十八、疑念②
「ジェジェ、もう来なくなるのですか?」
その日の夕餉、リンリン妃がすがるようにホンファに言った。夕餉の膳を置くも、食べるより先に懇願されてしまう。ホンファは隣に座るシュエにジト目をむけた。
「なにが『大丈夫』なのですか」
「すまない。わたしはどうも、この病を甘く見ていたようだ」
昼間、シュエがリンリン妃にホンファの通う回数を減らせないかと頼んだ際は、それは大泣きして大変だったのだと聞いた。
ホンファはリンリン妃の傍までよって、抱きしめる。
「リンリン妃さまも、おわかりでしょう? 私は人間です。誰かの所有物ではないのです」
「わ、わかっています。でも、ジェジェがいなくなるのは嫌です」
どうやらシュエの伝え方が悪かったらしい。
「いなくなりはしないです。ただ、食事は朝昼晩のうちどれか一、二回に減るでしょうし、お庭で遊ばれるお供もできにくくなります」
「やです。それじゃあ、私はもう、ご飯は食べません!」
「リンリン妃さま」
シュエはかたわら、ハラハラした面持ちだ。せっかくここまで持ち直したのに、リンリン妃は逆戻りしてしまうかもしれない。
しかしホンファは慣れたもので、
「ユーチェン妃さまに、赤ちゃんができたのはご存じですよね?」
「……はい、私もそれは、嬉しうございます」
「そのお子と、ユーチェン妃さまが、もしかしたらどちらもお亡くなりになるかもしれないのです」
「え!? 死んでしまう病なのですか? 妊娠とは、そのような恐ろしいものなのですか?」
若干十五歳のリンリン妃には、妊娠はまだ遠い存在らしい。いや、帝のお通いはあったのだから、そういった教育はなされているはずだが。
「リンリン妃さま。その、主上とは、夜はなにをしておいでで?」
「はい? 夜は碁を打ったり、双六をして遊んでおりました」
「は、はぁあ?」
帝はどうやら、リンリン妃に手を付けていないらしい。安心したやら憤慨するやら。
つまり帝は、幼いリンリン妃を女性としては見ていないらしい。おそらく、成人するまで待つつもりなのだろう。
なんて律義な。
「そうでしたか。その辺の教育は、また別のものをよこすゆえ。リンリン妃さま。ユーチェン妃さまの命を救うために、ここは『お姉ちゃん』として、我慢できませんか?」
ホンファは『お姉ちゃん』の部分を強調した。リンリン妃の性格はこの数か月で痛いほどに分かった。まじめで一人っ子で寂しがり屋で甘えん坊。でも、きっと、誰かのために役に立ちたいと思っている。
「お姉ちゃん、ですか? 私が?」
「はい。ユーチェン妃さまにお子が生まれたら、リンリン妃さまはお姉ちゃんのような存在になるでしょうし」
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、かあ」
ほわん、と天を仰いで、リンリン妃は乗り気なようだ。
「そうと決まれば、お姉ちゃんになるのですから、きちんとお食事もとらねばなりませんね!」
力こぶを作って、リンリン妃がホンファの料理に箸をつける。
ホンファの料理はどれもおいしく、リンリン妃はあっという間に料理を平らげた。
***
ユーチェン妃の住まう丑の宮は、優美なつくりで、白と黒を基調とした家財がそろえられていた。対してリンリン妃の卯の宮は、桃色を基調とした作りだった。どうやら、宮によって基調とする色が決められているようだった。
「ホンファ、参りました」
拱手礼をして、ユーチェン妃は寝台に横になったまま、「ありがとう」とか細い声を上げた。相当倦怠感が強いらしい。
「あの、ご病状を拝見しても?」
「はい、どうぞ」
付き人が寝台まで案内する。
寝台に横になるユーチェン妃は、やせ細っているのに足はむくんでおり、これはかなりの食事制限が必要だとホンファは判断した。
「今日から料理は私が作ります」
「え、でも。作り方を帝国厨房に教えて、そこで作ってもらえば――」
「そんな悠長なことはしてられません。私のほうで厳しく療法食を作らせていただきます」
そもそも、帝国厨房の人間は、作り方を渡したところで、その通りには作らないだろう。自身が美味いと思う味付けにして、微修正して調理するに決まっている。それではだめだ。
飲水病は、尿に糖が出る病気だ。これは、糖質を制限する必要がある。対して腎症は、たんぱく質が尿に出るため、たんぱく質を制限する必要がある。
ユーチェン妃は、その両方を併発しているため、かなり味気ない食事になるだろう。
「まず、塩はほぼ使いません。代わりに、かんきつなどを味付けに使って、塩分が少なくても味を感じられるように工夫します。糖質は米を主にします。米は血糖値が上がりにくい食べ物ですので。今回は精白していない玄米を炊きます」
玄米を炊くと、どうしてもぬか臭くなる。それを防ぐためには、まず洗い方が肝心だ。
米を研ぐ際、最初の水は面倒でもうまい水を使うといい。最初の水を、米が吸うためだ。
そして、最初の水をそそいだら、すぐに水は捨てる。ぬか臭い水を吸わせないためだ。
そのあとは、ざるにこすりつけるように玄米を研ぎ、水で流し、また玄米を研ぎ――を繰り返す。
そのあと、一晩水に漬ける。こうすると、柔らかく炊けるのだ。
「玄米を炊いて、あとは白身魚の包み焼きに、キノコのあんかけを添えます。副菜は、温野菜のナムルです」
ナムルとは、茹でたもやしやゼンマイなどに、塩とごま油、白ごまを混ぜただけの料理ではあるが、素朴ながらもうまみが深い。
「できました。ユーチェン妃さま、召し上がれますか?」
寝台の隣に膳を持っていき、ホンファはユーチェン妃の体を起こす。
「いい香り」
「はい。包み焼きには、かんきつの果汁を絞った餡をかけています。ナムルとあつものを添えています。あつものには、ゆずの皮を刻んであしらったので、塩分が控えめでもしっかりと味を感じられるかと」
ユーチェン妃がまずあつものに口をつける。
「温かいわ。おいしい」
「味は感じられるのですね」
飲水病は、神経障害を起こすとされる。それにより、味が感じにくくなってしまうことがあるのだ。
ユーチェン妃はそこまで重くなかったようで、ならば療法食も工夫次第では美味しさを感じられるだろう。
「次はどれを召し上がりますか?」
「魚を」
「はい」
ユーチェン妃を介抱しながら、ホンファが食べさせていく。下女たちが固唾をのんで見守っている。ホンファの料理は素朴に見えて、だがどれも本当においしそうだ。下女のお腹が、くう、と鳴いた。
「皆さんの分も、厨房にあるので。よかったら召し上がってください」
「わあ、私、リンリン妃さまから聞いていたのよ。ホンファの料理は彩の国で一番おいしいって!」
下女たちが笑う。久しぶりの明るい時間だった。
ユーチェン妃は、すべての料理を平らげて、また横になる。
「ユーチェン妃さま。少しお辛いかとは思うのですが、運動もお腹のお子に大事なことゆえ。できる限り、歩いてください」
「歩く」
「はい。転ばぬように、気をつけながら散歩すれば、いい気分転換にもなるでしょう」
ホンファが促すと、ユーチェン妃も断れない。
リンリン妃の回復をこの目で見たからだ。
リンリン妃は、誰がなにをしようと、料理人がどんな料理を作ろうと、決して食べることはなかった。
だというのに、このホンファという少女の料理は、「おいしい、おいしい」と食べるのだ。そのうち、みるみる回復していって、今では庭を元気に走り回っている。
「私も、頑張らねばなりませんね」
「はい、元気なお子を産むためですので」
ホンファに言われて、ユーチェン妃は、昼間のあたたかい時間は、できるだけ歩くように心がけた。




