第五話「遺書を書いているんだ」
──エルニアへ。
俺の死後、お前は絶対に俺のドキュメンタリーを作るつもりだろう。
だが、俺は断固としてそれを拒否する。
やめろ、マジで。本当にやめてくれ。
「伝説の勇者、義勇に死す──。傭兵としての最後の記録!」
とか、目に見えてるからな。
どうせ俺の過去を適当に脚色して、BGMつきの回想を入れるんだろ?
やめろ、マジで。
知っているぞ、お前は俺の死亡記事でフォロワー数を増やそうとしてる。
絶対にやめてくれ、これはお願いではなく、命令だ。
お前が俺の最期を面白おかしくコンテンツ化する未来が見える。
とにかく、やめろ。マジで。
マルク
*
『さっきからずっと、何黙ってんの?』
落下しながら《ストリガ》の拡声器が訊く。
二人は未だ、落下死していなかった。
浮遊魔法──フローの発動が間に合ったのだ。
二機のルーン・ギアは、緩やかな落下で地底へ降りていく。
とはいえ、死の脅威が去ったわけではない。
この縦穴の先にあるのは魔力炉──。
瘴気に満ちた危険区域であり、五分と持たずに肺を焼かれるだろう。
そして、ギアの機内に十分な防護装備は備えられていない。
マルクは魔導タブレットへの入力を終えると、静かに答えた。
「遺書を書いているんだ」
『はぁ?』
「この先は魔力炉だ。生身の人間が生きてられる空間じゃない」
『そりゃあそうだけど……誰宛なのさ?』
「エルニア」
笑い声が響いた。
『へぇ、キミたちそういう関係だったんだ』
「断じて違う。アイツに釘を刺しておきたいだけだ」
『どうだか、本当はヤリまくってんじゃないの?』
「女の子がそんな発言しちゃいけません!」
姿勢制御を巧みに行い、《ハイビスカス》が《ストリガ》を頬打ちした。
『痛ッいなァー!?』
「お前が悪い! お前が悪い!」
自由落下中、無重力に近い浮遊感の中で、二機が縺れ合う。
互いに死の恐怖を紛らわすため、というのは分かっていた。
死のタイムリミットが迫る中で、猫とネズミの追いかけっこが始まる。
──しかし、異変は突然に訪れた。
二機のルーン・ギアの下方に現れた、さらなる広大な施設。
まず 《ストリガ》が双剣を鉄骨に引っかけ、落下を留める。
次いで 《ハイビスカス》も、フォトン・エッジを壁に突き立てた。
「……あれ、どう見ても魔力炉ではないよな」
『奇遇だね。ボクも同じことを言おうかと思ってたよ』
《ストリガ》がゆっくりと揺れながら、視界の先を見下ろす。
制御槽の中で、マルクも目を凝らした。
暗闇に慣れた視界が、その空間の輪郭をはっきりと捉える。
「培養プラント……?」
*
着地した二機は、培養タンクの内のひとつへ慎重に歩み寄った。
『なぁにこれ………飛竜じゃないよね……』
溶液の中に浮かぶ、巨大な繭のような有機物。
それはうっすらと脈動しつつ、表面に複雑な模様を走らせている。
《ハイビスカス》と《ストリガ》が顔を見合わせた。
未知との遭遇に、二人はすっかり戦り合う気が失せていたのだ。
「……わからん。精霊を飛ばして、エルニアに聞こう」
『やっぱり年寄りに聞くのが一番いいよね』
「エルフの年齢を弄ると呪い殺されるぞ、気を付けろ」
定番のジョークを返しつつも、マルクは不快感を覚えていた。
──先から、右目を覆う剣の形のアザが酷く疼いている。
ぐおお、と小さく唸りながら、片目を手で抑え込む。
マルクの前世がこの姿を見れば、きっと中二病と断定するような。
そんな古典的なまでに、彼の勇者の証が“何か”に反応していた。
「ギドー、ここを抜け出そう」
『何、そのパーティーの駆け落ちみたいな』
「……悪いが、これは冗談じゃないんだ」
彼の声に《ストリガ》が振り向いた、その瞬間だった。
培養タンクの中の繭が大きく歪み、無数の“目”を開眼させた。
直後に、ガラスの内側が気泡で溢れる。中が見えない。
「離れろ、ギドー! なんかヤバいぞッ!」
『──えっ?』
──パキン! 亀裂が走る。
タンクの内側から爆発的な圧力がかかり、分厚いガラスが粉々に砕け散った。
粘性の高い培養液が床に溢れ、金属の地面をびしゃりと覆い尽くして汚す。
だが、問題はそんなことではなかった。
「ギドー! 逃げろッ!」
マルクが叫ぶよりも早く──無数の触手が、液体の中から飛び出した。
触手はしなやかに、そして凄まじい加速を伴ってうねる。
ズルズルと蠢くそれらは、迷いなく《ストリガ》に向かって伸びた。
『な、なにコレ!? めちゃくちゃキモい……ッ!』
《ストリガ》が双剣を振り、突き伸ばされた触手の群れを叩き斬る。
触手は断面からインクめいた漆黒の体液を散らし、装甲を汚した。
そして────再生する。
再生した触手が、再び怒涛の勢いで《ストリガ》に絡みついた。
『う、わぁぁーーっ!?』
「早いッ!? クソッ……!」
マルクの《ハイビスカス》が“ヴォイニッチ”を構え、掌をかざす。
照準用魔法陣が展開し、即座にファイアボルトが連射された。
矢となって撃ち出された火弾が、触手を焼き払う。
《ストリガ》はその隙に、バックステップで繭から離れた。
『た、助かったよ、マルク』
「いや、まだだ。コイツはまだ生きている!」
繭が再び歪むように変形し、全身から触手を発生させた。
「……ッ、俺かよ!」
──再びファイアボルトの魔法を、立て続けに連発する。
しかし、触手は炎をものともせず、正面から迫り来る。
やがて何本もの触手が《ハイビスカス》の腕と脚に巻きついた。
『マルク!』
圧倒的な力。装甲が軋み、ブチブチと菌糸塊の裂ける音がする。
「こいつ、思ったよりも──ッ!」
マルクは必死に抵抗するが、《ハイビスカス》の四肢は拘束され、動きを封じられている。機体は膝をつき、いまにも手と足をもぎ取られそうな状況だった。
『マルク! ……クソッ、いま助ける!』
ギドーの《ストリガ》が割って入り、触手を切断しようとした。
しかし、斬り落とされた触手は瞬く間に再生し、斬った端から再生する。
「──まずいまずいまずい……!」
マルクの焦燥がピークに達したとき、それは起こった。
「……ッ!? う、ぐあああああッ!」
右目が、焼け付くように痛んだ。
そして、痛みは意志を持ったかのように、彼の全身をなぞり、伝播して伝わっていく。これまで経験したことのない熱量、神経を焼き尽くすような感覚だった。
その“熱”は、やがて指先から、機体をコントロールする菌糸へ届いた。
──光が、溢れ出す。
《ハイビスカス》の装甲が、燃え上がるように輝きを増した。
マルクの指先から流れ出す魔力が、機体全体へと拡散していく。
菌糸が脈動し、組織を拡張し、まるで胎動のように応じる。
この機体が──彼の魔力を媒介にした進化を迎えるかのように。
「ハイビスが……光ってる……?」
『マルク……それ……』
言われて気付くが、視界の端を金色の輝きがちらついている。
フォトン・エッジだ。無意識に発生させていた。
そして、それらの光の剣は、機体の周りを浮遊していた。
通常、フォトン・エッジは手に持って振るう魔力の剣だ。
それが、このようにして自律的に飛び回るとは……。
金色の粒子の軌跡を描いて、剣は触手を切り裂いていった。
『フォトン・エッジが勝手に動いてる? それも何本も……!?』
ギドーが《ストリガ》の制御槽で驚愕の声をあげた。
マルクは咄嗟に何が起きているのか把握できずにいたが、右目の痛みをこらえながら《ハイビスカス》の菌糸の束を通じて出来る限りの魔力を注ぎ込み続ける。
すると、金色に輝くフォトン・エッジが機体の周囲を衛星のように浮遊、周回し、繭から伸びる触手を次々と切り裂いていく。
異形の触手が、薄い紙切れのように断ち切られていくのが見て取れた。
「……よくわからんが、やれるッ!」
──マルクは意識をフォトン・エッジへと集中させた。
手元の“ヴォイニッチ”を収め、魔力の流れをさらに強くする。
浮遊する複数のフォトン・エッジが一斉に鋭い軌道を描いた。
触手の群れを割いて、細切れにして、灰に変える。
「……トドメだッ!」
彼の掛け声に従って、無数の光刃が飛んだ。
狙われた異形の繭が触手を束ねあげ防御を試みたが、無駄だった。
フォトン・エッジは目にも留まらぬ加速の果てに、貫通する。
『や、やった……!』
黒い体液が床に滲みだし、何も無かったかのように透過していく。
異形の繭がぶすぶすと音をあげながら、萎れ始めた。
おそらくは、死んだのだろう。
どっ、と疲れが襲い掛かる。
マルクは未だ、状況を受け入れられずにいた。
役目は終わったとばかりに、《ハイビスカス》の光が霧散した。
元通りの無機質な装甲の質感と、掠れた赤紫色の塗膜に戻る。
『マルク……今のって、何?』
「わからない。俺は何を……──」
──そのとき。
施設内に甲高い警報が鳴り響き、アナウンスが流れ始める。
『非制御下にある“魔王種”の存在を感知しました。プロトコルに則り、レベル・ゼロを封鎖します。施設自爆シーケンスを開始……カウントダウン……」
『は、はぁぁ!? 自爆!?』
ギドーが驚いて声を上げる。
見れば、頭上の赤色灯が狂ったように明滅を繰り返していた。
天井や壁のあちこちから重々しい駆動音が響いてくる。
マルクは急いで魔導タブレットを操作し、転移魔法の座標を呼び出した。
「ギドー、転移パックは装備してるか?」
『えっ、持ってないよ! そんな高級品!』
「俺は持ってる。手繋ぎで飛ぶぞ、アドレスを合わせろ!」
互いに魔導タブレットを同期させ、同じ数列の符号を入力する。
焦って手元が狂いそうになるが、ひとつひとつ数値を確認していった。
その間も、自爆までのカウントダウンを無機質な声が告げている。
『起爆まで、残り59、58、57、56……』
「一分切った! 置いていくぞ!?」
『待って……よし、セット完了!』
《ハイビスカス》は右腕を伸ばし、《ストリガ》の左腕を掴む。
二機の腕が接触すると同時に、転移呪文の起動陣が展開する。
「──転移開始!」
マルクが強く宣言した瞬間、二機のシルエットがかき消される。
きらびやかな光の粒子がほとばしり、彼らは空間を超越した。