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第二話「自撮りエルフと傭兵業」

 オークの男が蹴り飛ばされ、路地裏の汚れたコンクリートに転がった。

 強く打ち付けた額からは血が滲み、革ジャンが泥に汚れる。


「調子乗んなよ、グリーン・スキン! 客を選ぶ権利はこっちにあるんだ」


 唸るような怒号が響く。


 黒い毛皮に覆われた狼のミエーフ人が、尖った犬歯を覗かせながら、オークの男を見下ろしていた。靴のつま先を彼の顔に押し付け、威嚇するように指を鳴らす。


 オークが震える声で叫んだ。


「チップだって払ってんだぞ……!? それが、なんで追い出される……」


「誰がお前みたいな下等亜人種をウチの嬢に触らせると思う!? あぁん?」


 ミエーフの男が鼻を鳴らすと、取り巻きの一人がナイフを抜いた。


 ──何も、この光景は珍しいものではなかった。


 都市エルグラスタのアンダーレイヤードでは、オークはいつもこうだ。

 表向き人種平等を叫ばれているトップレイヤードならともかく。


 “傭兵”は思った。


 少なくとも、ここは、そういう場所なのだから仕方がない。


(……うわぁ。関わらんとこ)


 薄汚れたフードを目深にかぶった傭兵が、路地裏を通り抜けようとする。

 しかし、オークが苦しげにうめき、彼の足元に這いずってきた。


「む、無視はねえだろ! 人でなし、人間のクズか!? 助けてくれよう……!」


 ──視線が合う。

 大の大人が、淀んだ目に情けなく涙を浮かべている。


 傭兵は頭を掻き、長い溜息とともに足を止めた。


 ミエーフの男がナイフを弄びながら、目を細めて傭兵を見る。


「なんだ、兄ちゃん。見物料でも払うか?」


 ニヤつく彼に、傭兵は無言でフードを下ろした。


 青白い顔に、右目を覆う大きな影──剣形のアザが露わになる。


 それを見た瞬間、ミエーフの男の表情が引き締まった。


「……はっ、これはこれは。マルク・マルグレイヴさんじゃねえか」


「よくご存じで。あまり通りの良い名前だとも思っていないが」


「その剣のアザ、悪目立ちってヤツだよ。自称“勇者”の底辺傭兵さんサァ」


 傭兵──マルクは、ポケットから出した手を、彼らにそっと向けた。

 ジロリと、彼の目がミエーフたちを舐め取るように動く。


「なるほど。アイツの“プロデュース”も存外、俺の顔を広くしてくれたか」


 マルクは指先に、バチバチと青白い光を弾けさせた。

 激しく放電する指をかざしながら、彼は低い声で問いかける。


「それで? やるなら、手っ取り早く魔法を使わせてもらうけどな」


 一瞬の静寂の後、ミエーフの男は鼻を鳴らし、ゆっくりと足を退けた。


「……めんどくせえ、クソ傭兵が。おい、帰るぞ!」


 鋭い目でマルクを睨みつけながら、仲間たちに顎をしゃくる。

 ミエーフたちは武器をしまい、影のように路地裏に消えていった。


 マルクは振り向き、残されたオークを見下ろした。


「立てるか?」


「ああ……助かった。アンタは命の恩人だ、まさに聖人君子だ!」


 マルクは一瞬考えると、彼の額をそっと抑えて、立ち上がるの妨害した。


「なにしやがる、クソが! お前は魔王アバドンの生まれ変わりか!?」


 今度は、禿げた頭を抑えるのをやめて、手を差し伸ばしてやる。


「あ、ありがとう……アンタほど良い人間には出会ったことねえ!」


「人に対しての評価がブレすぎだろ……」


 オークは荒い息をつきながら、ゆっくりと身を起こす。

 ふと、彼の視線がマルクの痣に向いた。


「あ、そ、それ“勇者の証”だろ? “フィード”の投稿、毎日欠かさず見てるんだ!」


 マルクは微かに笑い、肩をすくめた。


「真に受けるな。ウチのマネージャーの宣伝文句だ」


 *


 その足でマルクが向かったのは、一軒の寂れた酒場だった。


 ──その酒場を、ノース・ノワールという。


 ひしゃげた看板の下をくぐれば、錬金術スパイスの匂いが空間を支配する。


 壁際のテーブルでは、見るからにいかがわしい連中が、ガラクタ同然の魔導タブレットをいじっていた。都市警備員くずれの傭兵に、脱法ポーション売りたちだ。


 彼らの低モラルな会話を横目に、マルクはひっそりと椅子に腰掛ける。


 まだ十代後半の細身な体躯。どこにでも居るようで、どこにも居ない男。

 右目に被さった剣形のアザが、朗らかな顔立ちに不釣り合いであった。


(……見てるか? バカ女神が。なーにが勇者の証だ)


 朽ちかけた木製カウンターに肘をつき、くすんだグラスを傾けるマルクの脳裏を過ったのは、彼の前世の、別の男であった頃の記憶──薬丸小丸という男の記憶だ。


 地球人の視点で見れば、ここはそう──異世界。


 十万年前まで、このアルミティアルはありがちなファンタジー世界そのものであったというが、小丸が「マルク」として生まれた頃には、既に時代が変わっていた。


 ──魔王が勇者無しに、人類の努力によって討たれたからである。


 人は魔法を機械化し、社会を効率化して……そして魔王軍を駆逐した。


 戦勝の報酬として彼らが手にしたのが、この腐敗した資本主義社会。


 かつての貴族政治は、メガ・コーポによる都市の経済支配に姿を変えて、市民たちを家畜のように飼いならしている。であっても、誰も街を出ようなどとはしない。


 誰だって、戦争が灼き尽くした不毛の荒野で、生きたいと思わないのだから。


 そんな時代に産み落とされた“元・勇者”が酒場へ来たのは、仕事のためだ。


「お待たせ、マルクくぅーん!」


「……ようやくか、エルニア」


 マルクは大きな溜め息をついて、その明るく溌剌な声に振り向いた。


 胸元が強調された露出度の高いジャケット、そして光沢のあるタイトパンツ。

 チョコスプレーを撒いたような、アクセサリーだらけのブロンドの長髪。


 そして──エルフの特徴でもある精悍な顔立ちと、とんがり耳。


 若干、痴女を疑われかねないストリート・ファッションに染まった姿は、小丸の記憶が知る「エルフ」のイメージからは、大きくかけ離れているものだった。


 彼女はエルニア・フィオーレ。


 傭兵であるマルクの、専属の依頼マネージャーだった。

 もっとも、自称は“英雄プロデューサー”だそうだが。


 ──カシャッ。


 シャッター音と共に、彼女が熱中するSNSの“フィード・ブック”には「#ノース・ノワールなう」「#勇者はじめました」というタグだらけの投稿が更新された。


 もちろん、横でため息をつくマルクの姿も、バッチリ写り込んでいる。


「……なあ、エルニア」


「んー? なあに? 角度ちょっと悪かった?」


「勝手に俺を撮らないでくれ。好きじゃないんだ、写真」


「ええー。いいじゃない、いいじゃない。むしろイメージアップに繋がるってば。勇者っていうブランドは、使わないともったいないのよ? さあ笑って笑って」


「いまさら勇者なんてよ……誰も信じてないっつの……」


 ケラケラと笑いながら、エルニアは椅子を引き、彼の隣に腰を下ろす。


「私以外はね♪」


 手をひらひらと振ると、酒場の店主が無言で飲み物を用意し始めた。

 さすが常連、と言いたいが、エルニアはただ単にこういう場に出入りしすぎだ。


「……もういい、はやく今日の仕事の詳細を教えてくれ」


「はーいはーい」


 エルニアは魔導タブレットをカウンターに置いた。

 このエルグラスタの経済・産業的成長を支える技術。


 それが、オムニ・ルーンと呼ばれる機械化魔法だ。


 その最たる例が、ワンタッチで魔法を発動する魔導タブレット。


 エルニアの指が触れると、投影魔法が映像を浮かび上がらせる。


 そこには、巨大な培養プラント施設の内部資料が映し出されていた。

 ずらりと並ぶカプセルの中で眠っているのは飛竜だ。


「ウロボロス社のクローン飛竜プラント。大規模な生産施設で、飛竜の血や骨はもちろん、加工された臓器までもが高級ポーションの原材料になってる」


「知ってるとも。製薬会社には欠かせないものだ」


「クライアントは競合コーポのレディントン社。ウロボロス社の市場独占を防ぐために、この施設の破壊と在庫の処分を依頼してきたわ。いつもの企業戦争ね」


 飛竜とえいば、かつては冒険者ギルドが大々的に狩猟を企画するような獲物だった。いわゆる「剣と魔法」の時代には、その素材は莫大な価値を誇ったという。


 それが、今では培養技術の進歩により、薬局で売られるほどありふれている。


「報酬1500万レキタってのはちょっと安すぎるんじゃ……」


「その代わり、依頼を達成した傭兵は大企業とコネが持てる!」


「……コーポ案件ってヤツか。そろそろそういう仕事、受けるべきかな」


 エルニアは満面の笑みを浮かべて、マルクの肩を叩いた。


「やっとその気になった? いい傭兵はね、単なる腕っぷしの強さだけじゃなく、どこの企業とパイプを持ってるかで価値が決まるんだからぁ~」


 ──コイツ、エール一杯で酔っている。

 マルクは肩をベシベシと叩かれながら、溜め息をついた。


「コネがあればぁ、高額報酬の仕事も回ってくるし、いずれはメガ・コーポの専属契約も視野に入る。これはチャンスよ、マルクくん。勇者復活、魔王討つべし!」


「もう居ねえって」


 マルクは不機嫌そうにグラスを傾けた。

 エルニアは構わず、上機嫌にジョッキを掲げる。


「資料は後でまとめて送っとくから、今日はとことん飲もう!」


「なんでだよ、やだよ」


「ツレないわね! 前祝いよ。ま・え・い・わ・い!」


 なんだか、叩かれすぎた肩がじんと痛くなってきた。

 マルクは溜め息と共にスッと立ち上がり、椅子を戻す。


 アウトローに身をやつしたというのに、日本人時代のマナーが抜けない。


「“ハイビス”の整備がある。俺はもう帰るぞ」


 *


 マルクは瘴気の強いスモッグに満ちた街を、無表情で歩き続けた。

 やがて辿り着いたのは、少し先の陸橋の下だ。


 そこあったのは、ひっそりと佇む彼専用の整備ガレージ兼アジトだ。


 マルクが軽く睨むと、防犯用の結界魔法が瞬く間に解除される。


 勇者として、女神ゲーチアに与えられた才能のひとつ、無詠唱魔法。

 

 これもオムニ・ルーンの発達した現代では、単なる隠し芸でしかない。

 魔導インプラントでも入れているのだろうと、人からはその程度の認識だ。


 ボタンを殴るように叩くと、鉄のシャッターがゴウンと重々しく開いた。


 隙間から入り込む月光。そして、整備スペースに屹立する巨人 ──。


 メイジ・タイプのルーン・ギア《ハイビスカス》。


 物言わぬ、赤紫色の人型魔導兵器の威容が、彼を出迎えた。

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