二十九、毒の正体①
ひとまず、シュンメイの処遇は後にして、ふたりは帝の宴会の準備を進めている。
シュンメイの自作自演はこうだ。
シュンメイは手の指に毒を塗ってあの場所に赴いていた。そして、その毒を塗った手の指で揚げ菓子を食べたことで、シュンメイは他者に毒を盛られたように見せかけたのだ。
「今回の主上の宴席で、主上に近づくものが、黒幕です」
「具体的に、なにを計画していると?」
「おそらく、今回も毒――青酸を使うでしょうね」
自信たっぷりのホンファに、シュエは首をひねる。
「昨年の件に続いて、今年も主上を狙うのはいささか軽率すぎぬか?」
「そうですね。しかし、シュンリエンさまが真相に気づかれたので――いえ、黒幕は、帝を帝とは思っていないのでしょう……協力者は王族ですし。そもそも、この宴席での好機を無駄にするはずがないのです」
ホンファは料理をしながら、シュエを見ずに言った。
「しかし、毒ならば、ソナタが料理は管理するのだし、そもそも主上にだけ毒を盛るなんてこと、できるのか?」
「できますよ。シュンメイさんのようにすれば、ね」
宴席では、新鮮な魚の塩竃焼き、それからあつものには味噌汁も出す。
隣国のチヂミ、そしてうどんにナムル、じゃがいものマヨネーズ和え、それからアヒルの炉焼き。
「上機嫌だな」
「はい、そりゃあもう、私は料理が好きなので」
そうはいっても、ホンファはきっと、ようやくユイユイを解放できることから気が緩んでいるのだろう。
シュエは、この無防備な少女を守らねばと、ひそかに誓った。
帝の脚気はある程度回復したため、最近は甘いものも膳に出されるのだと聞いた。
「その、薄くて丸いものは? 春餅とは少し違うように見えるが」
「これですか? 西洋の食べもので、チュエビンとは違い、菓子の部類です」
チュエビンも薄く焼いた小麦の食べものであるが、それは肉などを巻いて食べる。
対してホンファが作ったのは、やや甘みのある生地だ。薄く焼いたら、牛乳を分離させた上澄み(生クリーム)を泡立てたものを薄く塗る。その上にまた小麦の生地。そしてまた生クリーム。
「円形の……初めて見るな」
「はい。これは、西洋の菓子を私なりに改良したものです」
円形の菓子を八等分に切る。断面が層になっていて美しかった。
「甘いチュンビンか……」
食べたことのないものに対する不安感は、誰だって同じだ。しかし、このホンファの料理の腕を知っているため、シュエは興味もあるのが実際だった。
「味見しますか?」
そわそわするシュエに、一応うながす。シュエがパッと顔を明るくし、ホンファは層になった菓子を皿に盛り付けた。
「先割れの匙で召し上がってください」
「先割れ? そなたは不思議なものを持っているな」
匙の先が三つにわかれた銀製の食器を使い、シュエが菓子をすくいとる。柔らかな菓子を乗せ、先割れの匙を口に入れた。
「溶ける……!」
甘い生地と、口溶けのいい生クリーム。西洋菓子には生クリームを使ったものは多いが、この菓子はホンファが考えたものだ。
「餡とは違った美味さがあるな」
「はい。これはリンリン妃さまもお気に入りです」
そうこうするうちに、酒蒸ししていたタラが出来上がり、ホンファはそれに、赤いタレをかけた。
「そのタレは?」
「はい。梅干しをすり鉢ですり、甘みとひしおで整えました」
「ああ、それはリンリン妃の粥にも乗せていたな」
梅干しは、ヒノモトの保存食だ。最初は、梅を使う料理などと反対した。なにしろ梅には毒がある。
「梅を二割の塩で塩漬けし、ふたつきほど置いたら天日で三日干す。それで毒がなくなるとは、まるで謎だな」
他にも、ヒノモトでは毒があるフグの卵巣を、三年間糠漬けにすると毒が抜けるという調理法があり、ヒノモトの人間の食への執念は舌を巻く。
「がんもどきも出します」
「主上の気に入りだったな」
ホンファが脚気を治す際に、干した豆腐と一緒に教えた料理だ。
「あとは、茹でた卵を煮卵にして、海老の素揚げと、寄せ豆腐、湯葉も出します」
想像しただけで腹が減る。ホンファの料理は味見だけではとうてい我慢できない。その腕を知っているものならば、自分専属の料理人にしたがるだろう。
だからこそ、今回の宴席の料理人として推挙しても、帝は嫌な顔ひとつしなかった。女は料理人になれない。それをホンファは覆した。
「ソナタは料理をするために生まれてきたような人間だな」
「シュエさまに褒められるなんて、雪でも降るのでしょうか」
「ああ、俺の名前もシュエ(雪)だしな」
冗談を言い合えるくらいには、シュエはホンファに心を許している。ホンファもなんだかんだ、シュエのわがままには逆らえない。
***
宴席の献立作りに励むなか、チョリエイに呼ばれてホンファは久しぶりに帝国厨房に足を踏み入れた。
本来なら、ホンファは帝国厨房の配膳係として平穏に一生を終えるはずだったのにと、懐かしささえ感じる始末だ。
「チョリエイさん。今日から厨房に復帰と聞きました。よくなってよかったです」
出勤前に、チョリエイはホンファに礼をと、チョリエイ手製の料理をふるまいたかったらしい。
酒が好きなチョリエイらしい、アテにあうような料理が並ぶ。
きくらげのなます、焼いた鮭とば、それからニンニクたっぷりの餃子。
「美味しそうですね」
「ああ。食べてくれたらうれしい。まあ、主上の宴席の料理を作るオマエほどの腕はないが」
「なにを言うのです。私、誰かに作ってもらった料理が一番好きなんですよ」
父を思い出す。
ホンファには料理の才能があった。それは父譲りであり、父以上である。なにしろ聞いただけで味を再現してしまうのだから、さしもの父も舌を巻いたほどだ。
「ホンファ。これは俺の独り言だが」
ホンファが鮭とばにかじりつくと、チョリエイはホンファを見ないで話しだす。
「昨年の一件……俺は日雇いの料理人だったから、肉刑で済んだ。……いや、家族は殺されたが。それは、とあるひとのおかげなんだ」
鮭とばを食べる手を止めて、ホンファはチョリエイの言葉に聞き入っている。
「当時の料理長が、『すべては自分が企てた』そう、自白したんだ。最初は否認していたのに。頭の切れる方だった。この企ての真犯人に気づいたのだろう。そしてその人物は、かなりの位を持っていて。だからもみ消された」
ホンファの顔がゆがむ。チョリエイが話しているのは、ほかでもないホンファの父のことだからだ。
「それで、料理長は、すべて自分の企てだと嘘の自白をして、なるべく犠牲者を出さないようにした」
しかしそれでも、黒幕によって大勢の人間が殺されたわけだが。
ホンファは拳を握りしめる。
「その料理長の娘が、ホンファ、オマエじゃないのか?」
「……それは……」
チョリエイに父の話をしたことはない。ならなぜバレた。なにかへまをしただろうか。
チョリエイが笑う。
「なんだ、本当だったのか」
「え……?」
「カマをかけた。オマエの料理の腕を見て、もしやと思ってな」
ホンファはひとつ息を吐き、冷静さを取り戻す。チョリエイは今回の件になんのかかわりもない。むしろ犠牲者だ。
しかし、ここでホンファの秘密を話して、さらに黒幕に狙われやしないだろうか。
いや、それはきっと大丈夫だ。
黒幕はおそらく、帝の宴席まで鳴りを潜める。ここでなにか事件を起こせば、黒幕の企てはすべて泡に帰すのだから。
「チョリエイさんのおっしゃる通りです。私は華鳳の乱で処刑された、料理長の娘です」
「そうか。復讐しに来たか?」
「はじめは。でも今は、平穏に暮らしたくて」
それなのに、シュエという人間のせいでそれも無駄になった。だが、悪いことばかりではない。
シュエのおかげで、華鳳の乱の黒幕にたどり着けた。あと一息だ。あと少しで、断罪できるところまで来た。
「これだけは、話さなければと思って」
チョリエイがその場に座り直す。正座をして、
「あの日の食材。流通管理がずさんで、おそらく食材は傷んでいた」
「やっぱり……」
「ああ。発注担当のハクメイは、それを知っていて、料理長に黙っていた。黙っているようにシュンメイさまに言われたんだ」
それで、過剰反応様食中毒の可能性に気づけなかった。
季節が冬だったのもよくない。冬となれば、夏に比べて魚の傷みも多少は遅くなる。
「でも、料理長は、魚料理を出すのをやめようと。最初はそう言っていたんだ」
「……え?」
「だが、シュンメイさまが、『主上は魚料理を楽しみにしておられるのだぞ!?』と責めて。ゆえに、傷みの少ない魚を厳選して、あの宴席に出したんだ」
味付けを工夫して、あのまずい魚を。しかし、いくらホンファの父でも、あのまずい魚を美味くする手立てはなかったのだろう。ホンファだって、あの港のまずい魚を美味く調理する手段を知らない。
「それで、あの食中毒が起きたと」
「ああ。オマエのおやじさんは、最初から気づいていたよ。だが、うかつに食中毒だと言えば調理場の仲間の首が飛ぶ。同じ獄にいた俺が聞いたんだ。『あれは食中毒だ』って。だけど俺をはじめ、誰もおやじさんのつぶやきなんて気にも留めなかった」
そりゃあ、あんな食中毒など聞いたことがなければ信じられなくても仕方ない。
しかし。
ホンファはチョリエイの手を取る。
「あれは確かに、父のせいなのです」
ずっと認めたくなかった。
父は帝国厨房に入って、毎日帝への料理を味見し、そのうえ休みの日には新しい献立を作り、食べ。また作り。
帝の件が起こるころには、父は痩せ細り、甘いにおいを漂わせていた。
「父は飲水病だったのです。重度の」
「飲水病……?」
「はい。神経障害もあったのだと思います。父の味覚は、あの時にはすでになかったのだと」
でなければ、あんなまずい魚を帝に出すはずがなかった。そもそも、料理人を辞めると言い出した時点で気づくべきだった。あの頃の父は味覚がなく、経験値と目分量で料理をしていた。
ホンファだけが、父の料理の味の変化に気づいていた。
「恐らく……父の飲水病を知ったものたちが、父をあの企てに巻き込んだのかと」
「そんなことが……しかし、ホンファ」
チョリエイはホンファの手を握り返して、
「それでもホンファ。すまなかった。俺たちがこうして生きているのは、まぎれもなくオマエのおやじさんのお陰だ」
チョリエイが深々と頭を下げる。許す許さないなんて、ホンファに決められるはずがない。
ホンファは宴席のあと、投獄する間際に家に帰ってきた父のことを思い出すのだった。




