2.軍の白花
朱稜城の奥、宮中の御殿を繋ぐ長い外廊下の床は、西方遠方の山にある希少な、真っ白で頑丈な岩石で出来ていた。
さらには良く研磨されていて、とても平滑でいて鏡の様に歩く者の姿を映している。
この床は曾祖父の代で作り替えられたものであり比較的新しい。外廊下だけではなく、宮中の御殿はその代に全てを建て直されていた。
屋根は東方遠方名産の、青く澄んだ空に良く映えるような赤橙色の釉薬瓦。
回廊の天井には北方遠方の職人が作り上げた、鮮やかで美しい装飾の灯籠が吊るされている。
柱や欄干は南方遠方にしか生えない、とても丈夫な楠木を使い赤く塗装してある。
これらは紅王族を象徴する赤宮殿にする為のものなのだが、どれも運搬に労力と時間を要する資材で非常に骨が折れる話だ。
かくして作られた華やかな御殿たちであるが、最も豪勢なものと言えば、勿論王達の臥室であった。
天井には金や玉をあしらった装飾が施され、玉床には美しい花が描かれた柔らかな手触りの絨毯が敷かれている。
丈夫に作られた紅牀には精巧な模様が彫られており、上から美しく織られた絹紗がかけられ、さらには金で作られた装飾まで吊られていた。
丸窓の格子は国一番の職人を呼びつけ作らせた物で、御殿ごとにそれぞれ違った花の模様を細やかに彫られている。
まさに豪華絢爛の例を挙げるのにぴったりな臥室となった。
曾祖父王は華美を好む人だったそうだ。正妃の他に妾妃が四人いたが、その女性達も皆競う様に身を艶やかに飾り、贅の限りを尽くしていたと言う。
紅王家の中で最も華やか極めたる時代だったが、実際には宮中内の全ての建て直しが終わる前に王が亡くなってしまい計画は頓挫してしまった。
さらには、その息子は父とは真逆の無骨な人で、父が亡くなると直ぐに「悪趣味だ」と装飾の殆どを捨ててしまったのだ。
なんとも皮肉な話である。
そんな曾祖父王が作った、白い外廊下の真ん中を、瓈暁は歩いていた。
長く伸びた足ですたすたと歩いていくが、どこか柔らかな空気を漂わせている。
朝早いのもあって人の姿はなく、この辺りで女官たちの姿を見るのはまだまだ先の事だ。
どこからか聞こえる鳥たちの囀りが、しんとした廊下に美しく響き渡っていた。
ここには先程まで後ろについて歩いていた仮面の男たちの姿はなかった。
残っているのは文官の格好をした男一人。キッと目尻が上がった目が特徴的な、少々幼なげな顔立ちをした少年だ。
「陸子梓」
「はい」
名を呼ばれた男は三つ上の王子相手にも物怖じする事もなく、しっかり前を見据えながら返事をした。
彼はまだ十六と若いが、黯武の副官であり、瓈暁の右腕とも言える立場であった。
とても聡明で、それを証明するように一年前、難問と言われる科挙で見事主席合格をしている。十五での首席合格者はこれまでになく、最年少状元として歴史に名を残した。
しかしそんな利口な筈の彼はまだまだ若いからか、気が短く、手が出るのが早かった。
ようは喧嘩っ早い性格だった。
あれは官吏として出仕した初めての日、運悪く新人の官吏をいびるのを趣味とした根性の捻じ曲がった悪高官に遭遇しまったのだ。
そして貧しい育ちを嗅ぎ取られ、嘲笑われてしまった。
それでも多少なりとも我慢したのだ、けれど我慢も続かず。
「このクソジジイ!」
と、ぶっ飛ばしてしまったのは有名な話だ。
ちなみに子梓の言う『多少なり』とは、一、二、三……と三つ数を数える間の事だ。本当に多少なりである。
悪高官を殴った事に後悔や反省は全くなかった。
しかしその事が一日にして尾びれ背びれが付いて宮殿内に広まってしまい、貰い手……配属先がなくなってしまったので困った。
やはり宮殿内で殴るのは不味かった。宮殿外で夜陰に乗じてやれば良かった。
運良く黯武に拾われたから良かったものの、その点についてだけは今も深く後悔していた。
「さっき麒麟門の所にいた武官だけど……」
「武官?……あぁ、南西軍の奴らですか」
子梓の声が急に低くなる。表情は嫌悪感で満ちていた。
その理由は簡単だ、南西軍に嫌いな奴がいるからだ。
「それで?南西軍の武官がどうしました?」
「いや……そうか、南西軍……彼の所か」
軍の名聞いてボソボソと何か考え込む瓈暁だが、後ろを歩く子梓はその様子に気付かず話を切り出した。
「今朝いた武官と言えば、片方があの『軍の白花』と言われている白玉蘭だったみたいですよ」
「……軍の白花?」
瓈暁は興味ありげに、ちらりと目を後方へと向ける。
「やっぱり知らないんですね。瓈暁殿下は黯武の事以外は無頓着ですから」
「そんな事はない。明甚軒と雷永霆は知っているさ」
「北東将軍と南西将軍の名前なんて誰でも知ってますよ。ましてや貴方は四王子殿下なんですから知らない方がどうかしてます」
子梓は王子の瓈暁相手でも容赦のない言葉を言った。
これは非嫡出子の瓈暁を見下しているのではなく誰に対してもそうなのだ。
この竹を割ったような性格は却って清々しく思えて、瓈暁は気に入っていた。それが彼を副官にしている理由の一つでもある。
「それで、軍の白花とはどう言う意味なんだ?」
「顔ですよ、か~お。麒麟門では遠くて顔が見ませんでしたが、綺麗な顔をしているらしいです。何でも剣を隠して宮殿内を歩いていれば女官に間違われる程だとか」
「へぇ、それは凄い」
「それで名前の玉蘭──白木蓮の花に因んで、軍に咲く白く可憐な花、軍の白花と、武官たちから言われているそうです。南西軍は特にむさ苦しくて女に相手にされない奴らの集まりですからね。見目の良い同僚を花容月貌と崇めて己を慰めているんですよきっと」
「慰める?」
「男色を好む者もいるって噂です」
「……へぇ」
瓈暁が眉根を寄せる。
先程は気付かなかった子梓だが、今回は様子の変化をすぐに察した。
「南西軍と何かあったんですか?また悪態をつかれたとか?将軍も将軍なら部下も部下。やっぱり一回痛い目を合わせた方が……」
「違うからそれは大丈夫だ」
にこりと笑みを浮かべ、ぐっと拳を強く握り締める姿に、本気で言っているのだと伝わってくる。だからこそはきっぱりと断った。
ちなみに瓈暁が断ったのは、言いがかりで闇討ちされる南西軍の武官が可哀想……だとはさらさら思っておらず、ただ変な面倒ごとを起こしたくはないからである。
「ところで瀏燿兄上はいつ帰ってくるのはいつだったかな?」
「三王子殿下が蛮族征伐へ行かれたのは確か、東方青郷の宕加と言う村でしたね。騒ぎは鎮められたと、烏黑符を受けて七日は経っていますし、あそこからなら早くて今宵には帰ってくるかと」
「そうか今夜か」
そう頷いた所で御殿へとたどり着いた。
真っ黒な外観から月無し夜のようと言われ、朔夜宮と名付けられている。
本来は曾祖父王の時代にここも新しく建て直される筈だったが、唯一この御殿だけが間に合わなかった。
他の御殿と比べると見かけは少し古風な造りで素朴さを感じさせる。まるで兵舎と揶揄われる事もあるが、過度な華美を求めない瓈暁には実に暮らしやすかった。
「帰って来られたらお出迎えに行かないと」
我が家の扉をゆっくりと開く瓈暁の口角は小さく弧を描いていた。




