二十二、疑念⑥
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「今日は鯛をトマトやアサリとともに蒸し焼きにします。主食は面包で、小麦ふすまを入れて作ります」
女官たちとの料理の時間ももう慣れたもので、今日は鯛を蒸し焼きにした西洋料理と、ミエンバオ、それから野菜は温野菜にしてマヨネーズをかけることにする。
飲水病は糖質を制限する。対して腎症はたんぱく質と塩分を制限する。腎症では、たんぱく質を制限するものの、糖質と脂質で熱量を補う必要がある。
料理は均衡が大事だ。熱量は、炭水化物から六割、たんぱく質から二割、脂質から三割を理想とする。この比率を守りながら、熱量をそれぞれに割り当てた料理を作る。
ユーチェン妃は糖質制限があるため、熱量は油で補うことになる。
そこで役に立つのがマヨネーズだ。これは油が主なため、野菜に和えたり、じゃがいもに和えたりと工夫次第でなんにでも使える。
「おいしいわ。ホンファの料理はどれも素敵な味がするわ」
「ありがとう存じます」
恭しく拱手礼をして、ホンファはちらりと時計を見やる。
「ホンファ。急いでいるようね」
「や、ユーチェン妃さま、そのようなことは」
「いいわ。今日はもう帰っていいわ。次は明日の昼かしら?」
「はい。朝の献立は女官たちに伝えてあるので、私は明日の朝はリンリン妃さまのところです」
「本当に、ありがとうね。私やリンリン妃のために、働いてくれて」
「とんでもないです! 私のほうこそ、いろいろとよくしてもらって」
もう一度拱手礼をして、ホンファは丑の宮を走り出た。
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シュエのもとに寄り、一応の報告をする。
「シュエさま。些細なことで大変恐縮なのですが」
「なんだ、申してみよ。ソナタから訪ねてくるのは珍しいな」
「はい……昨日、チョリエイさんに聞いた話ですが……チョリエイさんに朝鮮朝顔の接ぎ木した苗を渡したのは、シュンメイさまだそうです」
「シュンメイ殿が?」
声音を低くして、シュエが右手を口元に添える。ホンファはぶつぶつとなにかを考えこんで、
「シュンメイさまのご息女は、先日青酸で毒殺されかけました。そしてチョリエイさんの食中毒……なにかおかしいと思いませんか」
「おかしい?」
「はい。朝鮮朝顔は、知る人は知っている毒性の強い植物です。その植物に接ぎ木をすれば、接いだ植物に毒が廻ることも少し考えればわかることです」
「裏で糸を引いている者がいると?」
「いえ……私の考えでは――」
***
シュエとホンファは、その足で急いでシュンメイのもとへと走った。鍵を握るのはシュンリエン。シュンメイの子女だ。
シュエに入れぬ場所はない。
シュエはシュンメイの左大臣室に押しかけるように入ると、
「シュンメイ殿。シュンリエン嬢に合わせてくれぬか?」
「な、なんですか、シュエさま……と、下女ですか?」
「ホンファと申します」
ホンファが頭を下げる。シュンメイは冷や汗たらたらに、
「うちの娘になんの用ですか」
「ニ、三、うかがいたいことが」
シュエの鋭く射抜くような目。シュンメイはそわそわとせわしなく目を泳がせている。
おそらく、ホンファの考えは正しい。
「私の考えでは、シュンメイさまがチョリエイさんに苗を渡したのは、意図的だと思います」
「意図的? つまり、あの苗に毒があると知っていたと?」
「さようです。そして、それを誰かに指示されてやった可能性があります」
娘のシュンリエンがあることに気づいて毒を盛られた。それにかかわるチョリエイも狙われた。
これがホンファのたどり着いた考えだった。
しかし、その黒幕が誰なのか、わからない。
「シュンメイ殿。ソナタ、誰にそそのかされた?」
「そ、そそのかされてなど」
「ならば、ご息女に会わせてください」
「な、ならぬ! シュンリエンは暗殺未遂の件で憔悴しきっておる。誰にも会わぬと言っておる! さあ、お帰り下さいませ! これ以上居座るなら、左大臣として私も黙ってはおりませぬぞ!」
シュエとホンファは顔を見合わせ、首を縦に振った。
「今日のところは帰ります。しかし、シュンメイ殿。ソナタの命を守るためにも、なにか知っていることがあればいつでも訪ねてこられよ」
「余計なお世話です。お引き取りを!」
まるでごみを履き出すかのように扱われ、シュエとホンファは廊下で顔を見合わせた。
「さて、どうしたものやら」
シュンリエンの話が聞けなければ、この話は進まない。
ふたりは一度、シュエの執務室に戻って作戦を立て直す。
「あ」
ホンファがなにかを思い出したかのように手を叩いた。
「そういえば、チョリエイさんって、昨年の華鳳の乱以降も厨房に残り続けてる、数少ない人間ですよね」
華鳳の乱以降残り続ける料理人は珍しい。チョリエイ自身もそれを隠してはいないのだが、なにぶん本人が華鳳の乱について頑なに話さない。ゆえに、それが事実なのか、一応の確認を入れたのだ。
「チョリエイ、チョリエイ……待て、名簿を見る」
そんなものまでこの部屋にあるのか。ホンファはシュエという人間が何者なのか、考えかけて、やめた。
秘密主義なのだ、この男は。きっと聞いたところで素直に教えてはくれまい。
今はそれよりも。
「あった。チョリエイ。帝国厨房には、昨年の宴席のみの雇用で入ってきた、日雇いの料理人だ」
「日雇い……それで、極刑をまぬかれたんですね」
しかし、チョリエイがこの一年で出世しない理由もこれでわかった。チョリエイは帝に仇なした料理人のひとりだ。ゆえに、一生この後宮から出られないのだろう。
「チョリエイ。処遇は肉刑……背中に入れ墨を入れ――」
言葉を詰まらせたシュエに、ホンファはシュエの持つ名簿を覗き見る。
「家族を斬首とすることで、チョリエイを肉刑で赦すこととする……?」
ごうっと、ホンファの顔が憎しみにゆがんだ。
シュエの背中に冷や汗が伝う。初めて見る顔だった。憎悪、恨み、つらみ。
ホンファは普段、あまり感情を表に出さない。そういう性格なのだと思っていたが、なるほど、この憎しみを隠すために、あえて感情を表に出さずに生きてきたようだ。
「ソナタ、この件から外れろ」
「なぜです? チョリエイさんは、華鳳の乱で肉刑に処された。そのうえ、家族を失った」
チョリエイがことさらホンファをかわいがるのは、亡くなった妹を思い出すからだろう。流行病で亡くなったと嘘をついたのは、ホンファが悲しむからだ。
シュエはハクシュウに目くばせする。
「落ち着いて取り組めるか?」
「私はいつでも冷静です」
「オマエ、今の自分の顔を見ても、そう言えるのか?」
ハクシュウが菊花茶をホンファに出した。ホンファは机の前の椅子に座り、菊花茶の茶碗を手に取った。
菊花茶の落ち着く香り。その、菊花茶に映る自分の顔を見て、ホンファはふっと息を吐いた。
次にはまた、いつもの無表情を張り付けて、
「落ち着きました」
「菊花茶を飲んでいないのに?」
「飲みます。飲みますから、シュエさま。どうかこの件から外れろなんて言わないでください」
菊花茶を一気に飲み干す。小さな喉が上下に動いて、ホンファの手には汗がにじんだ。
「ソナタ、なぜそこまでこの件にこだわる?」
「……こだわっていたわけじゃないです。もともとは、シュエさまが言ったんです。華鳳の乱の真相を明らかにせよと。それでたまたま、この件にチョリエイさんが絡んでいただけで」
「そうか? ソナタはチョリエイの件以前から、華鳳の乱について、必死だったように見えたが?」
「必死になど。ただ、私は」
父の敵が打ちたいだけです。小さく動いた唇は、声にならない声をシュエの部屋に響かせた。
しかし、静かなこの後宮で、ホンファの声はシュエに一言一句、はっきり聞こえた。
「父の……敵?」
「……極刑に処された――斬首刑に処された当時の料理長。それが私の父です」
「……! それでか」
ホンファという名前が、戸籍帳から見つからなかったのは。
偽名を使ってまでこの後宮に入ったということは、少なからず父の無念を晴らすための覚悟でここに来たのだろう、とシュエは思った。
「でも、もうどうでもよかったんです。父の無念を晴らしたって、父や母、弟が帰ってくるわけでもないのですし」
ホンファがきものをぎゅっと握りしめている。唇をかみしめて、だが気丈にも笑うのだ。
「幸い、後宮にはユイユイという友人もできましたし。復讐なんてやめて、平穏に、何事もなく生きようと――そんな折、シュエさまに出会い、ユイユイが毒殺未遂の疑いをかけられ――」
泣くような女ではないと思っていた。このホンファという女官はもっと自分本位で事なかれ主義で、他人など無関係に生きていく、そんな薄情な女だと思っていた。
ほろほろと涙を流すホンファを見て、シュエはそっと手巾(手ぬぐい)を渡した。
ホンファはそれを受け取らず、自分のきものの袖で涙をぬぐった。
「私は。自分の意志で、この事件の真相を知りたいのです」
「そうか。ソナタがそこまで強く望むのなら、仕方あるまい」
手巾を強引にホンファに握らせて、シュエはホンファに背中を向ける。
「では、今後はリンリン妃とユーチェン妃のところに行く回数を減らせるように、わたしから言っておく」
「でも」
「でももなにも。わたしもソナタに頼りすぎていた。ソナタならなんとかしてくれるだろうと。そうだな、ソナタになら分かるだろう。わたしも」
ソナタと同じだ。
シュエが背中越しに言い放つ。どんな表情をしているのかは見えない。目的は復讐? だとして、誰の。
ホンファは手巾を握りしめて、
「この流れで、仔細を伏せて目的だけお話しするなんて。秘密主義とは思っていましたが、ここまでとは」
嫌味ひとつ、笑い飛ばした。




