第31話 江東社①
「……何が起きた……」
江東社の社長——ミルゲスが狭い部屋で一人頭を抱えて座っている。いつもならば家に帰って豪華絢爛な食事にありついているものだが、今日ばかりは何も喉を通らない。
その原因はマキアだ。
マキアが刺客をすべて返り討ちにしたせいだ。
「なんでこうなった……」
ミルゲスの作戦は完璧ではないにしろ少し前までハンターでも無かった、ただの一般人であるマキアを殺すためには用意周到すぎる入念な準備の元行われた。江東社としてはマキア殺害は絶対に遂行しなければならず、だからこそ必要以上の費用をかけてヤジマやその仲間の暗殺者を雇った。
「失敗しやがって!」
誰がどう見ても成功する作戦。
しかし結果はことごとくを返り討ちにされた。
絶対に失敗してはならぬ任務であったのに。
「今回刺客を送ったことがバラされれば……あああ!」
江東社の立場がさらに悪くなる。
マガツモノの事件といい、さらにマキアに弱みを握られることになった。もし今から巻き返そうと暗殺者を雇い、マキアを殺しに向かわせたとして命を狙われたのだから、対策を取っていないはずがない。
保険会社に連絡しているか、すでに誰かに報告しているか、あるいは記者に自分が殺されたら情報をリークするよう頼んで爆弾を埋め込んでいるか。もはやただ殺すだけでは意味のない状況になった。
「クソ! クソクソ!」
すべてが手遅れな状況にミルゲスは焦燥を露わにする。親から譲り受けた江東社を自分の代で潰すことは許されない。その重しが現在の逼迫した状況にのしかかる。どれだけ考えようと、どれだけ打開策を思い浮かべようと、マキア有利の現状が傾くことはない。
考えすぎなのかもしれない。
マキアがそこまで対策を取っていない可能性がある。
「いやありえない!」
思い浮かんだ甘い考えを自らで却下する。
マキアはヤジマを返り討ちにしただけではないのだ。メーテラの元へと送った暗殺者もまた完璧に対処してみせた。状況から考えるに江東社からの報復があると分かり切っていた可能性が高い。
でなければ対策は取れなかった。
(あの女も……仲間か)
ヤジマからしてみればメーテラを守ったソマリアがマキアの仲間で協力者として、代わりに護衛していたとしか考えられない。でなければ酒場の店主があれほど強いはずがない。
ミルゲスが思っていたよりもマキアは遥かに用意周到だった。
可能性としては限りなく低い江東社からの報復に備えて予防線を張っていた。
「クソが! すべてあいつが――ヤジマが殺されたせいだ!」
いくらマキアが用意周到だったとしてもヤジマがヘマをやらかさなければあそこで任務は達成できていた。報告ではヤジマとマキアが一対一の戦闘になったのまでは分かっている。
その後のことは現場にいた伝令係がマキアかその仲間かの襲撃を受け、何らかの機械で抉られたように顔面が陥没していた。
しかし後のことは報告しなくても結果を見れば分かる。
マキアが勝ち、ヤジマが負けた。
ただそれだけだ。
本来なら負けるはずが無かった。
ヤジマは殺し屋として一流と言われてきた男だ。だからこそ多額の報酬を支払って雇ったのだ。メーテラの元に向かわせた暗殺者はヤジマが鍛えた精鋭部隊。であるのに、すべてが返り討ちにされた。
特にヤジマは一対一の直接対決でマキアに負けた。
マキアが予想以上に強かったのか、不意打ちを受けたのか、不運が重なったせいか。
「いや、ありえない」
マキアのハンターとしての実力を見る限り、ヤジマはとても勝てる相手じゃない。ヤジマは殺しのフィールドこそ違えども、マガツモノといい勝負ができるぐらいには実力者だ。
遠距離から、一方的に、弱いマガツモノだけを狙ってやっと単独撃破できる程度のマキアでは逆立ちしても叶わない相手だ。
「何かがあったんだ……何かがあったはずだ!」
予想外の何かが起きた。
ミルゲスの予想には無かった不運な現実が襲い掛かってきた。
江東社を取り巻く現実は最悪だ。そしてその原因を求めようとすればすべてがミルゲス自分自身へと向く。
行き場のない怒りはやがて、事件の発端であるセルバンへと向けられる。
「セルバン! お前のせいで!」
テーブルの上には額縁に入ったセルバンとミルゲスの写真が飾られていた。ミルゲスは写真立てをおもむろに持ち上げると床に向かって投げつけ、何度も踏みつけた。底が硬い革靴に何度も踏まれた写真立ては粉々に破壊され、中の写真は折れ曲がり、破け、破片が突き刺さっていた。
「はぁ……はぁ」
一時的に鬱憤が収まったミルゲスは息を切らしながらソファに座り込む。
そして両手で顔を覆いながら天井を見上げて、もう一度考え直す。
意味のない思案だと気が付きながら。
「暗殺者を雇うコストは……いやヤジマが返り討ちにされた……これ以上の高額依頼は無理だ。いっそのこと放っておくか? いや、あいつは殺さなければ駄目だ。弱みが握られて以上、どうにか対処しなければ……」
どれだけ考えても思いつくのは無理な案ばかり。とても現状の問題に対処できるほどではない。
八方塞がりだ、ミルゲスが静かにその結論へと達した時、インターホンが鳴った。
「ッチ。誰がこんな時に」
ミルゲスは立ち上がって壁に埋め込まれた応答版に近づいた。そしてインターホンと共に取り付けられた内蔵カメラで誰がチャイムを鳴らしたのかを見た時、そこにはヤンチャそうな、軽薄そうな笑みを浮かべる一人の男だった。
「誰だ」
ミルゲスは短くそう告げる。
すると男は笑みを崩さず上機嫌、あるいは僅かに憤りながら答えた。
「マキアっつうガキを殺したいんすよね。俺様が協力してやってもいいっすよ」
男はジャンだった。




