十九、疑念③
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帝の四十一歳の宴が催されようとしている。
その日ホンファは、シュエに呼ばれてシュエの執務室を訪れていた。
「ソナタ、宴席の料理はできるのか?」
うげげ、と後ずさりするホンファに、しかしシュエはにこやかだ。
「私は女ですし……」
「その点は問題ない。ソナタの料理でご回復された主上直々にお許しを得た」
なんて用意周到な。ホンファが顔をひきつらせて笑った。
「なに、無理にとは言わん。だが、この宴席でもしかしたら、逆賊をとらえられるかもしれん」
「逆賊」
「そうだ。昨年の宴で帝を暗殺しようとした奴らだ。あれがまた、帝を狙うやもしれぬし。ゆえに、今回の料理は、ソナタに任せたい。というのが本音だ」
そわ、と目をそらすホンファに、決定権はないらしい。
シュエは立ち上がると、
「なに、ただでとは言わん」
「はあ」
「宴が無事に終わった暁には、三日間、後宮を出られるようにいとまを出そう」
そんなもの、いらないのだが、何分シュエは言い出したら聞かない。
「わかりました。作るは作りますけど、期待しないでくださいよ」
「そうこなくちゃ」
ふふ、とまるで女のような笑みを湛え、シュエは上機嫌に窓の外を見た。冬が来ようとしている。少しだけ風が冷たくなってきた。
***
宴席の料理を作るにあたって、まずホンファは材料を自ら仕入れることにした。
「材料の仕入れは、帝国厨房の発注係がいるだろうに。なぜ市井に出る必要がある?」
「仕入れは一番重要です。どんな食材も、仕入れる地域によってその栄養や――毒までもが変わってきます」
「毒が?」
「はい。毒を食べて育った魚には毒が蓄積されます。肉も同じく。ですので、その動植物がどこで育ったかは、ことのほか重要なことなのです」
朝鮮朝顔のことを思い出す。あれは、朝鮮朝顔に接ぎ木した茄子を食べたがゆえの食中毒だった。
あの件はいまだに釈然としない。あの苗を、チョリエイはどこで手に入れたのだろうか。
「それで、後宮を出る許可は?」
「いいだろう。わたしが許可証を取って来よう」
そこまでは、よかったのだ。
いざ、仕入れ先を決めに市井に出るとなって、シュエがついてくると言ってきかなかった。しかも、ホンファは上等な衣を身にまとっている。
ハクシュウに渡されたものだった。
「シュエさまからです」
「え? これを着ろと?」
「当たり前だろう? わたしの隣を歩くのだから、少しは身ぎれいにしてもらわないと」
ぱんぱん、とシュエが手を叩くと、どこから現れたのか女官たちが化粧道具を片手に部屋に入ってくる。
「ま、待ってください。化粧とか……私がしてもなにも変わりませんし」
「やれ」
「ひっ、お許しを、お許しを! うわぁああ!」
と言った感じで、ホンファは不本意にも貴族のような恰好をさせられてしまったのだ。
「動きにくい、化粧臭い。これでは、食材の味が正確に判断できません」
「なんだ、文句ばかり垂れて。ソナタは――ソナタ――」
化粧をしたら、年相応の女性に見えた。数えにして二十歳。もう立派な大人だ。シュエと同い年で、亡くなった東宮と同じ年に生まれた人間。
東宮が生まれた年、その年は盛大に祝宴が開かれ、その年に捕まった罪人は死罪をのぞき放免され、東宮は神の子だと敬われていた。それが一年前、宴席での失態がもとで処刑に至った。
「ソナタ、もっと女らしい格好を楽しめばいいものを」
「あいにくと私は、料理しかないので」
「その料理の腕すら、隠していたではないか」
「それは……あきらめていたんです」
シュエは小さなホンファをみおろして、首を右に傾けた。
「あきらめる? なにを?」
「……父の無念を晴らすこと、です」
「父……ソナタ、両親は?」
「死にました。……ちょうど一年前」
一年前、とほのめかされて、思い当たるのは華鳳の乱のことだった。
あの時、死罪や流刑になった人間はあまたいた。まず、宴席での料理の仕入れ先の商人、料理した料理人の半数以上、そして、あの場に食事を運んだ女官たち。
「シュエさまのような高貴なお方にはわからないでしょうけれど。私たち――平民や卑賤の者たちも、同じ人間なのです」
「……では聞くが、そソナタら平民にとって主上や王族は人間か?」
「……! そのようなこと……! 誰かに聞かれたらどうなさるのです!?」
帝は天子であらせられる。そしてその子供である東宮もまた、神の子。
それは平民の誰もが知っていることで、その帝や王族を人間呼ばわりするなんて、シュエは少しおかしいのだとホンファは思った。
「そういうところだ、平民の考えなんて」
「な……天子であられる主上と、卑賤の民。なにが関係あるのですか」
「どちらも同じ人間だ。毒におかされれば死ぬし、暗殺未遂されれば恐怖する。病気にもなるし、食中毒だって起こす」
「黙ってください! これ以上主上の悪口は――」
しかし、シュエが悲し気に微笑んでいることに気づき、ホンファはなにも言えなくなった。自分がおかしいのか、このシュエという人間がおかしいのか、ホンファにはわからなくなった。
「シュエさま……はあ。とりあえず、お魚を見て回りましょう」
「そうだな」
都から一番近い港へ向かって、ふたりはゆっくりと足を進めた。一歩後ろを歩くハクシュウが、シュエをあたたかく見守っていた。




