第三話「夜襲、プラント襲撃」
ウロボロス社の培養プラント施設の向かい、とある廃ビルの屋上。
月光を背に受けながら、人の形をした巨影がひとつ、音も無く立った。
それこそが、マルクが駆る赤紫色のルーン・ギア──。
彼はこの機体を、個人的に《ハイビスカス》と名付けていた。
緑色のツインアイがプラントを見据え、鋭い輝きを放つ。
ローブめいた重厚な耐術装甲と、とんがり帽子を模した頭部装甲。
全身の各部には、機体の瞳と同じ色の魔法エミッターが十四基以上ある。これは魔法陣を発生させるための機器であるが、まるでブローチで飾り立てたかのよう。
高名な魔導士の儀礼服を思わせる──そんな姿のルーン・ギアだった。
「目標地点に到達した。……地上と思えないほど、瘴気が濃いな」
制御槽の中でも感じられる、ピリッとした感覚。
人体に有害な瘴気が、濃密である証拠だ。
この無人のビルディングにも、かつては人の営みがあったのだが、プラントから漏れ出す瘴気の公害によって、かつての住民たちは残らず病院送りになったという。
(長居は不要よ。敵戦力を把握できたら、すぐに仕掛けて頂戴)
通信精霊が配置についたのだろう。テレパシーで繋がったエルニアの声が、直接的に脳内に響いた。深い溜め息をついて、マルクは彼女の声に短く答える。
「──了解」
彼は両手を腕筒へと差し込み、菌糸のブヨブヨした感触に魔力を通わせる。実におぞましいことだが、これがルーン・ギアを操る一般的なコンソールの形態なのだ。
「──チッ、さすがに慣れてきたな……」
プシューと残留魔力のガスを吐き出しながら、機体が震える。
──ルーン・ギア。
魔王戦争の時代、オムニ・ルーン技術の粋を集めて作られた魔導兵器。
魔力に応じて伸び縮みする菌糸塊を、骨となるフレームに定着させる。
これは制御槽の菌糸束に直結し、搭乗者の魔力が機体を自由自在に操る。
いわば、菌糸束が神経、菌糸塊が人体で言うところの筋肉の役割だ。
そうして生まれた“キノコのゴーレム”に、鎧となる耐術装甲を覆いかぶせる。
この構造で成り立っているのが、ルーン・ギアという兵器だった。
直感的な操作性でありながら、その性質上、安価かつ、強力な魔法媒介。
この造りを持つ兵器は、ただ単純に、魔法戦の主力として有用なのである。
だからこそ傭兵たちは、それを手足の延長として、戦いに駆る。
「……エルニア、俺は食っていくだけの傭兵で終わるつもりはない」
(おお? いつになくやる気じゃん?)
「せめて“この人生”では、俺が必要だって、誰かに言わせてやる」
豪快な笑い声が、テレパシーに響いた。
(その意気やよし! いざ行け勇者、魔王討つべし!)
「もう居ねえって……」
マルクの眼前に吊るされたクリスタルが回転を始め、機体の視覚を共有する。
投影魔法の映像が、直接的に網膜へ流れ込んでいるのだ。
やがて荒廃したプラントを見下ろす景色が、マルクの眼に映る。
「確認。ナイト・タイプが二機、“ボルト・スロワー”で武装した歩哨が四人」
(オーケー、ギアの機種は分かる?)
「あれは《モルドレッサー》だ。いつものランスとシールド装備」
《モルドレッサー》はルーン・ギアの中でも特に普及している機種であり、各社が保有する企業軍、都市警備局の主力として導入されることが多い傑作機である。
ずんぐりとした胴の形状、騎士の兜めいた頭部形状が特徴的だろうか。
機体に慣れ親しんだ搭乗者たちからは、よく“ドラム騎士”と呼ばれている。
訓練次第で、魔力の少ない人間でも楽々扱えるスタンダード・マシン。
──“勇者”の過剰な魔力向けに調整した《ハイビスカス》とは、大違いだ。
(なら、楽勝だね)
「そう願いたいところだ」
マルクは菌糸の束を握りしめ、魔力を流し込んだ。
ピリリと静電気のような感触が皮膚をなぞり、菌糸塊が膨張する。
「──作戦を開始する」
マルクは力強く、菌糸束を握りしめた。
ぐにゃりとした不快な手触りにも、もうすっかり慣れっこである。
菌糸に魔力を送られた《ハイビスカス》の両足に力が漲り、機体は勢いよく跳躍した。月光を汚す影となり、赤紫色のルーン・ギアは空中を舞って、自由落下する。
『敵襲ゥーーー!』
拡声器越しに《モルドレッサー》の一機の搭乗者が叫んだ。
歩哨たちが“ボルト・スロワー”を一斉に構え、射撃を開始する。ありふれたファイア・ボルトであるが、魔導火器から放たれている分、生身の魔術よりも強力だ。
逆再生の雨のように、地表からおびただしい量の炎矢が降り注ぐ。
しかしながら、耐術装甲を備えた機体に、その程度の火力など通らない。
《ハイビスカス》は落下中、右腕に把持した“ヴォイニッチ”を展開した。
生身で魔法を扱うとき、何等かの端末──古くは杖──を触媒とするように。
メイジ・タイプの《ハイビスカス》もまた、魔導書を触媒とする。
それこそ、歩哨たちが持っている“ボルト・スロワー”と役割は同じだ。
「邪魔だ、どけっ!」
“ヴォイニッチ”をかざし、衝撃波を放つ。
ショックウェーブの魔法だった。
歩哨たちの体が不自然に折れ曲がり、あちらこちらへ飛んでいく。
《モルドレッサー》は盾受けで、衝撃波をどうにかいなした。
──着地。
二機のナイト・タイプと、《ハイビスカス》は対峙した。
『──傭兵か、どこの差し金だ!』
マルクは言葉を発さず、代わりに手招きで応えた。
《ハイビスカス》の挑発に、相手はすぐに乗っかった。
『舐めた真似を……。圧死させてやるッ!』
『死にくされ!』
二機の《モルドレッサー》が同時に駆けだし、地面が震えた。
ランスとシールドを構えたチャージ・アタックだった。
《ハイビスカス》は避けようとせず、代わりに“ヴォイニッチ”を構える。
“ヴォイニッチ”──ヘルメス写本工房製の、グリモア・ユニット。
ルーンを刻んだプレートを、ミスリル製のブックカバーで束ねてある。
「本を閉じた」状態であれば、それは実質的な質量兵器でもあるのだ。
閉じた“ヴォイニッチ”を横薙ぎで振り払う。
《ハイビスカス》の怪力に振るわれたミスリル合金の塊が衝突した。
相手が持つシールドがひしゃげ、それどころか二機を転倒させた。
再び“ヴォイニッチ”を展開し、魔法──ライトニングを放つ。
かざした掌から放たれた閃光の奔流が、折り重なった二機に直撃する。
一瞬の激しいスパークと、大きな痙攣を経て敵機は沈黙した。
「──メインゲートの敵は片付けた。次はどうすればいい?」
(予定より二十秒も早いわね! そのまま正面のリフトに乗って、施設内に)
「了解した。作戦を続行する」
ガチャリ、と“ヴォイニッチ”を腰元のホルスターに収める。
《ハイビスカス》はその二本脚で歩み出し、ゲートへと侵入した。
戦いの夜は、未だ始まったばかりである──。