第十七話「カッコ良く撮ってよね」
夜霧が立ち込める、キネープ地区封鎖線。
ウロボロス社が築いた防壁の向こう側では、絶え間ない轟音が響いていた。
水晶殿を脱した魔王種の暴走を鎮めるべく、企業軍の兵士たちが戦っているのだ。
だが──その事実を知る者は限られていた。
市民たちに伝えられたのは「瘴気漏れ」による強制退去、そして封鎖。
都市を支配するメガ・コーポたちが、よく使うカバーストーリーだ。
いつの時代の為政者も、見せたいものだけを見せ、そうでないものは隠す。
誰も疑問に思わない。
否。思ったところで、自分たちにはどうすることもできない。
そんなありふれた諦観の念が、民から思考を奪い去るのも世の常だった。
「……先週のG・ダービーはひどかったよな。大損したぜ」
タバコをくわえながら、警備兵の一人が言った。
その隣に立つ彼の相棒が、少しの間を置いて答える。
「あ、まさか三番のゴブリンに賭けた? 発情してMCに襲い掛かってた奴?」
「そう、衝撃映像だったぜ。先に去勢確認しとけよ、カス運営が……」
「バーカ、いっつも大穴狙いで変なのばっかり選んでるから損するんだろ?」
「それは違いねえけどよお……」
ははは、と渇いた笑いが人気の失せた街に響く。
だが、彼らの笑い声は、消え入るように小さくなっていった。
地鳴りのような振動と、断続的な衝撃音。
その感覚が、徐々に近づいてきているように思えたのだ。
「な、なんだ!?」
「地震か……!? うわっ!」
通りの向こうの霧の塊が、大きく裂けるように消散した。
同時に、突風が吹き荒れ、彼らの体を圧し飛ばす。
独りでに、頑丈に組まれたバリケードが弾け飛んだ。
「だ、大丈夫か、アラン!」
「あ、ああ。くそ、何が起きた!?」
警備兵は、倒れた相棒を引き起こしながら、周囲を見渡す。
崩壊したバリケード、路上の亀裂、防壁の大穴。
まるで何か、巨大なものが走り去ったかのように……。
*
「インビジブル。……実戦で使うのはこれが初めてだな」
制御槽の中、マルクは菌糸の束を手繰りながら呟く。
すぐに応答したのは、ギドーのテレパシーだった。
(ぶっちゃけ言うと、実用性が微妙だよね)
(術式のせいで、サイレンスと干渉するもの使い勝手が悪いです)
ギドーの言葉に、イオリクのよく澄んだ声が同意する。
インビジブル──透明化。
対象物に光のベールを纏わせ、一定距離からの視認を阻害する魔法。
ただし、その実体まで消えるわけではなく、壁をすり抜けることはできないし、足音だって鳴る。さらには、複雑な魔術処理の影響で、多くの魔法と干渉する。
暗殺集団である「黒の宮廷教団」が開発したと言われているが、その彼らでさえ、このインビジブルを使って仕事をすることは、非常に稀なケースである。
だが、今回のマルクたちの仕事は、暗殺でも、潜入でもない。
キネープ地区の封鎖突破と記録。そして、エリア内に居る魔王種の討伐。
封鎖線を破り、兵士たちの混乱を招くには良い塩梅であった。
不可視の巨体を揺らしながら、三機のルーン・ギアは疾走を続ける。
「エルニア、映像は撮れてるな?」
(バッチリよん! 貴方たちの後方10mに、妖精を追従させてるわ)
(カッコ良く撮ってよね、お婆ちゃん!)
(──お婆ちゃん言うなっ!)
やがて、走り続ける彼らの前に“それ”の姿は見え始めた。
黒い、獣の姿──。
首を落とされた馬のような実体が、夜の街を闊歩している。
その姿は異形であり、巨大かつ、禍々しい。
ルーン・ギアが跨ることのできるようなサイズだ。
首から上がなく、頭の代わりに無数の、極太の触手が垂れ下がっていた。
その夥しい触手が、大破したウロボロス社のギアを引きずっている。
(そいつは『ペイルライダー』ね……厄介だわ……)
「スパリゾートの地下に居たのは、コイツか」
(詳細を教えてくださいますか? エルニアさん)
イオリクが問う。エルニアがすらすらと答えた。
(かつての魔王軍では、群れの前衛に位置していた魔王種よ。上から三つ目くらいの大きさで、高い近接格闘能力と耐久力が武器。足は遅いけれど、触手が素早いわ)
「弱点はあるのか?」
(強いて言えば旋回能力の低さかしらね……)
「要するにケツを取ればいいわけか」
(こちらの戦力は三人です。囲んで叩きましょう)
エルニアがイオリクの言葉を、咳払いで遮る。
(待って。言っておくけど、敵の背後も触手の有効射程範囲よ)
(なにそれ! ズルじゃ──)
と、そのとき。
黒馬が、ルーン・ギアの残骸を吊るすように触手を掲げた。
叩き付けるような強引なスローイングで、機体を投げつける。
──狙いはマルクたちの居る地点だ。
「避けろッ!」
マルクの怒声と共に、三機のルーン・ギアは透明化を解き、散開する。
(こいつ、インビジブルを無視してきた……?)
ギドーの動揺した思考が、テレパシーで伝わる。
状況を把握したエルニアが、彼女の疑問に答えた。
(……魔王種の眼球は、魔力を見ているのよ。光は見てないわ)
「先に言えよな……ッ!」
ペイルライダーがマルクたちに向き直り、前足で地面を掻いた。
(まずい……か?)
マルクはその素振りを目の当たりにしたことで、警戒を強める。
あれが有蹄類の“前掻き”を模したものなら、ほぼ確実に「突進」の合図だ。
「……エルニア、昔はどうやって倒してたんだ! 弱点は!」
(触手よ! あれは魔力の吸収器官であると共に、魔力タンクでもあるの!)
『では、私が──』
芯の強い声を鳴らして、純白のルーン・ギアが陣形の先頭に、凛と立つ。
イオリクの駆る《ジンリン=カグラ》だ。その姿は鎧武者にも似ていた。
まるでナイト・タイプめいた重装甲だが、骨格そのものはアサシン・タイプ。
彼女の卓越した剣術を、精密に反映させるためのフレームチョイスだった。
『……参ります』
《ジンリン=カグラ》が低く構え、鞘に手をかけた。
あれは──抜刀術というヤツだろうか。
『フリュー式剣術、奥義』
そのとき刺激された記憶は、マルクのものではなく前世のものだ。
まるで漫画だった。幕末志士の生き残りが、刀を振るう冒険活劇。
そのヒーローの姿を思い起こさせるような、鋭い構え。
『……影踏み──崩天の弐ッ!』
《ジンリン=カグラ》が、地面すれすれに鞘を走らせた。瞬間、刀の切っ先から放たれた眩い稲光が、迸るような青い光条を抱えて、太い触手の束に突き刺さる。
ゴウン、と凄まじい轟音と共に、ペイルライダーが大きく後ずさりをした。
マルクには、刀を振るった機体の動きは、ほとんど視認できなかった。
「──あれが、イオリク・フリューの剣術か……」
マルクが言葉をこぼす。やがて、土煙が晴れた。
青白く弾ける静電気を纏い、刀身が月光を浴びて白銀色に輝いている。
一方で、ペイルライダーは硬直したまま動かない。
噴水のように黒い体液を吐き出して、千切れた触手が蠢いていた。マルクは、魔王種の生物構造を知りはしないが、あの一撃は致命傷だろうという確信を抱いた。
ペイルライダーの足が、わずかに震えて動きだし、前進を始める。
よろよろと歩いて、巨大な胴体が座礁船のように傾いて、止まった。
『……お二方、後をよろしくお願い致します。私はしばらく動けません』
息を荒げながら、イオリクは掠れた声で告げた。
察するに、体力か魔力、あるいはその両方の消耗が激しい技なのだろう。
「十分だ。ありがとう、イオリク──」
マルクは礼を言ってから、菌糸の束を握り込み、魔力を注いだ。
《ハイビスカス》が、グリモア・ユニット“ヴォイニッチ”を展開する。
「ゴ……グゴォォォォーーーッ!」
どこから声を出しているのやら、ペイルライダーが雄叫びを上げた。
踏みつけるような足取りで立ち直り、再び前掻きで威嚇する。
『はっ、もうボロボロじゃん。ここまで来れば余裕だって……!』
《ストリガ》が構えていた大弓を降ろし、その連結を解除した。
双剣となった弓をジャグリングのように弄び、再び構える。
月光のもと、無人の都市に並び立つ二機のルーン・ギア。
漆黒の巨体に魔法陣を向けながら、マルクは静かに呟いた。
「──エルニア。撮り逃したら、リテイクはないぞ……ッ」
その直後、マルクの右目の“勇者の証”が、眩く光輝いた──。