1.4
エレベーターの扉が開くと、明るく無機質なエントランスホールが、再度2人を歓迎した。
「後でホームページのリンク送るね!」
「・・・連絡先知らないだろ」
「そこは大丈夫!」
なにが?
2人がエレベーターから降りると、向かって左側にある電子パネルが起動した。
「それじゃあ貸出登録してくるから」
「分かった。待ってるね~」
「いや、一緒に帰るなんて通知・・・って言っても無駄か」
ユウは頭を掻きながら電子パネルの方へと向かった。
パネル上に本を置くと、題名が表示された。
それは聞いたことも見たこともない文字列だった。
思わず視界左下を確認するが、猫が顔を洗っているだけで、新規通知を確認することは出来ない。
ユウはディスの方に振り返ってみた。
殺風景なエントランスホールをフラフラしているディスと目が合う。
ユウに手を振るその姿は、『通知を見るな』と言っているようにも見えた。
電子パネルに向き直ったユウは、生唾を飲み込んだ後、貸出登録画面へと移行した。
エントランスホールにユウの入力音が響く中、ディスはエレベーター群の中央に配置された案内図をぼんやりと眺めていた。
「そういえばユウ君は他の階で降りたことある?」
「唐突になんだ?」
「ん~?なんとなく気になってさ」
「俺は読みたい本が全部地下11階にあったから、他の階に降りたことは無いな。それがどうした?」
「そっか・・・ううん。何でもない」
ユウは首を傾げ、もう一度電子パネルを操作し始めた。
その後ろでディスは、いくつかのエレベーターのボタンを押してみた。
しかし、どのボタンも反応することはなく、ドアが開くことは無かった。
彼女はプラグインをOFFにして、通知を確認した。
『エレベーターの操作は受け付けられません。速やかに図書館から退館し、帰宅しなさい』
ディスは天井に設置されたカメラを凝視した。
図書館を出ると、今朝から降っていた既に雨は止んでいた。
本が雨に濡れる心配は無くなったが、今だ分厚い雲が空を覆っており、気分の良いものではなかった。
2人は傘を手に、バス停までの道を歩く。
ユウは行き道の反省から、大きく水溜まりを迂回し、蛇行しながら歩いた。
それに対し、ディスは時折、わざと水溜まりの中に飛び込み、水しぶきを上げて喜びながら歩いた。
「そういえば、あの本読んだことがあるのか?」
「昔ね」
「ふーん・・・でも、ディスが面白いからって俺も面白いとは限らないんじゃないか?」
ユウは迷惑そうな顔をしながら、ディスを少し挑発してみせた。
昨日の喫茶店から今の水しぶきに至るまで、ディスに対する不満が溜まっていたユウは、少しでもいいからやり返したくなっていた。
「大丈夫だよ」
「どうしてそう言い切れる?」
「では、ユウ君に問題です」
少し先を歩いていたディスは振り返り、いたずらな笑みを浮かべる。
「どうしてあなたが手にする本、全てのネタバレが出来たと思う?」
ユウはその発言で目を見開き、立ち尽くした。
「まさかディスも同じ本を勧められたのか?」
「読書家はだいたい同じ本を読むことになるみたいだよ。その小説は昨日のやつから・・・だいたい5本ぐらい先のやつだったかな」
「なんでそんなこと・・・」
「話のネタになるからじゃない?充実した人間関係は幸福の証でしょ」
ディスは軽やかな身のこなしで、大きな水溜まりを飛び越してみせた。
バス停に着くと、既にバスは停車しており、2人を待ちわびたかのように入り口のドアが開いた。
導かれるままに乗車すると、ユウは真っ先に右側最後部の座席へ向かった。
帰り道はいつもそこへ座り、ウィールが選んだニュース番組をぼんやり眺めて過ごすことが習慣となっていた。
しかし、今日は事情が違う。
どうせ隣に座るんだろうなぁ・・・
彼は座席につくと、隣を見た。
そこには予想に反して、ディスの姿はなかった。
前方の様子を窺うと、ディスは運転手に話しかけていた。
彼女は運転手に一方的に話しかけており、運転手の方はというと、困った様に目を泳がせ、愛想笑いを浮かべたりしている。
ユウにとって運転手が困惑している理由を想像することは簡単だった。
通知になかったんだろうなぁ・・・
助けてあげたいけど、俺も通知見れてないし・・・
すみません、運転手さん。頑張ってください。
ユウが心の中で応援していると、鬱陶しくなってきたのか運転手が何か言ったようだった。
すると、ディスは唇を尖らせ、運転手の真後ろの座席に着席した。
肩にかけていたヘッドホンを付けると音楽を聴き始めたようで、ユウの方へ向かう気配はない。
度々唸り声を上げていることを不思議に思っていると、
隣に来ないのか?
バスのドアが閉まり、発車のアナウンスが鳴った。
ユウはこっそりとプラグインを操作し、通知を確認した。
履歴には図書の貸し出しを制止する通知が大量に届いており、彼は前方の背もたれに頭を置いた。
やっぱりあの時、断っておけばよかったか?
でも、本が読めなくなる。
しかし、このままだと不幸に・・・
前方から突然、唸り声が聞こえ、ユウは肩をびくつかせた
恐る恐る頭を上げて、ディスの方を見ると、断続的に納得いかなげな唸り声をあげ、首を前後左右に傾げていた。
その奇怪な行動は、ユウから後悔の念をいとも簡単に忘れさせた。
そもそも、何をしでかすか分からない奴に、NOなんて言えるわけもないか。
ユウは履歴を閉じて、最新の通知を確認した。
そこには、いつもの様にニュースの閲覧を促す文章が書かれていた。
念のため、ディスの様子をもう一度窺う。
彼女は外を見ながら音楽を聴いており、やはり最後部座席に来る気配はない。
ユウはそのままプラグインをOFFにはせず、通知に促されるまま、ニュース動画を流し始めた。
『何故、結婚や就職といった長期的な未来予測が可能なのに、未来の全てを知ることが出来ないのか。それは結婚も就職も日常の一部だからです。未来の全てとは、つまるところ現在から死ぬまでの日常と言い換えられます。その中には学業があり、交友があり、恋愛があり、就労などなどがあるわけです。1つ要素を未来予測するだけでも膨大な特徴量を扱う必要があり、全てを合わせるとなると、既存のサーバーセンター数、エネルギー生産量では1日のスケジュールを予測するのが精一杯なのです。修正も逐一行う必要があり、1~2割程度はスケジュール通りでないことは皆さんも知る所でしょう。そのため、自分の人生を最初から最後まで教えてもらうといったことは不可能なわけです。しかし、先程述べたボトルネックが解消されれば全ての─────────』
なにやら偉そうな学者様がご高説を垂れ始め、眠気を誘われたユウは目をつむりながら、いつも通りにぼんやりとニュースを眺めていた。
すると、画面越しの瞼の色が変わった。
薄目を開くと、車内のLEDが点灯しており、窓の外は暗闇に覆われていた。
トンネルに入ったようだった。
その内に街頭はなく、バスが進んでいるのか、止まっているのか、はたまたバックしているのか認識出来ない。
ユウはこの全ての感覚を奪われたような景色が嫌いだった。
「起きた?」
突然話しかけられたユウは目をしっかりと見開いた。
隣を確認すると、いつの間にかディスが座っていた。
「・・・ずっと起きてるよ」
「いびきかいてたよ」
「え?」
「嘘だけど。はい、これつけて」
彼女はヘッドホンの片耳をユウの方に差し出した。
「えぇと・・・」
「通知は見ない!」
通知を見ようとしたことがバレたユウは、しぶしぶヘッドホンを受け取り、ニュースが映し出されていたウィンドウを閉じた。
プラグインをONにするその一瞬、目の端に見えた通知は、会話の制止を指示していた。
「つけたね!?はい、前見て!前!」
ディスはユウの頬をグイグイと押す。
「何なんだよ」
「バスのおじさん教えてくれなかったけど、たぶん見れるから!」
「だから何が」
「曲も多分いい感じだから!」
「こたふぇになってにゃい!」
ユウがつぶれた口元から文句を吐き出していると、バスがトンネルを抜けた。
車内の証明が消え、外の明るさに眼がくらみ、ユウは目を細めた。
徐々に目が慣れていき、しっかりと前方を見据えると、そこには─────────
都市に沈みゆく綺麗な夕日が現れていた。
輪郭のない太陽は雲を赤々と焦がし、照らし出されたビル群がシルエットとなっている。
いつもよりコントラストの高い夕暮れ時は、ありもしない過去の匂いを漂わせ、美しくも物悲しい雰囲気を醸し出していた。
「やっぱり雨の日は好きだな~・・・」
ユウが隣を見ると、ディスも同じように目の前に景色に見惚れていた。
ヘッドホンからは、どこかノスタルジックなジャズがかかっており、2人の心の中に熱い物が込み上げた。
「・・・大きなヘッドホンつけてるからロックでも聞いてるのかと思ったよ」
「あ、偏見!いけないんだ~!」
「通知疑ってる方が駄目だろ」
「思想の自由は憲法で保障されてま~す」
赤く照らされた2人は、感動を共有するように、前を見据えたまま軽口をたたき合う。
「雨の日は好きじゃない。外出は出来ないし、本が湿気を吸うからな」
「うん」
「でも、こういうのが見れるなら・・・」
「・・・」
「確かに、雨も悪くないな」
気持ちのいい沈黙のまま、バスは2人を乗せて、駅までの長い道のりを走っていった。
「ただいま~」
誰もいない廊下にユウの声は吸い込まれていく。
しかし唯一、彼の吐き出した疲労感を聞いている者がいた。
明かりが点いたのに気づいて、慌ててプラグインをOFFにする。
『本日の夕食は以下の通りにせよ─────────』
最新の通知が届き、いつもの日常へ帰ってきたことを確認する。
通知履歴を遡ると、ひたすらディスとの会話を制止する通知が羅列されており、ユウは頬を引き攣らせた。
予想されうる最悪な未来が霞みの様に想起され始めるが、それが具体性を帯びる前に腹の虫が煩く鳴った。
考えたってどうせ来る未来だ。
今は腹を満たそう。
ユウは首を振ると、靴を脱いで、自宅に上がり込んだ。
ユウが夕食を取っていると、知らぬ宛先からメールが届いた。
題名には、『ディスだよ!登録よろしく!』
中身を開くと、『私の会社のURL送っておくから、いつでも見学に来てね!httpspqc://www.LPTH─────────』
教えてもいない連絡先にどうやって送信してきたか不信がっていたユウだったが、図書館で耳裏を触られたことを思い出す。
あの時か?
ハッキングは犯罪だろ・・・まったく・・・・
名前はLPTH?それともルプスか?
たまにあるよな、こういう読み方が独特な社名。
ユウはURLから社名を推測したが、リンク先を見に行くことはしなかった。
転職するような就労通知を受けていない以上、彼が彼女の会社に行く理由はないからだ。
どんな会社で何を生業にしてようが、彼の預かり知る所ではなかった。
彼はメールをそっと閉じ、レンジで温めたスープを口に運んだ。
彼女の信条を映したようなあの夕日を思い出しながら飲むスープは、味気ない物だった。
風呂を済ませ、いつも通り読書をしようと、本に手を伸ばした時だった。
『本での読書はやめ、デバイスで次の小説を読みなさい。httpspqc://www─────────』
ユウの新しく届いた通知を見て、立ち尽くした。
ディスとの会話を制止することは、予定に反した行動だし、突発的に起こったことだから理解出来る。
しかし、どうして本で読んではいけないんだ?
ウィールだって知ってるはずだ。
俺は大勢友人を失っても、まだ本を借りるために図書館に赴く奴だぞ。
理解してくれたから、最近は警告もしてこなくなったんじゃないのか?
いったい何をもって、この行動が不幸に通じるなんて言え─────────
その考えが過った時、ユウは眉を顰めた。
乾いた笑いを漏らしながら、彼女の笑顔を思い出す。
感化され過ぎだ。ウィールの予測に疑問を持つ必要なんてない。
ただでさえ少ない友人が、さらに減るかもしれないんだ。
やめだやめだ。
この本はバッグに閉まって、来週返しに行こう。
ユウは本から手を放そうとする。
時計を見て、スケジュール更新まで時間があることを確認する。
手の爪の長さを見て、一昨日切ったことを思い出す。
既に閉まっているカーテンを弄り、きっちりと隙間なく締め切ったことを確認する。
溜息をついて、その場で屈伸してみたりした。
しかし、何をやっても彼の手から本が離れることはなかった。
『それならこの通知に書かれてることって何なのって』
彼女の言葉が思い起こされる。
『ディスの考えは明らかに間違っている』
自分の思考を思い返す。
『やめてください!』
昨日の婚姻相手の強い拒絶を回想する。
『やっぱり雨の日は好きだな~・・・』
そしてバスで見た夕焼け色に染まる彼女の表情を思い出した。
その夜、夜更かしをしたユウは、翌日の仕事に寝坊して上司に大目玉を食らうのだった。
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