行間 1
「ふざけんなよ……母さんは死んだんだぞ!?」
携帯電話を壊れるのではないかと言うほどに強く握りしめ、そのスピーカー部分に向かって強く叫ぶ少年がいた。
その瞳は、悲しみや怨嗟、失望に怒りで濁るように染まっていた。
「何でだよ!? ……畜生っ!」
どこかの体育館を利用した避難所で、少年は悔しさのあまり……握りしめた拳で壁を横殴りにした。
数日前に、偶然ある人物に救われたこの少年は、被災者としてひとまずここに収容されていたのだ。
電話の相手は黙り込んだまま、少年はそのどうにもならない怒りを、ただひたすら罵倒の言葉にして浴びせていた。
堪らず外に飛び出した少年は、母親が死んだと言うのに現れもしない父親へ憤りをぶつけ、虚空に向かって叫ぶ。
「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
現代より五年前、ここ日本海側の沿岸部では大罪種の侵攻によって多くの死傷者や被害が出た。
女子供、老人であろうと奴らには関係無い。
海岸線に急遽築かれた防衛線は容易く突破された。当然だ、対人用の通常兵器で戦闘に臨んで勝てる相手では無いのだから。
さらに言うなら、避難勧告が遅過ぎたのだ。
中国、韓国が陥落した時点で気づくべきだった。もはや日本にどうにか出来るレベルをとうに超えてしまっている事に。
そのため、出さなくていい被害を出した。
自国のプライドなんてモノを守らずに、最初から大国に救援を要請するべきだったのだ。
しかし結果的に……いや、奇跡的に今の日本があるのは大国の救援が異様に早かったおかげである。
これには、自国を取り敢えず守り切った大国が、次なる兵器や技術を……"日本を救う"と言う大義名分と共に、他の領地で行使したかった。悪く言えば実験したかったと言う背景もあったらしいのだが。
少年はこの時思い出していた。
ほんの数日前、目の前で母親を失った時の光景を。
母親だけではない、一緒にいた親しい人間は皆死んだ。
自分が生き残ったのは、彼等が自分を逃がしてくれるように立ち振舞った結果だ。
そう思うと悔しさがこみ上げてきた。何も出来なかった、誰も助けられなかった自分に。
外は、片付けられていない死体の山を焼き、焦がすような灼熱の太陽によって照らされていた。
辺りを見ても死体、死体、死体。
それ以外にこの凄惨な光景を指す言葉が見つからない。
これはまるで災害の後のようだ。
いや、ある意味では"生物災害"、とも言えるかもしれないが。
何度も見た光景だが、中学に上がったばかりの少年にとってそれは……見るたびに猛烈な吐き気と立ちくらみを誘発させる。
何もかも失って、混濁する視界に映るのは、そんなモノばかりであった。
不思議と、涙は出なかった。
もしくは、それほどに精神も、肉体もカラカラに疲弊し切っていたのかもしれない。
そして、疲弊しているのは少年や民だけではない。
大罪種の脅威に曝されている地域全てが同じか、さらに酷い状態であるのは間違いない。
大罪種が世界を相手にシベリアの地で産声を上げてから数週間、日本に初めて到達したのはLevel1、『怠惰』と呼称される個体。
『怠惰』は蜘蛛のような八本足で歩行し、さらには群れとなって行動する習性を持つ。
機動性も他の個体に比べれば劣るものの、体長一メートルを超える『怠惰』は走って逃げる人間を踏み越す程度には速い。
大罪種の中では最も戦闘力は低いとされているのだが……その数が脅威的である。進撃するこれらの群れは、例えるならば強固な装甲を持った猪の群れだ。
通常兵器……要するに警官の持つ拳銃程度ではダメージを与えられない。相性云々ではなく単純な威力不足なのだ。
……かと言って、大罪種に特別に効く何かが存在するわけではない。例えるなら炎に対する水、などと言った特別に効果的な武器が無いと言う事だ。
となると、必要となってくるのは現代科学を超えた力。
例えば魔導の力、またはさらに強力な科学の力。
人類は大罪種を相手にするために、魔導であっても科学であっても、現状を打破するための新たな力を造り出すしか術は無かったのである。
そして、それは大罪種を滅ぼすための武器だけには留まらない。
大罪種の攻撃を食い止める防御力にも同じ事が言える。
こちらの持つ、従来の防護服、盾は全て紙切れとなったと言っても過言では無いだろう。
突如現れた謎の化け物が相手なのだ、無理も無いのは確かであるが。
そんな強大な敵が相手なのだ。
子供の自分にもわかる、この戦いは"勝てない"。
そして、子供の自分には何も出来ない事もわかってしまった。
大切な人は死んだ、自分だけ無意味に生き残った。こんな世界で暮らしていく自信も無い。
そう、ここで死ねばどれだけ楽だろうか。
そんな事を考えてしまった……その時だった。脳裏に浮かび上がるのは死んでいった人達の顔。
死の直前、彼等は自分に託したんだ。
"生きる事"を、諦めない事を。
本当は、こうしている今だって心は折れかけている。早く楽になってあの人達の所に行きたいと、諦めてしまおうとも思っている。
「俺は………………」
少年は、地に着いた手に力を込め、指で土を抉るようにして立ち上がった。この時に、爪の間に乾いた土が入ったが、気にならない。
……確かに自分の腕で、脚で、少年は立ち上がった。
彼等は、俺に生きろと言った。
自分に今、何が出来るのか?
それを考えてみると、彼等の意思を継いで生きる事……それ以外には何も無かった。
「そうだ、生きろ。恭弥」
「っ?」
ふいに、後ろから声をかけられた。
若い、女の声だった。
先日、少年が大罪種の襲撃を受けた際に颯爽と現れ、魔導師と名乗った女がそこには立っていた。
しかし、今この瞬間まで背後に人がいた事には全く気がつけなかったのだ。
当然の疑問が浮かぶ。自分さっきまで考えていた事を声に出していたのかどうか。
いや、もはやそんな事はどうでもいい。
「俺は、生きたい」
「……そうか」
女はあえてそれだけ、少年の続きを待つようにして言った。
「でも、それだけじゃない」
「?」
「俺には力が無いから、何も出来なかったし、これからも何も出来ないんだと思う。……だから、俺は、強くなりたい。もう二度と大切な人達を失いたくないから、そして失われた大切な人達に報いるための力が欲しい!」
「強く、なりたいか?」
女は少年の強い言葉を反芻した。そして、
「あいつらを……倒す。そのためなら何でもする」
「そうか、それなら恭弥。一つだけ提案がある」
女は勿体ぶるように言葉を切ると、今度は手を差し伸べながらこう尋ねる。
「お前……私の息子になれ。例え復讐のための力でも、人を護る力でも、何を望んでいるとしても構わない。私がお前に戦える力をやる。辛い修業に耐えるだけの覚悟はあるか」
「………………」
少年は、何も言葉は発しなかった。
その瞳には確かな決意と力がこもっている。
二人は晴天の下で、ただ立ち尽くすが、
何も言わずとも、わかっていた。