十七、疑念①
リンリン妃は、みるみる体調をご回復なさっている。今では後宮の庭で走り回れるほどに体力がつき、ホンファもほっと一息胸をなでおろした。
「ジェジェ! 今日のお昼はなんですか?」
「はい。今日のお昼はかぼちゃのいとこ煮と、それから干し柿のなますに、主菜は鶏肉のキノコあんかけにしようかと」
「わあ、どれもおいしそう」
最近、リンリン妃は自ら体重計に乗るようになった。そして、ホンファだけにその体重を知らせてくる。
今は平均より二割ほど少ない体重まで増えて、ホンファもこのあたりでお役御免としたかった。
今日も今日で、官舎からリンリン妃のもとへ向かう準備をしているさなか、
「なんだ。シュエさまのお気に入りは朝が早いな?」
「料理長……すみません。帝国厨房の仕事ができず」
「はは。心にもないことを。ソナタは目立たず抗わず、ほかの女官とは違うと思っていたが、どのような手でシュエさまに取り入ったのやら」
料理長がホンファをさげすむ。そりゃそうだ。ホンファだって聞きたい。なぜシュエが自分に構うのか。
帝国厨房では、ホンファに取り入ろうとする女官か、こうやって嫌味を言う官吏かにわかれている。
「私はただの駒に過ぎません」
「だとしても。ソナタの出世は目に見えているだろうに」
女とは恐ろしいものだ。呟きながら料理長が厨房に入ると、代わって女官たちがホンファに揚げ菓子を持ってきた。
「朝食は済ませた?」
「軽くは」
ホンファにとって、帝国厨房のなかで信じられるのはユイユイひとりだった。それは今でも変わらない。
出世に目が眩んだ女官たちは、急にホンファに優しくなった。
揚げ菓子を差し出され、無下にもできず受けとるだけ受け取る。
「ありがとうございます」
「嫌ねえ、他人行儀に。私たち、仲間じゃない」
「はあ」
仲間、ね。
内心でホンファは悪態をついた。仲間だと言うのなら、なぜユイユイのことを誰一人気にかけないのだろうか。
「ホンファ、シュエさまによろしく」
「……私に取り入っても無駄だと思いますが」
「取り入るなんて」
ほほほ、と女官が笑う。
ユイユイ以外の女官といったら、ホンファに仕事を押し付けたり、ホンファなどそっちのけで帝国厨房の料理長に媚びへつらっていたというのに。
権力とは恐ろしい。
ホンファはさっさと官舎を離れて、まずはシュエのもとへと向かうのだった。
「シュエさま。リンリン妃さまのことなのですが」
「ああ、そうだな。ユイユイという女官のこともあるわけだし」
時折、シュエが内密にユイユイのもとへ連れて行ってくれる。ユイユイはだいぶ体重が増えて、「あげ膳据え膳で怖いくらいだよ」と笑っていた。
けれど、どうにも、毒から回復したシュンリエンが口をつぐんでいる。
「あの毒殺事件。シュンリエンさまもなにも語りたがらないのはなぜでしょう」
「……犯人に口止めされている、とか?」
「口止め……」
だとして、口止めしてなんになるのだろうか。シュンリエンがあの毒殺の件でなにも話さないから、ユイユイの処遇が決まらない。すんでのところでシュエが間に立っているおかげでユイユイの処刑こそないものの、周りの貴族たちはそろってユイユイを犯人に仕立てたがっているようにも見えた。
「はあ、このままじゃどうにも」
「そうだな。そういえば」
まるであっさりと話題を変えられてしまい、やはりシュエにとって平民の命とはその程度なのだと思い知る。
「なんですか。私はもう、厄介ごとはごめんですよ」
「いや……丑の宮のユーチェン妃が身ごもったのは知っているな?」
「……まあ、話しくらいは」
丑の宮のユーチェン妃は、たいそう美しく穏やかな妃だったと記憶している。
「その、ユーチェン妃がどうかなさいましたか?」
「ああ、……あまり体調が芳しくないらしい」
「へえ」
「へえ、って。ソナタ、心配ではないのか?」
シュエが両手を組んで、そこに顎を乗せてホンファを見据える。ハクシュウは、どちらかというとホンファの味方のようで、やれやれと頭を抱えている。
「なぜ私に言うのです」
「ほかに当てがないからだ」
「あてならあるでしょう? 医官という当てが」
「何分、医官にも治せないものはあるようだ」
ここの医官はそろいもそろって木偶の坊なのだろうか。ホンファは話を聞くだけ聞くことにした。
「で、症状は?」
「ああ。妊娠性の飲水病なのだが。体がむくむし、手足のしびれがあるらしい」
うへえ、とホンファが顔をゆがませた。飲水病とは、尿に糖が出る病気だ。さらにこの症状なら、おそらく。
「妊娠性腎症も併発していそうですね」
「聞いただけでわかるのか?」
「まあ……後宮のお食事を拝見していれば、なんとなくは」
とはいえ、妊娠性の飲水病や腎症は、子供を産みさえすれば治るところもある病気のため、妊娠中だけ食事制限をすればいい。
「して、ソナタの料理でどうにかならぬものかと」
「しかし、私にはリンリン妃さまのお世話がありますし」
「そのことなら、わたしに任せておけ。リンリン妃のところに通う頻度を抑えて、ユーチェン妃のところにも通えるように取り計らう」
だからそれが面倒なのだ。
そもそも、リンリン妃がそれを許すとは思えない。程度は軽くなったとはいえ、いまだに幼児退行は治っていないのだから。




