第十四話「この瞬間を待っていたッ!」
『手順外だが、もう一度だけ警告する。ここで終わりだ、投降しろ』
高くそびえる“壁”のような、蒼躯の《ブルーハウンド》の姿。
マルクは、それを鋭く睨みつけながら思考を巡らせた。
(投降など論外だ。どうする……どうすればコイツを倒せる……?)
変幻自在なリーチを持つ、致命的なランスの突き。
強固な盾と、《ハイビスカス》をも凌ぐ怪力。
──残りはそれだけ。たったそれだけ崩せれば、敵に優位はない。
じっくりと思案しながら、ゆっくりと“ヴォイニッチ”のページをめくる。
240枚もの、薄っぺらなルーン・プレートに刻まれた魔法たち。
勇者としての無尽蔵の魔力と、これまでの戦闘経験を統合すれば──。
手札は揃っている。必ず、この中に状況を打開する術があるはずだ。
(どうするのさ、マルク……ッ!)
テレパシーでギドーが脳内に語り掛けてくる。
頭を振って、その声を無視した。集中だ、集中するんだ。
苛立ちからか、彼は勇者の証をなぞるように引っ搔いた。
もう一度、あの力を使うことが出来れば。
──違うッ! 考え方を変えろ。
あれはほとんど奇跡のような出来事だった。
それをあてにするなど、神頼みと大差がない。
「……奴の十八番は明らかに氷魔法だ。いくら低火力とはいえ、フレイムの環境下で空気をあの硬度まで凍結させられるのは、相当な練度としか言いようがない」
ぼそぼそと呟いて、マルクはハッとした顔になった。
「──空気を凍結? 冷気……熱……」
《ハイビスカス》の指が、パラパラとページをめくり続ける。
やがて、ある魔法を記したページで、その動きが止まった。
『……どうする? 投降するつもりになったか?』
再び、《ブルーハウンド》のシエラが問う。
彼女の声には応えず、マルクはギドーにそっと伝えた。
「ギドー。次に俺が動く瞬間に、閃光の矢で奴を撃て」
(何か策でもあるの?)
「……ああ。この方法なら、きっとコイツを倒せる」
《ハイビスカス》が、左手をぶんと振り払った。
ロウソクの火が消えるように、炎の絨毯が消失する。
その背後の《ストリガ》が、即座に弓を引いた。
『──あくまでも、抗うかッ!』
同時に《ブルーハウンド》も動き出す。
そして──閃光。
一瞬だけ相手が怯みの姿を見せた。
その隙に付け入り、《ハイビスカス》が魔法陣を照準する。
魔法陣から放たれたのは、照射型のフレイムだった。
焼き尽くす炎の奔流が、青色の装甲を包み込む。
『なんのそのォーーッ!』
知ったことか、と言わんばかりに《ブルーハウンド》が突撃する。
ランスと大盾が炎の流れを裂き、闘牛のように向かってきた。
『アーチアイズの血筋を舐めるなァッ!』
敵機が、ランスを一度手元に引き寄せた。次の瞬間に突きが来る。
わずかに足らないリーチは、再び氷で埋めるつもりだろう。
「……この瞬間を待っていたッ!」
ここでフレイムの照射をやめて、魔法を切り替える。
マルクが使ったのは、アイスバーン──凍結の魔法だった。
ランスを持つ《ブルーハウンド》の腕部が、突如として折れ曲がった。
見るも無惨に、歪に、まるで内側に引きずりこまれていくように……。
軸のブレた突きの一撃は、的外れな方角に向かった。
『なんだと……!?』
この動揺の一瞬が、マルクにとっては十分な時間だった。
半壊してなおランスを持つ右腕を、フォトン・エッジで切り飛ばす。
出遅れたシールド・バッシュをステップで躱し、側面へと回り込んだ。
無防備な《ブルーハウンド》の横顔に、魔法陣の狙いを定める──。
そして放つ、ショックウェーブ。
直撃の後、敵機は大きく吹き飛ばされ、向いの壁面へと激突した。
『……ガアアッ! ……なんだ……何が……』
敵操縦者──シエラと言ったか──はまだ生きていた。
乱れた呼吸を整えながら、彼女の疑問にマルクは答える。
「今のは“爆縮”だ。前世でな、理科の実験で習ったんだよ」
『……理科? 爆縮? ……前世? 何を言っている……?』
「お前の機体の右腕部。その筋肉を構成する“菌糸塊”は、俺のフレイムによって限界以上に加熱された。お前はこの状態で凍結魔法を使い、俺はそいつを加速させた」
マルクは投影魔法の視覚映像越しに、視線を落とした。
潰れた菌糸の残骸と、がらんどうになった腕装甲が転がっている。
「……温度差によって圧縮された腕部の内側は、一時的な真空状態になった。同時に脆くなった外殻は、お前の周りの大気圧に耐え切れず、押し潰されたんだよ」
『ふ……ふはは。貴様が何を言っているのか、何一つわからん』
「そうか。……俺たちは今から、お前を消すつもりだ。言い残すことはあるか?」
──と、ひしゃげた《ブルーハウンド》の胸部ハッチが開いた。
制御槽から飛び降りた女が、両手を広げる。
気高いエメラルド色の瞳、血に濡れてなお、しなやかな金髪。
いかにも騎士然とするその女──シエラは叫んだ。
「……さあ、殺すがいい! 甘んじて受け入れよう!」
マルクは顔をしかめた。面と向かって、生身の相手を始末するのは……。
(マルク、ボクがやろうか)
ギドーが、いつになく優しい声色で問う。マルクは首を振った。
「……すう……はあ……いや、俺の仕事だ」
《ハイビスカス》が手をかざし、魔法陣を形成。そして──。
「…………」
赤紫色の剛腕が、ゆっくりと、静かに下ろされる。
「貴様! 何を躊躇っているッ!」
『──マルク、こいつは目撃者だよ。消さないとボクたちがヤバい』
マルクは沈黙し、しばし考え、やがて告げた。
「……シエラだったな? 行けよ。……どっかに行け」
「なんだとォ……? 情けをかけるつもりか!」
もう一度、深い溜め息をついて、彼は答えた。
「……お前の“四度目の警告”と同じように、俺もお前に情けをかける」
視覚映像越しに、シエラの瞳が大きく見開かれるのが見てとれた。
彼女の足が一歩前へ、ふらつきながら歩み出た。
「き、貴様……名をなんという……?」
「言うわけねえだろ」
「そう言うな。私はシエラ・レオンハルト・アーチア……」
『なんたらカンタラⅡ世ね! 長いってば』
ギドーの無慈悲な突っ込みに、シエラが顔を露骨に曇らせる。
その様子を見て、マルクはわずかばかりに口角を緩めた。
殺伐とした戦場に生まれた、ほんの少しのぬくもり。
彼らの間には、敵味方を超えた、妙な距離感が生まれつつあった。
だが、穏やかな時間というものは、儚く脆いものでもあった。
それは、不穏な地鳴りによって遮られ、崩れ去る。
『……な、なに?』
「水晶殿が揺れている……!?」
「……振動……地面から!?」
刹那、地を割って突き出した巨大な触手が、高くそびえ立った。
彼らの前に現れたのは、無数の牙と目玉を備えた、ぬるついた極太の触手。
漆黒の触手は《ハイビスカス》に襲い掛かり、そして──。