二十五、黒幕③
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翌朝、ホンファとシュエは、帝国厨房に聞き込みに来ていた。
最近はユーチェン妃もリンリン妃も体調がよく、ことリンリン妃に至ってはめきめきと体調をご回復され、幼児退行の症状も治まってきた。ゆえに、ホンファはだいぶ自由な時間を持てるようになっていた。
今朝は帝国厨房に来る前に、ユイユイに会わせてもらうことができた。
「ユイユイ。痛いところはない? 不便なことは?」
「ホンファ! もう私、こんな食っちゃね食っちゃねで、太ってしまったわ!」
ユイユイはホンファに心配かけまいと、いつもの調子で冗談を言った。
ホンファは涙をこらえながら笑い、ユイユイの手を取る。
「私がなんとしてもユイユイを助けるから、だからそれまで、もう少しだけ我慢してね」
「うん! 私、ホンファのこと信じてるわ!」
思い出すのは、初めて出会った日のことだ。
ホンファは最初、自分から後宮の女官に志願した。ほかの女官と言えば、年季奉公や売られてきたものなどさまざまであったが、その中でもユイユイは、ことさら他から可愛がられていた。
「私ユイユイ。あなたは?」
ホンファはたっての希望で帝国厨房の配膳係につくことができた。ここで父の無念を晴らすんだ。そう意気込んで入ったホンファにとって、女官とのつながり――もっと言えば友だちなんてもの、作ることはないのだと思っていた。
案の定、ホンファは女官たちの間でも不愛想だと浮きに浮き、面倒な雑用はみんなホンファに押し付けるようになっていた。
そんなホンファに話しかけたのが、ユイユイである。後宮に来て半年ほどが経っていた。
「もう、洗い物って手が痛くなるわよね」
「ならやらなくていい」
「違う違う。みんなで手分けしたら、手も痛くならないのにって話よ」
なんでそんなに不愛想なの? とユイユイが朗らかに笑った。
ユイユイは、聞いてもいないのに自分の身の上話をホンファに聞かせた。
「私はね、長女なの。下に弟が三人、妹が二人。だからね、この年季奉公で親孝行してるの」
「アンタには一銭も入らないのに?」
「えー、でも、帝国厨房なら、あまりもののご飯でもすごくおいしいじゃない。お得よお得」
なにが得なのかわからない。食事だって、帝に出された膳のあまりものだ。そのあまりものを料理人たちが分けて、そのさらにあまりものが女官たちに回ってくるのだ。
「私、あれが一番好き」
「あれ?」
「アヒルの炉焼き」
「ああ、あれね。あれは焼き方が下手だよなあ」
思い出すだけで腹が立つ。炉の温度が高すぎる上に、焼き時間が長い分、肉の水分が飛んでぱさぱさなのだ。
「私だったら、あと薪を五本少なくして、焼き時間も短くするのに」
きょとん、とユイユイが固まってホンファを見ている。しくじったかもしれない。これじゃまるで、ホンファは料理ができると自慢しているようなものだ。
しかしユイユイは、感動したようにホンファの手を握る。洗い物をしているせいで手がかじかんで、ユイユイの手の感触がよくわからない。
「すっごい。ホンファって料理もできるの?」
「……だ、誰にも言わないで」
「わかった。言わない」
理由を聞かれなかったことにほっとして、しかし、ホンファは本来思ったことを口にせずにはいられない性格だ。
「なんで、って聞かないの?」
「聞いてほしいの?」
「ん、いや。聞かないでほしい」
「じゃあ、聞かない。でもね」
かじかんだ手が、ユイユイの手によって温められていく。ひどく小さな手だと思った。ホンファと同じくらいの手のひらは、だけれどホンファよりもあかぎれがひどい。
「言いたくなったらいつでも聞くよ。私たち、友達じゃない」
それがホンファとユイユイの始まりの日。あの日から、ホンファはひとりではなくなった。
ユイユイとともに、盗み食いするのがひそかな楽しみになっていた。
帝国厨房の料理となれば、それはもう、上等な食材が届くものだから、ホンファは興味津々だったし、食いしん坊のユイユイならなおのことだった。
「また怒られちゃったね」
「だね」
ふたりで罰として水の入った桶を頭の上に乗せて、正座する。この時間さえ、愛しかった。
父と母、弟が亡くなって半年。ホンファとユイユイはかけがえのない親友になっていた。同じころ、ホンファは父の敵討ちをすることをやめた。
「ユイユイ。私ね。本当は父さんの敵を討つために後宮に入ったの」
「そうだったのね」
「うん。でも、もうやめた。敵を討ったって父さんは生き返らないし。それなら、母さんが望んだように、私は生き延びる道を選ぶ」
「じゃあ、真っ先につまみ食いをやめなきゃだね」
「はは、それはそう」
この時初めて、家族が死んでから笑ったような気がした。
ホンファとユイユイは、ずっと一緒だった。ユイユイがいたからここまでやってこられた。ユイユイがいたから、生きていこうと思えた。
同時に、ホンファは他人に干渉することをやめた。平穏無事に生涯を終えるためには、面倒ごとには首を突っ込まないのが得策だ。
ホンファはただ、ユイユイとの時間を大切にしたかった。ユイユイの年季が明けるまで、あと一年というとき、ホンファはシュエに出会ってしまった。
この出会いのせいで、ホンファの人生が大きくねじれた。ねじれてからんで、もうどうしたらいいのかわからない。
ただ、ユイユイを助けたいだけなのに、それすらうまくいかない。
「ユイユイ。待ってて」
決意を新たに、ホンファは動く。今日はシュエとともに、調理場の発注責任者の話を聞くのだ。




