第30話 ボッコボコのフルボッコ
「――ぅう、うえ」
腹を抑えながら、マキアが地面に蹲っていた。
(こ、この人強すぎる)
マキアは試合開始のゴングと共に腹に拳を叩きこまれ一発KOだった。目の前にいたはずのソマリアが、その巨体が忽然と姿を消し、次の瞬間には目前に現れていた。とんだ恐怖映像だ。
当然、マキアは避けることも防御することもできず腹を殴られて一瞬だけ意識が飛んだ。
「なんだい情けないねぇ。あんだけ威勢張っておいてたった一発腹を殴っただけじゃないか。ほら立ちな。次は少しだけ手加減してやるよ」
途切れかけた意識の中、ソマリアの声で目を覚ます。マキアは垂れそうになる涎を拭いながら、ふらふらになりながら立ち上がった。
そしてソマリアを見据え、もう一度構えを取る。
「いいねぇ、若いってのは。まだ目が死んじゃいないね」
腹を一発殴られただけで満身創痍で、とても戦いに挑める状況ではない。しかしそれでも立ち上がり勝つ意思を見せて構えを取った。マキアにはソマリアを高ぶらせるだけの実力はないが、その意思は評価に値するものだった。
「今度はそっちから来な。先手は譲ってあげるよ」
「わか……りましたよ。手加減して後悔しないでくださいね」
「いいねぇ」
マキアは『ソマリアに勝つ』という冷静に考えれば不可能な無理難題を前にしても『勝つ』という意識を維持するために、あえて大口を叩いた。そして大きく前へと踏み出し、大胆にソマリアとの距離を詰めた――その瞬間、さらに一歩踏み出して距離を詰めるとソマリアの腹に拳を叩きこむ。
ソマリアはその巨体からは考えられないほどの瞬発力で拳を避けると、マキアよりも早い速度で動き背後を取った。マキアはそのソマリアの動きを予測している。マキアは先回りして背後に立ったソマリアへと足を突き出す。
常に最善手を打ち続け、相手に休む暇を与えない。
ソマリアの行動を完璧に読んだ上での攻撃。狙ったようには当たらないかもしれないが、掠るぐらいはしてくれるはず。マキアがその想定のもと次の作戦を組み立てていると、ソマリアは突き出されたマキアの脚を片手でつかみ取った。
そしてそのまま両手を掴んでマキアを吊るす。
「いい動きだが、ちと頭が足りないね。体格差が大きい上に力の差は歴然。蹴りが命中したところで反撃されるのは確実。その中で無理な体制から攻撃を放つ。相手が蹴りで怯んでくれるならばまだしも、相手は私だよ。こうして掴まれるリスクもある以上、最善の選択肢じゃ、無かったんじゃないかい?」
両足を持たれて吊るされたマキアはソマリアが余裕こいて喋っている間に打開策を探すが、逆さまの状態でソマリアの脚を殴るぐらいしか思いつかない。そのまま時間を浪費し、タイムリミットが来た。
「これは授業料代わりさ。一発貰っていきな」
マキアを空中に放り投げ、目の前に落下してくるのと同時に拳をマキアの腹に叩きこむ。
マキアの体は面白いように吹っ飛ぶとテーブルを破壊しながら壁に凹みを作って、やっと勢いが止まる。
「おっと、ちとやりすぎちまった。店がめちゃくちゃだ」
店の惨状に頭を抱えるソマリアに対して、マキアはそれどころではなかった。
(しぬ……)
胃の内容物はぐちゃぐちゃだし、逆流した胃酸が喉を焼いているし、視界はチカチカと点滅しているしで、状態は最悪だ。しかしそれでも気絶や嘔吐しないのはマキアの体が常人よりも遥かに頑丈だからだ。
逆に言うと亜人と並び、あるいは亜人よりも高い身体能力を有するマキアを圧倒するソマリアは人外だ。見たところ体に機械を埋め込んだ身体拡張者でもないし、ナノマシンの類で強化された生態拡張者というわけでもない。
単純に人間として馬鹿げた強さをしている。
(きつ……)
悪態をつきながらも立ち上がるマキアにソマリアは感心したような視線を向けた。
「まったく、もうちょっと踏ん張らないかね。でもよく立ち上がったよ」
空中で足場がないというのにどう踏ん張れと言うのか。
どうやらソマリアという人物はパワハラ上司の適性があるらしい。
「くそ……ぜってぇ一発ぶん殴ってやるからな」
「はは! 私にここまでやられてそこまで強きなこと言える奴は久しぶりに見たよ」
「年齢で劣化したんだろ」
「はは、面白いことを言うね。気に入った……じゃあ次は私が先手だね」
次の瞬間、視界から消えたソマリアが目の前に現れたかと思うとマキアの腹部に強烈な衝撃が走った。
◆
「ちょっと……マキア、大丈夫?」
「ん……あぁ」
次の日の朝に家へと帰って来たマキアの姿は酷いものだった。服はところどころ破けているし、顔は腫れているし……というか体中血だらけだし。とにかく酷い状態だった。
「そ、ソマリアさん……さすがにこれはやり過ぎじゃ」
今にも倒れそうなマキアの肩を支えて三階まで連れて行くとソファに座らせる。
ソマリアがマキアに何をするのかメーテラは正しく把握していたわけではない。しかし手荒なことが行われるだろうということは予測できていた。しかしまさか血だらけになるほどに酷い暴力を受けるとは思っていなかった。
「さ、さすがにこれは私から言っておかないと。社長として社員を傷つけられちゃったら気分悪いよ」
頬を膨らませて怒るメーテラを気絶しそうになりながらもマキアが諫める。
「い、いやおれがわるいので……煽ったせいです」
もし普通にマキアがやられていたらボロ雑巾のような酷い状態にまでされなかっただろう。しかしマキアは立ち上がり、彼女を煽り、殴られても尚立ち上がって挑発した。
その結果がボロ雑巾だ。
「もう大丈夫? 昨日も怪我したばっかで……って、そういえば右手はどうしたの?」
昨日もその前も怪我をして、マキアは負傷ばかりしている。そんな調子では負った怪我が治りきる前に負傷して結局完治しない。特に右手の怪我なんて……とメーテラが視線を落とした時、マキアの右手に巻かれていた包帯がいつの間にか解けていた。
メーテラが見ている方向に釣られるようにマキアも自らの右手を見て、初めてそれを知覚する。
動かしてみても痛みはない。というか動くようになっている。
(そういれば……最後殴ったの……右手だったな)
最後の一戦、マキアは右手を使っていた。どうやらその時には治ってたようである。
デザイナーズベイビーの子孫ってすごい。
「いつの間にか治ってました」
「いつの間にかって……えぇ」
マキアの右手は骨にひびが入ったとか折れたとかではないのだ。粉砕骨折に近い状態だった。それが一週間もしない内に完治するなど、化け物じみている。たとえデザイナーズベイビーの子孫だとしても、それこそ強化人種に近い。
「それより……あの人……何なんですか」
マキアにとっては右手の完治よりもソマリアに関しての関心の方が高かった。
ハンターの中では最下層に位置するマキアでもソマリアが実力者であるということには気がつける。彼女の素性を知りたいと思うのは当然のことだった。
メーテラは顎の辺りに人差し指を立てて置いて斜め上を見ながら、考える素振りを見せる。そして「まあいっか」と言ってマキアの方を見た。
「話そうと思ってたんだけど、元ハンターなのよ、あの人。それもすごい腕利きの」
「ああ、やっぱり」
腹に一発拳を叩きこまれた時点で察していた。
あれは傭兵や殺し屋の類ではない、と。
だからマキアは『元ハンター』と言われても特に驚かずに納得して、逆に喜んだ。
「で……でも一発顔面を殴ってやったぜ……へへ」
体中から血を流し、満身創痍の状態で挑んだ最後の一戦で、マキアはソマリアの顔面に右の拳を叩きこんだ。ソマリアが腕利きのハンターだとするのならばすごい快挙だ。
もしかしたら、一度区切りをつけるために殴らせてくれたのかもしれないが。
(いや……そんなことはしないか)
わざと殴られるような人ではないと何度も殴られて分かった。
ソマリアの集中力が削がれていて、肉体的にも全盛期を過ぎていて、戦いから身を離れて勘が鈍っていた状態だから、やっと一発を最後に当てられたというだけ。
「す、すごいけど……」
ソマリアに一発浴びせるという偉業のすごさを正しく把握していないメーテラには、あまりにもその代償が重すぎるような気がした。
「はは……そうかもしれないですね」
家に帰って来た安心したのかもしれない。メーテラに返事をすると段々と瞼が重くなってきた。
「……疲れました……ねます」
その言葉を最後にマキアは死んだように眠りについた。




