洗濯物とコーヒー【短編】
昨晩から雨が降っているのに気が付かなかった恭子は、朝、起きるなり、慌ててベランダに飛び出して洗濯物を取り込んだ。
「天気予報…当てにならないじゃない」
昨夜、横目で見ていたニュースに愚痴りながらもてきぱきと半乾きの洗濯物を部屋へ移していった。
「浩二、今日は早出じゃなかったっけ?」
ベットでまだ横になっている浩二に声を掛けながら恭子はそのままキッチンへと向かいポットにミネラルウオーターを注いだ。
「浩二、コーヒーにする?」
返事を求める為の声かけではない。
ただ、言ってみたかっただけの事…
今年で35になる恭子にとって初めての男であった。
しかし思い通りに行かないのが世の常なのか、浩二には家庭があった。
そう、思い通りには行かなかった…
恭子は今まで恋愛というものを成就させた事がなかった。
30になる前は両親も慌てたのか、何件か見合いの話を持ってきてくれたものだ。
それも最近は親も諦めたのか、恭子に強く言う事はなくなっていた。
恭子自身はただ…踏ん切りがつかなかっただけ…の事なのだが、そんな矢先に浩二と出会ってしまった。
あかの他人と一緒になるよりは、やはりこの人と思う男と一緒になりたかった。
いや、ただ、恋愛をしてみたかっただけかもしれない。
だから、浩二が既婚者だと知っても逢瀬を重ねられていた。
元々、浩二は出張の多い部署にいたので、こうやって朝まで一緒に過ごせる時も作ってくれた。
…それがいけないのかしら?…
「浩二…」
「あ~、おはよう」
お湯が沸いたのを測ったかのように浩二は起きてきた。
「コーヒーでいい?」
「雨か?」
部屋に干してある洗濯物を眺めながら浩二は呟いた。
出来る事なら、恭子も浩二といる時はあまり生活感を出したくなかった。
「ごめん」
何となく恭子は悪い気がして思わず声に出してしまった。
浩二は首を少しだけ傾けて?の視線を送ってきた。
40過ぎのおっさんが、知らない女性の前でやったらひんしゅくを買うだろうと思うのだか、恭子にはそんな浩二のあどけなさが好きでたまらなかった。
惚れた者の弱みだろう。
結局こうやってズルズルと2年もの間、公に出来ない秘密の生活が続いてしまっている。
…浩二にとっては都合の良い女…
そんな考えは玄関で浩二を迎え入れたと同時に消えてなくなってしまう。
そして玄関から送り出して時間が経つと頭をよぎるフレーズ…
これが夫婦ならそんな事はないのだろうと想像するのだが、やはりただ待つ女でいるしかなかった。
今の恭子にとっては夢のような時間なのだ。
そこに洗濯物は何か生活の臭いがして浩二を家庭に帰してしまう事になるのではないかと瞬間的に思ってしまうのだ。
「ありがとう」
コーヒーを受け取りながら浩二は何時ものように少しづつ、息を吹きかけながら飲んでゆく。
浩二は猫舌なのだ。
恭子は勿論その事は知っている。
だが、コーヒーが熱ければ熱いだけ、浩二と一緒にいれる時間が長くなる。
そんな女の独占欲を些細なコーヒー一つで我慢してしまう自分が半ば可笑しくも思えていた。
でも良いのである。朝の短い時間をこうやって奪ってしまう事でしか愛情表現ができないのだから。
そして、次に玄関の前に現れるのを今か、今かと待つ楽しみを今、浩二の顔を眺めながら得ているのであった。