第十二話「コイツやっちゃっていい?」
『……それで、ボクが呼ばれたってわけね』
ビルの壁面を蹴りながら、《ストリガ》が拡声器を鳴らす。
その後を追う《ハイビスカス》の装甲が、月光に煌めいた。
二機のルーン・ギアが、摩天楼の間を跳び過ぎて行く。
フローの魔法で機体重量減らしてのパルクールだ。
エルグラスタのトップレイヤードを見下ろし、駆け抜ける。
「高度を上げすぎるな。瘴気流に呑まれるぞ」
軽やかに跳ねる鋼鉄色の僚機を視界に捉えつつ、マルクは警告した。
瘴気とは、オムニ・ルーン産業について回る厄災だ。
人力では生じない、機械詠唱によってのみ発生する毒性魔力。
産業革命を迎えたイギリスが、石炭燃料の乱用によって大気を亜硫酸ガスで汚したのと同じように、このアルミティアルに生まれたエルグラスタもまた、オムニ・ルーンを用いた産業技術の代償として、瘴気流という環境問題と付き合っている。
瘴気の比重は空気よりも軽く、雲よりは重たい。
肉眼で見ることは出来ないが、ただ確実なものとなって、この街の空に在る。
「そろそろキネープ地区だ。警備装置のあるビルに気を付けろよ」
『わかってるって。もー、口うるさいな。キミはボクのお母さんかよ』
言い合いながら、二機は足場とするビルを慎重に選別した。
無関係なコーポの警報を鳴らして、敵を増やすなんてのはマヌケだ。
看板を蹴り、出っ張った装飾を掴み、壁面を再び蹴る。
「──見えてきたぞ、ギドー。あれが『水晶殿』らしい」
そこにあったのは、巨大な水晶玉──。
そのようにデザインされたドーム状の施設だ。
丸みを帯びた巨大なガラス屋根は、何枚ものパネルの組み合わせであり、その在り様は複雑かつ芸術的。大理石風の建材で造られた各種施設がその周囲を囲む。
最寄りのビル、水晶殿を見下ろす屋上で、二機のルーン・ギアは止まった。
「エルニアも言っていたが、これはステルスミッションだ。企業からの依頼じゃないから、監視装置と巡回警備にさえ気を付ければ、致命的な痕跡は残らない」
『気を付けるけど、もし敵に出くわした場合は?』
「逃げるな逃がすな、だ。可及的速やかに始末するんだ」
言いながら、マルクは菌糸束を握り込んだ。
右手にフォトン・エッジを生成した《ハイビスカス》が飛び降りた。
ビルの壁面に光の刃を突き立て、減速しつつ落下を開始する。
大弓を分離させた《ストリガ》が続き、勢いよく宙にダイブする。
着地と同時、彼らはフローを解除して、代わりに“サイレンス”をかける。
忍び足をするまでもなく、二機の重厚な足音は空間から消失した。
*
二機が侵入口として選んだのは、まだ建設中の施設の一角だ。
搬入から長らく放置されていたであろう資材が、埃を被っている。
(わー、広いな。ここってプールになるのかな?)
通信精霊を通じたテレパシーで、ギドーの声が頭に流れ込む。
マルクは溜め息交じりに、興味あり気な彼女に答えた。
「集中しろ、集中。分け前をやらんぞ……」
そう言いながら、マルクは施設内を見回した。
確かに、神殿調の室内には巨大な四角形の窪みが存在している。
スパリゾートという話だったから、これはプールなのだろう。
ひとまず、二機は水の入っていないプールまで向かう。
深さは──注水して、機体の足首の高さくらいまでだろうか。
(それで、ここからどうする? 降りてから探索してみる?)
「そうだな……」
と、二人が菌糸の束から手を離し、制御槽を出ようとした、その時。
布を被せられた資材のひとつが、大きく起き上がった。
ばさりと布を引っ剝いで、そこから一機のルーン・ギアが屹立した。
『はっはっはっ、かかったな! 愚か者め!』
その声に、マルクたちは即座に戦闘態勢を整える。
『警備のお役目を忘れ、夜な夜なプールなんぞで遊びよって!』
「……?」
マルクとギドーは、敵の言葉を理解できなかった。
言語は通じているが、意味が通らないのである。
『嘆かわしいことだが、貴様らは厳罰に処し、その上で減給とする!』
《ストリガ》が《ハイビスカス》の方を向いて、首を傾げた。
マルクは《ハイビスカス》の肩をすくめてみせた。
『さぁて、答えてもらおうか……貴様ら、どこの班の……ん?』
二機をまじまじと見つめるのは、ナイト・タイプのルーン・ギアだ。
一見すると《モルドレッサー》のようで、カスタム化されてある。
とすると、指揮官用のハイエンドモデルだろうか?
先の布が肩に引っ掛かったまま──と思えば、あれはマントのようだ。
『な……ッ! 貴様ら……もしや、私の部下ではないッ!?』
その青色のルーン・ギアは、大仰に驚きのジェスチャーを示す。
『えーと……手順、五の六の三……これだ……!』
ガサゴソと物音が、声と一緒に聞こえてくる。
マルクとギドーの二人は、なんとなくその様子を見守っていた。
『貴様らッ! 何の権利があってこの場所に侵入している! ここはウロボロス・テクノロジーの私有地だぞ! あと二回の警告のうちに、すぐさま立ち去れ!』
拡声器越しのノイズで分かりづらかったが、ハスキーな女の声だ。
怒鳴り慣れているのだろう。浪々とした張りのある声色だった。
ギドーがテレパシーを送ってきた。
(もうコイツやっちゃっていい?)
マルクは静かに呟き返す。
「まあ待て。もう少し様子を見よう」
青色のルーン・ギアは、ランスをぶんぶんと振り回した。
『警告二回目! ここは私有地だ、勝手に入っていい場所ではない! 次の警告が最後だ! これ以上は実力で排除させてもらうからな! ……あれ? 聞こえてる?』
『聞こえてるよ』
ギドーが半笑いで答えた。
『ああ、良かった。……じゃなくて! 次の警告で最後だ、分かってるのか!?』
どうやら悪い人じゃなさそうなのが、逆に心苦しい。
──とはいえ、自分たちの身の安全のためだ。
マルクはフォトン・エッジを生成し、彼女の最後の警告を待った。