プロローグ+第一話
中庸を目指す役小角の妖怪ファンタジー奇譚
プロローグ
これは、今と違ってぎょーさん、妖怪がいた頃の話。
スマホもなくて、夜は暗くて、怖いことも、危険なことも多かった。
いつの時代にも、調和のために選ばれた人間というものは居るものだ。
役小角その名前がついたものは、人と妖怪の中庸を選ぶ使命があった。
第一話
犬神
朝日が眩しい。
木々の合間を縫って、分け隔てなく塗られる太陽の温かい眼差しに、青年は顔をしかめた。
夜の寒さに耐えかねて、夜通しの山行を行った青年には、夜の帳が下りが恋しかった。
青年が、顔をしかめたのは、もう一つの要因がある。
山の中で、犬神に声をかけられたのだ。
犬神は、青年が寝ようとするとやってきてこういったのだ。
この山は我らの山。我々の調和を乱すな。と。
調和を乱すつもりはないと青年はいったものの、犬神は聞く耳を持たない。
青年は、身の危険を感じ、山越えを強行したのだった。
そして、夜の間の方が、犬神は、襲ってこないだろうと予想もしていた。
山は、すべての生き物に平等だ。それが夜で判別がつかなければ尚更。
犬神のいう、我々の調和も、犬神達の中での話だ。山の神は、また別の統治権を持つ。
山で死なないようにするには、山の神様に嫌われないこと。これが最重要だと、青年は、師匠から口酸っぱく言われてきたことだった。
だが、夜が明けては、限界だ。姿を木や岩に紛れさせることができない。
青年は、仕方なく山を下りた。
山伏の格好をした青年が、人の村に降りてきても、おかしくはない。目立つ格好ではあるが、修行途中で、道に迷い、下山したと言えば、そう訝しがられることはない。
問題となるなら、一人であること。
普通、山伏は何人かで行動し、山行を行う。
山伏の格好をした、怪しいものと疑われてもしょうがない。
その際は、また山に上がろう。
青年は考えた。
山の麓には、村があった。
ああ、ここか。と、青年はぽつりと独り言を言う。
青年が感じたのは、犬の匂い。
村全体が犬臭いとも言えた。
引き返そうにも、後ろも犬の気配がする。
これは、嵌められたな。と、青年は、数珠を固く握った。
青年がここを切り抜ける切り札があったが、無駄な争いはしたくない。
役小角の名前を背負うものは、中庸を目指さなくてはならない。
青年は、肩にのしかかる名前の重みに、ふぅとため息をつくと、麓の村に向かって、歩き出した。
村では、なにか慌ただしく、人々が動いていた。
このまま素通りさせてもらおう。
と、青年は、息を殺し、目立たないように、民家の脇を歩く。
「あんた、ちょっとあんた」
青年が、振り返ると年の頃は六十だろうか?
それにしては、老け込んでいるように思える老婆が声をかけてきた。
「あんた、山行の途中ではぐれたんかい?」
「いや、僕は一人で修行するのが好きなもので」
「変わった人だね」
老婆は歯の抜けた口から、くぐもった笑い声をだす。
そして、青年は、老婆の影に犬の霊を見た。いくつもの子犬の霊と、大きな犬の影。
青年の眼光に、老婆は一瞬怯むも、踏みとどまり、青年にこう持ちかける。
「私ゃこの村の産婆でな、これから、村長の嫁入り娘さんが出産をするのだ。安産祈祷をお願いしたいのだ」
「それで、他の人がバタバタしてるんですね」
「そりゃ、嫁入りできた娘が、死産なんかしたら、隣村と一悶着になるからね」
足を止めてみれば、村人は一様に、木彫りの犬、藁で作られた犬、等、犬を模したものを家から持ち出している。
これがこの村の風習なのだろう。
犬神が住む山。
犬神に取り憑かれた村。
いつしか、犬神に、命を託す村。
多産の犬が、安産祈願の象徴になるのは、物事の流れとしてはおかしくはない。おかしくはないが、、、
歪なしきたりの違和感に、青年は、閉口したが、共生しているように見える両者に、中庸の道を見た。
これも、試練の一つだと、青年は、考え。産婆に返した。
「修行中ではありますが、安産祈願の祈祷、お受けいたします」
青年がこう言うと、産婆は手を叩いて喜んだ。
「ありがとうよ、早速支度をしよう」
青年は、産婆とともに、村長の家に赴く。
村長の家の玄関先には、ところ狭しと犬をかたどった置物が置かれ、足の踏み場もなかった。
家の中から初老の男性が、置物を蹴飛ばしながら、産婆に向かって産婆の手を取った。
「そろそろ産まれるかも知れん」
「わかりました、すぐ参ります」
産婆と手伝いは、置物を蹴り飛ばしながら、家の中へ進む。
置いていかれた、青年は、転がされた犬の置物を丁寧に片付けることにした。
駆けつけてきたのに、ただ転がされているのもかわいそうだというだという気持ちからだった。
だが、一つに手をかけると、犬の置物は青年に囁いた
-あの産婆は悪い産婆だ。子供を殺す悪い産婆だ
赤い犬の置物が囁く
-仕方ないよ、この村の村長の家は、必ず子供が双子で生まれるんだから
黒い犬の置物が囁く
-犬神様が、力を貸しているのに、畜生腹だとよ。人間は馬鹿だ
藁でできた犬の置物が囁く
-人間は身勝手だ
木彫りの犬の置物が囁く
-あの産婆は、時期に報いを受けるだろうね
青年は産婆についていた子犬が、間引かれた子供の霊だと知る。
青年は、空で印を切り、従者を呼び出した。一つの赤い火の玉が、青年の目の前に浮かぶ。
「役小角の名をもって命ずる、前鬼よ、産婆の護衛をしろ」
火の玉は、二、三周、青年の周りを回ると、家の奥に飛び込んでいく。
その後を、青年も追った。
そして、家の中の空気。
否、村の中の空気が妖気に満ちるのを感じた。
頭が割れそうなほどの犬の絶叫。
「役小角の名をもって命じる、後鬼、周辺の様子を知らせろ」
青い人魂が、青年の元から飛び出し、家から脱出する。
役小角は、襖を開くと、そこには犬の集団がいた。
犬の集団は、役小角を警戒し、ぐるぐると唸り声を上げている。
その中の1頭が、役小角に飛びかかろうとした時に、役小角は、襖を締め、脱兎のごとく庭に飛び出て、外壁の上に登る。
襖を破り、何匹もの犬が、辺りを警戒し、役小角を探す気配を見せる。
中には人間の服を着た犬もいる。
ここは犬神の村で間違いない。再び確信した、役小角は、戻ってきた青い人魂から、村人の殆どが犬の姿か、または人であっても犬のように四つん這いで歩き回り、地面に鼻を擦り付けていると聞く。
何かが普通の犬神付きと違う。役小角はそう思った。
犬神付きの家系というものは、呪術に強く、他の人間から忌み嫌われると言われている。が、それは普通は家や一族。人間の中に異物として存在するのが許されている小さな個であった。
このような、村単位、山単位で犬神に支配されているのは、特例中の特例だ。
役小角は悩んだ。とりつかれている人々を助けることは、中庸ではない気がしたからだ。
なら、どうしたら、犬神にとってもこの村人にとっても最善なのだろう。
このまま、犬のように生活するのは、人にとってあまりにも酷だ。
思案しているうちに、ひときわ大きな叫び声が聞こえる。
恐らく、妊婦の叫び声だろう。
この妖気の中で、人間が残っているのは想像してもみなかった。
役小角は、前鬼の気配を頼りに、屋根伝いに、その部屋に到達する。
印を切り、前鬼の居る部屋の中に飛び込むと、そこでは大きな犬が人の声を上げながら、出産の苦しみに耐えていた。
「お前どこから来た!!」
叫ぶ産婆は、まだ人の形を保っていた。
役小角は、産婆が持っているへその緒を切るための短刀を見過ごさなかった。
「キエエアエ」
産婆は、役小角に向かって刃物を持って突進をするが、役小角は、刃物を指先で制し、その刃物はぐにゃりとまがる。
「ひ、ヒェ化物!!」
「僕にかまうより、母親を助けてください」
苦しそうに唸る母体の股から水が滴り、いかにも後少しで産まれるというところだ。
産婆は、お前に言われなくとも!と吐き捨て、母犬のもとに駆け寄ろうとする。
巨大な母犬が吠える。
「寄るなぁあ!!!子殺しの産婆があああああ!!!」
母犬が、産婆を蹴ろうとする足を役小角が止めた。
「前鬼。母親を抑えろ」
役小角の呼び声に応え、赤く燃える人形の鬼が出現する。
前鬼は母犬の体を全身を使い押さえつけた。
「ぐぅう、、、鬼使い、、、邪魔をするな!これは、我々の問題だ」
襖が、どんどんと叩かれ、家中がきしみ上がる。
「後鬼、この空間を守れ」
青い人魂が出現し、部屋一面に防御壁を展開する。
母犬は吠えた。
「私は母親になんてなりたくなかった!この村では必ず、畜生腹になってしまう!!畜生腹になんてなりなくなかった!!それでも、生まれた子を殺されたくはない!!」
母犬が力み、血の匂いが部屋に充満する。
産婆は、胎盤を手で裂き、なかからおぎゃあ、クゥンと鳴く、1人と一匹を見る。
産婆の顔がみるみる、鼻が伸び口が裂け、黒い毛で覆わていく。
役小角は、見誤っていた。
この村は確かに、犬神の呪が蔓延した村だった。
しかし、それはあくまで表面上であり、犬の置物が喋るのも、村人が犬のように行動するのも、村人が犬になってしまうのも、副産物だった。
真の呪は、産婆が1人抱えていた。産婆は、何人もの産まれたばかりの赤子を間引く内に、犬神の呪の器として完成されていた。
犬神とは、本来呪殺のための道具として人為的に作り出される妖怪であり、その作り方は、蠱毒に似ている。
産婆は、その手で幾人もの赤子を取り上げ、また幾人もの赤子を殺してきた。
命の選択をしている内に、赤子の無念をその身に宿していたのだ。
役小角は悟った。犬神達が言っていた中庸を乱すなとは、新たな犬神の誕生を阻止するなということだった。
役小角は、迷った。ここで、新たな犬神の完成を見届ければ、犬神達はもう襲ってこないだろう。
しかし、
役小角は見てしまった。
犬の顔の産婆が、生まれたばかりの子犬の首を絞めようとしている時に
「ごめんなさいね」
と泣きながら、言ったのを聞いてしまった。
役小角は、自身に課した封印を解く、
髪は赤く燃え、目は金色に輝き、山伏の衣装は、天界の衣と化し、宙を舞った。
突然の神々しい存在に、産婆は目を見開く。その眩しさは、明け方の太陽に等しかった。
「産婆、よく見ろ。その子も人間だ」
産婆の顔がみるみる、シワの深い老婆に戻る。
老婆の手に抱かれてたのは紛れもない、女児だった。
「もう、殺すな。これ以上、殺せばお前は犬神になってしまう」
「あ、、、ああ、、、」
「お前が犬神になるのを私は見過ごせない」
「でも、、、私は、、、一杯殺した、、、たくさんの赤子を殺した、、、」
「お前がそういう役目を与えられただけだ、犬神になる必要はない
出来るなら、生きて、殺してしまったものたちを弔え」
「ああ、、、、あああ、、、」
産婆が、泣いているところに、先ほどまで大犬であった母親が、人の形に戻りながら、這いずってやってくる。
母親は、もう1人の産み落とされた男児を抱きかかえると、こういった「泣きたいのはこちらだよ、私はやはり畜生腹だった。早くそいつを連れて出ていってくれ!!もう苦しいのはたくさんだ!!!」
役小角は、普段の山伏に戻り、前鬼と、後鬼を回収する。
「わかりました。我々は撤退するとします」
役小角は、母親の叫びと男児の泣き叫ぶ声を背中に受けながら、赤子を抱えた産婆とともに部屋を出ると、
「あなたは先に逃げてください、村の出たところで合流しましょう」と後鬼をつけて送り出した。
「え、ええ、、、」
「さぁ行って」
役小角がトンと背中を叩くと、産婆は、あやつり人形のように足を進める。
産婆の腕にくるまれた女児は、後鬼の人魂の尾をしゃぶっていた。
役小角は、荒れた家の中を一廻りする。犬だった人間は、お互いにどうして裸なのか見当もつかず、それでも脱ぎ捨てた服を探して着ていた。
玄関先の犬の置物は、全部一同にひっくり返っていた。
役小角は、ビリつく妖気を感じた。
「来るか」
玄関が落し扉のように、ガバと開き、中に犬のおもちゃや置物が落ちていく。
黒い空間には、螺旋に犬の歯が生えて、少しでも触れたら怪我を負うだろう。
役小角もその中に落ちていった。
『なぜ、邪魔をした』
犬の吠え声とともに、役小角を攻める声が続く。
『新しい犬神の誕生を邪魔をした』
『お前が中庸?人間に肩入れしているではないか』
『お前は役小角にふさわしくない』
轟々と叫ばれる中、役小角は封印を解く。
赤く燃える髪、はだけた金色の山伏の衣装。
「犬神、お前らはやりすぎた。産婆という職業の苦悩を利用し、罪悪感に苛まれるように、死んだ子供を悪霊にして、産婆にとりつかせた」
役小角は、右腕に、前鬼を呼ぶと前鬼は、燃える刀に変質する。
「中庸のために、少し力を削らせてもらう」
役小角が燃える刀を振るうと、らせん状に生えた犬の歯がボロボロと崩れる。
多数の犬の叫び声が聞こえ、今度は黒い濁流のような犬の大群が押し寄せてくる。
「前鬼、」
役小角の命令に、刀の前鬼が呼応する。
燃える刀の前鬼は、七又に別れ、濁流を封殺する。
激しい火柱と、犬の鳴き声が異空間に反響し、空間が乱れ始める
役小角は、後ろに飛び退きながら、犬の濁流をいなす。
落ちてきた玄関の天井を背中に捉えた時に、ばっかりと開いた犬の口に、言う。
「犬神、お前らでは私には勝てない。私は、中庸を目指すために誰よりも強く在る」
犬神は、口惜しそうに、一つ遠吠えをあげると、異空間を閉ざした。
異空間に飲まれた、多数の履物と犬の置物は、朽ちていた。
役小角は、また山伏の姿に戻り、前鬼も姿を消す。
役小角は、急いで産婆の元に向かった。
護衛に出していた後鬼を気配を追い、村外れの茂みに産婆と赤子は隠れていた。
産婆は、役小角の姿を見つけると駆け出してきてこう告げる。
「山伏様、申し上げにくいのですが、産まれたての赤子を抱えてどこに行けばよいのでしょう。今は大人しいですが、私はもう乳の出ない年です」
役小角には、まだ後鬼をしゃぶっている赤子が見えた。
「それにあなた様はいったい、何者なんですか」
『役小角』
役小角が答えるより前に、茂みから、黒衣装の団体が出てくる。
犬神達が人の形を模していると役小角は見破ったが、敵意は感じなかった。
「えんの、おづの」
産婆が、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
犬神が、掠れつつ穏やかな声で話す。
「俺たちも聞き分けの悪いガキじゃない、考えた。ここは俺たちの山だ、俺たちの定めた規則が在る。ただお前は怖い。強い。だから、お前がこの山から出るなら、補償しよう。身の安全。二人の」
「それを信じる根拠は」
役小角は、犬神を睨見つけつついった。
「中庸のお前がそれを求めるか、まぁいい。所詮、そこの二人も犬神の山で生まれた者。人の勝手な禁忌から、双子は畜生腹だの蔑まされているが、我々は多産が元の犬よ。同族を殺したりしない」
役小角は、一番前に立つ頭の犬の目を見据える。
人にはない、獣特有の光があった。
犬神は、愚かな妖怪だ。
人を信じ、呪の箱とされ、また人の命令で、殺す。
それがどういうわけか、この山で繁殖し独自の村を形成し、人と共生し、人の子が無事に生まれますようにという願を、犬神なりに叶えてきたのだろう。
この山を覆う犬と犬神、犬神から益を得た人間の数を考えると、数代は続いてきたと思われる。
役小角は、ここで身を引くことにした。これ以上の介入は、中庸にも反することになる。。
「産婆、あの者たちについていけ」
「は、嫌ですよ、なんですかあの者たちは」
産婆は、激しく体を揺すると、赤子がしゃぶっていた後鬼が抜ける。
赤子が激しく泣き出すと、人に化けた犬神の一団の女たちがおろおろとしだす。
犬神の頭が掠れた声で、しかし優しい口調で言う。
「ばぁさん。俺とあんたとは、まぁ親戚みたいなものだ。
あんたに赤ん坊の世話はできないだろう、それにあんたが背負ってきた水子の供養。俺たちにもさせてくれ。人でなくとも、祈る事はできる」
産婆は、役小角を見やる。
役小角は、無言で頷いた。
産婆は、泣く赤子を宥めながら、犬神の一団に迎え入れられる。
犬神達の和やかな雰囲気に、赤子はきょととしたあと、きゃっきゃと無垢な笑いを浮かべた。
和やかな雰囲気を切るように、後鬼が反応する。
恐らく、母親の証言と、産婆が居ないことに気がついた村人が、探しているのだろう。
犬神もそれに気が付き、撤収の合図を送る。
「役小角、出来ればもう来ないでくれよ」
掠れた声で犬神がいうと、一団は林の暗闇に掻き消えた。
役小角も後鬼を呼び、反対の方向の林の中に逃げ込んだ。
山の中で、もう犬神は、ちょっかいをかけてこない。
役小角は、振り返り、産婆と赤子が、犬神に誘われた方向を見る。
犬の遠吠えが一つ、山の中をこだました。
ニュートラルエンド
続く