001 飯盒ご飯はおいしくない
「ねえ、ねーえ! こんなに歩かせるのに、甘い物ひとつないの!?」
「ねえよ、大人しく歩け。お前が次の取引先が遠いって知ってながら、ばくばく食ってるからそうなる」
見渡す限り、あるのは今踏んでいる馬車が通れるような道と、遠くの山の麓の森までまっすぐ見えるような、広い草原地帯だけだ。
酷く不機嫌そうに、鎖帷子のような金属が擦れる音が小さく震える。特に目立った人通りもなく、足元の遠路の整備も最悪。小春日和な日差しは、もう夏を目指しているとばかりに、薄手の黒いスカーフさえも脱がせようと照りつけてくる。後ろから甘い物の注文を叩きつけてきたワガママ小娘は、この程度では暑がらないのを、怪しげな、あるいは少年期にそういう方向へヤサグレたような眼帯とスカーフの男はよくよく知っていた。……纏っている薄いがダボついたロングコートだって、正直言うなら脱いでしまいたい気持ちはある。
はて、前回の取引場所から遠いと言っても、汽車に乗るわけでもないし歩いて移動なのだから、広い広いのどかな魔法国のミーグレヒだということを加味してもそれは十分に近い。遅くても道中一泊程度だ。悲しいかな彼らは貧乏なので、あまり馬車の往来しないような辺鄙な田舎町にタダ乗りできる馬車がなければ、その程度は許容範囲だ。
不機嫌そうな金属音が、その音を大きくしていく。奥歯が浮くようなうるさい音にされる前に、男はもくもく運んでいた足をすっと止め、頭を抱えるようにため息を付いて、……ポケットからトランプカードと同じか、すこし大きい程度の、少々折り目や汚れでぼろっちい紙を出す。角ばった男文字で『にもつ』という言葉と一緒に精巧なレースのような魔法の描かれた、収納魔法のそれだ。もちろん後ろの同行者はそれを知っている。
どうしてやろうか、とその紙を男が眺めていれば、少女は待ちきれんとばかりにその視界へ踊りだしてくる。軽い色合いのブルーベージュの髪を後頭部でおだんごにした、珍しい金と紅の幼くくりんとした双眸をした小学校にさえ入ってないような小娘が低い低い場所でぴょこぴょこ跳ねた。成人男性とその年齢では、気にしなければ視界にも入らないだろうに、その小娘は懸命に跳ねた。
「レオ、レオ! おかし、あまいもの!」
「よだれ溢れてるぞ、フィー」
跳ねるたびにパタパタ動く、少女にはアンバランスな蒸気機関のような雰囲気のあるブロンズ色の、機械の翼を呆れたようにレオは見る。そのまま、演技がかった調子で、レオは悲しげな、哀愁漂う声音をだす。……にやにやしてしまっているので、スカーフを持ち上げて口元を隠したが、あまり意味はないだろう。
「んなにバタバタ動かしてたらエネルギー不足になんぞ。……いいよな、俺と違ってそこらの雑草食っても良いもんな……」
「え、レオ死んじゃうの? いっそ殺す?」
「あー、ハイハイ今のナシな? 余計なこと言ったから、おやつなし確定だからいっそ殺すか?」
「……やだ! 両方! や! だ!」
収納魔法カードをさっとしまって、目線を揃えるように屈む。フィーはすっと姿勢を正した。まだ、何も言ってないのだが。こんどは口元がみえるようにぐい、とそれを引き下げた。
「ハイ、次の取引先は町人じゃねえ。お前を宿にほっぽって仕事にいけねえのは分かるな?」
「勝手に遊びに行っても、覚えられちゃうから、です!」
「んじゃ次、今回は翼を隠せるようなお前が好きな服買ったよな? 人のふりできるな?」
「フィー、いいこだからできる! 演技派、だから!」
「んで俺のことは?」
「お兄ちゃん!」
「……よくできました」
レオは粗雑に服の内ポケットを漁り、立ち上がりながらぽいっとレオの左目とフィーの右目と同じような色をした、赤い赤い小袋の飴玉を放り投げた。少々遠目に放ったが、ボール遊びされる飼い犬のように、フィーはそれを回収してすぐに斜め後ろに追いついた。犬と違うとすれば、走って取りにいったのではなく、飛行していたことぐらいだろう。
金属音を鳴らすことなく、フィーは上機嫌にしばらくついてくることだろう。そう、その飴玉の在庫がなくなるのまでは、予想できずに。
すっかり夜になった。悲しいことに、町に多少なり近づいたからかぽつぽつ影のようになった街路樹があるだけで、そのさきにあるだろう街明かりはこれっぽっちも見えない。フィーに偵察をさせたが、ちょこちょこあった妨害の所為で、ただの人間の足には遠いようだ。……誰の妨害かは言わずとも知れそうだが。
適当に落ちていた枝を回収して焚き火を作る。収納から出した調理器具で雑な食事を終えて、レオはきれいだとは思えど些か見飽きた満天の星空を眺めた。今日は、満月ではないようだ。丁度3日後くらいにそうなりそうな月。
「くりーむぱん……」
「さっきメシ食ったろ」
フィーがどことなく眠そうな様子で、月をそう形容した。……わからなくもないが。
並んでいたレオがばふっ、なんて草を押しつぶす音をたてながら倒れるように寝転ぶと、つられるようにフィーも倒れた。昔は翼のことを認識できておらず、同じようなことをして、痛がっていたのを思い出し、レオは少しだけ笑った。
そんなことつゆ知らず、フィーはくるんと猫のように丸くなる。
「さすがに飯盒ご飯だけじゃ無理……」
「寝りゃいいだろ……」
「……くりーむ、ぱん……」
もぞもぞとフィーは手を伸ばし、レオの腕を引っ張って移動させ、枕にする。添い寝すると毎度のことなのでレオはそれを放っておきながら、片手を自分の眼帯へ伸ばす。少しだけ浮かせて、その中の血色はフィーを映して――、眼帯を戻して、レオはため息を吐き出した。
「……タバコ吸いてえな……」
何も見えなかった。その意味を、レオはよく知っている。