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二十二、疑念⑥

***


「今日は鯛をトマトやアサリとともに蒸し焼きにします。主食は面包ミエンバオで、小麦ふすまを入れて作ります」


 女官たちとの料理の時間ももう慣れたもので、今日は鯛を蒸し焼きにした西洋料理と、ミエンバオ、それから野菜は温野菜にしてマヨネーズをかけることにする。

 飲水病は糖質を制限する。対して腎症はたんぱく質と塩分を制限する。腎症では、たんぱく質を制限するものの、糖質と脂質で熱量カロリーを補う必要がある。

 料理は均衡バランスが大事だ。熱量は、炭水化物から六割、たんぱく質から二割、脂質から三割を理想とする。この比率を守りながら、熱量をそれぞれに割り当てた料理を作る。

 ユーチェン妃は糖質制限があるため、熱量は油で補うことになる。

 そこで役に立つのがマヨネーズだ。これは油が主なため、野菜に和えたり、じゃがいもに和えたりと工夫次第でなんにでも使える。


「おいしいわ。ホンファの料理はどれも素敵な味がするわ」

「ありがとう存じます」


 恭しく拱手礼をして、ホンファはちらりと時計を見やる。


「ホンファ。急いでいるようね」

「や、ユーチェン妃さま、そのようなことは」

「いいわ。今日はもう帰っていいわ。次は明日の昼かしら?」

「はい。朝の献立は女官たちに伝えてあるので、私は明日の朝はリンリン妃さまのところです」

「本当に、ありがとうね。私やリンリン妃のために、働いてくれて」

「とんでもないです! 私のほうこそ、いろいろとよくしてもらって」


 もう一度拱手礼をして、ホンファは丑の宮を走り出た。


***


 シュエのもとに寄り、一応の報告をする。


「シュエさま。些細なことで大変恐縮なのですが」

「なんだ、申してみよ。ソナタから訪ねてくるのは珍しいな」

「はい……昨日、チョリエイさんに聞いた話ですが……チョリエイさんに朝鮮朝顔の接ぎ木した苗を渡したのは、シュンメイさまだそうです」

「シュンメイ殿が?」


 声音を低くして、シュエが右手を口元に添える。ホンファはぶつぶつとなにかを考えこんで、


「シュンメイさまのご息女は、先日青酸で毒殺されかけました。そしてチョリエイさんの食中毒……なにかおかしいと思いませんか」

「おかしい?」

「はい。朝鮮朝顔は、知る人は知っている毒性の強い植物です。その植物に接ぎ木をすれば、接いだ植物に毒が廻ることも少し考えればわかることです」

「裏で糸を引いている者がいると?」

「いえ……私の考えでは――」


***


 シュエとホンファは、その足で急いでシュンメイのもとへと走った。鍵を握るのはシュンリエン。シュンメイの子女だ。

 シュエに入れぬ場所はない。

 シュエはシュンメイの左大臣室に押しかけるように入ると、


「シュンメイ殿。シュンリエン嬢に合わせてくれぬか?」

「な、なんですか、シュエさま……と、下女ですか?」

「ホンファと申します」


 ホンファが頭を下げる。シュンメイは冷や汗たらたらに、


「うちの娘になんの用ですか」

「ニ、三、うかがいたいことが」


 シュエの鋭く射抜くような目。シュンメイはそわそわとせわしなく目を泳がせている。

 おそらく、ホンファの考えは正しい。



「私の考えでは、シュンメイさまがチョリエイさんに苗を渡したのは、意図的だと思います」

「意図的? つまり、あの苗に毒があると知っていたと?」

「さようです。そして、それを誰かに指示されてやった可能性があります」


 娘のシュンリエンがあることに気づいて毒を盛られた。それにかかわるチョリエイも狙われた。

 これがホンファのたどり着いた考えだった。

 しかし、その黒幕が誰なのか、わからない。


「シュンメイ殿。ソナタ、誰にそそのかされた?」

「そ、そそのかされてなど」

「ならば、ご息女に会わせてください」

「な、ならぬ! シュンリエンは暗殺未遂の件で憔悴しきっておる。誰にも会わぬと言っておる! さあ、お帰り下さいませ! これ以上居座るなら、左大臣として私も黙ってはおりませぬぞ!」


 シュエとホンファは顔を見合わせ、首を縦に振った。


「今日のところは帰ります。しかし、シュンメイ殿。ソナタの命を守るためにも、なにか知っていることがあればいつでも訪ねてこられよ」

「余計なお世話です。お引き取りを!」


 まるでごみを履き出すかのように扱われ、シュエとホンファは廊下で顔を見合わせた。


「さて、どうしたものやら」


 シュンリエンの話が聞けなければ、この話は進まない。

 ふたりは一度、シュエの執務室に戻って作戦を立て直す。


「あ」


 ホンファがなにかを思い出したかのように手を叩いた。


「そういえば、チョリエイさんって、昨年の華鳳の乱以降も厨房に残り続けてる、数少ない人間ですよね」


 華鳳の乱以降残り続ける料理人は珍しい。チョリエイ自身もそれを隠してはいないのだが、なにぶん本人が華鳳の乱について頑なに話さない。ゆえに、それが事実なのか、一応の確認を入れたのだ。


「チョリエイ、チョリエイ……待て、名簿を見る」


 そんなものまでこの部屋にあるのか。ホンファはシュエという人間が何者なのか、考えかけて、やめた。

 秘密主義なのだ、この男は。きっと聞いたところで素直に教えてはくれまい。

 今はそれよりも。


「あった。チョリエイ。帝国厨房には、昨年の宴席のみの雇用で入ってきた、日雇いの料理人だ」

「日雇い……それで、極刑をまぬかれたんですね」


 しかし、チョリエイがこの一年で出世しない理由もこれでわかった。チョリエイは帝に仇なした料理人のひとりだ。ゆえに、一生この後宮から出られないのだろう。


「チョリエイ。処遇は肉刑……背中に入れ墨を入れ――」


 言葉を詰まらせたシュエに、ホンファはシュエの持つ名簿を覗き見る。


「家族を斬首とすることで、チョリエイを肉刑で赦すこととする……?」


 ごうっと、ホンファの顔が憎しみにゆがんだ。

 シュエの背中に冷や汗が伝う。初めて見る顔だった。憎悪、恨み、つらみ。

 ホンファは普段、あまり感情を表に出さない。そういう性格なのだと思っていたが、なるほど、この憎しみを隠すために、あえて感情を表に出さずに生きてきたようだ。


「ソナタ、この件から外れろ」

「なぜです? チョリエイさんは、華鳳の乱で肉刑に処された。そのうえ、家族を失った」


 チョリエイがことさらホンファをかわいがるのは、亡くなった妹を思い出すからだろう。流行病で亡くなったと嘘をついたのは、ホンファが悲しむからだ。

 シュエはハクシュウに目くばせする。


「落ち着いて取り組めるか?」

「私はいつでも冷静です」

「オマエ、今の自分の顔を見ても、そう言えるのか?」


 ハクシュウが菊花茶をホンファに出した。ホンファは机の前の椅子に座り、菊花茶の茶碗を手に取った。

 菊花茶の落ち着く香り。その、菊花茶に映る自分の顔を見て、ホンファはふっと息を吐いた。

 次にはまた、いつもの無表情を張り付けて、


「落ち着きました」

「菊花茶を飲んでいないのに?」

「飲みます。飲みますから、シュエさま。どうかこの件から外れろなんて言わないでください」


 菊花茶を一気に飲み干す。小さな喉が上下に動いて、ホンファの手には汗がにじんだ。


「ソナタ、なぜそこまでこの件にこだわる?」

「……こだわっていたわけじゃないです。もともとは、シュエさまが言ったんです。華鳳の乱の真相を明らかにせよと。それでたまたま、この件にチョリエイさんが絡んでいただけで」

「そうか? ソナタはチョリエイの件以前から、華鳳の乱について、必死だったように見えたが?」

「必死になど。ただ、私は」


 父の敵が打ちたいだけです。小さく動いた唇は、声にならない声をシュエの部屋に響かせた。

 しかし、静かなこの後宮で、ホンファの声はシュエに一言一句、はっきり聞こえた。


「父の……敵?」

「……極刑に処された――斬首刑に処された当時の料理長。それが私の父です」

「……! それでか」


 ホンファという名前が、戸籍帳から見つからなかったのは。

 偽名を使ってまでこの後宮に入ったということは、少なからず父の無念を晴らすための覚悟でここに来たのだろう、とシュエは思った。


「でも、もうどうでもよかったんです。父の無念を晴らしたって、父や母、弟が帰ってくるわけでもないのですし」


 ホンファがきものをぎゅっと握りしめている。唇をかみしめて、だが気丈にも笑うのだ。


「幸い、後宮にはユイユイという友人もできましたし。復讐なんてやめて、平穏に、何事もなく生きようと――そんな折、シュエさまに出会い、ユイユイが毒殺未遂の疑いをかけられ――」


 泣くような女ではないと思っていた。このホンファという女官はもっと自分本位で事なかれ主義で、他人など無関係に生きていく、そんな薄情な女だと思っていた。

 ほろほろと涙を流すホンファを見て、シュエはそっと手巾(手ぬぐい)を渡した。

 ホンファはそれを受け取らず、自分のきものの袖で涙をぬぐった。


「私は。自分の意志で、この事件の真相を知りたいのです」

「そうか。ソナタがそこまで強く望むのなら、仕方あるまい」


 手巾を強引にホンファに握らせて、シュエはホンファに背中を向ける。


「では、今後はリンリン妃とユーチェン妃のところに行く回数を減らせるように、わたしから言っておく」

「でも」

「でももなにも。わたしもソナタに頼りすぎていた。ソナタならなんとかしてくれるだろうと。そうだな、ソナタになら分かるだろう。わたしも」


 ソナタと同じだ。

 シュエが背中越しに言い放つ。どんな表情をしているのかは見えない。目的は復讐? だとして、誰の。

 ホンファは手巾を握りしめて、


「この流れで、仔細を伏せて目的だけお話しするなんて。秘密主義とは思っていましたが、ここまでとは」


 嫌味ひとつ、笑い飛ばした。

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