第十六話「天性のハーレム体質だね」
グラハムは、彼女が持ち込んだ映像記録を再生し、ゆっくりと微笑んだ。
「ほうほう、これは面白い……実に、面白い」
魔導タブレットに映るのは、崩壊するウロボロス社の水晶殿。
そして、その地下から出現した異形の怪物の姿だった。
触手の先端に無数の眼球と牙が並び、獲物を求めてうごめき続けている。
その映像は、悠久の時を生きてきたグラハムの旧い記憶を刺激した。
「アンタが笑うの、何千年ぶりかしらね」
向かいに座るエルニア・フィオーレが、胡乱な目つきで彼を睨む。彼女は接待ルームのソファの背に深くもたれながら、指先でテーブルをトントンと叩いていた。
「いやいや、これは確かに深刻な問題だな」
彼はワインを口に含み、満足そうにうなずく。
グラハム・アル=アレイド。ローデストン医薬学術財団、執行評議会の一席を務めるエルフ。銀色の前髪を弄りながら、彼はありのままの事実を飲み込んでいた。
「魔王種の復活というわけか。クソのような戦場を思い出すよ。勇者誕生の予言に裏切られ、出来損ないの初期型ギアで、触手どもじゃれ合っていたあの頃を……」
ひとしきり笑い、グラハムは続けて尋ねた。
「──それで? エルニアくん。君は我々に何を望んでいるんだね」
「あらぁ? 御社の企業理念的に、これは見過ごせない問題でしょう?」
「あれか、人類種の最大幸福……。だがね、エルニアくん、我々“財団”は、この国の治安維持機構などではない。あくまでも、倫理を重んじるいち企業にすぎんよ」
彼の言葉を、エルニアは鼻で笑い返した。
「でも、今までも散々、企業襲撃とかやってるわよね? 監査とか、修正とか、なんとかカッコつけた名前でさ。色々と言い訳つけて、メディアに生中継とかさせて」
グラハムは目を細める。
「……正義を求める顧客たちへのアピール。そう言ったら、君はどうするね?」
「妥当ね。正義なんて、このエルグラスタじゃあブランド以上の価値はないもの」
「はは、実に率直だ。昔と変わらないね、君は」
グラハムは手元の魔導タブレットを操作し、別の映像を投影する。
映るのは、キネープ地区封鎖のニュース。
瘴気流出──という名目での隠蔽工作。
あの夜の直後、ウロボロス社は即座に地域全体を封鎖した。
「……で? 財団は動いてくれるの?」
グラハムはあごに手をやり、考え込んだ。
「魔王種の復活は、世界を再びカオスに落とし込む……か」
再び微笑み、彼はくいっとグラスをあおった。
「我々は“正義の財団”だからね。悪事を見過ごすことはできんよ。ただ、ウロボロスに喧嘩を売るのであれば、社会に対して我々の正当性、説得力を示す必要がある」
「私の持ち込んだ証拠だけでは、不足かしら?」
「悪いが、タレコミだけでメガ・コーポに喧嘩を売るリスクは取れん」
「つまり?」
「まずは強制監査を入れる。イオリクを出そう。彼女に直接、陰謀の実態を確認してもらう。財団として、ウロボロス社に宣戦布告を表明するのは、その後のことだ」
飲み干したグラスに、再びワインが注がれる。
エルニアはまだ、一口も手をつけていない。
「だったら、ウチの傭兵も使ってちょうだいな。役に立つわよ」
「ふむ? 説得力の問題だぞ。ただ見て帰るだけで良いのだがね……?」
おもむろに、エルニアの口角が吊り上がっていく。
「社会への説得力というなら、やっぱり英雄の物語が一番よ」
目を細めて、グラハムが無言で彼女に言葉を促した。
「あの魔王種、私たちで倒しちゃいましょう。きっと民衆もアガるわよ」
グラハムが、喘息のように枯れた笑い声を出した。
「──ほう……。なるほどな、君の子飼いに“箔”が欲しいのだな?」
エルニアがグラスをとり、グラハムの前に掲げて見せる。
彼はゆっくりと頷くと、グラスのふちを当てて、静かな乾杯を捧げた。
*
「……というわけで、しばらくの間はお世話になります」
ぺこり、と彼らの前で頭を下げたのは、イオリク・フリューだった。
ソファに寝そべっていたギドーが尻尾を激しく振り、目を丸くする。
「え、えええ……あのCMの! イオリクちゃん! 本物!」
「尻尾を振るな……毛が散るじゃねえか……」
マルクは忌々し気に舌打ちをして、ソファに散った毛を摘まむ。
「……お久しぶりです、マルクさん。あのときはどうもすみませんでした」
「あ、ああ……少し驚いたけど。こっちこそ勝手に帰って悪かったな」
「えええ!? 何? 何? 二人とも知り合いだったの? ずるくない?」
と、メイド服姿の女性がガレージに現れ、イオリクに頭を下げた。
「ようこそ、お客様。お飲み物は紅茶とコーヒー、どちらになさいますか」
「……ギドー、俺メイドなんか雇ってたか?」
「えっ……うわ、なんたらカンタラⅡ世だ。なんでメイド服着てんの」
「……エルニアから客人をもてなすように……くっ、殺せ……」
曰く、捕虜シエラは、エルニアから「メイド懲役」を課せられたらしい。
もっともマルクは、彼女を捕虜として引き取ったつもりはない。
(助けるんじゃなかった。はやく出て行ってくれねえかな……)
「なら、お紅茶を……」
「かしこまりました」と、シエラが手際よくティーセットを用意する。
芳醇なハーブの香りが、殺風景なガレージに漂い始めた。
「ご主人様二号は何か飲まれますか?」
「エルニアが一号なのか? いや……何も要らんが……」
マルクが青ざめていると、ギドーがそっと耳元で囁いた。
「女に囲まれてさ、天性のハーレム体質だね。今なら4P出来ちゃうよ」
「…………う、うーん……」
その言葉に、マルクは彼女らが何者であるのかを思い起こす。
プロデュースと称し、やりたい放題の老齢エルフ。
戦闘狂で、下ネタ好きの幼馴染。
お礼替わりに決闘を挑んでくる武士系少女。
勘違いのひどい自称捕虜の没落貴族。
(──ひとりとして、マトモなやつが居ない……)
深い溜め息と共に、マルクは胸中の雑念を吐き出した。
「とにかく、強制監査のプランを。証拠隠滅の時間を与えたくない」
魔導タブレットの立体映像を起動し、彼はテーブルに着いた──。