第八話「これ拷問になってるのか?」
「──ヘタクソかァ!」
ガレージの薄暗い空間に、男の怒声が響き渡った。
濡れた床に座り込んだアルフレッド・ハーケンフォードは、びしょ濡れのスーツを身に纏い。荒い息を吐いている。
それは水責めの過酷さによる呼吸の乱れではなく、バケツを手にした二人の傭兵の手際の悪さというものに、心底ブチギレた結果だった。
白髪からボタボタと雫を垂らし、四角い眼鏡に水滴が溜まっている。
アルフレッドの前の二人の傭兵は、神妙な顔をして立っていた。
マルクは腕を組み、どこか困ったような顔をしている。一方のギドーは、ぬるま湯の残ったバケツを持ったまま、やれやれと尻尾を振り、首をかしげている様子だ。
「なあ、これ拷問になってるのか?」
「うーん……でも氷水は可哀そうじゃん?」
「倫理的にね……」
「だったら誘拐すなァッ!」
アルフレッドが血管を浮かせながら叫んだ瞬間、バタンと扉が開いた。
入室してきたのは、ストリートファッションに身を包んだエルフの女だ。
タオルを手にした彼女は、呆れたようにため息をついてみせた。
「エルニア。痛めつけるって、こんなもんでいいのか?」
「もう一杯いっとく?」
「……はい、ストーップ。二人とも、もう拷問係クビね」
彼女──エルニアの言葉に、傭兵二人はどこかほっとした表情を浮かべる。
エルニアは軽やかに歩み寄ると、タオルをアルフレッドに差し出した。
アルフレッドは一瞬訝しんだが、すぐに乱暴にそれを掴み、顔を拭う。
「お前は話が通じそうだな。今の……拷問……? の目的を言え」
「特にないわ」
「は?」
「私は単に、貴方がここで痛めつけられた……という事実を作りたかった。もっとも、まるで『拾ってきた犬を洗ってる子供たち』みたいな絵面だったけれど」
その言葉に、アルフレッドの手が止まる。
タオルの端を握ったまま、ゆっくりと顔を上げた。
「……何のつもりだ? 私を始末するつもりじゃあないのか?」
エルニアはニッコリと微笑んで、椅子に腰掛けた。
「まさか。貴方には、生きて帰ってもらわなくちゃいけないもの」
アルフレッドの顔から、思わず眼鏡がずり落ちそうになった。
「……というと?」
「まず、いくつか確認したいことがあるわ。正直に答えて」
「嫌だと言ったら?」
「ヘタクソな拷問官ふたりを、また起用することになるわ」
「よせ! 時間の無駄だ! 本当に無駄だ!」
*
エルニアの質問は三つ。
──マルクへの暗殺計画は、アルフレッドの独断であるか。
「YES。お前たちは見てはならないものを見た」
──アルフレッドの上の人間は、マルクたちの存在を把握しているか。
「NO。私の手元で留めてある。機密漏洩など、怖くて言えたものか」
──アルフレッドは、ウロボロス社に忠誠を誓っているか。
「NO。退職金を満額もらって、穏やかな余生を送りたいだけだ」
彼の回答に、エルニアは満足気に微笑んで見せた。
「……完璧だわ。良かったわね、アルフレッド」
ドライヤーで髪を乾かしながら、彼はじろりとエルフを睨む。
「何がだ……」
「貴方はやっぱり、ここを生きて出ることができる。ただし、その後の貴方が生き延びられるかどうかは、貴方自身の立ち回りによるわね」
大きな溜め息をついて、アルフレッドは手近な椅子に腰かけた。
「……話せ。何を考えている?」
「まず、貴方の誘拐事件について、これは派手にやらせてもらったわ」
「護衛のギアを薙ぎ倒して、リムジンごとひっくり返せば、そりゃあな」
「現段階でウロボロス社が知っているのは『何者かにアルフレッドが誘拐された』ということだけ。ここからウロボロス社は、二つの可能性を考えるでしょうね」
──ひとつ、魔王種の計画に関わる事件である。
──ふたつ、それとは無関係の誘拐事件である。
「そして私たちは、貴方をここから解放する。貴方は無事に生還し、この誘拐は野盗による身代金目的の攻撃だった、と貴方の上司に嘘の説明をするの」
「どうして私が、お前たちを庇わなくちゃならんのだ?」
「貴方が生き延びるためよ。考えてもみて、私たちは何者?」
アルフレッドは舌打ちを返した。
「クソ傭兵の人さらいグループ」
「もっと正確に」
「我々の極秘プロジェクトを知った、抹殺対象だ」
ふふん、とエルニアが微笑みを返した。
「なら、貴方はその“イケナイ秘密を知った抹殺対象”に生きたまま返されたことになるわよね。これって、もしかして上の人間は『アルフレッドは敵に懐柔され、寝返ったのだ』と考えるんじゃないかしらァ? ちょっと想像してみて?」
アルフレッドの表情が変わり、みるみる内に青ざめていく。
「そう、馬鹿正直に機密漏洩の件を報告できなくなる。一方で、この犯行が、その極秘プロジェクトとやらとは無関係の、チンピラによる誘拐だったら……」
「──身代金を支払い、解決した案件として話がまとまる……か」
アルフレッドはエルニアを睨みつけたまま、鼻を鳴らした。
冷えたスーツが肌に張り付く不快感。苛立ちが募る。
さっきまで、拷問下手な傭兵どもにぬるま湯を浴びせられていたはずだが、いつの間にやら、どうやって命を繋ぐのかを必死で考える羽目になっている……。
「あの飛竜プラントの一件で、機密漏洩は起こっていない。だからこそ抹殺対象なんて存在しないし、そいつらから誘拐される……なんてことも起こりようがない」
アルフレッドは自分に言い聞かせるように、ブツブツと呟いた。
「──承知した。どうやら私は、お前たちを見くびっていたようだな」
再び、深い溜め息をついて、アルフレッドはおもむろに立ち上がった。
「……帰っていいか? 熱いシャワーを浴びたい」
「それじゃ、交渉成立ね♪ 話の分かる人で助かったわ!」
エルニアは馴れ馴れしく、アルフレッドの肩をベシベシと叩きながらガレージの出口までエスコートした。その背中を見送りながら、マルクたちはぼそっと呟く。
「あのエルフ、頭の中どうなってんだろうな……」
「うーん、敵に回すのはマズいタイプの人種かもね」
勝手口の前で、エルニアはちらりと振り向き、二人にウィンクを返した。