三十、毒の正体②
その日は雪の降る、寒い冬のことだった。
「あれ。父上?」
今日は父の晴れ舞台だと、ホンファは朝から浮き足立っていた。
宴席は朝から晩まで続くと聞いていたのだが、昼過ぎになって、父が自宅に帰宅したのだ。
はっはと息を切らして、父はホンファを見るなり、きつく抱きしめた。
「娘よ、わたしの大事な娘」
「あら、アナタ。宴席は?」
母も顔をだし、弟は父に駆け寄った。
「ああ、ああ。我が息子よ。許せ、このふがいない父を許せ」
「父上?」
弟はまだ七つだった。ゆえに、父の異変に気付くことなく、手放しに父の帰宅を喜んでいるようだった。
母が父の尋常ではない様子に気づき、ホンファと息子を隣の部屋に行かせて、自分たちは庭で話す。
「宴席で何者かが主上の暗殺を謀った」
「そ、それでは、アナタは」
「ああ。主上はわたしの料理を召し上がってからお倒れになった。わたしの極刑はまぬかれないだろう。息子もおのこゆえ……」
ああ、と母が泣き崩れた。
部屋の中から、障子に穴をあけて覗き見ていたホンファには、すべてが分かってしまった。
帝が倒れた。その責任はすべて、父に向けられる。
弟を置いて部屋を飛び出した。
「父上! 逃げましょう!」
「聞いていたのか?」
「父上!」
「ならぬ。わたしが逃げれば、多くのものが死ぬだろう……娘よ」
ソナタだけは生き延びよ。母を守れ。そしてソナタは、復讐など望まずに、ただ、平穏に幸せに生きてくれ。
「ちちう――」
「いたぞ! 罪人を捕らえよ!」
兵士たちが父を追いかけていたらしい。父はおとなしくお縄につき、泣きじゃくるホンファを母が必死に止めている。
しばらくして、父が自分が主犯だと認めたことで、ホンファの弟は死罪、そして母とホンファは身分を落とされ、奴婢として生きていくこととなる。
母が死んだのは、もう一年前のことになる。奴婢になって、奉公先ではろくに飯を与えられず、それなのにホンファに食事をすべて食べさせていたのだから、餓死してもおかしくはない。
母はホンファだけは生き延びてほしかったのだ。死んだ弟の分も。
そして母は最期に、ホンファに生き延びろと言い残して死んだ。
「いい? その名前は誰にも知られてはならないわよ。ソナタだけは生き延びて」
しかしホンファは、復讐に燃えて後宮に入った。そこでこの、チョリエイや、今はあらぬ疑いをかけられているユイユイと出会い、もう一度だけ、生きる希望を持ってみようと思ったのだ。復讐なんてせずに、平穏な人生を送ろうと。
「チョリエイさん。話してくださってありがとうございます」
「いや……俺もこれで、肩の荷が下りたよ」
すがすがしい顔でチョリエイが笑った。その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
***
宴席の献立作りも終盤を迎える。今日は久々に、ユーチェン妃の経過観察の日だ。
「ホンファ、参りました」
「入りなさい」
ユーチェン妃の声には張りがあった。
ホンファは入り口を横にあけ、ユーチェン妃の住む丑の宮に入る。
「ホンファ、いらっしゃい」
「はい。朝餉をお持ちしました」
今日は、蒸し麺を揚げて、たっぷりの野菜をあんかけにした。
ユーチェン妃は飲水病と腎症のため、糖質とたんぱく質を制限している。
ゆえに、中華麺は少な目に、だが食べ応えを出して満腹感を高めるために揚げ麺にする。揚げることで油から熱量を摂取でき、一石二鳥だ。
揚げた麺には、海老などの魚介と野菜を炒めてあんかけにして、付け合わせは蒸した野菜にマヨネーズを和えたものを添えた。そこにヒノモトの出汁でお吸い物を作った。
「この揚げ麺。ぱりぱりで美味しいわ」
「はい。よく噛むと満腹中枢が刺激され、少ない量でもお腹がいっぱいになります」
「そんな作用が。あとこの、まよねいず。これは慣れると癖になるわね」
最初はこの、マヨネーズは酸っぱくて好きになれなかったとユーチェン妃が笑った。
食文化とは、その人の人生そのものだ。幼き頃から食べてきたものは、当たり前に食べられるが、大人になってから新しい味に出会うと、どうしても先入観から苦手意識が出てしまうものなのだ。
例えば、西洋では幼いころからこのマヨネーズが身近にあるため、食べることになんの抵抗もない。
逆に、西洋の人間に彩の国の醤やひしおを食べろと言ったら、最初は抵抗を示すだろう。
「ホンファは本当に物知りね」
「いえ。料理しか能がないので」
「本当、私の専属の料理人になってほしいくらい」
「はは、ありがとうございます」
それはそれで面倒だとは思ったが、仮にも妃の前でそんなこと、口が裂けても言えない。
「ユーチェン妃さま。むくみも取れましたね」
「ええ。最近はだるさもないわ。言われた通りに散歩もしてるわ」
飲水病と腎症は、ひとまず改善したとみていいだろう。お腹の子もすくすくと育ち、春には生まれると聞いている。生まれるまで気を引き締めねば。
ホンファはユーチェン妃がすべての食事を済ませるのを見届けて、膳を持って部屋をあとにした。
最近、シュエはホンファへの信頼感からか、調理場に顔を出す回数が減っている。
「シュエさまがいると、味見だけで時間がなくなってしまうからな」
ホンファは膳を調理場に下げ、休む暇なく帝の祭事の献立作成にいそしむのだった。




