第十五話「くっ、殺せェーーー!」
硬い肉質の触手が大きくしなって、鞭のように打つ。
《ハイビスカス》はすんでのところで、それを躱した。
プールの底面は、触手の牙にえぐられている。
ぎょろりと、触手の無数の眼球がこちらを見た。
「──なんだ、この化け物はッ!」
プールサイドで、シエラが大声で叫ぶ。
マルクは彼女に怒鳴り返した。
「危険だ、制御槽に戻っていろ! 食われるぞ!」
「……く、食う? 分かった!」
彼女が大破した《ブルーハウンド》の中に戻っていく。
装甲に守られている分、生身でうろついているより安全だろう。
「──魔王種、だな」
フォトン・エッジを片手に、再び触手と対峙した。
『これ前に培養施設で見たヤツよりデカくない? 気のせい!?』
ギドーの指摘はもっともだった。
以前に、ウロボロス社の飛竜プラントで戦った魔王種──エルニアが推定するところの「インキュベーター」の触手は、さしずめ人間の腕ほどの太さのものだった。
いま、二人の目の前にそびえ立っているものは、まるで大木。
直径は1メートルを超えているだろうか?
悪趣味な“クリスマスツリー”のように、無数の眼球と牙で装飾されている。
「ギドー、援護しろ!」
『オーケー。頼んだよ、勇者サマ!』
彼女の《ストリガ》が、素早く矢を撃ち放った。
ドスドスと、鋼装矢が触手の眼球に突き刺さっていく。
触手は痛みに悶えるように、その身をくねらせた。
──視覚は奪った。
《ハイビスカス》はフォトン・エッジを片手に、疾走した。
「──伐採してやる……ッ!」
しなる触手の動き、剥き出しの牙をスライディングで避ける。
すれ違いざまに、そのままフォトン・エッジを振りぬいた。
インクめいた漆黒の体液が噴き出し、ぶちぶちと音をあげて千切れる。
『やったか!?』
《ブルーハウンド》の拡声器から、シエラの声。
ギドーが苛立ち混じりに、彼女に怒鳴って答えた。
『黙って、それフラグだから!』
魔王種の再生能力を知るマルクとギドーは、勝利など確信していない。
触手の傷口が飲み干すかのように、黒い体液が吸収されていく。
切り離された肉片が、逆再生されたビデオのように集まり始めた。
「やっぱり本体を潰さないとダメか……ッ!」
『それってどこにあんのさ!?』
ぴしゃり、甲高い音が鳴って、プールの底に大きな亀裂がはしった。
さらに出現する二本の触手。合計三本もの巨大な触手が、施設内をうごめく。
触手の牙が、天井を、壁を掻き、あちらこちらに傷をつけて回っていた。
『……地下ッ!』
「おい、シエラ! ここの地下には何がある!?」
触手の一本が、お辞儀のように折れて先端をもたげた。
直後に放たれた鋭い突きの一閃を、跳躍で回避する。
『地下だと? 知らない、ここはただのレジャー施設であって……』
「これを見ろ! お前の雇い主が復活させようとしている古代のバケモノだ! 連中は、この施設を偽装して、研究だか量産だか、とかく何かをやってんだよッ!」
『そんな……そんなこと……』
シエラの張りのある声が、自信なさげに震えていく。
(──マルク、聞こえる?)
精霊通信を通じて脳内に響く、落ち着いた声。
「エルニアか……! 見つけたぞ、プールの地下に魔王種がいる」
(記録したわ。これだけの証拠があれば、財団を口説き落とせると思う)
「こっからどうすればいい? 正直、俺はもうヤバいと思うが」
(そうね、形勢を立て直した方がいいわ。撤退して!)
彼女の判断を分かっていたとばかりに、《ハイビスカス》が触手と距離を取る。
目指したのはプールサイド──《ブルーハウンド》の残骸のもとだ。
「掴まれ、シエラ・レオナルド!」
『いや、私はシエラ・レオンハルト・アーチ……』
『長いってば!』
《ブルーハウンド》を担ぎ上げ、二機のルーン・ギアが走り抜ける。
彼らの後を、洪水のようにおぞましき触手が追った。
暴れまわる漆黒の肉塊が、支柱を破壊し、壁をぶち壊していく。
「──お前はついてくんじゃねえッ!」
《ハイビスカス》は振り向きざまにファイア・ボルトを放った。
触手が焼け爛れ、力なくへたり落ちる。
『マルク、こっちだ!』
「……応ッ!」
──そうして、二人の傭兵と一人の兵士は、どうにか水晶殿を脱出した。
*
一心不乱に走り続けて、ようやく辿り着いた高架下。
見慣れたアジトのガレージ前では、エルニアが手を振っていた。
「おかえり! 無事でよかったわ!」
「いや……さすがのボクも今回ばかりは死ぬかと思ったよ」
駐機した《ストリガ》の制御槽を抜け出し、ギドーが息をつく。
「……エルニア、すまん。目撃者をひとり始末し損ねた」
言いながら、《ハイビスカス》が《ブルーハウンド》をそっと置く。
ハッチを開き、中からゆっくりとシエラが降り立つ。
が、エルニアはマルクを叱責するでもなく、彼女を横目に言った。
「あらあら、まあまあ。また女の子を連れこんじゃって」
「……これ、そういう話か? 俺いま、そういう話したか?」
眉間にしわを寄せながら、マルクも《ハイビスカス》を駐機させた。
「シエラ、お前も何とか言ったらどうなんだ?」
「……私は、捕虜ということだな。お前たちに物のように扱われ、尊厳を破壊されてしまうのだろう……」
「──はあ?」
思いもよらない答えに、マルクが素っとん狂な声をあげる。
「……生きながらにこのような辱めを受けるとは。くっ、殺せ!」
自らの肩を抱き、シエラはその場に座り込む。
一体なにが始まったのやら、マルクは顔を手で覆い隠す。
「──もうヤダ。変な女としか出会わない……」
「大変ね」「だねぇ~」
エルニアとギドーが苦笑した。
「お前らもだよ」と言い返す元気は、もはやマルクに残っていなかった。
「……くっ、殺せェーーー!」
その夜、アンダーレイヤードには朗々とした女の絶叫が響いたという。