第十話「お礼……? お礼……?」
「こんなに味が濃い食べ物、久しぶりです……!」
イオリクは、屋台の揚げ物(名前は知らない)を瞬く間に平らげた。
一方のマルクはといえば、まだ端っこをかじったばかりだ。
「美味しかったってことでいいよな……? 少し脂っこいが、なかなかクセになる味だよな。あの屋台、いっつも酒場の帰り道に出てるからさ、よく買うんだよ」
「酒場……というと、あちらのノース・ノワールというお店でしょうか? あちらでお食事をして、さらにその揚げ物も召し上がるということでしょうか?」
「ああ、いや……」
透き通った瞳に見据えられ、マルクは頭をぽりぽりと掻いた。
「酒場じゃ、あまり食べることしないかも。どっちかっていうと、情報を仕入れたり、商談をしたりするのに使ってるからさ。自由傭兵にオフィスはないんだよな」
「なるほど、そのような文化が築かれているのですね……!」
熱心にメモを取りながら、彼女はうんうんと頷いた。
今日の彼女は、いつもの和装から一転し、カジュアルで少女然としている。
長い黒髪をポニーテールにまとめ、白いセーターに、チェックのプリーツスカート。変装のために急遽、古着屋で取り繕ったものらしいが、なかなかのコーデだ。
長短二振りの刀だけはそのままなので、そこだけは違和感があるのだが。
きっと彼女のアイデンティティなのだろうと、マルクは納得した。
「貴方に出会えて本当によかったです! 勢いのままに飛び出してきたので……」
「こちらこそ渡りに船だった。またとない機会、お互い有意義な時間にしよう」
つまるところ、独立に憧れる企業傭兵と、企業専属に関心を持つ自由傭兵。
互いに持たざる物を持つ二人が偶然に邂逅し、知り合った。
彼らは、自らの今後を見据えて、お互いの生き様を語り合うことにした。
それこそが昨夜、二人の間で交わされた“約束”だった。
「……あっ、ごめんなさい。私ばかりが質問して……」
「あ、いや……じゃあ、こっちも。企業専属って、俺たちからすると十分に勝ち組なんだけど、どうして自由傭兵の暮らしが気になる? 仕事、そんなにキツいのか?」
「お仕事そのものは、あまりつらいと感じたことはありません。確かに単純な傭兵業だけでなく、CM撮影やインタビューを受けることもありますが……」
ふーむ、と考え込んで、イオリクは慎重に答えた。
「マネージャーさんが適切に管理してくれますし、お休暇も十分に頂いてます」
「……でも?」 マルクが促すように言った。イオリクが頷く。
「……でも、自分を見失いそうなのです」
イオリクは、風にさらわれそうな小さな声でそう言った。
揚げ物を包んでいた紙袋を丸めながら、マルクはゆっくりと問い返す。
「見失うっていうと……自主性とか、主体性とか、そういう?」
イオリクは少しだけ目を伏せ、「はい」とわずかに答える。
「……私は、企業傭兵という立場をとても誇りに思っています。私はローデストン財団の顔であり、剣士としての実力を認められていることも、とても嬉しいです」
「なら、何が問題なんだ?」
「最近、私は“自分の意志で剣を振るったことがない”と気付いてしまったのです」
そっと刀の鞘を撫で、彼女は静かに言葉を続けた。
「財団は倫理観のある企業です。私は常に彼らの指示に従って、戦う相手も、守るべき対象も、すべて決められている。もちろん、その選択は正しいのでしょう」
その表情が、さりげなく曇った。
「……でも、私の祖先は英雄だった。かつての魔王戦争で、自ら最前線に立ち、魔王の軍勢を前にして救済の剣を振るい続けたと、そう聞いています」
英雄──。
マルクは、無意志に顔のアザ──勇者の証に手を伸ばしてしまった。
自意識過剰だ。ニヒルな感情を抑え込み、話の続きに耳を傾けた。
「以来、フリュー家は“弱者の剣たれ”の家訓のもと、傭兵業を生業としています。私は父から財団に預けられ、彼らのもとで多くの敵対者を斬って参りました」
彼女は、刀の柄を強く握りしめていた。自分でも気づいていない様子だ。
「その太刀筋が最近、ひどく鈍っている……」
マルクは深く唸った。
「自分の意思で、戦えていないことが原因だと?」
「剣とは、そういうものです。何の矜持も持たず、言われるがままの人形が振るう剣。そんな空虚なものに斬られたとて、人は死んで死にきれるものでしょうか」
「与えられた道と心の在り処。どこかで聞いた話だ……」
ふっ、と笑い、マルクは続ける。
「……たとえ決められたレールの上でも、自分の意思をもってその道を歩むことは出来る。ただ無意味に道を辿るだけの人間との間には、大きな差があると思うぞ」
「そう……なんですかね……」
彼は目を閉じて、静かに語った。
「これは俺の……友達の話なんだが。そいつは何の自我もなく、大事な時間を“やり過ごして”生きてきた。親が用意したレールに沿って生きて、それが嫌でたまらなくて道を逸れた。でもそのくせ、本当にやりたいことなんか何一つなかったんだ」
「……それで、そのご友人は、どうなさったのでしょう?」
「不時着、といったところだな。道しるべを失ったそいつは、どこに行っていいのかわからないままに彷徨い、結局は地元のブラック企業に散々こき使われた」
「……それは……」
そっと瞼を開ける。イオリクの顔が覗き込んでいた。
「重要なのは、道が作られたものかどうかではなく、足が自分の意思で動いているのかどうかだ。必死で歩いていけば、矜持なんて後からついてくる……と、思う」
「……!」
「財団の方針は、その……家訓とやらに反してるのか?」
「いえ……いえ……!」
「なら、それでいいだろ。……いや、適当なこと言ったか。すまない。忘れ──」
「──ありがとうございますッ!」
突如として向き直り、深々と頭を下げるイオリク。
道行く人々の視線が集まり、マルクは慌てて彼女の頭を上げさせる。
「た、大したこと言ってないだろ……!」
「いえ……まさしく天啓……救われた思いです!」
イオリクはマルクの腕を掴み、ぶんぶんと振る。
ぐいっ。肩がすっぽ抜けそうな力の強さだ……。
「わか、わかったから………わかったって……」
「──私は、これからも財団を守護する剣であることを誓おう」
彼女は長いほうの刀を腰元から下ろし、納刀したまま鞘を持った。
片手で柄を握り、軽く抜いて、鞘に戻す。
刀の鍔と鞘口がぶつかって、キィンと甲高い音がした。
前世の記憶、時代劇で見た「金打」──約束の証だ。
そんなブシドー・ムーブ、人前では勘弁してほしい──。
変装しているとはいえ、余りにも目立ちすぎる行動だ。
刀を持った長い黒髪の美人がこんなことをしていれば、どんな三流のパパラッチだって、彼女の正体がかのイオリク・フリューだと気付いてしまうことだろう。
マルクは通行人の視線を気にしながら、ふと思った。
(……俺はまた、ヤバい女と関わってしまったかもしれない)
と、イオリクがまたもや。
「マルクさんッ!」 「あっはい」
つられてしまい、食い気味に返事をする。
「ぜひとも、お礼をさせてください」
「お礼……?」
「貴方に、ルーン・ギアを用いた一対一の決闘を申し込みます」
マルクは言葉の意味が分からずに、思考をフリーズさせた。
「お礼……? お礼……?」
「あ。待っていてください、いま挑戦状を書いて参りますから!」
あっけにとられたマルクを他所に、イオリクは走り去ってしまった。
どうしたものか──。
しばらくの間、その場に留まったものの、彼女が戻ってくる気配はない。
その道中で彼女がマネージャーに捕まったことなど、つゆ知らず。
三時間ほど待たされた挙句、マルクは仕方なく帰路についた。