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初恋実験室

作者: 青砥英世




「この実習ではまれに停学者が出る事があります。君達はそうならないよう十分気をつけて下さい」




 鮎川七海の実習前夜


「明日からどうしよう……」

「だから、大丈夫だって。七海は実験が得意でしょ? 科学部の部長だったわけだし」

 私は明日から始まる生物学の実験実習が不安で仕方がなかった。

 夕飯をたべた後、不安が抑えられなかった私は、少しでも私の気持ちを聞いて欲しくて、愛美に電話した。

「違うの、実験は簡単なの。でも、男子と一緒にやるのなんて初めてだし、私どうしたらいいか」

 そう、問題は実験の内容ではなく、明日から一ヶ月間一緒に実験をする男子とどのように接したら良いかわからない事なのだ。

「七海さぁ、たかが男子だよ?」

「私にとってたかが男子じゃないの。だって、お父さん以外の男の人と話をするのが六年ぶりだよ」

 はぁ……。

 受話器ごしに愛美の呆れたようなため息が聞こえた気がした。

「六年ぶりかもしれないけど、男子って言っても同じ人間なわけだし、宇宙人とかじゃないからさ」

 中高一貫の女子校(家から徒歩五分)に通っていた私は小学校を卒業してから、男子と接する事がほとんどなかった。会話をする事もなければ、目にする機会もない。男の人といえばお父さんか親戚のおじさん。それ以外で目にする男性と言ったら、コンビニや本屋の店員さんくらいだった。

「どうやって話をすればいいの?」

「そんなに意識する事ないって。普通に話をして、普通に実験すればいいじゃない」

「普通って?」

「だから、私と話しているみたいに話をして、高校の時みたいにビシッと実験を仕切れば良いって事」

「えー、無理だよ。だってさ……」

 このようなうじうじとしたやり取りが一時間くらい続いた後、愛美はちょっと用事を思い出したと言って電話が切れた。私の気持ちは聞いてもらえたものの、明日への不安は全く解消される事はなく、結局眠りについたのが二時を過ぎていた。




 鮎川七海の実習初日


「鮎川さん、よろしく」

「あっ、相田君。よろしくお願いします」

 実習開始の三十分前から実験室に入り、自分の席で今日の準備をしながら、初めての男子を受け入れるために、気持ちを落ち着けていた私に相田君は挨拶をしてきた。返事はしたものの、ちゃんと相手の顔を見るのも恥ずかしく、今日の実習の内容が書かれているノートを慌てて開いて目をそらした。

 実際のところ、ノートは見つつも、相田君の顔を何度かチラ見したり、うつむいていても右横に見える捲り上げた白衣からでたちょっと日焼けして逞しい腕をみたりして、実験の事なんて何一つ考えていなかった。

 今日の実験の内容よりも六年ぶりに間近で見える男子の生態の方が興味深く、顕微鏡を覗いて細胞を観察するより、彼の一挙手一投足を観察していたい気持ちになってくる。

「鮎川さん、言っておくけど……」

 相田君の声にハッとして、いろいろと広がった妄想を急いで頭の隅に押し込んだ。

「えっ!? 何?」

 まだ、会ったばかりなのに何か言われる事なんてあっただろうか。それとも、私が変な事を考えている事に気づかれたのだろうか、それとも何か私に変なところがあったのだろうか。急に冷や汗が出てきた。

「俺、実験のやりかた全然わかんねぇ」

「えっ?」

 予想外の言葉に私の動きが止まった。

 今回の実験がすごく簡単なものなのに、やり方がわからないなんて……。

 特に今日の実験はこれから難しい実験に進むための練習のようなもので、初回にしても随分簡単だなぁと思ったくらいだ。

「俺さ、高校のとき野球しかやってこなかったし、化学と物理を選択していたから生物の授業は受けてないんだ。それに、実験とかあんまりちゃんとやってこなくてさ。昨日、ずっとこの実習書読んでいたけど、やっぱりぜんぜんダメだわ。すまん」

 両手を合わせて私に拝むように謝ってきた。

 私は「う、うん」と言って、小さくうなづいた。

 同じ大学で同じ学部でも、いろいろな学生がいるものだ。命を扱う薬学生といえど、全員が生物を勉強してこなかったり、実験の手順がよくわからなかったりする。

 でも、名門と言われる野口大学に入学してくるのであれば、このレベルくらい出来て欲しいなぁ、なんて思っていたら相田君が実習書とともに高校の生物の教科書、生物学の辞典、実験の参考書など、次々と机の上に出し、今日の手順を確認し始めた。

「その実習書……」

 私の声は小さすぎて彼には聞こえなかったのかもしれない。それとも相田君が今日の予習に集中していたからかもしれない。彼はこちらを振り向きもせず、びっしりとメモがされた実習書を読み始めた。

 実習書に書かれたメモを盗み見ると、DNAが何かとか、使う溶液がどんなものなのか、という基本的事柄を説明したものや、どうしたら良い結果にたどり着けるかという予想まで書かれていて、一生懸命予習してきた事が一目でわかった。

 それなのに私は実習を低レベルなんて馬鹿にしたり、それがわからないと言った相田君の事も馬鹿にしてしまっていた。

 私は心の底から自分の考えていた事を反省し、一つ心に決めた。

「相田君、実験は私に任せて。高校では科学部の部長やっていたの。だから、これくらいの実験は楽勝だから。もし、分からない事があったらなんでも聞いてね」

 少しずり下がってきていたメガネを人差し指で直して言った。

 気持ちを実験に切り替えると、元科学部部長としての自信がみなぎってきて、実験初心者であろうが、六年ぶりの男子だろうが、なんでも来いという気持ちになっていた。




 相田大地の実習前夜


 俺は大学に入学して、絶望していた。

 大学の講義に全然ついていけなかったのだ。特に生物系は悲惨だ。

 高校では化学と物理を専攻していたから、生物はまったく勉強してこなかった。

 大学で講師が話す単語の意味さえわからない。DNAやRNAがどうのこうのって言われても、そもそもその意味が全然わからないので、減数分裂や体細胞分裂の話をされても、わかるわけがない。

 俺は野口大学薬学部に、推薦入試で合格した。

 定期試験だけは真面目にやり、部活でも野球部のエースピッチャーとして甲子園に出場する事ができた。甲子園では肩を壊して大量に打ち込まれ一回戦で負けてしまったけれど、甲子園出場は入試では評価してもらえたようだ。

 推薦を受けられる大学もいろいろあったけれど、野口大学は野口英世に関係してる大学で、小さいころ伝記を読んで、野口英世を心の底から尊敬していた俺は迷わず野口大学を選んだ。

 合格が決まってから聞いた話だけど、俺が普通に勉強してたら、絶対に受からないレベルの大学らしい。そういう事は早く教えて欲しいものだと今になって思う。早くに教えてくれていれば、こんなに絶望する事はなかったはずだ。

 しかし、入学してしまったからにはやるしかない。

 俺は大学生になって初めての日曜日に、入学式で友達になった優一にカラオケに誘われたのを断ってまで、明日から始まる実験に備えて予習してはいるのだが、さっぱり進んでいない。

 朝九時から始めたのだが、知らない言葉を見つけては生物学辞典で調べ、さらに辞典に書かれている言葉もわからないからまた調べて、それを繰り返していたらついに日が暮れてしまった。

 このままでは明日、実験が終わららないのでははないかと思ってくる。

 もし、終わらないと家に帰れないのだろうか。そうなると実験室に泊まりか。いや、それとも留年か。

 思考がどんどん悪い方に向かっていく。

 そういえば、実験は二人一組でやると実習書に書いてある事を思い出した。一人なら絶対に無理だけれど、ここは相方に頼るしかない。

 そう思って、俺の相方を探すべく、実習書の班割りが書いてあるページをめくった。

 俺のペアは……。鮎川七海。

 女子! まじか…。

 男子のほうが気楽でよかった。しかし、薬学部の半分以上は女子なので、女子がペアになる事は確率的には半分以上だから、当たり前ではある。

 もし、鮎川が俺の姉ちゃんみたいにキツイ性格で、わからない事を聞いたりしたらこんな事も知らないのかと罵倒してきたり、実験でミスをしたら冷ややかな目つきで睨んできたりしないだろうか。

 さらに不安な要素が追加されてしまった。

 しかし、悩んでいても解決する問題ではない。ここは潔く頭を下げ、どんな罵声を浴びても、たとえハイヒールで踏んづけられたとしても、単位のためにはやり抜くしかない。

 ここは野球部で培った我慢強さを見せつけてやろうじゃないか。

 ふと時計を見るともう二十三時を過ぎていたので実習書や書籍を片付けて休む事にした。



 

 相田大地の実習初日

 翌日、実験室に入る前に入り口で自分の席を探した。鮎川がどんな女子かをあらかじめ確認するためだ。

 入り口から見える俺の隣の席にはすでに鮎川が実験の準備をしていた。

 その姿は想像していた高身長で気の強い俺の姉ちゃんのような体型ではなく、小柄な女子でちょこまかと動いている。

 とりあえず蹴っ飛ばされそうな雰囲気はなさそうだ。

 次の問題は俺の無知を許してもらえるかどうかだ。

 俺は自分の席に着いて参考書等を出した後、恐る恐る鮎川に頭を下げた。すると鮎川は「私に任せて」と言ってくれた。

 その言葉だけでも、ありがたい事なのだけれど、昨日調べてもよくわからなかった部分を鮎川に聞いてみると、俺にもわかる言葉でわかりやすく噛み砕いて教えてくれた。

「鮎川、お前すげぇな」

 鮎川の知識の深さ、説明の上手さに感動した俺はつい言葉を漏らしてしまった。

「これくらい普通じゃないかな」

 ちょっと頭をかきつつも、テキパキと実験を進めていった。

 そして実験終盤になり、あとはデータをまとめて先生に提出しようかという時に、突然山田教授が実験室に入ってきた。

 山田教授はこの野口大学薬学部の学部長を務めている偉い人で、講義に出る事はない。それがわざわざこの実験室まで来るなんて普通ではありえない。

 俺と鮎川を含め、実験室にいる学生全員が、いったいこれから何が起こるのかとざわつき始めた。

 山田教授は実験室の黒板の前に立ち、マイクを取った。

「えー、学部長の山田です。遅くなりましたがみなさんに伝えなければいけない事がありまして、ここに来ました。この実習ではまれに停学になる者がいます。君達はそうならないよう十分気をつけるように」

 停学という言葉にざわつきが大きくなる。

 せっかく野口大学に入学したのに、実習で停学。そんな事が本当にありえるのだろうか。

 山田教授はあたりを気にせず言葉を続けた。

「実験に大切な事があります。『自主性・協調性』、『安全性』、そして『誠実性』。この三つを決して忘れないように。良い実習になる事を期待しています。それでは、失礼する」

 山田教授は言い終えると、ゆっくりと実験室を出て行った。

 しばらくの間、誰もが作業の手を止め呆然としていた。

「おい、まじかよ」

「停学……」

 俺と鮎川は驚いて、顔を見合わせた。

「なぁ、鮎川。なんで停学くらう事があるんだ? この実験ってやっぱり難しいのか?」

「ううん、実験は難しくない。でも停学になる事があるなんて、どうしてだろう」

「俺、大丈夫かな……」

 鮎川におんぶに抱っこの俺は実験に大切な「自主性」が足りないのではないか、もし薬品をこぼしたりなどしたら「安全性」を問われて停学になってしまうのではないか、真面目に実験をやらなければ「誠実性」が問われてしまうのではないだろうか、と不安要素が次々と思い浮かぶ。

「相田君は大丈夫。私が付いているもの」

「お、おぅ」

 不安そうな俺を察したのか、鮎川は俺の不安を一気に吹き飛ばすような言葉をかけてくれれた。やはり、鮎川は俺にとって神様だ。鮎川を信じて実験を続ければ良い。そうすれば、きっと大丈夫だ。思い直した俺は次に何をしたら良いか鮎川に尋ね、言われた通りに手順をこなしていった。


「終わった。さて、バイトいかなきゃ」

 そう言ったのは、向かいに座っている上田麗華だった。

 上田麗華は腕時計を一瞥して、ブランドのバッグとレポートを手に講師の元に向かっていった。すぐに隣に座っていたペアの井原雅史もレポートが終わった様子で後を追っていく。

「あいつら、早いな」

「そうだね」

 鮎川は周りを気にする様子もなく、淡々と手順をこなしていく。

「悪いな、俺のせいで遅くなって」

「ううん、気にしないで。それに、ひとはひと。うちはうち。だから、焦らずやっていこう」

 実験が遅くなっているのは、俺の手際が悪い事に加えて、分からない事を鮎川に教わりながら進めているからだ。それなのに、鮎川は文句一つ言わず、むしろにこやかに楽しんでいるかのようだから不思議だ。頭が良いに加えて、ここまで人が良い女子なんて今まで見た事がない。

 

「相田君、レポートできた?」

 俺のレポートが書き終わる頃には、実験室に残されたのは俺たち二人と担当講師だけであった。

「鮎川はもうできたのか?」

「うん、終わった。ちょっと見せて」

「おう」

 俺は完成したレポートを鮎川に渡した。それを見て鮎川は自分の鉛筆でコメントを記入していく。

「ここをこういう風に直すと、もっと良くなるよ」

 自分なりに完璧だと思ったレポートも鮎川の目にはまだまだだったらしい。コメントは誤字脱字や文章表現、追記すべき内容等、約十箇所あった。指摘された箇所はまったく鮎川の言う通りであったので、書かれた通りに直し、再度鮎川に見せた。

「すごく良いね。これで大丈夫だと思う」

「やっぱり、レポートの内容って大事なのか?」

「もちろん! これを見て先生は採点するから。これが適当だとちゃんと実験をしていても適当にやっていたと思われちゃうの。そしたら、実験の苦労も意味がないものになっちゃうでしょう?」

「そうだな」

 俺は大きく頷いた。

「じゃぁ、提出に行くか」

 レポートを手に講師の元へ向かった。その時、鮎川のレポートを覗き見たら、ありえないくらい小さな文字でびっしりとレポートが記載されていた。さすがにあのレベルは俺には無理だと思った。俺もいつかは鮎川のレベルに達する事ができるのだろうか。

 レポートを講師に提出すると、

「遅くまでご苦労様」

 と、講師は言い大きなあくびをしながらレポートを預かった。

 そして、俺たちはその講師と一緒に部屋の電気を消したり、カーテンを閉めたりした後退出した。

 外は真っ暗になっていて、腕時計を見るともう八時だった。

「なぁ、鮎川。腹減ったな。何か食べて帰らないか? 今日はおごるぜ」

「おごってくれるの? じゃぁ、お言葉に甘えちゃおうかな」

 俺たちは同じ駅を利用していたことがわかったので、駅中にある立ち食いそば屋に向かった。小遣いにそれほどの余裕がない俺は立ち食いそばくらいしかおごれなかったけれど、鮎川は嬉しそうにそれを食べていた。聞いてみると、立ち食いそばは生まれて初めてらしい。

 そこで鮎川の科学部でやってきた実験の失敗談を聞いたり、俺の野球部で不条理な練習に耐えつつも、試合では活躍した話をして盛り上がった。

 そして、食べ終わる頃には今日の井原・上田ペアがどうしてあんなに実験が早かったのかという話題になった。

「あの二人、過去レポ使っていると思うよ」

「過去レポ?」

「去年の実験のレポート。大学の実験の内容って毎年変わるものじゃないの。先生も毎年変えていたら大変でしょ?」

「まぁ、そうだな」

「だから、過去のレポートが出回っていて、それを参考にしながら実験を進めていると思うの」

「なるほど、ってことは結果もレポートみればわかっていたって事か。だから、すぐに終わった」

「そういう事。でも、私はそれ好きじゃない」

「なんで?」

「なんか、ズルしている気がしない?」

「まぁな……」

「それに、結果が分かっている実験ってつまらないと思うの。私、実験が大好きなんだけど、それは結果がわからないから。時として思った結果にならない事もあるし、その原因を究明する事が面白いの。だから、結果はなるべくわからないほうが良いし、失敗しても良いって思ってる。だから、過去レポなんて使おうと思わない」

「クイズの答えがわかっていると解く気がしない、みたいなもんか?」

「まぁ、そんなところ」

 鮎川は小さなプラスチックコップに注がれた水をぐいっと飲み干して、俺の顔をじっと見つめた。

「相田君、私ね、女子高育ちだから男子と話をした事がなかったの。だから、緊張してどうなる事かと思ってたいけど、案外大丈夫なものだね」

 鮎川はそういうとニッコリと笑った。

 俺は共学だから女子と話す事には慣れていたけれど、世の中にはそういう人もいるのだ。

 思い返せば、最初に隣に座ったときにはちょっと挙動不審にも見えたけれど、こういう理由なら納得がいった。

「でも、相田君だから緊張しなかったのかもしれない。これからも実験よろしくね」

「おぅ、こちらこそよろしく。ってか、頭を下げるのはいろいろ教えてもらっている俺の方だけどな」

 あははと笑って俺たちは立ち食いそば屋を出た。




 鮎川七海の休日

 

「ねぇ、七海は相田君の事どう思っているの?」

「誠実な人だと思っているよ」

 私と愛美は最寄り駅の商店街の路地裏にある一階が花屋さんで二階にカフェのあるお店でスコーンを食べながらカフェラテを飲み、のんびりとした休日を満喫していた。こういう時の話題は恋愛と相場が決まっている。

 私は気持ちを知られる事がちょっと恥ずかしいと思いつつも、相田君の事を語りたい気分だった。

「相田君は実習の予習をすごくちゃんとやってくる人なの。わからないところは全部調べてくるし、それでもわからないところは私に聞いてきて、わからない事をわからないままにしておかない人。それに、この前教えてもらったんだけど、甲子園に行ったんだって。それってすごくない? 甲子園って全国ってことでしょう? 全国レベルの大会に出場する事ってすごいと思うの。やっぱり、一生懸命練習したみたいで……」

「わかった、わかった」

 愛美は私の止まらない相田君の話を右手を上げて制止する。

 いけない、ついつい喋りすぎてしまった。

「七海は相田君の事大好きなんだね」

「えっ……」

 愛美の言葉に絶句してしまった。

「好きなら、告っちゃいなよ」

 私が返事を出来ないでいると、愛美の中で私が相田君の事を好きという事が確定してしまったらしい。でも、好きか嫌いかと聞かれたら好きなわけで。

「えー、だめ。それはできないよ。今まで築き上げてきた関係が崩れてしまったら嫌だし」

「たしかにずっとこの関係でいれたらいいかもしれないよ。それに、上田さんって子わかる? 愛美と同じクラスだと思うんだけど、どうも相田君の事狙ってるみたいよ」

「えっ? あの上田麗華さん?」

「そう、あの上田さん。噂だとね、相田君が甲子園に出場したとき、相田君の高校にチアがなかったら上田さん達の高校が応援しに行ったらしいよ。だから、面識があるみたい。もしかしたら、その頃から狙っていたのかも」

 愛美はズズーッとアイスコーヒーをすすった。

 大学構内でも上田さんと相田君が二人で並んで歩いているのを見た事がある。後ろから見てても、ちょっとお似合いだなぁなんて思った。少なくとも、身長150センチにも満たない私と歩くよりは背の高い上田さんの方が隣にいてもバランスが取れているように思える。

「それに、今回の実験も来週で終わるでしょ? 次の実験では違うペアになるの。つまり、違う女子と一緒に実験をすることになる。もし、そこで相田君が上田さんじゃなくても、別の女子と恋が始まっちゃったらどうするの? それこそこの関係は続かなくなるのよ」

 そんな事考えもしなかった。

 相田君が私とずっと一緒に実験のペアを組んでくれると思っていたけど、それはもうすぐ終わるのだ。私がクラスで一番地味だから、他の女子は全員私より魅力的だと言っても良いくらいだ。

「わかった、私告白する」

「うん、きっと大丈夫だから。頑張って」

 愛美は私の両手をぎゅっと握り応援してくれた。根拠はないけれど、愛美の言う通り大丈夫な気がした。

「じゃぁ、これから買い物行こうか」

「愛美はもう買ったんじゃないの?」

「七海の勝負服を買いにいくの」

「そっか。この服じゃちょっとね」

 高校時代から履いているジーンズにパーカーではちょっと女子力が足りない気がしてきた。

「じゃぁ、行こっか」

 愛美に連れられて何店舗か洋服屋さんを回った。愛美にたくさん試着させられた。今まで着た事のないような胸元の開いたニットや足が全部みえてしまうようなジーンズのショートパンツ、逆に良いという理由で野球のユニフォームのようなスポーティな服も試着してみたが、結局は花柄のワンピースに黄色のカーディガンという女の子らしい服装に落ち着いて、少し安心した。

「じゃぁ、これで勝負ができるね」

「うん、決戦は金曜日」

 相田君とこれからも一緒にいたい、ほかの人よりも少し特別でいたい。

 告白するなら実験の最終日、すべてが終わる金曜日だ。


 


 鮎川七海の実習最終日


 私はその日気合が入っていた。

 いつものフチなしメガネからたまにしかつけないコンタクトにして、愛美に選んでもらった花柄ワンピースに黄色いカーディガンを羽織った。さすがに生足をみられるのは恥ずかしかったのでストッキングを履いたけれど、久しぶりのスカートは足元がスースーして落ち着かなかった。

 決戦の場所に向かう道でだんだんと心拍数が高まってくる。それを抑えようと何度か深呼吸してから実験室へ向かった。すると、相田君がすでにいつもの席に座っていて、その横に私も腰をかけた。

「相田君、今日もよろしくね」

なるべく普段とは変わらない雰囲気を装って相田君に挨拶した。

「おう、鮎川」

 相田君は私の方を向いて笑顔をくれた。この笑顔に胸が苦しくなってしまうのは、私が相田君に特別な思いを寄せている証拠なのだろう。この笑顔を逃さないように、今日は頑張って思いを伝えなければいけない。

 先ほど深呼吸で抑えた心拍数も距離が近くなったせいでまだ上がってきてしまった。正直このままだと実験どころではなくなってしまう。実験をきちんと終わらせなければ、告白する事もできないのでまずは実験に集中だ。

「鮎川、今日の実験なんだけどさ……」

 相田君が実習書を広げて、私に質問をしてきた。これも今日で終わり。少し感傷に浸っていると同じテーブルの上島さんが大きな声で私に話しかけてきた。

「ねぇねぇ、ずっと気になってたんだけど、二人仲良いよね。付き合ってるの?」

「つ、付き合ってないよ!」

 私は慌てて否定した。勢い余って椅子から立ち上がったため、椅子がガタンと音を立てて倒れた。

 周囲を見回すと、一瞬時間が止まったように私を見ている。上島さんは私のリアクションを冷ややかに見ていた。

「まぁ、座れよ」

 相田君が倒れた椅子を直してくれて、私はそれに座った。

「今日の実験のこの部分なんだけどさ……」

 相田君は冷静だった。付き合っているかと聞かれた事なんてなかったように、いつも通り今日の実験の内容の打ち合わせを始めた。相田君のおかげで、実験が始まる前に冷静さを取り戻す事ができたけれど、上田さんの視線はずっとこちらを向いているようで気になって仕方がなかった。

「それでは、最後の実験です」

 定刻となり、今日の担当講師の先生が実験について説明を始める。

 今回の実験は最後とは思えないほど簡単なものだった。

 酸化還元滴定といって、与えられた薬ビンに入っている溶液のpHを当てるというものだった。

「今回の実験では精度を求めます。自分たちがこれで良いと思うところでレポートを提出してください。そのためには何度やり直していただいて結構です。それでは、実験を開始してください」

 講師の話が終わると相田君はこちらを向いて、「最後、がんばろうな」と、言ってくれた。私はそれに小さく頷いて答えた。

 

 一回目の実験では予想していたpHを大きく外れてしまった。まぁ、最初だからと思って気を取り直し始めからやり直しだ。

 しかし、二回目の実験も一回目とほとんと同じpHになってしまった。

 二回も同じ失敗を繰り返してしまうなんて何だか違和感を覚える。

 二回目の実験終了のタイミングで、相田君がちょっとトイレに行った。その席を外した直後、上島さんが私に話しかけてきた。

「ねぇ、今日どうしちゃったの? あなたがワンピースなんて珍しいじゃない」

「私もたまにはワンピースくらい着ます」

「色気づいちゃったの?」

「別にそういう事じゃありません」

「やめておきなさいよ。あなたと相田君は似合わないわ」

 私はムッとして言い返してやろうと思った。汚い言葉が喉元まで出そうだったけれど、もし相田君に聞かれてしまったらいけないと思い直し、言葉を飲み込んだ。

「それに、こんな実験いつまでやっているつもりなの? 私たちもう終わったわよ」

「えっ!?」

 今回の実験で求められている精度がこんな短時間で出るなんて事はありえない。

「バイバイ、のろまでダサい鮎川さん」

 そういうと、上島麗華はレポートを提出して実験室を去っていった。それと入れ替わりに相田君が戻ってきた。

「ごめんごめん、遅くなった」

「う、うん」

「どうした? 何かあったのか?」

「ううん、別に。実験再開しよう」

 相田君が戻ってきてなんとか気持ちを切り替える事ができたが、上島さんがどうして意地悪な事を言ってくるのか、そして実験がどうしてあれほど早く終わったのか、理由がわからず困惑していた。

「どうした? もう一回やろうぜ」

「う、うん……」


 そして、実験は三回目。

「ダメだな」

「うん」

 今回のpHも想定した範囲に収まらない。何かがおかしい。それはわかるのだけれど、おかしい原因がわからなかった。

 周りを見渡すと他の学生は誰も残っておらず、時計は19時を指していた。

「ちょっと一回休憩しようか」

「うん」

 私たちは講師に一旦退出する旨を伝え実験室をでて、トイレに向かった。トイレから実験室にもどると相田君はまだ戻ってきていなかった。

 実験が三回も失敗するという事は決定的な間違いがあるはずだ。それを見抜かない限りこの実験は成功しない。

 実験手順は最初から一つ一つ確認した。しかし間違いはない。

 実験器具や使用している薬液をもう一度見返す。実験器具も清潔に扱っていて誤差が出るような事はない。そして使用している薬液もラベルをきちんと見て使用しているから、取り違えている事はない。

「あれ? ちょっと待って」

 薬液のビンをじっと見つめてみると、ラベルが二重に張ってある。久しぶりにつけたコンタクトレンズのせいかもしれないと思って、薬ビンを手に取り目の高さまで上げ、じっと目を凝らして見てみた。

 その時、私の頬に冷たいものが触れた。

「きゃあ!」

 私は驚いて手に持っていた薬ビンを放り出してしまった。

 放り出された薬ビンを落とすまいと手を出すも、うまく薬ビンをキャッチできずビンを跳ねあげてしまい蓋がはずれた。そして、中の液体が飛び散り私の顔にかかった後、薬ビンはゴトンと地面に落ちた。

 頰に触れた冷たいものは何だったのだろうと思い、後ろを振り返るとジュースの缶を持った相田君が立っていた。

 私を驚かそうとして、頬にジュースの缶を当てたのだとすぐに理解した。

 でも、本当はそれどころじゃなかった。

「やべぇ!」

 相田君は水道の蛇口を最大までひねり、水道のホースを私に向けて勢い良く水をかけた。

「なんだ、どうしたんだ」

 さっきまで居眠りしていた講師が何事かと飛び起きて、私たちのところに急いで駆け寄ってきた。

「薬液こぼしちゃって。鮎川、顔洗え。早く!」

 私は相田君に言われた通り水道で顔を洗うように水で流した。

 告白するために気合を入れて時間をかけたお化粧も流されてしまったと思う。ひどい顔になってしまっていると思う。でも、お化粧の事なんて気にしている場合じゃない。だって、薬液は水酸化ナトリウムだから。強塩基の薬液で皮膚に触れると赤くなったり、最悪の場合痕なる事もある。だから、もし顔や皮膚にかかってしまった場合、急いで流水で流さなければならない。

 水道に顔を突っ込む形で大量の流水で洗い流したあと顔を上げると、相田君がハンカチを出してくれたのでそれで顔を拭かせてもらった。

「先生、医務室まだやってますか?」

「大丈夫だ」

「ちょっと、連れて行きます」

「わかった、医務室の先生には俺から連絡しておく」

 私は顔も十分に拭けていないまま相田君に右腕を引かれて、医務室に向かった。

 情けない……。

 流水は拭き取れたけれど、その後涙が出てきてしまった。それもハンカチでバレないようにこっそり拭った。

 高校では科学部の部長で実験は大得意だったというのに、こんな簡単な実験を最後まで成功できず、しかも薬品の扱いを間違えて自分にかけてしまうなんて。


 大学の事務室の隣に医務室はあり、ドアを開けると高校の保健室のような場所で、目の前には白衣の女の先生が立っていた。

 いつか噂で聞いた美人で医師の資格を持つ薬品製造教室の助教授の鳥居先生だ。

「あなたたちの事は先生から電話で聞いているわ。とりあえず、こちらへ来なさい」

 先生は私をベッドに座らせ、カーテンを閉めると目や顔、胸など薬品のかかった部位を観察していった。

「大丈夫ね。問題ないわ」

 先生がそう言うとカーテンの外から「よかった」と安堵の声が聞こえた。

「ところで、あなた着替えはあるの?」

 私のびしょびしょのワンピースを見て先生は言った。

「俺、ちょっと買ってきます」

 カーテンの外からその声が聞こえた瞬間ドアが開く音がして、相田君はどこかへ行ったようだ。

「服は彼がどうにかしてくれるみたいね」

「はい……」

 先生は私の目や皮膚を再度確認するかのように見直した。

「これなら痕には残らないと思うわ」

「はい、彼が適切な処理をしてくれたので」

「そうね」

 あの時自分は驚いてぼーっとしてしまっていた。あのままだったら痕に残っていたかもしれない。

「じゃあ、私は自分の研究室に戻るわね。ちょっと今実験が大事なところだったのよ。医務室は後で閉めにくるから、開けたままでいいわ」

 そう言うと足早に女の先生は医務室を出て行った。


 私はしばらくの間一人でベッドの上に座っていた。

 一人になって冷静になってみると、あの時感じた違和感を思い出す。

 水酸化ナトリウムのラベルがどうして二重に貼ってあったのだろう。貼り間違えたからその上から貼ったのだろうか。

 それに、液体がかかった後、皮膚が溶けたような独特のぬるぬるする感じがなかった。それは相田君が水をかけてくれたからかもしれないけれど……。

「鮎川、おまたせ!」

 バタンと大きな音を立ててドアが開いた。

「まだ売店やってたよ。とりあえずトレーナーと……。俺のハーフパンツでもいいか?」

 相田君は売店で買ってきたのか、大学のロゴいりトレーナーとテニスサークルの時に使っているものか、ブルーのハーフパンツを私に差し出した。

「ごめんな、これしかなくて」

「ううん、大丈夫。ちょっと着替えるから待ってて」

 私はありがたくそれを受けとりカーテンを閉めた。

「鮎川、マジでごめんな。俺が驚かそうとしなければ……」

「ううん、私の薬品の取り扱いが間違っていただけ。薬ビンは高くにあげたらいけないの。落とした時周りに溢れるから。こんな基本的な事も出来てなかった私が悪いの」

 私はワンピースを脱いで下着姿になる。下着もうっすらと濡れていたけれど取り替えはあるはずもなく、そのまま上からトレーナーを着た。トレーナーは濡れた下着の上からでも十分暖かかった。そして相田君が貸してくれたハーフパンツはちょっと変わった匂い、たぶん相田君の匂いがして、随分と大きかったけれどウエストに紐が付いていたので、きつく引っ張るとずり落ちずに済んだ。

「もし、顔に跡が残ったりしたら……」

「それは大丈夫だと思うの、先生も大丈夫だって言ってたし。それにね……」

「その時は俺、責任とるよ」

 カーテンを開けると真顔で私をじっと見つめている相田君がいた。




 相田大地の実習最終日


 俺は最低の事をしてしまった。

 鮎川を驚かそうとジュースを頬につけたら、驚いて薬品が鮎川の顔にこぼれてしまった。

薬品は水酸化ナトリウム。皮膚にかかると赤くなったり、最悪の場合跡が残る。

 今まで実験で世話になった恩を仇で返すという結果になってしまった。もし顔に跡が残ったりしたら、鮎川は嫁にいけなくなるかもしれない。そうなったら、俺が責任をとるしかない。

「鮎川、本当にごめん」

 カーテンが開くと鮎川のいつも通りの笑顔があった。

 顔をまじまじとみたが、今の所赤いところや跡になっているようなところはなさそうだ。

「本当に大丈夫なのか?」

「うん、大丈夫。なんで大丈夫かは後で説明するね。それと、着替えありがとう。あったかいね」

 俺の体育の時に使っているハーフパンツは鮎川にはブカブカ長ズボンのようだ。買ってきたトレーナーもサイズを間違えたのか、袖口から指先しか出てこないくらい大きかった。

「じゃぁ、実験室に戻ろうか」

「おう」

 鮎川がベッドから降りて、実験室に戻る後をゆっくりとついて行った。

「ねぇ、相田君。どうして私が大丈夫なのか、わかる?」

「すぐに水をかけたからか?」

「もちろん、それもあるんだけど。多分水をかけなくても大丈夫だったんだ。それに実験がうまくいかなかった理由もわかったの」

 俺には全くわからなかった。水酸化ナトリウムがかかったらダメに決まっているし、実験がうまくいかなかった理由はまったく突き止めていない。俺の手技以外に悪い事があったのだろうか。

「実はね、あの薬ビンに入っていた液体は実習書に書かれた通りの水酸化ナトリウムじゃなかったの。多分、入っていたのは水か、他の液体。水酸化ナトリウムだとしても、もっともっと薄めたもの。だから私はかかっても何ともなかったし、先生も妙に落ち着いていた。それにね、薬ビンにラベルが二重に張ってあったの。多分、あれを剥がすと本当の液体がわかると思う」

「そうか……。俺、全然気づかなかった。でも、どうして、誰がそんな事?」

「それは、わからない」

 実験室に戻った私たちは講師の先生に声をかけ、一度テーブルに戻った。

 そして、問題の薬ビンのラベルを剥がしてみた。

 H2O

 剥がしたラベルの下には水のラベルが貼ってあった。

「こういうことか」

 俺たちは一度顔を見合わせた後、この薬ビンを持って講師の元へ向かった。

「俺たちの実験は成功不可能です」

 ドンと薬ビンを目の前に提出し言い放った。

「先生、これはどういう事でしょうか?」

「そんな顔で俺を見るなよ。俺だって頼まれてやってるんだ」

「誰にですか?」

「それは言う事ができない。俺もサラリーマンだからね。それにこれくらいの事は普通に実験やっていれば誰でもすぐに気づけるものだけどね」

 講師は悪びれる様子もなく、薬ビンを手にとって見つめている。

「私、納得いきません」

「鮎川、やめろよ」

 鮎川は両手を講師の前に付き、思いっきり睨んでいる。

「薬品をすり替えるなんて、最低です」

「だから、俺も頼まれてやってるんだって」

「もう一度やらせてください。このままだと自分の実験に納得がいきません」

「えっ!?」

「それに、このままではレポートが書けません」

 鮎川が怒っていたのは薬品をすり替えられた事ではなく、自分の実験の内容についてだった。

「今日はアクシデントもあったし、もう遅いから片付けだけしたら帰りなさい。明日は土曜日だけど、俺も出勤だから付き合ってやるよ。レポートも明日の提出でいいから。それでいいだろ?」

「は、はい……」

 最終的に鮎川が折れた。

 講師の先生はふあぁ、と大きなあくびをして実験室の片付けを始めた。俺たちは言われた通り、片付けだけして退出した。帰り際に、「自分の実験が納得いかないなんて学生に言われたのは初めてだよ」なんて講師に言われたけれど、鮎川はまだ納得行っていない様子でいた。



 相田大地の本当の実験最終日

 

 翌日、俺たちは土曜日9時に実験室に集合した。

 講師が来るなり実験を開始し、今回はあっさりと一時間で終わってしまった。精度も納得いくレベルで鮎川はニコニコしていた。

 レポートを提出し実験室を出ると空いっぱいの青空が広がっていて、実験も全て終わった事で開放感が溢れ出した。

 俺は最終日にやろうと思っていた事がある。それは、鮎川に今まで助けてくれた感謝を告げる事だ。幸いあたりを見回してみても土曜日の大学構内は閑散としており、誰かに邪魔される事もなさそうだ。

「なぁ、鮎川」

 俺は実験室から正門へ続く道で歩みを止めて鮎川に言った。

「なぁに?」

 そう答える鮎川は俺と一緒に歩みを止めてくれた。

「実験やっと終わったな」

「そうだね。短かったなぁ」

「そうかぁ? 俺は結構長く感じたぜ。毎回毎回、予習がきつかった」

「相田君にとってはちょっと難しかったかもね」

「でも、鮎川が教えてくれたから、わからない事は何も無くなったし、無事実験も終える事ができた。鮎川のおかげだよ」

「大袈裟だなぁ。相田君が頑張って予習してきたからじゃないかな」

「違う。俺は鮎川がいなかったら、ここまで来れなかった。たぶん、これからも鮎川と一緒じゃないとダメだと思う。だから、これからも一緒にいてくれないか?」

「それって……」

 俺はここまで言うつもりなんてなかった。鮎川に感謝を告げて、それで終わりで良いと思っていたけれど、変に勢い付いてしまっている自分の気持ちを止める事が出来なかった。

「俺は鮎川が好きだって事だ。だから俺と、付き合ってくれ」

 俺は頭を下げて右手を差し出す。

 本当に俺は何をやっているのだろう。告白までしてしまった。

 医務室では確かにあの時「責任を取る」とは言ったけれど。もし、振られたらこのまま鮎川の顔を見ずにダッシュで走って帰ろう。

「……。よろしくお願いします」

 鮎川は俺の右手を優しく握った。

「よぉっしゃあぁ!!」

 俺は喜びのあまり、せっかく繋いだ手も離れてしまうほど、飛び上がった。雲もとってこれるのではないかと思うくらいの気分



 鮎川七海と相田大地のある日

 


 俺たちが付き合う事になった翌日、掲示板に一枚の紙が貼られていた。


不正に実習を行ったため、以下の者を停学にする。

井原雅史

上島麗華


 後から聞いた話だと、二人はすべての実験を過去レポ通りに行い、レポートも全てコピペだったそうだ。不正を許さない学部長は停学を下した。もしかしたら、ラベルを張り替える指示も学部長だったのかもしれない。真面目にやった俺たちは苦労はしたけれど、正しい結果を得る事ができて、翌日やり直しをさせてもらった実験の結果は最高の精度を出したと講師の先生に褒められた。

「二人、停学になっちゃったね」

「だな。学部長もわざわざ実験室に来て言っていた事ってこういう事だったんだな」

「そうだね」

「でもまぁ、よそはよそ、うちはうちってことで」

 俺たちは彼らの事を少しお気の毒と思いつつも、自分達もやる事がたくさんあるわけで、手をつないで講義室に向かった。

「そういえばさ、ずっと気になっていた事があるのだけど聞いていい?」

「なぁに?」

「どうして、実験最終日にオシャレして来てたの? 何か用事でもあったの?」

「それは……」

「それは?」

「秘密!」

 そう言って駆け出す七海を俺は追いかけていく。きっとあいつも何か特別な事があったのかもしれない。また後で聞いてみよう。いつかは教えてくれるかもしれない。


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