五、食べたくても食べられない病①
リンリン妃の卯の宮に遣わされ、さてホンファは困り果てた。
リンリン妃は十四歳で後宮に入って、少し前まで帝のお通いもあったそうだ。こんな幼い少女でさえ、後宮では妃としてふるまわねばならない。
ホンファが遣わされた初日、リンリン妃は、シュエの使いだからと、ホンファを丁寧にもてなした。
「ホンファと申します。今後、リンリン妃さまの身の回りのお世話をすることになりました」
「ソナタのことはシュエさまから聞いています」
「シュエさまは、リンリン妃さまのような高貴なお方でも、ご存じなのですか?」
あの男は、ただの帝国厨房の総取締だとばかり思っていたが、どうにもそれだけではないようだ。
「あのお方は特別に頭のいいお方で。厨房だけでなく、ほかの政務も兼任なさっていると聞きました。皇宮取締補佐だと」
「ああ、なるほど」
それで偉そうなのか、とホンファは内心で納得する。
それにしても。
ホンファは、失礼にならないようにリンリン妃を盗み見る。
細い手足を隠すように、大きめの襦裙を身にまとっている。今にも倒れそうなほどに弱弱しい体つきで、椅子に座っているだけでも辛そうだった。
「リンリン妃さま。以後、よろしくお願いいたします」
「ええ、よろしく」
噂によれば、リンリン妃は帝の寵愛が過ぎて、食事も喉を通らなくなったのだと聞いていた。しかしこれは。
「まずは、聞き込み、だな」
問題はリンリン妃ではなく、取り巻きにあるとホンファは踏んだ。
まず、ホンファは傍付きの下女に聞き込みをする。
「リンリン妃さまがお食事を拒むようになったのはいつからですか?」
「さあ……一年前だったかしら。最初はお肉だけよけて召し上がっていたんです」
「肉だけ」
「はい。その後、食べられるものがひとつ、またひとつと減っていって。今では野菜しか召し上がらないのです」
一年前。となれば、帝がリンリン妃を寵愛してお通いしていた時期に当たる。この時期になにか決定的なことがあったのだろうか。
「リンリン妃さまは、胃の腑がお悪いのでしょうか?」
下女がホンファに心配そうに聞いてくる。
「胃の腑ですか?」
「はい。すぐお腹をお下しになるのです」
「……リンリン妃さまは、なにかお薬をお飲みですか?」
「いいえ……せんじ薬はお飲みになっていますが、それ以外は。あっ」
下女が思い出したように、
「大黄を……郷から送っていただいていた記憶があります」
「大黄……」
下剤に使われる薬だ。この国ではよく使われる薬で、悪いものを排出する効果があると、貴族たちも常用している薬である。
ホンファの顔が険しくなる。
「これを常用していたら、かなり良くないですね……」
「えっと、新しく入った下女の――」
「ホンファです。今日話したことは、ほかのかたには話さないでください」
大黄を常用して、食事もほとんど摂らない。
次は医官のもとを訪ねる。
「医官さま。本日付でリンリン妃さまのお付きになった、ホンファと申します。リンリン妃さまのご容態についてお伺いしたいのですが」
恭しく拱手礼をするも、医官はいい顔をしない。
「なんだ、ソナタのような下女に、妃さまのご体調を教える訳が」
「わたしが許可しよう」
にゅっと、ホンファの後ろから現れたのは、ほかでもないシュエだった。ひっとホンファが大げさに振り返ると、シュエはけたけたと声を上げて笑った。
「励んでいるな。なにかわかったことはあるか?」
「シュエさま……まだ推測の段階にしかすぎませんので。それに、この医官さまは協力してくれないそうなので、どうにも」
「だそうだが、医官殿、教えてはくれまいか?」
実際、ホンファはシュエという男を甘く見ていた。シュエの顔を見るや、医官は顔色を変えて、こびへつらう。
「シュエさまのお頼みとあらば……リンリン妃さまには、お悪いところがないのでございます。ゆえに、わたくしどもも困り果てておりまして」
「なるほど。胃の腑も健康、脳も手足も、なんの異常もないと」
「はい、さようで」
「わかりました」
ホンファがうむ、と顎に手を当てる。
「して、なにか当てがあるのか?」
「ないわけではない、のですが。原因を見つけぬ限りは、手の施しようがなく」
いまだ煮え切らないホンファに、シュエはじれったくなり、
「先に病名を」
「病名……言わば、『食べたくても食べられぬ病気』とでも言いましょうか」
「それはただの症状ではないか。ソナタ、本当はわかっておらぬのでは?」
むむ、と眉間にしわを寄せて、シュエは期待外れだと言わんばかりである。
「シュエさまは、一年前にリンリン妃さまになにかひどい……心的に外傷となるような出来事をご存じないですか?」
「一年前……さて、俺は後宮にはいなかったからな」
素では一人称が『俺』になるのだな、とホンファはシュエの方をじっと見る。シュエはなにも思い当たることはないらしく、すまぬな、とだけ答えた。
「シュエさまは、一体何者なんですか」
「そういうソナタこそ、ただの女官にしては惜しい料理の才能を有しているな」
む、と口を結んで、ホンファが黙り込んだ。ホンファは自分の出自を語りたくない。知られたくない。ましてや、調べられたりでもしたら、それこそ『一大事』になる。
「シュエさま。邪魔するのでしたらお帰り下さい」
「なに、俺が一緒にいた方が、聞き込みもはかどるだろう?」
「いえ、もうあとは、下女にしか聞き込みはしませんので」
「なるほど。ならば俺も、ついていこう」
今の話でなぜ『なるほど』になるのか、ホンファにははなはだ理解できなかった。