二十七、黒幕⑤
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かりそめの平穏に、シュエが眉間を揉んだ。
執務室には、シュエとホンファ、それからハクシュウの三人だけだ。
「シュエさま。東宮さまとは、みなに疎まれるようなかただったのですか?」
「……東宮が次期帝になれば、貴族王族たちの賄賂や裏金を正しただろうな。なにより」
ホンファはシュエの向かいに座り、机のしたで手を絡ませた。
シュエはホンファから目を逸らして、
「東宮はことさら……平民の子だったことで反感を買っていた」
「……亥の宮の妃さまですか?」
「ああ……亥の宮の妃さまは……見た目もほかとは違っていたし」
雪のような白い髪の毛に、蜂蜜色の瞳だったと聞く。まるで目の前にいる――
「どうした? 俺になにかついているか?」
「いえ」
まるで、シュエの瞳のような、綺麗な色を想像して、かぶりを振った。
しかし、嫌な予感がする。シュエは髪の毛をわざわざ黒く染めている。本来の色は白銀だ。
だが、高官なら髪を染めたのも頷ける。亥の宮の妃が死んでから、白い髪の毛は不吉とされ、官吏を目指すものは髪の色を白以外に染めるのだという。
「身分が低い妃から生まれたゆえに……天子の血が穢れると。それゆえに、幼きころから暗殺が絶えなかったそうだ」
「暗殺」
「ああ。亥の宮の妃さまは……幼い東宮を……刺客から守って死した」
それは帝から聞いていた。
ホンファは目の前の人物を見る。白銀の髪を黒く染め、こがねいろの瞳。亥の宮の妃の御子――東宮が生きていたら、このような容姿だっただろうに。
いや、断じるには軽率だ。東宮の瞳の色が蜂蜜色と決まったわけではない。
「しかしシュエさま。私は今回の件、もう少し調べます」
「まだ疑っているのか、ソナタは」
ホンファは真実を知りたいだけだ。そして、その真実が正しく明かされなければ、ホンファの父のように無実の民が死ぬことも知っている。
だからこそ、ホンファは今回の件がまだ納得出来ずにいるのだ。
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それは突然に、起こった。
今日は帝が臣下たちを招き茶会を開いており、そこには右大臣の李爆や左大臣のシュンメイ、それから武官や高官を招いた盛大な茶会だった。
「いやあ、左大臣さまのご息女がお倒れになったと聞いた時は、どうしようかと思いましたよ」
「今はもうぴんぴんしていますよ」
「さようですか。それはなにより」
高官が、左大臣に耳打ちする。
「次期妃候補ですもんねえ」
「ふむ。目に入れてもいたくない娘です」
はは、と笑いあって、茶菓子を口に運ぶ。
「それにしても、この揚げ菓子は美味いですな」
「さようですね。主上からの直々のお菓子ですから、特別な味がします」
右大臣始め、左大臣が揚げ菓子を口に入れる。ハクハクハク、と三口で食べて、ぺろりと指についた砂糖までなめ上げる始末だ。
ユイユイは元気にしているだろうか。もうなんか月も軟禁状態で、早くシュンリエンの毒殺未遂事件を解決せねば、このままではユイユイは処刑されてしまう。
いくらシュエが位の高い官吏だからって、そうそう右大臣や左大臣の意見を押し切ることもできまい。
帝のお茶会の席で、ホンファは考え事をしていた。
今日のお茶会で、ホンファはシュエの付き人として参加することになった。なんでも、元気になった帝を近くで見せたいからだそうだが、そんなこと余計なお世話だと思った。
近くで見る帝は神々しく――いや、直接目に触れぬよう御簾の先にいるのだが、それでもなお、神々しい雰囲気が帝にはあった。
「ご息女と言えば、シュンリエン嬢は、東宮さまの妃候補にも挙がっていましたねーー」
口を滑らせた、とでもいうかのように、高官が口を一文字に結んだ。わざとに違いない。
東宮は、昨年の帝の宴席を取り仕切っていたがゆえに、帝に毒を盛ったとして処刑された。次期帝と噂されるほど優秀な人物だったそうだが、そのかんばせをじかに見たものはひとりとしていなかった。
冕冠をいつもかぶっていたからだ。
「主上。今年の宴席は、シュエさまが取り仕切るそうで。楽しみですな」
右大臣が声を上げて笑う。左大臣も続いて笑い――
「うっ! ぐぅ!?」
しかし、左大臣、シュンメイが首を抑えてその場に倒れた。
「シュンメイ殿!?」
「シュンメイさま!?」
どたばたと女官や官吏たちがシュンメイに走り寄る。苦しそうに首をかきむしり、シュンメイの口から泡があふれる。
「ホンファ!」
シュエの呼び声で、ホンファがシュンメイに走るよる。
息を確認する。脈も。
同じだ。
シュンリエンに使われた毒と、同じ。青酸が使われていた。
「すぐさま胃洗浄を!」
帝は兵に守られ、御簾の後ろから自室に戻る。
シュエは歯噛みして、その場に転がる揚げ菓子を手に取った。
「ハクメイめ、やはりあのものが毒を仕込んだか」
今日の菓子の仕入れ発注者は、ほかでもないハクメイだった。
***
応急措置を終えて、さてホンファは考えを巡らせた。
「なぜ、今更になって帝を暗殺なんて?」
しかし、シュンメイ以外に、毒で倒れたものはいない。だったらなぜ、シュンメイだけが倒れたのだろうか。
「シュエさま。ハクメイさんは本当に、この事件の首謀者でしょうか」
「なにを言っている。明白だろう? ここまで用意周到とは」
「シュンリエンさまのことはわかります。しかし、チョリエイさんまで脅す必要はあったのでしょうか」
チョリエイは、帝の宴の件で生き残った料理人のひとりだ。そのチョリエイを脅す必要性はどこにあったのだろうか。
「もう一度、チョリエイさんに話を聞いてきます」
「まて、俺もいく」
「ですが、後始末が」
「よい。もうこれ以上、毒は出まい」
シュエは疲れた様子で眉間をもんだ。年齢よりもだいぶ幼い顔が、今日だけは老けたように見えた。
ホンファとシュエがチョリエイを訪ねると、厨房は上を下への大騒ぎだった。
「チョリエイさん。どうかしましたか?」
「ハクメイのやつが捕まったせいで、またこの厨房の料理人が処刑されるって。みんな逃げる準備してるんだよ」
そう言うチョリエイは、落ち着いている。
「チョリエイさんは、逃げないんですか?」
「俺? 俺はいいよ。どうせ逃げ切れない」
それは、一度逃げたことがある、というような口ぶりだった。いや、実際に逃げて、逃げ切れなかったから背中に入れ墨を彫られたのは明らかだった。
「俺はもう二回目だから、死罪はまぬかれない」
「でも、まだハクメイさんと決まったわけでは。チョリエイさん。チョリエイさんに毒を盛った理由が分かれば、もしかしたらハクメイさんも――厨房のみんなも助かるかもしれないんです」
「だから、ソナタはなにを目出度いことを。元同僚だからって、そんな希望的観測なことは」
ホンファがシュエをゆっくり見上げた。そのまなこに、一切の曇りはない。
「私はね、許せないんです。食べ物を粗末にするひとも、それでひとを殺そうとするひとも」
「はは、ホンファらしい。そうだな、俺も思い出したことがある」
チョリエイは、シュンリエンが毒を盛られた日に、確かに氷室に入った。そのまま、氷を帝のもとに運び、その帰り道のことだった。




