002 エビフライと踊る
――がらんがたん。
馬車が動く音がする。レオとフィーが歩いてきたその遠路――といっても本来は一日で済む――を、シンプルだが安物ではないと分かる程度の装飾を施された馬車が通る。その音が少々大きく耳障りになった頃、レオは少々けだるげに目を開けた。
時間は、10時頃だろうか。太陽の位置を見た後、これもけだるげに身を起こしながら、ポケットの懐中時計も確認した。10時過ぎ、少々寝すぎたようだ。
がらがらと馬車は近づいてくる。次はその音にフィーが目を覚ました。
「えびふらい……?」
「ああそうだな、おはよう」
「……おはよう。レオが起こさなきゃ、エビフライ食べられたのに」
「起こしてねえよ」
酷く酷く不服そうにフィーが唇を尖らせる。本日はエビフライの夢を見ていたそうだ。
町は近い。馬車の音の行先は、おおよそ、その町だろう。
フィーを起こして、自分より先に少女の身なりを直した。少し大きめの赤いフード付きケープは、その翼を隠すのにとてもいい大きさだ。……めくれ上がっていたので、寝ている間はその役目を全うしてくれては居なかったようだが。
童話の少女の姿をしたフィーは、ぱっと立ち上がり、ところどころについた草を叩く。その頭のおだんご、少々不格好になっている。
「レオ、今日も寝癖ひどいね」
「うるせえな、生来のもんだ」
毎朝レオはその酷く癖のつきやすい髪と奮闘していた。それは牧草地帯の柔らかな草のベッドでも、小汚い硬いベッドでもまったく違いなく起きるのだから、レオの髪はひねくれている。
はあ、町に行く前にコレを直すほうが先か。フィーが女の子の嗜みだと欲しがって譲らず、未だお気に入りとして持ち歩いている桃色の手鏡をこちらに向けて、その酷さをレオの目に映した。
「……わかめか」
「今日はわかめだね、わかめスープ」
「スープはねえだろ……」
精々乾燥わかめだから増えるね、とかその辺にしてほしい。レオは嘆息を吐きながら、少しの熱と蒸気を出す櫛を用意して、――……声をかけられた。
「あの、この先の町へ御用の方、でしょうか?」
すっかり意識の外になっていた、馬車だ。
声をかけてきたのはその馬車の、御者台に乗った執事服のエルフだった。少々肌がグレーがかっているので、彼の種族のなかではエルフはエルフでも、ダークエルフと呼ばれる方だろう。
そこでレオはある意味の嫌な予感を感じ取る。この先の町には、執事がいるような場所はひとつしか知らない。……今回の、取引先しか。
「レオ、今回はわかめだね」
「次言ったら菓子抜きだ――、はい、町の屋敷に」
素知らぬ顔をして返事をする。ほんの少し、フィーに語りかけるよりもさっぱりと爽やかそうな声音で。後ろで「ねえ、ごはんは? ごはんは抜きじゃないよね?」と、そちらの心配をする声がするが、聞こえていないふりをして、執事服のダークエルフへ困ったような笑みを向けた。
「ああ、屋敷、ということはお客様ですね。――技師様ですか?」
「やっぱり依頼主様のところですか。すいません、明確な日付を連絡できないもので」
「いえいえ、あのギルドの性質は知った上で、こちらも依頼を出しておりますから……、少々待っていただけますか。主に確認して、よければこの馬車へ」
「――いいですよ、ルシアン。依頼したのはこちら、まさか野営をさせてしまうとは、こちらの不足をお許しくださいませ」
いつの間にか開いていた窓から、薄い金髪の幸薄そうな雰囲気の女性が覗いていた。微笑んでこそいるが、その白すぎる肌色は健康、とは言い難い印象がつく。フィーが小声で「お姫様みたい、きれいな人だね」と呟いていた。
執事のダークエルフ、ルシアンは慌てた様子で御者台を飛び降りる。
「お嬢様、大きい声なんて出して!」
「大丈夫です。……ルシアン、お客様を乗せて差し上げて」
どうみてもワケありだな。レオはわかめのようになった頭を少しだけ掻いた。
「失礼しました。探索ギルドの、レオニード・イスニスです。この子は妹の、フィーディ」
「可愛らしい妹さん、ですね。封書でご存知かもしれませんが、この近辺の領主の、といっても妾の子ですから公的にその肩書はありませんけれど。後ろの話をさておけば、町長の娘、ユーリア・クリーです」
ルシアンの主、幸薄そうな女性――ユーリアは「探索ギルドの方だと、すでに既知かもしれませんね」と継ぎ足しながら、手を差し出してくる。レオはそれに握手して、――手持ち無沙汰そうに足をぷらぷらさせ始めたフィーにもその手が伸びて、フィーがアイコンタクトを一瞬図ってくる。
――していいやつ? 大丈夫?
そう言いたそうな様子なのでだめとも何とも見せなければ、フィーは嬉しそうにその手をとった。
「えっと、ユーリア、さん! きれいだね! わたしのことは、フィーってよんで!」
「……」
すっかり吹っ飛んだらしいのは食い物の話。極端だな、とレオは視線をそらした。もしかしたらため息も溢れたかも知れない。
そのきらきらの目をユーリアはまっすぐ見て、やんわりと微笑んだ。
「ありがとう、ね。リアでいいわ。わたしはこれだから、あまりお友達がいなくてね……、屋敷は男の人ばかりだし、メイドさんは……上下関係、だから交流しづらくて」
これ、と彼女が目を向けたのは、足元だ。一般的な車椅子よりは遥かに良いものであるのはすぐに分かるが、今回はそちらの話ではない。足はあるし、車椅子に座っている事以外、何があるのか。
「先天性マナ欠乏症で、足が動かないの」
「……形があったら、装具はつけられませんよ」
仕事の紹介状にあったのは『魔装義手の依頼』。義手、はどうみても必要そうな様子はないし、何か変な雰囲気を感じながらも、レオは口を閉じた。
先天性マナ欠乏症というのも、変な話だ、とレオは一蹴したい。しかし、世の中は体の各所にマナがあって、それが尽きると機能不全、あるいは死。そういうことになっているのだから、仕方がない。便利な言葉だ、と内心で笑うだけにそれは収めて、促すように視線を移した。
「ええ。……これは、屋敷でお話する、というのはダメかしら」
「いや、構いませんよ。なにぶん、寝起きで色々……色々準備できてないですし」
「町には宿泊施設もあるけれど、今は屋敷は私とさっきの従者、メイドが3人、料理長は近くに住んでるから常に屋敷にはいないから……いち、にい……5人しかいないの。よければ、屋敷で寝泊まりしてもらっても」
「それは助かります。フィーがうるさいので、宿は泊まりづらいんです」
「なにー!」
嘘だけど。それはさておき、フィーはガルル、と今にも噛み付く獣のような顔をしている。お客さんの前でいつもの対応をするわけにも行かないので、どうこうなるまえにその目の前に今度は小さなチョコを出した。
手ごと食いちぎられる前に放り込んで、その様子を眺めていると、ユーリアが微笑みを深めた。
「仲がいいんですね」
「まあ、兄妹なので。年がここまではなれてると、気苦労も耐えませんね」
「……それでも、うらやましいものを感じてしまいます。フィーちゃん、お菓子が好きなのかしら?」
「んく……すき! ごはんもすき!」
「そういえば、ですけど、ご飯まだでしたね。つく頃にはちょうどお昼でしょうから、皆で食べましょう」
「やったー! んとね、クリームパンとね、エビフライとね」
指折り数えて食べ物を言うフィー。それらは、満足行くまで食べさせたあとに欲しがったものが出てきているだけだ。微笑ましげにそれを眺めていたユーリアはフィーへ声をかけた。
「髪も崩れてるわ、わたし、妹が居たならやってみたかったの。……いじってもいいかしら?」
「いいよ! レオもじょうずだけど、たまに痛い!」
というやり取りをして、フィーはすっかり懐いてしまった。まあいいか、たまには。
器用にユーリアはフィーに編み込みを作っていく。そうしながら、ユーリアは次にレオへ興味を持ったようだ。
「探索ギルド……、その言葉、私知らなかったんです」
「まあ、他と違って公的機関じゃないですから。それに、所属者は短絡的に言うなら、盗賊や墓荒らしとか、そんなのが多い。それに、俺だってあそこに一応仕事を受ける窓口とはしてますが、――所属してるとは言えませんからね」
そう答えながら、流れる景色を少しだけ目で追って遊ぶ。ちら、と盗み見たフィーの表情は、それはそれは楽しみそうにうずうずする、といった感じだ。いつのまにかお気に入りの鏡が、がっしと裏返してその手に握られている。……完成までは見ないらしい。
「トレジャーハンター。それができるのなら、戦闘ギルドでいいと聞きました」
「まあ、向こうは公的で、色々割引ありますからね。……言って、俺もどっちが副業で本業か、わかんないんで。……そういう魔装技師と知ってたから、依頼したんでしょう?」
「……ええ、ちょっとの否定もできません。ただ知ってますよ、あなたがとてもとても、腕利きだってことぐらい」
「はは……そこまで買いかぶられると困りますね」
この依頼なにかあるな。単なる興味で聞いているのか、それもわからないが。
それは、依頼の詳細を聞けば分かる話だし、――提示されていた報酬金額からして、ロクでもない仕事の予感がするのは否定できないが。通常もらってる平均金額の、3倍は。
「さあ、できた。フィーちゃん、みてごらん?」
「……! すごく、かわいい! リア、レオよりすごい」
視線を戻せば、目を輝かせて鏡を覗き込むフィー。編み込みで、どうやったのか気になるような髪でできた蝶々リボン。つけ毛のようだが、色的にフィーの地毛で間違いなさそうだ。
「……完敗ですね」
「ふふ、お人形さん遊びで鍛えた腕前です」
ふん、と少々胸を張るユーリアはかなりのドヤ顔だ。少々ついていけずに、乾いた笑いが出そうになる。
「お嬢様、お客様方、町がみえてきました!」
外からルシアンの声がする。この馬車の都合上、中から見える方向ではなかったが、いつの間にか外には畑があった。それを目にしてフィーは窓のガラスにペッタリと顔を張り付かせ、「ご、は、ん……」とうめき声じみた音で喋る。
ユーリアがその様子に耐えかねたように大笑いして、一行は街へ入るのであった。