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二十三、黒幕①

 チョリエイの話によれば、朝鮮朝顔の接ぎ木の苗は、今年の夏――シュンリエンの毒殺未遂事件のその日にもらったのだそうだ。ちょうど、長期の休みをもらう前だったと聞く。それはすぐさま実をなして、チョリエイは酒のつまみに茄子ときゅうりを調理した。

 幸いだったのは、チョリエイ以外の人間が、この茄子やきゅうりを食べなかったことだろう。

 もしもこの苗を、チョリエイが帝国厨房専用の菜園にもっていっていたら、大惨事もいいところだ。


「詳しく聞いたところ、チョリエイさんに苗を渡すとき、個人でお楽しみくださいと念を押されたそうです」

「なるほど。ますます怪しいな」


 そういえば。と、ホンファが思い出したように、


「チョリエイさんは、休暇先で東宮さまの幽鬼に襲われたそうです」


 シュエが片眉をあげる。


「馬鹿馬鹿しい。ソナタ、幽鬼などを信じるのか?」

「いえ。私も幽鬼などは信じません。微塵も。しかし、なにかにおいませんか?」


 何者かが、チョリエイを意図的に脅している。ホンファはそれを伝えたかったのだが、


「その幽鬼は、夜に現れたのか?」

「えっと。たぶん。幽鬼ですし」


 シュエがふんと鼻を鳴らす。


「なぜ東宮と言い切る」

「御髪が白銀だったようです」

「白銀、ね。瞳は?」


 特には聞いていないため、ホンファはふるふると首を横に振った。


「本当に東宮の幽鬼ならば、夜は瞳が光るはずだ。髪も違う」


 それは夜行性の動物には聞いたことがあるが、人間でも有り得るのだろうか。

 それに、髪が白銀ではない?

 いや、今はそれよりも。


「なぜシュエさまがご存知なのです?」


 シュエがいくら位の高い高官だからとて、東宮のかんばせ――もっと言えば、夜に瞳が光るだなんて、どこで知ったのだろうか。


「ホンファ殿。そろそろ港に出かけるお時間です」

「ハクシュウさま……そうですね。一介の女官などが、シュエさまのことを知ろうなどと、おこがましいですね」


 ホンファは黙って身支度をする。かたわら、シュエがひそやかにため息をついた。



 今日も今日とて、ホンファはきれいな衣を身にまとい、化粧を施されて輿に乗る。

 今日は二里離れた港に捜査に行く予定なのだ。


「化粧する意味ありました?」

「身なりを整えなければ、ソナタが舐められるだけだぞ?」

「う……それは痛いほど思い知りましたけど」


 帝の宴席の準備はつつがなく進んでいる。

 その、仕入れ先の一つである一番近くの港で、ホンファは漁師からとある話を聞いた。それが、一年前の帝の宴席で、その年に限り魚の仕入れを隣の港のものに変えたというのだ。

 この隣港の魚を調べれば、もしかすると帝になんの毒が盛られたのかを知ることができるかもしれない。


「でも、遠いですね。歩いたら二刻(四時間)はかかりますね。走っても一刻」

「そうだな。それでは鮮度も落ちるだろうに……どれだけ美味い魚だったのだろうか」

「ですね。わざわざ隣の港に変えるくらいですもん、さぞおいしいのでしょうね」


 じゅる、とホンファがよだれをすすった。いつもの調子に戻ったホンファに、シュエが小さく笑いを漏らした。

 ホンファがシュエをにらむ。


「笑いましたね」

「いや。ソナタは料理のことになると見境がない」


 そうなのだ。

 帝の件と言い、ホンファは口を出さねば済むものを、リンリン妃のことだって、ユーチェン妃のことだって、放っておくことはできないのだ。

 輿が揺れて、傾く。


「っと、大丈夫か?」

「あ、はい。すみません」


 窓を開けて、シュエが、


「こら。もっと安全に運ばないか」

「す、すみません。シュエさま」


 傍ら、ホンファは妙な気分になった。

 シュエは宦官だ。男であって男ではない。なのになんだ、今のは。男らしくホンファをあっさりと片手で支えて。

 だいたい、官吏だっていうのに、体を鍛えてなんになる?

 こそりとシュエを見やる。服の上からでも、その肉体が鍛えられているのが分かるくらいだった。上背もある。

 髪だっていつもつるつるさらさらだ。女もうらやむほどの美貌の持ち主――というわけではないが。

 シュエは宦官の割には男らしい容貌をしている。上背だってあるし、顔つきだって男のそれだ。

 普通、宦官といったらシュエの付き人のように、背が低く丸い体つきに猫背で、ひげも薄い女性のような風貌になるものだ。

 それがシュエにはないとしたら、シュエが宦官になったのがもしかしたらある程度成長期を過ぎてからなのかもしれない。


「なにかの罰で宦官に?」


 それはないだろう。なにしろシュエの位は高い。

 考えれば考えるほどわからなくなる。ホンファはいったん、シュエの謎は考えないようにすることにした。

 なのに。


「なんだ、わたしに見惚れたか?」

「まさか。シュエさまって、なぜ宦官になられたのです? 見たところ、幼い日に去勢されたわけではなさそうですし」


 シュエの体を見ながら、ホンファが首を左に傾けた。シュエはなんら顔色を変えることなく、


「わたしが宦官だといつ言った?」

「え?」

「なんだ。見ればわかるだろうに」


 後宮に勤める男は、例外を除いて宦官だ。しかもこのシュエという男は、リンリン妃の宮にまで入ることが出来た。

 普通に考えて、今の状況はまずいのでは? 同じ輿に、ふたりきり。


 ホンファがシュエから少し距離を置くように座り直した。

「なんだソナタ、失礼な」

「だって……シュエさまが宦官でないなら、普通は警戒しますよ」


 だが、宦官でないことを隠さなかったのは、シュエの誠意かもしれない。


「シュエさまが宦官でないことは、ほかの女官はご存知で?」

「さあ。わざわざ他者に言うことでもないからな」

「ならなぜ私には言ったのです」


「ソナタは……そうだな。わたしに興味がないからだろうな」

 それはシュエも同じだろうに。シュエはきっと、ホンファを都合のいい駒としてしか見ていない。

 それくらいでちょうどいい。ホンファとシュエは、たまたま手を組んだだけの関係に過ぎない。

 ホンファはシュエの横顔を見る――その髪が、


「シュエさまって若白髪ですか?」


 今気づいた。シュエの髪の毛の生え際が、白い。白いと言うより――


「……ひとの髪をじろじろ見るな」

「すみません」


 白髪というより、白銀に近いと、ホンファは思った。

 ゆらゆらと輿が揺れる。ふたりは無言で、港へ向かった。



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