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偽りのハッピーエンドに、弔いのキスを  作者: ledled


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サイドストーリー:俺が壊した「完璧」な世界

安物の焼酎が、喉を焼く。

公園のベンチに座り、薄汚れた作業着のまま、俺、天城櫂は空を見上げていた。夕焼けが、まるで血のように空を赤く染めている。美しい景色のはずなのに、俺の目には、ただの灰色の濃淡にしか映らない。


「……くそっ」


吐き捨てた悪態は、誰に聞かれるでもなく、冷たい風に掻き消された。

数年前まで、俺は世界の王だった。

誰もが羨む美人の妻。社長令嬢という、最高のブランド。社内での圧倒的な地位と名声。そして、思い通りに転がせる、複数の愛人たち。俺の人生は完璧だった。欲しいものは、すべて手に入れてきた。


俺にとって、人間は二種類しかいない。利用できる「駒」か、利用価値のない「ゴミ」か。

妻の玲奈は、最高の「駒」だった。彼女の父親が大企業の社長であるという、ただ一点において。彼女自身に価値などない。世間知らずで、疑うことを知らない、退屈な女。だが、彼女の夫であるというだけで、俺は多くのものを手に入れることができた。


愛人たちも、都合のいい「駒」だった。寂しさを抱えた人妻、出世欲のある部下の女。少しばかりの優しさと甘い言葉を与えてやれば、面白いように俺にのめり込んでくる。彼女たちの体を貪り、心を弄ぶのは、退屈な日常における最高のエンターテイメントだった。


そう、俺の世界は完璧だった。

あの男、織部奏に出会うまでは。


最初に彼を見た時、俺は直感的に嫌悪感を抱いた。

地味で、口下手で、面白みのかけらもない男。だが、その瞳の奥には、俺が決して手に入れることのできない「何か」が宿っていた。それは、偽りのない誠実さ、とでも言うべきものだろうか。


彼が、妻の紗良と娘の結愛に向ける眼差し。それは、俺が妻や娘に向ける、計算された演技とは全く違う、本物の愛情に満ちていた。

バーベキューの時、奏が撮った家族写真を見せてもらったことがある。ファインダー越しに切り取られた、幸せそうな妻子の笑顔。その写真を見た時、俺の胸の奥に、得体の知れない黒い感情が渦巻いた。


嫉妬。

そうだ、俺は嫉妬していたのだ。この俺が、あんな平凡な男に。

彼が持っている、俺が持っていない「本物」の幸福。それが、無性に腹立たしかった。だから、壊してやりたくなった。彼が大切にしているものを、一つ残らず、根こそぎ奪い去ってやりたくなったのだ。


計画は、至ってシンプルだった。

まずは、妻の紗良を落とす。彼女は、典型的な「飢えた女」だった。夫の愛情に不満はないが、刺激に飢えている。少しばかりの優しさと、非日常的なときめきを与えてやれば、簡単にこちらに靡いてくるタイプ。


「紗良さんは、本当に素敵な女性だ。奏さんにはもったいないくらいだよ」


俺がそう囁くと、彼女は面白いように顔を赤らめた。チョロい女だ。夫への小さな不満を煽り、自分が彼女の唯一の理解者であるかのように振る舞う。夫が仕事で疲弊しているタイミングを狙って、甘い言葉を送り続ける。それだけで、彼女は勝手に俺を「運命の人」だと勘違いしてくれた。


次に、奏を社会的に抹殺する。

彼がリーダーを務めるプロジェクトは、俺の妻の実家の会社が関わる、超重要案件だった。俺は、営業としてそのプロジェクトに深く関わる中で、システムの構造やセキュリティの脆弱性を、奏本人から聞き出していた。彼は、俺を「友人」だと信じきっていたから、何の疑いもなく、専門的な情報をペラペラと喋ってくれた。本当に、救いようのないお人好しだ。


俺は、彼から得た情報を元に、完璧な偽装工作を仕掛けた。彼が持つ特権IDを不正に利用し、あたかも彼が情報漏洩の犯人であるかのように見せかける。素人が見れば、絶対に彼が犯人だとしか思えない、完璧な証拠の連鎖。彼が必死に無実を訴えれば訴えるほど、周囲は彼を「追い詰められた哀れな犯人」だと認識するだろう。


全ては、俺の筋書き通りに進んだ。

奏は会社をクビになり、紗良は俺の腕の中に泣きながら飛び込んできた。そして、娘の結愛。子供なんて、もっと簡単だ。「パパのせいでママが泣いている」と吹き込み、少し優しくしてやれば、すぐに懐いてくる。

奏が絶望の表情でリビングに現れた時、俺は紗良の肩を抱き、結愛を膝に乗せて、最高の笑みを浮かべてやった。


「パパなんか嫌い!」


娘からの拒絶の言葉を聞いた時の、奏のあの顔。まるで世界が終わったかのような、抜け殻のような表情。あれは、まさに芸術だった。最高の達成感に、俺は体の芯から震えた。


俺は、奏から全てを奪った。

彼の仕事も、家庭も、社会的信用も、そして、愛する娘からの信頼も。

奏が築き上げてきた幸福という名の城を、俺は木っ端微塵に破壊し、その瓦礫の上に、俺の新しい王国を築いたのだ。


離婚した紗良と、堂々と付き合い始めた。彼女は、俺との「新しい幸せ」に酔いしれていた。俺が与えるブランド品や高級レストランに、まるで少女のようにはしゃぐ姿は、滑稽ですらあった。結愛も、すっかり俺を「新しいパパ」として受け入れているようだった。

俺は時々、紗良のスマホを盗み見て、奏への当てつけのように投稿されるSNSを眺めては、ほくそ笑んでいた。奏は、今頃どんな気持ちでこれを見ているだろうか。想像するだけで、極上のワインを味わうような快感が込み上げてきた。


俺の世界は、より完璧なものになった。

そう、信じていた。

あの「Eメール」が届くまでは。


最初は、妻の玲奈の様子がおかしいことに気づいた。いつもは俺の言うことを何でも聞いていた彼女が、冷たい、探るような目で俺を見るようになった。そしてある日、彼女の父親である社長から、呼び出しを受けた。


社長室の重厚な扉を開けた瞬間、俺は悟った。

何かが、終わったのだと。


社長の机の上には、プリントアウトされた大量の書類が置かれていた。それは、俺が複数の女と交わした破廉恥なメール。俺が会社の経費を不正に流用した証拠。そして……俺がインサイダー取引を行っていたことを示す、決定的なデータ。


「……どういうことかな、天城くん」


社長の声は、氷のように冷たかった。

だが、俺を本当の絶望に突き落としたのは、その後に彼が再生した、音声データだった。


『あの老害、早く死なねえかな』

『玲奈なんて、親の金がなきゃ何の価値もねえ女だ』


俺の声だ。家の中で、玲奈を侮蔑し、社長を罵倒していた、俺自身の声。

なぜ、これが。

脳裏に、娘の莉子の顔が浮かんだ。そうか、あいつか。反抗期で、いつも俺を睨みつけていた、可愛げのない娘。あいつが、俺を裏切ったのか。


その瞬間、俺の頭の中から、全ての思考が消え去った。

血の気が引き、手足が震える。俺が築き上げた完璧な世界が、足元からガラガラと崩れ落ちていく音が聞こえた。


会社は、もちろんクビ。刑事告発され、天文学的な額の損害賠償を請求された。玲奈からは、慰謝料請求付きの離婚届を突きつけられた。財産は全て差し押さえられ、俺の手元には何も残らなかった。


保釈された後、俺は最後の望みをかけて、紗良の元へ向かった。あの女なら、まだ俺に惚れている。金を無心できるかもしれない。

だが、あの馬鹿な女は、俺の頼みを断りやがった。その瞬間、俺の中で何かが切れた。


「お前みたいな中古品に価値があるとでも思ったか!」


罵声を浴びせて、彼女の元を去る。もう、どうでもよかった。

全てが終わったのだ。


刑務所での数年間は、地獄だった。

かつて俺がエリートサラリーマンだったことなど、誰も知らない。俺は、ただの囚人番号で呼ばれるだけの、ゴミになった。

毎日、考えた。なぜ、こうなった?どこで間違えた?


答えは、分かっていた。

織部奏。

あいつだ。あいつが、俺の人生を破壊したのだ。

匿名で送られてきたという、あのEメール。あれは、間違いなくあいつの仕業だ。あいつは、全てを失った後、俺への復讐のためだけに生きていたのだ。

俺が彼にしたのと同じように、いや、それ以上に用意周到に、俺の全てを奪い去った。


出所してからの生活は、惨めそのものだった。

日雇いの肉体労働で、その日暮らしの金を稼ぐ。かつての同僚や友人は、誰も俺に連絡してこない。住む場所は、ドヤ街の安宿。

酒だけが、唯一の慰めだった。酔っている間だけは、この惨めな現実を忘れられた。


今日も、公園のベンチで一人、酒を飲む。

夕日が目に染みる。

ふと、目の前を、幸せそうな親子連れが通り過ぎていった。父親の肩車の上で、小さな女の子が楽しそうに笑っている。

その姿が、かつての織部奏と結愛の姿に重なった。そして、俺が手に入れることのできなかった、「本物」の幸せの形。


俺は、なぜ、あんなものを欲しがってしまったのだろう。

自分の完璧な世界を、わざわざ危険に晒してまで、なぜ、他人の幸福を破壊しようとしてしまったのだろう。

あの時、奏の家族写真を見て、黒い感情が渦巻いた瞬間。あの時、俺の歯車は、破滅に向かって狂い始めたのだ。


「……あはは」


乾いた笑いが、口から漏れた。

結局、俺は、織部奏に負けたのだ。

何もかも持っていた俺が、何も持っていなかったはずの、あの男に。

いや、違う。彼は持っていた。金や地位では買うことのできない、たった一つのものを。俺は、それを奪おうとして、自分が持っていた全てを失った。ただ、それだけのことだ。


焼酎のパックを握りつぶす。

中身は、もう空っぽだった。

俺の人生と、同じように。

立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。俺は、そのままベンチに崩れ落ち、アスファルトに顔を突っ伏した。通り過ぎる人々が、汚物でも見るかのように俺を一瞥していく。


これが、俺の結末か。

王様だった俺が、誰からも見向きもされない、道端のゴミになる。

最高のエンターテイメントだ。

観客は、もういないけれど。


意識が、ゆっくりと闇に沈んでいく。

最後に脳裏に浮かんだのは、俺を絶望の淵に叩き落とした、あの男の、静かな顔だった。

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