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3.邪気殺

 翌る朝、いつも通り見廻りを行う玉蘭だったがその様子はいつも通りではなかった。

 いつもは口数が少なくツンと素っ気ないが、珍しくそわそわとして落ち着きがない。あの張にまで揶揄われる始末で、ますます苛立ちを募らせた。


「やっぱり昨日の深酒が悪かったんじゃないか?」

「うるさい。黙れ」


 キッと目を鋭くして張を睨む。

 すると「切れた美人はおっかない」と呟きが聞こえてきたが今は無視をして額に手を当てた。


 やばい、記憶がない。


 元々色白の顔をさらに蒼白とさせた玉蘭には昨夜の記憶がなかった。

 と言うものの途中までは覚えている。昨夜はいつものように行きつけの酒場へと行き、店の酒を片っ端から飲んでいた。

 確か、邪気殺(じゃきごろし)とか言う、なんでも珍しい酒を飲んだのが記憶の最後だった。


『昔は有り触れた酒だったが、時が流れ行く中でこれを作る大酒蔵が無くなっていき、今では作れる所は小さな酒蔵一つしかない。これはとても希少な酒なのだ!』


 そんな風に酒場の店主が語っていた事は確かに覚えている。

 病は邪気に触れる事で罹ると言われていた時代があったらしく、これを一口飲めば病を遠ざけると信じられていたそうだ。

 そこでついた名が、邪気祓い(ころし)祓酒(はらいざけ)

 その一方で、これを人から奪い飲んだ鬼が瞬く間に死んだと言う逸話あり、『神酒邪鬼殺(じゃきごろし)』とも言われているそうだ。

 とにかく珍しい酒だと言うことだ。

 店主の強い圧に負けて渋々飲んでみた所……その酒はとても美味しかった。

 香りは少し鼻にツンときて多少不快だが、無色透明の見た目通りの澄み切った味わいでいて、程よい苦味も後には引かず、後味もすっきりとしていた。


 はっ、こんなうまい酒で鬼を殺せるか。


 同僚たちは少し舐めただけで吹き出して烈酒と騒いでいたが、玉蘭は一人良い気分でをぐびぐびと飲んでいった。

 あれは五、六杯まで飲んだ所か。その辺りから記憶が途切れている。

 窓から差し込む眩い光に起こされて目を開けると、宿屋の一室で大の字になって横になっていたのだ。それも下っ端武官では一生足を踏み入れる事が出来ない、高級宿だ。

 

 これは一体どういう状況だ!?


 自分の置かれている状況が理解出来ず、流石の玉蘭も驚くあまり寝台から落っこちてしまった程だ。

 こんな場所へと運んできた者がどんな奴だったか、宿屋の主人に問い質しても頑なに教えてはくれなかった。

 宿代は既に支払われており、宿主の様子からどうやら宿代以上の金を掴ませられているようだった。

 何故大層金を掴ませられたと分かるかと言うと、普通ならば見窄らしい下っ端武官など泊める筈がないからだ。

 まず門前払いをされてしまうのがオチだ。


「それにしても、あの邪気殺とか言う酒の飲みっぷりは凄かったな。豪酒のお前のべろんべろんになった姿は初めて見たぞ。ははっ、思い出して笑えてきた」

「……うるさい」


 腹を抱えて笑う張へ言った二度目のうるさいは、昨夜の自分の情けなさからとても弱々しい声だった。


「だがあの後、突然帰ると言って先に出たが、稀に見ない覚束ない足取りだったからヒヤヒヤしたなぁ。店を出る直前で戸に頭を思いっきりぶつけていたし、心配で慌てて追いかけて店を出たらもうお前の姿はなくてびっくりしたぞ」


 張の話に玉蘭は恥ずかしさのあまり顔を両手で覆う。いっそこの場からも逃げてしまいたかったが、流石に職務中に持ち場を離れる事は出来ない。


「なぁ、昨夜は兵舎に戻らず何処へ行ったんだ?青楼へ行きそうに見えねぇし、もしかしてコレか?」


 張は小指を立ててニヤリと笑みを浮かべる。コレとは恋人を意味するものだ。


「……俺が何処へ行こうが良いだろう」


 答えようがなくて玉蘭は素っ気なく顔を背ける。

 話を聞いているとさぞかし酔い潰れていたようなので、もしかするとどこかで眠ってしまい親切な誰かが宿へ……。


 いや、考えただけでぞっとする。


 何故酔っ払いを宿屋へ運ぶ必要があるのか。

 それにあえてわざわざ宿代の高い高級宿にを選ぶ人などいない。

 一応念の為に体を、特に臍下の辺りをぐるりと一周、違和感が無いかを入念に調べたが特に異常はないようだった。

 

 あんな高級宿に行ける者となると、かなり高貴な身分の者になる。高貴な者……。


 考えていると朧げな記憶が頭の中に浮かび上がってきた。


 包帯を巻かれた左手を誰かがそっと取り、ゆっくりと唇を落とした。

 姿までは霞んでいて思い出せない。だが微かに感じた自分に触れる手は、壊れ物に触れるかのような優しさで。


 あれは…⋯しかし⋯⋯まさか。


 否定しながら無意識に左手を擦る。


「だけど気をつけろよ。酔ったお前は、その、なんと言うか、目の毒だ」


 口元を押さえる張はどこかぎこちなく、そちらこそ酔いが覚めて無いのか顔が少々赤らんでいる。さらにちらちらとこちらを見てくるので気味が悪かった。

 はぁ?と玉蘭が眉を顰めた時だった。


「おいそこの下っ端。少し良いですか?」


 何処からともなく口の悪さと丁寧さが順に聞こえてきた。

 この時刻に人がいるとすれば不審者か。二人が身構えながら振り返るとそこに立っていたのは昨日麒麟門で見た、集団の中で一番若い男だった。


「陸子梓殿!?な、何の用でしょうか?」


 張が上擦った声で尋ねた。

 陸子梓と言えば、高官をぶん殴って肋骨を折る大怪我を負わせた、と言う噂がある。

 見た目の小柄な少年からは想像が出来ない、あまりの怪力さに、屈強な武官たちからも恐れられていた。


「違う、お前ではない。用があるのは顔だけは良い方です」


 野良犬を追い払うが如く、張を手でしっしっと追い払い、そして玉蘭を指差した。


「私ですか!?」

「そうです。お前ちょっと私に付き合いなさい」


 にこりと子梓が笑う。高圧的で逆らい難い笑みに、隣に立っている張は玉蘭に向けて両手を合わせた。

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