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野犬

作者: 加藤 一央

 糸川のアパート前に停めた車のなかで、車体に当たる雨音を聞いていた。

 糸川がよこしてきたメール。三時間前。

  消えます ありがとー

 自虐的でナルシズムに満ちたことばにうんざりして携帯を閉じた。お前の生き方、正直いらいらするんだよね。追いかけてほしくて、逃げて逃げて、そのくせ寂しいとか言わずに「オレ、人つきあいとかいらないんで。先輩もオレみたいなの縁切っちゃってくれて構わないっすよ」

 糸川と僕は十年前、深夜コンビニバイトの相方として出会った。僕は夕勤シフトの女の子といい感じになり、同じころその子に惚れていた糸川とその子を奪い合うかたちになった。糸川はその子に嫌われていた。

「糸川くん、なんかべたべたしてくるから。ちょっと困ってるかも」

 糸川との夜勤シフト明け、近所の駐車場でぼこぼこにした。そのときの青くさいキレかたを三十歳を過ぎた今も糸川にからかわれる。

「あんとき、天野さんオレの女がどうとかぶちキレてたっしょ、まだアンタら付き合ってねえじゃんって殴られながら思ったっつうの」


 糸川が自殺しますとか、消えますとか宣言するのはこれがはじめてじゃない。

 木屋町で飲んだ頃のことだ。僕に抱きついて泣き出して、「先輩だけっすよ、オレとつながってるの」うなじに糸川の鼻水がすりつけられて気持ち悪かった。糸川は弱い男だった。翌朝にはたいてい「すんませんでした。消えます」そんなメールをよこしてきた。

 糸川も僕も職を転々としていて、よく同じ時期に同じく無職の身だったりして、次々に大人になっていくまわりのなかで糸川と僕のつながりはゆっくりといびつに、より幼児的に、依存しあうようになっていった。


 傘をさした糸川が助手席のウインドウを叩いた。大粒の雨粒がウインドウの向こうの糸川をぼかしている。パレードの拍手みたいな音の圧力が車体を包んでいた。糸川のために助手席のドアを開けてやる。

 僕と糸川は雨粒のなかで二匹の野犬みたいだった。寂しくて、寄り添う。〈了〉


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