第6話
伯爵の鋭い視線を受け
「いや、あの頃は女性に興味がなくて・・・・」
思わず声が漏れた。
それを聞いた伯爵とリデラがこわばった表情を浮かべ、俺から一歩引いたのが見えた。
「いや、違う! そういうことではなくて。別に男に興味があるわけではなくて、女性に目を向ける余裕かなかったんです」
俺の言葉に伯爵とリデラがホッとした顔をする。
「そうだったんですのね」
「大体、俺は愛妾なんて話は聞いていません」
「宰相様はお話にならなかったのかしら」
リデラは、小首を傾げて3年前の出来事について話し始めた。
東の領地は広大で、領地内の北から東端には急峻な山々を有する山岳地帯とそれに続く森林地帯があり国境と接している。王領に近い西端には乾燥し荒れた地が横たわり、領都のある中部地方のみマイン大河の恵みでわずかに潤っていたが、食料や税となる農産物の出来高は決して多くはない。
近年になり、織物などで収入を得ていたものの、それも多くはない状態だった。
豊かではない東の領地が大洪水に襲われたのは3年前だ。農産物は水害により壊滅的な状態で、国への納税どころか領民の暮らしも危ぶまれる状況となってしまった。
前カレンドア伯爵は、国王に減税を願ったが聞き入れられることはなかった。
「そこで、わたくしが愛妾として担保になりますからと宰相様に借金をお願いしたんですの。わたくしは国王の好みに該当しないだろうし、宰相様は愛妻家でいらっしゃるから、ご子息ならどうかと思いまして」
リデラは微笑んだ。
思い出した。前カレンドア伯爵の娘は『東の賢女』と呼ばれていたはずだ。
『東の賢女』は身体の弱い父親を助け領内を切り盛りし、領民の安定した生活のために身を粉にして働いている賢い女性だといった話は王都まで届いていた。
豊かではない東の領地の経済状況を悪化させることなく存続できる手腕を、宰相である父は高く評価していた。
リデラはそれを知っていたのか。
「愛妾などにならなくとも、父ならあなたを高額で採用したでしょう」
「いいえ。領民すべてを救うには、それでは足りないと思ったのです」
「だからと言って、身売りなどする必要はないだろう」
現カレンドア伯爵のジン・カレンドアが憮然として言った。その表情はひどく不機嫌だ。
「いい考えだと思ったのよ。美丈夫のトラウト様ならいいかなとも思ったし」
リデラがいたずらっぽい笑みを浮かべて俺を見た。
その瞬間、伯爵が眼をむいて俺を見たのがわかった。
困る! 非常に困る。一体この2人はなんなんだ。伯爵が養子になったのなら、リデラは妹なのだろうが、どうもこの雰囲気は違う。リデラはどう思っているのかわからないが、伯爵はリデラを異常に大事にしている感じがする。いや大事というか・・・・。
「でも、トラウト様は皇子といろいろお忙しかったようでお断りされて困っていたんですけど、宰相様はエイル商会を介して助力して下さったのです。サリー・エイル様は無担保で高額な資金を貸して下さいましたわ。そのおかげでカレンドア領は持ち直したのです。もちろん、その後に兄さまが領主となって領内の改革に取り組んで下さったことも大きな要因ですけれどね」
この時、俺の頭に姉から言われた「キール、もったいない事したわね」という言葉が浮かんできた。
そうだろうか。リデラの傍にはジン・カレンドアがいるのが相応しいと、この数十分で俺は充分に理解していた。
「父はリデラ嬢は嫁にほしいが、東の領地でカレンドア伯爵を助けるべきだと話していました」
「まぁ、今からでも遅くはありませんわよ」
俺の言葉にリデラがニコニコと返答する。
や、やめてほしい・・・・。伯爵が睨んでいる。あまり彼を刺激しないでほしい。
「リデラ!」
伯爵が立ち上がった。
「だって、兄さま。私行き遅れと噂されているんですのよ」
「だが、こいつはダメだ。皇子と組んで国王を倒すなどと。失敗すれば今度は左遷では済まないはずだ」
「あら、失敗しなければいいんですのよ。ラインドアは平和になりますわ」
「いや、だめだ」
伯爵は腕を組み、ソファにどすっと音をたてて座った。
「兄さま・・・・。わたくし宰相様にお返しがしたいですわ」
「だからってお前がこいつに嫁ぐ必要があるとは思えない」
伯爵の言葉に強く頷く。俺が妻にほしいのは1人だけだ。ミオリ以外ほしくない。
「なら、カレンドア家はどうやって宰相様にお返しをすればいいんですの。領民が救われたのは宰相様のおかげですのよ。わたくし、恩知らずにはなりたくありませんわ。兄さまも義理とか恩とかとても大事にする方でしたわよね」
リデラが小首をかしげて伯爵を見た。
それを受け、伯爵は苦虫を潰したような顔をして黙ってしまった。
暫くの沈黙ののち、
「わかった・・・・。皇子とトラウト殿に協力しよう。勝算があるのだろうな」
「はい。王都を囲む北・南・西の領地の領主が皇子の協力者となっています。ラインドア議会議員の半数も皇子が把握しています」
「では、東のカレンドア伯爵家が協力すれば四面楚歌だな・・・・。領兵を出そう」
「ありがとうございます」
俺が伯爵に礼を述べる傍でリデラがクスリと笑った。
『東の賢女』・・・・確かに。
伯爵の協力は取り付けた。
次に確認すべきは「ミソ」だ。
「カレンドア殿、ミソというのは異世界の食物ですね」
「よく知っているな。王都の迷い人から聞いたか」
伯爵はミソをリデラから受け取り、俺に差し出した。色も香りもこの世界にはないものだ。美味いのか?
「母親の作ったミソシルが飲みたいと話していました」
「不憫な・・・・。僅か15歳で飛ばされるとは。家族が恋しかろう」
場を沈黙が支配する。
ミオリの寂しさ、悲しさを俺が少しでも和らげることができていると信じたい。
「貴殿の言う通り、私は迷い人だ。王都の迷い人にも会ってみたい。ぜひとも聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」
俺の言葉に伯爵は遠い眼をした。その瞳は深い悲しみを湛えている。
異世界のことを思い出しているであろう伯爵には聞きにくかったが、ミオリのためにも確認したい。噂の真相を尋ねてみる。
「伯爵は異世界とこの世界を自由に行き来きできるのですか」
「そんなわけないだろう。できたら、とっくに・・・・」
伯爵の顔が痛みに耐えるように苦痛に歪んだ。その表情はひどく悲しげで、俺は自分が発してしまった言葉を後悔した。
「出立の準備をしてくる。しばし待たれよ」
伯爵は俯き、俺やリデラの顔も見ずに執務室から出て行った。
「準備には少し時間がかかると思いますわ。おかけください」
リデラは俺に座るよう促し、侍女を呼んでお茶の追加を持参するよう命じた。
「ジンの心の半分は、あちらの世界にあるのです」
リデラは溜め息をつくと、寂しそうな表情で呟いた。
「心の半分?」
俺の言葉にリデラは黙って頷いた。
「あちらの世界に心残りがあるのでしょう。ジンは仕事が立て込むと、この執務室で度々寝てしまうんですけれど、寝言で誰かを呼ぶことがあるのです。こちらの名前ではないのでうまく聞き取れないのですけどね」
リデラは薄く微笑むと俯いて、ティーカップを両手で包み暖をとった。
ふいに、彼女の心も温まると良いのにと思った。




