんかやけに疲れた様子だな。おかげで柵が汚れるって文句が出づらいよ」
「出てるじゃねえか。……フィーが物珍しさでハイテンションで寝てくれなかったんだよ」
「なるほど」
じり、とほんの少しだけ指が熱くなる。レオはそれを灰皿に押し付けて、はあ、とあからさまにため息を付いた。さらりとついた嘘には欠片の違和感もなかったようで、苦笑いをされた。
「頼みたいことがあったんだが、その様子じゃキツそうだな」
「……内容による」
次のタバコに手を付けながら答えると、ルリアンは少しばかり驚いた顔をした。
「あー、お前が来てから困ってるよ。報酬金ぶんどるくそみてえに怪しい魔装技師って聞いてたから、お前のその様子とか色々、想像を見事に裏切られててだな」
「……どんなの想像してたんだよ……」
「いや、怪しいってのは今でも変わんねえけど、妹に振り回されててどっか優しそう……いや口はどうやら俺と大差なさそうだけど、なんだろうな……」
「優しいねえ……、否定も肯定もしねえけど」
ルリアン的にはもっと悪どいやつを想像していたらしい。度々言われた覚えがあって、レオは口がほころんだ。誤魔化すように煙を吸い込んで吐き出す。山の向こうから、光が伸び始めた。
「で、頼みたいことって?」
「ああ、その……魔法具の昇降機、修理を頼めないかって……」
「…………」
じーっとルリアンを見る。そういえばと頭をよぎるのは、今フィーが眠っているであろう部屋ヘ行く途中にあった昇降機だ。大方、魔装技師と魔法具技師を混同している人々は少なくないので、それだと確定した。
魔法具技師は、単調な動きをする道具を。魔装技師は、それ以外の複雑な動きをするものが対象になる。どちらも資格も方面も違うのだが、名前が似通っているからか、浸透はしていないらしい。
はあ、とまた明らかにレオはため息を吐いた。ルリアンがやっぱりだめかー、と顔に書いていた。
「いいよ、かわりに何かしてもらうからな。金は――今はいらん」
「えっ、マジで」
「マジだ。……あと、魔装技師と魔道具技師は違うから勉強しておくんだな」
ふん、と見下すような顔を彼に向けた後、レオは吸いかけの煙草を雑に灰皿に突っ込んだ。
柵の上にとんっと乗って背伸びをする。眠ってないし、ひどく疲れることもあったが、多少は休憩できたらしい。