第〇四説|幸福論
「大切なことは言葉にならない」 / 米津玄師 - 海の幽霊 ゟ
人は大切ナ事程、真っ先に忘れてしまうのではないかと思うことがある。目の前の憧れのアーティストを見て、「すごいな、羨ましいな。」と感じ、同時に自分と比較して劣等感を感じる。しかしその輝かしい人であっても、苦難や自分では想像もし得ないような経験があったのかも知れない。才能も研磨しなければ只の宝の持ち腐れにしかならないのだ。だから例えば美しい物を創り続けられる人は、そういった「研磨し続ける事」をしっかりとやっている。そして、「知」を愛している人が多いように感じる。
「解っている。」
それでも嫉妬してしまうサイクルが、深夜三時のある時に限って僕を苛むことがある。
ここで言いたいのは、「それでも良いのではないか」、「ネガティブな志向の方が良いのではないか」ということだ。理由を一言で言うなれば、「慢心しないから」である。これはこれまで生きてきた経験と周りを見て、色々と「知」を深めてみた中で得た、僕なりの一つの論である。現代社会では「ポジティブ=良い事=良い状態」とされ、一方のネガティブは「悪い状態」と、相対的にされる事が多いような印象を受ける。当然精神的に明るい、ある種何となく、ふわっと生きる事や、そういう状態になる事は重要であると思う。しかし、それはあくまで長いスパンでいう一時的なものであって、その波の大半の割合がそうであるべきとは思えない。
そんな「幸福論」的な僕の考えを述べた上で、個人的なお話をしたい。僕は今こうして「小説家になろう」にて小説を執筆したり、YouTubeに音楽や映像作品を上げたり、Instagramでは写真を投稿したり、将又TikTokでは配信を最近はしている。また、SNSでの公式LINEやアカウントも自身でしっかりと注意しながら運営している。一見、「幅広く手をつけすぎではないか」と思うであろう。しかし、僕にとってはあくまで「創作」をしているに過ぎず、大きい円の中に複数存在している、小さい円というキャンバスに、絵を描いているような感覚なのだ。そしてこういった経験の中で強く言っておきたいのは、「自分が満足いく作品というのは大抵の場合、ネガティブな状態の時に生まれる」という事だ。そのような不安定な時期だからこそ、これまでの良い経験悪い体験というのが思い起こされ、現場の思考と相まって、より良い表現が出来ているのではかと個人的に回顧している。これは創作活動に限らず、きっと日常的なそれぞれの人生の中でもそういった「ネガティブな状態であるからこそ生まれるもの」というのがあるはずである。
さて、本説は随分と長々と言葉を紡いでしまったが、言いたい事はシンプルだ。
「ネガティブを愛せ!それを愛し、受け入れたからこそ見える景色がある。」
という事だ。